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Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

白火盗

 增井千之助は堀梅町二丁目の裏長屋、夕顔店に住む浪人者だ。齢は二十五、若いが事情があって仕官せず、内職の写本作りを生業に日々を過ごしている。
 今日も納期に追われ、朝からずっと筆を持ち続けていたのだが、そんなある日の日暮れ過ぎのことだった。
 ホトホト・・・障子を叩く音がした。
 千之助は筆を置くと机から顔を上げた。
 ホトホト・・・再び障子が叩かれる。
「ちょっと待ってくれ」千之助は立ち上がると、土間に下りて障子を開けた。
 誰かがそこに立っていた。
 煤けた身なりで、背丈からすると子供のようだ。
 柄も見えない薄汚れた着物に草鞋履きの軽装だが、背中にくたびれた笠をぶら下げ、小さな風呂敷包みを背負い、頭からすっぽりとほっかむりをしている。そして、まるで長旅から戻ったように全身埃まみれだ。
 いかにも奇妙な身なりだが、夕闇に紛れて誰にも不審がられることは無かったのだろう。
「こちらは夕顔店でしょうか?」子供ではない。若い女の声で喋り方もかなりまともだが、ずっと俯いたままなので顔は見えない。
「いかにも、ここは夕顔店だが・・・」千之助は訝しがりながら応えた。
「指物師の文吉さんはこちらにお住まいでしょうか?」
「文吉?ああ、ここに住んでおる。確か居るはずだが・・・」千之助は部屋を出ると路地を奥へと向かった。店には十一の部屋があるが、千之助の部屋以外の灯りは灯っていない。だからまず女は灯りの灯る千之助の部屋を訪ねたのだろう。
 文吉は長屋で一つ奥の部屋に住む四十路の指物師だ。腕は良く仕事熱心で、その腕を見込んだ客からの注文は引きも切らない。その上精密な細工や工夫もできるからカラクリ物などの注文まで舞い込んでくる。独り身だが、浮ついた噂も無く、まるで仕事と連れ添ったような男だ。そこへ若い女・・・いったいどういうことだ?千之助は疑念を頭の中でグルグル回しながら文吉の部屋の障子を叩いた。「文吉殿、居られるか?」
 ガタガタと障子が開いた。「增井様、何かご用でしょうか?」文吉が顔を出した。そしてそのまま千之助の後ろに控えた女に気がつくと「ヒトリ・・・?」と一言発して固まった。
 どうやらヒトリというのがこの女の名前のようだ。千之助は興味津々でその場を動かず、事の成り行きを見ている。
「案内してくだすったんですね。手間をお掛けして申し訳ございやせん」文吉は礼を言うと女を部屋の中に引き入れ、「そいじゃぁ、ご免なすって」と、障子を閉めてしまった。
 障子の前に取り残された千之助は暫くの間そこにその姿勢のまま、名残惜しそうに立っていたが、やがて冷たい風に首をすくめると自分の部屋に戻った。
 部屋で内職の写本を続けていると「增井さま」文吉の声がした。
「どうされました?」千之助は障子を開ける。
「すみやせんが、灯油を貸してもらえやせんか」文吉は油差しを差し出した。
「お安い御用です」今夜は夜語りか?普段は日が暮れたらすぐに寝てしまうのに・・・千之助は想像を膨らませながらも気安く応じた。
 文吉は大事そうに油差しを持って引き上げていったが、千之助はどうにも気になって仕方がない。耳を澄ましてそっと隣の様子を伺うが、気配すら感じることが出来ない。安普請の長屋のことだから壁は薄いし隙間だらけだ。何か会話をしていればその気配ぐらいは伝わってくるはずなのだが・・・。
 千之助は隣を覗いてみたい衝動に駆られたが、いくら店子どうしでも男女のことだ、さすがにそれはばかられる。
 千之助は何とかその誘惑に耐え、その晩は早めに筆をおいて眠ってしまった。

 翌日、昼過ぎに文吉が訪ねてきた。
「助かりやした。何しろ普段、行灯なんざぁ使うことは無ぇもんですから」文吉は礼を言いながら、持参した油差しから千之助の油差しへ灯油を移し変えた。
「文吉殿に女の客とは珍しいですね」
「そんなんじゃねえんで。アレは親戚の娘で、両親の様子を知らせてきたんでさぁ」文吉は薄く笑った。
「そうですか、何か困りごとがありましたら遠慮なく言ってください」千之助は文吉の言いように違和感を憶えながらも気遣った。
「ご心配にゃあ及びません。もう用事も済んで里へ戻りましたんで」文吉はもう一度丁寧に頭を下げると自分の部屋へ戻っていった。
 それから、文吉の夜なべ仕事が始まった。
 文吉の仕事は高い精度が要求される指物作りだから、概ね仕事は明るい昼間に片付ける。夜はというと、たまに飲みに出て気晴らしをすることはあっても、大体は暗くなったら寝てしまうことが多い。
 ところがあの奇妙な訪問があってから、毎晩こうこうと行灯を灯して、ほとんど寝ないで仕事をしている。
 店子たちの間でも、やれ何処かの殿様の大仕事が舞い込んだだの、大棚の娘さんの嫁入り道具で大金が入ってくるだの、噂話で持ち切りだった。井戸端会議でも、嫁さんを迎えるための用意じゃないかだの、悪事のための道具作りに違いないだの、あらゆる憶測が飛び交った。
 どんな仕事が舞い込んだのか、何を作っているのかまったくわからないまま年の瀬が過ぎ、一日も休むことなく正月も過ぎ、二月が過ぎる頃、ようやく仕事が片付いたのか行灯が灯ることは無くなった。
 文吉の鬼気迫る仕事ぶりを心配しながら眺めていた千之助は、その様子にホッと胸をなでおろした。

 だが話はそこで終わらなかった。
 三月の始めの頃のことだ。千之助はいい気持ちで通りを歩いていた。苦労して写し終えた分厚い写本を持って依頼主の貸し本屋を訪れ、そこで受け取った手間賃で軽く一杯やって夕顔店へ帰る途中だった。
 千之助は身なりこそ貧相だったが、教養があり手跡も正しい。それに目を付けた馴染みの貸本屋に写本の内職を頼まれ、生活のためにそれを受けることにしたのだが、評判が評判を呼び、あちこちの貸し本屋から依頼が舞い込むようになった。丁寧で仕事が速く、納期も実直に守ったので重宝がられ、とりあえず生活に困らない程度の収入を得ることができていた。お陰で腰に差している大小は本物だったし、剣の鍛錬のためにたまに道場へ顔を出すこともできた。本人は謙遜するが、千之助の剣の腕はかなりのものだ。
 ・・・と、千之助の足が速くなった。少し先を歩いている女の様子が目に留まったのだ。もう夕暮れ時で薄暗くなっているから見分けにくいが、見覚えのある格好だ。
 柄も見えない薄汚れた着物に草鞋履きの軽装、背中にはくたびれた笠、小さな風呂敷包み、ほっかむり、そして背丈は子供のように小さい。
 あの女だ。千之助は気配を消すと、少し間を空けて女の後をつけた。
 女は通りを南に下り、小上橋を渡った所で右に折れた。やはり堀梅町の夕顔店へ向かっている。やがて女は夕顔店の木戸をくぐった。千之助は足を速めて木戸から路地を覗き込んだが、すでに女の姿は消えていた。
 千之助は部屋に戻り耳を澄ませたが気配は無い。諦めて次の仕事に取りかかろうと行燈を灯したが、どうにも気になって仕事が手につかない。そこへ井戸から水を汲む音が聞こえてきた。文吉の部屋へ水を運んでいるようだ。
 外はもう暗くなっている。いったい何を始めたのだ。もう我慢の限界だ。千之助は音を立てないようにそっと立ち上がり、文吉の部屋との境の壁際に米びつを置き、その上に行李を載せた。
 鴨居の上には壁土の崩れた所があって、そこに小さな穴が開いている。千之助は行灯を消すと用心しながら行李の上に登り、その穴から隣の部屋を覗き込んだ。
 文吉の部屋には4つもの行灯が灯されていた。部屋の四隅に置かれ、部屋の中はまるで昼間のようだ。行灯はあの夜なべ仕事の時に買い足したのだろう。
 そのこうこうとした灯りを背に、女の白い背中と、おかっぱの白い髪が見える。あのほっかむりの下の髪は真っ白だったのだ。文吉を前に座らせて背中をこちらに向け、体には何もまとっていない。
 千之助は己の行為に罪悪感を覚え、一瞬壁から目を離そうとしたが、女の右腕が肩の部分ら外れてポトリと落ちるのが目に入ると、もうそこを動けなくなった。思わず息を呑み、その音がやけに大きく響いた。
 幸い聞こえたような様子は無い。
 続けて女の左腕が同じようにポトリと落ちた。文吉が近づいて背中を支え、女を畳の上に寝かせる。
 さらに女が身をよじると、まずは右足、そして左足が股関節から外れてゴロリと転がった。文吉はその外れた手足を無造作に抱え挙げると部屋の隅にどかせた。
 部屋の真ん中には女の胴体と頭が転がっている。
 文吉は水の入った木桶を女の傍に置き、火鉢の鉄瓶で沸かしておいたお湯をそこに足し、手ぬぐいをつけて絞った。そして女の体を丁寧に拭き始めた。
 顔から始め、形良く盛り上がった乳房、乳首、締まった腹、そしてその下へ、そこには髪と同じ色の陰毛が生えていた。手足の関節部分は特に入念に拭い、さらに体を裏返して背中も丁寧に拭いた。
 拭き終わると文吉は女の体を仰向けに戻し、部屋の隅に置かれた大きな木箱に近づいた。
 部屋の真ん中には女の胴体と頭が残された。
 それはとても人には見えなかった。
 手も足も無い体は芋虫のようだ。
 だが、それは神々しいまでに真っ白だった。白い肌、白い髪、陰毛、まるでそれ自体がぼんやりと白い光を発しているかのように浮き上がって見える。じっとして動かなかったが、ゆっくりと胸が上下し、時々瞬きをしている様子が見える。大きな目、小さな桃色の唇、千之助は呆けたようにずっとその姿を見つめ続けている。千之助はそれを美しいと思った。
 箱を開ける音が聞こえ、千之助は我に帰った。
 文吉が部屋に置かれた箱を開け、中から何かを取り出している。それは一対の腕と一対の足だった。それぞれを抱えて運び、体の横に並べて置く。
 文吉はまず右腕を右の肩に押し付けた。女が右肩を捻るとカチリと音がしてそれはそこに納まった。続いて左腕、右足、左足と女が体を捻るたびにカチリと音がして、それぞれは納まるべき所に納まった。それが済むと文吉は女の背中を支え起こしてやった。
 女はまず右腕を動かした。それぞれの関節をゆっくりと上下、そして左右、きちんと動かせることを確かめると、次は指を一本ずつ確かめた。文吉はその様子をじっと見つめている。左腕、右足、左足に順にその作業は繰り返され、滞りなく終わったようだった。どのような原理で付け足した腕や足が動いているのか、千之助には理解できなかったが、その滑らかな動きをつぶさに見ていると、そのようなものだと納得せざるを得なかった。
 やがて女は立ち上がった。
 女の背丈は高くなっていた。もう子供の背丈ではない。おそらく手足を取り替える時に胴体の成長に合わせて大きくしたのだ。それが取替えの目的だったのかもしれない。あの子供のような奇妙な体型は消え、そこには均整の取れた成熟した女性が現れた。
 と・・・彼女はおもむろに体を回し、千之助の方へ顔を向けた。
 壁越しに目と目が合った。行灯の光に浮かび上がる彼女の瞳は、血のように真っ赤だった。

 記憶はそこで途切れている。
 千之助が目を覚ましたのは自分の部屋に敷かれた布団の中だった。もう日が昇っているのか、障子の向こうは明るくなっている。
 二日酔いの朝のように気分が悪かったが、何とか起き上がり路地へ出る。
「おはようございます。增井様」井戸端には女房連中が集まっていたが、一番年増のおかねが最初に声を掛けてきた。
「おはようございます」
「いい日和だね」その隣はお勢だ。
「そうだな」
「今朝は寝坊ですか。先生」
「まあな」
「その様子じゃ、二日酔いだね?」
 千之助は苦笑いを返す。
 水仕事に精を出す女房連中と挨拶を交わしながら、千之助は文吉の部屋の障子を開けた。
 部屋はいつもの通りで変わりは無く、部屋の真ん中に敷かれた布団では文吉が大いびきをかいて眠っていた。
 行灯は部屋の隅に置かれているが一つだけだ。
 木桶は流しに伏せられ、火鉢も道具箱もいつもの場所に片付いている。大きな木箱が置かれていた場所には何も置かれていない。
 布団の中からは茶トラの猫が大あくびをしながら顔を出しニャーと鳴いた。時々この長屋に顔を出す若い猫だ。こんなところで夜を過ごしていたのか。しかも呑気そうに伸びまでしている。千之助はまさかと思いながらも念のため確かめたが瞳の色は金色だった。
「文吉殿!文吉殿!」何度か声を掛けると文吉が薄く目を開けた。
「增井様?おはようごぜえやす」眠そうに返答が帰ってくる。
「昨夜のことですが、いったい何が・・・」そこまで口にして千之助は言葉を止めた。
「昨夜でごぜえやすか?あっしは眠りこけていたもんで、さっぱり・・・」
「さっぱり?どなたか訪ねてきませんでしたか?」
「いえ、誰も・・・ずっと眠っておりやしたんで」
「・・・そうですか。いや、拙者の思い違いです。何でもない・・・」千之助はそう答えながらもう一度部屋の中を見渡した。
 茶トラがチョロチョロと動き出し、路地へ出て障子の隙間から向かいの部屋へ入った。いつものように朝飯をくすねに行ったのだろう。間もなくおさとの怒鳴り声が聞こえ、逃げ出してきた茶トラは路地を抜け厠の方へ消えた。
 すべては謎のまま消えうせ、何事も無かったように夕顔店の日常が流れ始めていた。

 だが話はそこでも終わらなかった。
 5年の後、千之助はその女、ヒトリと再会することになる。

「白火盗」の反省会(というか言い訳)へ・・・

2021.05.16
2021.05.17・23 細かい修正
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

白火盗 第二話

 流石は百足の重蔵だ・・・加助は感嘆のため息を漏らした。
 もう六十を過ぎているというのに、九つ(午前零時)にアジトを出て、闇にまぎれて街中を進む重蔵の様子は自信と気迫に満ちている。
 今時は荒っぽく急ぎ仕事でやっつける連中が多い中、盗られて困るようなところからは盗らず、他人を傷つけず、女を手ごめにせずを実践する数少ない盗賊の親方の一人、それが百足の重蔵だった。
 今夜の仕事は何十人もの手下を使い、千両箱を荷車に積んで強奪するような大掛かりなものではない。親方の重蔵を先頭に、それに付き従うのはすぐ前を行く手下の若いのと加助、たった二人だけだ。
 加助は本来もっと大きな盗賊組織の一員なのだが、その親方が重蔵と懇意にしていて、名前どおり今回の仕事のために助っ人として貸し出されている。最初はあまりに小さな仕事に、自分の親方に蔑ろにされたのではないかと塞いでいた加助だったが、盗まれた事にさえ気付かれないくらいの重蔵の緻密な計画に驚き、盗る相手を選び、人を殺めないという仕事の進め方に潔さを感じ、配下として計画を進めるうちにすっかり重蔵の人柄に魅入られていた。
 被害にあってもそれに気付かず。すいぶん時間が経ってから「ひょっとして盗られたんじゃ・・・」となるような盗み・・・そのためには、すぐにそれと知れるような大きな額を盗ることはできないし、家人を起こさないよう密かに行動する必要もある。だから、重蔵の仕事には大人数の盗賊団は必要とされず、少人数の信頼の置ける仲間だけで事足りるのだ。
 もちろん、加助の親方と重蔵は同業者という立場だけでなく、仕事のやり方でも強い絆で結ばれている。それゆえ、重蔵が加助に寄せる信頼が並々ならぬものなのは痛いほど感じていた。そして加助もそれに無条件で答えるつもりだった。
 やがて一味は狙いを定めた商家の前に到着した。

 重蔵が狙いを付けたのは弥生町の蝋燭問屋、播州屋の金蔵だった。播州屋は開府以来の商家だが、取り扱う特製上等の蝋燭は一般には販売せず、長年にわたる上顧客だけを相手に商売している。それゆえ商いの量のわりに店構えは小さく、奉公人も少ないのだが、高い品質の商品と手堅く筋の良い商売は、取引先や顧客からも高い評価を受けている。
 だが深く張り巡らされた重蔵の情報網によれば、それは世間一般から見える表側の顔だ。裏ではあくどい商売を手広く行い、なんとご禁制の阿片にまで手を染めているらしい。そんな悪事で代々に渡って蓄積された膨大な儲けは、店の金蔵にうなるほどに溜め込まれていて、義賊を気取る重蔵にとって絶好の標的となった。溜め込んでいる金のわりに店の規模が小さく奉公人が少ないのも、少人数で行動する重蔵には都合が良かった。

「ヒトリ・・・」重蔵が後ろに控えた若いのに小さく声を掛けた。
『ヒトリというのか、変わった名だ』加助は今になって始めてその一の子分の名前を知った。
 加助はこの若いのとは一言も口を利いたことがない。最初に重蔵の元を訪れたときも、一の子分として紹介はされたものの、名前までは聞かされなかった。その時も今と同じように薄汚れた着物にほっかむり姿で、一言も喋らずにずっと俯いていていたから、声を聞いたこともなければ顔を見たこともない。だが、重蔵はその子分を何者にも替えがたく思っているようだったし、細かく素性を明らかにしないのも、親分子分の関係を越えた配慮のように感じられた。ヒトリと呼ばれたその若いのは、重蔵から絶大な信頼を寄せられているのだ。
 その若いのが大きな板戸の隅に設けられたくぐり戸の前に跪くと、やがてカタリと閂(かんぬき)の外れる音がした。若いのがくぐり戸をそっと押すと、戸は音もなく内側に開いた。
 重蔵の合図で三人は店に入る。
 どうやって情報を手に入れたのかはわからなかったが、店の間取り図は精巧なものが作られていた。重蔵やその若いのはもちろんのこと、加助もそれを頭に叩き込んでいたので、暗い中でもどちらへ進んでいけばいいのか充分すぎるほどわかっている。
 店の衆の情報も事細かに集められていて、この時期のこの時間ならもう全員が寝入っていることもわかっている。万が一この段階で人が起きている気配があれば、何も取らずにそのまま引き上げる段取りになっていたが、今のところその気配は無い。
 三人は手元の小さな灯りを頼りに、打ち合わせどおり店内を移動し、金蔵の前にたどり着いた。ここまでは順調だ。
「ヒトリ・・・」ふたたび重蔵が若いのに声を掛けた。
 ヒトリ・・・は金蔵の入り口に下げられた錠の前に跪く。
 それはいかにも精巧そうな大型の錠前で、鍵が無ければとても開けられそうにない。今時流行りの強盗団なら、まず二三人を切り殺しておいて『こうなりたくなかったら・・・』と脅して鍵を開けさせれば事は簡単なのだが、重蔵の場合、そんなことは間違ってもやらない。あくまで誰にも気付かれないまま、こっそりと頂戴しなくてはならないのだ。
 ヒトリは大きな錠前を自分の方へ向け、意識を集中させている。手元はヒトリの背中に隠れて見えなかったが、やがてカチャリと小さな音がして鍵がはずれた。この若いの・・・ヒトリがすべての鍵を開けるというのは聞かされていたが、ここまで見事に、しかも短時間で開けるとは想像もしていなかった。外されて床に置かれた錠前には傷一つ付いていない。『いったいどうやって開けたのだろう・・・』加助は不思議に思いながらも重蔵の指示にしたがって金蔵の重い扉を開けた。
 扉の内側にはさらにもう一つの扉があった。そしてそこにはいっそう複雑そうな錠前が重々しく下がっている。
「ヒトリ・・・」みたび重蔵が若いのに声を掛けた。
 ヒトリはまたその前に跪き、今度は少々手間取ったが、やがてついにカチャリと音がして錠前は完全に降伏した。その速さに驚きながらも加助は内側の扉を開けた。
 重蔵が手元の小さな灯りを投げかけると、そこにはたくさんの金箱が整然と積み上げられていた。

* * * * * *

「はて?」金蔵の中で播州屋主人の庄兵衛は首を捻った。帳簿の数字を確認し、算盤をはじいてからもう一度、目の前に積まれた金箱の数を数え直す。
『おかしい・・・』帳簿の数字は合っている。先月の棚卸しでは金箱の数に間違いはなかった。この一月で当然増減はあるから総数は変わっているはずだが、それが帳簿と合わない。庄兵衛は暫くの間考えにふけっていたが、やがて金倉を出るために内側の扉に手を掛けた。ふと思い立って、持っていた提灯の灯りで錠前を入念に調べてみるが傷一つなく、こじ開けられた形跡などまったくない。大枚をはたいて精密に作らせた最新式の錠前だ。幾重にもカラクリが組み込まれ、鍵を持っている自分以外に開けられる筈は無いし、鍵は四六時中肌身離さず自分が持っている。『おかしい』首を捻りながら丁寧に錠を掛けると、今度は外側の扉の錠も調べにかかる。これも精密に作らせた最新式の錠前だが、これにも傷一つない。二重の鍵をきちんと掛けて金蔵を出ると、庄兵衛は廊下を急いだ。
「定吉!サダはおりますかな」庄兵衛は大番頭の名前を呼んだ。
「へえ」廊下の突き当たりに控えていたのだろう、大番頭の定吉が姿を現した。
「御用でございますか」庄兵衛のただならぬ様子を感じたのか定吉は神妙な面持ちで尋ねた。
「御用も何も・・・お前たち、金蔵には入っていないね?」
「は?金蔵でございますか?」定吉は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。「滅相もございません。第一、あそこには旦那様以外の者は勝手に入ることはできません。あの錠前を開けることは不可能ですし、鍵はいつも旦那様がお持ちです」
「そうだな。確かにそうだが・・・」定吉は嘘は言っていないようだ。
「何か御座いましたでしょうか?」
「うむ・・・」庄兵衛の顔はなおいっそう難しいものになった。「実は金箱の数が合わないのだ」
「金箱、でございますか?しかし金蔵へは・・・」
「わかっている。私しか入れないのはわかっているのだが・・・」
「無くなっているのでございますか?」どうやら定吉の驚きは本物のようだ。
「・・・ちょっと金蔵へ来てくれ」庄兵衛は定吉を伴って廊下を戻った。
 二重の鍵を開け、定吉と二人金蔵へ入る。
 扉をきちんと閉め、灯りを手元に置くと、庄兵衛の指示を受けた定吉は丁寧に帳簿を調べ、金箱の数を数えた。
「合いませんね」定吉は顔を上げて庄兵衛に顔を向ける。
「合わないね」庄兵衛も声を合わせてから続けた。「中身を改めたほうがいいかもしれないね」
「改めましょう」定吉は慎重に長い時間をかけて金箱一つ一つの中身を確認した。どの箱も中の金子はきちんと治まっていたが、最後の一箱を開けたとき「おや?」定吉が声を上げた。「旦那様!これを」
 その金箱にも金子がきちんと収まっていたが、その上には赤い札が置かれている。
「なんだねこれは?」庄兵衛はそれを取り上げ、手元の灯りをかざした。
 それは薄い木の札だったが真っ赤に塗られていて、そこに絡み合った真っ黒な二匹の百足が描かれている。
「これはどういうことなのでございましょう?」定吉は首を捻る。
「盗った者の意思表示なのだろうね」庄兵衛はポツリと言った。
「それにしても、いつの間に・・・」
「先月の棚卸しでは間違いなく数が合った。それから今日までの間に合わなくなったんだから、ここ一月の間ということになる」
「いったいどうやって?」
「さあな。とんと想像もつかん」
「旦那様、番屋の方へ届けましょう」
「なにを馬鹿なことを・・・」庄兵衛は薄笑いを浮かべた。
「届けたら調べが入るではないか。この小さな蝋燭問屋の金蔵に、これだけの金が有る理由を説明せねばならなくなる。サダ、いったいなんと説明する?」
「・・・」定吉は黙って俯いている。
「幸いと言ったらなんだが、無くなった額はそれなりに大きいものの、全体に比べたら微々たるものだ。ここは錠前をもっと厳重なものに変えて、黙んまりを決め込む方が得策だ」
「さようでございますね」定吉は頷いた。
「私がそう考えるだろう事も、この盗人はちゃんと予想していたんだろうよ」
「旦那様・・・」定吉がなさけない顔で庄兵衛を見上げた。
「百足め・・・」庄兵衛は歯噛みをした。

2021.06.18
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

白火盗 第三話

 千之助はそのまっすぐな白い髪にそっと手を触れた。
 ゴワゴワとした触り心地を想像していたのだが全く違う。さらりとしているのに髪油をたっぷりと含ませたように艶やかで、光を反射して輝く様はまるで銀糸のようだ。
 髪は肩の少し上で切りそろえられてしまっているがとても豊かで、顔をうずめると陽だまりの匂いがする。
 髪の下からは細い首筋が覗いていて、その白い肌は肩からさらにその先まで滑らかに続いている。千之助はそこに口をつけるとゆっくりと乳房に向かって滑らせた。真っ白なそれは豊かな柔軟性と心地よい暖かさを持っていて、先端にある尖った乳首を口に含むと、女はため息とともに小さくうめき声を漏らした。 
 その体勢のまま指を下半身に滑らせると、そこにある性器はすでに濡れている。乳首を口に含んだままそこにそっと触れると、女は千之助にしがみつく。その手は硬く、そして冷たい。
 女の呼吸はさらに激しくなり、千之助の体を足で挟み込む。その足も同じように硬く冷たい。
 女が突き上げるものを受け止めるように大きく体をそらせた。その瞬間、両方の腕と足が同時に胴体から外れて布団の上に落ち、そのままカタンカタンと音を立てて床の上まで転がった。千之助は慌てて支えを失った女の体を抱きかかえ、布団の上にそっと横たえる。女は頭の生えた胴体だけになった。
 両足を失ったその下半身には、性器と生えそろった白い陰毛が見える。両腕を失った上半身に付いた二つの白い乳房は、激しい呼吸に合わせて上下を繰り返している。
 胴体から生えた頭からは、二つの赤い瞳が、責めるようにこちらを見つめている。
 
 千之助は目を覚ました。どうやら写本を終えた美濃紙を文机の上に広げたまま、その上にうっかり寝入ってしまっていたようだ。徹夜明けから締め切りの迫った仕事を一気に片付け、一息ついたのがいけなかった。もう日の入りを過ぎているのか、あたりは薄暗い。千之助は机の上の紙に汚れが付いていないことを確かめると安堵のため息をついた。
 いつからだろう。そうだ、あの時、あの赤い瞳に見つめられてからだ。数か月に一回ほど、不可解な夢を見るようになった。内容はいつも同じで、あの女の赤い瞳の場面で夢は終わる。なぜこんな夢を見るのだ。俺はおかしくなってしまったのだろうか。
「御免ください。御免ください」どこかから誰かが呼んでいる。千之助は物思いから覚めた。
「御免ください。御免ください」呼びかける声は続いている。どうやら声の主は隣に住む指物師の文吉のようだ。
「おお、ちょっと待ってくれ」千之助は返事を返すと立ち上がった。 
 土間におりて障子を開けると、そこに立っていたのはやはり文吉だった。
「やっぱりいらっしゃいましたね。どうせ仕事を怠けて居眠りの船でも漕いでたんでしょう?」と部屋の中を見回す。
「まぁ、そんなところだ」千之助は照れ臭そうにうなじをかきながら続けた。「そんなところだが、文吉殿の用向きはなんだ?」
「用向きですか?用っちゃぁ用なんだが・・・」文吉は言いにくそうに顔を歪めた。
「そんなに言いにくいなら無理に・・・」
 千之助の言葉を制すると文吉は思い切ったように口を開いた。
「実はお別れを言いにきたんです」
 千之助は口を少し開けたまましばらくの間黙り込んだ。
 そして「急だな・・・」ようやくそれだけを口にした。
「黙ってお暇しようかとも思ったんですが、千之助様には大変お世話になった身です。ちゃんと挨拶をして事情を話してからと思いまして。急にこんなことになって申し訳ねえんですが、どうにもこうにも・・・」文吉はえらく恐縮する。
「どんな事情か話してくれないか、私にできることがあったら・・・」
「いえいえ、そんなややこしい話じゃねえんで。ただあっしもこの歳です。田舎に帰って身を固める。ただそれだけのことなんで」
「目出度い話じゃないか。差配にはちゃんと話したのか?」
「ええまぁ・・・」文吉は目を泳がせた。「でも、あっしもいい歳ですし、あんまり大事にはしたくねぇんで、できれば店の連中にはご内密に・・・」
「いい嫁が見つかったというわけか?」
「まぁ、そんなとこで・・・」文吉は頭をかいた。
「たとえば、五年ほど前だったかな・・・に訪ねてきた娘さんとか?」千之助は突っ込んでみた。
「・・・と言いますと?」文吉の声は小さくなる。
「ほら、四五年前、女が訪ねてきたことがあったじゃないか」
「そんなことがありましたか?」文吉はすっとぼけて見せる。
「薄汚れてはいたがあれは確かに女だった。文吉殿を訪ねて来て、お前さんはその女をヒトリと呼んでいた。そして暗くなってから灯り油を借りに来た・・・」
「夢を見ておられたのではありませんか?」
「夢であるはずはない。はっきりと覚えているぞ。そしてその女がもう一度お前さんを訪ねて来たことも・・・」千之助は文吉のとぼけた態度にすこし意地になって応じた。
「もう一度?それも知っておられる」
「ああ、次の年の春頃だったかな」
「すべてをご覧になった?」
「そうとも、すべてをだ」
「そこから」文吉は仕切りの壁の隙間を指さした。「覗いてですか?」
「う・・・」千之助は言葉に窮する。
「正直、うまくごまかせたとは思っておりませんでしたが、やっぱり全部見ておられましたか」文吉はあきらめたように語気を弱める。
「まことに申し訳ない」千之助は深く頭を下げた。
「そんなに頭を下げないでください。どうぞ頭をお上げになって・・・」文吉は促すが千之助は頭を下げたままだ。
「そうですか。やっぱり全部ご覧になった・・・」文吉は暫し考えに耽る。
「だったら千之助様には事情をお話ししといたほうが良さそうだ。このままアレが物の怪のように思われたまんまじゃぁ寝覚めが悪いってもんですからね」文吉は障子を少し開けて外に誰もいないことを確かめると「お邪魔いたしますよ」と、部屋に上がり込んだ。
 千之助もようやく頭を上げて文吉の前に腰を据えかけたが「暗いな・・・」と立ち上がり、行灯に火を入れてから再び腰を落ち着けた。
「実はアレは・・・アレというのはあの女のことですが、アレはあっしの娘のようなものなんです」文吉は語り始める。
「のようなもの、というと?」
「アレは拾い子なんでさぁ。もう二十年以上前のことになりますが、あっしが釣りをしていたところに、木箱のようなものに入れられて川を流れてきたんです」
 千之助は目で先を促す。
「ビ~ビ~泣いていたんで気が付きましたが、そうでなかったらそのまんま沈んでいたんでしょう。とにかくあっしが拾い上げたんです。そしたら驚きましたねえ。なにしろご存じのように、手も足も生えてねえんですから」
「生まれつきだったのか・・・」
「へえ、それで気味悪がられて生まれてすぐに捨てられたんでしょう。それでも生きているんですから、そのままにすることもできません。とにかく連れて帰って世話をすることにしました。なんだかんだと理由をつけて貰い乳をして飲ませたんですが、ものすごい勢いで飲んで、それはすくすくと大きくなりました。そのうちにハイハイもするようになりましたが、なにしろ手も足も無えもんですから、体を伸び縮みさせて少しずつ前へ進むんですよ。まるで芋虫みてえでしたが、これがまたかわいらしいんですよ」文吉は顔をほころばせた。きっとその時のことを思い出しているのだ。
「そのうちにあっしは妙なことに気が付きました。アレを置いて他の部屋で用事をしていると、大きな音がするんです。慌てて行ってみると、あっしの道具箱がぶっちゃけられてるんです。危ないから棚の上に置いてあったのにですよ。どうなってるのかと思って、今度はそっと部屋を覗いていると、アレは近くまで這って行ってあっしの道具箱をじっと見るんです。そうすると道具箱が少しずつ動くじゃないですか。じっと見る。少し動く。それを繰り返しているうちに道具箱は棚から落ちて、それで大きな音がするってぇ訳だったんです」
「それは何というか、神通力のようなものか?」千之助はにわかには信じがたい顔をした。
「へえ、あっしもそんな風に思いました。アレは触らずにものを操る力がある。きっと手足が無い代わりにそんな力を授かったんでしょう。ですからあっしはアレを物の怪とは思っちゃいません」
「ただ欠けているものを補っているだけだと言うのか?」
「へえ、あっしはそう思っています。人はいろんな形で生まれてきます。異形のものはほとんど育つことはねぇんですが、それでもアレは足りないところを補って懸命に生きようとしました。その生き様をあっしは尊いと思ったんです。それであっしは思いついたんです。触らずに操れるなら、アレに手足を持たせてみたらどうだろうってね」
「やはりあれはお前が作ったのだな」確かにあの手も足も滑らかに動いていた。
「あっしはまず簡単なものを作ってアレにくっつけてみました。しばらくは邪魔そうにしていたんですが、あっしがハイハイをして見せたりしているうちに、少しずつそれを操ってハイハイをするようになりました。立ち上がって歩いたときなんかはそりゃぁまぁ・・・」文吉は遠くを見る目つきだ。
「そのあとは大きくなる度に手足も大きなものに付け替え、その度にもっと人そっくりに動くように工夫したんで、アレは人と全く変わらないように手足を使うようになりました。そしてこの間千之助様がご覧になったのが最後の付け替えです。もうこれ以上は大きくならないでしょうから」
「まことに申し訳ない」千之助はまた頭を下げた。
「どうぞ頭をお上げになって・・・」文吉は千之助の頭を上げさせる。「それで、アレも一応大人の姿にはなったんで、あっしのお役は御免ということにいたしました」
「それで、田舎に帰って身を固めると?」
「へえ、そういうことにしといてください」
「そういうことに・・・・か」千之助は思案気に呟いた。「それであの子、その・・・ヒトリには伝えないのか?」
「お話ししたように、アレももう子供じゃありませんからね。名前のとおり一人で生きていきましょう」文吉は千之助が女の名前を知っていることに驚かなかった。そしてその名前を否定もしなかった。
「冷たいもんだな」
「あっしも随分長い間世話をいたしましたからね。ここいらで親離れ子離れということで・・・」
 その時、ダンダンダン・・・障子を激しくたたく音がした。
「コレコレ、平三親分、そんなに叩いては壊れてしまう」差配の甚兵衛の声だ。
「構うもんか、こっちはお上の御用なんだ」ダンダンダン・・・障子を叩いているのは岡っ引きの平三のようだ。「おい文吉!居るんだろう?居留守を使おうったってそうはいかねぇぜ」平三は悪い噂しか聞かない岡っ引きだが、今夜はことのほか機嫌が悪いようだ。
「文吉、なんだか物騒な客のようだぞ」千之助は文吉の方を見た。
「くわばらくわばら」文吉は首をすくめた。
 ガタン、ガタン・・・
「そんな無茶をされては・・・」
「うるせえ!黙ってな」
 差配が止めにかかっても無駄のようだ。
 千之助が障子を開けて表に出ると、文吉の部屋の障子はすでに外されていた。長屋の連中も驚いた様子で障子を開け顔を覗かせている。
「千之助様」提灯をかざしながら文吉の部屋を覗いていた差配は千之助を見るなり情けない声を出した。
「どうされました?」千之助も並んで部屋を覗き込む。
「くそう!もうとんずらしやがったか・・・」中では平三が仁王立ちになっていた。
 文吉の部屋はもぬけの空で家財道具一つない。おまけに掃除までされているようできれいに片付いていて、もちろん誰もいない。
「おめえら、匿ってんじゃねえだろうな!」くるりと振り向いて部屋を出た平三は路地を見渡し、とりあえず障子の開いている千之助の部屋にはいりこんだ。
「あ!」千之助は慌てて後を追いかける。
 部屋には行灯が一つ静かにともっているだけだった。文吉の姿も消えている。
「くそ!」千之助の部屋をひとしきり見回すと、平三は長屋の他の部屋も順番に調べ、厠の中まで確かめた。そして差配の家の見分も済ませ、文吉がどこにも居ないことを確認すると、長屋の全員を路地に集めた。
「おめえら、この模様に見覚えはないか?」平三は懐から小さな木札を取り出した。
「さあ」「ないねぇ」順番に住人に当たっていき、最後に千之助に札を見せた。
 それは真っ赤に塗られた薄い木の札で、そこに絡み合った真っ黒な二匹の百足が描かれている。
「千之助様にも覚えはありませんか?」平三は千之助の顔を覗き込む。白目の多い疑り深そうな小さな目、人を小ばかにしたように歪んだ唇、嫌味を含んだかすれた声・・・「さあなぁ。まったく覚えがないなぁ」千之助は尋ねられたことにだけ正直に答えた。文吉やヒトリの怪しげな様子なら見聞きしているが、こんな模様にはまったく覚えがなかったからだ。
 平三は何か新しいことがわかったら必ず自分だけに一番に知らせるよう何度も念を押してから「今夜のところはこれくらいにしといてやらぁ」と肩を怒らせて帰っていった。
「単純に目出度い話でも無さそうだなぁ。文吉・・・」千之助は腕を組み、半分の月を見上げながら呟いた。

 その月が少しずつ丸みを増して満月になった頃のことだ。
 千之助はその日も内職の写本の納期に追われ、朝からずっと筆を持ち続けていた。空腹を抱えたまま日暮れが過ぎ、部屋には宵闇が迫っている。
 ホトホト・・・障子を叩く音がした。
 千之助は筆を置くと机から顔を上げた。
 ホトホト・・・再び障子が叩かれる。
「ちょっと待ってくれ」千之助は立ち上がり、土間に下りて障子を開けた。
 誰かがそこに立っている。これは例のアレだ。間違いない。
 背中に笠をぶら下げ、小さな風呂敷包みを背負い、頭からすっぽりとほっかむりをしていて女には見えないのは前と同じだが、今回は全体的に小ぎれいだ。着物の柄もはっきりしているし、背丈もちゃんとある。女にしては少し上背はあるくらいだ。
「指物師の文吉さんはどちらか、ご存じありませんか?」声にも覚えがある。薄暗くて目の色まではわからなかったが、ほっかむりの下からは真っ白な髪が覗いていた。

2023.05.09
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

白火盗 第四話

scriviamo!

 時刻は明け六つ、朝はまだ始まったばかりだ。秋は盛りを向かえ、空は青く高く、からりとした爽やかな風があたりを覆っている。
 その爽やかな風の中、一人の女が奉行所の裏玄関をくぐった。
 町娘姿で、歳は十七・八といったところだろうか。白い肌、涼やかな目元、利発そうな眼、すっきりと通った鼻筋、それにきちんと閉じられた唇は、彼女をかなりの美人に押し上げている。ただ、その唇の少し上がった口角だけは凛々しさを通り越し、かえって艶めかしさを感じさせるのだが、多くの人はそれすらもいい女の条件に加えてしまうのだろう。
 裏玄関は、この中で働いている女中たちなども出入りする場所ではあるが、外部の者が気安く入れる場所ではない。そのわりに女は気楽な様子で進んでいく。
 奉行所は役宅なので奉行は妻子とともに奉行所の建物内の奥に暮らしている。女はその奥向きの奉行の私邸の方へ入っていった。
 女が玄関で来訪を告げ、現れた女中に挨拶をすると、女中は別段不審な顔もせず慣れた様子で女の先に立って廊下を進み始めた。女はすぐ後ろに付き従ったが、そこから先は終始無言だった。いくつもの廊下の角を折れた先、襖の前で女中が足を止めた。
 二人はその前できちんと正座をすると、女中が襖の向こうに声をかけた。
「お連れ致しました」
「入りなさい」男の声が応えて言った。威厳のある年配の男の声だった。
 女中は襖を少し開けると後ろに下がり、女が進み出た。そして両手をついて頭を下げると「おはようございます」と挨拶をした。
「おはよう」広い座敷の向こう側、縁側に立って庭を眺めていた老人が、女に顔を向けながらそう応えた。
「ご機嫌麗しゅう。御前様」
「そうかしこまらずともよい新之助、中へ入りなさい」
 女は座敷の中に入り、座敷の隅で正座になると咎めるように言った。「この格好の時は“おしん”でございますよ。御前様」
「そうであったな」老人はそう言いながら女の顔をしげしげと眺めた。「そなたは確か二十五であったろう?だがその姿であればとてもその歳には見えぬ。どうみてもどこからみてもどこぞの裕福な商家の、しかも世間知らずのお嬢様だ」
「うぶな娘に見えましょう?男から見ればどうとでもなりそうな・・・」
「そう見えるな」
「ある程度お年を召したお方には、この姿が使える場面も多いのですよ。今朝のように・・・」おしんは微笑んだ。
「そうであろうな。いや確かに使えそうだ」老人は照れくさそうに首の後ろを掻いた。
「では新之助ではなく、そのおしんに尋ねよう。その後変わりはないか?」女中が襖を閉じて退がるのを待って老人が尋ねた。
「この通り息災にしております」おしんと呼ばれた女は軽く胸元を叩いた。
「お前のことを聞いておるのではない。お前が息災なのは見れば分かる」
「わたしのことは案じてくださらないのですね」うつむき加減の顔から利発そうな眼が老人の様子を窺う。
「そう突っかかるな。命を掛けるよう命じた者をいちいち案じておってはこの身がもたんのでな」
「もぉ!御前様ったら」おしんはあきれ顔をしたが、老人の申し訳ない然とした顔を見て噴き出した。そしてそれを隠すように顔を伏せ、再び顔を上げた時には神妙な顔を取り戻していた。あたりは静まりかえっている。この屋敷に人は大勢い居るはずだが、人払いは済んでいるようだ。
「播州屋の件でございますが・・・」おしんはゆっくりと喋り始めた。
 播州屋は開府から暖簾のつながる商家で、高い品質の商品と手堅く筋の良い商売で取引先や顧客からも高い評価を受けている蝋燭問屋だ。
「ふむ・・・」
「ご禁制の阿片に手を染めている証拠はいまだ手に入りません」
「お前にしては手間取っておると思っておったのだ」老人は顔のしわを深くした。
「面目次第もございません」おしんの声音が低くなった。
「その播州屋にだが、お前はどうやって入り込んでおるのだ?その格好のままで入り込んでおるわけではないのだろう?」
「はい、もちろんでございます」おしんは声音を戻して言った。「播州屋は小売りをせず、長年にわたる上顧客だけを相手に商売しています。それゆえ商いの量のわりに店構えは小さく、奉公人も少ないのです」
「ふむ・・・」
「奉公人の出入りも少ないので、奉公人同士の繋がりも濃く、縁も所縁も無い者が簡単に入り込めるところではございません」
「なるほど・・・」
「わたしは通いの飯炊き女として台所に入り込んでいます。男衆として入り込めばもっと深く食い込めるのでしょうが、まったくその余地がありませんでしたので、これが精一杯でございました」おしんは残念そうに俯いたが、声は満更でもなさそうだ。はなから男衆として入り込むつもりは無かったのかもしれない。
「お前が飯炊き女・・・」老人は興味深そうにおしんを見た。
「こんな感じでございますよ」おしんが顔を上げる。
 涼やかな目元や利発そうな眼は姿を消していた。いかにも真面目な正直者の、それでいて少々鈍そうな、命じられたままにこまめに働きそうな飯炊き女の顔がそこにあった。着ているものとはそぐわないが、それなりの着物に着替えればこんな女が台所にいても少しもおかしくはない。余計な詮索などせず、真面目に勤めそうだ。
「ほほう・・・」老人は感嘆の声を上げた。「まこと、うまく化けるものだな」
「・・・でございましょう?」そう言うおしんの顔はもう元に戻り、利発そうな眼で老人の様子を見上げている。「御前様はそんなわたしに目を付けられたのではありませんか?」少し上がった口角が挑発的だ。
「まあ、そうではあるのだが、それだけではないのだぞ」
「あら?他にまだなにかありましたか?」おしんは嬉しそうに訊いた。
「ま・・・よいではないか。そんなことより播州屋の続きを聞こう」老人はまた首の後ろを掻きながら話題を変えた。
「はい」おしんは神妙な顔に戻ると続けた。「台所には首尾よく入り込んだものの、これといった情報は漏れてまいりませんでした。奉公人の結束は思った以上に固く、通いの飯炊き女などに店の中の情報を何かしらの形で漏らすなどということは全くありませんでした」
「ふむ・・・」
「わたしはただの臨時雇いのお手伝いのような立場ですから、奉公人たちは必要な用事だけを言いつけ、無駄話などは一切しませんでした。奉公人たちの間には厳しい掟があって、それを裏切ればきつい罰を受ける・・・そんな様子でございました。毎日接する台所の女中たちでさえそうでしたから、わたしはそれ以上どこへ食い込むことも出来ず、唯々毎日飯を炊くだけだったのでございます」
「たとえは悪いが、奉公人たちはまるで盗賊のように掟で固く繋がっているのだな。で・・・?お前のことだ、単にそんな言い訳だけをつらつらと言い立てに来たわけではあるまい?」今度は老人が下から覗き込む。
「順々にお話しいたしますから、そんなに急かさないでくださいませ」おしんは少し間を入れた。お茶でも欲しそうに襖の方に目をやったが、この場ではそんな気の利いたものが出ることはない。
「そんなこき使われるだけの退屈な日々に動きがあったのは、夏の盛りのことでございました」おしんは続ける。
「というと?」
「勝手口に岡っ引きが訪ねて来たのでございます。大番頭の定吉を訪ねて来たのですが、そこから一番奥の座敷に上がり込み、主人の庄兵衛も一緒に三人で何やら長いこと話し込んでいる様子でございました」
「岡っ引きが?名前は何という?」
「平三と・・・」
「平三か・・・」老人には心当たりがありそうだった。
「白目の多い疑り深そうな小さな目、人を小ばかにしたように歪んだ唇、嫌味を含んだかすれた声」思い出しているのかおしんは首をすくめた。「どれを取っても平三は人には好かれそうには見えませんでした。ですから、うんと愛想良く接してみることにいたしました」
「お前に愛想よくされたら平三はさぞ驚いたであろうな?」
「最初は不愛想でつっけんどんに扱われたのですが、何回も通ううちに少しずつ馴染んで、しまいには上手く乗ってまいりました」おしんはいかにもひょうきん者という顔をした。
「その顔にやられたか?」老人は薄笑いを浮かべた。
「はい、昨日のことでございます。なかなかしぶとかったのですが・・・」おしんも薄笑いで答える。「幸いその時は台所にはわたし一人でしたので、これは誰にも言っちゃぁいけないよという断り付きでようやく聞き出すことができました。それはなかなか興味深い話でございました」おしんはじらすように言葉を止める。
「どのような話かな?」老人は先を促した。
「それはこの播州屋に盗人が入ったという話でございました」
「盗人?いつのことだ?播州屋からはそんな届は出ておらぬが?」
「はい、夏の始めのことで、播州屋はその事を伏せているようなのです」
「平三もグルということか?」
「今でも届が出ていないのならそういうことになりましょう。播州屋主人の庄兵衛が懇意にしていた平三に秘密裏に調べるよう依頼したようなのです」
「ふむ、もう少し詳しく聞かせてくれ」老人は身を乗り出した。
「短い時間でのことですから詳しくは訊けなかったのですが、どうも千両箱がいくつか無くなっているようなのです」
「千両箱が・・・しかしあそこの蔵の錠前は最新式でめったなことでは破れないと聞いておるぞ。主人の庄兵衛もおおいに自慢しておったようだし・・・。おしん、播州屋に押し込み強盗が入った様子はないのか?」押し込み強盗ならどんな錠前でも壊してしまえば開けることができる。また脅して開けさせることもできるだろう。老人はその可能性を訊いているのだ。
「錠前は無傷できちんとかかっていたそうですし、平三から聞いた話からも押し込みの線はないと思います」
「錠前は無傷か、うむ・・・ということは、どうやったのかわからぬが、誰かがその最新式の錠前を無傷で開けて、しかも誰にも気づかれずに千両箱を持ち出したということになる」
「そうでございますね。盗人ながらたいした腕前だと思います」
「何者であでろうな?」
「わかりません。ただ・・・」
「ただ?」
「平三の話では、千両箱の一つの中に絡み合った二匹の百足が描かれた真っ赤な木の札が入っていたということでございます」
「百足か・・・」老人は顎に手を当てて思案気に顔を上に向けていたが「でかしたぞおしん、なかなか興味深い話であった」と、おしんの方へ顔を戻した。
「ありがとうございます」おしんは両手をついて頭を下げた。
「たしかに播州屋は評判の良い商家だ。だが聞こえてくる様々な情報をつなぎ合わせれば、それは世間一般から見える表側の顔だ。裏ではあくどい商売を手広く行い、ご禁制の阿片にまで手を染めておるらしい。播州屋はそんな悪事で得た膨大な富を代々に渡って金蔵に溜め込んでおるのだ」
「・・・」おしんは静かに頷いた。
「のお、おしん」
「はい」
「盗賊は死罪だ。だが、そんなところから鮮やかに盗み出し、播州屋をうろたえさせたその手腕、褒めてやっても良いような気がするな」
「御前様・・・」
「ははは・・・冗談だ。冗談。だがその金蔵、中を改めてみたい気はしないか?おしん」
「はい、大判小判はもちろんですが、さぞかし大切な書付なども入っているかもしれませんね」
「うむ・・・」老人は考えにふける。
 二人の間に暫しの沈黙が流れる。
「增井新之助!」突然老人は目を見開き、声を強くして呼びかけた。
「御前様、おしんでございます」奉行はわざと自分の本名を呼んでいる。新之助はそう思った。
「おお、そうであった。ではおしん」
「はい、御前様」
「飯炊きや雑用でさぞ忙しかろうが、今の仕事に加えてその百足とやら、調べてみてはくれぬか」
「かしこまりました」おしんは両手をきっちりと畳について、深々と頭を下げた。


2024.02.26
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

白火盗 第五話

scriviamo!

「指物師の文吉さんはどちらか、ご存じありませんか?」容姿を見極めようと返事が遅れる千之助に、女はもう一度繰り返した。
「文吉ならもう半月も前に家移りしたぞ」千之助はようよう返事を返した。
「家移り?半月前に?」女は不安気に尋ねた。
「そうだ。急な話だったんだが・・・。文吉に大事な用でもあるのか?」
「急?文吉はどんな様子でしたか?」千之助の質問を無視して女は訊いた。
 千之助は文吉が消えた時の様子をかいつまんで話したが、話が岡っ引きの平三の部分まで来ると女は「岡っ引き?」と後ろを振った。そして丹念に店の路地を見回して誰もいないことを確かめると、そのまま土間に入り込んで障子を閉めた。
「何かまずいことでもあるのか?」
「・・・・・・」千之助の質問は女に無視された。
 今日はこの季節にしては過ごしやすい小春日和だった。だがさすがに日没が近づくと気温が下がり始め、それにつれてあたりも暗くなってゆく。千之助は部屋へ上がって行灯に火を入れた。
 薄明かりの中、千之助は女の方を振り返った。「とにかく文吉は半月前に消えてしまった。田舎へ帰って身を固めるという話だったが、田舎がどこかも聞いていない。まったくの行方知れずだ」
「行方知れず・・・」女は繰り返した。
「それでお前はどうする?」
「岡っ引きの名前はなんと?」やはり千之助の質問は無視される。
「平三といったかな」
「平三・・・」心当たりがあるのか女は顔を上げた。
「そうだ。今思い出したんだが、その時奴に木札を見せられた。たしか、真っ赤に塗られた薄い木の札で、真っ黒な百足が描かれていた・・・」
「・・・・・・」女は思案気に顎に指を当てる。
「その札になにか心当たりでもあるのか?」
「・・・・・・」四度、千之助の質問は無視された。女は顎に指を当てたままじっとしている。
 秋の日は釣瓶落としだ。行燈の灯りを残してあたりはさらに暗さを増してゆく。
「暗くなってしまったな。お前はどこまで帰るんだ?なんなら送っていこうか?」どうしたものかと迷いながら千之助は言った。
「ここに宿を借ります」女は独り言のように呟いた。
「それはまずい。私は独り身だ。独り身の男だ。そんなところに若い女を泊めるわけには・・・」千之助の言葉が止まった。女が顔の向きを変え、瞳がちょうど行燈の灯りが差し込む位置に入ったのだ。それは赤くはなかった。行燈の灯りを反射する女の瞳はごく普通の黒っぽい色だ。いや、じっと見つめると少し薄めの茶色のようにも見える。
 赤くない・・・千之助は言葉を続けることができなくなった。
 女は視線を外すと背中の笠と風呂敷包を下ろしほっかむりを取った。中から真っ白な髪がふわりと広がる。真っ直ぐなおかっぱの髪は行燈の光を反射して一本一本が銀糸のように輝いた。
 見つめる千之助を無視して女は背中を向け、上がり框に腰を下ろして草鞋を脱いだ。千之助は草鞋を脱ぐ女の手先を凝視する。
 それは遠目には本物の手のように見える。だがよく見ると明らかに作り物だった。指の関節の一つ一つに可動接手の造作が見え、それがまるで妖術で操られてでもいるかのように滑らかに動いて草鞋の紐を解いていく。足もまた明らかに作り物だ。指や足首などの関節にやはり可動接手が見えている。女は草鞋を脱ぎ終え部屋に上がった。そのまましっかりとした足取りで部屋を横切り、壁際まで行くと優雅にひざを曲げ正座姿になった。その動きは生身の手足となんら遜色はない。千之助は声をかけるのも忘れてその一部始終に見とれていた。
 女は部屋の隅に落ち着くとそのまま動かなくなった。
 女は黙って座っている。作り物の足だから正座を長く続けても痺れることはないのだろう。どうでもいいようなことばかりが頭に浮かんでくるが、このままではらちが明かない。千之助は女を追い帰すことは諦めた。
「名は何という?」とりあえず千之助は訊いてみた。
「ヒトリ」女は短く答える。
「そうか、やはりヒトリというのがお前の名なのか」
 ヒトリと名乗った女は小さく頷いてから続けた。「お侍様のお名前は?」
「私の名は增井千之助という」つい声がきつくなっていたような気がして千之助は声を和らげた。「このとおりしがない浪人だ」
「マスイ・センノスケ様・・・」ヒトリは千之助の名を小な声で繰り返してから気を取り直したように尋ねた。「では、マスイ様」
「なんだ?」
「マスイ様はさっきあたしの手をじっと見ておられましたね」
「そうだったか?」動揺を悟られないように千之助は答える。
「確かに見ておられました。でも・・・」ヒトリは両手を広げて千之助の前に差し出した。ヒトリの両手の関節はすべて可動接手で繋がれていて、まるでからくり人形のようだ。「・・・これについてなにもお尋ねが無い」
「いやそれは・・・気が付かなかったな・・・」千之助の動揺は言葉に出る。
「マスイ様はあたしについて文吉からどこまで聞いておられるのですか?」言い訳は無視してヒトリは問い詰める。
 ヒトリの勢いに千之助は観念した。「文吉から聞いているのは・・・」少し間をおいて頭の中を整理すると千之助は答えた。「お前が生まれつき手足を欠いていたこと。触らずに物を動かす能力を持っていたこと。文吉が手足をこしらえてお前に与えたこと、そしてお前がその能力を生かしてそれを上手に操ったこと・・・それくらいだ」
 ヒトリは小さく溜息をついた。「文吉はみんな話したんですね。どうしてでしょう」
 千之助はその時の様子を思い出しながら言った。「お前が物の怪のように思われたまんまじゃ寝覚めが悪いと言ってな」
「物の怪?」ヒトリが視線を合わせた時、瞳が一瞬赤く輝いたような気がした。「以前マスイ様にお会いした時、あたしは手足を見せていないはずです。なのになぜあたしがマスイ様に物の怪のように思われるのでしょう」
 瞳が赤く見えたのは幻覚だったのだろうか?今見えている瞳はごく普通の黒っぽいものだ。「いや・・・」千之助は答えに窮した。
「あたしが手足の付け替えをしているのを見ておられたのですね」
「いや・・・その・・・」
「そのあたりの隙間から覗いてですか?」ヒトリは仕切りの壁を指さした。
「う・・・」千之助は既視感を覚えながらやはり言葉に窮する。
「見たのですね」ヒトリは断定した。
「すまぬ」千之助はただ深く頭を下げた。

 夜は更けている。そろそろ八つの鐘が聞こえる頃合いだ。
 ヒトリは部屋の隅で寝息を立てて眠っている。何処からだかは知らないが、ここまで歩いてきた疲れもあったのだろう。軽く食事を済ませ、寝着を与えて新之助の布団をあてがうとすぐに眠ってしまった。
 新之助は寝る場所を失ったので、ちょうど良い機会だと溜まっていた写本の仕事に取り掛かった。徹夜の仕事ははかどるが次の日に重い疲れが残るような気がして好きではない。だが、横で眠るヒトリから気を逸らせるためにはそれが最適な作業に思われた。実際、写本に集中するとすべての邪念は頭の中から消え去った。文字を追う作業は単純で、写し取る一文字一文字はただの生きる糧にすぎない。だが千之助にとって得るものが無いわけではない。孤独に集中して行うその作業は(写す本の内容が高尚な場合は特に)新之助を孤高の世界へと誘うこともあった。
 今夜も新之助はその孤高の世界に入り込んでいたのだが、そろそろ集中力の限界がきたようだ。新之助は改めて眠るヒトリの方へ目を向けた。
 彼女は顎の上まで掛け布団をきっちり引っ張り上げて眠っている。かろうじて見えている小さめの口は横一文に弾き結ばれ、薄い唇と合わせて勝気な印象だ。すぐ上では小ぶりな鼻が遠慮がちに上を向いている。ほっそりとした頬は薄汚れているが、きれいに洗えば弾力のある真っ白な肌が現れるのだろう。目は閉じられているが、目覚めれば大きな瞳が開くはずだ。色は別にして・・・。その上には前髪に隠された小さな額、そしてその上にはまるで子供のようにオカッパに揃えられた銀糸のように輝く真っ直ぐな髪。千之助が髪をそっと掻き上げると形の良い耳が現れた。恐る恐るそれに触れると彼女の寝息が乱れる。千之助は慌てて手を戻し、ヒトリとの距離を空けた。
「・・・・・・」千之助は思わず呟いた。声にはならなかったが、それはこの時代の男にしてはかなり特異な感想だった。

 千之助が目覚めた時、日はすでに高く上り、部屋は明るくなっていた。あの後、ヒトリを意識から追い出すために写本の仕事に戻ったのだが、いつのまにか寝落ちしたようだ。
 目の前には写本途中の紙が広げられていて、そこには寝落ちする時にできたであろう大きな墨の汚れが居座っている。おまけにすぐ横にはよだれのシミまでが我が物顔で並んでいる。仕事は紙一枚分無駄になったようだ。
 千之助はゆっくりと紙の上から顔を上げた。背中には掛け布団が掛けられている。ヒトリが掛けてくれたのだろう。
「ヒトリ・・・?」部屋の隅に目をやると、そこにはきちんとたたまれた敷き布団が置かれている。千之助は慌てて立ち上がり、そばに寄った。そこに置いてあった着物と風呂敷包、笠が無くなっている。土間を覗くと草鞋も無い。どうやら朝早く出て行ったようだ。千之助はホッとすると同時に残念さがないまぜになった気分を味わった。
 布団の上には貸してやった寝着がきちんと畳んで置かれている。
 千之助は思わず寝着を取り上げてそれを抱きしめた。そしてそのままそれに顔をうずめた。
 陽だまりの匂いがした。

2024.01.26
2024.01.30 細かい表現の見直し(ストーリーに変化はありません)
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
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プロフィール
こんにちは!サーカスへようこそ! 二人の左紀、サキと先が共同でブログを作っています。

山西 左紀

Author:山西 左紀
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