Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

ツィー Tsih

 峠の鞍部に差し掛かると、シャウラは「ドウ」と声をかけた。スハイルはその4本の長い脚の歩みを止めると、長い首を左右に小さく振って自分の仕事をアピールした。長い峠を休みなしに登ってきたせいで、スハイルは全身に汗をかいている。少し体を冷ましてやらなくては、シャウラはスハイルの首筋をポンポンと軽く叩いて「よしよし」と労ってやってから、峠の向こう側に目をやった。
 峠を下った先は平野になっていて、さらにその先は海岸線だ。そしてその海岸線に沿って港を抱えた大きな町が見えている。このあたりでは最も大きな都市、バンガイル・ステイグルドだ。
 かつては強大な権力を持つ神族の1つが統治する王都で、滑らかな漆喰で覆われた白亜の巨大な塔が無数にそびえたつ美しい都だった。だが今ではその塔は途中で折れ、崩れ去り、内部の赤い煉瓦をさらけ出している。そしてその崩れた赤い煉瓦を使って、周りに新しく建物群が無秩序に建てられ、混沌とした街並みが形作られている。それはまるで斧で叩き切られ、内臓をぶちまけた屍の様だ。シャウラは不吉な印象を持った。
 町はこの都市を滅ぼした魔族国家の一応の支配下にあったが、治安維持にまで手が回らず、治外法権と言ってもいい混乱の中にあった。
 シャウラはスハイルを一休みさせてから峠を下って行った。

 町はかつて城壁だった白亜の壁に囲まれている。ほとんどが崩れ去っているため城壁の機能は果たしていないが、それでも旅人はかつての門から出入りしている。シャウラはスハイルから降りると、巨大なアーチをくぐって町の中へと入った。
 この町は魔族の支配下にあるのだが、そこを歩いている、あるいは商いを営んでいるたくさんのイノセントたちが魔族なのかというと怪しいものだ。
 もともとは同じイノセントでも魔族は有色、神族は白色、という特徴を持っていたが、このような支配の弱体化した混乱の地方では混血が進み、外観で見分けはつけにくい。服装も両方の特徴を足して2で割ったような物や、伝統を無視した自由奔放な物がほとんどなので、その方面からの分別も難しい。いかにも魔族という格好をしたシャウラの方が目立つぐらいだ。さらに支配の弱体化は、この町を無法地帯にした一方、自由貿易都市のような環境を作り出し、町にさらなる混乱と繁栄をもたらした。
 通りの両側には商店がずらりと立ち並び、たくさんの色鮮やかな商品で溢れかえっている。通りは買い物をする人で溢れかえり、賑やかな呼び込みの声が幾重にも聞こえてくる。シャウラはしつこく付きまとう呼び込みを交わすために角を曲がり裏通りに入った。
 その通りは驚くほど人通りが少なく静かだった。シャウラはホッとしたが、今度は周りの建物の扉が固く閉ざされ、今夜の宿を探すことができない。シャウラは辺りを見回しながら賑やかな方へと進んで行き、やがて大きな広場に行き当たった。その広場には巨大な輸送車が何十台もひしめき合って止まっていて、それぞれの輸送車の御者や、用心棒と思われる男達が、そこここに集まって何か言い合いをしている。今にも喧嘩が始まりそうな集団もある。
 シャウラはそれを避けながら広場の真ん中へと入って行った。そこにはもっとたくさんの男たちが集まっていて賑やかに何かを話している。やがて1人の男が高らかにホルンを吹き鳴らした。男どもは静かになって、そちらの方に注目する。ホルンの男の隣に立っていたがっちりとした男が1台の輸送車の後ろに立った。ガチャリと大きな音を立てて大きな鍵を外し扉を開ける。そして中へ入ると中から1人の人を連れ出した。手足は鎖に繋がれている。
「奴隷だ・・・」シャウラは口の中で呟いた。
 男が口上を述べ、周りの男たちが次々と指を立て声をかけ始めた。奴隷商人たちの競りが始まったようだ。
「兄さんも買い物かね?」横に居たちょび髭の男が声をかけてきた。
「いや・・・」シャウラは言葉を濁した。
「安心しな。この町は大丈夫だ。ここじゃ法律なんざぁ、有って無いようなもんだからな」
「そうですか。でも奴隷ってどこから連れてくるんですか?」シャウラは素直な疑問を口にした。
「そんなことも知らねえのか?戦でぶんどった神族どもにきまってるじゃねえか。それと後はギルティだな」
 実際、シャウラは奴隷を見るのは初めてだった。
「ギルティが居るんですか?」シャウラの声は大きくなった。
「お前さん、バイヤーじゃねぇだろ。旅の途中、慰みもんでも探している用心棒って感じだな」
「慰みもん?」
「気にするな。冗談だ」ちょび髭の男はニヤリと笑った。「ギルティは昔、俺達イノセントの間に入り込んだ事がある。そして“あいのこ”がたくさん生まれたんだが、思ったよりギルティの資質が優性だったんだ。イノセントからギルティがたくさん生まれて困ったってぇわけだな」
「そんなことがあったんですか?」
「そうだ。お前さんの生まれた田舎では関係の無い話だろうが・・・」ちょび髭の男はシャウラの格好を見ながら続けた。「それで慌ててギルティを排除したんだが、今でも時々イノセントからギルティが生まれてくる。そいつらもここへ売られてくるっていう訳だ」
「それで、生まれた時の“洗礼”を厳密に行うようになったのですか?」
「そういうことだ。分かってるじゃねぇか。俺達がギルティになっちまうわけにはいかねぇからな。だが代を重ねても一度入ったギルティの資質はなかなか消えねぇ」ちょび髭の男はまたにやりと笑った。
 話している間にも次々と奴隷が曳きだされ売られていく。だいたい金の粒3個から5個が相場の様だ。やがて扉の前の男は1人の少女を曳き出した。
「次は神族の女だ。上物だ!12歳だが、大人だ・・・」口上が述べられる。
「おお~」奴隷商人の間からざわめきが漏れる。
『美しい・・・』シャウラもそう思った。髪は肩のところで乱暴に切られているが金色で、手入れをすれば黄金色に輝きそうだ。少し俯き加減だが、整った顔立ちは凛々しく、引き結んだ小さな唇は不純なものを全て跳ね返すかのように毅然としている。瞳は青で、まるで吸い込まれるようだ。栄養不足の体はほっそりしているが均整はとれている。
 シャウラは懐に手を突っ込んで革袋の中身をそっと確認した。すぐ横でちょび髭がうっすらと笑っている。
「最初は金5個からだ」扉の前の男が宣言した。
「金6個!」たちまち声がかかる。
「金7個」「いや8個だ!!!」「俺は9個だ!」たちまち値がつり上がって行く。
「10個!」左側で声が上がった。その直後「10個と銀5個だ!!」右側で声が上がる。「金11個!」まだかけ声は止まらない。
 シャウラの手が挙がった。「金20個だ!!!」
 辺りは水を打ったように静かになった。
「金20個の声がかかったよ!他にはないか?さあ!さあ!」扉の前の男が繰り返す。「どうだ!金20個!見ての通り上物だ!安い買い物だよ!手に入れたい奴は居ないのか?さあ!さあ!どうだ?」声を張り上げる。
「21個!!!」向かいで声が上がった。
 ドオッっとどよめきが起こった。
 シャウラは懐の中の革袋を握りしめる。
「金21個の声がかかったよ!他にはないか?さあ!さあ!」扉の前の男が繰り返す。
 シャウラは少女の方へ目を向けた。少女がわずかに顔を上げた。目があったような気がしたとき「30個!!!」シャウラは無意識に叫んでいた。
 辺りはまた水を打ったように静かになった。
「金30個の声がかかった!こんな上等の掘り出し物はめったにないよ!さあ!さあ!どうだ?」扉の前の男はゆっくりと広場を見渡してから大きく手を叩いた。
「よし!そこの兄さん。金30でこの子はあんたのもんだ」
 ため息のような罵声が辺りを包んだ。

 シャウラは金30個を渡して少女と拘束具の鍵を受け取ると、2人でスハイルに跨りすぐにその場を離れた。そして拘束具を外そうと人気のない石の柱の立ち並ぶ回廊に入った。
「大丈夫、拘束具を外すだけだ」シャウラは優しく声をかけたが、少女は冷たい視線で見つめ返すだけだ。
 その時シャウラは気配を感じ後ろを振り返った。
「よお、兄さん」広場で横に居たちょび髭の男が石柱の陰から姿を現した。
 シャウラは無言でそちらへ体を向ける。
「その奴隷をこっちへ渡してもらおうか」ちょび髭は腰に差していた長刀をスラリと抜いた。石柱の陰から同じように長刀を持った男が2人現れた。
「だまってそいつを置いていけばなんにもしねぇ」ちょび髭は薄ら笑いを浮かべる。
「そうはいかない。この子には持ち金をあらかた使ってしまったんだ」
「それは気の毒だったな。だが、自分の命の方がずっと値が張ると思うが?」ちょび髭は刀を頭の上に構えた。他の2人もそれぞれに刀を構える。
 全てを失っていたシャウラは自分の命が惜しいような状況にはなかったが、こんな奴にただ無意味に命をくれてやる事もばからしく思えた。
 シャウラは腰の剣に手をかけた。次の瞬間、勢いよくそれを引き抜き、真横に薙ぎ払った。ちょび髭は後ろに飛びのいてそれを避けると、刀を振り下ろした。シャウラの額の数ミリ先を刀が通り過ぎる。そのままの体勢でシャウラは前に踏み出し、ちょび髭の刀を踏みつけ剣を突き出した。
「うがぁ」シャウラの剣はちょび髭の胸を貫いていた。勢いよく血潮が吹き上がる。そのまま剣を戻し振り上げると、後の二人を片付けるのは造作もなかった。あっという間に屍が3つ、石の地面に転がった。
 その様子を少女の冷たい視線が追いかける。
 シャウラは倒れている男の外套で剣に付いた血を拭ってから鞘に納め、ゆっくりと少女に近づいた。
「さ、拘束具を外すよ」シャウラは鍵を取り出し、少女に付けられていた拘束具を外した。重い塊がガチャンと地面に転がった。

 シャウラは何事もなかったように少女を連れて引き返し、商店の立ち並ぶ通りで少女の服を買った。それまで纏っていた奴隷の装束では目立ち過ぎたからだ。特徴の無い安物の服だったが、それだけでも少女は匂い立つように美しくなった。
「もともとは高貴な生まれなんだろうねぇ」着替えさせてくれた店の女主人が見とれながら言ったが、少女は眉1つ動かさなかった。
 その後夕食のためにシャウラは食堂へ入ったが、少女は一口も料理を口にしなかった。いくら勧めても少女はただ黙っているだけだ。
 明らかに魔族とわかる格好をしたシャウラと、どう見ても神族に見える少女の組み合わせは人目を惹きそうに思えたが、食堂の客達は気にする様子はまったくなかった。その夜泊まった宿の女主人や宿泊客達も同じだった。シャウラの常識では考えられないことだったが、この町では特に目を惹くことではないようだった。
 宿代として銀の粒を1つ渡すと銅の粒を6個返され、2階の静かな部屋に案内された。ベッドは1つしか無かったが幅が広く、この宿では最上の部屋のようだった。親方が持たせてくれた路銀は銀の粒を少し残すだけになっていたが、無くなったら無くなった時のことだ、シャウラは先の事を心配する気にはなれなかった。
「名前は何という?」
「・・・」
「どうして奴隷になった?」
「・・・」
「お前は本当に神族なのか?」
「・・・」
 部屋に入って落ち着くとシャウラは次々と質問を投げかけたが、返ってくるのはやはり冷たい視線だけだった。彼女の虹彩はまるで凍りついたように青さを増していく。
「なあ、お前はもう自由なんだ。僕はお前を奴隷として使うつもりはない。どこへでも好きなところへ連れて行ってやる。そして自由になるんだ」
「・・・」少女は黙っていたが、この時だけは虹彩の青さに変化があったように見えた。
「どうだ?どこへ連れて行ってほしい?」
「・・・」
「お前は口が利けないのか?」
「・・・」少女は一言も口を利かなかった。
 シャウラは諦めて少女をベッドに寝かせると、自分は床の上に横になって灯りを消した。遠くで誰かが騒いでいる声が聞こえていたが、シャウラはそのまま深い眠りに落ちていった。

 背中の痛みに目が覚めると辺りはもう明るかった。疲れが溜まっているのだろうか、少し寝坊をしたようだ。窓からは通りを歩く人々のざわめきが聞こえてくる。シャウラは軋む体をかばいながら硬い床から体を起こした。
 そうだ、あの子はどうしたのだろう?夜のうちに逃げてしまったかもしれないな・・・そう思いながらシャウラはベッドを覗き込んだ。
 少女は眠っている。
 だがシャウラはすぐに異変に気が付いた。少女の顔がやけに白い、それにかけられた布団が不自然に盛り上がっている。
「どうした?」シャウラは慌てて布団をめくりあげ、そのまま固まってしまった。
 少女の胸には小刀が突き刺さっていた。それはシャウラの小刀だった。少女の両手はしっかりとその柄を握っている。出血は酷く血液はベッドを通り越しその下の床に血だまりを作っていた。
「なぜだ!」シャウラの叫びは声にはならなかった。

2016.04.12
2016.04.16 細かい修正(ストーリーに変化はありません)
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

ワタリ Watari

 シャウラは部屋を飛び出すと階段を駆け下り、入口の横にある小部屋へ駆け込んだ。「医者を呼んでくれ!」
「どうしたんだい?」宿の女主人は訝しげにシャウラの顔を覗き込んだ。
「連れがたぶん死んでいる」
「死んでいる?そりゃまた尋常じゃないね」女主人は落ち着き払った声を出した。「で?あんたが殺したのかい?」
「いや、そうじゃないんだが、とにかく医者を呼んでくれ」
「でも、死んでるんだったら医者より坊さんだろ?とにかく見せておくれ」女主人は立ち上がるとシャウラの脇を抜け階段を登っていった。シャウラは少しの間そこに留まっていたが慌てて後を追った。
 部屋に入ると女主人はベッド脇に座り込み布団をまくり上げて少女の様子を覗き込んでいた。シャウラは彼女の後ろにそっと立った。
「この子は自分で胸を刺したのかね。相当に強い意志がないとこんなには出来ないよ」布団を戻しながら女主人が振り向いた。
「僕じゃない」
「あんただって言ってるわけじゃないよ。そうだね。駄目だと思うけどワタリのばーさんを呼んでこようかね。あんたこの子を見ていてくれるかい?」
「ワタリのばーさん?」
「そう、坊さんじゃないよ。ばーさんだ。ちょっと行ってくるよ。すぐに戻る」女主人は慌てる様子もなく部屋を出て行った。
 少女の顔はまるで眠っているように穏やかだった。血の気を失った白い顔は、まるでこれまでの汚れを流し去ったかのように輝いて見えた。

「邪魔するよ」入り口で声がして黒い塊が入ってきた。それは黒い外套で全身をくまなく覆った小柄な人だった。頭も黒い帽子を被っているのでまるで黒い塊のように見える。声からすると年老いた女性のようだ。
 続いて女主人も部屋に入ってきた。「ワタリのばーさんを呼んできたよ。このへんでは名の知れた呪術師だ」
「呪術師?」シャウラは説明を求める。
「この辺じゃ医者なんていう気の利いた者は居ないんでね。それにたぶん医者じゃぁもう役に立たないよ」女主人が答える。
「見せてくれるか」ワタリのばーさんはシャウラをどけると、少女の様子を確かめるためベッドの脇に立って布団をまくり上げた。そして服を脱がせ傷の様子を確かめる。
「う~む」ワタリは暫くの間唸っていたが、やがて「お前さん、金は持っているか?」と訊いた。
「え?ああ、持っている」
「見せてみろ。全部だ」
 シャウラは懐から袋を取り出すと中身を手の平にあけた。
「しけてるな」ワタリはシャウラをしげしげと見て言った。「お前さん、レサトの衆だな?」
「そうだ」シャウラは短く答える。
「レサトなら鉄砲を持っているだろ?」
「鉄砲?ああ、ライフルのことか?持っている」
「それを見せてみろ」
 シャウラは部屋の隅に行って自分の狙撃ライフルを持ってきた。
「そう、それそれ、見せてみな」ワタリはライフルを受け取るとあちこち向きを変えて観察した。
「いいものだ。それにここに入っている石は月光石だ」ワタリは銃床に並べてはめ込まれた石を指さした。「お前さんらにとっては単なる装飾だろうが、この石は希少なものだ。この鉄砲を手放しな。そうするつもりがあるならこの子を看てやってもいい」
「助かるのか?」シャウラは少女を見ながら言った。
「わからん。イノセントは滅多なことでは死なんが、ここまで酷いと何とも言えん。お前さんが神族を殺るときはどこを狙う?」
「頭だ。目と目の間を狙う」
 ワタリは頷いた。「さすがのイノセントも頭をやられたら終わりだ。脳の再生は不可能だからな。だがそれ以外の部分ならかなりの確率で再生出来る。だからお前さんも頭を狙う。そうだろう?」
「そうだ」
「この子も頭は無事だから一応可能性は残されているが、時間が経ちすぎている。今からやっても再生する確率はかなり低い。どうだ、お前さんはこの子の何か知らんが、やってみる気はあるか?」ワタリは舐めるようにシャウラの顔を覗きこむ。
「やってくれ」ここまできて放り出す気持ちにはなれない。シャウラは即答した。
「助かる可能性は低いが、それでもか?」
「構わない、やってくれ」シャウラは覚悟を決めた。
 ワタリは女主人の方を振り向いた。「あんたが証人だ」
 女主人が頷いた。「ああ、確かに聞いた」
「じゃあ、見せてやるか」満足そうに頷いたワタリは、外套の内側から袋を取り出し、手を突っ込んで中から何かを取り出した。
 シャウラが覗き込むとワタリはそれを目の前に差しだした。
「これはムカゴという蟲だ」そこにはシャウラたちが主食にしているアワラの実に付く芋虫のような生き物が蠢いていた。だがシャウラの知っている芋虫に比べて大きさは10倍以上もある。色は半透明で、それを持っているワタリの手がうっすらと透けて見える。
「ガザミ、たっぷりの綺麗な水を」ワタリが指示を与える。
「はいよ」女主人は廊下へ出て水をいっぱいに入れたバケツを運んできた。
「これは傷を食べて生きる蟲だ。見てな」ワタリは芋虫をバケツの中に入れた。芋虫は水を吸い込んで風船のように膨らんでいく。バケツはほとんど空になり、いっぱいに膨らんだ芋虫の体はますます透明になっていく。
 ワタリは少女の方へ向き直り、胸に突き刺さったシャウラの小刀から硬直した少女の手を引き剥がした。そして胸からゆっくりと小刀を抜き取る。血液はすでに出尽くしてしまったのか固まっていて新たな出血は無い。ワタリはたっぷりと水を吸い込んで膨らんだ芋虫を抱き上げた。芋虫は傷口の存在を感じたのか激しく動き始める。ワタリは芋虫を少女の傷口の傍に置いた。
 芋虫は少女の血まみれの皮膚に吸い付くと血糊を舐め取り、シャクシャクと音を立てて傷口を食い破る。そしてその頭部を少女の体の中へ食い込ませて行き、それにつれて芋虫の体は縮んでいく。
 シャウラはその様子に驚いて思わず1歩下がった。
 やがて芋虫の全身は少女の胸の中へ吸い込まれ、その後には少女の白い乳房だけが残された。大きく開いていた傷口もその周りの血糊も、芋虫が食べてしまったのか跡形もない。
 シャウラは傷口を見ようと少女に近づこうとした。
「もう少し待て、まだ背中側が終わっていない」ワタリが手を伸ばしてシャウラを制止した。やがてシャクシャクという音が止んだ。
「終わったようだ」ワタリが顔を少女の胸に近づけた。手の平を乳房の間にそっと当てる。そして離す。
「上手くいったようだ。心臓が動き始めた」
「そうか。よかった」シャウラの顔がほころぶ。
「だが、まだだ」ワタリは少女の胸を透かすように何度も位置を変えながら見つめている。すこし少女の体を持ち上げて背中側も覗き込む。そして傷の有った所をそっと撫ぜながらワタリが言った。「大丈夫のようだ。完全に塞がっている」
「蟲はどうなったんだ?」シャウラが訊いた。
「体の中に入り込んで、この子の体に同化したのさ。その時に宿主の傷を治してしまうんだ」
「じゃ、この子の中で生きているのか?」
「そうとも言えるし、そうで無いとも言える。蟲はもう完全にこの子の体になってしまっているからな」
「何の影響もないのか?」
「たぶんな。はっきりと蟲が原因とわかる影響が残ったことはない。蟲は傷を喰い、宿主に同化してしまう。それだけだ」
「信じられない」
「信じる信じないは勝手だが、ほれ、呼吸も始まったし血色も良くなってきた」ワタリは少女の方をへ手をかざした。
 少女の青白かった肌や顔はほんのりとピンクに染まり、乳房がゆっくりと上下する。シャウラは慌てて目を逸らした。
「隣の部屋に新しいベッドを用意するよ。ここじゃ血まみれだからね」その様子を見て女主人が言った。
「すまない」シャウラは礼を言ったが、女主人は「銅の粒を追加で2つもらうよ。ここの布団は使えなくなったし、部屋も綺麗にしなくちゃいけないし・・・」とすまし顔で付け加えた。シャウラは頷いた。

「ケフン・ケフン・・・」少女が小さく咳き込んだ。シャウラは慌てて少女の顔を覗きこんだが、少女がまた寝息を立て始めたので顔を元に戻した。
 あれからすぐにシャウラは女主人とワタリに部屋を追い出された。少女は体を丁寧に拭かれ、新しい寝間着に着替えさせられて、隣の部屋に用意された新しいベッドに移された。
 銅の粒を2つ持って行かれたがしょうがない。シャウラは納得していた。部屋は血まみれでとても滞在できる状態ではなかったからだ。
 今はまた少女と2人きりになって静かに様子を窺っている。ワタリはもう大丈夫だと言って帰って行ったが、あんな状態だったからやはり心配だった。
「う~ん」少女が小さく声を出した。『始めて声を聞いたな』シャウラはまた顔を覗きこんだ。
 少女の目がうっすらと開いた。凍りつくようだった青い瞳は、温かさを取り戻しているように見えた。
「気が付いたか?」シャウラは慎重に声をかけた。
 少女は徐々に目を開いていったが、やがてその目は涙でいっぱいになった。
「ここは宿のベッドだ。安心していい」シャウラは微笑んでみせた。
 少女は暫くの間天井を見つめてから独り言のように言った。「行けなかったんだ・・・」思っていた通り透き通った声だ。
「どこへ?」
 また暫く間が開く。
「皆のところへ・・・」少女は操られたように答える。
「皆?」
「お父様やお母様、シェダやカフやルクバやセギ・・・」堰を切ったように涙が流れ出る。それがポタポタとシーツを濡らす。今、少女が挙げた人達がどこにいるのか、答えは明白だった。
「そこへ行こうとしていたのか?」間抜けな質問だとシャウラは思った。
「あなたはどこへでも好きなところへ連れて行ってやると言った。私を奴隷として使うつもりはないとも言った。だから私は自分の行きたいところへ行こうとした・・・」
「そんな意味で言ったんじゃない。お前が幸せになれる所という意味だ」
「だから、そこへ行こうとした」
「いや、だから・・・」シャウラは言葉に詰まった。
「あなたは私を買った。だから私を好きにできる。そのあなたが私の自由にしてもいいと言ってくれた。小刀を突き刺す時の怖さも乗り越えた。でも・・・行けなかった」少女の視線は遠くなった。
 シャウラは少女が落ち着くのを待って言った。「僕はお前を買った。だからお前を好きにできる。今お前はそう言ったな」
 視線を戻し少女は小さく頷いた。
「お前、名前はなんという?」シャウラがこれを尋ねるのは2度目だ。
「ツィー」少女は今度は素直に答えた。
「じゃぁ、ツィー」シャウラは少女の名を呼んだ。
「はい」少女が返事をする。
「お前の行きたいところへ行くのは暫く先送りしろ。そして僕と一緒に旅をするんだ。いいな」シャウラは声に強さを込める。
「どれくらい先に送るの?」少女はキョトンとした顔になった。
「お前の天寿が尽きるまでだ」シャウラはニヤリと笑ったつもりだったが、その笑いはぎこちないものになった。


2016.04.19
2016.04.21 中程度の変更、ストーリーに微妙な影響あり。
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「ツィー」と「ワタリ」について

「読者を混乱させてどうする!」
 お叱りの声が聞こえてきそうです。先にも同じようなことを言われました。
 その通りだと思います。
 少し前にUPした「ツィー Tsih」は、サキの初めてのファンタジー「フォーマルハウト」の第3話に当たるお話ですが、前話から2年以上もブランクがありますのでなんの断りも無くUPしたらダメですよね。
 というわけで、おおまかな構成と登場人物の紹介、そしてどうしてこんなことになったのかの顛末です。そしてもちろん物語の宣伝も兼ねています。

 この物語の世界で“人”と呼ばれている生き物には3種類あります。
 まず“神族”、そしてそれに対抗する勢力“魔族”です。この2つの種族はイノセントと呼ばれ、イノセンティアに住んでいますが、4千年の長きにわたって争っています。
 さらにもう1つ、それが“人間”(ギルティ)です。彼らは人間界(ギルティア)に住んでいます。
 イノセントは人間に比べてとても生命力が強くて丈夫です。また特殊な能力を持っている事が多いので人間を見下している事が多いです。
 イノセンティアと人間界(ギルティア)の間には“結界”と呼ばれる広大な空間があって、普通は行き来できませんが、時々サーベイヤーと呼ばれる人間が、人間界からこの空間を越えてイノセンティアに送り込まれてきます。その目的は今のところ謎です。
 主人公のフォーマルハウトは人間界からサーベイヤーとしてイノセンティアに送り込まれ、魔族や神族に様々な影響を与えながら物語が進んでいきます。

 続いて登場人物です。今のところこれだけしか登場していません。

●フォーマルハウト:人間。この物語の主人公。この世界の年齢に換算すると20代前半の女性。人間界からやって来たサーベイヤーで、生まれ落ちてすぐ人間界を旅立ち、長い時間をかけて結界を越えてきた。愛称はファム。人間だがイノセントに近い、あるいはそれを凌駕する能力を持っている。

●ブースター:フォーマルハウトが乗っている動物。有袋類なのでお腹の袋の中に入って眠ることもできる。生まれたばかりのフォーマルハウトは、この袋に入れられて人間界を旅立ち、ブースターの乳で育った。イノセンティアの動物とのハイブリッドなので知能は高く言葉を話すこともできる。フォーマルハウトの教育係も務める。

●シャウラ:魔族。20代前半の男性。神族の狙撃を生業としているレサト一族の若きホープだった。偶然フォーマルハウトと戦闘になり破れた。意識を失った状態でフォーマルハウトと一晩過ごしたため、人間との性的関係を疑われ部族を追放になった。フォーマルハウトを処理しない限り部族には戻れない。今(第3話では)はフォーマルハウトを探して放浪中。

●親方:魔族。レサトの親方衆の1人。シャウラたち狙撃手の1部隊を束ねている。親代わりでもある。

●アルドラ:魔族。20代前半の女性。シャウラの婚約者だったが、シャウラが追放されたため婚約は解消されている。親方の1人娘。長い髪を持つ超美人。

●スハイル:シャウラが乗っているサドルという動物。村を出ていくとき、親方から贈られた。村一番のサドルで足が速く頭もよい。

●ツィー:神族。奴隷として売られていた。12歳。神族らしく金色に輝く髪、白い肌、青い瞳を持つ美しい少女。

●宿の女主人:たぶん魔族。シャウラが止まった宿の主人。肝っ玉母さん風。

●ワタリ:たぶん魔族。全身黒づくめの呪術師。老女だがまだまだ若い者には負けない。

まだ4話しかありませんので、よろしければ読んでみてください。

フォーマルハウト
フォーマルハウト2「アルドラ」
ツィー Tsih
ワタリ Watari


 でもこの作品「ツィー Tsih」実は、初めSSとして単独で読んで完結するように発想された全く別の作品だったんです。
 奴隷の少女が自分で自分の自由を手にするにはこうするしかなかった・・・そんなお話でした。
 ところが舞台設定を書き込んでいるうちに、その舞台が「フォーマルハウト」の舞台と見事に重なることに思い至ったのです。
 それならば、ということで主人公をシャウラに変更して書いてみると、実に上手に変換できます。調子に乗って書いていったのですが、問題が出てきました。「フォーマルハウト」の第2話「アルドラ」のUPからもうすでに2年以上が経過しています。その間更新はもちろんありませんし、誰かが読んでくださっている気配もありません。こんな作品の続きを発表してしまっても誰も読んでくださらないんじゃぁ、と心配になってきました。
 そこで、サキがひねり出したのが、このお話はもともと単独で読むことのできるSSとして書かれている、という屁理屈です。
 最初はタイトルに「フォーマルハウト」の名を冠していたのですが、それを外してしまったのです。そしていかにもSSですよ~という態で何気なくUPしてみたのです。(さすがにカテゴリーは「フォーマルハウト」にしておきましたが)
 案の定、読んでくださった方は混乱されたようです。この作品、SSとしても舌っ足らずの不良品だったんですね。カテゴリーで気が付かれたのか、わざわざ1話から読み返してくださる方もいらっしゃって、ほんとすみません。恐縮しています。ごめんなさい。
 そしてこの作品、サキとしても消化不良だったんです。
少女が死んでしまうのはまぁよくある事でしょうがないのでしょう。でもサキの書き方では「なぜ?」がたくさん残ってしったのです。そして「なぜ?」の部分を書こうにも少女は死んでしまっていますから、なんと!書けないんですよ。
 それに物語はシャウラをメインに進んでいく必要がありますから、少女は置いてけぼりです。そんな馬鹿な!ですよね。「ツィー Tsih」というタイトルだって少女の名前から取っているのに、少女は名前を明かさないまま逝ってしまったし・・・。
 消化不良!まさにそんな状態になってしまいました。

 でも、そこに救いの神が現れたのです。“旅の道連れが増えるのかと思ったら、・・・せめて命を取り留めてくれればいいけれど”という八少女夕さんのコメントです。そう、このお話はファンタジーなんだ。そしてこの少女は神族なんだ。「フォーマルハウト」の設定では神族と魔族は人間よりずっと生命力が強いんですよ。だから生き返ってもいいとしよう。そうすれば「なぜ?」を少女自身に語らせることもできるし、名前の件もクリアーできる。そして夕さんのコメントにあった“旅の道連れ”も出来上がりっと・・・。さて、どうやって生き返らせようか?
 
 ご都合主義のサキはこのアイデアでルンルンになって、第4話「ワタリ」を書き上げたのです。少女の復活には、ポール・ブリッツさんの「荒野のウィッチ・ドクター」からヒントをいただきました。このお話、ポールさんとこの壮大なファンタジーなのですが、テマとアトの凸凹コンビ、とっても面白いです。
 そしてこの機会に書いておきますが、サキの悪い癖がでています。また後から「ワタリ」を書き直しているのです。
「ワタリ」にはワタリばーさんが蟲の卵を採取するシーンがあったのですが、これを取りやめました。ムカゴが傷を喰って繁殖するという設定は変えていませんから、卵は後程の登場となります。この方が面白いと判断しました。TOM-Fさんへのコメ返に矛盾が出ていますが大目に見てください。
 あ~あ、ほんとうにすみません。こんなにいい加減で。
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テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
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プロフィール
こんにちは!サーカスへようこそ! 二人の左紀、サキと先が共同でブログを作っています。
ようこそ!


頂き物のイラスト

アスタリスクのパイロット、アルマク。キルケさんに書いていただいたイラストです。
ラグランジア
左からシスカ、サヤカ(コトリ)、サエ。ユズキさんにイラストを描いていただきました~。掌編「1006(ラグランジア)」の1シーンです。
天使のささやき_limeさん2
limeさんのイラストをイメージにSSを書いてみました。「ダイヤモンド・ダスト」
イラストをクリックすると記事に飛びます。よろしければご覧くださいネ!
スカイさんシスカイメージ
スカイさんのシスカイメージ
シスカ・イメージ高橋月子さん作
シスカ・イメージ 高橋月子さん作
シスカ・イメージlimeさん作
シスカ・イメージ limeさん作 コトリ・イメージユズキさん作
コトリ(コンステレーションにて)ユズキさん作
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