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Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

北紀行 第1話 北鬼行


 排油ストーブは送風機の音を響かせながら燃焼を続けている。彼はストーブの正面のベンチに腰掛け、覗き窓の中で吹き上がるオレンジ色の炎を見つめている。窓の外では闇を背景に雪がちらちらと舞い落ち、舞い上がる。風は少し強いようだ。外気温は零下15度。いくらこいつが送風機を回して頑張っても寒いわけだ。彼はブルゾンの襟元を閉じた。
 ここは最果ての駅の待合室。時間は午前5時。他には誰もいない。彼は1人、この古い木造の駅舎で始発列車の出発を待っている。

 列車の出発は午前5時30分。
 それに乗ると2時間と少しで、このあたりでは唯一人口の集中した都市と呼べるほどの町に着く。その駅で10分ほどの待ち時間で連絡している特急に乗り換え、4時間ほど走るとこの地域最大のハブ空港へ辿りつける。そしてそこから飛行機で2時間。
 それがこの最果ての地・・・彼が何の干渉も無く他所者として一時的に存在できる空間・・・を離れ、もともと彼が生息していた人間界・・・文明という名の便利さと、社会という名の抑圧の集合体・・・に組み込まれるために必要な時間だ。

 二重になっている待合室入口の内側の引き戸が開いた。
 どうやら新しい仲間がやって来たようだ。
 彼は顔を上げて入口の方を見た。
 小柄な若い女だった。オフホワイトのダウンジャケットのフードを被り、足元はショートブーツ、淡いピンクのミニスカートとハイソックスの間の白い生足が寒々しい。
 女は待合室の中をぐるりと見渡してから、彼の真向かい、ストーブの向こう側に腰かけた。そして細くて華奢な指が美しく並ぶ手をそっとかざして暖を取り、被っていたフードを下ろした。
 彼は目を見張った。
 中からプラチナブロンドの髪がフワリと広がったからだ。髪は真っ直ぐで、肩の上と眉の位置で一直線にカットされている。
 ここの住民は民族的理由から黒い髪の者がほとんどだ。だから、このような風貌の女を見かけることはとても珍しい。たまに国境の海を越えてやって来る漁師や船員たちの中にこのような髪色の者を見かけることはあったが、彼等の中に若い女が含まれることはまず有り得ない。
 女は何気なくこちらへ視線を向けた。
 中学生ぐらいに見える少女だった。
 虹彩は灰色だ。
 透き通るような白い肌に、小ぶりな薄紅色の唇と大きな灰色の瞳が少し居心地が悪そうに納まっている。表情は幼げで可愛らしいが、その少女っぽさの中に、どこか魔物めいた妖艶な雰囲気を漂わせている。
 彼は息苦しさを覚え、何気ないそぶりで改札口の方へ顔を向けた。
「5時30分発の改札を始めま~す」駅員が改札口に立って声をあげた。
 彼はゆっくりと立ち上がって改札口の方へ向かったが、少女はまだストーブに手をかざしたままだった。
 切符に鋏を入れてもらいホームに入ると、ディーゼルエンジンの音が大きくなる。ホームでは1両だけで編成されたディーゼルカーが乗客を待っていた。
 少し古いタイプだが極寒地のローカル線用に開発された形式の車両だ。
 メンテナンスフリーと軽量化、海岸部での塩害対策のためのステンレスボディー、排雪走行に余裕を持たせるために搭載された2機の強力なエンジン、排雪走行や動物との衝突などに備えて運転台下に装備されたスカート、エンジンの排熱を利用した寒冷地用の強力な暖房システム、彼は暫しの間興味津々で写真撮影に興じた。
 発車時刻が迫ると地元の乗客達がやって来た。10人程だったが、乗り慣れている様子で車両に乗り込んでいく。寒い待合室で待つのは旅行者だけ、ということなのだろう。
 駅員が待合室を確認してから改札を閉じた。
 彼もあわてて車両に乗り込み、デッキから客室に入ると一番前の席に腰を据えた。デッキとの仕切りにも窓があるから、この席からは前方がよく見える。
 ブザーが鳴りドアが閉じられる。
 重々しいエンジン音が響き、たった1両の列車は加速を始めた。
 冬の夜明けは遅い。進行方向はまだ真っ暗で、ヘッドライトの中に雪で真っ白な地面と、右に左に身をくねらせる2本の線路が続いているだけだ。周りにはまだ町の建物が有るはずだか、冷たい闇の中に沈んでいる。舞い散る雪の中を列車は速度を上げ、やがて果てしない原野の中へと入り込んで行った。

 地平線のあたりが、ほんのりと明るくなり始めた。夜明けが近づいているのだ。
 あたりは相変わらず原野が続いていて、建物も灯りも一切見えない。巡航速度で走り続けた列車が速度を落とし始めると、遙か彼方にたった1つ小さな灯りが見えて来る。だんだん近づいていくと、それが街灯である事がわかる。すぐ横には箱のような小さな建物がポツンと有るが、それ以外には何もない。列車は更に速度を落とし、ゆっくりと小さな段差に横付けする。
 駅だ。これが駅なのだ。箱に見えた小さな建物は貨車を改造した駅の待合室だ。
 町を出発して最初の駅は辺りにまだ建物の気配や幾つかの灯りがあった。だがその後停車した駅は3つが3つ共こんな駅で、辺りには何もない状態が続いている。
 誰も降りないし、誰も乗らない。ドアボタンを押さないとドアも開かないから、暫くの間停車するだけでそのまま黙って加速を始める。そしてまた原野の中を突っ走る。薄明の中に浮かび上がる原野はただ荒涼として果てしがなく、なんとも凄まじい風景だ。

 列車が甲高い警笛を鳴らし、減速した。何事かと前方に目をやるとヘッドライトの中、線路の上を野生の鹿の群れが横切っていく。甲高い警笛が連続して鳴らされる。
 慌てて線路を離れる鹿、お尻を向けて線路上を逃げて行く鹿、何度目かの警笛で、鹿の群れはようやく線路を離れた。列車は一旦加速したが、また速度を落とし始めた。彼方に小さな灯りが見えて来る。駅が近づいたのだ。
 列車は更に速度を落とし、ゆっくりと小さなホームに停車した。やはり辺りには人工物は何も無い。
 彼はそのまま発車するものと思い、ホームの街灯を見つめていた。
 彼の前を誰かが通り過ぎる。
 プラチナの髪のあの少女だ。
 待合室に居たのだから列車に乗っていて当然なのだが、あの息苦しさの後彼はすっかり彼女の事を意識の外に置いていた。
 少女はチラリとこちらへ目を向けた。
 色素の少ないその灰色の虹彩と目を合わせた彼は、再び息苦しさに襲われる。
 少女は運転席の後ろに置かれている運賃箱に切符を入れ、ドアボタンを押してドアを開ける。そして粉雪の舞うホームへと降りた。
 プラチナの髪が風に巻かれ、形の良い横顔が街灯の明かりに白く浮かび上がる。淡いピンクのミニスカートから突き出した白い太ももが凍えそうだ。
 彼は首を伸ばすようにして辺りの様子を見渡した。
 ぼんやりと明るくなり始めているホームの向こうはずっと原野が続いていて、その遙か先は森だ。
 反対側もずっと原野で、その向こうはたぶん海だ。
 じっくり見渡しても人工物は何もない。雪に埋もれていて道すらはっきりとしない。
 彼女はどこへ行くつもりなのだろう?こんなところで何をするつもりなんだろう?
 彼は車内を見回したが、乗客たちは思い思いにくつろいでいるだけだ。
 彼は息苦しさと激しい動悸に耐えながら行動を起こそうとした。
 だが苦しさが増すだけで、体は縛り付けられたように動かない。
 ドアが閉じられた。
 列車が動き始める。
 風が舞い、それにつれて雪が舞い、少女の髪が舞う。
 どこか宙をじっと見つめている少女の姿が遠ざかる。
 彼はそれを腰を浮かせた状態で見ている。
 重々しいエンジンの音が聞こえ始めた。
 やがて彼は意思を取り戻し、シートに腰を下ろした。
 列車は彼を人間界に戻すための加速を続けていた。


2017.11.15
2017.12.01 若干の修正
2023.08.06 シリーズ化にあたって若干の修正
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

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