Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

「キタハラとシスカがどんなふうに想いを実らせたのか」

「Debris circus」20000HIT記念リクエストイベントは三名の方からリクエストをいただいています。

 リクエストはまずお二方から・・・
●TOM‐Fさんからキャラクターリクエストとして「絵夢」。
●八少女夕さんからキャラクターリクエストとして「エス(アントネッラと絡ませてほしい)」。お題として「カーニバル」。
でいただきました。

 もちろん、サキはTOM-Fさんのリクエストからお答えしようと「絵夢」で構想を練り始めました。続いて夕さんのリクエスト、「エス」の予定でした。「カーニバル」は難問だなぁ。などと考えていました。そして毎度のことですが、サキは先着3名の方のリクエストを承ると発信していましたので、リクエストが揃わない場合の心配もしていました。
 そこへお三方目、彩洋さんがリクエストをくださったんです。ようやくリクエストが3つ揃ってとても嬉しかったのを憶えています。

 彩洋さんのリクエストは、
●キャラクターリクエストとして「シスカ」、そしてお題は「キタハラとシスカがどんなふうに想いを実らせたのかってところ」
・・・でした。

 これは思いもかけなかったお題で、とても新鮮でした。サキはこの部分は本文でも書いていません。本文をお読みいただいた方にはお分かり頂けると思うのですが、キタハラとシスカの関係、そしてナオミの事までを考えると、とても異様で複雑な人間関係です。さらにあと2人の特殊な人間が絡みます。
 シスカ本文のエピローグで明かされたキタハラとシスカの関係は、もちろんサキの考えたものです。けれど、そこに至るまでの2人の心の動きは非常に大まかなものを構想に持ってはいましたが、物語を作れるほどの物ではなかったのです。ですから本文では語られることはありませんでした。いえ、サキには語れなかったのです。
 でも、それを組み立てる必要があるのかな?そう考えたとき、サキは大きなワクワク感を感じたのです。もちろん組み立てようとして崩壊してしまう可能性は大きいです。サキの経験値では全然足りませんし、先の無駄にたくさんある経験値でもだいぶ方向性が違っているようです。不足分を想像で補って物語を組み立てるのは、相当に骨が折れそうです。でも心のどこかにワクワク感が渦巻いていて、寝ても覚めても構想を練ろうとする自分自身をもう止められなくなってしまったのです。
 しょうがないですね。TOM-Fさんと夕さんには少しお待ちいただくことにしました。ごめんなさい。ここであらためてお詫びしておきます。
 まず始めに彩洋さんのリクエストにお答えすることにして、サキは書き始めました。崩壊は覚悟の上です。出来上がらなければ彩洋さんにお詫びして、他のお話しで我慢してもらいましょう。ということで2月に入ってからずっと書いています。唸りながら、悩みながら、迷いながら、そして楽しみながら・・・。そう、この状態が結構楽しいんですよ。だいぶ文章としては出来てきてはいますが、最後の最後を書き上げるまで完成するかどうかは分からないのです。こんな風には考えないんじゃない?こんな心理状態ってある?疑問ばかりが浮かんできてモヤモヤしっぱなしです。まとまらないストーリーは暴走しがちですが、湧いてこないストーリーはこんなにも書いている者を悩ませるのですね。ここのところ更新が滞っているのはそういう理由です。
 そしてもし書きあがったとしても、「シスカ」本編と「シスカ」サイドストーリーに目を通してくださっている方でないと、チンプンカンプンになる恐れもあるのです。せっかく完成しても読んでくださる方は一層少なそうです。でもまぁいいか。もともと読んでくださる方は少ないのですから。少なくともリクエストをくださった彩洋さんは読んでくださるでしょう。
 シスカはサキが思っていたよりもずっとドライでクールでした。キタハラはダメダメ男でした。
 いったいどうなる事やら、執筆自体は楽しんではいますが、満足できるものなんぞ、とても書けそうにありません。サキがなんとか妥協できる範囲の物が書きあがったら発表します。TOM-Fさん、夕さん、彩洋さん、読んでやろうかな?と思っておられる方、もう少しお待ちください。
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テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
 

オート・ローテーション

 プラチナの髪がフワリと揺れた。ロクがドアの鍵を下ろした瞬間、シスカが勢いよく振り返ったのだ。シスカは一瞬の戸惑いの後、ロクの胸に飛び込んできた。

 シスカがテロ組織から解放されてから、すでに3週間以上が経過していた。解放されてからはまずベクレラ側の事情聴取や手続きに数日、シンキョウへの移動に2日、健康診断に2日、国の特別調査委員会と軍の事情聴取に一週間、さらに警察の事情聴取に3日、その他の各種の手続きに3日、そして首都シンキョウからの移動に1日。家族や友人、仲間達の心配をよそに、シスカは世間から完全に隔離された。父親の立場であるロクは早く返してくれるように何度も要請したが、国家権力の前にその努力は空しいものになった。だがロクは根気強く要請を繰り返し、その効果があったのかは定かではなかったが、晴れて今日社会復帰することが出来たのだ。
 復帰は実に素っ気ないものだった。ロクがマサゴの警察本部に出頭し、シスカの身柄を引き取った・・・ただそれだけだった。ロク1人で来るようにとの但し書きがついていたし、親子水入らずで語り合いたいだろうという配慮もあって、サエやアツコ達は顔を出していない。あれだけ話題になったのに、マスコミ関係者の姿もない。ロクにとってはとてもありがたいことだったが、拍子抜けのする事態だった。何かしらの圧力が働いたのだろう・・・ロクはそう考えてこの事態を納得することにした。
「お父さんですね?」担当の婦人警官に尋ねられて「はい」と答えるのは何となく気恥ずかしかったが、反面誇らしくもあった。
 シスカは髪の毛を全て覆う防寒帽、目立たない色のコート姿で待っていて、ロクの姿を認めると何も言わず少しだけ微笑んだ。それから愛想の無い顔になって、手続きの終わるのを待っていた。署員達には感動の再開シーンを期待していたような節があったが、それは見事に裏切られた形になった。全ての手続きを終え、警察署長からのねぎらいの言葉を受けている間も、シスカはやはり愛想の無い顔を保っていた。
 2人は署長以下警察幹部のお見送り付きで警察本部を出て、ライトレール(マサゴ市内を走る路面電車)に乗り、とりあえずロクのアパートに向かった。そこはシスカの実家に当たる場所で、小学校5年生の時にここマサゴに引っ越してきてから、彼女はここで大きくなった。シスカは今、別のアパートで友人とルームシェアをして暮らしているが、連れ合いのナオミを亡くしてからロクが1人で暮らすそのアパートは、シスカにとって思い出のたくさん詰まった場所だった。ロクはライトレールの中で、注意深くシスカの様子を観察していたが、愛想のない硬い表情に変化は起こらなかった。停留所から道路を渡り、団地の中へと入り、正面に29と番号の振られた5階建ての建物が見えたとき、シスカの頬にようやく緩みのようなものが見えた。2人は階段を3階まで登り、ロクが鉄製のドアを開けた。先にシスカが玄関を入り帽子を取る。続いてロクが入ってドアのカギを降ろした。その瞬間だった。待っていたようにシスカが行動を起こしたのだ。

 シスカの柔らかい体はロクの腕の中にあった。シスカは静かにゆっくりと、そして大きく呼吸をしていた。体温が伝わってくる。ロクにはシスカを抱きしめた経験が数え切れないほどある。混乱したシスカは、時には石の様に硬く強張り、時には泣き声を上げ、鼻水やよだれを垂らし、喚き、震え、時には暴力も振るった。だが、今は強張るでもなく、泣き声を上げるでもなく、震えるでもなく、ただロクにしがみついている。ロクよりも上背があるシスカは、前にかがみになって顎をロクの肩に乗せていて、その暖かい息がロクのうなじをそっとかすめる。ほとんど白に近いプラチナの髪が顔に触れる。シスカの微かな体臭が感じられる。ロクは思わず両手をシスカの背中に回し、力を込めた。シスカの1対の乳房がより一層はっきりと感じられる。ロクが力を弛めようとしたその瞬間、シスカは肩に乗せていた顎を上げ、ロクの正面に顔を回すと、その唇をロクの唇に合わせた。激しい口づけになった。シスカの舌がまるで別の生き物のように入り込んでくる。それに答えようとしたロクは、意識の中にナオミの影が浮かび上がってくるのを感じた。難民たちの中にシスカを見つけた時、シスカに触れようとして指を激しく咬まれた時、シスカを引き取りたいと打ち明けてきた時、それに反対した自分を激しく罵った時、シスカの手を曳いて気まずそうに自分の前に立った時、その時々のナオミの顔が浮かびあがる。ロクは自分の欲望に最大限の制御をかけ、シスカの頬を押さえて唇を離した。
「勘弁してくれよ・・・」ロクは優しくそう呟くとシスカの体を離し、自分との距離を取った。
「ごめん・・・」シスカは放心したような顔でそう言うと、ロクに背を向けダイニングキッチンへ向かった。
 玄関でそれを見送ったロクは自分の寝室に入り、ゆったりとした部屋着に着替えて心を落ち着かせた。そしてユーティリティーで顔や手を洗いうがいを済ませてから、ダイニングキッチンに顔を出した。
 シスカはダイニングテーブルの椅子に腰掛けていた。コートは隣の椅子の背にかけられている。
「おかえり」ロクは努めて平静を装って声を出した。
「ただいま」シスカがはにかみながら答えた。
「大変だったな・・・。疲れたろう?少し眠るか?」ロクはようやく労いの言葉をかけることができた。
「ううん」シスカは顔を左右に振った。「大丈夫。話したいことがたくさんあるんだ。今、眠ってなんかいられない」シスカの声が強くなった。
「そうだな。俺も聞きたいことが山ほどある。どこかへ食事に行くか?それとも・・・」全部を言い終わる前にシスカが言葉を被せた。
「家で食べたい。誰にも邪魔されたくないんだ」
「わかった。じゃぁ、食事の支度をしながらでいいか?材料はたっぷりと揃えてある。酒もな」ロクは最後の部分に力を込めた。
「そうしよう!何を作る?」シスカの顔に笑顔が戻ってきた。2人は並んで冷蔵庫を覗き込んだ。
 夕食を作りながらシスカは話し始めた。最初から順を追って、正確に少しずつ、ロクは要所要所で的確に質問を挟み、バラバラになりそうな話を纏めて行った。オルガで何が起こったのか、拉致されてからどうなったのか、話はシスカの生い立ちの話や家族の話にまで及んだ。それは長い長い話になって、夕食の支度が終わり、入浴のためのインターバルを取り、ゆっくりと食事を終えても、まだ尽きなかった。夜が更け、そして夜明けがやって来た。
 そしてその日、ロクはシスカとのフライトチームを解消した。そしてシスカにパイロットの資格を取るように命令した。精神に大きな問題を抱えていたシスカは、パイロット資格条項の規定を満たせず、パイロットになることはできない。パイロットになるためには治療を受け、精神的に抱えている問題をクリアする必要があった。ロクはここ最近のシスカの言動から、この問題はすでにクリアできている可能性が高いと判断していた。大学病院の診察の予約はすでに取ってあった。診察を受け、パイロット資格条項を満たすことが当面のシスカの任務であり、その次の任務は資格試験に合格することだ。その任務を全うするまでこの家に帰ってくるな。ロクはそう宣言した。
 シスカは別のパイロットとチームを組んで仕事を再開し、日常生活は友人のアツコとの共同生活に戻った。そしてスケジュール通り大学病院で診察を受け、パイロット資格条項をクリアし、受験資格を得た。シスカは整備士だったが飛行経験は豊富だったし、飛行に関する専門的な知識も問題の無いレベルだった。だから、実技試験をクリアし、パイロットの資格を得るまでにそんなに長い期間は必要なかった。だがシスカが合格の通知を受け取った時、その喜びを一番に伝えたい相手は身近にはいなかった。



 AW289は設定された高度いっぱいで巡航している。
 このAW289型ヘリコプターはやや旧式に分類され、アビオニクスも新型に比べると見劣りがする。だが初飛行以来発生したバグを1つ1つ潰して得られた、いわゆる涸れたメカニズムは、最新の機種では得られない、一種の信頼感をもたらしてる。ロクはパイロットとして機種を選り好みできる立場にはなかったが、こんな辺境でこの機種に当たったことに幸運を感じていた。キタカタでも乗務していた機種であり、癖さえつかめば操縦桿もしっくりと手に馴染んだ。
 ロクはゆっくりと進行方向を見渡した。キャノピーの外はどちらを向いても見渡す限りすべてが砂漠だ。それはある意味洗練された砂色の美しい世界だったが、高温、細かい砂、気まぐれな砂嵐、すべての環境は劣悪だった。だがそんな環境の中、フライトは微妙なバランスを保ちながら順調に推移している。今のところは、という但し書き付ではあるが・・・。気温が相当に高いため空気の密度が低く、設定通りの高度を維持するためには、いつも以上に神経を使う。ロクはコ・パイロット席に座っているキャシーにチラリと目をやった。キャシーはそれに気づくと瞬間的に笑みを浮かべたが、またすぐに見張り業務に戻った。
 キャシーはここへ赴任してからコンビを組んだ整備士で、いっしょに飛び始めて3年になる。年齢は33、明るくて仕事熱心だが、コンビを組んだ頃はまだ経験が浅く、整備士としての技量はいまいちだった。だが意欲的で吸収が早く、まるで乾燥した海綿体の様に知識と経験を吸収し、ロクと組んで3年で優秀な整備士に成長した。ロクは優秀な教官でもあった。
「どうだ?順調か?」ロクはキャシーの亜麻色のお下げ髪に声をかけた。
「はい。問題ありません」キャシーはロクに背を向けたまま答えた。見張りに余念が無い様子だ。
「だったらいい。最初はどうなるかと思ったけどな」
「機体じゃなくて私のことですか?だったらいろいろ問題はあります。けど何とかなっていますか?」キャシーは振り向き、透き通るようなブルーの瞳をロクに向けた。
 ロクは虚を突かれたように一瞬たじろいだが、「期待通りの働きができているよ」そう言って、すぐに前方へ視線を戻した。キャシーは満足そうな顔になってまた見張り業務に戻った。彼女の瞳のブルーはシスカの左の瞳とよく似ていた。
 間もなく進行方向に背の高い櫓が見えてきた。新しく開発が始まった油田で、そこが目的地だ。ロクは指でその方向を指し示し、キャシーに合図を送った。キャシーはホッとしたように頷くと、マイクのスイッチを入れ無線交信を始めた。AW289は、いつものように左から回り込み、一旦ホバリングしてからスムーズに着陸した。
 積んでいた荷物を降ろすともう夕方だった。機体を格納庫に入れチェックを済ませると、キャシーを先に宿舎に向かわせた。ロクはキャシーの背中を見送ってから現地本部と連絡を取り、報告と翌日のスケジュールについて打ち合わせをした。それからキャプテンシートで日報を記載する。ロクはいつもそうやってゆっくりとパイロットモードから休息モードへと自分の神経を切り替えた。シスカが相棒だった時は、彼女はその間コ・パイロット席に座って待っていた。そして大概2人で並んで引き上げた。
 日報を書き終えたロクは格納庫を出るとヘリポートの脇を抜けて宿舎へ向かって歩きはじめるた。夕日が彼方の砂丘に近づき、徐々に大気が赤く染まり始める。夜間のエリア外への外出が禁止されているイルマの町の住人であったロクは、条件反射的に早足になった。
 宿舎までの通路はパイプラインに沿って続いている。ロクはそのパイプラインの点検用ステップの上にキャシーが座っているのに気が付いた。待っていたのか?そういう感じが見て取れたので、ロクは声をかけた。
「キャシー。先に戻っていいんだぞ。明日も早朝からフライトだし」
「キタハラさん」キャシーはロクのことを名字で呼んでいる。「ちょっと、お話させていただいてかまいませんか?」
「かまわないが・・・なんだ?」
「キタハラさんはサイトを出て行かれるつもりなんですか?」
「その話、どこで聞いた?」ロクは驚いて声を荒げた。
「うちのサイトでは有名な話ですよ。けっこう流れてます」キャシーは慣れている様子で平然と答える。
「そうか、ここは何も無いところだから、秘密というものは存在できないのかもしれないな。どんな重要な秘密でもダダ漏れだ」
「じゃあ・・・」キャシーはロクの顔を伺った。
「ああ、出て行こうと思っている。人事に話を付けたから、間もなく辞令が出るだろう。君も一人前に育ったから、俺の下にずっと付いていることもない」
「でも・・・」キャシーは言い淀んだ。
「大丈夫だ。心配することはない。君はもう充分な技術と経験を持った一人前の整備士だ。新しいパートナーのこともちゃんと考えてある」
「ありがとうございます」キャシーは力なく礼を言った。「それでイルマに戻られるんですか?」
「いや、当面戻るつもりは無い」ロクは当然の事のように返事をした。
「え?じゃぁ、どちらへ?」
「北極だ」
「北極!」透き通るようなブルーの瞳が大きく見開かれる。
「そうだ。イオナイオラのサイトへ向かうつもりだ」イオナイオラは数年前、極北に設置された最も新しいサイトだ。
「どうしてイオナイオラなんですか?」
「イオナイオラは慢性的な人手不足だ。希望すればまず100%認められる。それでだ」
「そうじゃなくて・・・」キャシーは少し苛ついたように言った。「キタハラさんご家族は?・・・あ、すみません、立ち入りすぎていたらお答えいただかなくて結構です。話を終わりにしますから」
「いや、かまわないが、君はこういう話を避けているとずっと思っていた」
「ですね。避けていたんですが、今はちょっと・・・」
「そうか」ロクは少し微笑んで続けた。「一度は結婚したんだがな」
「した?」
「ああ、だがもう妻は死んでしまった・・・」
「そう、ですか・・・お子さんは?」
「娘が1人」ポツリとロクが答える。
「娘さんは心配されてません?」
「さあ、どうだろうな・・・。聞いたことはない。娘はもう一人前だし、お互いに独立して生活している。前に会ったのはもう5年も前だ」
「そうですか・・・」沈黙が続いた。
 ロクは質問を促されているように感じて口を開いた。「こっちこそ立ち入ったことを聞いて悪いが、キャシー、君は結婚しているのか?」
 キャシーは自嘲するように顔を歪めてから「キタハラさんと同じです」と言った。「ダンナはまだ生きていますけど・・・」そう続けた声は残念そうにも聞こえた。
「そうか。子供は?」
「いません。私にとってはまだそこが救いですけど・・・」
「そういうものかな」
「子供は嫌いです・・・」その声は本音とは思えなかった。
 キャシーは話を続けた。「私は3年間キタハラさんとコンビを組ませてもらって、キタハラさんのことをとても尊敬しています。そして素敵な方だと思っています」
「それはありがとう。だが・・・」ロクに顔は一瞬揺るんだが、すくに硬くなった。
「あ、黙って聞いてください。その、なんていうか、愛の告白じゃありませんから」キャシーはロクの発言を押さえ込むように付け加えた。
 ロクは“愛”という言葉に少し驚いたが、黙って続きを促した。
「キタハラさんにはちゃんと決まった人がいて、もう私が入り込む余地はないんだろうなって、そんな感じがするんです。だからそういう話ではありません」
「どう感じようと君の自由だが?」
「すみません。支離滅裂ですよね。ちゃんと本題をお話しします」キャシーはそこで一度大きく息を吸い込んだ。そして覚悟を決めたように言った。「私もご一緒していいですか?」
「どういうことだ?」
「私もイオナイオラへついて行ってもいいですか?つまりキタハラさんとのチームを続けさせてほしいということです。いけませんか?希望すればまず100%認められるんでしょ?」キャシーの言葉は挑みかかるように響く。
 ロクはキャシーの真意を測りかねて黙っていた。
「せっかく仕事を覚えてやりがいを感じ始めてきたところです。このままキタハラさんの下でキャリアを積みたいです。私には家族と呼べるものはないので、どこへ行っても平気です。キタハラさんは私が邪魔ですか?」キャシーはさらに食い下がる。
 ロクはすぐには返事をせずにキャシーをじっと見つめた。キャシーも負けずに見つめ返す。ロクの脳裏を極北の厳しい風景がかすめた。
「やっぱり・・・」キャシーが言葉を続けようとしたがロクの携帯の呼び出し音がそれを遮った。
 発信者を確認すると「悪い」ロクはキャシーに詫びを入れ、着信ボタンを押した。「もしもし」
「緊急事態だ!」クラモチの濁声が響いた。クラモチは以前ロクが一緒に仕事をしていた海洋調査会社のプロジェクトリーダーだ。今でもシスカは奴の現場で仕事をしているはずだ。
「シスカに何かあったのか?」嫌な予感を感じてロクの声に力が入った。
 クラモチは要領よく要点だけを伝えた。短い通話だったが深刻さはキャシーにも伝わったようだ。
 通話を終えると「娘さんのことですか?」キャシーが訊いた。
「ああ、燃料切れの時間になっても目的地に着かないそうだ」
「娘さんもパイロットなんですか?」
「ああ、俺達と同類だ。ヘリに乗っている」
「それじゃ、すぐに行ってあげないと」
「俺が駆けつけてもどうにもなるもんじゃない。それに俺が今ここを抜けるわけには・・・」
「行ってあげてください!どうにかなるかなんて分からないけど、なるべく近くに居てあげて!それが親であるあなたの務めでしょう?」キャシーの声は大きくなった。
「まだ落ちたって決まったわけじゃない。どこかに上手く降りているかもしれない。あいつは腕のいいパイロットだし、腕のいい整備士でもある」
「でも・・・」
 再度ロクの携帯の呼び出し音が鳴る。今度はサイトの本部からの電話だった。背を向けて短い通話を終えると、ロクはキャシーに向き直った。
「本部からも同じ連絡があった。本部はすぐに最寄りの空港へ向かえと言っている。クラモチの野郎、手を回したな。転勤や君のこともあるし、さてどうしたものかな」
「行ってあげてください!イオナイオラの事や私の事より、娘さんの無事を確認することの方が大切です」
「むう・・・」ロクは彼方の砂丘に沈もうとしている夕日の方に目をやった。彼方では砂が舞っているのだろうか、沈みゆく太陽はいっそう赤黒く、あたりの空気層までも同じ色に染め上げている。少しずつ光が弱まり始めた。ふと気が付くと、キャシーも同じように夕日を見つめている。僅かの時間、ロクは夕日に染まるキャシーの横顔を見つめていた。それは美しい横顔だった。
 大気の温度が下がり始める。2人は点検用ステップの上に並んで、弱まっていく光を受け入れている。今度はキャシーがロクの方を向いたが、2人の間に会話は無い。ロクはすでに結論を出していたし、キャシーにはそれが伝わっているようだった。太陽は徐々に砂丘の向こうに姿を隠し、やがて点になって消えた。赤黒く染まっていた大気は色を失い、世界に闇が訪れた。



 シンダで乗り継いだ飛行機はYeK40という26席の小型のジェット機だった。後部に3つの小さなジェットエンジンを備えたSTOL性に優れた機体だ。
 荒れた、あるいは未舗装の滑走路にも対応したランディングギアーを持ち、尾部にはタラップすら自前で装備している。砂利の、しかもデコボコの短い滑走路、タラップすらないエプロン、そんな超ローカル空港への飛行を想定した機体だ。
 シンダ空港では慌ただしい乗継だった上に、NETはおろか携帯電話も繋がらなかった。情報に飢えていたロクの苛立ちは増したが、どうしようもなかった。目的地のヌイシュは、広い国土を持つベクレラの中でも有数の僻地だ。海に面した町なので船で接近することはたやすいが、陸路で接近することは不可能に近い。海以外に残された接近方法は航空機だけというような土地だった。
 シスカのヘリコプターはそのヌイシュへ向かう途中消息を絶った。到着予定時刻になっても、燃料の切れる時刻になっても到着しなかった。だがシスカのことだ、きっとどこかに上手く着陸している。ロクはそう信じていたし、今のところそう信じる以外に精神を安定させる方法が無かった。またそう信じるための根拠もたくさん持ち合わせていた。万が一のことを考えるのはそうなってからでいい。ロクは肝を座らせた。
 飛行機が高度を下げ始めた。アナウンスも何もないが、間もなく着陸のようだ。窓の下に見えていた海はやがて無限に森林に変わり、飛行機は小さな町の上を通過する。ヌイシュの町だ。小さな漁村だったこの町は、天然ガスの開発のためのサテライトとして、ここ十数年で大きく発展した。着陸しようとしている飛行場もほんの数年前に開港したばかりで、1日に1便が就航している。町を過ぎるとすぐに辺りは深い森になり、その中に滑走路が拓かれている。飛行機は森の木々より高度を下げ、すぐに大きな衝撃が来た。なんとか滑走路に滑り込んだようだ。機体はガタガタと滑走を続け、やがて速度を落とすと停止した。砂ぼこりで窓の外も見えない。飛行機は滑走路の端で向きを変え、やはりガタガタと滑走路を逆走し、その脇に設けられた広場に入って行った。どうやらそこがエプロンのようだ。働かない客室乗務員が通路を後ろへ進み、タラップを降ろす。ほぼ満員の客は立ち上がって降りる準備を始めた。
 ロクはタラップを降りてエプロンに立った。イルマでは晩秋と呼ばれる季節だが、ここではもう氷点下だ。乾燥した冷たい風が吹き付けてくる。灼熱の砂漠都市からやって来た身には酷く堪える。ロクは慌てて防寒着を着込みながら、ここまで乗ってきた機体を見上げた。T字型の垂直尾翼の下には小さな3機のジェットエンジンが装備されている。30席クラスの小さな機体にしては多すぎるそのエンジンは、1機が故障して修理できなくても、そのまま2機のエンジンで引き返すためだと聞いたことがある。さもありなん・・・ロクは何もない空港の様子を眺めながらそんな感想を持った。
 係員が機体から荷物を下ろし始めた。どうやらここで受け取れと言うことらしい。ベクレラ東域のローカルルールのようだが、ロクは荷物を預けていなかったのでその場を離れた。ロクの荷物は慌ただしく出発したときに、身の回りの物を適当に詰め込んだショルダーバッグ1つだけだった。
 デコボコで雑草の生えたエプロンの端には急ごしらえのプレハブ小屋が建っていて、それがターミナルビルの役割を担っているようだ。ロクは係員に誘導されてその建物に入った。建物の中は到着ロビーらしきスペースになっていた。
 建物の中は、出発を待つ乗客や見送りの人々、到着した乗客を出迎える人々でそれなりに混雑していた。この町と外界が接続する一日に一度のイベントだ。人数は少ないがそれぞれにドラマがあるのだろう。
 空港にはヘリコプター会社の現地駐在員が出迎えてくれる手はずになっている。ロクはカードを持って立つ人々を見渡し、KITAHARAのカードを探した。その時、「キタハラ!」聞き覚えのある声を聞いたような気がしてロクは振り返った。『幻聴か?』ロクは視線を彷徨わせる。「キタハラ!こっちだ」また声がしてその方向に顔を向けると、そこに見覚えのある顔があった。
 プラチナの髪、白い肌、形の良い鼻、引き結んだ口元、そして透き通るようなブルーと焦げ茶のオッドアイ、暫くの間その顔を見つめてから「シスカか?」ようやくロクが声を出した。確かにシスカだ。シスカは照れくさそうに微笑んだ。
 横にはKITAHARAのカードをもった男が立っている。ロクは腑抜けの様にその男の方を向いて「どうなってるんだ?」と訊いた。
「キタハラさんですか?」男は笑顔を見せるとまずロクを確認した。ロクが頷くと、「私はヌイシュ駐在のアシダと申します。どうぞよろしく」と自己紹介した。
「こちらこそ・・・」ロクはキツネにつままれた様な顔でシスカを見ながら、半分上の空で応えた。アシダと名乗った男は手元の書類を確認し「お疲れでしょうからまずホテルへ向かいましょう。事情はホテルへの道々でお話します。車はこちらです」と告げ、先に立って歩き出した。
 ロクはまだ放心状態で突っ立っていたが、「行こう!」とシスカに促され、ようやく歩き出した。ロクはそのシスカにちゃんと足が付いていることを確認した。
 車が動き始めるとハンドルを握ったアシダが事の成り行きを説明した。それによると、シスカが操縦するヘリコプターは電気系統のトラブルで動力を失い、オートローテーション操作でなんとか川沿いの開けたスペースに不時着したということだった。トラブルが電気系統だったために無線も使えず、行方不明のまま数日を過ごすことになったらしい。昨日ようやく捜索のヘリコプターに発見され、数時間前にここヌイシュに着いたところだということだった。
 ロクは真剣な顔で事情の説明を受けていたが、途中からはシスカを睨み付ける顔になった。シスカは覚悟をしていたらしく、神妙に説明が終わるのを待っている。
「お前らしくないな」ロクは説明が終わると開口一番そう言った。「ごめん・・・なさい」シスカは俯いて詫びを言った。アシダはその様子をミラー越しに見ていたが、続けて業務上の連絡を行い、そしてこれからの予定を告げた。「お二人にはとりあえずホテルに入っていただきます。2部屋お取りしたかったのですが、けっこう混み合ってましてね。ツインベッドルームのスウィートを1部屋確保するのがやっとでした。ま、親子ですからよろしいですよね?」
 ロクとシスカは顔を見合わせた。そしてアシダの方を向いて同時に頷いた。
「ありがとうございます」アシダはミラー越しに礼を言った。「シスカさんからは5年ぶりの再会だと聞いています。ゆっくりと近況などをお話しなすってください。明朝9時にお迎えに上がります。本社への報告はそれからということにしましょう」そして最後に付け加えた。「あ、それからNETと携帯はここでは繋がりませんから」
 ヌイシュの町はほとんど2階建ての建物で構成されていて、大きな建物はほとんどない。しかも四角い箱の様な実用的な建物ばかりが並んでいる。それは開発当初のマサゴの町を彷彿とさせる風景だった。ロクはナオミと出会ったころのマサゴの町の様子を思い出していた。『雰囲気が今のシスカと似ているのか・・・』ロクは窓の外を眺めているシスカを見ながらそう思った。それはロクの若いころのほんのり甘い記憶と重なった。
 間もなくホテルらしき建物が見え始めた。
 やはりそれはホテルで、車を降りると2人はアシダについてロビーに入った。フロントでの手続きを見守っていたアシダはサインを終えたロクに「では明朝9時にロビーから電話を入れます。もちろん部屋の電話にですが・・・」と告げると帰って行った。ロクもシスカも荷物はほとんど無かったのでボーイは手持ちぶさただったが、とりあえず部屋へ案内してくれた。一通りの説明を終えたボーイにロクはチップを渡した。
「ありがとうございます。どうぞごゆっくりお過ごしください」ボーイは笑顔でそれを受け取ると部屋を出てドアを閉めた。クローゼットの前に静かに佇んでいたシスカは、閉まったドアを背にする位置に移動し、後ろ手に鍵を閉めた。



 ロクは目を瞑ったまま大きく息を吐き出した。体には何も纏っていない。ただ柔らかい毛布だけが体を覆っている。キングサイズのベッドはロクの体を最適の堅さで受け止めている。左側に感じる質量はシスカのものだ。同じ毛布の中で、同じように何も纏わず、透き通るようなブルーと焦げ茶のオッドアイでじっとこちらを見つめているのだろう。強い視線の気配に加えて、穏やかだが熱い呼気、そして微かな体臭まで感じられる。
 シスカに応えられないのではないか?そういう心配は必要なかった。それは目的を果たすには充分な形態を保った。そして激しいものになった。
 光による刺激を断った脳裏に一瞬ナオミの影が現れ、そして消えた。避難民救済センターで頭に触れようとしたナオミの指に激しく噛みついたシスカ。一瞬の出来事に驚くナオミ。滲み出し、滴り落ちる真っ赤な血。ナオミは何故シスカに目を留めたのだろう?ナオミは子供の生めない体だった。だからシスカを自分の子供にしたいと思ったのだろうか?ロクは今でも単純にそう考えることが出来ない。避難民救済センターでシスカを目にしたときからロクには予感があった。だから、ナオミがシスカを引き取りたいと言ってきたとき、強く反対したのだ。ロクはシスカを初めて見たとき強く引きつけられた。そして、その引きつけられ方に普通で無いものを感じ、シスカに近づくことを拒否したのだ。ナオミはシスカに何を求めたのだろう?それはこの世から彼女が居なくなってしまった今、確かめる術はない。
『ナオミ・・・お前の意思なのか・・・』ロクはそう唇を動かしたが、声は出なかった。
 ロクはゆっくりと目を開けた。そこにはやはりオッドアイがあった。じっとこちらを見つめている。そして少し微笑んで、ロクの耳元に口を近づけた。
「僕をお嫁さんにしてくれないか」シスカは確かにそう言った。
 ロクにとってそれは驚くべき提案であるはずだった。だが、それは今の段階で実際に口にされると、受け入れるべき提案のように思われた。それよりもロクにとってシスカが再び“僕”を使ったことの方が驚きだった。
「僕?」ロクはシスカの目を覗き込みながら呟いた。
「ううん・・・わたし」シスカは何でも無いという様子で訂正した。そして・・・。
「わたしをお嫁さんにしてくれないか」と繰り返した。
「・・・」ロクは静かにシスカを見つめている。
「わたしは危険物だ。だから熟知した者が取り扱わないととても危険なんだ・・・」頬にプラチナブロンドの髪が降りかかる。
 シスカが唇を合わせた。
 ロクはプラチナの髪を両手で包み込んだ。
 それは合意の合図だった。だが、ロクにはこのままシスカとの生活を続けられないだろうという予感があった。
 一瞬、極北の厳しい風景が脳裏をかすめた。

2016.02.17

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20000HIT記念リクエスト第一弾です。

 今夜は「オート・ローテーション」をUPします。
 この作品は「Debris circus」20000HIT記念イベントでいただいたリクエストで書いたものです。
 リクエストをいただいたのは大海彩洋さんで、キャラクターリクエストとして「シスカ」、そしてお題は「キタハラとシスカがどんなふうに想いを実らせたのかってところ」・・・でした。
「シスカ」本編、そして「シスカ」サイドストーリーを読んでおられない方にはよく分からない作品になってしまっていると思いますが、これ以上は上手く書けませんでした。そして長くなってしまいました。お許しください。
 でもいくらなんでも不親切なので、登場人物の人間関係を簡単に書いておきます。

 まずシスカ。彼女は「シスカ」という物語の主人公です。幼いころ国境紛争に巻き込まれ親を失い、イルマ国の非難民救済センターに保護されます。そしてそこで出会ったのがキタハラ・ロク(このお話のロクです)と、キタハラ・ナオミ(このお話のナオミ)の夫婦です。ナオミはシスカを引き取ると言い出して、それに反対するロクと大喧嘩の末、2人は結局シスカの里親になることになります。
 シスカは2人の元で育てられますが、ナオミはシスカが21歳の頃亡くなっています。
 ロクはヘリコプターのパイロットです。シスカはロクの後を追ってへりコプターの整備士になり、本編の中ではチームを組んで飛んでいます。シスカはパイロットを希望したのですが、戦争のトラウマを抱え精神的に不安定な部分のあるシスカにはパイロット試験の受験資格がなかったのです。この件は今回のお話の中でも触れていますが、シスカの精神は回復していると診断されてパイロットを目指せることになり、その後パイロットになっています。
 キャシーも同じく整備士ですが、全く新しい登場人物で、本編には登場していません。
 クラモチ(チラッとだけ出てきます)は本編の中でシスカとロクが一緒に仕事をしていた海洋調査船のプロジェクトリーダーです。人使いの荒い大男です。
 アシダはチョイ役です。書き込めば面白そうですが・・・。

・・・と、ここまで書いてもまったく解説になってませんね。本編をお読みいただくのが一番いいのですが・・・何気にアピってみたものの、あまりお勧めはできません。

よろしければ下のリンクからお進みください。

オート・ローテーション

 あ、追記です。まだ煮詰まっていない部分(生煮え)がありそうなので、後で修正が入るかもです。あらかじめご了承ください。
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Cassie in the sky with ……

「ロク!大丈夫?視界はあるの?!」キャシーはマイクに向かって叫んだ。
「今のところ大丈夫だ。丁度ブリザードの隙間に入り込んだみたいだな」スピーカーからロクの声が飛び出してくる。キャシーの居る北極イオナイオラのサイトはブリザードの真っただ中にあった。 キャシーは今、見張り担当(ワッチ)として管制官と共に当直に当たっている。さらに今は緊急出動中なのでサイトのリーダーであるクリスが指揮を執り、サブリーダー達も詰めているので管制室は人でいっぱいだ。
 管制室は建物の中でも一番高い位置にあって、四方が窓になっている。滑走路やヘリポートが見渡せるように配慮されているのだが、サイト自体がブリザードの中にある現在の状態では、四方の窓の向こうには薄ら暗いホワイトアウトの世界が広がっているだけで、まったく意味をなさない。さらに不安を煽るように建物にぶつかる風が不気味な唸り声をあげる。建物には充分な強度が与えられているはずだが、それでも窓ガラスや構造物は軋み、その不安定な揺れと鈍い音がさらに不安を煽りたてる。
 もちろんヘリポートやエプロンに出ている機体は一つもない。全ての機体は格納庫の中に格納され、嵐が通り過ぎるのを待っている。ただ一機を除いては・・・。

 緊急事態は今朝から始まった。
「ロク、じゃあちょっと行ってくる」キャシーはベッドに居るロクに声をかけた。当直に入る時刻が迫っていた。素早く自分の部屋へ戻って着替える必要がある。
「ああ、俺だけが休暇で悪いな」ロクは申し訳なさそうに言った。
「しょうがないわ。順番だし。それにこれも仕事なんだから」キャシーは笑顔になってロクの方を見た。
 イオナイオラのサイトは結構自由な空気を持っていて、男性の部屋から女性が出てきても取り立てて咎められるようなことはない。お互い様ということもあるのだろう。その方面の事にはあえて触れない・・・そういう不文律が出来上がっている。全ては自己責任ということだ。それでもキャシーはドアからそっと顔を出して廊下に誰もいない事を確認してから、足音を忍ばせて自分の部屋へ戻った。そして大急ぎで作業服に着替え、何事もなかったように静かに管制室に顔を出すつもりだった。ところが、管制室は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
 管制室にはイオナイオラ・サイトに対する緊急出動要請が入っていた。急激に発達した低気圧による強風で、タグボートで曳航中だったリグの固定ロープが切れたということだった。曳航中のリグは嵐の影響を避けるため厳重に固定されていたのだが、嵐の規模が想定以上に大きかった。リグは漂流を始め、氷山と接触し浸水が始まった。取り残された作業員たちは懸命に排水作業を続けたが浸水に追いつかず、ついに脱出を決めたのだ。
 だが問題はどうやって救出するかだ。リグは流されて氷山に取り囲まれ、船による接近は無理だ。さらにこの強風の中、空からの救出なども自殺行為に思われた。ただちに関係者が招集され緊急事態の把握と対応が検討された。
 パイロットとして選ばれたのはこのサイトで一番のベテランであるロクだった。当然チームを組むキャシーは自分が参加できると思っていたが、レスキュー要員と要救護者を乗せると定員オーバーになってしまう。嵐の中では少しでも軽い方がいいということで、キャシーはバックアップに回ることになった。キャシーは行きたかったが、自分が参加することでリスクが増すと言われれば、強硬な主張はできなかった。
 メンバーはそれで何とか決定したが、出動できるかどうかの判断は微妙だった。キャシーから見ても飛行は困難に思えたし、リーダーのクリスも出動を見合わせる判断を下そうとした。
 だがロクが反対した。大丈夫だと言うのだ。
 ロクは天気図をモニターに表示させると、低気圧の予想進路のデータを示しながら救出作戦の行程を説明した。
「だが、低気圧の進路が予測より北だったら、あるいは速度が上がったらどうするんだ」クリスが問題点を指摘した。
「低気圧の方が速かったらイエローポイントのサイトへ向かう。進路が北にぶれたらサイアミのサイトへ向かう。それで問題はないはずだ」
「むう・・・」それは合理的な考えだったのでクリスたちは反論できない。
「もうほとんど時間が無い。遅れるとこの対応を取る余裕もなくなる。それに俺達が向かわないと、奴らを見殺しにすることになる」ロクは強く主張した。
「最悪の場合、救助を放棄してイエローポイントかサイアミに非難することを出発の条件にしたい。どうだ?」クリスが言った。
「俺はパイロットだ。冒険家やヒーローじゃない」ロクは口元に笑みを浮かべた。
 キャシーはロクを見つめる。ロクは『大丈夫だ』という表情で見つめ返した。
「よし!20分で用意しろ!風が強くなる前に出発だ」クリスが結論を出した。
「15分で用意します」整備士のキャシーが告げた。
「頼むぞ」ロクがキャシーの肩にポンと手を置いた。キャシーは肩に置かれたその手にそっと触れ、ロクの顔を見上げた。ロクはそれに答えて落ち着いた視線を返す・・・それだけだった。キャシーは立ち上がると管制室を飛び出し、格納庫へ急いだ。整備は万全にしておきたかった。

「ヘリポートを使えそうか?」クリスが確認する。石油採掘用のリグには採掘用の設備や居住施設の他に、ヘリポートが設けられているのが普通だ。
「今の状態なら、何とか使えそうだ。作業員が手を振っているのが見える。9人、いや10人だ」ロクが答える。
「全員だな」クリスが人数を確認した。
「気を付けて!ロク」横手からキャシーが声をかける。
「わかってる」ノイズの向こうからロクが返事をする。
 ロクが救援に向かった遭難現場では、まだ低気圧の影響は限定的なようだ。上手くいくことを願ってキャシーは小さくお祈りの言葉を口にした。生まれてこの方、神なんかに祈ったことはなかったのに。
「接近する」緊迫したロク声は、ノイズの向こうにさらに遠くなった。
 緊迫の時間が経過する。キャシーの緊張の糸が極限まで引き延ばされた時。
「着床した!」ロクの無線が入った。
「収容作業急げ!」無線はロクが指示する声まで拾い上げる。キャシーは胸の前で手を組んだ。『早く!早く!早く!』呪文のように繰り返す。
「収容作業終了。全員無事だ。離床する!」
 全員が固唾をのんで耳を澄ませる。
「高度が取れた」ロクの声がスピーカーから飛び出した。
 ドオッと歓声が起こった。いつの間にか管制室は人でいっぱいになり、廊下まで人で溢れていた。それだけの人間が一斉に歓声を上げたのだ。
 キャシーの目から熱い物が溢れ出た。キャシーは両手の袖で交互にそれを拭ったが、どう頑張ってもそれを隠すことはできなかった。
 クリスがポンと肩を叩いてくれた。キャシーの顔は余計にグシャグシャになった。
「低気圧の野郎、ちょっと速いようだ。イエローポイントへ向かいたい。どうだ?クリス、その判断で?」
「ちょっと待て」クリスはモニターを覗き込んだ。周りにサブリーダーと管制官を集めて少しの時間話し込む。
「OKだ。それで行こう。イエローポイントへ向かってくれ」
「了解。イエローポイントへ向かう」復唱してからロクは続けた。
「ところでキャシーは居るか?」ロクの声に全員が黙り込む。キャシーがマイクの前に押し出された。
「なに?」キャシーは愛想悪く答える。
「ちょっと帰りが遅くなる。その間仕事にあぶれるが、我慢してくれ」
「了解、その間ゆっくりさせてもらうわ」キャシーの声は優しさを増し・・・。
「通信終わり!また連絡する」ロクの声は明るさを取りもどしていた。
 だが、それが最後の通信になった。



 ヘリコプターは燃料切れの時刻になっても、イエローポイントに到着しなかった。翌日ブリザードが去ってから、捜索隊が不時着したヘリコプターを発見し、要救護者を収容した。
 不幸中の幸いと言うべきだろう、犠牲者は1人で済み、この遭難の状況にしては生存率は非常に高かった。漂流したリグは作業員達が脱出した後、北極海に没していたから、脱出できなければ全員が助からなかっただろう。事態はそれほど切迫していた。
 犠牲者はヘリコプターのパイロットだった。最後まで操縦をしていたため、安全姿勢をとることが出来なかったのだ。彼は収容された病院で死亡し、その最期は彼のチームメイトが看取った。彼の配偶者が駆けつけたが間に合わなかった。
 不時着の原因は明らかになっていない。


2016.02.21
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絵夢の素敵な日常(初めての音) Augsburgその後

scriviamo!

 翼を広げた黒い双頭鷲の紋章と2つのミントグリーンのタマネギ型の塔を備えるアウクスブルク市庁舎を眺めながら、ヤスミン・レーマンはカフェのテーブル席の椅子に腰掛け、コーンに盛られたアイスにとりかかった。春は本番になっていたが、アイスクリームを食べるにはまだ少し肌寒い。だが、チョコチップ入りのミントアイスは彼女の一番のお氣に入りだし、日の差し込むこの席なら問題はない。なにをさておいても今日はそんな気分だった。
 ヤスミンはこの町の劇団カーター・マレーシュに、ほとんどボランティアとして参加しているメイクアップ・アーティストだ。小さな劇団の常だか、彼女は広報の担当も兼ねていて、本業の美容師の仕事の合間を縫って、キャストのメイクアップと、広報活動やそれに含まれる協賛金集めにも飛び回っている。
 ショートの豊かな巻き毛、大きく黒い双眸、そして濃い眉、彼女の持つエキゾチックな顔立ちは、彼女の実務的だが暖かい性格と相まって、劇団の役者たちを差し置いて協賛金集めに効果を発揮した。
 そして今日は大きな協賛金を受けることに成功し、その充足感に浸りながら自分へのご褒美を頬張っていた。ヤスミンはビジネスでもプライベートでも満足のいく結果が出せた時には、いつも自分へのご褒美としてミントアイス、それもチョコチップがいっぱい入ったやつを食べることにしていた。

***

 ホテルの部屋にまで通されるとは思っていなかったので、ヤスミンはよけいに緊張していた。世界的に有名な名家のお嬢様が今日のヤスミンの交渉相手だった。芸術に造詣が深く、いろいろな方面の芸術家や団体を支援する財団の理事だと聞いている。どんな人間だろう?こういう交渉には慣れているはずのヤスミンだが、世界的に有名な名家のお嬢様と聞かされると、緊張を抑えることは難しかった。
 ドアを開けてくれた女性はヤスミンの身分を確認してから「こちらへ」と廊下の先へと案内した。ヤスミンはホテルのスイートルームなど利用したことはなかったので、辺りを見回しながら廊下を進んだ。
「ヤスミン・レーマンさんがお見えになりました」女性がドアをノックして声をかけると「どうぞ」と優しい声が答える。
「お入りください」女性がドアを開ける。
「失礼します」ヤスミンはさらに緊張しながら部屋に入った。そこは広いリビングルームで、大きな窓の向こうにはミュンヘンの町並みが広がっている。
「こんにちは、レーマンさん」正面に髪の長い東洋人の女性がまっすぐに立っていて、にこやかに頬笑んでいた。
「始めまして、ヤスミン・レーマンです。お会いできて光栄です」ヤスミンの声は硬くなった。
「絵夢・ヴィンデミアトリックスです。こちらこそよろしく。ヤスミンとお呼びしてよろしいかしら?」握手を交わしながら、黒い瞳が覗き込んでくる。
「はい」ヤスミンは頬が赤くなるのを感じながら答えた。
「私のことはエムと呼んでください。ヤスミン」
「はい」ヤスミンは返事をしたが、絵夢はまだ覗き込んだままだ。
 ヤスミンはようやく「はい・・・エム」と返事を返した。
 絵夢は満面に笑みを浮かべると「どうぞ」とソファーを進め、自分もヤスミンの向かいに座った。
「なにかお飲みになる?ヤスミン。コーヒー、紅茶、ジュース、何なりとどうぞ。日本茶もありますよ」絵夢がまず訊いた。
「あの、それではコーヒーを・・・」
「熱い方でいい?」絵夢の声は親しみを帯びる。
「お願いします」ヤスミンは落ち着きを取り戻しつつあった。
「コズミ、私も同じものを」絵夢は部屋の隅で待機していた女性に声をかける。
「畏まりました」コズミと呼ばれた女性はそう言って軽く頭を下げると部屋を辞した。
 交渉はスムーズに進んだ。ヤスミンはいつものように『カーター・マレーシュ』がいかに優秀な俳優陣とスタッフに恵まれた劇団で、積極的に新たな試みに挑戦してきたかということを述べ、さらに劇団の将来性ならびに窮乏を訴え、協賛金がどれほどありがたいかを切々と訴えた。
 絵夢は充分な下調べを済ませていたらしく、随所で的確な質問を挟んだ。そして「実は実際に舞台も拝見したんですよ」と悪戯っぽく笑った。
「え?アウクスブルクの劇場までいらしたんですか?」ヤスミンの声は少し裏返った。
「もちろん!とっても面白かったわ。でも、ヤスミンは出てなかったんじゃないかしら?」絵夢は微かに首を傾ける。
「ええ、私は役者じゃないんです。広報担当も兼ねてますけど、正式には劇団のメイクアップ・アーティストです」
「そうなの!じゃぁ、あの緑の宇宙人たちのメイクはヤスミンの作品?」絵夢の目は大きく見開かれる。
「そういうことになります」ヤスミンは絵夢の反応に驚きながら答えた。
「そうなんだ。凄くリアリティーがあるのに、やり過ぎでなくて、とてもコミカルだったわ。あなたはとても才能に恵まれている」暖かい瞳がヤスミンを捕える。
「ありがとう。エム」2人の会話はいつの間にか旧知の友人のそれに変化していた。短い時間だったが会話は弾み、ヤスミンは新しい友人が増えたような気持ちになった。実際、絵夢はこれからも友人として交際させてほしいと言い「これは社交辞令で言っているのではなくって、私の本当の気持ちなの」と付け加えた。そして少なくない額の協賛金を約束してくれた。
 ヤスミンは“友人として・・・”の話を全面的に信じたわけではなかったが、絵夢の気持ちは素直に受け取ることにした。そして前向きな、暖かい気持ちになって絵夢の部屋を後にした。ご褒美のチョコチップ入りミントアイスを頬張る自分を想像しながら。

***

「あら、あれはハンス・ガイテルよね」ミントアイスを食べ終えようとしていたヤスミンは、壁際の席に座っている男を見てと独り言を言った。ハンス・フリードリヒ・ガイテルはミュンヘンに本拠地を置くオペラ劇団の演出家だ。ヤスミンが所属する劇団カーター・マレーシュよりずっと規模も大きくて、全国規模で評判も高い。アウクスブルクでは1月に公演があったばかりだが、また今月にも公演があるはずだ。その準備でこの町に滞在しているのだろう。彼とは会合で何回か会って話をしたことがあるだけだが、ヤスミンは記憶力には自信がある。彼に間違いない。
 彼の向かいにはショートカットの女性が座っている。『オペラの歌い手かな?東洋人みたいだけど』記憶の中をまさぐっていたヤスミンは、ようやく目的の物を探し当てた。『そうそう、彼女、ミク・エストレーラ、そんな名前だった。1月の公演でヴォツェックのマリーを演じて結構評判が良かったんだ。確か初めてのプリマ・ドンナだったはずだ。でも今度の公演の配役には載ってなかったみたいだけど』
 その新進のプリマ・ドンナと新鋭の演出家の2人は深刻な表情で何事かを話し合っている。声をかけられるような雰囲気ではないな、ヤスミンはそう判断した。
 今まで意識していなかったから話の詳しい内容までは分からなかったが、ところどころ漏れ聞こえてきた内容からある程度成行きが想像できる。『どうしたんだろう?』ヤスミンはなるべく目立たないように注意しながら耳の感度を上げ、斜めの視線をそちらに向けた。幸い店の中は静かだった。



「ハンス、あなたがもし・・・その・・・」言いよどんだミクは覚悟を決めたように顔をあげた。「今以上の関係を望んでおられるのなら、わたしはそれに応えることができません。ですからこのお守りも・・・」と、ポケットに入れた手を出そうとした。
 ハンスは“皆まで言うな”という風にミクの言葉を手で遮り、暫くの沈黙を作り出してから喋りはじめた。「ああ・・・もしもだ・・・もし君の言っている“今以上”というものが“恋人同士の関係”を指しているのなら、僕にそのつもりが無かったというのは嘘になる。僕は単純に、いや純粋に君に好意を持っている。だからそういう感情を抱き始めていたとしても、それは当然だろう?」
「でも・・・」ミクの顔はまた下を向いてしまった。
「つまりは、僕はふられたということなのかな?」ハンスは静かに言った。
 ミクが考えをまとめるために少しの間が必要だった。「ハンス、わたしはあなたをとても尊敬しています。そして、あなたの演出で色々な舞台に立ちたいと思っています。ですからここへ来たんです。でも、わたしは自分の願いは叶えたいのに、あなたの願いを叶えることができない。わたしはそれをとても申し訳なく思っています。ですから、わたしの願いを叶えるかどうかはあなたにお任せします」ミクはここまでを一気に喋ると、静かにハンスの返事を待った。
 ハンスは長い沈黙を挟んで話し始めた。「ずるいな!ミク。いくら自分の願いが叶えられないからといって、君の才能を使える権利を放棄するなんてことを、僕ができないのは分かっているんだろう?せっかく手術が上手くいって気兼ねなく歌えるようになったんだ。僕は君の才能の全てを引き出してみたい。それは同時に僕の頭の中にあるイメージ世界を現実の中に創造することになるんだから。その願いが叶うなら、それ以上を望むのは欲張り過ぎなのかもしれないな」ハンスは苦しそうに続けた。「だが、そんな君の気持ちを受け止める奴は、もし居るとすればだが、いや、きっと居るんだろうね。そいつはいったいどんな奴なんだろう?その幸せ者の顔を見てみたいね」ハンスの言葉に微かにとげが含まれるのはやむを得ないだろう。
「受け止めてくれるかどうかは、まだわかりません」ミクは不安そうに答えた。
「なんだって?まだわからないって?それはどういう・・・?」
「まだ、わたしの気持ちの整理もついていないし・・・彼もどう思っているかよくわかりません。とても身近な人なのでかえって伝わらないというか・・・」
「身近な人か・・・」ハンスは思慮深い弁護士のような顔をした。「だが、その彼以外の気持ちを受けるつもりは無いんだろう?今のところ」
 ミクは頷いた。
「退路を断ったということかな?君らしいな」ハンスは暫くの間、黙ってミクの顔を見つめていたが、やがて満足げに頷いた。「わかった。君の申し出を受け入れよう。快くとは言えないが、僕の最も優先する願いのためだ、やむを得ない。そしてそういうことなら、役目を終えた僕のお守りは、回収しておいた方がいいのだろうか?」
 ミクはポケットから小さな箱をとりだした。そして両手でそれをそっと包み込むとハンスの方に差しだした。ハンスはその箱を受け取る。
「ありがとうございました」ミクは深く頭を下げた。
 ハンスはその日本式の礼に戸惑っていたが、やがて思い出したように「頭を上げてくれ、ミク」と言った。頭を上げたミクは滲んだ涙を両手でぬぐった。
「役に立ってよかった・・・」ハンスは努めて明るく言った。「だが、そのヴィンデミアトリックス家のお嬢さんと知り合いだったのは幸運だったね」



『ヴィンデミアトリックス!』ヤスミンは声をあげそうになって思わず口元を抑えた。『お嬢さんって、エムのこと?』ヤスミンの耳は益々感度を上げる。



「本当に偶然なんです。でも、わたしが日本を飛び出すきっかけを作ってくれたし、今度は声を守ってくれたし、人生の恩人です」
「それは言えるかもしれないな」
「でも、そんなことを言うと怒るんですよ」
「エムらしいな・・・」ハンスは遠い目で言った。



『やっぱりエムのことだ!』ヤスミンは思わぬ偶然に驚きながら、その気配を押さえ込んだ。



「ご存じなんですか?」
「実は僕が学生の時、ヴィンデミアトリックス家の創設した奨学金を受けたんだ。だからその財団の理事だった彼女には何度かあったことがある。綺麗な人だった。だから彼女に、エムに憧れのような物を抱いていた。いや、それ以上だったかもしれない。だから、君がそのエムの知り合いだと聞いて驚いたんだ」
「そうだったんですか」ミクは驚いた表情で言った。
「ところでミク、あとどれぐらい療養が必要なんだ?」
「はい、経過次第ですが、概ね3か月位は歌えません」
「じゃぁ、そのスケジュールで次の公演を予定しよう。演目について打ち合わせをしたいんだが、これから夕食でも取りながらどうかな?」ハンスはおどけた感じで片目をつぶった。
「はい、問題ありません」ミクは生真面目に答えた。
 2人は立ち上がると身支度を整え始めた。



 ヤスミンは慌てて彼らに背を向けた。この状況で自分の耳たぶがだんだん大きくなって、彼らの方を向いて行くのを阻止するのは難しかった。『だって、聞こえてしまうんだもの』ヤスミンは心の中で自分の好奇心に対して言い訳をした。
 そしてこの世界が思ったよりも狭い事に驚いていた。「こんな所にもエムがかかわってるんだ・・・」と今度は小さく口にした。
 2人はレジの前で支払いに関して揉めているようだったが、結局ここはミクが支払うことで落ち着いたようだった。
 支払いを終えてからハンスが冗談を言ったのだろう、2人は少しの間笑い合ってから店を出て、マクシミリアン博物館の方へ並んで歩き始めた。
「あ!遅れちゃう」ペルラッハ塔の時計を見たヤスミンはあわてて身支度を始めた。

2016.02.29
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20000HIT記念リクエスト第二弾です。

今夜は20000 HIT企画の第二弾をUPします。そしてこの作品は八少女 夕さんのところで企画されている「scriviamo! 2016」の参加作品でもあります。

20000 HIT企画のリクエストをいただいたのはTOM-Fさんで、サキのオリキャラの指定は「絵夢」、お題はおまかせしますということでした。
TOM-Fさん、夕さん、制作過程の関係で2つの企画を重ねた作品になってしまいましたが、どちらの企画にも一生懸命対応したつもりですので、どうぞお許しください。

TOM-Fさんは「久しぶりに絵夢に会いたいなぁ・・・」とおっしゃっていました。少しだけの登場ですが、楽しんでいただけると嬉しいです。
そして、この作品は「scriviamo! 2016」の締切直前の参加になってしまいます。夕さん、ほとんどを返し終わってホッとされているところに申し訳ありませんが、よろしくお願いします。
矢継ぎ早に提出される作品にどんどんレシーブ、或いはリターンされていく夕さんの事ですから、心配する必要は無いとは思いますが・・・。

そして、実はこの作品と前作「絵夢の素敵な日常(初めての音)Augsburg」の間にもう一つ掌編が挟まりますが、今回はそれを飛ばして発表しています。
ですからその掌編がどのような展開になっても大丈夫なように、この作品には表裏2つのバージョンが存在していました。でも今回その裏バージョンは没にしています。サキの心情として採用できませんでした。
表バージョンだとこの後の展開が難しくなりますが、まぁなんとかなるでしょう。夕さんが何とかしてくださると嬉しいのですが・・・。

それでは絵夢の活躍をお楽しみください。下のリンクからどうぞ・・・。

絵夢の素敵な日常(初めての音)Augsburgその後
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こんにちは!サーカスへようこそ! 二人の左紀、サキと先が共同でブログを作っています。
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