Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

絵夢の素敵な日常・カーテンコール・ミク

 拍手が鳴りやまない。
 ほとんどの観客が立ち上がっている。スタンディングオベーションだ。
 カーテンコールは5回目になった。
 歓声と声援が頭の中にこだまする。沸き立つような興奮が感動になり、自分が自然と笑顔になるのがわかる。最高の瞬間だ。だがこんなことが自分の身に起こるなんてとても信じられない。ミクは舞い上がる自分とは別に、冷静に見届けようとするもう1人の自分の存在を感じていた。もっともこの冷静な人格は今のところ、自分自身の体を操ることはできないようだ。

 舞台の中央に立っていたミクは頭を深く下げた。拍手はいっそう大きくなる。ミクは頭を上げる一瞬の隙をついてジョゼの姿を探そうとした。だが照明の関係で客席は暗くてよく見えない。カーテンコールの間なら少しは探すことができると思っていたが、この興奮の中ではやはり無理だ。楽屋でゆっくり話をしよう・・・ミクは気持ちを切り替えた。
 オーケストラピットにスポットライトが当たり指揮者が紹介される。そして紹介のアナウンスと共に、スーツ姿の男がやや遠慮がちに舞台に現れた。このオペラの演出家、ハンス・ガイテルだ。ここまで4回行われたカーテンコールでは舞台に立たなかったのだが、5回目にして初めての登場だ。大波のように盛り上がる拍手の中、舞台中央に立っているミクに近づいてくる。彼はそのままミクをしっかりと抱きしめ両頬に唇を触れさせた。ミクは驚いたが、興奮がすべての感情を上書きし、まるで夢の中の出来事のようだ。浮遊感の中でミクはハンスの背中に手を回し抱擁を返す。どよめきが湧き起こる。2人並んで手を繋いで正面に向き直り優雅に頭を下げると、更なる歓声と拍手が2人を包み込む。ミクは達成感に我を忘れた。
 観客席の照明が点いた瞬間、ジョゼの顔が見えた様な気がしたが、すぐに焦点が外れ見失った。
 居並んだキャスト全員と共に笑顔でお辞儀をするとカーテンコールの幕は閉じた。

 ガイテルは本当に嬉しそうだった。カーテンコールが終わってからもずっと喋りづめだ。話はどんどん膨らんで、次の公演のプログラムにまでおよんでいく。幾つかの候補を挙げられて意見を求められたが、今の舞台の興奮も冷めやらないミクには無理な相談だった。
「ごめんなさい・・・今はちょっとそこまで考えられない」ミクはガイテルを見上げながら困惑した表情をした。
「そうだね。すまない。僕がちょっと先走り過ぎた。次々とアイデアが浮かんでくるんでね。また日を改めるよ」ガイテルはもう一度ミクを抱きしめようとしたが、その瞬間ミクがわずかに距離を開けた事に気が付くと笑顔を見せ、右手を軽く上げてから自分の部屋の方へ歩き去った。ミクはガイテルに向かって暫くの間頭を下げていたが、やがて楽屋に与えられた自分の部屋に向かった。
 ミクは部屋に入るとソファーの上に身を投げ出した。まだ心臓がドキドキしている。天井に顔を向けて両腕を目の上に重ね、視野を暗くして大きく息を吐き出す。興奮が治まらない。体が火照っている。こんなにハイになるんだ・・・ミクは自分の中に秘められた情熱に驚いていた。
 流れる時間に身をまかせて上を向いていると、やがて冷静な自分が体の中へ降りてくる。そしてその自分が徐々に体を操れるようになっていく。ミクの興奮は少しずつ治まり始めていた。

 コンコン・・・ドアがノックされた。廊下は騒がしいから聞こえ辛かったが確かにノックの音だ。
 ミクはソファーから飛び起き、「ジョゼ?」ドアに向かって声をかけた。
「私です。絵夢です」ドアの外から声がする。
「絵夢!?」ミクは飛び上がるようにソファーから起き上がるとドアを開けた。
「ミク!」ドアを開けたとたん絵夢が飛び込んできた。そしてそのままミクを抱きしめると「素敵だったよ」と言った。
「ありがとう」ミクも絵夢の体に手を回して答えた。
 絵夢は暫くの間ミクの存在を確認するように抱擁を続けてから、両肩に手を置いて体を離した。
「待ちきれなくて来ちゃった」絵夢はミクの目をじっと見つめて微笑んだ。
「この公演には来れないって・・・」ミクは驚きを隠せない。
「だから、待ちきれなくって無理やりスケジュール変更をねじ込んだの。黒磯と山本には怒られたけどいつもの事ね。なんとかしてくれたわ」
「そんな・・・」また無理をさせてしまった?ミクの言葉は続かない。
「大丈夫、ちゃんと穴埋めはできるから。心配しなくていい」絵夢は視線を強くしてミクの顔を覗きこんだ。「そんなことより喉の調子はどう?」
「大丈夫、調子はとてもいいの。気を使わずに歌えるのが、こんなに素晴らしい事だなんて、いままで思いもしなかった」
「よかった」絵夢は顔を緩めた。「歌声にもそれが表れていたわ。あなたはとても素敵だった。歌も演技もとても輝いていた」
「絵夢のおかげだよ」
「ううん。そんなことはない。あなたの実力よ。私はちょっと手伝っただけ」
「でも、絵夢に助けてもらわなかったら・・・」
「そんなことを考えなくていい。私はあなたが活躍出来てとても嬉しい。こんなこと言ったらなんだけど、あなたは私が想像していたよりずっと豊かな才能を持っている。だからあなたの復活を手伝うことが出来てよかった。本当にそう思ってる。それにこれは私の仕事でもあるの。だからそんなこと、考えなくていい」
「でも・・・」
「考えなくていいの!」絵夢の視線はいっそう強くなった。
「うん・・・」ミクは不承不承返事をした。
 それを感じたのか絵夢はもう一度ミクをしっかりと抱きしめた。
「来てくれてありがとう」ミクは絵夢の耳元で言った。
「どういたしまして」絵夢は優しく答えてから急に話題を変えた。「さっき、ジョゼって言ったわよね?」
「・・・」ミクの顔は少し赤くなる。
「公演に招待したの?」
「うん。今日の舞台を見せたの。舞台がはねたらここを尋ねてくることになってるんだけど」
「だけど?」絵夢はミクの顔を覗きこんだ。
「まだやってこない」ミクは仕方が無いという風に答えた。
「そう」絵夢は少しの間思案するように間を開けた。
「どうしたの?」ミクは心配になって聞いた。
「ということは、私はお邪魔ってわけね」
「そんな、邪魔だなんて」
「でもそろそろ退散するわ。ミクの舞台はたっぷり見せてもらったし、こうして話もできたから少し安心できた。それに、実は今日は無理を言ったからそんなに時間が無いの。会えて嬉しかった。次の公演を楽しみにしているわね」
「もう帰るの?」
「ええ、あらためて時間を作ります。その時にゆっくり話しましょう。ジョゼと2人でどんな話をしたのかもね」
「・・・」ミクの顔はまたいっそう赤くなった。
「でもねミク。ジョゼとはちゃんと話をしなくちゃだめよ。黙っていては何も通じない。だってあなたたちは女と男なんだから。探し物はじっとしていても出てこないのよ。わかった?」絵夢はミクがちゃんと頷くのを見届けると慌ただしく部屋を出た。廊下では女性が待っていて(たしかこの間紹介された時、香澄と名乗ったはずだ)こちらに向かって笑顔で挨拶をした。
「じゃあまたね」絵夢が片手をあげた。
「ありがとう」ミクも片手をあげて応じる。
 絵夢は何度か振り返りながら帰って行った。
 ミクは手を振ってその様子を見送っていたが、記者たちが廊下に入ってこようとしているのを見てドアを閉じた。

 ドアの外が騒がしい。きっと廊下では記者たちが待機しているのだろう。さっきスタッフがやって来て、記者たちが話を聞きたがっているから何かコメントをと言われたのだが、今は話したくないと返事をした。なんとかなだめてくれているようだが廊下の喧騒は収まりそうにない。
 ジョゼはまだやってこない。
 スタッフには話してあるから中へは入れるはずだが、入りにくいのかな?ミクはポシェットから携帯を取り出し、通話アプリを起動した。
 呼び出し音が鳴り続ける。ミクは20を数えたところで呼び出しをやめた。
 少し待ってリダイアルする。今度は電源が切られている旨を告げるメッセージが流れる。
 ミクはまたソファーに身を投げ出すと、不安げに天井を見上げた。


 ***

2016.08.05
関連記事
スポンサーサイト
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

背中合わせの2人

こんばんは。関西では蒸し暑い夜が続いていますが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
さて今夜は22222HIT記念のリクエスト第3弾、カーテンコール(後編)の発表ですが、ここでちょっとお断りです。
タイトルを変更しています。
前編を「カーテンコール・ジョゼ」
そして後編を「カーテンコール・ミク」としました。
前編の内容は変わりませんので読み返す必要はありません。
後編(ミク)の方に手を入れていたので少し間が開いてしまいました。楽しみにしてくださっていた方(いらっしゃらないか?)申し訳ありません。
大海彩洋さんに指定いただいたオリキャラは「絵夢の素敵な日常」のサブキャラ「ミク」、そしてお題は「探し物」でした。
前編では携帯の電源を落としてしまったジョゼですが、そのころミクは・・・
物語は少しだけすれ違いながら進んでいきます。
まぁ、単純なサキの書く物語です。そんなに複雑なドロドロとした展開は書けませんからご安心ください。
よろしければ下のリンクからどうぞ(あるいは下へスクロール)。

絵夢の素敵な日常カーテンコール・ミク


前編をご覧になりたい方はこちら。

絵夢の素敵な日常・カーテンコール・ジョゼ
関連記事
 
 

絵夢の素敵な日常(AIRPORT EXPRESS)

AIRPORT EXPRESS

 出発ロビーではチェックインを促すアナウンスが繰り返されている。
 空港で夜を明かしたジョゼは、チケットを予定の便から朝一番の便に変更していた。少しでも早くここを離れて気持ちを整理したかったのだ。思考はグルグルと同じところを回り続け、結論は出なかった。だがいつまでもこんな状態を続けるわけにはいかない。それに無理を言って仕事に穴をあけているから、明日の勤務を休んだらクビになってしまう。
 ジョゼは横に置いていたショルダーバッグを肩にかけ、ソファーから立ち上がると、視線を下げたまま手荷物検査場へ急いだ。
 と、ジョゼは誰かにぶつかりそうになって慌てて足を止めた。目の前には腰に手を当てて、両足を肩の広さに広げた髪の短い女性が立っている。
「あんた、いったい、何やってるのよ」出発ロビーにポルトガル語が響き渡る。
「姉貴!」ジョゼは驚いて声を上げた。
 ミクはそう呼ばれて少し顔を歪めたが「心配するじゃない!連絡も取れないし・・・」と少し涙目になり、腰に当てていた手を下ろした。
「でもどうして・・・」ジョゼは早朝便なら顔を合わせずに飛び立てると踏んでいた。今の状態でミクと顔を合わせたくなかったのだ。
「今日一日ポルトガル行の出発ロビーを見張っているつもりだった」
「一日!」舞台がはねたばかりで疲れているだろうに・・・ジョゼは申し訳ない気持ちでいっぱいになって「ごめん」と素直に謝った。
「楽屋でずっと待ってたんだよ。それからアパートでも」
「ごめん・・・」ジョゼは謝罪を繰り返した。
「あたしの舞台、見てくれたんでしょ?」
「うん、素晴らしかった。あんなに凄いって正直思ってなかった」
「ありがとう」ミクはとりあえず礼を言った。
「お客さんの反応ももの凄くて、スタンディングオベーションの中はまるで異次元の世界だった」
「そう・・・」ミクの顔は少し緩んだ。
「うん、でも・・・」ジョゼは言葉を躊躇った。「僕はカフェのしがないウェイターだ。収入だって自分が食っていくのがやっとなんだ。そんな僕と、あの歓声の中に居て、これから世界に向けて飛び立とうとしているミクとが同じ場所に居ても許されるんだろうか、僕らは棲む世界が違っているんじゃないか・・・そんなふうに思えたんだ」
「怒るよ・・・あたしはここにいる」ミクはまた腰に手を当てて睨みつける。
「ごめん・・・」ジョゼはもう一度謝った。
「あたしとあんたは同じ世界にいる」ミクはかまわず話を続ける。「そりゃぁ、舞台に出してもらえるなら世界中どこへだって行くよ。でもね、ちゃんと戻ってくる。だってあたしには帰りたい家があるんだもの」
「ポルトの家のこと?」
「今はそう」
「今は?」
「そう、今はね。でもポルトに来るまではあたしに帰りたい家なんて無かったの。だから帰りたい家があるってことは、あたしにとって凄く大切な事なの」ミクは腰に当てていた手を下ろした。
「どういうこと?」ジョゼはポルトへやってくる前のミクについて、詳しくは聞いたことがなかった。
 ミクは手近のソファーに腰を下ろし隣の席を手で示した。
「ジョゼだけにはきちんと話しておくね」
 僕だけには・・・?ジョゼはミクの隣に腰を下ろし、話の続きを待った。
「おばあさまはね、日本の有力な一族の出で、その当主の一人娘だったの」
「メイコが?」ミクは何を話そうとしているんだろう?ジョゼは目をしばたたいた。
「そう。そして、おばあさまはその当主の望まない恋をしたの。もちろんその恋は叩きつぶされそうになったわ。でもね、おばあさまは負けなかった。恋人と2人ポルトへ駆け落ちしたの」
「駆け落ち・・・」あのメイコが、ジョゼは驚いた。
「おじいさまはポルトの人間だったから2人でポルトへやって来たの」
「その恋人がエストレーラ?」ジョゼはミクがメイコの養子になった時に引き継いだ名字を言った。
「そう。ミゲル・エストレーラというのがおじいさまの名前」
「じゃ、ミクは4分の1はポルトガル人の血が入ってるんだ」ジョゼはミクについて何も知らないことを思い知った。
「そういうことね」ミクは何でも無いことのようにそれを肯定した。
 メイコとミクの印象が何となく違っていたのはその血のせいだったんだ。ジョゼはようやく合点がいった。ミクに出会った頃からずっと持っていた印象だった。メイコは一目で東洋人とわかるが、ミクはそうではなかったのだ。
「そして母が生まれたんだけど・・・母が生まれてしばらくしておじいさまが無くなったの」
「そんな」
「ちょうど同じ時期に日本のおばあさまの実家では後継者争いが起こっていて、当主は一人娘のおばあさまを失って窮地に陥っていたの。だから、あらゆる手段を使っておばあさまから母を奪い取ったの」
「酷いな」ジョゼは改めてメイコの穏やかな顔を思い浮かべていた。とてもそんな人生を歩んできたようには見えない。
「母はね」ミクは話を続ける。「あたしの母はね、日本でおばあさまを知らないまま何不自由なく育って、当主の望む人と結婚して、あたしを生んで、母もあたしも見かけの上では幸せな生活を送っていたの」
 ミクは話を続ける。「今から思えは日本での生活はとても裕福なものだった。でもあたしはずっと疎外感を感じていて、母以外の家族やお屋敷の使用人たちとも打ち解けることはなかったわ。そこは帰りたい家じゃ無かったの。そしてあたしが小学校に上がる頃、今度はその当主が亡くなったの。そうしたらまた後継者争いが始まって、結局あたしの叔父に当たる人が当主を継ぐことになったの」
 ジョゼは無言で続きを促した。
「日が陰るようにあっというまに世間は暗くなって、誰にも相手にされなくなったわ。それは幼かったあたしにもはっきりと感じられた。いろんな噂が立って学校でもいじめられるようになったわ。あたし、声が高いでしょ?それをからかわれて。髪も長く伸ばしていたからそれもね。いつも引っ張られてたんだ。グイってね」ミクは首を後ろにそらす動作をした。「でも絶対に短くしなかったの。だから余計にね」ミクは自嘲気味に唇を曲げた。「そんな頃に母は自分の出生の真実を知ることになって、おばあさまを探し始めたの。でも見つかるまでには長い時間が必要だった。居場所がわかった時には母は重い病気になっていて、連絡を取る事も出来ないまま亡くなってしまったの。ずっとプレッシャーの中で生きてきた人だったから、体や心が壊れてしまったのね。帰りたくなる家を持っていなかったあたしはただ一人の味方も失ってしまったの。この世界に心休まる場所が無い。それはとてもつらい事だった・・・だから、あたしはどうしてもおばあさまに会いたくなって手紙を送ったの」
「そこで絵夢が出てくるのか?」ジョゼはこの部分の事情は聞いたことがあった。
「そう、前にも話したけど、絵夢がおばあさまとあたしを会わせてくれたのよ。そのおかげであたしは日本を離れてポルトへ来ることができたの」ミクは遠い目をした。「ポルトは素晴らしい所だった。いままであたしを押さえつけていた重しが、全部取れたように思えた。帰りたくなる本当の家が出来て嬉しかった。だってこれまでそんなもの、持ったことが無かったんだもの。友達もできたし、あんたとも出会えた」ミクはジョゼに肩を寄せた。
「そしてオペラにも出会えた。もしそうなっていなかったら、あたしはきっと生きていなかったと思う」
「ミク・・・」ジョゼは気遣わしげにミクを見た。
「だからあたしの命は絵夢やおばあさまや、ポルトのみんな、そしてあんた、ジョゼにもらったようなものなの」
ミクは覚悟を決めたようにジョゼの顔を見上げた。瞳は大きく見開かれ、口は横一文字に引き結ばれている。「あたしにとってジョゼの仕事とか収入とか、そんなことどうだっていいの。あたしはジョゼのことが好きなんだから」
 ジョゼの口は半分開かれたままだ。なにか言葉を発しようと小刻みに震えている。好き?今確かにそう言ったよな?いきなりの展開にジョゼは混乱した。
 ミクは言葉を続けた。「たぶんジョゼがガイアのワインセラーで山本さんに飛びかかった瞬間から、ズーッと」
「いや・・・だから・・・」それは姉弟として?それとも・・・ジョゼの頭には小学生の頃の少し苦い記憶が蘇る。
「・・・」ジョゼの口は半開きのままだ。
 その時、ジョゼが乗る便のファイナルコールが告げられた。
 ミクは出発便モニターの方へ顔を向けた。
 ジョゼも同じ方を向いた。
「乗らなきゃ」ジョゼは体を離した。「明日からの仕事を抜けるわけにはいかないんだ。もう便の変更はできないし」自分ではない誰かがどこかで喋っている。僕は何を言ってるんだ・・・ジョゼには自分の声がまるで他人の声のように聞こえていた。
 チケットは運賃を無駄にすればキャンセルすることもできる。そして改めて別の便のチケットを買うこともできる。そうすればあと数時間はミクと一緒に過ごすことができるし、ミクの考えもちゃんと聞けるだろう。でもそうするには新たにお金が必要になる。ジョゼの財布にそんな余裕は無いから、たぶんそのお金はミクが出すことになる。そんなことはとてもできない。ジョゼはそう考えた。
「うん」ミクは頷いたが、チケットの件には触れない。
 もう一度ファイナルコールが告げられる。
 2人は立ち上がり、並んで手荷物検査場へ急いだ。
「行くよ」検査場の入口でジョゼが言った。
「うん、いってらっしゃい」ミクは軽く手を上げた。
 ジョゼはロープで区切られた検査場の通路に入った。後ろ髪をひかれるような思いだが、なんとか振り返らずに通路を進む。
「急いでください」係員がせき立てる。
「なるべく早くポルトに帰るから」ミクがジョゼに声をかけた。
 ジョゼは振り返ってミクの方を見た。
「わかった。待っているよ」やはりジョゼには自分の声がまるで他人の声のように聞こえている。
 ジョゼはゲートをくぐった。

***

 その時、ジョゼが乗る便のファイナルコールが告げられた。
 まるで張り詰めた緊張の糸がフツリと切れたような気がして、ミクは出発便モニターの方へ顔を向けた。
 ジョゼも同じ方を向いた。
「乗らなきゃ」ジョゼが体を離す。「明日からの仕事を抜けるわけにはいかないんだ。もう便の変更はできないし」淡々とした調子でジョゼは喋る。
 チケットは運賃を無駄にすれはキャンセルすることもできる。そして改めて別の便のチケットを買えばいい。そうすれば数時間はジョゼと一緒に過ごすことができる。でもミクはその提案をしないことにした。もしそうすれば新たにお金が必要になるし、そのお金は多分自分が出すことになる。今そんな提案は止めておいた方がいい。ミクはそう考えた。
「うん」ミクは頷いた。
 もう一度ファイナルコールが告げられる。
 2人は立ち上がり、並んで手荷物検査場へ急いだ。
「行くよ」ジョゼが確認するように言った。
 さっき自分の思いはジョゼにはっきりと伝えた。自分たちは普通のカップルにはなれない。あたしがこの仕事を選んだせいで、一緒に過ごすより遠く離れている時間の方が長くなるだろう。おまけに、あたしは6つも年上だ。彼には他の選択肢も含めて考える時間が必要なのかもしれない。
『行かないで』その一言はミクの口元で別の言葉に変わった。
「うん、いってらっしゃい」ミクは軽く手を上げた。
 ジョゼが通路の奥まですすんだ時、ミクはたまらなくなって声をかけた。「なるべく早くポルトに帰るから」
「わかった。待っているよ」ジョゼは答え、係員にせかされながらゲートをくぐった。
 ミクは暫くそのままの格好で立っていた。
『探し物はじっとしていても出てこないのよ。わかった?』絵夢の言葉が蘇る。
 でも絵夢、探してみたらよけいに分からなくなったわ・・・ミクはクルリと向きを変えて出発ロビーを後にした。


2016.08.18
関連記事
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

恋愛?なにそれ?美味しいの?

今夜は「カーテンコール」の続きの発表です。
今回のお話ではメイコがポルトに住んでいる事情や、ミクの生い立ちなどが明らかになっていきます。
それぞれに悶々と夜を明かしたミクとジョゼの2人。いったいどうやってお互いの間を埋めていくのでしょうか?それとも・・・。
彩洋さんの「忘れ物」というお題で書き始めた“SS”だったはずなんですが、どんどん膨らんで収拾がつかなくなってきました。
TOM-Fさんのお題をクリアーするために何気なく登場したチョイ出のキャラ「ミク」、八少女夕さんとのコラボから生まれた「Infante 323 黄金の枷」の、こちらもチョイ出のキャラ「ジョゼ」、この2人が6歳の歳の差をものともせずに想定外の恋をしてしまったために起こた混乱です。
ほんの悪戯心のつもりだったんですが、作者も思いのほか入れ込んでしまって、混乱の中悩みながら書き進めています。
だって、「恋愛?なにそれ?美味しいの?」状態のサキが書いているんですから。コラボ相手の夕さん彩洋さん(あ、今は無理か・・・)に丸投げできたらどれだけ楽なことか・・・。

よろしければ下のリンクからお進みください。

絵夢の素敵な日常(AIRPORT EXPRESS)
関連記事
テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
 

山女魚


 夏が過ぎ、秋が訪れて間もないころだったと思う。
 そのころの僕は中型のバイク、ヤマハRZ250に乗っていて、休暇を利用しては各地をツーリングしていた。この時もユースホステルで泊まりながら海沿いを1000Km程なぞるコースを走りきり、これから内陸の町に向かう予定だった。
 僕は暫く迷ってから海岸沿いの小さな交差点を左折して川沿いの道に入った。
 その川沿いの道は県道で、深く切れ込んだV字谷の中を進み、いくつものつづら折れを抜けて峠を越えている。地図上では車の通行が可能という標記になっていたから選択した近道だったが、もうすでに対面通行も難しい状況になっている。
「選択を誤ったかな?」僕は遠回りだが国道を走るべきだったと後悔しながらもUターンはせず、バイクを谷の奥へ向かって走らせていた。左折してから暫くの間こそ左右に水田が広がるのどかな田園風景だったが、やがて道は急峻な山塊に挟まれ、人間のテリトリーは見る見る浸食されていった。

 紅葉にはまだ少し早く、左右はすべて緑の山肌だ。前方は左右にくねる道路が続いているが、幾つコーナーを抜けても緑の木々が見えるばかりで視界は開けない。上を見上げればその緑に挟まれて狭苦しそうに青空が覗いている。道も狭く、バイクだから気楽に進んで行けるが、車だと対向車が来るたびに苦労しそうだ。もっともすれ違う車はほとんどなかったが。
 道は少しずつ高度を上げ、僕を人間界から遠ざけていく。ファスナーを少し下げたツーリングジャケットの胸元から入り込んでくる風も冷たくなった。やがて僕は小さな尾根筋を越えるコーナーを抜けたところでバイクを止めた。少し休憩を挟みたくなったという事もあったが、普段あまり見かけることの無い変わった物を見つけたのだ。それは吊り橋だった。
 サイドスタンドを下ろしエンジンを止めると、黒い2本のマフラーは白煙を上げるのを止め、辺りを静寂が支配した。耳がなれてくると、鳥の声、そして微かな空気の流れる音が聞こえてくる。続いて川のせせらぎだろうか?が微かに響いてくる。僕はツーリングジャケットのファスナーをもう少し下げるとゆっくりと歩き始めた。吊り橋は見えていたが、橋の袂までは山道を少し下らなければならない。冷たく澄んだ空気が心地よかった。
 山道を下った僕は頼りなさげな吊り橋に出迎えられた。主塔には「山女魚沢橋」とある。僕は誘われるようにその橋を渡り始めた。川の流れからの高さは30m、長さは50mといったところだろうか。30㎝幅の踏み板以外は敷鉄線が10㎝間隔で並んでいるだけなので下の川が透けて見え、おまけにけっこう揺れるから思っていたよりも恐怖を感じる。だがよく考えてみれば敷鉄線の間隔は10㎝だから転んでもこの隙間から転落することは無い。手摺鉄線も備えられているからさらに安全性は高くなる。そう自分に言い聞かせながら僕は橋を渡りきった。
 渡った先は山道で、吊り橋で渡った川から分かれた沢に沿って続いている。たぶんこの沢が「山女魚沢」なのだろう。道はやがてその沢の流れに行き当たった。流れは巨大な一枚岩の上を滑るように流れ下っている。夕方が迫っていたがこの斜面にはまだ西日が当たっていて、流れが木漏れ日を反射して、たとえようもないくらい美しい。僕は靴を脱ぐと大岩の上に座り込み、流れに足を浸した。
「おお~」長時間の運転で蒸し焼き状態になった足に、冷たい沢水がしみ込んでいく。僕は感嘆の声を上げたが、すぐに口をつぐんだ。沢沿いに1人の和装の女性が下りてきたのだ。
 大原女を思わせるその衣装はとてもよく似合っていたが、今の時代にこの格好はまったくの想定外で、僕をおおいに戸惑わせた。
 手ぬぐいを形よく頭に巻き、肩の籠にキノコらしきもの、右手には紫の花を一束持っている。格好から地元の人だろうと、僕はこちらから「こんにちは」と挨拶をした。
 彼女はドキリとするほど魅力的だった。漆黒の大きな瞳をこちらに向け、小ぶりな唇で穏やかに微笑みながら「こんにちは」と応え、そのまま山道を下っていく。木漏れ日が流れに反射し、ゆらゆらと彼女の姿を浮き上がらせる。
 僕は長い間放心状態で流れに足を浸したままにしていたが、やがてその冷たさに意識を取り戻し、靴を履くとゆっくりと橋の方へ戻り始めた。

 どれくらいあそこにいたんだろう。夕日は山並みに消え、谷底には夕闇が迫っていた。再び吊り橋の洗礼を受けバイクに戻った僕は、喉の渇きを憶えて水を飲もうとして水筒が空なのに気が付いた。しまった、あそこの沢水なら飲めただろうに、すっかりリズムを狂わされてしまった・・・ぼくはエンジンをかけ、バイクをスタートさせた。
 暫く走ると一軒の家が見えた。かなり古そうだが人の気配はする。何気なくスピードを落とすと、庭先に引かれたパイプの先から水がチョロチョロと流したままになっている。山からの引き水なのだろう。すぐにバイクを止め、開けっ放しの玄関に声をかけた。
「すいません、お水もらっていいでしょうか」
「どーぞ」と出てきたのはさっき沢で出会った女性だった。山支度は解いていたがやはり和装だった。
『あら、さっきの』とでも言うように大きな瞳で見つめてくる。被っていた手ぬぐいを外しているから、さらりとした肩までの黒髪が白い肌に映える。僕より少し年上だろうか?
 僕はなるべく彼女を見ないようにして水筒を取り出し、コップでまず喉を潤す。喉にしみいるような美味い水だった。そのまま水筒に水をいっぱいにすると、礼を言って立ち去ろうと顔を上げた。
「お1人でツーリングですか?」彼女が僕の顔を覗きこむように聞いてくる。
「はい、海沿いを南下してきて、これからこの先の峠を越えます」僕がそう答えると彼女は少し心配そうな顔をした。
「これから峠を越えるんですか?すぐに暗くなるし、道も狭くて曲がりくねってるから危ないですよ」
 あれ?地元の人にしては訛りがないな・・・僕は一瞬疑問を感じたが「大丈夫です。慣れてますから」と応えた。僕は何回も夜の峠越えを経験している。
「なんならうちで泊まってもいいですよ。今日捕った山女魚も焼きますから。どうぞ」
 失礼にも僕は少しの間固まってしまった。ちょっといけないことを考えてしまったのだ。僕はそのことに気づかれないようにあわてて言葉を返した。
「本当に大丈夫です。安全運転で行きますから」僕は立ち上がった。
「どうもありがとうございました」礼を言ってエンジンをかけると僕はそそくさとバイクをスタートさせた。
「お気をつけて」彼女は庭先で軽く手を挙げて送り出してくれた。
 僕は暗くなり始めた県道を峠に向かってアクセルを開けた。ミラーに写った彼女の姿は、たちまち小さくなった。

 あれからもう10年がたつ。今回のツーリングもあの時と同じように海沿いを1000Km程なぞるコースを走りきり、これから内陸の町に向かう予定だった。
 季節も秋の初め、時間も同じように夕方が迫っている。あの時と違うのは、僕が34歳になってしまったこと、バイクが少し大きくなってヤマハのSR400になったこと、泊まるのがユースホステルではなくホテルや旅館になったこと、そして山越えのコースに遠回りだが安全な国道経由を選択したことだった。10年前、真っ暗になった峠のつづら折れで、運転に難儀をした記憶があったからだ。
 だが僕はまだ迷っていた。例の海岸沿いの小さな交差点がせまっている。
 やっぱりそうしよう・・・僕は左折のウインカーを出した。
 交差点は拡幅され信号機が取り付けられていた。曲がった先の県道も白いラインの引かれた2車線の立派な道路に変身していた。
 お!これなら案外楽に峠を越えられるかも・・・僕はほくそ笑んだ。
 10年前と同じように、左折してから暫くの間は左右に水田が広がるのどかな田園風景だ。やがて道は急峻な山塊に挟まれ、人間のテリトリーは見る見る浸食されていく。だが道路はそれをあざ笑うかのように幅を変えることもなく、白いラインの引かれた2車線のまま谷間を切り裂いていく。僕は妙な予感を抱きながらバイクを進めていった。
 道は少しずつ高度を上げ、風も冷たくなった。やがて覚えのある小さな尾根筋を越えるコーナーに入ったところで僕はバイクを止めた。
 目の前で道路は谷を渡っている。あの吊り橋のあったところだ。以前は尾根筋を回り込んでいた道路はそちらへは行かず、橋で対岸に渡るように付け替わっていた。
 バイクを降りて欄干から下を覗いてみるがあの吊り橋は見当たらない。そのまま歩いて橋を渡ろうとした僕は驚いて立ち止まった。橋のすぐ上流に巨大なアーチ式のダムがそびえていたのだ。灰色の無機質な壁が谷筋をふさいで迫ってくる。橋の先にはトンネルの入り口があり、トンネル内には照明がこうこうと灯っている。
 僕はトンネルに近づいた。
 銘板には「山女魚沢トンネル」とあった。


2016.08.24
関連記事
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

読み切り掌編の発表です。

 今夜は「太陽風症候群」シリーズを発表します。
 このシリーズは基本読み切りばかりで構成されますので、このお話も読み切りの掌編です。3500文字程度の短いものですからお時間は取らせません。ササッと読んでいただけたら嬉しいです。

 さて、このお話ですが、ネット上でサキが見つけたとある記事からインスピレーションを得た物です。
 サキの琴線に微妙に触れる素敵なエピソードだったので、構想を得てから一気に書き上げてしまいました。ジョゼとミクの成り行きに悩んでいた所だったので、いい気分転換になりました。でもジョゼ・ミクの方は夕さんが一篇はさんでくださる様子ですので、暫く寝かせておこうと思ってます。
 じゃぁこの後サキはツィーかフワリの方を書こうかな?

 よろしければ下のリンクからお進みください。

「山女魚」
関連記事
 
<- 08 2016 ->
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
プロフィール
こんにちは!サーカスへようこそ! 二人の左紀、サキと先が共同でブログを作っています。
ようこそ!


頂き物のイラスト

アスタリスクのパイロット、アルマク。キルケさんに書いていただいたイラストです。
ラグランジア
左からシスカ、サヤカ(コトリ)、サエ。ユズキさんにイラストを描いていただきました~。掌編「1006(ラグランジア)」の1シーンです。
天使のささやき_limeさん2
limeさんのイラストをイメージにSSを書いてみました。「ダイヤモンド・ダスト」
イラストをクリックすると記事に飛びます。よろしければご覧くださいネ!
スカイさんシスカイメージ
スカイさんのシスカイメージ
シスカ・イメージ高橋月子さん作
シスカ・イメージ 高橋月子さん作
シスカ・イメージlimeさん作
シスカ・イメージ limeさん作 コトリ・イメージユズキさん作
コトリ(コンステレーションにて)ユズキさん作
リンク
ブロとも申請フォーム

Archive RSS Login