Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

アモルファシア

[Stella 12月号]参加作品 読み切り・掌編 Stella/s


アモルファシア

 熱いお湯がたっぷりと出る金色に輝くシャワー。今日は体が火照るまで浴びよう。
 綺麗な瓶に入った上品な香りのするシャンプーやボディーソープ。今日はたっぷり泡立てて気兼ねなく使おう。久しぶりにコンディショナーも使おう。
 ふわふわの大きなバスタオル。今日は贅沢に2枚使おう。
 風量のある大きなドライヤー。それを優雅に使って髪をフワリと乾かそう。
 ここは私にとって彼と過ごすことのできる特別な場所、そして彼と過ごすことのできる特別な時間。ここに居る間だけ私は私でなくなる。
 でも、今日はもうお終い。
 またいつもの私に戻る時間。
 遙か成層圏にまで押し上げられた私の心は今ゆっくりと地上に帰還し、着地しようとして……まだためらっている。
 もう少し……躊躇する自分の裸を浴室の大きな鏡の中に置いたまま、ギュッと目を瞑ると思い切ってクルリと体を壁の方に廻す。そのまま手探りで下着を身に付け(本当は薄く目を開けているんだけど)、今の気持ちにそぐわない地味目の服を急いで着込んで、また鏡の方へクルリと向き直ってそっと目を開ける。
 そして、鏡の中にいつものみすぼらしい引っ込み思案の自分を見つけた時、私の心は着地を終えている。
 私はその気持が変わらないうちに大急ぎで髪と洋服を整えると、大股でこの宿にたった1つだけあるスウィートルームを出た。

 この町の建物はすべからく実用的で、箱に四角い穴を開けてそれをそのまま並べただけの様な、味も素っ気も無い町並みが拡がっている。だが今私のいる建物は元々市の迎賓館として建てられたもので、財政の許す限り精一杯の贅沢が施されている。さっきまで私がいた3階のスウィートルーム、1・2階にかけての吹き抜け、吹き抜けの2階を巡る回廊から1階のホールに下る豪華な階段などは、1階を酒場、2・3階を宿泊施設として使う今の状態から見ると豪華さだけが浮いて見える。でも私はこの時代を1つ遡ったような非現実的な建物がとても気に入っている。期限付きの夢の時間を過ごすためだけなら、ここの不釣り合いな豪華さは相応しいような気がしているのだ。
 廊下を暫く進んでから階段を降りて、なるべく音を立てないように2階の回廊へ出る。そこは吹き抜けになっていて1階の酒場のホールが見える。
 その片隅にバーカウンターがあって、そこにはいつもブラウンの癖っ毛の少女がポツンと腰掛けている。大概は本を読んでいるか、棚に並んだ酒瓶を端から1つ1つ眺めながら、それにまつわる物語を空想したりしながらおとなしく座っているのだけれど、今日は背中まで延ばしたその癖っ毛を右の手でクルクルと絡めながら、有らぬ空間をじっと見つめて座っている。
 私はいつもよりだいぶ退屈させてしまったかな?と思いながら2階の回廊から1階へと続く大階段を降り始め、踊り場で方向を変えた。
 少女は私が階段を降りる音に気がついて、こちらを振り返ると大きく目を見開いた。可愛らしい顔が私を見つけてパッと輝く。少女はその歓迎の笑みを私が階段を降りきるまで保ってから「北風に願いを!」と言った。
「あら?もう年末祭だったかしら?」私はすっかり忘れていたふりをした。
「そう。今日はイブだよ。オネエサン忘れてたの?」少女は驚いてさらに目を大きくした。
「じゃあ、南風に祝いを!」私は努めて明るくお祝いの言葉を返してから「これで良いかしら?」と付け加えた。
「うんっ」少女は満足げに答え、椅子から飛び降りるとそのまま駆け寄ってきて私の腰に抱きついた。
「ひょっとして今日は来ないのかと思った。でもよかった。ずっと2人でお祝いをしようと思って待ってたんだもん」美しく輝く明るいブルーの瞳がすこし心配げに見上げてくる。
「ごめんね。少し遅くなったかな?でももう大丈夫、開店まで時間はいっぱいあるよ」そう答えると少女の顔はまた明るくなった。
「でも、遅くなったからバツね!1曲歌って欲しいな」
「え、罰?しょうがないなぁ。なにが良い?」
「わたしのお気に入り。あの家族の歌!」
「またあの歌?いつもそれだね」
「だって……すごく素敵なんだもん。わたしあの歌大好き!お願い」少女はそう言うと再び私の腰に抱きついて体を左右に揺すった。
「じゃ、歌ってあげるから、観客席に座って」
「はい」少女は礼儀正しくそう言うと、カウンターの椅子に腰掛けて体をクルリとこちらに向けた。
 私は一呼吸置いて気持ちを落ち着かせてからゆっくりと頭を下げた。ホールにたった1人の観客の拍手が響く。私は歌い慣れたその曲を静かに歌い始めた。

 余韻を残しながら歌い終えると、たった1人の観客の惜しみない拍手が響いた。「素敵!素敵!この歌を聞くと、ここのところがキュンとするもの」彼女は鳩尾のあたりをさすりながら言った。そしてまた拍手を始めた。
 その時、少女の拍手にもう1つの拍手が重なった。
 今度は私が驚いて2階の回廊を見上げた。
 回廊には彼が立っている。今3階から降りてきたところのようだ。そのまま拍手を続けながら「アンコール!アンコール!」と繰り返す。
 少女も拍手の音を大きくした。
 私は2階の彼と、カウンターの少女に交互に目をやってからゆっくりと頭を下げた。顔を上げると拍手が鳴りやみ一瞬の静寂が訪れる。私はいつもアンコールに使う子守唄を歌い始めた。私は自分の持ち歌の中でこの曲が一番気に入っていた。
 拍手が鳴りやまない。その様子に私は満足し、少女に微笑みかけてから彼の顔を見つめた。彼は拍手を続けながら大階段を降りてくる。
「パパ」少女は彼をそう呼ぶと椅子を降りて階段に近づいた。そして踊り場のところで待つ彼を見上げて「お仕事はもう済んだの?」と言った。
「ああ、今日はもうお終いにした。なにしろ年末祭のイブだからね」彼は少女を見下ろしながら言った。そして「そうだ!これから開店までここでパーティーにしようか!」と今思いついたように付け加えた。
「オネエサンも一緒だよね?」少女は彼の顔を覗き込んだ。
「もちろんだ!3人でパーティーをしよう」
「本当?!」少女はクルリと向きを変えて私の方を向くと「いいの?」と訊いた。
「もちろん」私がそう答えると、彼女は喜色満面で私の腰に抱きついてきた。そして「オネエサン、来て」と私の手を曳いてカウンターの椅子に腰かけさせ、「パパはこっちに入って」とカウンターの内側を指した。
「え?パパはこっちなのか?」彼は笑顔のまま少し不満げに答えた。
「だって、パパが一番遅かったんだから。バツとしてわたし達にサービスしなさい」少女にそう言われて彼はハイハイとカウンターの内側に入った。
「お客様、何をお作りしましょうか?」彼は澄ました顔で少女に問いかけ、私の方を向いて片目を瞑った。
「そうね……」少女も澄ました顔でそう言うと「いつものをお願い」と気取った声を出した。
「かしこまりました。では、そちらのお客様は?」彼は私の方を向いて微笑んだ。分かっていたのにその明るいブルーの瞳に見つめられると、私の心臓は跳ね上がる。
「そうね……」私は動揺を少女に悟られないように努めて冷静に「サングリアをいただけるかしら」と言った。
「かしこまりました」彼はそう言うとカウンターの中で手際よく作業を始めた。
 少女のためにはオレンジジュース、レモンジュース、パイナップルジュースをシェーカーに入れ気取った手つきで軽く混ぜる。少女はこの仕草がお気に入りのようで、カウンターに頬杖をついて下から見上げている。これはシンデレラというノンアルコールカクテルだ。私には赤ワインとオレンジジュースを氷入りのグラスにそそぎ込み、軽く混ぜてカットしたフルーツを添えてできあがりだ。
 彼は少女の前にはシンデレラ、私の前にはサングリア、そして自分には薄めのハイボールを用意すると右手にそれを高々と掲げ「北風に願いを!」と言った。
 私達は笑顔で顔を見合わせてから、それぞれの飲み物を右手で高々と掲げ「南風に祝いを!」と大きな声で唱えた。それから3つのグラスをカチンと合わせた。

 このまま時が止まればいいのに、私は神様にそう祈ろうとして……止めた。

関連記事
スポンサーサイト
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

10000HITとクリスマスのイベントのお知らせ。

10000HIT切り番のリクエストをお受けします。詳しくは本文をご覧ください。

クリスマスプレゼント?の掌編をUPします。こちらからどうぞ!
そしてこの作品は[Stella 12月号]参加作品です。

ようやくと言いますか、サキらしいスローペースと言いますか、10000HITが近づいて来ました。
そこで、やっぱり切り番イベントを行おうと思います。
10000HITを踏まれた方はもちろんですが、10000HITに達した瞬間から先着3人の方のリクエストが出そろうまで、あるいはサキが終了を宣言するまでリクエストをお受けします。
いつものように、お題を1つ、それとサキのオリキャラ(ただし女性)を1人上げてください。それで掌編を書いてみます。リクエスト1件を1つの掌編にして3編書くかもしれませんし、2件あるいは3件を纏めて書くかもしれません、そこはサキのインスピレーションにお任せ願いたいと思います。
サキのオリキャラ?そんなのわかんないや。とおっしゃる方はお題だけでもかまいません。リクエストが無いと泣いてしまいますので、どうかよろしくお願いします。

そしてクリスマスがやってきますね。
彩洋さんのところでクリスマスプレゼントという形で掌編をUPしておられたので、サキもクリスマスプレゼントを差し上げたくなって掌編を仕上げました。
3300文字程度の短いものですので気楽に読んで頂けると嬉しいです。

クリスマスプレゼント?の掌編へ……
関連記事
テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
 

10000HITありがとう!!!

 10000HITたどり着きました。  (写真を追加しました。よろしければContinue »からどうぞ)
 2年と2ヶ月……位かかってますか?ブロ友の皆さんと比べても随分長くかかってるような気がします。
 正直言って(こんな気持ちを書くのはちょっと恥ずかしいですけど)サキは少し寂しさを憶えています。でもね、更新回数も少ないですし、UPされるのがなんだか分らない小説ばかりでは、しょうがないことなんでしょう。
 それに、このブログの発足理由がサキの書庫代わりということから考えても、そこを気にするべきでは無いんだろうとも思っています。
 でも、サキも人間ですからこういう気持ちも有りなのかも、そうですよね?
 サキはこういう気持ちの揺れも楽しみながら(バネになればもっと良いんですけど)、チマチマと作品のUPを続けていこうと思っています。

 さて、リクエストをいただいています。
 本当にありがとうございます。3人の方にいただきましたのでここで受付は終了です。泣かずにすみました。
 まず大海彩洋さんからオリキャラは「エス」でお題は「遺産(世界遺産)」です。ウムム……。「エス」は今、使いにくいですね。いや、サキの気持ち的にですが。でも、彩洋さんが最近気になさっているキャラだそうですし、難題へのチャレンジという感じで高揚感も湧いてきますし、早速構想を練り始めます。どんなものが出来るのか、お楽しみに!
 2人目はスカイさんで、オリキャラは「フォーマルハウト」お題は「オルゴール」です。アハハ、フォーマルハウトで来ましたか?ファンタジーですね。このシリーズは暫く書かないつもりでしたし、サキの構想ではあの後暫くフォーマルハウトは登場しないんですよ。そうだ、番外編として書いてみようかな?いや、工夫次第では本編でもいけるかも。
 最後3人目は夕さんでした。オリキャラは「アルマク」お題は「チョコレートリキュール」でした。え?でもチョコレートリキュールってどう使うんだろう?まず買ってみましょうか。味見をしておかないと。(飲むのか?)

 サキのイメージエンジンの調子によっては発表が前後する事があるかもしれません。お許しください。
 そしてサキペースでゆっくりと書いていきますので、心を広く持っていただいて(ここ重要です)ゆったりとした気持ちでお待ちください。

[こら!自分からリクエストをお願いしておいて何を言ってるんだ!四の五の言わずにさっさと書け!(by 先)]

 この変なブログを訪れてくださっている皆様。拍手いただいている皆様。コメントをいただいている皆様。そしてブロ友の皆様。山西 左紀(サキ)とお付き合いいただいてありがとうございます。サキは皆様に励まされながら、背中を押してもらいながら、この新しい世界の中をユルユルと進んでいる。そんな感じです。
 元気でいる限り、頭の中にストーリーが湧いてくる限り頑張っていくつもりですので、これからもどうぞよろしくお願いします。
 お礼と言っては何ですが、この下にこの秋の紅葉の写真を貼っておきます。
 京都東山の紅葉です。先の撮影です。一枚変な電車が写っていますがこれは先の趣味です。ご笑覧ください。
 ではまた。

[訪問していただいて読んでいただいている皆様に感謝です。サキはふつつか者ですがこれからも可愛がってやってください。よろしくお願いします。(by 先)]

DSCN1282.jpg

DSCN1240.jpg

DSCN1237.jpg

DSCN1230.jpg

DSCN1218.jpg
叡山電鉄 デオ720形 - 724(車番は欠けているわ、向こうの車両はフレームに入っていないわ、反省点がいっぱいです)
関連記事
テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
 

物書きエスの気まぐれプロット5

物書きエスの気まぐれプロット5

「コハクの街」

 ボクはさっきから1人の女性が気になっている。
 フットボールクラブ・バルセロナのオフィシャルショップの入り口を入ったところで、そのショートカットの黒髪と小さな後ろ姿が妙に気になったのだ。目立たない格好だったのだが、なぜだろう?ボクの視線は真っ先にそこに向かったのだ。ボクは彼女のあずき色の丈の長めのチュニックとブルージーンズ、それに小さなバッグをかるく肩にかけるという極めて身軽な出で立ちに、観光客なのかどうか決めかねながら後ろ姿を見つめていた。
 暫くの間オフィシャルキャップの売り場に立って棚を見上げていた彼女は、紺色のベースボールキャップを取ろうとして手を伸ばした。だがそれはかなり上の方に有って、彼女の背丈では背伸びをしてもほんの少し届かない。
 ボクは少し迷ってから彼女の後ろに立って、その帽子に手を伸ばした。ひょろりと背の高いボクに後ろに立たれて、彼女は驚いたように振り返った。焦げ茶の大きな瞳、遠慮がちな鼻、その下に絶妙なバランスでちょこんと付いた小さめの口が可愛らしい。黒い髪の人間ははこの国にもたくさんいるが、振り返ったその顔は東洋人のそれだ。ボクの心臓は一瞬で鼓動数を上げる。ボクはそれが表情に出ないように苦労しながら、その帽子を手に取って彼女に渡した。『Gracias』彼女はそう言って少しだけ微笑んだ。そして軽く頭を下げるとレジの方へ進んで行った。ボクはその微かな微笑みを頭の中で反芻しながら、彼女がレジで精算を済ませ、そのままその紺色の帽子を被って店を出て行くのぼんやりと眺めていた。だが彼女が見えなくなるとあわてて同じ帽子を持ってレジの方へ急ぎ、イライラしながら清算を済ませると店を飛び出した。
 横断歩道の信号は赤に変わろうとしているところで、もう彼女の姿は見えない。ボクは自分が買った帽子を被りながら駆け足で道路を渡った。渡り終えるともう一方の信号が青に変わり、歩道に溜まっていた人々はカタルーニャ広場の方へと横断歩道を渡っていく。ボクは紺色の帽子を探しながら、その流れに乗って歩道を渡り、そのまま広場の方を眺めながらゆっくりと進んで行った。そして百貨店の向かいの角で立ち止って、暫くの間未練たらしく紺色の帽子を探していたが、やがて諦めてグラシア通りを北に向かって歩き始めた。

 
 ボクについて説明しておこう。ボクは日本からやってきた典型的な観光客だ。なぜこの街に来たのかというと、その答え自体は簡単だ。ツアーの行き先がここだったからだ。
 3か月前、ボクは5年間付き合った彼女との破局を経験した。彼女が結婚を望み、ボクにそんな気が全然無かったのがどうやら原因のようだ。「もう止めにしない?」この一言が発せられるまでに彼女には長い時間が存在し、ボクには存在しなかった。彼女は大人の女性で、ボクは少年だった。それだけのことだ。一度離れ始めた軌道はもう修正不可能で、ボクがいくら考えなおしても、態度を改めても、それは意味の無いことだった。ランデブーは終わったんだ。ボクはそれを思い知らされた。いつも空気のように寄り添っていてくれた存在が突然消えた時、始めてボクは失ったものの大きさに驚愕した。
 ただ逃げ出したかっただけなのかもしれない。引越し先を決め準備を終え、街を離れる事が決まった時、ボクはふと思いついて旅行に出ることにしたのだ。彼女と過ごした街を離れるためなら、行き先などどこでもよかった。休暇の取れそうな日程の、成るだけ遠くへ行けるツアーを探したら、このツアーだったというだけのことだ。
 今のボクには1人ぼっちで10組ものカップルの中に混ざり、奇異の目で見られながら愛想笑いで最低限のコミュニケーションを取るだけの孤独な旅がお似合いだ。おまけに添乗員まで男性で、まるで計画されたみたいだ。ボクはこの自虐の旅にもう1週間もどっぷりと浸かっているのだ。
 ツアーはスペイン南部の世界遺産を見て回る一般的なもので、昨日の夜バルセロナに入って、今朝あの有名なサグラダファミリアを見学して昼食を食べた後、自由行動でカタルーニャ広場に放り出されたのだ。ボクはオフィシャルショップに好奇心を抱き、ついでに晴天用の帽子が欲しくなって、あの店に入ったのだった。

 10月の午後の日差しはまだ強く、長袖の上着を羽織っているボクにとっては少し暑いぐらいだ。ボクは添乗員に注意されたとおり、鞄をたすき掛けにして周囲をそれとなく気にしながら通りを北へと暫く進み、カサ・パトリョの前にたどり着いた。


DSCN1139.jpg

 カサ・パトリョの前は観光客で溢れかえっていて、内部を見学する人々の列は通りまではみ出している。ボクは見学を諦めてバッグからカメラを取り出し、何枚か構図を考えながら撮影した。そして暫くカサ・パトリョの前で佇んで、その不思議な美しさを持つ造形を堪能してから、また通りを北へ向かって歩き始めた。
 幾つかの筋を横切ると、斜め前方に曲線ばかりで構成された建物が見え始めた。


DSCN1137.jpg

 カサ・ミラだ。
 ボクはカサ・ミラの建つ筋を横切ってから何枚か写真を撮り、信号が変わるのを待ってグラシア通りを渡った。カサ・ミラを目の前にしてボクは圧倒されていた。その建物は曲線の持つ優雅さと、奇妙さと、安定感と、不安定感と、幾つもの相反する感想を抱かせる不思議な魅力に満ちていた。


DSCN1076.jpg

 ボクは見上げる形で構図を考えながらまた何枚もの写真を撮り、その後で建物に入るために入り口を探した。入り口は南側にあるようでボクはそちらへ向かったのだが、人はまばらで入り口の中にはチケットを販売している人の様子も見える。「ラッキー」ボクは思わず口の中で呟いて入り口をくぐった。
 チケット売り場で20ユーロを出して3.5ユーロのおつりをもらう。そして手荷物検査を受けてからゲートをくぐりいよいよ内部に侵入する。


DSCN1077.jpg

 入った先は中庭になっていて、建物に囲まれた空間の上には青空が覗いている。ボクはそこでも暫くカメラを構えた後、順路に沿って先へ進んだ。通路の奥は屋上へと上がるエレベーターになっているようで20人ほどの人が順番を待っている。ボクはその列の最後尾に並んだが、その直後から心臓の鼓動が早くなった。列の少し前にあの紺色の帽子を見つけたのだ。人の隙間からそっと確認すると紺色の帽子はやはり彼女だ。帽子の下からはショートカットの黒髪が覗いていて、あずき色のチュニックも見えている。エレベーターが降りてくると係員が人数を数えながら定員分だけエレベーターに乗せる。その分だけ列が動いてボクは前に進んだ。
 ボクはどうしようもなく舞い上がる感情を精一杯の理性を使って押さえ込みながら列に並んでいたが、やがて次のエレベーターが降りてきた。係員が1人づつ数えながらエレベーターに乗せていく、彼女も乗り込んでこちらを向いた。間違いない、彼女だ。ショートカットの黒い髪、焦げ茶の大きな瞳、遠慮がちな鼻、その下に絶妙なバランスでちょこんと付いた小さめの口、彼女の目ははっきりとボクを見た。そしてボクに気が付いたのか軽く頭を下げて微笑んだ。ボクはぎこちなく笑顔を返す。ボクの前に立っていたカップルが手を繋いだまま乗ろうとして止められた。係員はにこやかにそのカップルに待つように伝えると、指を1本立てて高く掲げ『One person!One person!』と声をかけた。
 ボクは思いきって手を上げた。



「ええっ!ここまでなの?」コハクは素っ頓狂な声を出してモニターから顔を上げた。
「そう。なにかご不満でも?」エスはソファーに座ったままコハクの方を向いた。
「だって!だって!彼女まだ一言も喋ってないじゃない」
「何言ってるの。ちゃんと喋ってるよ『Gracias』ってね」
「あ!オフィシャルショップでね。でも、でも、名前もなんにも無いし。彼女はどこの国の人?何にも出てこないし!彼女、私がモデルなんでしょ?」コハクは憤懣やる方ない。
「まだ何も考えてないよ。あなたのお土産話からはまだここまでしか膨らんでないし。でも可愛く書いたつもりだよ?」
「そりゃぁそうなんだけどぉ」コハクは少し満足げな顔をしたが、また顔を戻して続けた。「なんだか楽しそうな顔をしていっぱい聞いてくれると思ったら、次は質問攻めだし、写真も早くUPしろってうるさいし、そんなに私の話を聞きたいのかなぁってすごく嬉しかったのに」
「え?コハクの話は面白かったよ。ウチが行ったみたいに詳しく聞かせてもらったし、あのカサ・ミラのエレベーターの話は特に面白かった」
「人の不幸を……」コハクはエスを恨めしげに睨みつけてから言った。「あれは私1人置いていかれたんだから。彼だけ先に屋上へ行っちゃったんだからね!」
「One person!って言って、誰かが手を上げたら彼を降ろしてその人を乗せるつもりだったんだよね?」
「そうと思う。でもみんなカップルだったんだよ。最悪!新婚旅行だったのに……」コハクは泣きそうな顔をした。
「フフフ……」エスはたまらず笑いをもらした。
「ほらぁ!やっぱり笑う」
「ごめんごめん。でもきっと良い思い出だよ。ウチの作品のネタにもなったし」
「そんなぁ。人ごとだと思って!」コハクは頬を膨らませた。
「わかった、わかった。ちゃんとストーリーが組み立てられたら、また続きを書くから、名前もコハクで行くことにするし、それで機嫌を直してよ」
「本当?約束だよ!ついでに必ずハッピーエンドでね!」コハクはエスのお願いの顔の真似をした。
「ええ?それは約束できないな。破局した彼女と彼を上手く書けてると思わないし、心の動きも矛盾だらけのような気がするし、どうなるかわからないもの。コハクはどう思う?」
「どうもこうも、彼女は意固地だなぁって、彼は鈍感だし。結局最初からずれがあって、それがどんどん拡がって埋められなくなったんだろうなって。1つの恋が終わってまた新しく始まった、単純にそう思ったけど、違った?」
「ウウ~ン……ウチの経験値ではよく分からないよ」エスは煮え切らない顔をした。
「エス。あまり難しく考えないでとりあえず書いてみたら?」コハクの意見は明瞭だ。
「でも続きを書くにはもっと土産話を聞かせてくれないと。カサ・ミラの内部の話とかランブラス通りの話とかサンジョセップ市場やレイアール広場も行ったんでしょう?」エスの目は獲物を狙う猫のように変わった。
「それはかまわないよ。でもその前にお茶を入れようか?」コハクは立ち上がった。
「え?コハクが入れてくれるの?」
「可愛く書いてもらわなくちゃならないしね。サービスするよ」コハクはそう言うとキッチンへ入っていった。

2013.12.12 大海彩洋さんに。感謝をこめて……

関連記事
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

10000HITイベントの第一弾をUPします。

こんばんは!10000HITイベントの第一弾、掌編「コハクの街」をUPします。
4300文字程度ありますが、今回は比較的早めにできあがりました。
この作品は単独で読んでいただいても一応完結しています。
10001を踏まれた大海彩洋さんのリクエストで、オリキャラは「エス」、お題は「遺産(世界遺産)」でした。

大海彩洋さんとは比較的新しいお付き合いなんですが、「コーヒーにスプーン一杯のミステリーを」というオリジナル小説ブログを運営されています。目指しているのは死体の転がっていないミステリー(たまに転がりますが)ということだそうですが、超長編の「海に落ちる雨」から、気軽に読める短編まで多彩な作品をUPしておられます。サキは読解力が不足している(石頭ともいう)上に読むのが遅いですから、まだ少ししか読めていないんですが、設定もこっていますし、テンポよくぐんぐん読めますし(サキなりにですが)、物語の根底に流れるある種の“優しさ”に安心感を憶える部分もあって、とても気に入っています。小説以外にも“石”や三味線の話や興味深いエッセイなども楽しいです。人生経験豊富そうな物語の内容から、サキよりだいぶ年上なのかな?と思っています。先より年上かも……。
彩洋さん、リクエストありがとうございました。難しいお題でしたけど、楽しく書かせていただきました。これからもよろしくお願いします。

エスですから、もちろん「物書きエスの気まぐれプロット」シリーズの1作で、サブタイトルが「コハクの街」です。意味が不明ですが、読んでいただければお分かりいただけると思います。
内容については物語の後半でエス本人が少し語っておりますので、ここには特に書かないことにします。
よろしければ、この下のリンクからどうぞ。

物書きエスの気まぐれプロット5(コハクの街)

次、10000HITイベント第二弾はスカイさんのリクエストで、オリキャラは「フォーマルハウト」、お題は「オルゴール」です。構想を練り始めますが、サキのプロットではプロローグ(第1話)の後暫くフォーマルハウトは登場しないんですよ。まぁ、いい加減なプロットですから若干の工夫をして上手く対応できれば書き始めようと思っています。ここで番外を入れるのも構成上だるいかなと思いますので。
また暫く時間をいただきます。お待ちください。
関連記事
テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
 

羊の皮を被った狼でした。

羊の皮を被った狼でした。
TOM-Fさんのコメントがきっかけだったんですよ。1000HITありがとうの記事で、先の撮影した紅葉の写真をいくつかUPしたんですよね。その時面白かったんで叡山電鉄の写真も一緒にUPしたんですよ。車体にコラボでアニメのキャラクターが描いてあったので、それがなんだか気に入ったのです。

DSCN1220.jpg

いいおっさんの先が恥ずかしげもなく何枚も撮ってきていたので、何だろうと思ったのです。
それにTOM-Fさんのコメントが乗っかって、サキは見てみたくなったのです。
「先!【魔法少女まどか☆マギカ】を見てみたいんだけど。レンタルしてきてくれないかな?」
「俺にレンタルショップで借りて来いってか?NETで拾って来ればいくらでも見れるんじゃないのか?」
「それだと大概ダウンロードできないもん。僕のPCにおいておきたいからさ」
「あれを何度も見るのか?薦められないな。一度でも見ないほうがいいと俺は思うぞ?」
「え?なんで?」
「お前、この話、どんなイメージを持ってる?」
「え?魔法少女だからさ、そういう感じのイメージだけど?魔法を使ってエイッていう感じ?」
「甘いな。俺はまたクウモードのお前の機嫌を取るのは嫌なんだがな」
「大丈夫だって!会社の帰りに借りてきてよ。お願い!」
「だから、俺にレンタルショップで借りて来いってか?俺を何歳だと思ってるんだ?」
「でも、先も見たことがあるんでしょ?」
「いや、実は噂だけで、まだ見たことはない」
「じゃぁ、先も全部みたいでしょ?お願い」
「ウムム……恥ずかしいな」
「いつも変なのを借りてきてるじゃない」
「それはそうなんだが、これは、特にな……」
「お願い」
「ウムム」
(この会話、実際は関西弁です)
 というわけでサキはちょっと恥ずかしい思いをして(一番上に攻殻機動隊ARISEを乗せて借りたらしい。同じだよね?)
そして……
羊の皮を被った狼でした。
サキは鳩尾付近に重い石を抱えたようです。重かったです。
最初は軽い感じの魔法少女物、イメージ通りの展開だったのです。
すっかり騙されました。途中までは、もうかったるいから止めようかな?なんて思ったんです。
でも、いきなりの衝撃で、あとは一気でした。魔法少女物の皮を被ってはいますが、かなり緻密な設定を持つダーク・ファンタジー、異次元フィクションでした。SFのカテゴリーに重なる部分も多いと思います。
重いテーマ、そして結末。
見終わった後の深いため息と胸の中にたまる水銀のような重い感情。
最悪だね。(これは褒め言葉です)
やられちゃいました。
では。

先です。
言わんこっちゃない。だからよせと言ったのに。
サキはすっかり暗くなってしまいました。ここまで書いて後はお願い……、ですからね。
暫くだめかな?
このアニメ結構面白かったですからね。
それに、重い。
タイトルで騙されますね。
この企画で作れと言われて、殻だけを残して中に思いの丈をありったけ詰め込んだみたいに感じます。
でも、面白かったです。恥ずかしかったですけどね。
サキ復活までお待ちください。
今回は短いと思います。
あ、【攻殻機動隊ARISE】も面白かったですよ。



関連記事
テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
 

【イブの時間】でした。

先は甘ちゃんです。(あ、“あまちゃん”じゃぁないですよ。甘ちゃんです)
サキがずっと沈んでいたので、先が“まどか☆マギカ”を返しに行ったついでにDVDを一枚借りてきてくれたんですよ。これを借りるのは恥ずかしくなかったみたいで……。

イブの時間

【イブの時間】(劇場版)です。アンドロイドのお話しなんですが、人間と区別できないくらい高性能なアンドロイドなので、もう完全に人工知能なんですよ。その人工知能と人間との交流や葛藤を描いた作品です。
人間とアンドロイドをまったく区別しない喫茶店が舞台です。
そこに集まる人間とアンドロイド、お互いに相手がどう思っているのか、どう考えているのか、トラブルを起こしたり思いやったりしながら物語は進んでいきます。人間に仕えている時の無表情なアンドロイド、喫茶店で区別がなくなった時の生き生きとした表情のアンドロイド。とても興味深いです。
不法投棄された旧型の浮浪ロボットのドタバタには笑ってしまいましたが、後に悲しさが残りました。表情を持たない旧型のロボットにも表情を感じてしまいます。レンズを通して見つめられて、とても切なかったです。
差別や偏見、そしてロボット三原則に縛られながら人間と信頼関係を築こうとするアンドロイド、その一途な姿勢にサキは感動です。そのあまりにも人間と似た、あるいは凌駕した人工知能に反発を感じながら少しずつ理解していく人間、サキはこういう展開は大好きです。アンドロイド(人工知能)の感情表現などにドキドキしてしまいます。感情はきっとありますよね?
そして少しずつ形成されて行く交流の輪。
そこに倫理委員会の取り締まりの魔の手が迫る。
さあどうなる?
アンドロイドに悪役は出てきません。ロボット三原則があるから当たり前?
人間側にはその役割を担った人物がいますが、一概に悪役と決めつける設定にはなっていません。
すべての疑問がスッキリと解決しないというのは、映画という枠に納めた関係でやむを得ないのかな?
ホノボノと見終わって、サキのクウモードはそろそろ切り替えの時間かな?といったところです。

いま、フォーマルハウト、書いています。
少し進んでは書き直し、の繰り返しです。展開が難しいです。シャウラの心の動きにサキが上手く乗れていません。難しいな?こんな風に考えるのだろうか?
もう少しです。お待ちください。
関連記事
テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォーマルハウト2「アルドラ」

アルドラ

 アルドラは目を閉じたまま漆黒の長い髪を床におろして静かに座っている。
 シャウラもまた不安を抱えたまま静かに座っていたが、さすがに耐えきれず薄く眼を開けてアルドラの方を見た。彼女の少し大きくなった呼吸に合わせて上下する肩の動きに、不安な気持ちが表れているように感じられて、シャウラの胸はいっぱいになった。
 ガタン、大きな音がして広間の引き戸が開いた。
 それと同時にアルドラも目を開け、一瞬シャウラと目を合わせてから開いた引き戸の方を向いた。
 シャウラも振り返って同じ方を見た。
 開いた隙間からこわばった親方の顔が覗き、やや速足で広間を横切った。
「フ~ム……」親方は、囲炉裏の向こう側の毛皮の上に胡坐をかいて座り込むと気難しげに溜息を漏らした。
 シャウラは正面の冷たい床の上に畏まって座り、その様子を心配げに見つめている。親方の横ではアルドラが、これも心配げに見つめている。
「長老会の裁定を伝えよう」親方が口を開いた。
「はい」シャウラは神妙に頭を低くした。
「シャウラ、お前はこの村を追放される」
「ヒッ……」アルドラが空気を吸い込む音が静まり返った広間に響いた。シャウラは頭を低くしたままだ。
「本当に憶えていないんだな?」
「はい、薬を飲まされていましたから」
「その女は、自分は“人間”であり、生業はサーベイヤーだとまで言ったのだな?」
「はい、間違いありません」シャウラは頭を下げたままはっきりと答えた。
 暫くの間沈黙を保った後、親方は喋り始めた。
「広大な結界を越えてまでイノセンティアに入り込むギルティ、彼らはそれをサーベイヤーと呼んでいるらしいが……、それはギルティの放った崩壊因子だ。これが長老会の統一した考え方だ」
「崩壊因子……ですか」
「ギルティは我々イノセントより遥かに下等な生き物だ。能力も知能も劣るし寿命も短い。だが量産を前提として作られているために、繁殖力だけは我々の比ではない。とめどなく増え続ける。おそらくギルティの住む世界、ギルティアは増え続けるギルティを養えなくなったのだろう。だからサーベイヤーを送って来る。長老達はそう推測しておられる」
 シャウラは頭を下げたまま黙って聞いている。
「これまでイノセンティアでは我々マゾクの側で2機、シンゾクの側で1機のサーベイヤーが確認されているが、どちら側でも的確に処理されている。」
「処理、といいますと?」シャウラが始めて質問した。
「有り体に言えば繁殖を始める前に殺したということだ。万が一サーベイヤーがイノセントの種を得て繁殖を始めれば、それは我々イノセントの敗北への出発点になりかねない」
「なぜですか?」
「我々の能力を凌駕するギルティが生まれる可能性が有るからだ」
 シャウラは質問したいことが有ったが、頭を下げたまま黙っていた。
「今の状態ではギルティがイノセンティアへ進出するなどということは考えられない。明らかに能力が違うからだ。だが今回のサーベイヤーはイノセントであるお前を打ちのめし、戦闘不能にした。それはサーベイヤーの性能が向上していることを示している。そのサーベイヤーから新しいギルティが生まれ、より強大な力を発揮し始めた時、イノセンティアは崩壊を始める。長老達はそう考えておられる」凍りつくような冷静な声で親方は続けた。
「お前はここを出て行かねばならない。そしてそのサーベイヤーを探し出して処理するのだ。万が一お前が種になっていたのなら、期限は1公転期程しかない。我々レサトは他にも刺客を差し向けるから逃れられることは無いと思うが、お前自身がそのサーベイヤーを処理できなければここに戻ることは許されない」
 アルドラが静かにすすり泣く声が聞こえる。
「シャウラ、裁定は下った。明朝、日が昇る前に村を離れよ」親方は静かに告げた。その声は木霊のように何度も脳裏に響いた。
「わかりました」シャウラは額を床につけてそう言うと静かに立ち上がり、囲炉裏に背中を向けた。
「シャウラ!」親方の声に、シャウラは立ち止った。
「お前はワシに対して嘘をつくことは無いのだな」親方は確認を取るように言った。
「はい、親方に嘘はつけません」親方に背中を向けたままシャウラは答えた。
「そうか。そういう一途なところがワシは気に入っていたのだがな……」親方の声は苦しげだった。
 シャウラはアルドラの方を見ないように向きを変え、親方に向かって深く頭を下げると囲炉裏端を離れた。旅立ちの用意をする必要があった。それに出来れば出発までにひと眠りしておきたかった。体にはどす黒い疲労が大量に溜まっているはずだ。だが精神は奇妙な高揚感に支えられて、表面上は形を保っている。シャウラは自分を自分に感じられないまま暗い階段を登って行った。

 目の前には降り注ぐような星空が広がっている。
 だが真の闇では無い。
 微かな光がたどり着き、自分の周りの物を揺らめかせている。
『何の灯りだろう……?』暫くの間ぼんやりと考えていたシャウラは、ゆっくりと周りを見廻した。
 闇の中で、ユラユラと揺れている灯は焚き火の炎だ。
 もうほとんど消えかかっていて、最後の炎が空しく揺れている。もう焚火の暖かさは感じられず、頬には厳しく冷たい空気が突き刺さってくる。だが体はとても暖かい。「ここは?」シャウラは思わず呟いた。
「起きているのか?」背後からくぐもった声が聞こえた。
 シャウラはおぼろげな記憶を貼り合わせていく。昼間戦った女の事、自分とその女がブースターという奇妙な有袋動物の袋の中に収まっている事、そして今の声がその女、フォーマルハウトのものだという事。めまぐるしく起こった出来事の記憶は、頭の中で合わさろうとしてまた離れる。「薬草を入れておいたんだがマゾクにも効くみたいだな。痛みが止まるから楽になる」フォーマルハウトの言葉が蘇る。シャウラの意識はまた混沌との淵を彷徨い始めた。
 シャウラは背中に女の胸の膨らみを感じた。フォーマルハウトが両手でシャウラをしっかりと抱きしめ、背中にピッタリと寄り添ったのだ。そして、ほとんど力の入らないシャウラの体を裏返して自分の方へ向けた。傷の痛みももうほとんど感じない。シャウラはされるがままにフォーマルハウトの腕の中に抱きしめられた。別の生き物のように艶めかしく動き回るフォーマルハウトの指、シャウラは痺れるような感覚を下半身に感じ始め、それはやがて全身へと拡がっていった。

 唐突に目が覚めた。常夜灯の微かな明かりの中、大きな黒い木の梁が頭のすぐ上を横切り、今にも落ちてきそうな錯覚を憶える。シャウラは自分が親方の屋敷の屋根裏にある自分の寝床で横になったことを思い出した。そして自分の体の異変を感じ取ると、ゆっくりと上半身を起こした。あまりにも急激な展開に精神は疲弊していた。充実した日常は、一夜の出来ごとによって跡形も無く消え去った。旅立ちに備え眠っておかなければならなかったが、まったく寝付けないまま夜は更けて行った。ようやく明け方近くなってウトウトしたとたんに夢を見た。
 なぜこんな夢を見たのだろう?フォーマルハウトの感触が生々しく蘇ってくる。シャウラは鉛のように重くなった体を無理やり立ちあがらせると、階段を降り屋敷を出て裏に回り込んだ。屋敷の裏手には暑い時期、外から帰った者が埃まみれの体に頭から水を被るための水浴び場がある。シャウラは寒気の中、脂汗に湿った寝間着と汚してしまった下着を脱いで全裸になり、幾つも並んだ蛇口のうちの1つの下に立った。そして、ポンプの柄を勢い良く動かして頭から水を被り始めた。凍りつくような冷たい水が全身に降りかかり、痺れるような感覚が頭の先から天空へ突きぬけて行く。自分に罰を与えるように長い時間水を浴びた後、歯を鳴らしながら下着を洗う。だがその惨めな自分の姿にも我慢ができず、シャウラはまた水を浴び始めた。すでに冷たいという感覚も無くなったが、シャウラはポンプの柄を勢いよく動かし続けた。これ以上続けたら、いくらマゾクの自分でも命に係ることは分かっている。フォーマルハウトとの関係をはっきりと否定できないことで失ったものはとてつもなく大きかった。その行為を夢に見る自分が許せなかった。そして、親方に全てを正直に話したことへの後悔の念もあった。もうどうなってもいい、シャウラはそう思い始めていた。
 突然ポンプの柄が動かなくなった。
 原因を確かめる為に目を上げると、そこにはアルドラの姿があった。ポンプの柄は彼女にしっかりと握られ、それ以上は動かなかった。彼女はシャウラに近づくと防寒着のまま強く抱きしめた。そして耳元に唇を近付けると強い声で言った。
「もうこれ以上は止めて!」そして静かに「もう着替えなくては……。夜が明けるわ」と続けた。体についた水滴が彼女の防寒着に浸み込んで行く。シャウラは昨日までは自分の婚約者だった女の顔を見つめた。漆黒の長い髪、細面の顔、切れ長の目、優しいダークブラウンの瞳、通った鼻、小さな赤い唇、そして柔らかな体、だがもうそれに触れることは出来ないのだ。
 やがてシャウラは黙ったままクルリと向きを変え歩き始めた。女は声を掛けなかったし、シャウラは振り返らなかった。
 今のアルドラの言葉で、シャウラは考えを変えた。こんなところで命を落としても親方にも彼女にも迷惑をかけるだけだ。僕は彼女の前から跡形を残さず消える方がいいのだ。戻らぬ旅に出かけよう。
 シャウラは屋根裏に戻ると体の水分を丁寧にふき取り、旅の装束を身につけた。最後に防寒のための分厚い上着を上から被ると、体の中にほのかな火が灯ったように少しずつ精気が戻ってくる。愛用の狙撃ライフルを背中に掛け、弾丸の束と小刀そして剣を腰のベルトに着けると階段を降りた。降りた先の戸をそっと開けるとそこは広間だった。
 広間には誰も居ない。
 常夜灯に浮かび上がる高い天井には、樹齢100年の木から作られた大きな梁が何本も通っている。四隅の柱は樹齢150年の木から作られていて、これがその大きな梁と天井を支えている。板張りの床の真ん中には囲炉裏が切られていて、そこはシャウラが物心ついてからずっと仲間との団欒を過ごした場所だ。親方や奥方、兄弟弟子達と楽しく過ごした日々の光景が蘇ってくる。その中にアルドラも居たのだ。
 美しく聡明でしかも親方の1人娘でもあったアルドラは、みんなのあこがれの的だった。シャウラが婚約者に選ばれて婚約の儀を取り行った時は、みんなの羨望の眼差しを受けて誇らしかった。
 シャウラは広間の入り口から少し入ったところで立ち止って暫くの間立っていたが、やがて振り切るように踵を返すと大股で広間を出て後ろ手にそっと戸を閉めた。
 廊下を歩き“たたき”で靴を履くと外に出る。
 目の前には降り注ぐような星空が広がっている。
 夜明けまでにはまだだいぶ間があるが、日の出の方向にはもう夜明けの気配が漂い始めている。シャウラは村の中心の石畳の大きな広場を横切り、村の門へ向かった。

 村の門は村を囲む石造りの城壁に挟まれた大きな木造の建物で、2階部分は櫓になっていて外部から門に近付くものを見張ることが出来るようになっている。1階部分は村への出入り口で、丈夫な金属の装飾で覆われた木造の大きな扉と、同じ作りの小さな扉で構成されている。大きな扉は夜間は何か行事がある時しか開くことは無く、昼間人々が行きかう時以外は閉じられている。大きな扉が閉じられている時は通常は小さな扉を開けて行き来することになる。
 シャウラは門に近づきながら首を傾げた。いつも夜間は立っている門番がいないのだ。疑問に思いながら小さな扉に近づくと建物の影から人影が現れた。その人物の顔を見てシャウラは驚いた。アルドラだった。アルドラはもう1つ大きな影を引き連れている。アルドラが近づいてくると、その大きな影もそれにつれて建物の蔭からその真っ白な姿を現した。
「シャウラ」アルドラはようやく声を出した。
 シャウラは立ち止まった。
「父からこのサドルをあなたに渡すように託ったの」アルドラはそう言って手綱を放した。
 白いサドルはその長い4本の足で優雅にステップを踏みながら近づいてくると、首を大きく振っていななき、大きな目でシャウラを優しく見つめた。
「スハイル!」シャウラはサドルに近づき、短い毛足の胴をそっと撫でた。スハイルは親方がずっと乗ってきた最強のサドルだ。
「あなたが世話をしてきたから慣れているだろうって、あなたにしてやれることは、もうこれぐらいしか無いって、父が」アルドラは感情を込めない声で言った。
 シャウラは黙ったままアルドラを見つめていた。
 アルドラはシャウラから距離を置いて立っていたが、シャウラと目が合うと慌てて目を伏せた。そして俯いたままシャウラの方に向かってゆっくりと近づいた。
「これを……」アルドラはポケットから小さな物を取り出すと、隠すように手の平で覆い、シャウラに差し出した。
 シャウラが手の平を上に向けて広げると、アルドラはその小さな物を手の平で覆ったままシャウラの手の上にのせた。微かに触れあう指にアルドラの感触を想いシャウラの心は痛んだが、彼女はすぐに手を引っ込めた。
 シャウラの手の平には繊細な模様が彫り込まれた小さな銀色の球体が残された。
「それは私の心。一緒に連れて行って……」それだけをか細い声で言うとアルドラは髪を揺らしてクルリと向きを変え、そのまま駆け出した。
「アルドラ!」シャウラは1歩2歩と踏み出したがそこで動きを止め、アルドラの姿は通りの向こうに消えていった。
 呆然と立っていたシャウラは、やがて手の平の球体を大事そうに両の手で包み込んだ。すると突然球体が音楽を奏で始めた。
『オルゴール?』それはシャウラにとってなじみ深い曲だった。レサト一族に古くから伝わる伝統的な曲だ。小さい頃からアルドラがよく口ずさんでいたメロディーで、たしか彼女のおばあさんから教わった曲だと言っていた。彼女が物心つかない頃に亡くなったのにいつ教わったんだろう?と疑問に思っていたが、この球体から彼女に受け継がれたのだろう。
 小さなオルゴールはもう一度全体をそっと手で覆うと鳴り止んだ。シャウラはそれを懐にしまうと、スハイルに近づいてポンポンと胴を叩きながら状態を確かめた。彼はすこぶる元気で、腹もいっぱいの様子だ。そして振り分けバッグに食料や水や路銀が納められているのを見つけると、親方の屋敷の方を向いて改めて頭を深く下げた。
 しばらくそうしてからシャウラは小さい方の扉をあけ、スハイルを曳いて外へ出た。そして扉を閉じ、鐙に足をかけスハイルにまたがった。ガタリと閂を閉める音がした。門番が戻ってきたようだ。
 最後に門を見上げてから「ハッ」と声をかけ、手綱を少し鳴らすとスハイルはゆっくりと歩み出した。
 いつ終わるとも知れない旅が始まろうとしていた。


2013.12.26 スカイさんに。感謝をこめて……
2016.04.16 アルドラの容姿を変更
関連記事
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

10000HITイベントの第二弾をUPします。

こんばんは!10000HITイベントの第二弾、フォーマルハウト2「アルドラ」をUPします。
6000文字弱程度ありますが、この作品はちょっと絞り出すのに苦労しました。書いたことのないファンタジーということもあるのでしょうが、サキのアルドラに対する思い入れが複雑だったせいもあるのでしょう。孤高のアルドラに、サキは入り込めませんでした。
残念ながらこの作品は続き物なので前作「フォーマルハウト」を読んでいただいてからの方がよいかもしれません。
10007を踏まれたスカイさんのリクエストで、オリキャラは「フォーマルハウト」、お題は「オルゴール」でした。

スカイさんとは結構長いお付き合いなんですが、「星たちの集うskyの星畑」というオリジナル小説ブログを運営されています。
スカイさんはメルヘンチックな小説、詩、ちょっと個性的なイラスト(落書きもあります)に加えてエッセイ風の文章、時々地元北海道の記事等を自身のブログに発表されています。個性あふれる独特の文体はとても不思議な雰囲気の物語になっていて、読む者を引きつけます。
そして月刊誌Stellaを 篠原藍樹さんと共同で企画運営されていて、サキはそこに投稿させていただいているという関係でもあります。
サキはもともと山西左紀として「短編小説を書いてみよう会」という集まりに参加して細々と作品を公開していたのですが、その会が休止されてしまって、思わぬ発表の場の喪失にオロオロとしていたのです。そこにStellaの刊行と参加へのお誘いをいただいて、喜んで参加させていただいたのです。とても嬉しかったです。
八少女夕さんや栗栖紗那さんやウゾさんもそこから移ってこられた関係で仲良くさせてもらっていますし、新しくStellaに参加された方との交流も広がっています。
作者の都合で自由に参加したりお休みしたり出来るルールですので比較的気が楽です。皆さんも参加されてみてはいかがですか?
スカイさんは篠原藍樹さんと共に勉強に創作に企画の運営に、大変忙しそうなのですが、発表の場を与えていただけてサキはずいぶんお世話になっています。これからもよろしくお願いします。

今回の作品はフォーマルハウトですから、もちろんサキが書いた初めてのファンタジー「フォーマルハウト」シリーズの2作目で、サブタイトルは「アルドラ」です。
以前のコメントでも書いたと思うのですが、2作目以降フォーマルハウトは暫く登場の機会がなかったんです。でもリクエストをいただいたので、チラリとですが登場させています。このせいで思わぬ展開になってしまい、作者(サキ)を慌てさせました。これはこれで面白かったのですが、この後の展開をどうするか、ちょっと難しいです。シャウラのちょっとだめ男の部分が垣間見えて、書いている方としては興味深かったです。頑張れ!シャウラ。
よろしければ、この下のリンクからどうぞ。

フォーマルハウト2(アルドラ)

次、10000HITイベント第三弾は八少女夕さんのリクエストで、オリキャラは「アルマク」、お題は「チョコレートリキュール」です。構想を練り始めますが、ウムム……。どうしようかな。サキの頭の中にはなんにも出てきません。まだアルドラでいっぱいです。切替えないといけません。
あの天真爛漫のアルマクを動かすにはエネルギーが必要です。
また暫く時間をいただきます。先に新年が来てしまうかもしれませんが、気長にお待ちいただけると嬉しいです。

多分、この記事で今年最後の更新になると思います。
あ、でもコメントは出来ると思います。
今年もブログを運営させてもらってとても楽しかったです。来年、またいろんな事にチャレンジ出来たら嬉しいんですけど。
皆様、とてもお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。
よいお年をお迎えください。
では……。
関連記事
テーマ : つぶやき    ジャンル : 小説・文学
 
<- 12 2013 ->
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール
こんにちは!サーカスへようこそ! 二人の左紀、サキと先が共同でブログを作っています。
ようこそ!


頂き物のイラスト

アスタリスクのパイロット、アルマク。キルケさんに書いていただいたイラストです。
ラグランジア
左からシスカ、サヤカ(コトリ)、サエ。ユズキさんにイラストを描いていただきました~。掌編「1006(ラグランジア)」の1シーンです。
天使のささやき_limeさん2
limeさんのイラストをイメージにSSを書いてみました。「ダイヤモンド・ダスト」
イラストをクリックすると記事に飛びます。よろしければご覧くださいネ!
スカイさんシスカイメージ
スカイさんのシスカイメージ
シスカ・イメージ高橋月子さん作
シスカ・イメージ 高橋月子さん作
シスカ・イメージlimeさん作
シスカ・イメージ limeさん作 コトリ・イメージユズキさん作
コトリ(コンステレーションにて)ユズキさん作
リンク
ブロとも申請フォーム

Archive RSS Login