Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

絵夢の素敵な日常 貿易風(alisios) 後編

貿易風 (alisios) 後編


 ジョゼは暫くの間女性を見つめていたが、やがて大きく息を吸い込むと「ええ、そうです。でも今はミク・イケウエ・エストレーラと名乗っていますが」と答えた。
「そうですか。お元気でいらっしゃいますか?」女性の顔は不安気だ。
「ええ」
「エストレーラ?ということはご結婚を?」
「いえ、それは・・・まだ」
「お幸せでしょうか?」
「はい、あ・・・そうだと思います」
「ポルトガルへ行かれたということはお聞きしていたのですが、詳しいことが分からなくて、心配申し上げておりました。先ほどポルトガルからお見えになったとお聞きして、そして今ミク様のお名前が聞こえたものですから、つい。たいへん失礼いたしました」女性は深々と頭を下げる。
「彼女は今オペラ歌手として活躍しています。評判も上々ですし、元気にやっていますよ」
「良かった」女性の目は涙でいっぱいになった。
「あなたは?」今度はジョゼが質問を返す。
「私はミク様がお小さい頃、傍にお仕えしていた者です」そう答えた女性は少し用心深い顔になって「あなた方はミク様とはどういうご関係の方なのですか?それにどういったご用件でここへ?」と訊いた。
「え?はい、あの・・・」ジョゼは『ただの友人です』と答えるつもりだったが女性の涙を見て気が変わった。『ええぃ、ままよ!』「彼女は僕の恋人です」ジョゼは願望を口にした。
「まあ!」女性の顔は親しみを帯びた物に変わった。そしてチラリとエレクトラの方を見た。
 ジョゼもつられて横目でエレクトラを見た。エレクトラは何かを言おうと口を開きかけたが、そのまま口をつぐんでしまった。
「僕らは今日本へ研修に来ているんです。そして、こちらは研修生の友人です」ジョゼはエレクトラを紹介した。エレクトラは英語の会話についてきていなかったが愛想笑いを浮かべた。
 「今日はたまたま研修の休日で、ミクが育ったところを見ておきたくなってやって来たんです。ミクの小さい頃の事を伺ってもよろしいですか?」
「あなたはミク様から何か聞いておられますか?」女性の顔は再び警戒の色を帯びた。
「幸せな生活だったがそれは見かけだけで、実際は疎外感を感じていたと・・・帰りたい家が無かったとも・・・」ジョゼは正直に答えることにした。
「そうですか・・・」女性は申し訳なさそうな顔になったが、少なくとも警戒の色は消えた。「私共にはどうしようもなかったのです。いえ、これは言い訳ですね。私を含め大人が、なんらかの対応をしなければならなかったのです。でもなにもしなかった。出来なかった。ですから当時の事は私の胸の上に重くのしかかったままになっています。でも今、幸せにやってらっしゃるとうかがって、そして恋人のあなたにお目にかかれて、それが少しは軽くなったような気がします」

 女性は内線電話をかけて何か指示を与えてから「お連れの方はこちらでお待ちいただけますか」とエレクトラをホールの隣のスペースへと案内した。
 エレクトラはおとなしくそれに従った。
「ここは私どもの清酒“月溪”の試飲コーナーです。係りの者が対応いたしますので何なりとお申し付けください」
 ジョゼはエレクトラに通訳したが、エレクトラは状況をすでに理解しているようだ。彼女は英語は苦手だと言っていたが、簡単な文脈なら理解できるのかもしれない。ジョゼはそう思った。
 女性はその様子を確認すると「こちらへ・・・」とジョゼを誘った。
 ジョゼは女性について先ほど進んできた通路を戻った。
 建物の奥へ進んで酒蔵へ入ると女性はこちらを向いた。「まだ先代がご存命だった頃、幼かったミク様はここでよく遊んでおられました。その樽とこの樽との隙間はお嬢様にとって絶好の隠れ家だったんですよ。その頃この蔵はまだ現役で酒の仕込みに使われておりましたから、親方に危ないから蔵へは入らないように、と何度も叱られておられました」まるで昨日の事のように女性は語る。「ミク様の母親はあなたのお国の方との混血であったことはご存じですね」
「はい」
「当時からミク様が疎外感を感じておられたとしたら、そのことが影響していたのだと思います。酒造りの世界は保守的ですから。それでもミク様は天真爛漫な明るいお子でした。少なくともそのように振る舞っておられました。蔵人達も彼等なりに可愛がっている様子でした。でもそれが先代が亡くなったとたんガラリと変わったのです。酒蔵は別の場所に移転し、蔵人達もいなくなりました。この蔵はミュージアムに改装され、ミク様は居場所を無くされたのです」
「後継者の問題があったと聞いていますが?」
「はい」女性は辺りを見回し、誰もいないことを確認した。「ミク様には何の責任も無いのですが、環境はガラリと変わりました。私も配置転換され、お傍を離れなければならなくなりました。そして母親が亡くなって、ミク様は一層暗く落ち込まれました。この家を出られたと聞いて、かえってホッとしたぐらいだったんですよ」
「そうですか・・・」ジョゼは家に拘るミクの顔を思い浮かべた。
『帰りたい家があるってことは、あたしにとって凄く大切な事なの』ドイツの空港でも確かそう言っていた。
 女性は蔵から中庭に出て、その向こうのある一軒の家を見せてくれた。ミクは生まれてからポルトに旅立つまでここで育ったということだった。
 瀟洒な造りの可愛い感じの洋館だったが、ミュージアム付属のイベントホールを建設するために間もなく取り壊されることになっていて、中は家具も無くがらんどうだった。
『ポルトへ旅立つ直前のミクもこんな感じだったのだろうか』ジョゼはそんな事を考えた。

 話を終え試飲コーナーへ戻ると女性は深々と頭を下げて礼を言った。ジョゼも同じように頭を下げた。
「ミク様を幸せにしてあげてくださいね」最後にそう言われたジョゼは「わかりました」と答える以外、返答を思いつかなかった。
 女性はもう一度小さくお辞儀をするとドアの向こうに消えた。
 ジョゼは暫くそのドアを見つめていたが、やがて思い切ったようにクルリと向きを変えた。
 カウンターではエレクトラが小さなグラスを傾けている。
「帰ろうか」ジョゼはエレクトラの隣に立った。
「ずいぶん待たせたわね」ジョゼを見上げるエレクトラの頬はほんのりと赤く染まっている。
「ごめん。いろいろ聞きたいこともあったから・・・」ジョゼは素直に謝った。
「ミクの事なら一生懸命なのね」
「いや、そんなんじゃ・・・」
「オネエサン!このダイギンジョー、1本いただくわ。とても美味しい」エレクトラはジョゼの言い訳を無視して、試飲コーナーの女性に声をかけた。
 ジョゼは慌てて通訳をする。これくらいなら日本語でも大丈夫だ。
 ハーフサイズの瓶はケースに入れられ、きれいに包装された。
 エレクトラは包装してもらった大吟醸をぶら下げて立ち上がる。
「おっとっと」思っていたより床は下にあったらしい。エレクトラは少しよろめいた。
「どれだけ飲んだんだよ」ジョゼは彼女を受け止め、大吟醸の包みを取り上げる。
「だって美味しいんだもん。種類がたくさんあって迷っちゃったわ」エレクトラはジョセに体を預けて動かない。
 腕にかかる彼女の重さが少しずつ増していく。
「エレクトラ・・・」ジョゼがエレクトラを立たせようとした次の瞬間。
「大丈夫よ。これくらい」エレクトラはジョゼの腕をほどいて歩き出した。
「エレクトラ!」ジョゼはエレクトラの背中に声をかける。
 エレクトラは振り向きざまに答えた。「さあ、帰りましょう。これからドオトンボリへ行くのよ」そして笑顔になって付け加えた。「それからホウゼンジヨコチョーも。メオトゼンザイだったかしら?それも食べなきゃ。こんなに付き合ったんだから、あんたに奢ってもらってもばちは当たらないでしょ?」そう言うとさっさとミュージアムを出ていってしまった。
「しょうがないなぁ・・・」ジョゼは慌てて後を追った。
 エレクトラの足取りはしっかりしている。
 顔の赤みも消えている。
「ま、いっか」エレクトラは唇の端に力を込めた。


2017.02.01
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「ジョゼとミクの物語」後編UPします

あ~もう無理!!!
上手く纏まらない!!!
こんなんでよく「サキは物書きです」なんて言ってるよ。
ほんと、人間ってこんな時どんなふうに行動するんだろう?どんなふうな心の動きをするんだろう?顔を歪めるの?笑うの?泣くの?どんなふうに?
どうしてみんなは、あんなにリアリスティックに、しかも時には軽やかに、時には重厚に物語を展開できるんだろう。ああいうふうに書けたらなぁ・・・。
ほんと自分の力量のなさに落ち込みますよ。
悩みに悩んでこんなもんかい・・・的な作品になってると思われますが、読んでいただけたら嬉しいです。

「ミクっていうんでしょ?調べちゃった」エレクトラはペロリと舌を出した。
「まいったな」ジョゼは頭をかいた。
「お取込み中すみません」カウンターの女性が申し訳なさそうに声をかけてきた。「ミクというお声が聞こえたものですから。不躾な質問で、見当違いだったらごめんなさいね。そのミクというのはイケウエ・ミク様のことなのでしょうか」

さてミュージアムの女性は何を語るのでしょう?よろしければ下のリンクからお進みください。

貿易風 (alisios) 後編

前編はこちらから。
貿易風 (alisios) 前編
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ツインテールの日

今日、2月2日はツインテールの日なんだそうです。
ツインテールといえば初音ミク、ということで一曲紹介しておきますね。
2009年の初々しいミクと、2013年の成長したミクを並べておきました。

いつもより泣き虫な空 - れるりりfeat.初音ミク


2013年V3MIKU(リアレンジ版)


2009年まだ初々しいミク(オリジナル版)

サキのところのミク(ミク・イケウエ・エストレーラ)はショートカットにしてしまいましたけれど・・・。

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センチの朝

今夜は「太陽風シンドロームシリーズ」のSSをUPします。
このシリーズはサキが気まぐれで書く、仮想世界を舞台としたオムニバス形式のいいかげんな作品群です。
一編ずつ独立していて関係性はありません。
単独で読んでいただけますのでよろしければどうぞ・・・。

センチの朝

「センチ、そろそろ起きなさい。7時になったよ」母の声だ。センチは薄く目を開けた。
 母は小さいころから彼女の事をずっとあだ名で呼ぶ。『ちゃんと名前があるんだから、名前を呼んでよ』センチは寝ぼけた声を出した。
 まだまだ眠いし、部屋の中は冷え切っている。センチはもう一度布団の中へもぐり込んだ。
「学校の集会、9時からでしょう」追いかけるように母の声が聞こえてくる。
「集会?」センチは布団の中で呟く。
「遅れたらペナルティーは半端ないんじゃなかったの?参加者は厳重にチェックされるんでしょ?リストに登録されて、居残り講習で2時間は拘束されてしまうんでしょ?午後から遊びに行くんじゃなかったの?」
「あ!そうだった」今日は大事な用事・・・デートとも言う・・・があるのに、それを諦めるなんてとんでもない。センチは勢いよく起き上がった。
『でも集会って、何だっけ?』センチは首を傾げながら、ダボッとしたパジャマを脱ぎ、枕元にたたんで置いていた下着を身につけると、大急ぎでベッドを出て服を着込んだ。
 部屋を出て廊下を走り・・・と言っても3メートル程だが・・・トイレに飛び込んだ。用を済ませると、今度は洗面所の鏡を覗き込む。
 鏡の中には半分ぼやけたような自分の顔がある。一番気に入っている大きなブラウンの虹彩は目ヤニで濁っているし、本来は肩の上で綺麗にカットされている髪は、寝癖で半分以上天井を向いてしまっている。センチは小ぶりな薄い唇を、小さな鼻にくっつけるように斜め上に曲げた。
「早くなさい!」母にもう一度急かされるとセンチは睨めっこを中断し、忙しげに両手を動かし始めた。
 なんとか暴れ回る髪を押さえ込み、冷たい水で顔をシャキッとさせてキッチンに入ると、テーブルでは父と兄がすでに食事を始めている。
 いつもの朝の風景だ。センチの心は落ち着きを取り戻した。
「とーさんは今日は遅くなるのよね」母が父に確認する。
「ああ、残業で3時間の勤労奉仕だからな」
「重工業は大変よね」
「どこだって同じさ。それに先月うちは政府目標に達しなかったからな。文句は言えないよ。晩ご飯は先に食べといてくれ」
『勤労奉仕?』また首を傾げながら「おはよ~」センチは眠そうに声を出した。
「「おはよう」」父と兄は合唱で答え、センチに笑顔を向けた。
「早くなさい」母は相変わらずだ。
 センチはご飯をよそい、味噌汁を入れるとテーブルに座って食事を始めた。「いただきま~す」
「はい、おあがりなさい」母がおかずを並べてくれる。
『いつもの朝だよね!』センチは自分に言い聞かせた。
「お兄ちゃん、インターンシップ来月だったっけ」母が隣に座る兄に声をかけた。
「6日からだよ」
「3週間の予定だから26日まで?大変だね」母がカレンダーを見ながら言う。
『3週間?』地平線から湧き上がる黒雲のように、センチの心の中でまた不安が首をもたげる。
「うん、参加しなかったら就職にも影響するから、ほとんど全員参加みたいになってるからな。でも面倒なだけで、そんなに大変でもないらしいよ。週休2日だし、先輩に聞いたら、移動学校みたいな雰囲気で結構楽しいと言ってた。ハラスメントにならないようにプログラムされているから、教官やリーダーも丁寧に指導してくれるらしいしね」
「インターンシップって、なんの?」センチが顔を上げて兄の方を見る。
「体験入隊さ、前から言ってるじゃないか」
「そうだった?でも入隊って自衛隊みたい」
「自衛隊?なに寝ぼけてんだよ。軍隊になったじゃないか」兄はセンチの顔を覗き込む。
「え・・・あ、ごめん。それで体験入隊するんだ」当然のような兄の言葉に、センチは思わず頷いてしまう。
「お前、大丈夫か?」
「だよね。ハハハ・・・」心配げな顔の兄に、センチはとりあえず相槌を打った。
「そのまま予備役になる国に比べたら楽なものさ。実弾も撃たせてくれるっていうしな・・・」
「実弾?お兄ちゃんが?」センチは目を大きく見開いて兄を見る。
「大丈夫だよ。お前だって3年後には希望すれば参加できるんだぞ」兄は茶化すように言う。
「わたしが?いつのまに・・・?」センチは口の中で呟いた。
「昔はこんな制度はなかったのになぁ」兄は溜息をつく。
「就活に有利になるんだから頑張りなさい!」母が兄の背中をポンと叩いた。
「でもさ・・・」センチにはまったく理解できていない。
「喋ってないでさっさと食べちゃいなさい。間に合わないよ」母が時計を確認しながら言う。
「う・・・うん」センチは箸を動かし始めた。
 兄妹が黙って朝食を食べ始めると、静かになったキッチンにニュースの音声が流れ始める。テレビでは綾部首相がいつものように両手を大きく動かしながら熱弁をぶるっていたが、解説に切り替わった。
『・・・首相は要求を拒絶する声明を発表し、同時にこれが受け入れられない場合は条約からの脱退も躊躇しないと表明しました。この発言は条約参加国の間でも驚きを持って受け止められ、我が国が条約参加国に対してどの程度の影響力を持っているのかが試される局面になっています。首相は増強した軍事力を背景に強気の発言を繰り返しており、各国の対応が注目されています。今後我が国は余談を許さない・・・』
「それじゃ、出かけるぞ」食事を終え身支度を整えた父が言った。
「俺も行かなきゃ」兄も父に続く。
「はいはい」母が2人を玄関まで送っていく。
『・・・こういった行動は我が国の主権を全く無視したものであり、国際裁判所も機能をはたしていないと主張しています。今後、我が国は毅然とした対応を・・・』
「なにがどうなってるの?」センチは箸を置いて携帯端末を取り出した。画面をタッチして覗き込むと、友達のメッセージが幾つか受信されている。センチは友達の名前を確認した。いつもつるんでいる仲間たちだ。いつもの場所、いつもの時間で待ち合わせだ。
「センチ、時間!」玄関から戻ってきた母がリミットを宣言した。
「あ、は~い」センチは急いで端末を置くと、残りの朝食を掻き込んだ。
 そして「やっぱりいつもの通りだ」無理やり自分を納得させると、大急ぎで身支度を整えて玄関を飛び出した。
 
 春はもうそこまで来ている。まだまだ肌寒いが、降り注ぐ日差しや流れる空気の中には、微かな生命の息吹を感じ取ることができる。道筋の生垣や街路樹の新芽はもう芽吹く準備を終えていて、はち切れんばかりに膨らんでいる。この通りは桜並木だから、あと少し待てば満開の桜の中を通学できるだろう。
 センチはポケットから両手を出すと大きく伸びをした。そして両手を大きく振りながら大股で歩き始めた。
 センチはぐんぐんと街路樹の並ぶ美しい通りを真っ直ぐに進んでいく。
 駅前の広場に出てロータリーを回り込む。
 とんがり屋根のいつもの駅舎が見え始めた。
 センチはチラリと腕時計を見た。
「あなたは国家のために何ができますか?」駅前にはのぼりや横断幕がはためき、何かのキャンペーンをする人々の威圧的な声が聞こえていた。


2017.02.09
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Blue Moon(青い月)

はじめに書いておきましょう。
この物語は自分に対する自戒と激励です。
だから読んでくださっても意味不明だと思います。
ここに乗せるのはどうかと思いましたが、
やっぱり乗せておきます。
“整理し保存する”ということはとても重要です。
その時点での自分の素直な気持ちなんですから。

Blue Moon(青い月)

 海から吹いていた潮の香りを含んだ風は、陸から吹くもみ殻を燃やす焦げくさい臭いを微かに含んだ風に変わった。季節の変わり目を表わすその臭いは、この小屋から北に百キロ以上も離れた田園地帯から流れて来る。そしてそれがここで感じることのできる唯一の自分以外の人間の営みだった。
 サキが建てたこの小屋は10坪ほどの大きさで、南に向かって流れる片流れのシンプルな屋根が乗っている。北側の大きな壁の上の方には北からの安定した光を取り入れるための窓が開き、南側は風景を眺めるための壁一面の大きな窓と日差しを遮るための深いひさしを持っている。
 小屋の周りには草原が拡がり、そこには長い緑の葉っぱと銀色に輝く箒のような穂を持った背の高い植物が隆盛を誇っている。風が吹くとその長い葉っぱと銀色の穂はゆっくりと揺れ、まるで波のように果てしない草原を伝播していった。葉っぱや穂のすれ合う音は胎内で聞く母親の血流音のように心地よく心に入り込み、無数の銀色の穂が揺れ動く様は、どこか別空間の惑星の表面に迷い込んだかのように見る者を惑わせた。さらに意識を無の空間に置いた状態でそれを眺めれば、一層その感覚は増していった。
 だがこの広大な草原にも果ては存在する。小屋から北側は田園地帯までずっと草原が続いているが、南側は100メートルほど先で垂直に50メートルほど落ち込む崖になっていて、草原は唐突に終わりを告げる。そしてその先はただ海原だ。
 サキの小屋の南側に開けられた大きな窓の向こうには、広がる一面の草原、そしてその向こうにいきなり海、さらに空という風景が、何の演出も無くそのまま存在していた。

 サキが始めてここに来たのは何年前になるのだろう。何の当てもなくヤマハのTY50というオモチャのようなトライアルバイクにまたがってやってきて、草原の海に岩礁のように突き出した岩の上に座って、ぼんやりと草原の海とその向こうに唐突に広がる本物の海を眺めながら、散らばったセグメントをオブジェクトにする作業に没頭していた。当時これはアナログとして出力される予定だった。
 そのうちにこの作業に疲れてきたサキは、草原の中を土の道が迷路のように巡っている事に気づき、その道を思い切りバイクで走ってみたくなった。土の道は背の高い草に囲まれていてコースアウトしても安全そうだったし、コーナーやアップダウンも適度にあってサキの小さなバイクでも充分に楽しめそうだった。
 イグニッションをオンにし、体重をかけてキックレバーを蹴り下げると、小さな2ストロークエンジンは軽い音と少しの白煙をマフラーから吐きだした。サキはギアをローにカチンと入れ、アクセルを煽るとクラッチレバーを離し猛然とスパートした。エンジンの回転数を落とさないようにしながら足を付き、土煙を巻きあげながらコーナーを曲がり土の道を右に左に駆けまわった。そして加速して坂道を登りその頂上からジャンプしようとした時、サキの前に海が広がった。サキはとっさにアクセルを戻しブレーキをかけた。バイクは着地するとすぐに停止した。
 バイクのフロントタイヤの先・・・ほんの1メートル程だ・・・には海が広がっている。サキはバイクを降りると恐る恐る先へ歩を進めた。その先は垂直の崖になっていて、そっと覗き込むとはるか下に打ち寄せる白い波が見えた。道はそこで途切れていて、とっさにブレーキをかけなければサキのバイクがどうなっていたのか、結果は明白だった。
 サキは暫く崖の底を覗いていたが、やがて慎重に後ずさりした。そして安全な位置までバイクをバックさせてからUターンし、ゆっくりと元いた場所に戻って行った。
 湧き上がる恐怖に苛まれながら、サキはこの土地に運命のようなものを感じていた。

 この世界が誕生してからどれくらいの年月が経過しただろう?この世界は最初小さな実験的な煌めきの縺れのようなものから始まって、そして考えられないようなスピードで大きくなった。10年ほどもするとその中心部は光り輝く超高層ビルが林立する都市の様相を呈し、さらに年月が経過した後、そこはメガロポリスをも凌駕する超巨大都市にまで成長した。
 人々が情報社会の繁栄を謳歌するそんな時代に、そこから遥か離れた辺境の地、まさに地の果てのようなこの草原にサキは居場所を定めた。それがこの小屋だ。
 誰にも邪魔されず、頭の中に溜まっていた色々なセグメントを一度きちんと出力して整理しオブジェクトにして、ライブラリーに並べておこうと考えたのがその動機だった。そう思った時、場所はここしかないと思ったのだ。頭の隅っこに残っていた葉っぱや穂のすれ合う音や、深い緑の中に揺れる無数の銀色の穂の記憶、そして何よりあのバイクの先に広がった海の記憶がそうさせたのかもしれない。
 サキは小さな小屋に1人籠って少しづつ少しづつまるでインタープリターのようにセグメントを読みこみ、書き出し、そしてそれを校正し、構成し、出力し、出来上がったオブジェクトをライブラリーに並べていった。
 ようするに自分の頭から消えてしまう前に、あるいは自分が消えてしまう前にオブジェクトを整理して並べておきたかったのだ。誰かに見られることはあくまで副次的な作用だった。
 サキにとってこういうことは全くの素人だったし、特にこういう物を作り上げる勉強をしてきた訳でもなかったし、能力や知識もかなり不足していたから、出来上がったものはやはりそれなりのものでしかなかった。だが、サキは整理し保存するということ自体に意義があると考えていた。
 サキの考えに揺らぎが出たのは、並べたオブジェクトにアクセスがあったことからだった。サキにとってこの世界でのアクセスは始めてだったし、反応も暖かいものがほとんどだったのでサキは分からないなりにアクセスを返し始めた。
 そして他のオブジェクトを認識し、比較することができるようになって、自分の未熟さや弱点にあらためて気付いたのだ。それらのオブジェクトは色々な種類の物があり、中にはサキのデバイスと相性の合わないものもあったが、いくつかの物は絶妙に構成され、輝きを放ち、サキを圧倒した。サキはへこんだ気持ちになっている自分に驚くと同時に、こんな気持ちになっている自分に腹を立てた。

 もう1人のサキがサキに声をかける。
「解っていてこの場所に小屋を建てたんだろ?スタンドアローンにしなかったのは、少しはアクセスを期待したんじゃないの?整理と保存のためだけならスタンドアローンで充分だもの」
 サキはゆっくりと顔を上げもう1人のサキの目を見つめてからまた俯いた。
「あの時あんたはあそこでアクセルを戻してブレーキをかけたじゃない。あのままアクセルをいっぱいに開けていれば新しい世界が広がったかもしれなかったのに」ともう1人のサキは俯いているサキの目を覗きこんだ。
「僕は死んでいたと思うけど」サキは俯いたままボソリと言った。
「そういう考え方もある。恐らくそうだろうけど」もう一人のサキは上目使いでそう言うとニヤッと笑った。サキは俯いたまま動かなかった。
「サキ!フリーズしてるよ。さっさと修復してビールでも飲もうよ」もう1人のサキは軽快に立ち上がると台所に入って大きな鍋に湯を沸かし、夕方サキがもいでおいた枝豆を塩でもみ始めた。手慣れた様子でその枝豆を茹で上げ湯を切り、鉢に盛り付けるとテーブルの真ん中にタン、とおいた。それに連続する動作で冷蔵庫を開けてバドワイザーの瓶を2本出してテーブルにゴトンと置き、棚を開けてコップを2個とせん抜きを出して来た。
「ほら」もう1人のサキは笑顔でサキにコップを渡すと栓を抜きサキのコップに注いだ。そのまま自分のコップにも注ぐとまた笑顔になって「乾杯!」と言った。サキもつられて笑顔になって「乾杯!」カチッとそれを受けた。グーッと飲むとそれは微かにパイナップルの味がした。
「これは黒大豆の枝豆だよね。大きくて甘いよ」もう1人のサキはどんどん枝豆をつまんで殻をテーブルの上に置いた。すぐにテーブルの上には殻のピラミッドができた。サキも負けずにつまんで殻をピラミッドに追加した。それはいつものように大きくて甘かった。
 バドワイザーはどんどん追加されてやがて心地よい眠りが訪れた。

 響き渡る爆音に目が覚めたサキは暫く事情が飲み込めなかった。
 やがてまどろみの世界から強制的に呼び戻されたサキは、その音が小屋の南側のベランダに置いてあるオフロードバイク、ハスラー250のエンジン音であることを理解した。サキが慌てて外に飛び出すと上空には真っ青な満月が輝き、見渡す限りの草原は青い光に浮かび上がっていた。銀色の穂が月光を反射して青白く輝き、波のようにゆっくりと揺れている。その中をハスラーのヘッドライトが右に左に走り回る。乗っているのはもう1人のサキだ。丁寧にレストアされたサキのハスラーは、その美しいスタイルを月光の中に浮かび上がらせながらサキの前を通過した。サキはそれを追って駆けだした。
 ハスラーはからかうようにスピードを落としてサキが追い付くのを待っていたが、サキが追い付くと海岸の坂道に向かってフルパワーで加速した。サキはそれをさらに追いかけようとして駆けだしたが坂の下でよろめいてひっくり返った。地面から見上げるサキの視線の先には青い満月が輝いていた。ハスラーは甲高い排気音を響かせながら高くジャンプして一瞬青い満月の中を通過すると・・・サキの視界から消えていった。
 サキは息を切らせて坂道を駆けあがり、頂上の先を見まわした。
 そこには青い月の光に照らされた海が広がっているだけだった。

2012.03.30 書き下ろし
2017.02.20 更改・再掲


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プロフィール
こんにちは!サーカスへようこそ! 二人の左紀、サキと先が共同でブログを作っています。
ようこそ!


頂き物のイラスト

アスタリスクのパイロット、アルマク。キルケさんに書いていただいたイラストです。
ラグランジア
左からシスカ、サヤカ(コトリ)、サエ。ユズキさんにイラストを描いていただきました~。掌編「1006(ラグランジア)」の1シーンです。
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