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Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

フォマルハウト Sequence 1

 捕まえた・・・。シャウラは頭の中で叫んだ。
 ライフルのスコープには標的の頭部が捕らえられている。
 顔は砂色の布で覆われ、隙間から目の辺りだけが覗いている。その大きな瞳は琥珀色に輝き、自分の進む方向を見つめている。
 シャウラはスコープの十字線を眉間に合わせてから慎重に引き金を絞り始めた。
 その瞬間、標的はスコープから消え去った。
 慌ててスコープを左右に振るが標的を見つけられるはずも無い。目をスコープから離して確認すると、そこには標的の乗っていた四足の動物が、ゆったりと歩を進めるのが見えるだけだ。神族が好んで乗用に使うバラサだ。体はふわふわした白い体毛に覆われ、長い首の上に乗った小さな頭には尖った短い角が2本生え、両側には可愛らしい目が覗いている。
 どこへ行った?シャウラの目は忙しなく周りを確認する。しかし、その標的の姿を見つけることは出来なかった。
 シャウラは一旦ライフルを自分の脇に横たえると、ひっくり返って仰向けの姿勢を取る。この僕が引き金を引く前に標的を見失うなんて・・・それに、あれは何だ?シャウラは目の上に両手を重ねてしばらくの間瞑想した。やがて彼はそれをすべて自分の目が太陽にやられたせいだということにして、再び俯せになりライフルを構え直した。
 視界にはやはり標的の乗っていたバラサが歩いている様子しか見えない。シャウラはスコープを覗いて細部を確認したがやはり標的の気配は無い。バラサは崖の下をゆっくりと歩み去り、彼はスコープを覗いたままその姿を追いかけていく。
 と・・・シャウラは激しい殺気を感じてスコープから目を上げた。上空から砂色の布に身を包んだ人形(ひとがた)が太陽を背に剣を構えたまま降ってくる。まさにその瞬間だった。標的だ!シャウラは本能の命じるまま体を捻る。剣は頬をかすめ、伸び始めた髭を剃り落として風化した花崗岩に当たり、ジャリ~ンと破片と火花をまき散らす。シャウラは全身をバネのように使って起き上がり、腰に差していた剣を引き抜きざま横一文字になぎ払う。人形は飛び上がってそれを避け、頭部をめがけて剣と共に再び落下する。ギィ~ン……両手で支えた剣がそれを受け止める。人形はそれを反動にしてクルリと回転し一旦距離を取る。と思う間もなく低い体勢で地面を走り、地表近くに構えた剣で大気を下から上に切り裂く。シャウラは剣先が額をかすめるのを感じながら後方宙返りでそれを避けた。だが、それが精一杯だった。シャウラは着地に失敗し、前のめりに地面に倒れ込む。その隙を逃すはずも無く、人形は一瞬で肩の上に膝から落下する。鎖骨と肩甲骨が粉砕される不気味な音が頭蓋骨の中から聞こえ、激痛が脳の中を走り抜ける。直後、首筋に剣を当てられる冷やりとした感触に、今感じていた激痛も遠のく。
 時間は凍り付いた。

 やがて人形が声を出す。「動くな……で、通じている?」
 女の声だ。シャウラは「わかった」と声を絞り出した。
 女は取り落としたシャウラの剣を遠くへ放り投げた。
「なぜアタシを狙う?理由によっては容赦はしない」砂色の布の隙間から大きな琥珀色の瞳が睨みつける。
 シャウラは剣から首をそらしてその顔を見返した。再び激痛が蘇ってくる。女は、顔をしかめるシャウラをじっと見ていたが、やがて視線を緩めた。シャウラは女が微笑んだのだろうと思った。
 女は剣をシャウラの首筋に当てたまま、顔を覆っていた布を下げた。琥珀色の大きな瞳を持つその顔は、彼自身の命の存在と激痛を意識の彼方に吹き飛ばし、シャウラの心を一瞬で虜にした。
 顔を見つめたまま押し黙っているシャウラに痺れを切らしたのか、肩を押さえつける膝の圧力を少し上げながら女が声を発した。
「なぜアタシを狙う?」
 シャウラは呻き声を上げながら答えた。「僕はレサトの衆だ。レサトは生業として神族を狙う。領地に入り込む神族に容赦はしない」
「レサト?」
「知らないのか?僕らの家系の呼び名だ」
「シンゾクとはなんだ?」また少し肩に力がかかる。
「お前は神族じゃないのか?神族は僕ら魔族の敵だ。もう4千年も争っている(長さや重さなどは我々の世界とは違う単位が使われているが、我々の世界の単位に換算して記載している)」痛みに耐えながらシャウラは答える。
「4千年?気の長い話だな。アタシはそのシンゾクでもマゾクでもない。人間だ」
「人間?人間だって?僕は人間を見るのは始めてだ。こんな所で人間に会えるとは思わなかった。そんな恰好をしているからてっきり神族かと……」シャウラはうっかり仰向けになろうと体に力を込めた。その瞬間、肩を思い切り押さえつけられたシャウラはその激痛に絶えられず、頭を地面に落して意識を失った。

 灯が揺れている。頭上には満点の星空が拡がっている。徐々に意識を取り戻したシャウラはゆっくりと周りを見廻した。
 夜の闇の中で、ユラユラと揺れている灯は焚き火だ。厳しく冷え込んだ空気の中で、体のそちら側だけは、ほんのりと暖かみを感じる。焚き火の傍には人影が見え、その脇にはバラサが寄り添うようにたたずんでいる。
 人影は顔をこちらに向けるとゆっくりと立ち上がった。「気がついたか?」覚えの有る声がして、長い髪がふわりと揺れる。焚き火の弱々しい光の中では正確な色は分らないが、光を反射する様子から明るい色の髪なのだろうとシャウラは想像した。
「目が覚めたのか?」シャウラが黙っているので女はもう一度聞いた。
 これ以上黙っているとまた骨折した場所を痛めつけられそうな気がしてシャウラは慌てて「殺さなかったんだな……」と言った。
「ククッ!アタシは殺すのが生業のレサトじゃ無い。アタシの生業はサーベイヤーだ」女は短く笑って言った。
「サーベイヤー?」シャウラにとって初めて耳にする言葉だった。
「実はアタシにもよく分かっていない。こうして旅をするのがアタシに課せられた使命だ」女はシャウラに近づくと様子を確認するように顔を覗き込んだ。
 暗い中、焚き火の灯りを反射して琥珀色の虹彩が浮かび上がる。そっと傷口に触れられて彼の心臓は鼓動を速めていく。そこには添え木と布が当てられ、丁寧に手当されていた。
 暫くシャウラの体を触ってから「腹が減ったろ」そう言うと女はバラサに近づいた。そして振り分け荷物から大きなお椀の様な器を取り出し、背中を向けたままバラサの近くで何かしていたが、やがて器を持ってこちらに戻りそれを差し出した。「飲め」声は少し暖かみを帯びたように感じられた。
 シャウラは体を起こそうとして痛みに顔をしかめる。女は、しょうがないな・・・という風に、シャウラの後ろに回り込んで腰を降ろした。そして器を地面に置いてから、シャウラの上半身を支えて自分の胸にもたれさせた。
 シャウラは後頭部に当たる女の胸の膨らみと、頬に触れる女の長い髪を感じながら、ますます速くなる鼓動が女に伝わらないか心配した。
 女は無事な方の左手に器を持たせてくれたが、そこには白い液体が入っていた。
「これはブースターの乳だ。飲めば元気になる。それにしてもお前の傷の回復力は凄い。みるみる治っていく。それはマゾクとやらの力なのか?」
 空腹を感じ始めていたシャウラは慌ててそれを飲もうとしてむせて、傷口の痛みにまた顔をしかめた。
「慌てるな。ゆっくり飲め」女はそっと器を支えてくれた。ゆっくりと口に含んでから飲み下す。それはほんのりと甘くそして暖かく、腹に収まると体中にエネルギーが浸み渡って行く。
「これくらいの傷は今夜寝て明日起きればだいたい回復している。人間だとどれくらいかかるのかは知らないけど」器を空にしてからシャウラは答えた。
「アタシ達だと100回は夜を過ごさなければならないだろう」
「不便なものだな」
「マゾクは人間より強いのか?」女が尋ねる。
「聞いた話だけど、魔族と神族は元々は同じ種族なんだ。一括りにしてイノセントと呼ばれる。このイノセントから生まれた変異種、それが人間、ギルティと呼ばれる者なんだそうだ」
「ギルティ?ふ~ん、アタシ達人間はイノセント?の変異種なのか」女は思案げに呟く。
 寒気を感じ始めていたシャウラは小さく体を震わせた。
 女はそれを見逃さなかった。「うん?寒いのか?」
「ブースター」女が呼ぶとブースターと呼ばれた動物は女のところへ回り込んできた。
「ブースター、悪いけど、こいつを入れてやってくれないか?」女が声をかけるとブースターはシャウラのそばで横になった。
「ほら、ここに入れ」女がブースターのお腹を触ると大きく穴が開いた。シャウラは女に支えられたまま、その袋状の穴に体を滑り込ませ、頭だけを袋から出して中に収まった。そこはまるで別天地のように暖かだった。
「僕はお前を殺そうとした。なのにどうしてこんなに親切にしてくれるんだ?」
「人違い、いや、神違いだったのだろう?」
「うん、てっきり神族だと思った」
「じゃぁ、お前はアタシを殺しに来たわけじゃない。だったらどうして放っておける?」
「礼を言うよ。痛い目に遭ったけどね」
「それはしょうがないだろう?間違いとはいえ、お前はアタシに剣を向けたんだ」
 シャウラは苦笑いを返してから「ブースターはバラサとは違うのか?」と気になっていたことを訊いた。
「そうだ」落ち着いた声がした。シャウラはあたりを見回し声の主を探した。
「ここだ。私が喋っている」シャウラはブースターの長い首の上に乗った頭についている可愛らしい目が、こちらを見つめていることにようやく気が付いた。
「お前が喋っているのか?」シャウラは驚きながら確認した。
「そうだ、私とバラサとの関係は、人間とイノセントとの関係と同じだ。だから姿もよく似ているし、こうして袋も持っている」ブースターはやはり落ち着いた声で答えた。声は男とも女ともとれる独特のものだ。
「けど・・・喋ってる」バラサは喋ったりはしない。信じられない・・・シャウラの表情はそう告げていた。
「そうだ。私は喋ることが出来る。そういうふうに作られたからだ」
「お前はギルティーに作られたのか?」
「そうだ。私にはフォマルハウトを運ぶと同時に、フォマルハウトを養育する任務も与えられている。だから高い知能と言葉を与えられた」
「ギルティーにはそんな事が出来るのか」シャウラにとってそれは驚きだった。
「ブースターの袋は私の子宮みたいなものだ」女は自慢げに言った。
「子宮?」シャウラは怪訝な顔をする。
「アタシは生まれ落ちてすぐに母親から離されて、この袋に入れられ、そのまま旅に出た。そして袋の中でブースターの乳を飲み、ブースターの教育を受けて育ったんだ」
「この世界とお前たちの世界の間には広大な結界という空間があって行き来は出来ないと聞いている。お前はその結界を越えてきたのか?」
「そうだ」
「なぜ?」
「アタシがサーベイヤーだからだ。それ以外に理由は無い」女は一切の質問を受け付けない断固とした口調で言った。
「お前、お前に名前はあるのか?」
「名前を聞くときは自分が名乗るのが礼儀じゃないのか?」
「すまない。僕はシャウラ。お前は?」
「アタシはフォマルハウト。言いにくいからファムでいい」ファムは照れたような顔で言った。
「ファム・・・良い名前だ」シャウラが呟いた。
「シャウラ・・・妙な名前だな」ファムがそれに答えた
 質問がひと段落したところで、シャウラは激しい眠気を憶えて大きくあくびをした。
「ん?眠くなったか?ミルクに薬草を入れておいたんだがマゾクにも効くみたいだな。痛みが止まるから楽になる。ゆっくり寝ろ。この様子なら起きる頃には回復してる」そう言うとファムも袋の中にもぐり込んできた。驚くシャウラに「怖がらなくていい。もう傷口を押さえつけたりはしない」ファムはそう言うとニヤリと笑った。シャウラはファムの柔らかい体を感じながら深い眠りに落ちていった。

 閉じた瞼の上から照りつける太陽に思わず両手をかざしてしまってから、シャウラはゆっくりと目覚めた。微かに残る頭痛に昨日の出来事を重ねながら、自分が地面の上で厚い毛布にくるまって寝転んでいることを理解した。
『ブースターは?彼女は?なんて言ったっけ?フォマルハウト、ファムは?』辺りを見回して誰もいないことを確認すると、シャウラは毛布を抜け出して立ち上がった。砂色一色に染め上げられた乾燥地帯のまっただ中、低いブッシュに囲まれた小さな広場にシャウラは突っ立ている。そっと肩に手を当ててみると、粉みじんに粉砕されたはずの骨は一晩でほぼ痕跡を残さないくらいに回復し、添え木や布も取り除かれている。昨日シャウラが誰かと戦った痕跡など、もうどこにも残っていない。
 昨夜ユラユラと炎を上げていた焚き火は地面に埋められ、注意深く探さなければ分らないほどの微かな痕跡を残しているだけだ。その痕跡も午前の風が消し去るのだろう。
 誰かが、ましてやあの琥珀色の大きな瞳を持つ不思議な人間の女が、自分と一夜を共にしたなどという痕跡は微塵も残っていない。このなんの目印もない荒野で、一旦ここを離れたらもう二度とここへは戻ってこれないだろう。シャウラはそう確信していた。
 シャウラは彼方に見える丘陵の形を目安に自分の位置を割り出し、厚い毛布を肩から被ると、愛用のライフルを肩にかけ、剣を腰に戻した。そして、もう一度確かめるように辺りを見回してから歩き始めた。
 高度を上げて“熱さ”を増した太陽は、大気中を舞う砂に含まれるキラのフィルターの向こうに鈍く輝いている。
 午前の風は強さを増して、不気味な唸り声を上げ始めていた。


2013.09.27 栗栖紗那さんに……
2020.07.01 微妙な修正
2020.08.10 フォマルハウトとして部分的に改稿
2020.10.11 さらに微妙に修正
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 2

 アルドラは目を閉じたまま漆黒の長い髪を床におろして静かに座っている。
 シャウラもまた不安を抱えたまま静かに座っていたが、さすがに耐えきれず薄く眼を開けてアルドラの方を見た。少し大きくなった呼吸に合わせて上下する彼女の肩の動きに、不安な気持ちが表れているように感じられて、シャウラの胸はいっぱいになった。
 ガタン、大きな音がして広間の引き戸が開いた。
 それと同時にアルドラも目を開け、一瞬シャウラと目を合わせてから開いた引き戸の方を向いた。
 シャウラも振り返って同じ方を見た。
 開いた隙間からこわばった親方の顔が覗き、やや速足で広間を横切った。
「フ~ム……」親方は囲炉裏の向こう側の毛皮の上に胡坐をかいて座り込むと気難しげに溜息を漏らした。
 シャウラは正面の冷たい床の上に畏まって座り、その様子を心配げに見つめている。親方の横ではアルドラが、これも心配げに見つめている。
「長老会議の裁定を伝えよう」親方が口を開いた。
「はい」シャウラは神妙に頭を低くした。
「シャウラ、お前はこの村を追放される」
「ヒッ……」アルドラが空気を吸い込む音が静まり返った広間に響いた。シャウラは頭を低くしたままだ。
 親方は声を強くした。「本当に憶えていないんだな?」
「はい、薬を飲まされていましたから」
「その女は、自分は“人間”であり、サーベイヤーだと言ったのだな?」
「はい、間違いありません」シャウラは頭を下げたままはっきりと答えた。
 暫くの間沈黙を保った後、親方は喋り始めた。
「広大な結界を越えてまでイノセンティアに入り込むギルティ、彼らはそれをサーベイヤーと呼んでいるらしいが……、それはギルティの放った崩壊因子だ。これが長老会議の統一した考え方だ。神族の奥の院ですらこの点では意見が一致している。」
「崩壊因子……ですか」
「ギルティは我々イノセントより遥かに下等な汚れた生き物だ。我々より能力も知能も劣る。だから奴らは種として生き残るために我々との交わりを望み、その調査のためにサーベイヤーを送って来ている。長老たちはそう推測しておられる」
 シャウラは頭を下げたまま黙って聞いている。
「これまでイノセンティアでは我々マゾクの側で2体、シンゾクの側で1体のサーベイヤーが確認されているが、どちら側でも的確に処理されている」
「処理、といいますと?」シャウラが始めて質問した。
「有り体に言えば殺したということだ。万が一サーベイヤーがイノセントと交わるような事があれば、それは我々イノセントの敗北への出発点になりかねない」
「なぜですか?」
「我々イノセントの資質が失われるからだ」
 シャウラは質問したいことが有ったが、頭を下げたまま黙っていた。
「汚れた種族と交わり、それが失われた時、イノセンティアは崩壊を始める。長老たちはそう考えておられる」凍りつくような冷静な声で親方は続けた。
「お前はここを出て行かねばならない。そしてそのサーベイヤーを探し出して処理するのだ。万が一お前が種になっていたのなら、期限は1年程(長さや重さなどは我々の世界とは違う単位が使われているが、我々の世界の単位に換算して記載している)しかない。我々レサトは他にも刺客を差し向けるから逃れられることは無いと思うが、お前自身がそのサーベイヤーを処理できなければここに戻ることは許されない」
 アルドラが静かにすすり泣く声が聞こえる。
「シャウラ、裁定は下った。明朝、日が昇る前に村を離れよ」親方は静かに告げた。その声は木霊のように何度も脳裏に響いた。
「わかりました」シャウラは額を床につけてそう言うと静かに立ち上がり、囲炉裏に背中を向けた。
「シャウラ!」親方の声に、シャウラは立ち止った。
「お前はワシに対して嘘をつくことは無いのだな」親方は確認を取るように言った。
「はい、親方に嘘はつけません」親方に背中を向けたままシャウラは答えた。
「そうか。そういう一途なところがワシは気に入っていたのだがな……」親方の声は苦しげだった。
 シャウラはアルドラの方を見ないように向きを変え、親方に向かって深く頭を下げると囲炉裏端を離れた。旅立ちの用意をする必要があった。それに出来れば出発までにひと眠りしておきたかった。体にはどす黒い疲労が大量に溜まっているはずだ。だが精神は奇妙な高揚感に支えられて、表面上は形を保っている。シャウラは自分を自分に感じられないまま暗い階段を登って行った。

 目の前には降り注ぐような星空が広がっている。
 だが真の闇では無い。
 微かな光がたどり着き、自分の周りの物を浮かび上がらせている。
『何の灯りだろう……?』暫くの間ぼんやりと考えていたシャウラは、ゆっくりと周りを見廻した。
 どこかに欠けた月があるはずだが、この位置からは姿を見ることはできない。
 そして闇の中でユラユラと揺れている灯は焚き火の炎だ。
 もうほとんど消えかかっていて、最後の炎が空しく揺れている。もう焚火の暖かさは感じられず、頬には厳しく冷たい空気が突き刺さってくる。だが体はとても暖かい。「ここは?」シャウラは思わず呟いた。
「起きているのか?」背後からくぐもった声が聞こえた。
 シャウラはおぼろげな記憶を貼り合わせていく。昼間戦った女の事、自分とその女がブースターという有袋動物の袋の中に収まっている事、そして今の声がその女、ファムのものだという事。めまぐるしく起こった出来事の記憶は、頭の中で合わさろうとしてまた離れる。「薬草を入れておいたんだがマゾクにも効くみたいだな。痛みが止まるから楽になる」ファムの言葉が蘇る。シャウラの意識はまた混沌との淵を彷徨い始めた。
 シャウラは背中に女の胸の膨らみを感じた。ファムは両手でシャウラをしっかりと抱きしめ、背中にピッタリと寄り添った。体にはほとんど力が入らず、傷の痛みも感じない。シャウラの体がゆっくりと裏返され、ファムと向かい合わせになった時、シャウラは驚きのために一瞬覚醒した。
 ファムの額の真ん中にもう一つの目が開いていたのだ。やはり目はあったのだ。暑さのせいで見た幻覚じゃない。微かな光の中でもその瞳は赤く輝き、じっとシャウラを見つめている。意識が遠のき始めた。シャウラはされるがままにファムの腕の中に抱きしめられた。別の生き物のように艶めかしく動き回るファムの指、シャウラは痺れるような感覚を下半身に感じ始め、それはやがて全身へと拡がっていった。

 唐突に目が覚めた。常夜灯の微かな明かりの中、大きな黒い木の梁が頭のすぐ上を横切り、今にも落ちてきそうな錯覚を憶える。シャウラは自分が親方の屋敷の屋根裏にある自分の寝床で横になったことを思い出した。そして自分の体の異変を感じ取ると、ゆっくりと上半身を起こした。あまりにも急激な展開に精神は疲弊していた。充実した日常は、一夜の出来ごとによって跡形も無く消え去った。旅立ちに備え眠っておかなければならなかったが、まったく寝付けないまま夜は更けて行った。ようやく明け方近くなってウトウトしたとたんに夢を見た。
 なぜこんな夢を見たのだろう?ファムの感触が生々しく蘇ってくる。シャウラは鉛のように重くなった体を無理やり立ちあがらせると、階段を降り屋敷を出て裏に回り込んだ。屋敷の裏手には暑い時期、外から帰った者が埃まみれの体に頭から水を被るための水浴び場がある。シャウラは寒気の中、脂汗に湿った寝間着と汚してしまった下着を脱いで全裸になり、幾つも並んだ蛇口のうちの1つの下に立った。そして、ポンプの柄を勢い良く動かして頭から水を被り始めた。凍りつくような冷たい水が全身に降りかかり、痺れるような感覚が頭の先から天空へ突きぬけて行く。自分に罰を与えるように長い時間水を浴びた後、歯を鳴らしながら下着を洗う。だがその惨めな自分の姿にも我慢ができず、シャウラはまた水を浴び始めた。すでに冷たいという感覚も無くなったが、シャウラはポンプの柄を勢いよく動かし続けた。これ以上続けたら、いくらマゾクの自分でも命に係ることは分かっている。ファム、フォマルハウトとの関係をはっきりと否定できないことで失ったものはとてつもなく大きかった。その行為を夢に見る自分が許せなかった。そして、親方に全てを正直に話したことへの後悔の念もあった。もうどうなってもいい、シャウラはそう思い始めていた。
 突然ポンプの柄が動かなくなった。
 原因を確かめる為に目を上げると、そこにはアルドラの姿があった。ポンプの柄は彼女にしっかりと握られ、それ以上は動かなかった。彼女はシャウラに近づくと防寒着のまま強く抱きしめた。そして耳元に唇を近付けると強い声で言った。
「もうこれ以上は止めて!」そして静かに「もう着替えなくては・・・。夜が明けるわ」と続けた。体についた水滴が彼女の防寒着に浸み込んで行く。シャウラは昨日までは自分の婚約者だった女の顔を見つめた。漆黒の長い髪、細面の顔、切れ長の目、優しいダークブラウンの瞳、通った鼻、小さな赤い唇、そして柔らかな体、だがもうそれに触れることは出来ないのだ。
 やがてシャウラは黙ったままクルリと向きを変え歩き始めた。女は声を掛けなかったし、シャウラは振り返らなかった。
 今のアルドラの言葉で、シャウラは考えを変えた。こんなところで命を落としても親方にも彼女にも迷惑をかけるだけだ。僕は彼女の前から跡形を残さず消える方がいいのだ。戻らぬ旅に出かけよう。
 シャウラは屋根裏に戻ると体の水分を丁寧にふき取り、旅の装束を身につけた。最後に防寒のための分厚い上着を上から被ると、体の中にほのかな火が灯ったように少しずつ精気が戻ってくる。愛用の狙撃ライフルを背中に掛け、弾丸の束と小刀そして剣を腰のベルトに着けると階段を降りた。降りた先の戸をそっと開けるとそこは広間だった。
 広間には誰も居ない。
 常夜灯に浮かび上がる高い天井には、樹齢100年の木から作られた大きな梁が何本も通っている。四隅の柱は樹齢150年の木から作られていて、これがその大きな梁と天井を支えている。板張りの床の真ん中には囲炉裏が切られていて、そこはシャウラが物心ついてからずっと仲間との団欒を過ごした場所だ。親方や奥方、兄弟弟子達と楽しく過ごした日々の光景が蘇ってくる。その中にアルドラも居たのだ。
 美しく聡明でしかも親方の1人娘でもあったアルドラは、みんなのあこがれの的だった。シャウラが婚約者に選ばれて婚約の儀を取り行った時は、みんなの羨望の眼差しを受けて誇らしかった。
 シャウラは広間の入り口から少し入ったところで立ち止って暫くの間立っていたが、やがて振り切るように踵を返すと大股で広間を出て後ろ手にそっと戸を閉めた。
 廊下を歩き“たたき”で靴を履くと外に出る。
 目の前には降り注ぐような星空が広がっている。
 夜明けまでにはまだだいぶ間があるが、日の出の方向にはもう夜明けの気配が漂い始めている。シャウラは村の中心の石畳の大きな広場を横切り、村の門へ向かった。

 村の門は村を囲む石造りの城壁に挟まれた大きな木造の建物だ。2階部分は櫓になっていて外部から門に近付くものを見張ることが出来るようになっている。1階部分は村への出入り口で、丈夫な金属の装飾で覆われた木造の大きな扉と、同じ作りの小さな扉で構成されている。大きな扉は夜間は何か行事がある時しか開くことは無く、昼間人々が行きかう時以外は閉じられている。大きな扉が閉じられている時は通常は小さな扉を開けて行き来することになる。
 シャウラは門に近づきながら首を傾げた。いつも夜間は立っている門番がいないのだ。疑問に思いながら小さな扉に近づくと建物の影から人影が現れた。その人物の顔を見てシャウラは驚いた。アルドラだった。アルドラはもう1つ大きな影を引き連れている。アルドラが近づいてくると、その大きな影もそれにつれて建物の蔭からその真っ白な姿を現した。
「シャウラ」アルドラはようやく声を出した。
 シャウラは立ち止まった。
「父からこのサドルをあなたに渡すように託ったの」アルドラはそう言って手綱を放した。
 白いサドルはその長い4本の足で優雅にステップを踏みながら近づいてくると、首を大きく振っていななき、大きな目でシャウラを優しく見つめた。
「スハイル!」シャウラはサドルに近づき、短い毛足の胴をそっと撫でた。スハイルは親方がずっと乗ってきた最強のサドルだ。
「あなたが世話をしてきたから慣れているだろうって、あなたにしてやれることは、もうこれぐらいしか無いって、父が」アルドラは感情を込めない声で言った。
 シャウラは黙ったままアルドラを見つめていた。
 アルドラはシャウラから距離を置いて立っていたが、シャウラと目が合うと慌てて目を伏せた。そして俯いたままシャウラの方に向かってゆっくりと近づいた。
「これを……」アルドラはポケットから小さな物を取り出すと、隠すように手の平で覆い、シャウラに差し出した。
 シャウラが手の平を上に向けて広げると、アルドラはその小さな物を手の平で覆ったままシャウラの手の上にのせた。微かに触れあう指にアルドラの感触を想いシャウラの心は痛んだが、彼女はすぐに手を引っ込めた。
 シャウラの手の平には繊細な模様が彫り込まれた小さな銀色の球体が残された。
「それは私の心。一緒に連れて行って……」それだけをか細い声で言うとアルドラは髪を揺らしてクルリと向きを変え、そのまま駆け出した。
「アルドラ!」シャウラは1歩2歩と踏み出したがそこで動きを止め、アルドラの姿は通りの向こうに消えていった。
 呆然と立っていたシャウラは、やがて手の平の球体を大事そうに両の手で包み込んだ。すると突然球体が音楽を奏で始めた。
『オルゴール?』それはシャウラにとってなじみ深い曲だった。レサト一族に古くから伝わる伝統的な曲だ。小さい頃からアルドラがよく口ずさんでいたメロディーで、たしか彼女のおばあさんから教わった曲だと言っていた。彼女が物心つかない頃に亡くなったのにいつ教わったんだろう?と疑問に思っていたが、この球体から彼女に受け継がれたのだろう。
 小さなオルゴールはもう一度全体をそっと手で覆うと鳴り止んだ。シャウラはそれを懐にしまうと、スハイルに近づいてポンポンと胴を叩きながら状態を確かめた。彼はすこぶる元気で、腹もいっぱいの様子だ。そして振り分けバッグに食料や水や路銀が納められているのを見つけると、親方の屋敷の方を向いて改めて頭を深く下げた。
 しばらくそうしてからシャウラは小さい方の扉をあけ、スハイルを曳いて外へ出た。そして扉を閉じ、鐙に足をかけスハイルにまたがった。ガタリと閂を閉める音がした。門番が戻ってきたようだ。
 最後に門を見上げてから「ホウッ」と声をかけ、手綱を少し鳴らすとスハイルはゆっくりと歩み出した。
 いつ終わるとも知れない旅が始まろうとしていた。


2013.12.26 スカイさんに。感謝をこめて……
2016.04.16 アルドラの容姿を変更
2020.07.02 微妙な修正
2020.08.10 フォマルハウトとして部分的に改稿
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 3

 峠の鞍部に差し掛かると、シャウラは「ドウ」と声をかけた。スハイルはその4本の長い脚を止めると、長い首を左右に小さく振って自分の仕事をアピールした。長い峠を休みなしに登ってきたせいで、スハイルは全身に汗をかいている。少し体を冷ましてやらなくては・・・シャウラはスハイルの首筋をポンポンと軽く叩いて「よしよし」と労ってやってから、峠の向こう側に目をやった。
 峠を下った先は平野になっていて、さらにその先は海岸線だ。そしてその海岸線に沿って港を抱えた大きな町が見えている。このあたりでは最も大きな都市、バンガイル・ステイグルドだ。
 かつては強大な権力を持つ神族の1つが統治する王都で、滑らかな漆喰で覆われた白亜の巨大な塔が無数にそびえたつ美しい都だった。だが今ではその塔は途中で折れ、崩れ去り、内部の赤い煉瓦をさらけ出している。そしてその崩れた赤い煉瓦を使って、周りに新しく建物群が無秩序に建てられ、混沌とした街並みが形作られている。それはまるで斧で叩き切られ、内臓をぶちまけた屍の様だ。シャウラは不吉な印象を持った。
 町はこの都市を滅ぼした魔族国家タブリの一応の支配下にあったが、治安維持にまで手が回らず、治外法権と言ってもいい混乱の中にあった。
 シャウラはスハイルを一休みさせてから峠を下って行った。

 町はかつて白亜の城壁だった灰色の壁に囲まれている。ほとんどが崩れ去っているため城壁の機能は果たしていないが、それでも旅人はかつての門から出入りしている。シャウラはスハイルから降りると、巨大なアーチをくぐって町の中へと入った。
 この町は魔族の支配下にあるのだが、そこを歩いている、あるいは商いを営んでいるたくさんのイノセントたちが魔族なのかというと怪しいものだ。
 もともとは同じイノセントでも魔族は有色、神族は白色、という特徴を持っていたが、このような支配の弱体化した混乱の地方では混血が進み、外観で見分けはつけにくい。服装も両方の特徴を足して2で割ったような物や、伝統を無視した自由奔放な物がほとんどなので、その方面からの分別も難しい。いかにも魔族という格好をしたシャウラの方が目立つぐらいだ。
 イノセントは神族と魔族に明確に分かれ、長い間争いを続けてきた。だが、やがて支配の弱体化の隙を突くように、バンガイル・ステイグルドのような無法地帯が生まれ、混乱をもたらす一方、自由貿易都市のような環境を作り出した。それらの都市は両種族の共生を認める国家群と合わせて第3のテリトリーを形成し、種族間の争いに支配されることのない自由な交易を行った。
 通りの両側には商店がずらりと立ち並び、たくさんの色鮮やかな商品で溢れかえっている。通りは買い物をする人で溢れかえり、賑やかな呼び込みの声が幾重にも聞こえてくる。シャウラはしつこく付きまとう呼び込みを交わすために角を曲がり裏通りに入った。
 その通りは驚くほど人通りが少なく静かだった。シャウラはホッとしたが、今度は周りの建物の扉が固く閉ざされ、今夜の宿を探すことができない。シャウラは辺りを見回しながら賑やかな方へと進んで行き、やがて大きな広場に行き当たった。その広場には巨大な輸送車が何十台もひしめき合って止まっていて、それぞれの輸送車の御者や、用心棒と思われる男達が、そこここに集まって何か言い合いをしている。今にも喧嘩が始まりそうな集団もある。
 シャウラはそれを避けながら広場の真ん中へと入って行った。そこにはもっとたくさんの男たちが集まり賑やかに何かを話していたが、やがて1人の男が高らかにホルンを吹き鳴らすと静かになってそちらの方に注目した。ホルンの男の隣に立っていたがっちりとした男が1台の輸送車の後ろに立った。ガチャリと大きな音を立てて大きな鍵を外し扉を開ける。そして中へ入ると中から1人の人を連れ出した。手足は鎖に繋がれている。
「奴隷だ・・・」シャウラは口の中で呟いた。
 男が口上を述べ、周りの男たちが次々と指を立て声をかけ始めた。奴隷商人たちの競りが始まったようだ。
「兄さんも買い物かね?」横に居たちょび髭の男が声をかけてきた。
「いや・・・」シャウラは言葉を濁した。
「安心しな。この町は大丈夫だ。ここじゃ法律なんざぁ、有って無いようなもんだからな」
「そうですか。でも奴隷ってどこから連れてくるんですか?」シャウラは素直な疑問を口にした。実際、シャウラは奴隷を見るのは初めてだった。
「そんなことも知らねえのか?戦でぶんどった神族どもにきまってるじゃねえか。反対に神族共は俺達魔族をぶんどってるんだがな。それと後はギルティだな」
「ギルティが居るんですか?」シャウラの声は大きくなった。
「お前さん、バイヤーじゃねぇだろ。旅の途中、慰みもんでも探している用心棒って感じだな」
「慰みもん?」
「気にするな。冗談だ」ちょび髭の男はニヤリと笑った。「どういう訳だが知らないが、希にだがイノセントからギルティが生まれて来ることがある。そいつらはこっそり排除されてここへ売られてくるっていう訳だ」
「それで、生まれた時の“洗礼”を厳密に行うようになったのですか?」
「そういうことだ。分かってるじゃねぇか」
「でも、僕らとギルティはどうやって見分けるんですか?」
「知らねぇな。洗礼士には区別できるんだろうけどよ」ちょび髭の男はまたにやりと笑った。
 話している間にも次々と奴隷が曳きだされ売られていく。だいたい金の粒3個から5個が相場の様だ。やがて扉の前の男は1人の少女を曳き出した。
「次は神族の女だ。上物だ!12歳だが、大人だ・・・」口上が述べられる。
「おお~」奴隷商人の間からざわめきが漏れる。
『美しい・・・』シャウラもそう思った。髪は肩のところで乱暴に切られているが金色で、手入れをすれば黄金色に輝きそうだ。少し俯き加減だが、整った顔立ちは凛々しく、引き結んだ小さな唇は不純なものを全て跳ね返すかのように毅然としている。瞳は青で、まるで吸い込まれるようだ。栄養不足の体はほっそりしているが均整はとれている。
 シャウラは懐に手を突っ込んで革袋の中身をそっと確認した。すぐ横でちょび髭がうっすらと笑っている。
「最初は金5個からだ」扉の前の男が宣言した。
「金6個!」たちまち声がかかる。
「金7個」「いや8個だ!!!」「俺は9個だ!」たちまち値がつり上がって行く。
「10個!」左側で声が上がった。その直後「10個と銀5個だ!!」右側で声が上がる。「金11個!」まだかけ声は止まらない。
 シャウラの手が挙がった。「金20個だ!!!」
 辺りは水を打ったように静かになった。
「金20個の声がかかったよ!他にはないか?さあ!さあ!」扉の前の男が繰り返す。「どうだ!金20個!見ての通り上物だ!安い買い物だよ!手に入れたい奴は居ないのか?さあ!さあ!どうだ?」声を張り上げる。
「21個!!!」向かいで声が上がった。
 ドオッっとどよめきが起こった。
 シャウラは懐の中の革袋を握りしめる。
「金21個の声がかかったよ!他にはないか?さあ!さあ!」扉の前の男が繰り返す。
 シャウラは少女の方へ目を向けた。少女がわずかに顔を上げた。目があったような気がしたとき「30個!!!」シャウラは無意識に叫んでいた。
 辺りはまた水を打ったように静かになった。
「金30個の声がかかった!こんな上等の掘り出し物はめったにないよ!さあ!さあ!どうだ?」扉の前の男はゆっくりと広場を見渡してから大きく手を叩いた。
「よし!そこの兄さん。金30でこの子はあんたのもんだ」
 ため息のような罵声が辺りを包んだ。

 シャウラは金30個を渡して少女と拘束具の鍵を受け取ると、その場で彼女の拘束具を外し、2人でスハイルに跨って広場を離れた。そして人気のない石の柱の立ち並ぶ回廊に入った。
「追けられている。ちょっと待っててくれ」シャウラは優しく声をかけたが、少女は冷たい視線で見つめ返すだけだ。
 シャウラは気配を感じ後ろを振り返った。
「よお、兄さん」広場で横に居たちょび髭の男が石柱の陰から姿を現した。
 シャウラは無言でスハイルを降り、そちらへ体を向ける。
「その奴隷をこっちへ渡してもらおうか」ちょび髭は腰に差していた長刀をスラリと抜いた。石柱の陰から同じように長刀を持った男が2人現れた。
「だまってそいつを置いていけばなんにもしねぇ」ちょび髭は薄ら笑いを浮かべる。
「そうはいかない。この子には持ち金をあらかた使ってしまったんだ」
「それは気の毒だったな。だが、自分の命の方がずっと値が張ると思うが?」ちょび髭は刀を頭の上に構えた。他の2人もそれぞれに刀を構える。
 全てを失っていたシャウラは自分の命が惜しいような状況にはなかったが、こんな奴にただ無意味に命をくれてやる事もばからしく思えた。
 シャウラは腰の剣に手をかけた。次の瞬間、勢いよくそれを引き抜き、真横に薙ぎ払った。ちょび髭は後ろに飛びのいてそれを避けると、刀を振り下ろした。シャウラの額の数ミリ先を刀が通り過ぎる。そのままの体勢でシャウラは前に踏み出し、ちょび髭の刀を踏みつけ剣を突き出した。
「うがぁ」シャウラの剣はちょび髭の胸を貫いていた。勢いよく血潮が吹き上がる。そのまま剣を戻し振り上げると、後の二人を片付けるのは造作もなかった。あっという間に屍が3つ、石の地面に転がった。シャウラは慣れた手つきで3人の首を切り落とすと、その首を遠くへ蹴り飛ばした。イノセントは適切な手当てを受ければ復活する可能性があるからだ。
 その様子を少女の冷たい視線が追いかける。
 シャウラは倒れている男の外套で剣に付いた血を拭ってから鞘に納め、ゆっくりと少女に近づいた。
「行こうか」少女は言われるままに従ったが、やはり反応は返ってこなかった。

 シャウラは何事もなかったように少女を連れて引き返し、商店の立ち並ぶ通りで少女の服を買った。それまで纏っていた奴隷の装束では目立ち過ぎたからだ。特徴の無い安物の服だったが、それだけでも少女は匂い立つように美しくなった。
「もともとは高貴な生まれなんだろうねぇ」着替えさせてくれた店の女主人が見とれながら言ったが、少女は眉1つ動かさなかった。
 その後夕食のためにシャウラは食堂へ入ったが、少女は一口も料理を口にしなかった。いくら勧めても少女はただ黙っているだけだ。
 明らかに魔族とわかる格好をしたシャウラと、どう見ても神族に見える少女の組み合わせは人目を惹きそうに思えたが、食堂の客達は気にする様子はまったくなかった。その夜泊まった宿の女主人や宿泊客達も同じだった。シャウラの常識では考えられないことだったが、この町では特に目を惹くことではないようだ。
 宿代として銀の粒を1つ渡し「これでどれくらい泊まれる?」と尋ねると、女主人は少し驚いた顔をしたが「これだけあれば一月(長さや重さなどは我々の世界とは違う単位が使われているが、我々の世界の単位に換算して記載している)は泊まれるよ」と答えた。
「じゃぁ、とりあえず半月でたのむ」シャウラがそう言うと「まけておくよ」と銅の粒を6個返され、2階の静かな部屋に案内された。ベッドは1つしか無かったが幅が広く、この宿では最上の部屋のようだった。親方が持たせてくれた路銀は銀の粒を少し残すだけになっていたが、無くなったら無くなった時のことだ、シャウラは先の事を心配する気にはなれなかった。
「名前は何という?」
「・・・」
「どうして奴隷になった?」
「・・・」
「お前は本当に神族なのか?」
「・・・」
 部屋に入って落ち着くとシャウラは次々と質問を投げかけたが、返ってくるのはやはり冷たい視線だけだった。彼女の虹彩はまるで凍りついたように青さを増していく。
「なあ、お前について話してくれないか。行きたいところがあれば行っていいし、なんなら連れて行ってやる」
「・・・」少女は黙っていたが、この時だけは虹彩の青さに変化があったように見えた。
「どうだ?どこへ行きたい?どこへ連れて行ってほしい?」
「・・・」
「お前は口が利けないのか?」
「・・・」少女は一言も口を利かなかった。
 シャウラは諦めて少女をベッドに寝かせると、自分は床の上に横になって灯りを消した。遠くで誰かが騒いでいる声が聞こえていたが、シャウラはそのまま深い眠りに落ちていった。

 背中の痛みに目が覚めると辺りはもう明るかった。疲れが溜まっているのだろうか、少し寝坊をしたようだ。窓からは通りを歩く人々のざわめきが聞こえてくる。シャウラは軋む体をかばいながら硬い床から体を起こした。
 そうだ、あの子はどうしたのだろう?夜のうちに逃げてしまったかもしれないな・・・そう思いながらシャウラはベッドを覗き込んだ。
 少女は眠っている。
 だがシャウラはすぐに異変に気が付いた。少女の顔がやけに白い、それにかけられた布団が不自然に盛り上がっている。
「どうした?」シャウラは慌てて布団をめくりあげ、そのまま固まってしまった。
 少女の胸には小刀が突き刺さっていた。それはシャウラの小刀だった。少女の両手はしっかりとその柄を握っている。出血は酷く血液はベッドを通り越しその下の床に血だまりを作っていた。
「なぜだ!」シャウラの叫びは声にはならなかった。


2016.04.12
2016.04.16 細かい修正(ストーリーに変化はありません)
2020.07.19 微妙な修正
2020.08.18 フォマルハウトとして部分的に改稿
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 4

 シャウラは部屋を飛び出すと階段を駆け下り、入口の横にある小部屋へ駆け込んだ。「医者を呼んでくれ!」
「どうしたんだい?」宿の女主人は訝しげにシャウラの顔を覗き込んだ。
「連れがたぶん死んでいる」
「死んでいる?そりゃまた尋常じゃないね」女主人は落ち着き払った声を出した。「で?あんたが殺したのかい?」
「いや、そうじゃないんだが、とにかく医者を呼んでくれ」
「でも、死んでるんだったら医者より坊さんだろ?とにかく見せておくれ」女主人は立ち上がるとシャウラの脇を抜け階段を登っていった。シャウラは少しの間そこに留まっていたが慌てて後を追った。
 部屋に入ると女主人はベッド脇に座り込み布団をまくり上げて少女の様子を覗き込んでいた。シャウラは彼女の後ろにそっと立った。
「この子は自分で胸を刺したのかね。相当に強い意志がないとこんなには出来ないよ」布団を戻しながら女主人が振り向いた。
「僕じゃない」
「あんただって言ってるわけじゃないよ。そうだね。駄目だと思うけどワタリの婆さんを呼んでこようかね。あんたこの子を見ていてくれるかい?」
「ワタリの婆さん?」
「そう、坊さんじゃないよ。婆さんだ。ちょっと行ってくるよ。すぐに戻る」女主人は慌てる様子もなく部屋を出て行った。
 少女の顔はまるで眠っているように穏やかだった。血の気を失った白い顔は、まるでこれまでの汚れを流し去ったかのように輝いて見えた。

「邪魔するよ」入り口で声がして黒い塊が入ってきた。それは黒い外套で全身をくまなく覆った小柄な人だった。頭も黒い帽子を被っているのでまるで黒い塊のように見える。声からすると年老いた女性のようだ。
 続いて女主人も部屋に入ってきた。「ワタリの婆さんを呼んできたよ。このへんでは名の知れた呪術師だ」
「呪術師?」シャウラは説明を求める。
「この辺じゃ医者なんていう気の利いた者は居ないんでね。それにたぶん医者じゃぁもう役に立たないよ」女主人が答える。
「見せてくれるか」ワタリの婆さんはシャウラをどけると、少女の様子を確かめるためベッドの脇に立って布団をまくり上げた。そして服を脱がせ傷の様子を確かめる。
「う~む」ワタリは暫くの間唸っていたが、やがて「お前さん、金は持っているか?」と訊いた。
「え?ああ、持っている」
「見せてみろ。全部だ」
 シャウラは懐から袋を取り出すと中身を手の平にあけた。
「しけてるな」ワタリはシャウラをしげしげと見て言った。「お前さん、レサトの衆だな?」
「そうだ」シャウラは短く答える。
「レサトなら鉄砲を持っているだろ?」
「鉄砲?ああ、ライフルのことか?持っている」
「それを見せてみろ」
 シャウラは部屋の隅に行って自分の狙撃ライフルを持ってきた。
「そう、それそれ、見せてみな」ワタリはライフルを受け取るとあちこち向きを変えて観察した。
「いいものだ。それにここに入っている石は月光石だ」ワタリは銃床に並べてはめ込まれた石を指さした。「お前さんらにとっては単なる装飾だろうが、この石は希少なものだ。この鉄砲を手放しな。そうするつもりがあるならこの子を看てやってもいい」
「助かるのか?」シャウラは少女を見ながら言った。
「わからん。イノセントは滅多なことでは死なんが、ここまで酷いと何とも言えん。お前さんが神族を殺るときはどこを狙う?」
「頭だ。眉間を狙う」
 ワタリは頷いた。「さすがのイノセントも頭をやられたら終わりだ。脳の再生は不可能だからな。だがそれ以外の部分ならかなりの確率で再生出来る。だからお前さんも頭を狙う。そうだろう?」
「そうだ」
「この子も頭は無事だから一応可能性は残されているが、時間が経ちすぎている。今からやっても再生する確率は低い。どうだ、お前さんはこの子の何か知らんが、やってみる気はあるか?」ワタリは舐めるようにシャウラの顔を覗きこむ。
「やってくれ」ここまできて放り出す気持ちにはなれない。シャウラは即答した。
「助かる可能性は低いが、それでもか?」
「構わない、やってくれ」シャウラは覚悟を決めた。
 ワタリは女主人の方を振り向いた。「あんたが証人だ」
 女主人が頷いた。「ああ、確かに聞いた」
「じゃあ、見せてやるか」満足そうに頷いたワタリは、外套の内側から袋を取り出し、手を突っ込んで中から何かを取り出した。
 シャウラが覗き込むとワタリはそれを目の前に差しだした。
「これはムカゴという蟲だ」そこにはシャウラたちが主食にしているアワラの実に付く芋虫のような生き物が蠢いていた。だがシャウラの知っている芋虫に比べて大きさは10倍以上もある。色は半透明で、それを持っているワタリの手がうっすらと透けて見える。
「ガザミ、たっぷりの綺麗な水を」ワタリが指示を与える。
「はいよ」女主人は廊下へ出て水をいっぱいに入れたバケツを運んできた。
「これは傷を食べて生きる蟲だ。見てな」ワタリは芋虫をバケツの中に入れた。芋虫は水を吸い込んで風船のように膨らんでいく。バケツはほとんど空になり、いっぱいに膨らんだ芋虫の体はますます透明になっていく。
 ワタリは少女の方へ向き直り、胸に突き刺さったシャウラの小刀から硬直した少女の手を引き剥がした。そして胸からゆっくりと小刀を抜き取る。血液はすでに出尽くしてしまったのか固まっていて新たな出血は無い。ワタリはたっぷりと水を吸い込んで膨らんだ芋虫を抱き上げた。芋虫は傷口の存在を感じたのか激しく動き始める。ワタリは芋虫を少女の傷口の傍に置いた。
 芋虫は少女の血まみれの皮膚に吸い付くと血糊を舐め取り、シャクシャクと音を立てて傷口を食い破る。そしてその頭部を少女の体の中へ食い込ませて行き、それにつれて芋虫の体は縮んでいく。
 シャウラはその様子に驚いて思わず1歩下がった。
 やがて芋虫の全身は少女の胸の中へ吸い込まれ、その後には少女の白い乳房だけが残された。大きく開いていた傷口もその周りの血糊も、芋虫が食べてしまったのか跡形もない。
 シャウラは傷口を見ようと少女に近づこうとした。
「もう少し待て、まだ背中側が終わっていない」ワタリが手を伸ばしてシャウラを制止した。やがてシャクシャクという音が止んだ。
「終わったようだ」ワタリが顔を少女の胸に近づけた。手の平を乳房の間にそっと当てる。そして離す。
「上手くいったようだ。心臓が動き始めた」
「そうか。よかった」シャウラの顔がほころぶ。
「だが、まだだ」ワタリは少女の胸を透かすように何度も位置を変えながら見つめている。すこし少女の体を持ち上げて背中側も覗き込む。そして傷の有った所をそっと撫ぜながら言った。「大丈夫のようだ。完全に塞がっている」
「蟲はどうなったんだ?」シャウラが訊いた。
「体の中に入り込んで、この子の体に同化したのさ。その時に宿主の傷を治してしまうんだ」
「じゃ、この子の中で生きているのか?」
「そうとも言えるし、そうで無いとも言える。蟲はもう完全にこの子の体になってしまっているからな」
「何の影響もないのか?」
「たぶんな。はっきりと蟲が原因とわかる影響が残ったことはない。蟲は傷を喰い、宿主に同化してしまう。それだけだ」
「信じられない」
「信じる信じないは勝手だが、ほれ、呼吸も始まったし血色も良くなってきた」ワタリは少女の方をへ手をかざした。
 少女の青白かった肌や顔はほんのりとピンクに染まり、乳房がゆっくりと上下する。シャウラは慌てて目を逸らした。
「隣の部屋に新しいベッドを用意するよ。ここじゃ血まみれだからね」その様子を見て女主人が言った。
「すまない」シャウラは礼を言ったが、女主人は「銅の粒を追加で2つもらうよ。ここの布団は使えなくなったし、部屋も綺麗にしなくちゃいけないし・・・」とすまし顔で付け加えた。シャウラは頷いた。

「ケフン・ケフン・・・」少女が小さく咳き込んだ。シャウラは慌てて少女の顔を覗きこんだが、少女がまた寝息を立て始めたので顔を元に戻した。
 あれからすぐにシャウラは女主人とワタリに部屋を追い出された。少女は体を丁寧に拭かれ、新しい寝間着に着替えさせられて、隣の部屋に用意された新しいベッドに移された。
 銅の粒を2つ持って行かれたがしょうがない。シャウラは納得していた。部屋は血まみれでとても滞在できる状態ではなかったからだ。
 今はまた少女と2人きりになって静かに様子を窺っている。ワタリはもう大丈夫だと言って帰って行ったが、あんな状態だったからやはり心配だった。
「う~ん」少女が小さく声を出した。『始めて声を聞いたな』シャウラはまた顔を覗きこんだ。
 少女の目がうっすらと開いた。凍りつくようだった青い瞳は、温かさを取り戻しているように見えた。
「気が付いたか?」シャウラは慎重に声をかけた。
 少女は徐々に目を開いていったが、やがてその目は涙でいっぱいになった。
「ここは宿のベッドだ。安心していい」シャウラは微笑んでみせた。
 少女は暫くの間天井を見つめてから独り言のように言った。「行けなかった・・・」思っていた通り透き通った声だ。
「どこへ?」
 また暫く間が開く。
「皆のところへ・・・」少女は操られたように答える。
「皆?」
「お父様やお母様、シェダやカフやルクバやセギ・・・」堰を切ったように涙が流れ出る。それがポタポタとシーツを濡らす。今、少女が挙げた人達がどこにいるのか、答えは明白だった。
「そこへ行こうとしていたのか?」間抜けな質問だとシャウラは思った。
「あなたはどこへでも好きなところへ行っていいと言った。だから私は自分の行きたいところへ行こうとした・・・」
「そんな意味で言ったんじゃない。お前が幸せになれる所という意味だ」
「だから、そこへ行こうとした」
「いや、だから・・・」シャウラは言葉に詰まった。
「あなたは私を買った。だから私を好きにできる。そのあなたが私の自由にしてもいいと言ってくれた。小刀を突き刺す時の怖さも乗り越えた。でも・・・行けなかった」少女の視線は遠くなった。
 シャウラは少女が落ち着くのを待って言った。「僕はお前を買った。だからお前を好きにできる。今お前はそう言ったな」
 視線を戻し少女は小さく頷いた。
「お前、名前はなんという?」シャウラがこれを尋ねるのは2度目だ。
「ツィー」少女は今度は素直に答えた。
「じゃぁ、ツィー」シャウラは少女の名を呼んだ。
「はい」少女が返事をする。
「お前の行きたいところへ行くのは暫く先送りしろ。そして僕と一緒に旅をするんだ。いいな」シャウラは声に強さを込める。
「どれくらい先に送るの?」少女はキョトンとした顔になった。
「お前の天寿が尽きるまでだ」シャウラはニヤリと笑ったつもりだったが、その笑いはぎこちないものになった。


2016.04.19
2016.04.21 中程度の変更、ストーリーに微妙な影響あり。
2020.07.19 微妙な修正
2020.08.18 フォマルハウトとして部分的に改稿
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 5

「ああ、少し前に玄関から出て行ったよ。風に当たりたんだってさ」シャウラの質問にガザミが答えた。
 ガザミというのはシャウラ達が泊まっている宿の女主人の名前だ。シャウラはワタリの婆さんが、何度か女主人をそう呼んでいるのを耳にしていた。
「ありがとう」シャウラは慌てて玄関を飛び出した。
「そんなに慌てなくても、大丈夫だよ」ガザミはシャウラの背後から声をかけ、「そこを入って行ったからね」と、玄関の先にある路地の入口を指差した。「その先は塔の登り口しかないし、どこへも行けないよ。見晴らしの良い所を聞かれたから教えたのさ」問題ない、ガザミの口調はそう告げていた。
「わかった。でも一応行ってみるよ」振り向きざまそう言うとシャウラは路地の入口を入った。
 路地を奥へ進むと、赤い煉瓦の壁に囲まれた直径20メートル程(長さや重さなどは我々の世界とは違う単位が使われているが、我々の世界の単位に換算して記載している)の円筒形の空間に出た。空間は塔の上部に向けて続いていて、その壁から突き出した太い角材が塔の上部に向けて螺旋状に連なっている。角材を踏み段にして塔の上部に登れるようになっているのだ。塔はもともとは高さ300メートルはある巨大な物だったと記録されているが現在は崩壊している。螺旋状に続く踏み段は50メートル程の高さまで続き、その上には青空が見えていた。
 シャウラは踏み段を登り始めたが、角材と角材の間が広く開いている上に、壁の反対側には手摺もない。普通に考えてツィーの様な女の子がここを登るのは恐怖が先に立って難しいだろう。だがツィーは自分の体を刀で貫くぐらいの子だ。恐れることも無く登って行ったのだろう。シャウラは自分の命に執着を持たないツィーに一抹の不安を感じていた。
 崩壊した塔の最上部は直径100メートルほどの広さがあったが、塔の構造材の赤い煉瓦が散乱し、壁や柱の残骸が林立しているので全体を見渡すことができない。シャウラはツィーを探すため、とりあえず手近にあった瓦礫の山に登って辺りを見回した。
「いた」ツィーはすぐに見つかった。塔の淵に立って、こちらに背中を向けている。街の様子を眺めているようだ。魔族の女性が着ている作務衣を買い与えたのでそれを纏っている。また銅の粒が減ったが、前の服が血まみれになってしまったのでやむを得ない。
 吹き抜ける風に金色の髪がなびく。ちゃんと食事を取り、風呂にも入るようになって、彼女の髪は輝くように美しくなった。肌も透き通るように白く艶やかになった。栄養不足で全身垢まみれだったのが嘘のようだ。
 シャウラは暫くの間その様子を眺めていたが、やがて瓦礫の山を下って彼女に近づいて行った。瓦礫の間を抜け不安定な煉瓦を踏み越えながら進んだが、足場が悪くて思うように接近できない。瓦礫の崩れる音が聞こえているはずなのに、彼女は気が付いた様子も無い。じっと街の方を見つめたままだ。
「ツィー!」シャウラはついに声をかけ足を速めた。足を置いた瓦礫が崩れて大きな音を立てた。赤い砂煙が立ち昇る。
 その時ツィーの体が一瞬浮いた。そしてスローモーションのように降下を始め、塔の淵の向こうに落ちていく。最後になびいた金色の髪が消えるのを見ながら「ツィー!!!」シャウラは大声で叫んだ。
 シャウラは瓦礫の中を全力で走った。瓦礫は崩れ赤い砂煙はいっそう激しく舞い上がる。シャウラはガラガラと激しい音を立てながら、ようやく塔の淵に辿りついた。
 だがそこは塔の淵ではなかった。ツィーが立っていた所から先は崖になってはいたが、その高さは2メートルほどだ。そして、その向こうには幅3メートルほどのテラスのようなスペースがあって、本物の塔の淵はそのテラスの先だった。テラスは漆喰で出来ているのか汚れた灰色だったが、たぶんもともとは真っ白だったのだろう。テラスの向こうは50メートルの本物の絶壁だ。
 シャウラはテラスを覗き込んだ。すぐ下に金髪の頭が見えた。
「ツィー!」全身の緊張が解けるのを感じながらシャウラは声をかけた。
 青い瞳がこちらを見上げる。そして微かに微笑んだ。
『笑うのか』シャウラはその意外な表情に驚いた。ぽつぽつと喋るようにはなっていたが、ツィーが笑うのを見るのは初めてだった。
 遅れて照れたような声が聞こえた。「驚いた?」
「驚くにきまってるだろう」シャウラは声を荒げた。
「ごめんなさい」ツィーは立ち上がってお尻の埃を払い、シャウラの方を向いた。
「ほら」シャウラが崖の上から手を差し出す。
 ツィーは黙ってシャウラの手をつかんだ。
 シャウラは一瞬かなりの抵抗を感じたが、ツィーの足がテラスを離れると羽のように軽くなり、ふわりと浮いて赤い煉瓦の上に引き上げられた。それはまるでツィーがはまり込んでいた泥の沼から足を抜いたような感触だった。

「おかえり」ツィーと並んで宿の玄関を入るとガザミが声をかけてきた。
「ただいま」ツィーが応える。
 シャウラは黙ったまま小さく会釈して通り過ぎようとしたが「お茶でもどうだい?」ガザミの声が背中越しに聞こえた。「なぁに、お茶にまで金は取らないよ」振り向いたシャウラの顔が心配そうに見えたのかガザミが付け加えた。
 ツィーがシャウラの袖を小さく数度引っ張った。ご馳走になろうよ、という意思表示らしい。
「じゃぁ」シャウラはツィーを先に立てて部屋に入った。
 部屋ではシュンシュンと薬缶が湯気を上げている。ガザミがそれを使って手早くお茶を入れ「どうぞ」とシャウラたちの前に置いた。
 ツィーはチラリとシャウラの顔を見た。そしてシャウラが頷くのを確認してから、コップを手に取って口を付けた。
「美味しいかい?ツィーちゃん」ガザミが覗き込む。
 みるみるツィーの顔が歪む。ツィーは吐き出すような仕草をしたが途中で止めて、そのままゴクリと飲み込んだ。「苦い・・・」
「アハハハ・・・体にはいいんだよ。慣れれば病みつきになるよ。なぁシャウラさん」ガザミはその様子を見て笑った。
「魔族の間でよく飲まれているグィラと呼ばれる飲み物だ。飲んでも問題ない」シャウラは解説する。
「ミルクと砂糖を入れると飲みやすくなるよ」ガザミはツィーのコップにミルクと砂糖を追加した。ツィーはおっかなびっくりそれに口を付けたが「美味しい」と言った。本当に美味しいらしく何度も口を付けている。
「シャウラさん」その様子を横目で眺めながらガザミはシャウラに声をかけた。「あんたはどれくらいここに留まる算段だい?」
「まだ決めていない。この子の状態もわからないし」
「もう大丈夫そうに見えるけどね。わたしゃ決まった金が入るから居てもらった方がいいんだけどね。でもあんた、なにか目的だあるんだろ?レサトの衆がこんな所をウロウロしているなんておかしいからさ」
 シャウラは少しの間黙って考えていたが、やがて意を決して言った。「サーベイヤーを探している」行動を起こす時期だと判断したのだ。
「サーベイヤー?なんだいそれは?」シャウラも出会うまでは知らなかったが、ガザミも知らないようだ。
「ギルティアからやって来た人間、ギルティのことらしい」
「ギルティ?ギルティアからわざわざやって来るのかい?あそことは行き来できないと聞いてるよ」
「これまでに3体やって来ているらしい。僕の探しているのは4体目だ」
「そんなに、でもどうしてあんたがそのサーベイヤーを?」
「いろいろ複雑な理由があるんだ」
「どうせ、サーベイヤーを孕ませちまったとかじゃないのかい?」後ろで声がした。シャウラが振り返るとそこにはワタリの婆さんが立っていた。
 シャウラは言葉に詰まった。ツィーもコップを置いて顔を上げた。
「図星かい?」ワタリがニヤリと笑う。「神族の奥ノ院でも魔族の大老会議でも、サーベイヤーは繁殖する前に処理するという方針では一致している。なるべく表に出ないようにな」
「そりゃまた物騒なことだね」ガザミはコップを口元に運んだ。
「だからガザミ、お前が知らなかったのも無理はない。ワシも弱みを握った長老からやっと聞き出したぐらいだからな。奴らはイノセントにギルティの血が入ることを極端に恐れている」
「時々イノセントからギルティが生まれることがあるって聞いたことはあるけど・・・」
「ギルティを厳密に選別することによって、近年ようやく出産数がゼロ近くまで下がって来たんだ。ここでまた血を混ぜることはどうしても避けたいんだろう」
「それで処理というわけかい?」ガザミが訊いた。
「そうだな。魔族の場合、処理するとしたら隠密行動のきくレサトが適任だ。だからいずれにしろ接触したお前さんには追跡して処理するように命令が出ただろう。だがそんな場合でも、レサトは必ず集団で行動する。だが、お前さんはテリトリーを遠く離れて単独で行動している。それはお前さんが追放されたことを意味していて、そのことはサーベイヤーと交わりがあったことを示唆している。そうだろう?」ワタリはシャウラを見た。
「そうじゃない。ただ記憶が無いんだ。だからそうじゃないことを証明できない」シャウラは唇の端を噛んだ。
「疑いがあるのなら、同じ事だ」ワタリが断定した。
 シャウラはまた黙り込んだ。親方に正直に話すべきではなかったかもしれない。後悔の念が湧き起こってくる。アルドラの泣き顔が蘇る。
「孕ませたってどういうこと?」ツィーが唐突に口を挟んだ。
「ツィーが気にすることじゃないが、そのサーベイヤーとの間に子供が出来てしまったということだ」ワタリが言った。
「子供?どうして?」ツィーがワタリの方を見る。
「おや、気になるのかい?でもまだツィーには説明しづらいな」
「閨を共にしたということ?」ツィーは少し考えてから言った。
「おやおや!ツィーはおませさんだな」ワタリは頬を緩めた。
「そんなことはしちゃいない」シャウラは反論を試みる。
「だけど、記憶が無いんだろう?」
「僕は大怪我をしていた。だから痛み止めを飲まされて眠っていたんだ。だから・・・」
「そりやぁ。サーベイヤーに上手く運ばれたということかな?」ワタリにたたみかけられてシャウラはまた黙り込んだ。反論の余地は残されていない。
「追放されたっていうのは本当なのかい?」ガザミが訊いた。
 シャウラは力なく頷いた。
「この町でサーベイヤーに関する情報は?」シャウラはワタリとガザミを交互に見やった。
「ないねぇ」ガザミが答える。
「そりゃそうだろう。サーベイヤーもバカじゃない。その名を出せば厄介なことになるのはもう分かっているはずだ。今でもお前さんにしたように名乗っているとは思えない。まぁ、お前さんが特別だったのかのしれないが・・・」ワタリはコップを差し出してお茶を催促した。
「まいったな・・・」シャウラは頭を抱えた。
「シャウラは特別?」ツィーは不思議そうな顔をしてワタリに尋ねた。
「そうだね。閨を共にした仲だからね」ワタリはシャウラの方を見ながら笑った。
「やめてくれ」シャウラは手真似を交えて抗議する。
「だがシャウラさん」ガザミが話を変えた。「これから、そのサーベイヤーとやらを追跡しなくちゃいけないんだろう?なのに、あんたのやっていることはいまいち解せないんだけどねぇ」
「僕の・・・?」
「お前さんとツィーちゃんはどういう関係だい?」そう言いながらガザミはツィーの様子を気にした。「あぁ、本人を前に言いにくいかね?」
「マスターとスレーブの関係」ツィーはポツリとそう言ったまま、2杯目のグィラに入れられたミルクの描く模様をじっと見つめている。
「だろうね。この子は神族だろう?神族を付け狙うレサトとの組み合わせは普通だったら有り得ないからね。それにこの子を買うにはかなりの金が要ったろう?お前さんの財布は随分としけてたからね。有り金を使っちまったんじゃないのかい?それにこの子の治療にライフルまで渡しちまって」ガザミはワタリの顔を見た。ワタリはそんなことは知らないね、という風情で横を向いる。
 ガザミは話を続ける。「レサトの命でもあるライフル無しで、その子を連れて、いったいどうやってそのサーベイヤーを追跡するんだい?」
「いや、正直わからない。気が付いたらこの子を買っていたし。この子が死のうとしたのも僕のせいだし、なんとか助けてやりたかったのも僕の本心だ」
「シャウラはどこへでも好きなところへ行っていいと言った。だから私は自分の行きたいところへ行こうとした・・・でも今は先に延ばすように言われている」ツィーが語る。
「ツィーちゃん、あんたが気に病むことはない。みんなこの人が勝手にやったことだから」ガザミは優しくツィーの頭を撫でる。
「そうそう、みんなこの男が悪いのさ」ワタリも調子を合わせる。
「気に病んではいない」ツィーはなんでもないという様子で答える。
「フウ~」シャウラは大きく溜息をついて黙り込んでしまった。
「お前さんがそのサーベイヤーに抱く複雑な気持ちも分からんでもない」ワタリの声は少し同情を含んだ。
「複雑な気持ち?」
「お前さんの話だと、そのサーベイヤーに傷の手当てを受けたのだろう?」
「そうだ。僕と彼女は戦闘になって、僕が大怪我をして手当てを受けた。それが彼女の策略だったのか、単純に善意だったのか、僕には分からなくなっている」
「だから、どうするつもりだい?」ワタリは正面からシャウラを見つめた。
「正直、彼女に恨みを抱いているわけではないし。僕の名誉の回復なんかもどうでもいい。だからこの町に着いたときはヤケクソになっていたのかもしれない」
「だろうね。でなきゃこんな無茶、するもんかね」ガザミは納得顔だ。
「だが、追跡は続ける」
「ほう、追跡してどうする?」ワタリが訊いた。
「わからない。彼女に会ってから決める。僕が殺られるならそれも運命だ。しょうがない。とにかくもう一度会ってみたい」
「おお!それは恋なのかい?」ワタリが口を丸くした。
「シャウラは恋をしているの?」そしてすぐにツィーが反応した。
「もう茶化すのは止めてくれ」さすがにシャウラは毅然とした態度を取った。
「ハハハハ・・・すまんすまん。ところでそうと決まったらお願いがある」ワタリはひとしきり笑ってから付け加えた。
「何の願いだ?」シャウラは警戒の顔をする。
「追跡の旅にワシを同行してもらいたい」
「なんだって?」
「お前さんは自分のサドルにツィーと2人で乗って行くつもりだろ?ワシもサドルを用意するからそれで同行させてくれ。足手まといにはならんはずだ」
「なんの魂胆があるんだ?」シャウラの疑念はさらに深まる。
「そんなことは心配せんでいい。あとでワシが居ってよかったと思うこともあるはずだ。それにワシはライフルも持っている。旅の間それを貸してやってもいいぞ。どうだ、いい条件だろ?」
「元々僕のライフルじゃないか」シャウラはそう呟き、暫くの間考え込んだ。「いいだろう。ライフルが使えるのはありがたい」
「それからお前さんはとりあえずの金が要るだろ?ワシが紹介してやるから、隊商の用心棒の面接を受けてみるか?用心棒だったら旅をしながら金が稼げる」
「それはありがたい。受けさせてくれ。だがツィーとあんたが一緒でも大丈夫なのか?」
「そりゃもう。その点は話をつける。あとはお前さんの腕次第だ」
「どんなふうに話をつけるんだ?」
「ワシは呪術師だから色々便利に使えるからな。どこでも雇ってもらえる。お前さんの場合は、とびきり腕のいい用心棒を雇わないか?ただし若い女房も一緒なんだが?と頼むつもりだ。ワシの紹介だから腕さえよければ雇うはずだ。女房の食事付きでな」
『女房!』シャウラはツィーの方を見た。ツィーはコップに口を付けてグィラをすすっている。
「それからガザミ、隊商を探している間にこの町での情報を集めておいてやってくれ」ワタリが指示を与える。「お前さんはサーベイヤーの特徴を覚えているんだろ?」
「ああ、覚えている」シャウラはファムの整った顔を思い出しながら言った。
「相当美人だったんじゃないのか?」ワタリはシャウラの顔を覗き込んだ。
 シャウラは自分の顔が一瞬熱くなるのを感じたが、とりあえず返事をするのはやめておいた。
「だったら目立つだろう。人相を教えておくれ。聞いておいてやるよ」ガザミが気前よく答えた。
「ガザミの情報網は正確だ。何かあればひっかかってくる」ワタリはシャウラの肩をポンと叩いた。
「何から何まで悪いな」シャウラは2人に感謝の気持ちを伝えた。
「なぁに、構わないさ。その間、宿賃はきちんと2人と1頭分払ってもらうからね」ガザミは片目をつぶった。
 早く旅立たないとケツの毛までむしられるな・・・シャウラは少し寒気を感じた。
「ニョウボウって何のこと?」ツィーがシャウラの方へ曇りの無い視線を向けた。


2016.05.06
2020.07.19 微妙な修正
2020.08.19 フォマルハウトとして部分的に改稿
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 6

「そんなにあからさまに驚いた顔をするもんじゃないよ」隊商の長(おさ)はうんざりした様子で言った。
「すみません」シャウラは我に返ると急いで謝罪の言葉を口にした。
 肩より下まで伸ばした髪はゆったりとウェーブした赤毛だ。浅黒く日に焼けた小さな顔は、強い視線を持った切れ長の目と黒い瞳、上から下へ真っ直ぐに通った高い鼻、そして引き締まったやや大きめの口を備えていた。そして装飾を排した身軽な服を身に着けていたが、なんと女性だった。
「で、シャウラさんとやら、あたいに何の用事だい?」
「僕を・・・俺を用心棒に雇ってくれませんか。ワタリの婆さんから話は来ているはずなんだけど・・・」シャウラは単刀直入に用件に入った。
「ふん」隊商の長は鼻を鳴らした。そして口元を弛めて舐め回すようにシャウラの顔を見た。「それにしても、いい男だねぇ・・・少し頼りなさげなところが母性本能をくすぐるよ」
 暫くそうしておいてから長は急に声を張った。
「話は聞いているよ。他でもないワタリの婆さんの頼みだから聞いてやりたい。雇ってやりたいとは思っているんだ・・・いい男だしね・・・」長はここで一拍置いてから続けた。「だがね、あいにく他からも推薦があってね。お前さんを雇っちまうと、そっちを丁寧にお断りしなくちゃならない。これが結構面倒な相手でね。それにお前さん女房持ちだって言うじゃないか。独り者よりコストを多めに考えなくっちゃならない。残念だけど・・・」
「そうですか」シャウラは立ち上がろうとしたが、長の話はまだ終わってはいないようだ。右手を上げてそれを制した。
「・・・と言いたいところだが、ここのところ街道は物騒になっていてね。そのうえ賊どもも年々装備や腕が上がっていて、用心棒無しで隊商を組むなんてことはとてもできない。けどこっちにも予算ってものがあってね。用心棒を2人も雇う余裕は無いんだ。だから用心棒は強ければ強いほどありがたい」長はまた舐めるようにシャウラの体を見た。
「義理は大切だが、あたいにとっては隊商の安全の方がもっと大切だ。だからあんたの方が強かったから雇ったってことにすりゃぁ、最低限の義理は立つってもんだ。どうだい?それを証明する気はあるかい?」長はシャウラに妖艶な笑みを向けた。
「どうやって証明すればいいんですか?」シャウラはその笑みに押されるように体を少し引いた。
「付いてきな」長は立ち上がると部屋を出て廊下を歩き始めた。
 シャウラは慌てて後を追う。
 廊下を進み、突き当たりのアーチ型の立派なドアを開けるとそこは大きな中庭だった。
 隅のほうに3台の巨大な輸送車、そして中央のタワーに、それを引っ張るための大型の四足歩行動物、アダブラが繋がれている。大きな湾曲した2本の角を持ったいかめしい顔の動物だ。だがその小さな目に中にあるつぶらな瞳は彼らの穏やかな性質をよく現している。あの巨大な輸送車を2頭で早足で牽引できる脚力と、御者に対する従順さを兼ね備えた理想的な動物だ。
 長は中庭を横切って輸送車の方へ近づいてゆく。そこには御者だろうか、10人ほどの男たちがたむろしている。
「みんなちょっと聞いてくれ」長は大きな声を出した。
 男たちは一斉に顔を上げて長の姿を確認し、そしてその隣に立つシャウラを品定めするような目つきで眺めた。
「用心棒の件なんだが・・・」長はいきなり本題に入った。男たちは首を回し、視線を輸送車の向こうに向けた。
「用心棒がどうかしたのかい」輸送車の陰から大男が姿を現した。目つきは鋭く力も相当にありそうだ。長を睨みつけたあと、その視線をそのままシャウラに向けた。
「そこに居たのか、ちょうどよかった」長は軽い調子で答え「お前、この男とちょっと勝負してみてくれ」となんでもないことのように続けた。
「勝負?この男とか?」大男はシャウラに近づき、見下ろしながら言った。接近するとよくわかったが、大男の背丈はシャウラの倍はあった。男の視線はシャウラの纏った魔族の衣装を舐め、その下に隠された筋肉を吟味した後、腰に差した剣に注がれた。
「無駄な殺生はしたくないんだが・・・」大男は耳の後ろをポリポリと掻きながら面倒くさそうに言った。
「何も殺し合いをしろと言ってるんじゃないよ。どっちが強いか、それが知りたいだけだ。簡単なことだろ?」長は相変わらず軽い調子だ。
「しょうがねえな。だが、いくら手加減をしたってついうっかりって事もあるからな」大男はまたチラリとシャウラの方を見た。
「そういう場合は不可抗力ってやつだ。お互いにな」長は2人の顔を交互に覗き込んだ。
「お互い?」大男はシャウラをさげすむような目で見下ろした。「まあいい。長の姉さんは用心棒を2人も雇う気は無いとおっしゃってるわけだ」
「話が早いね」長は明るい声で応じる。
「そういうことなら、しゃ~ね~か。ちょっくら片付け・・・」言い終わるより早く、大男は腰に下げた長刀を勢いよく抜き、そのままシャウラの頭めがけて切りつけた。
 一瞬のことだった。大男の長刀が斜め下から上に向かって空気を切り裂き、衝撃波で巻き上げられた砂塵が視界をさえぎる。
 砂塵が納まったとき、そこにシャウラの姿は無かった。
 奇襲の失敗を悟った大男はあたりの気配を探る。
 シャウラは後方に下がっていた。少し間をおいてから腰に下げた剣を抜いて斜め下に構え、切っ先を地面に置いた。
 大男はその巨体ゆえ動きが緩慢になることが多い。だがこの男の動きは俊敏で無駄が無い。ただ伊達に大きいだけではなく、その体は鍛え上げられた筋肉で覆われている。おそらく無駄な肉などは一切付いていないのだろう。一瞬でも遅ければ今頃は真っ二つだった。
 シャウラは先入観を捨てるために大きく呼吸し、肺の中の空気を入れ替えた。
「変わった構えだな」ニヤリと笑うと大男は長刀を大上段に構えた。
 動けなかった。僅かでも体位を入れ替えれば、いやそのそぶりを見せるだけでも、その瞬間に長刀がシャウラの体を捕らえることは分かっていた。
 大男も長刀を振り上げたまま動かない。一瞬でも隙を見せればシャウラの切っ先が自分の体に達することが分かっているのだ。
 2人はじっと固まったまま時間だけが過ぎて行った。
 様々な争いごとに慣れてしまったギャラリー達にとって、実力の接近した者同士の、しかもかなりの凄腕どうしの戦いがこういう形になるのは既定のことだった。だが、たとえ戦う者同士の命がかかっているとしても、彼らにとってそれは退屈以外の何ものでもなかった。彼らはギャラリーの立場を放棄して自分の仕事に戻っていった。
 長だけが2人の戦いの行方を見つめていた。

 いつの間にか太陽は高度を上げ、気温が上昇し始めた。かなりの時間が経過したが、シャウラはまだ動けずにいた。正面に立つ大男も長刀を大上段に構えたままピクリとも動かない。
 だが2人の構えには大きな違いがあった。シャウラが剣の切っ先を地面に付けているのに対して、大男の方は長刀を振り上げたままだ。
 長刀は相当な重量があり、いくら強靭な体を持った者でもそれを頭の上で構え続けることには限界がある。やがて長刀の先が微かに震え始めた。注意深く観察していないと気づけないほど微かな震えだったが、それは少しずつ大きくなった。
 大男の額から大粒の汗が滴り落ち、目の中に入った。
 大男はたまらず瞬きをしたが、その一瞬をシャウラは見逃さなかった。
 シャウラの剣が地面から跳ね上がった。
 同時に大男の長刀が振り下ろされたが、その軌道上にすでにシャウラの体は無い。動きに付いていけなかったシャウラの上着が削がれるように切り落とされて中を舞う。
 シャウラは振り下ろされた相手の長刀に隠れるように間合いを詰め、一直線に大男の頚動脈を切り裂いた。血飛沫が噴水のように吹き上がり、シャウラに向かって降りそそいだ。
 大男は超一流の腕を持っていた。腕に差があれば自分に血飛沫が飛ばないように切りつけることは可能なのだが、そんな余裕はなかった。血圧が一気に下がり、大男はドウと地面に倒れた。
 血飛沫は心臓の鼓動に合わせて何回か吹き上がったが、一定量が体外へ出てしまうと勢いが弱まった。あとは流れるように地面の上を広がり、乾いた土に吸い込まれていく。鉄臭い血の臭いが辺りに充満した。
 シャウラはその様をじっと見つめていたが、いつものように相手の首を切断するために剣を振り上げた。
 その時何者かがシャウラの後ろから上着の裾を引っ張った。
 彼は動きを止めてその体勢のまま振り返った。見知った顔があった。
「ツィー」シャウラは驚いて声を上げた。
 いつからそこにいたのだろう。そしていつからこの戦いを見ていたのだろう。シャウラを見上げるツィーの青い瞳はあらゆるものを凍らせてしまいそうに冷たく凍っている。
 吹き上がった血飛沫はツィーにも降りかかり、美しく輝く黄金色の髪も、白い顔も、旅立つために新しく買った白い服も血潮に染まっていた。
 シャウラは少しの間ツィーの大きな青い瞳を見つめていたが、やがて視線を逸らし、大男の方へ向き直ると、再び体に力を込めた。
 ツィーはシャウラの動きを邪魔するように腰に手を回し、背中に顔を埋めた。
 シャウラはあきらめたようにゆっくりと剣を下ろした。
「誰か!手当てをしておやり!」シャウラが剣を下ろすのを見届けてから、長が指示を出した。仕事に戻っていた男たちの中から近くにいた何人かが大男に駆け寄った。大急ぎで傷口に布を当て、何処かから持ってきた大きな戸板に大男を乗せた。
「ワタリの婆さんのところがいい。急いで連れて行っておやり。金はたんまりと取られるだろうが、そいつの荷物に財布があったはずだ。荷物ごともっていってやりな」長はてきぱきと指示を与える。
「合点だ!」男たちは指示通り動いて大男を運び去った。
「よかったのかい?」長はシャウラの方を向いて言った。
 シャウラは無言だった。
「お前さんはレサトの衆だろ。レサトは戦いのあと、憂いを残さないために必ず敗者の首を刎ねる。そして首は何処か胴体とは別の場所に捨てる」長はシャウラに近づいた。「レサトなら幼い頃から掟としてそう叩き込まれるはずだ。それに従わなくてもよかったのかい?」
「僕はもうレサトじゃない」シャウラが搾り出すように言った。
「どういうことだい?」
「追放されたんだ」
「何をやらかしたんだい?」
 シャウラは無言で答えた。
「まあいい・・・こんな腕のいい男を追放するってことは、よっぽどの事があったんだね」長は同情する素振りを見せてから、背中にしがみついているツィーに目を向けた。「でもそのわりにゃぁ、楽しくやっているようじゃないか」
「そんなんじゃない」シャウラは強く否定したが、その言葉には力強さは感じられなかった。
「で、その子があんたの連れ合いかい?」
「一応、そうだ」
「一応?そんな中途半端な関係でこの子がこの旅についてこれるのかい?」
「女房だから、置いていくわけにはいかない」
 ツィーはシャウラの腰にまわした腕に力を込めた。
 長はその様子を見ながら言った。
「そうかい。ならいいんだ。だがこの子は神族だろ?レサトのあんたとこの子。普通じゃ考えられない組み合わせだ。掟から開放され、自由にやってるってわけだ」
 シャウラは否定しなかった。
「あんた、名前は?」長はツィーに声をかけた。
 ツィーは顔を上げて長を睨みつけた。
「名前は?」長はトーンを上げてもう一度繰り返した。
「ツィー」小さく口元だけが動いた。
「ツィー、いい名だ。それにその目も気に入った。いろんなものを見てきた目だ」
「ありがとう」注意深く耳を澄ませてようやく聞き取れるような微かな声が聞こえた。
「あんたはどこからやって来たんだろうね」長はツィーの目を覗き込む。
 ツィーは返事をしなかった。
「ま、とにかく合格だ。あんた達を採用しよう。よろしくね!ツィー」長はツィーに向かって右手を差しだした。
 ツィーは一瞬戸惑ってから膝を軽く曲げ、その手にそっと自分の手を添えた。
「おお、優雅なもんだ。育ちが見えるね」長は上機嫌で続けた。
「とりあえずその格好をなんとかしなくちゃいけないね。血まみれだよ。まず洗濯、そしてその間に風呂だね。こっちへおいで」
 長はツィーの背中に手を添えて誘導しながら中庭から母屋の入り口をくぐった。
 シャウラは血まみれのままその場に取り残された。
 いつの間にかギャラリーだった男達も姿を消していた。


2020.06.18
2020.07.06 微妙な修正
2020.08.19 フォマルハウトとして部分的に改稿
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 7

 見渡す限りワスプの畑だった。
 つる植物であるワスプは地面に立てられた柵に巻きつくように育てられ緑の垣根を形作る。そしてその垣根は、丘陵の起伏に沿ってうねりながら連なって緑の大地となり、彼方、空との境目まで続いている。
 その境目からは紺碧の空が立ち上がり、無限の奥行きを持って全天をくまなく覆っていく。大気中の水蒸気は少なく、雲はほんの僅かしかない。
 傾き始めた太陽は緑色の連なりを輝かせ、吹き渡る夕方の風はその輝きに微妙なグラデーションときらめきを付け加える。
 風はそれらを伴いながら丘陵の上を進み、ついには彼が立つ丘の頂上まで達し、隣に立つ少女の金色の髪を吹き上げる。
「わあっ!」呆然と風景を見つめていた少女は不意打ちを喰らい、両手で髪を押さえながら思わず声をあげた。

 隊商がバンガイル・ステイグルドを発ってもう一月(長さや重さなどは我々の世界とは違う単位が使われているが、我々の世界の単位に換算して記載している)が過ぎようとしていた。
 アズミの隊商は1台につきアダブラ2頭で牽引された輸送車10台と、輸送車それぞれに1人の御者、隊長であるアズミ、用心棒のシャウラ、その女房のツィー、それに呪術師のワタリを加えて14人で構成されていた。
 隊商はバンガイル・ステイグルドで大量の交易品と、食料品や水など、必要な物資を積み込み、乾燥した大地の中にポツリポツリと置かれた頼りなげな宿場や水場を辿りながら進んだ。
 先頭の輸送車にはアズミが乗り込んで指揮を執り、シャウラはスハイルに乗って警護に当たった。ツィーはアズミの横に座ったが、危険の少ない地域ではシャウラと一緒にスハイルに乗ることもあった。ワタリはもう一頭のサドルで付かず離れず同行した。
 出発からしばらくは気を許せない旅程が続き、実際にシャウラが活躍する場面も何度かあった。だがここ10日程は内陸の神族が支配する巨大国家、シンガリの領内に入ったこともあって、安心して距離を稼いできた。
 この国はもともと穏やかな気候と豊かな土壌を持っていたうえ、民主的に選ばれた頭領が安定した治世を行ったため農業国として発展していた。さらに神・魔両種族の共生や自由な往来を認めたため、交易でもおおいに潤っていた。
 まもなく隊商は丘陵地帯の只中、一番高い丘の上にあるシブレの村にたどり着こうとしている。村といってもワスプ畑の中にポツリポツリと家が立っているだけの田舎なのだが、その1軒1軒は城を思わせるくらい大きな屋敷だった。
 隊商が進む先にはアズミが懇意にしている屋敷があり、隊商はいつもそこに数日留まった。旅程はちょうどここで半分を消化し、人や獣の疲れはピークに達している。充分な休養が必要だった。

「いこうか」シャウラはスハイルに跨るとツィーに声をかけた。
「はい」ツィーは緑の丘から視線を戻し、鐙に足をかけてスハイルの背中によじ登った。そして鞍の後ろ側に付け足されたクッションに小さなお尻を乗せた。
 シャウラは斜め後ろを振り返り、ツィーがちゃんとタンデムバーを掴んでいることを確認してから「ハッ」と声をかけ手綱を鳴らした。スハイルは速歩で隊商を追い始めた。
 道はワスプの垣根の中を続いている。辺りの空気がホコリっぽくなったのは10台もの輸送車が通過したばかりだからだ。丘を2つ回りこむと先に進んでいた隊商の列が見え始めた。シャウラがもう一度軽く手綱を鳴らすとスハイルは少し速度を上げ、やがて輸送車の最後尾に付くワタリのサドルに追いついた。道は上り坂に差し掛かり、坂の上には大きな門が見え始めた。どうやら到着したようだ。
 車列は明るい黄土色に塗られた門をくぐった。門の内側にも同じように緑の垣根が続いていたが、よく見ると区画ごとに実や葉の色や形が微妙に異なっている。種類の異なるワスプが少しずつ植えられているようだ。
 道の行き着く先、丘の頂上には門と同じ色に塗られた屋敷が立っていた。
「ここはこのへんじゃ最も大きいワスプ酒の生産者だ。今夜からは高級なワスプ酒が飲み放題というわけさ」並んでサドルを進めるワタリが嬉しそうに言った。
 熟れたワスプの実を発酵させて作られたワスプ酒はこの地方の特産として周りの国々に輸出されている。アズミはこの国の首都シンバであらかじめ交易品を降ろして輸送車のスペースを空けていた。そのスペースにワスプ酒を積むことで、もう一儲けを企んでいるのだ。
 車列は勝手を知った我が家にでも到着したように、建物の横手のアーチをくぐって中庭に入り、きちんと整列してからその歩みを止めた。
 屋敷の裏口が開いて2つの人影が現れた。
「よく来たね。待ちかねたよ」男の声がした。
 建物と同じ色の明るい黄土色の上着に黒いズボン、明るい茶色の髪を長く伸ばし、手入れされた顎髭をたくわえた精悍な感じの中年の男だった。
 隣には彼の妻だろう。白地に繊細な模様の入った衣装を着て、豊かな金色の髪を後ろにまとめた女性がにこやかに立っている。2人とも輝くような白い肌を持っていて、それは彼らが神族であることを示している。
「ゴタゴタがあってね。少し遅れたんだ。またお世話になるよ」先頭の輸送車から長が答えた。用心棒がシャウラに変わり、そのシャウラがガザミの情報を待った分、出発が遅れたのだ。
 だがガザミの情報網でさえも数日では有益な情報を得ることはできず、シャウラは手がかりの無いまま出発せざるをえなかった。
「なんのお構いもできないけれど、ゆっくりしていってね」女性の方が声を出した。澄んだ美しい声だ。
 御者の男たちはなれた様子で輸送車を降り、すでにアダブラの世話を始めている。
 アズミも輸送車を降りて2人に近づき「待っていたよ」「久しぶり」とそれぞれハグをした。
「ああそうだ。新しいメンバーを紹介しておこう」アズミは今思いついたようにシャウラたちの方へ顔を向け、こっちに来るように合図を送った。
 シャウラはツィーが降りるのを待ってスハイルを降り、アズミの方へ近づいた。ツィーはシャウラの背中に隠れるように従った。
「この男はシャウラ、ウチの用心棒だ。そして後ろに隠れているのがツィー」アズミは2人をそう紹介した。「あと呪術師がいるんだが、御者たちと居るのかな?」ワタリの婆さんは姿を隠していた。
 しかたなくアズミはシャウラたちに神族の2人を紹介した。「シャウラ、こっちはこの農場の持ち主のイーザル・デネボラ、そして奥さんのミモザ」
 シャウラは2人と笑顔で挨拶を交わしたが、ツィーはまだシャウラの背中に隠れている。
「こんにちは、お嬢さん」ミモザが優しく声をかけ右手を差し出した。
 ツィーはシャウラの後ろから恐る恐るといった様子で出てくると優雅に膝を曲げ、差し出された右手に自分の右手をそっと添えた。
「おお」驚きの声を上げたイーザルも右手を差し出す。ツィーは彼に対しても同じ姿勢で挨拶をした。
「これはこれは、丁寧な挨拶をありがとう。それにしてもずいぶん古風な挨拶だね」イーザルが説明を求めるようにツィーを見る。
 ツィーはそれには答えず再びシャウラの後ろへと下がった。
「とりあえず旅装を解いてゆっくりしてくれたまえ」イーザルはツィーの様子を見ながら話題を変えた。「それから夕食だが、御者の皆さんはウチの連中と一緒に食べる方がいいだろう?いつものように大食堂に用意させている。それから、今回はこんなに美しいお嬢さんが一緒なんだ。あなた方3人は私たちのディナーに招待申し上げたいんだがいかがかな?」
「よろこんでお招きに預かるよ」アズミが嬉しそうに答えた。「久しぶりのちゃんとした夕食だ。おおいに楽しみだ」
「いいんですか?」シャウラはレサトである自分が招待されたことが信じられずに念を押した。
「ははは、ここは自由と平等の国シンガリですよ。種族を気にする必要はありません。どうぞ遠慮なくいらしてください」イーザルがにこやかに答えた。「よろしければ、その呪術師の方もご一緒に」
「まぁ、奴のことは放っておいても大丈夫だよ」アズミはこの点については遠慮した。
「それから今思いついたんだが・・・」ツィーのことをチラリと見てイーザルが言った。「夕食の前に新酒の初仕込式を行おうと思うのですが、いかがでしょう。アズミ?」
「初仕込式?そんな季節なのか?」
「実はまだ少し早くて、本格的な仕込みは皆さんが出発されてから始まります」イーザルは解説を続ける。「でも屋敷の前庭で試験的に栽培している種類のワスプは今がまさにその時期なのです。ちょうどいい機会です。そのワスプを使いますから、隊商の皆さんにぜひ立ち会っていただきたい」
「そういうことなら・・・」
「では決まりです。用意はすぐに整います。皆さんは2時間後に酒蔵のホールにお集まり願えますか?」そう言い残すとイーザルはミモザと共に醸造所へ向かった。

 酒蔵のホールはすでにたくさんの人が集まっていた。
 イーザル、ミモザをはじめとする醸造所の蔵人たちと隊商の御者たちがホールの中央に据えられた木の桶を取り囲んで談笑している。
 シャウラはアズミに続いてホールに入った。ツィーは相変わらずシャウラの後ろを歩いている。
「さて、皆さん」イーザルが大きな箱の上に立って発声した。
「今日ここにお集まりいただいたのは他でもない。これからここで新酒の初仕込式を執り行うためです。簡単に解説をさせていただければ、初仕込式というのはその年の一番最初に取れたワスプを絞り、神にその年の豊作を感謝し、今年の酒が良い出来になるように祈る神聖な儀式です。ホールの中央にある桶には先ほど収穫したワスプの実が入っています。これからそれを古式ゆかしく素足で踏んで果汁を搾るのですが、初仕込式でワスプを踏むのは若い女性でなければならないというしきたりがあります。例年私の醸造所が初仕込式を行わず、簡易な式でお茶を濁しているのは、残念ながらここに若い女性がいないからなのです」イーザルはそう言いながらミモザの方を見、ウインクを付け加えた。
 ミモザは少し怒った顔を作ったが、すぐにイーザルに笑顔を向けた。
 イーザルは続けた。「ところが今年はたまたまこの時期に客人を迎え、その中に若い女性がいらっしゃる」
 ホールの全員がツィーの方を注目した。
 ツィーはシャウラの後ろで小さな体を一層小さくした。
「どうか、この醸造所のために一役買ってくださいませんか?ツィーさん」
 ツィーはシャウラの服を掴んで顔を横に振ったが、シャウラはアズミと一緒に彼女を説得した。世話になっているのだ、断る選択肢は無い。ツィーは困惑した顔でようやく頷いた。
「よかった。ありがとう」ツィーの様子を心配そうに見ていたミモザがホッとした表情で言った。「でもその服装じゃ駄目ね。搾出作業をするとどうしても汚れるの」
 ミモザはツィーの手を取った。
「私の衣装を使って頂戴、若い頃のだから何度も使って染みが残っているけれど・・・」ミモザはそう言いながらツィーを伴って一旦ホールを出た。

 ツィーがホールに戻ってきたとき、ホールは一瞬ざわめいた。
 いかにも神族然としたツィーのたたずまいは神々しさを感じさせるほど美しかった。
 着せられたのは農作業用の簡素なものだったが、神族の伝統的な民族衣装だった。それはツィーの幼さを覆い隠し、神秘的な色香を引き出していた。
 息を飲んでツィーを見つめていたシャウラはあわてて視線をそらせた。
 パン!パン!イーザルが手を打って全員の耳目を引いた。
「さて、お待たせしました。ツィー嬢の用意も整ったようですので始めようと思います。さあ、こちらへ」イーザルはうやうやしくツィーの手をとって、ホール中央に置かれた桶のところへ誘った。
 付き添ったミモザがツィーの靴と靴下を脱がせて素足にし、衣装の裾をたくし上げると、ツィーの形のよい足が露になった。それから用意されていた手桶の水を使ってそれを清める。
 ツィーは導かれるままに台の上に上がり、桶の中央に立っている棒に掴まりながら、桶の中に素足を下ろした。桶の中は熟れたワスプの実でいっぱいになっている。実の潰れる音がしてツィーの両足が桶の中に入っていく。ツィーはその感触に驚いたように顔をしかめた。
 蔵人たちの歌が始まった。
 農作の神に感謝し、酒の神に祈る歌だ。
 魔族の歌とは異なる独特の旋律が組み込まれている。おそらく伝統的な祈りの歌なのだろう。。
 曲に合わせてワスプを踏むようにミモザがジェスチャーをした。
 ツィーは棒に掴って少しずつ進みながらワスプの実を潰し始めた。
 シャウラはツィーの目に光る物があることに気が付いた。
 涙だ。ツィーはワスプを踏みながら泣いているのだ。「どうしたんだ」思わずシャウラはつぶやいていた。
「“若い女性”という言葉は部族によって別の意味を含んでいることがある」ワタリの声がした。シャウラの後ろにはいつの間にか真っ黒な衣装を纏ったワタリの影があった。
「どういうことだ?」シャウラはワタリのほうを向いて訊いた。
「お前たちレサトにとっても、この国の神族にとっても“若い女性”という言葉の意味はやはり若い女性で、特に別の意味は持たない。そうだろう?」
「ああ、それがどうかしたのか?」
「だが、ツィーはおそらく神族の中でも特に純血を指向する保守的な部族出身だ。彼らにとってこういうしきたりは・・・」ワタリはホールの中央に据えられた桶の方へ首を振った。「我々が思っている以上に神聖で絶対に侵すことのできないものなのだ」
「そこまで・・・」
「そうだ。特に神が絡むとな。お前たちレサトもある意味純血を指向する部族だ。お前たちが命を懸けて純血やしきたりを守るように、彼らも純血やしきたりを守っている。お前に理解出来んことはなかろう?」
 ツィーはポロポロと涙をこぼしながら歌に合わせてワスプ踏みを続けている。
「だから、泣いているのだ」ワタリは説明を終えた。
「わかるように説明してくれ」シャウラは食い下がる。
「ツィーの部族では“若い女性”という言葉は“処女”を意味するのだ」
「え?」思わぬ単語の登場にシャウラは驚いた。
「イーザルは神聖な儀式だと言った。そしてその儀式を行うのは“若い女性”でなければならないと言ったんだ」
「だから?」
「鈍い奴だな。ツィーは自分は儀式を行う資格は無いと言って断ったんだろう?」
「ああ」確かにツィーは資格が無いと言った。
「だが、この状況ではそれができなかったんだ」
「なぜだ?」
「ここまで言ってもわからんか」ワタリは溜息をつき首を大きく左右に振った。「ツィーは処女では無いと言うことだ」
「それが何だと言うんだ?彼女は奴隷だった。奴隷がどんな仕打ちを受けるか、僕はある程度知っている。だから・・・」
「ツィーは神族の高位に生まれた者として神との係わり方を厳しく教育されている。だからこの神事をツィーが行うことは彼女にとって神への冒涜にあたる。だが、ツィーはたとえそうなったとしても、そのことをお前に知られたくなかったんだ」
「どうして?」
「女心のわからん奴だな。ツィーたちの部族の女は結婚までは処女でいるという因習がある」
「え?でも僕らは別に結婚するわけじゃ・・・」
「だからツィーは純血やしきたりを重んじる保守的な部族だと言っている。おまけにまだ幼い。便宜的で形式的な関係などと説明しても、それを理解できるはずはない。だからお前と結ばれるまでは自分が処女じゃないことを知られたくない、ツィーはそう考えている。お前はまだツィーと関係を持っていないんだろう?」ワタリは端的に訊いた。
 シャウラはこの質問には答えなかったが、答えは明白だった。
「だからツィーは自己矛盾に涙を流したのだ」
「どうしてそんな・・・」シャウラは絶句した。
「そういうことだったの・・・」傍でミモザの声がした。ワタリの隣にミモザが立っている。
「どうしてアズミの隊商に神族の少女がいるのか、不思議に思っていたんだけど?」ミモザはシャウラに質問した。
 シャウラは事の顛末を話した。
「そうだったの・・・」ミモザは遠目にツィーを見ながら言った。
「でも、それくらいの時期に滅んだ神族と言えば・・・」ミモザは少しの間思考を巡らせる。「まさか!いえ、でも・・・ううん、時期的にそれしか無いはず。アルゴル皇家よ!」
「ワシもそう考える。しかもあの品格や態度からみて、相当の高位の者だと思う」
「ひょっとして、お姫様とか?」シャウラが思い付きを言った。
「であってもおかしくはない」ワタリが神妙な面持ちで答えた。

 ツィーは桶の中を何周もした。もう泣いてはいなかったが罪の意識に苛まれているのか俯いたままだ。ワスプの実は潰れ、紫色の果汁が桶の底に設けられた樋から流れ出し、受け桶はほぼいっぱいになった。
 ツィーが涙を流しても蔵人たちはかまわず歌い続けている。
「今年の初仕込は若い女に絞ってもらって、おまけに涙入りだ。きっといい酒が出来る」誰かがはやし立てた。
 見ているもの全員がツィーに拍手と歓声を送り、やがて初仕込式は幕を閉じた。
 ミモザが桶に近づき台の上に乗った。
 そっと手を差し出す。
 ツィーはその手を掴んで桶から上がる。
 その瞬間、ミモザはツィーの手を握ったまま跪いて頭を垂れた。
 ツィーは真っ直ぐに立ったまま、もう片方の手をミモザの頭の上に置いた。
 だがそれは一瞬のことだった。ツィーは驚いたようにその手を戻し、握られた手も振りほどいた。
「誠実の礼を受けよった」ワタリがつぶやいた。
「誠実の礼?」
「ミモザがやったのは王家の者だけに対して行う神族の礼だ。ツィーはそれをいつもやっている事のように受けよった。これは本物かも知れんな」

 出発の予定日を、もう1週間も過ぎていた。
「悪かったね。あまりにも居心地が良かったものだから」アズミがイーザルとミモザに礼を言った。
「なに、気にすることはない。各方面の貴重な情報をたくさんもらったし、食事は大勢で食べる方が楽しい。それに必要なものを運んでもらったし、酒もたくさん仕入れてもらった」イーザルが笑顔で言った。
「次にここを通るのは半年後?必ず立ち寄ってね」ミモザも名残惜しそうだ。
「ああ、たぶんそれぐらいになると思う。リストの品もなるたけ仕入れてくるよ」
「よろしく頼む」イーザルはそう言うとアズミとハグをした。「旅の無事を祈っている」
「きっと戻ってね」ミモザもそれに続く。
「じゃあ」アズミは輸送車に乗ると顎をしゃくって御者に出発を指示した。アズミの乗る輸送車が動き始めた。残りの9台がそれに続く。
 シャウラは最後の荷物をスハイルの背中に掛けた。ツィーは続いてその後ろに自分の袋を掛ける。
 ミモザは2人に近づいた。「お二人も気をつけて」
「ありがとうございます」シャウラが答えた。
「ツィー、きっとまたきてね」ミモザは顔の高さをツィーに合わせる。
「はい」小さな声だったがツィーは力強く答えた。
「幸せになりなさい」ミモザが声に力を込める。
 そしてツィーのことを強く抱きしめた。
 ツィーは最初体を硬くして抱かれていたが、やがて目を瞑りミモザの胸に顔を埋めた。顔には小さな笑みを浮かべている。
「旅の無事と再会を願っている」イーザルが声をかけた。
「ありがとうございます」シャウラは鐙に足をかけスハイルにまたがった。
 腰を屈め手を下に差し伸べる。
 ツィーはシャウラを見上げてからその手を掴む。
 シャウラは軽々とツィーを引っ張り上げ、鞍に跨がる自分の前に座らせた。手綱を取ると丁度ツィーを抱きかかえるような格好になる。ツィーは一瞬シャウラの方を振り向いてから顔を前方に向けた。隊商は先に進んで、すでに門を出るところだ。
 シャウラは「ハッ」とスハイルに声をかけると手綱を鳴らした。スハイルは速歩で隊商を追いかけ始めた。


2020.07.14
2020.08.20 フォマルハウトとして部分的に改稿
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 8 (前編)

「ああ、うう・・・ん・・・」
 シャウラは目を覚ました。
 普段から深く眠り込むことは無いのだが、今夜は不覚にも眠り込んでいたようだ。自分がどういう状態なのか一瞬把握できなかったが、まもなく今が夜中で、自分が隊商の輸送車の床下に設けられた小さなキャビンで寝ていたことを自覚した。
「あ・・・ん・・・」うめき声に合わせて辺りがぼんやりと明るくなり、徐々に暗くなった。
 声の主は隣で寝ているツィーだ。
「んん・・・う・・・ん」呼吸も荒くなっている。一旦弱まっていた光はそれに合わせるようにまた強くなる。ツィーは布団に包まっているのだが、光はそれを透過して辺りを照らしている。
 何かの夢を見ているようだが、この光はいったい何だ。シャウラはそっとツィーの布団をめくったが、そのまま動きを止めた。
 ツィーの胸の部分がぼんやりと光を発している。
 しばらくの間シャウラはその様子をじっと見ていたが、やがて意を決してツィーの上着のボタンを外した。
 そこには発達途中の2つの乳房があった。薄闇の中、真っ白なそれははっきりとした盛り上がりを見せて浮かび上がっていたが、光っているのはその少し下、心臓のある辺りだ。内部から照らし出されるように青白く発光している。それはシャウラの驚きをよそに、ツィーのうめき声に合わせるように強弱を繰り返した。やがて彼女の寝息が聞こえ始めると光は徐々に弱まり、静かに消えていった。彼は暗闇の中に1人取り残された。
 シャウラはキャビンに設けられた明り取りの小さな窓を開けた。青い月光が室内を薄く照らし、その気配にツィーが薄く目を開けた。
 だがすぐにその目は大きく見開かれ、自分の胸がはだけられている事に気が付くと、胸の前で両手を組み合わせてその胸を隠し、にじるように後ずさりしてシャウラとの距離を取った。あきらかに警戒行動だったが、それは女性としての正常な行動だ。シャウラはその様子にかえって安心した。
「うなされていた」シャウラは端的に言った。胸の光のことも付け加えたかったが、どう説明していいかわからなかったから、とりあえずそれはやめておいた。
 ツィーは自分の置かれた状況を懸命に分析しているようだったが、やがてその格好のままシャウラの傍へ戻り臥位で横になった。
 しっかりと目をつぶっている。
「違うんだ。お前はずっとうなされていたんだ。怖い夢でも見ていたのか?」シャウラはツィーの体にそっと布団を被せた。
「うなされていた?」ツィーは布団から顔だけを覗かせて訊いた。
「ああ、すごくな」
「何も覚えていない。ただ・・・」ツィーは記憶を辿るように遠くを見た。
「ただ?」
「もがいていたの・・・それだけ」
「そうか。大丈夫か?」
「はい」ツィーは顔を緩めた。
「明日は長丁場になる。寝ておいた方が良い」シャウラも横になり布団を被った。
「はい」ツィーは布団を目の位置まで引っ張り上げた。
 シャウラは明り取りの窓を閉めようとしたが、そのまま開けておくことにした。

 夜明けまでにはまだ少し時間があった。内陸性の乾燥した気候は昼間は暑いくらいだが夜間は冷え込む。今朝も息が白くなるくらい冷え込んでいた。
 ツィーはそのままおとなしく眠ってしまい、その後は何事も起こらなかった。シャウラも眠ろうとしたが眠りはなかなか訪れなかった。いったい何が起こったのかまったく理解できないまま時間ばかりが過ぎていった。
 シャウラはいつもより早めに起きだし、スハイルの体にブラシをかける作業をした。真っ白な短い毛で覆われたその体は、ブラシがけをしてやると一層滑らかになった。
 スハイルは気持ちよさそうに体を揺すると、ちいさくいなないた。そして隣へ首を向けて上下させた。隣も見てやれということだ。
 隣にはワタリのサドルが繋がれている。白地に茶色の斑点が細かく入った俗に言うブチと呼ばれるサドルだ。シャウラはスハイルと同じ手順でそのサドルの手入れをした。あまり手入れもされていないのか、あちこちに毛玉がある。そう言えばこいつの名前を聞いたことがない。あの婆さん、名前すら付けてないんじゃないか?シャウラは適当な名前を思い浮かべながら手入れを進めた。ブチのサドルは気持ちよさそうに体を揺すった。作業を進めるうちの東の空が少しずつ明るくなり始めていた。
 サドルの手入れを終えると、シャウラは整列して駐車している輸送車の周りを見て周った。異常は無い。アダブラたちはまだ寝息を立てて眠っているし、御者たちも全員御者台に設えた寝床で眠っている。ワタリの婆さんも最後尾の輸送車のキャビンに気配があった。全員が無事に揃っていることを確認してからシャウラは先頭の輸送車へ戻った。

 隊商はシンガリの国境間近までやってきていた。昨夜は国境警備の兵隊たちの砦の傍でキャンプを張った。そこは兵士たちの目も届き比較的安全だったが、今日国境を越えてしまうとそこからはまた無法地帯だ。
 のんびり出来るのも今日までだな。それにしてもこんな時に厄介な・・・シャウラは隊商の防御隊形を考えながら、昨夜の不思議な出来事についても思いを巡らせていた。
「早いな」車両の傍、僅かに燻っている焚き火の傍にアズミが腰掛けていた。
「頭こそ」シャウラは近づきながら挨拶をした。
「夜中に目が覚めて、寝付けなかった」
「珍しいですね。寝付けないなんて。どうかしたんですか?」
「なに、今夜からはウツボの車のキャビンを1つ開けさせるよ。そっちへ引っ越すから大丈夫だ」
 ウツボというのは先頭から2両目の輸送車の御者だ。
 輸送車の車輪の間、床下には小さなキャビンが設けられている。通常二部屋に分かれていて、そこには食料や水、修理用の道具や予備の部品等雑多なものが詰め込まれている。先頭を進む輸送車のそれは、頭のアズミとシャウラが一部屋ずつ使っていた。だが、アズミは2両目の輸送車のキャビンに引っ越すと言っているのだ。
「引っ越すんですか?なぜ?」
 アズミは意味ありげにうす笑いを浮かべた。「良い声で鳴かせていたじゃないか」
「どういうことですか?」
「気になって気になって眠れやしない」
「あ!」シャウラの記憶が繋がった。「いや。違うんです。ツィーの奴、何の夢を見たんだか、うなされてしまって・・・」
「そんなに慌てなくっていいさ。お前たちは夫婦なんだ。肌を温め合うことは何も悪いことじゃない。これまでずっとあたいが邪魔をしていたみたいだね。気が付かなくって悪かった。あたいはとんとデリカシーって物が無いから」
「いや、だから、違うんです。つまり・・・」シャウラは力説しようとした。
「わかったわかった。照れなくても良い。自然な営みなんだから」アズミはシャウラの言い訳を止めると「さて朝食当番は誰だったかな・・・」とその場を離れた。

「良い声で鳴かせたのかい?」後ろから声がした。
 シャウラは驚いて振り返った。いつの間にか黒ずくめのワタリが立っていた。ワタリが気配を消すと、シャウラでも気づくことは難しい。
「いや、違うんだ。ツィーは夢を見て・・・」空しい言い訳だと思いながらシャウラは言葉を続けた。
「さぞかし良い声で鳴いたんだろうねぇ」シャウラの言い訳をさえぎるようにワタリは猫なで声になる。
「いや!だから、夢を・・・」
「フン」ワタリは急に真顔になって言った。「その時何か不可思議なことは起こらなかったかい?」
「どうして、それを知ってる」シャウラは驚いて訊いた。
「やっぱりそうかい。何が起こったのか言ってみな」
「ここが」シャウラは心臓の位置を差した。「ぼんやりと光ったんだ」
「強弱を繰り返しながらか?」
「そう、そうだった」
「わかった」ワタリはニヤリとほくそ笑むと踵を返し、シャウラに背を向けた。
「待ってくれ、あの光はいったい何なんだ?教えてくれ」
「安心しろ。ツィーの健康に問題は無い」ワタリは足早に歩き去った。
 シャウラはまた1人取り残された。


2020.07.30
2020.08.20 フォマルハウトとして部分的に改稿
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 8 (後編)

 置き火から焚き火を復活させ、アダブラの乳を暖め、グィラを入れて、簡単だが動き回るには充分な熱量のある朝食を済ませると、各々は荷物をまとめ出発の準備を始めた。
 アズミはウツボの輸送車のキャビンを1つ空けさせ、自分の引越しを始めようとしたが、さすがにそういうわけにはいかない。シャウラは丁寧に詫びて自分たちがそちらに移ることにした。引越しについてはツィーが怪訝な顔をしたが、シャウラはそれを無視した。キャビンに積まれた荷物を積み替えるのに少々の時間と人手は取られたが、シャウラたちの方は少ない荷物を移すだけだ。一瞬で引越しは完了した。
 そのドタバタが済むと今日の道程に関する話し合いが行われた。
「さて」輪になって座った全員に向かってアズミが声をかけた。「今日まではシンガリ国内だったから比較的安全に過ごすことができた。昨夜は国境の近くだから本来なら警戒を強めなくちゃならないんだが、幸いなことに国境警備隊の砦の傍にキャンプを張ることが出来たから、ゆっくりと休むことができた。だが・・・」アズミは全員の顔を見渡した。
「今夜からはそうはいかなくなる。国境を越えるとタブリに入る。皆も知っているとおり、ここの治安は極端に悪い。警備隊もあるにはあるが、まず街道で出くわすことは無いから、まったく当てにはできない。シャウラ!」アズミはシャウラの方へ目を向けた。「せっかく引っ越してもらったんだが、今夜からはよろしくやっている暇は無い」
「いや、だから・・・」
 御者たちは堰を切ったように大笑いした。
 ツィーは何のことかわからずキョトンとしている。
 笑いが収まると「当てにしているよ」アズミが真剣な顔になって言った。
 シャウラは黙って頷いた。
 アズミは大きな地図を広げた。男たちが額を寄せてそれを覗き込む。
「それでこれからの旅程だが、国境を越えたらまずミヤネへ向かいそこで一泊する。宿はいつもの所を考えている。そこから先はサラブ、サッケズ、タカブを経由して首都のアルダビルへ入ろうと思う」アズミは棒でそれぞれの都市を指し示した。「どうだ?異存は無いか?」合議の上物事を先に進める。最終的にはアズミが決定を下すのだが、それがアズミのやり方だった。
 だがアズミが話を進めようとしたとき「それは駄目」ツィーが囁くような声で言った。
「どうした?ツィー」シャウラがツィーの顔を覗き込んだ。
「それは駄目」今度ははっきりとした声でツィーが言った。
 ツィーの瞳は奥行きを失っている。朝食を食べていた時は御者たちと普通に会話していたし、問いかけにも笑顔で答えていた。引越しの際も理由を知りたがったり、普段と変わりは無かったのだが、今は表情が消えている。
「異存があるのか?ツィー」アズミがツィーに顔を向けた。
「それは駄目」ツィーはまた繰り返した。
「どうしてだ?これはいつものコースだし、特に問題も聞いていない。理由を説明してくれ」
 ツィーは答えない。奥行きを失った瞳をただアズミに向けているだけだ。
「困ったな・・・」アズミは顔を歪めた。
「言うことを聞いておいた方が良い」ワタリが口を開いた。
 全員が顔を上げてワタリの方を見た。
「例えばまずリザの町へ向かう。そしてスレイ、カスカラを経由してタカブへ出れば、山脈の反対側を通ることになるが距離もさほど長くならないし、泊まるところもちゃんと有る。他に問題が無いのならワシはそちらを勧める」ワタリは地図を指し示しながら言った。
 全員はツィーの顔を見たが、今度は何も言わず黙ったままだ。
「理由を聞いているんだが?」アズミは今度はワタリの方へ顔を向けた。
「理由はツィーがそう言ったからだ。他に説明のしようが無い」
「なるほど」アズミは考えを巡らせていたが、再びツィーの顔を覗き込んだ。
 ツィーの青い目は輝きを失ったままだ。奥行きのない瞳でどこか遠くを見ている。
「ツィー、お前はどこを見ているんだ?」
 やはり答えはない。
 アズミはワタリに訊いた。「ツィーに何が起こっているんだ?」
「そうだ。説明してくれ!」シャウラも続いて訊いた。
「ツィーに何が起こっているのか?」ワタリは思わせぶりにシャウラを見ながら言った。「今説明するのは止めておこう。ただ、ワシの経験では今の状態にある者の言うことは聞いておいた方が良い。言えることはそれだけだ」
「今の状態?昨日のアレのことか?」シャウラが訊いた。
「そうだ。今ツィーは特別な状態にある」
「特別な状態・・・」シャウラの声は不安げだ。
「安心しろ。今朝も言ったがツィーの健康には何の問題も無い」
「そうは言われても・・・」シャウラは抗議しようとしたが、それをアズミが手を上げて制した。全員が沈黙し、アズミの裁定を待った。
 長い間アズミは黙って考え込んでいたが「よしわかった」と、心を決めたように顔を上げた。「我々はリザへ向かう」
「ツィーの言うことを信じるんですか?」シャウラが驚いて言った。
「勘だ」アズミは立ち上がった。そして辺りを見回した。「あたしの勘がそうしろと言っている。異存のあるものは居るか!」
 誰も意見を言うものは居なかった。
「では決まりだ!」アズミは地図をたたむと先頭の輸送車に乗り込んだ。続けて他の皆も立ち上がり、それぞれの持ち場に散った。
 シャウラも立ち上がりながら「行こうか」とツィーに声をかけた。
「どこへ?」ツィーが顔を上げた。
 ん?違和感を感じてシャウラはツィーを見下ろす。
 ツィーは問いかけるようにシャウラを見上げていたが、その目は奥行きを取り戻している。
「どうした?」
「何が?」
「憶えていないのか?」
「え?」
 話がかみ合わない。どうやら特別な状態は終わったようだ。ツィーの健康には何の問題も無いというワタリの言葉が蘇る。
 いったいどうなってるんだ?シャウラは首を捻りながらスハイルに跨がると、腰を屈めてツィーに手を差し伸べた。
 シャウラを見上げてその手を掴むツィーの様子は普段と変わらない。
 シャウラは軽々とツィーを引っ張り上げた。金色の髪がシャウラの顔を撫ぜ、ツィーはシャウラの腕の間に納まった。

 * * *

 隊商は国境を越えリザ、スレイを経由しカスカラに到着していた。
 国境を越えた先は宿場と宿場の間がかなり離れていたが、町でないところでキャンプを張るのは命知らずもいいところだ。隊商は日の出から日の入りまで少し無理をしてでも前進し、必ず町中に宿を取った。実際、町の外ではシャウラの活躍で事なきを得る場面が何度かあった。
 町もけっして治安が良いわけではなかったが、警備隊が常駐しているので何も無いよりは安心だった。
 山脈の北側を通る北回廊は通る予定だった南回廊よりも若干回り道になるうえ峠もやや険しい。そのせいで通行量は少なく、町々の規模も小さかったが、反面住民たちの人柄は素朴で暖かいように感じられた。
 カスカラは北回廊では最も大きな宿場町だ。二重の城壁に囲まれ、軍隊が常駐している。軍は警備隊よりも人数が多く士気も高いことから他の町より安心度は高かった。
 宿場町には隊商を相手としている宿が必ず有り、そんな宿は宿泊場所と同時に、輸送車を止める場所やアダブラのための場所を提供している。アズミはそんな宿の中から何度か使ったことのある一軒を選択したが、今日ここに宿を取っている隊商はアズミの隊だけだった。
 広い食堂には大テーブルが幾つか置かれていて、その一つを10人の御者たちとワタリ、それにシャウラが囲んでいる。アズミとツィーの姿が見えないのは、二人が風呂の最中だからだ。ワタリは風呂にまったく興味を示さなかったが、男たちはすでに風呂を済ませ、二人が戻ってくるのを待っていた。
 これまで通過してきた地方では湯船に浸かる習慣がなく、水浴びや体を拭く程度で我慢せざるを得なかったが、それはシャウラにとって結構辛いことだった。レサトにとって、風呂とは湯船に浸かることだったからだ。だが幸いなことに、この町には湯船に浸かる習慣があり、大浴場があった。久しぶりに湯船に浸かって足を伸ばせたシャウラはとてもくつろいだ気分になっていた。
 ツィーはどういう環境で育ったのかはわからなかったが、喜々として出かけていった所を見ると、やはりそういう習慣の下で育ったのだろう。
 食堂のドアが開いてツィーが入ってきた。宿で貸してもらった湯上がり着を着ていて、男共の視線は自然にツィーに向けられる。
「長は?」シャウラが訊いた。
「先に行っててくれって。帳場でなにか話があるみたい」ツィーは上気した顔をシャウラに向けた。湯上りでピンク色に染まったツィーの肌はシャウラの視線をさらに引きつけた。
 先に食事にするわけにもいかず13人はアズミを待った。
 腹が減ったなという声が聞こえ始めた頃、ようやくアズミが戻ってきた。
「ツィー、厨房へ行って合図するまで待つように言ってきてくれる?それからあたいの緑の上着はわかるかい?」
「はい、わかります」
「じゃ、すまないけど、あたいのキャビンまで行って、それを取ってきてくれ」
「わかりました」ツィーは言いつけられた用事を済ませるために食堂を出て行った。
 それを見届けてからアズミは口を開いた。
「酒が入る前に話しておかなくちゃならないことがある」
 テーブルの全員が顔を向けるとアズミは淡々とした口調で言った。
「ミヤネの砦が壊滅した」
 テーブルは沈黙に支配されたが、やがて先頭の御者のアカザが口を開いた。
「壊滅というと?」
「皆殺しだ。神族の大軍に攻め込まれてひとたまりもなかったらしい」
「いつのことだ」アカザは確認する。
「昨日の未明だ。今ミヤネの町は神族の支配下にある」
 全員が顔を見合わせた。自分たちが南回廊を進んでいれば鉢合わせだったはずだ。
「神族は南回廊に連なる町を手に入れて南回廊を勢力下に収めるつもりのようだ。これまでタブリは治安は良くないが比較的自由に行動できた。だがこれで状況が変わる」
「攻められたのは南側からなのか?」
「そうだ、ラァスル・グール皇国だそうだ」アズミは冷たく言い放った。
 全員が押し黙った。
「それって、覇権争いでアルゴル皇家を滅ぼした・・・」シャウラが言った。
「そう、奴らは自分たちの原理を厳密に守り行動する神族の強大な軍事国家だ。そんな部族の戦闘に巻き込まれなかったのは幸運だった」アズミが付け加える。
 ラァスル・グール皇国が対立する魔族国家だけでなく、同じ神族のアルゴル皇国までを侵略し、皇家を滅ぼしたのは有名な話だ。しかもツィーはそのアルゴル皇家の出である可能性が高い。アズミがツィーに用事を言いつけたのはこの話を聞かせたくなかったからだろう。
「我々はこのまま北回廊を進んで、様子を見ながらタカブへ出る。奴らはどうやら首都にまで手を出すつもりは無いらしいからな。依存は無いか?」アズミはテーブルを見渡す。
 全員が頷いた。
「ツィーのお陰だな」ワタリがポツリと言った。
「どうしてツィーがあんな事を言ったのか、理由が知りたいもんだが?」アズミがワタリに顔を向けた。
 シャウラも含め男共も顔を向ける。
「それはまぁ、おいおいな・・・」ワタリは話をはぐらかした。
 その時、食堂のドアが開いてツィーが入ってきた。手に緑色の上着を持っている。
「これで揃ったな。じゃぁ食事を始めようか」アズミは緑色の上着を羽織りながら手を打って合図した。
 厨房との仕切りが大きく開いて料理と酒が運ばれてきた。
 男たちはとりあえず問題を横において、一気に戦闘態勢に入った。


2020.09.07
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence 9

 そこには石造りの長い橋が架かっていた。橋は真っ直ぐに続き、その先は朝もやの中に消えている。
 低い橋げたの下には砂礫の川原が広がっていて、そこを幾筋もの流れが横切っている。
 平野を流れる河は行き先を定めることができず、幾筋もの流れに分かれ、また合流しながら広い面積を穏やかに流れている。水は泳いでいる魚が見えるほど透明で、流れの間にできた砂州には鮮やかな緑色の葉を持った木がしなやかな枝を川面に垂らしている。
 
 ファムはその幻想的な風景の中に先行きへの不安を感じ、右手に絡めていた手綱をそっと引いた。ブースターはその歩みを止めた。
「どうした?」ブースターはその目をファムの方へ向ける。
 ファムは手綱を右に振った。ブースターはその指示を受け今来た方向に体を向ける。後方に朝もやは無く、彼方に城壁に囲まれた町、そしてその向こうに険峻な山並みが見える。これまでに超えてきた道のりだ。
 魔族の狙撃手・・・その男はレサトの衆のシャウラと名乗った・・・と別れてから迷い込んだのは巨大な山塊が連なる険しい山岳地帯だった。なるべく高度を上げないように慎重に峠を選んで越えたのだが、それを超えた向こうにはまた新たな山塊が現れた。山中では食糧不足に悩まされ、ブースターの乳だけで凌ぐ日もあった。平野に出れば何処かで食料を調達できると考えていたが、それは甘い考えだった。ようよう平野に辿り着いても、点在していた村々には兵士の姿が見られ、村人は警戒の目を向けてきた。不穏な空気は戦の気配を纏っていて、とても接触できる状況ではない。ファムは村を避けて進んだ。周りは耕作地だったが合法的に食料を手に入れる事は不可能だった。非合法に手に入れた作物に頼ることもあったが、ブースターが草を食んで作り出す乳だけで栄養補給を済ませることも多かった。
 やがて大きな町に辿り着いた。高い城壁に囲まれた立派な町だった。ファムは夜明け前に警戒しながら近づいたが、町は異常な静けさに包まれていた。閉じられた城門はその威容を誇っていたが、巨大な石を積み上げた城壁はあちらこちらで崩されていた。その崩壊の激しさは城壁に途方もない力が働いたことを示していた。破壊された城壁を乗り越えて町に入ってみると、石造りの建物はほぼすべてが破壊されていた。火災も発生したようだ。木で作られた部分や家具は黒焦げになっていた。
 町はすべての機能を失っていた。住民はおろか、死体すら見当たらない。おそらく抵抗して命を失った者は片付けられ、何処かに埋められたのだろう。生き残ったものは逃げ去ったか、そうでなければ連れ去られたのだ。
 この町が機能を失い放棄されたのは、たぶんファムがこの世界に到着するよりも前の事だ。瓦礫上への雑草の生え方や空気の落ち着き方は、その程度の時間の経過を示唆していた。
 瓦礫に囲まれた町のメインストリートを進むと町の反対側の城門が現れた。町はこちら側から攻められたらしく、こちら側の門はことごとく破壊されていた。瓦礫を乗り越えて町を出たファムは街道を進み、やがて大きな河に突き当たった。河には石造りの真っ直ぐな長い橋が架かっていた。今渡っているこの橋だ。
 なぜこの橋が破壊されずに残されたのかは疑問だったが、侵略者は住民に橋を破壊する暇を与えず、この橋を使って電光石火攻め込んだに違いない。

 ファムは暫くの間山並みを眺めてからブースターの向きを戻した。
 朝日が昇り始めた。湿り気を含んだ早朝の冷たい空気に徐々に温かみが加わり始める。「行こう」声をかけるとブースターは前進を始めた。
 橋の上を暫く進むと朝もやの隙間から塔の先端が覗いているのが見えた。近づくにつれて徐々に朝もやは晴れ、建物全体が見え始めた。
 そこは砂礫の川原の中程にある大きな中洲だったが、中洲全体が城壁で囲まれた城郭になっていた。橋は吸い込まれるようにその城壁に設けられた門に向かってゆく。
 門は開いていた。ファムはブースターに乗ったまま、用心深く城内に入った。城壁は形を保っていたが内部の建物は破壊されていた。位置的に関所のような役割を担っていたように思われたが、これだけ破壊されてしまうと当時の様子はまったく想像できなかった。
 ファムは橋道を外れて要塞の中を進んだ
 橋は砂州の上に作られた城郭の川下側を貫いている。ファムは川上側へ進んでいたが、瓦礫と化した建物の先には大きな岩山があり、その岩山の上には大きな建物が建てられていた。その建物は、戦のためというよりはむしろ住むために作られた屋敷だった。最初に見えた塔はこの屋敷のものだったが、その搭が建っているが不思議なくらい石造りの壁は崩され、内部や屋根は焼け落ちていた。天井や壁面を飾っていたおびただしい量の装飾はほとんどが瓦礫に変えられ無残な姿を晒していた。吸い込まれるように深い青、透き通るような白、目が覚めるような赤、眩くきらめく金や銀に彩られた幾何学模様の無数の装飾からは、それが壁や天井にあった時の荘厳な姿を想像することができた。
 ファムはブースターを降りると、床に落ちた柱の燃えカスを拾い上げ、石の段差を利用して半分に折った。断面は中心まで真っ黒に炭化している。激しい火災だったようだ。ファムは焼け落ちた天井から見える青空を見上げながら焼け残った石段を登りテラスのような場所に出た。
 そこには中州に築かれた城郭の向こうの風景が拡がっていた。やはりそこにも砂礫の川原が広がっていて、さっきまで辿ってきた石橋の続きが対岸まで真っ直ぐに続いていた。
 突然ファムは石柱の陰に身を隠した。人の気配を感じたのだ。
 少し間をおいて誰かが石段を登ってテラスに入ってきた。ブースターだけしか居ないことを確認すると、辺りを見渡しながら石柱の間を通り過ぎ、テラスの端へ向かう。
 ファムより10周回期ほどは年上に見える女性だった。落ち着いた色合いのゆったりとした衣装を纏い、真っ白な髪が日の光に輝いている。ファムは剣の柄にそっと手をかけて石柱の陰を出た。「あたしを探しているのかな?」
 女は驚いて振り返った。瞳は淡いブルーだ。その冷たい輝きは、ファムが山を越えるときに見た巨大な氷塊を通り抜けた光の色を思い起こさせた。
「ここは旅人が立ち入ってよい場所ではありません」女は呼吸を整えながら言った。
 ファムは黙ったまま見つめ返す。
「ここはきわめて私的な空間です。すぐに立ち去りなさい」女は努めて冷静さを保とうとしている様子で冷たく言った。
「何があったのか、教えてもらったら退散するよ」ファムは静かに言った。
 フウ・・・諦めたように溜息をついてから女は言った「まずは顔を見せなさい」
 ファムは要求に従って顔を覆っていた布をゆっくりと下げた。
「亜麻色の髪、琥珀の瞳、白い肌・・・」女はじっとファムの顔を観察してから「あなたは神族に見えるけど、どうなのかしら?」と薄く笑った。
 ファムは黙っている。
「この辺りの神族ならここに近づいたりはしないはず。きっと遠くから旅をしてきたのでしょうね」女の声は少し柔らかくなった。
「ああ、確かにあたしは遠くからやってきた。ここが何処かもわからないくらい遠くから」ファムは答えた。
 暫くの間沈黙を保ってから女は喋り始めた。「ここはアルゴル・・・古(いにしえ)から脈々と続いた皇家の国だった」
「だった?」
「そう・・・今はこの有様」女は辺りを見渡した。
「滅んでしまった・・・ということ?」
「そういうことになるのでしょうね」
「ここ、アルゴル?はどんな国だったの?」
「アルゴル皇国、皇帝が治める立憲君主国でした」
「立憲君主というと、君主制の一形態で、君主が主権を有するが、憲法などの法規によってその権限を制限し、国民の権利の保護を図っている政治形態・・・だったっけ?」ファムは確認を取るようにブースターの方へ目をやり、ブースターは目立たないように小さく頷いた。
「皇帝は聡明で公正な方で国民からとても愛され、尊敬されていました。アルゴルは豊かで平和な国でした」当時の記憶を辿っているのだろう、女は遠くを見るような視線で言った。
「このあたりを旅をしてきたけど水は豊富だし、耕作地もたくさんあった。レサトよりも随分豊かな印象だ」
「やはりあなたはレサトの方から来たのですね。レサトはほとんどが荒野だから、ここの方がずっと豊かね。でもその豊かさが命取りになった」
「豊かさが?」
「そう、豊かな土地はそれを狙うものを呼び込む。ここへ攻め込んだのは同じ神族で、しかも親戚関係にあった皇家でした。信頼関係にあったからそちら側への備えは甘くなっていたし、第一この屋敷はその国との国境線だったこの川の中州にあったから、第一撃で国の中枢を破壊されてしまったのです」
「中枢って?」
「ここが皇帝のお屋敷、皇居でした」
「町から離れた国境線の上に?」
「この川を挟んだ二つの国はもともと一つの皇国でした。国を開くとき初代の皇帝はこの中洲を聖地と定め、ここに居を構えました。国を二つに分かつとき、ここが国境線になってしまっても、聖地を動かすわけにはいきませんでした。二つの国は兄弟だから争いが起こるなどとは思わなかったのです」
「でも、争いは起こった」
「近しい者が争うと、それはかえって残酷なことになります。皇家の者は関係者も含めてすべからく命を奪われました」
「あんたは関係者ではないの?」
「私は偶然旅に出ていて難を逃れることができただけです。今は離れた場所に隠れ住んで、時々この屋敷の様子を見に来ています」
「あんた以外はみんな死んでしまったということ?」
「たぶん・・・すべてが終わって私がここへやってこられるようになったとき、皇帝陛下やお妃様、皇子のシェダ様やカフ様、皇女のツィー様、誰も残されてはいませんでした」
「今は安全なのか?」
「今、侵略者たちは新たな侵略に出かけています。その間ならここは真空地帯のようなもの。だから比較的にだけれど安全といえます」
「あんたはここでどんな役割を?」
 女が口を開くまでに少し間が開いた。「私は皇女ツィー様の教育係をしていたセギというものです」
「教育係、ふ~ん、お前と同じだな」ファムはまたブースターの方へ顔を向けたが、ブースターは目を合わさないように横を向いている。 
「あなたについては何も聞かせてもらえないのかしら?」女はファムの顔を覗き込むように言った。
「あたし?」ファムは暫くの間思案したが、ブースターが首を小さく横に振るのを目にすると「あたしはフォマルハウト、ファムと呼んでくれ」と名前だけを名乗った。
「フォマルハウト?聞かない名前ですね。それはどこかとんでもなく遠い世界で使われている名前だからかしら?」女は暗示を含めて訊いた。
「さあね。どうしてだかはわからないけど、それがあたしの名前だ」ファムはそっけなく答え「それじゃぁ退散するよ」と笑顔になった。
「旅路の幸運を」セギと名乗った女は胸の前で軽く手のひらを上下に動かす仕種をした。
「ありがとう」ファムは礼を言うと階段を下りブースターに飛び乗った。
「お前はときとして喋りすぎる」ブースターが耳元で言った。
「喋りすぎ?そうかな?」ファムは忠告を軽くいなすとそのまま岩山を下り、破壊された建物を乗り越え、川向こうへ通じる門に向かった。こちら側の門は見る影も無く崩れ去っている。激しい攻撃に晒されたのだろう。
 ファムは突然ブースターを瓦礫の影に入れた。川向こうへ真っ直ぐに続いている橋の上に人影が見えたのだ。バラサに乗った神族と思われる集団がこちらへ向かって進んでくる。ファムはブースターに門の横手から川原へ続く階段を下らせ、ブースターを堤防を兼ねた城壁の影に隠した。
「ここで待っていてくれ」
「わかった。何が起こったのか、あとで教えてくれ」
 ファムは頷くと階段を戻り、瓦礫の間に身を潜めた。
 暫くするとバラサの柔らかい足音が聞こえ始め、やがて先頭のバラサが要塞に入ってきた。1頭、2頭・・・ファムは1頭ずつ確認したが、全部で10頭のバラサとそれぞれの上に跨った10人を数えることができた。先頭から6人は大柄な男で、服装や腰に下げた剣から兵士と思われた。後の4人はその6人に比べると小柄で細身で、整った服装から何らかの官吏ではないかと思われた。彼らはバラサに乗ったままなにやら話し合いを持ち、それを終えると奥の屋敷の方へ向かってバラサを進めた。ファムは見つからないようにやや距離を取ってあとをつけた。
 彼らは岩山を登り屋敷の前でバラサを下りると歩いて屋敷の門をくぐり、一番奥まったところにある吹き抜けの大広間の真ん中に集まった。大広間と言っても天井は抜け落ち、入り口のドアは破壊され、そこには彼らが入ってきた大きな穴が開いている。部屋の突き当たりの壁だけは無事で、そこには奥の間へ通じるドアが残されていた。
 ファムは回り込んで吹き抜けを囲む回廊から一行を見下ろした。
 官吏と思われる4人は身振り手振りで意見を交わしたり、図面を取り出して何やら書き込んだりしている。兵士たちは思い思いに大広間に散らばっている。
 その時、兵士の1人がゆっくりと奥の壁にあるドアに近づいた。
 そっとドアノブに手を掛け、一気にドアを引き開ける。
「アッ!」小さな悲鳴が聞こえ、女性が部屋の中につんのるように飛び出してきた。
 セギだ。
 兵士は彼女の手を取って締め上げ動けないようにした。
「何者だ!」1人だけ色の違った制服を着た兵士が鋭い声を上げた。
 セギは黙っている。
「こんな所で何をしている?その格好はアルゴルの手のものだな」彼はたぶん隊長だ。
 セギは隊長を睨みつけたまま答えない。
「この女を連行する。拘束しろ」痺れを切らした隊長は命令した。
「イヤッ」セギは抵抗しようとしたが、屈強な兵士を振り切れるはずはない、たちまち鳩尾を突かれておとなしくなった。
 ファムは剣を鞘から抜くと一旦両手で柄を持ち、刃の向きをくるりと変えて棟を正面に向けた。そしてそのまま回廊の手すりに足を掛け、大広間の空間に飛び出した。
 最初にやった事は、落下する勢いを利用してセギを拘束している兵士の肩を粉砕することだった。
「グアッ!」不意を突かれた兵士は女を手放す。ファムは一瞬女を支えながら、もう片方の手で隣の兵士の両手を打ち砕く。うずくまる兵士の肩を蹴り、空中を舞って隊長の脳天に剣を打ち込む。さらに地を這うように横に動いて剣を構えようとする兵士の脇腹に剣を打ち込み、ようやく出された反撃の剣をかわしながら左に右に剣を振る。
 後には凍り付いたように立ち尽くす4人の官吏だけが残された。
 ファムは素早く1番位の高そうな格好の官吏に近づき剣の柄で鳩尾を突いた。官吏は気を失って抵抗できなくなった。
「動くなよ」ファムは残った3人に押し殺した声で告げた。3人になすすべはない。ただじっと見つめるだけだ。
「ピイーッ!」ファムが指笛を鳴らすとまもなくブースターが現れた。
「動くなよ」ファムはもう一度そう告げるとセギと気を失った官吏の1人を抱え挙げてブースターの背中にうつ伏せに乗せた。
「事情は後で説明する。急いでここを離れてくれ」ファムはブースターに告げた。ブースターは軽く頷いた。
 ファムはブースターを曳いて屋敷を出ると、管理の乗っていた1頭のバラサを残して他の9頭のバラサを追い払った。残した1頭に官吏を乗せ変え、落ちないように綱で固定した。そしてバラサの手綱をブースターに繋げると自分はブースターに跨った。
 ブースターはファムが跨ると同時に駆け出した。繋がれたバラサもおとなしくそれに付き従う。2頭は岩山を下り、今朝通り過ぎた町の方へ向かって橋を駆け戻った。
 シャウラと戦って以来続いていた長い長い退屈な時間は終わりを告げようとしていた。ファムの口角は上がり、琥珀色の瞳は久しぶりに輝きを増していた。

2020.10.28
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence10

 先に小さな呻き声を上げて意識を取り戻したのはセギだった。
 目を開けた彼女はゆっくりと辺りを見回したが、空ろな視線の先にファムを見つけると弱々しい声で尋ねた。「ここは?」
「ここ?さあ、どこだろう?」ファムは取り付く島もない口調で言ってから改めて付け加えた「城から町の方へ橋を戻って、そこから川を遡った森の中だ。何しろ平らなところは耕作地ばかりで隠れるところが無い。随分川を遡ったよ」
「今は何時ごろですか?」
「太陽はさっき真上を過ぎて午後の空に入ったところだ」
 セギは頭の中で状況を整理しているようだったが、やがて「礼を言わなければならないようですね」と言った。
「気にするな。あたしも色々と訊きたいことがあったんだ。なにしろこの国、アルゴルだったっけ?に入ってから人とまともに接触できなかったからな」ファムは声を明るくした。
「ええ・・・アルゴル・・・皇国です」まだ意識がちゃんと戻らないのか、セギは途切れ途切れに喋る。
「大丈夫か?」ファムは気遣った。
「大丈夫です。川を遡った森と言いましたね?最初の森ですか?」
「ああ、とりあえず川沿いにあった最初の森の中に隠れている」
「大体の位置はわかりました。ところで私がここに居るということはあの人たちはどうなりましたか?」
「あんたを捕まえた奴らのことか?」
 セギは頷いた。
「6人は戦士の様だったからとりあえず戦えないようにした」
「というと?」
「こいつで」ファムは腰に下げた剣を指差した。「片っ端から叩き折った」
「殺したのですか?」
「あんたらは簡単には死なないんだろう?刀の棟を使って叩き折っただけだから死ぬことは無い。たぶんな」ファムは口角を少し上げた。
 セギは少しの間ファムの顔を見つめてから言った。「そう。後の人は?」
「残った4人のうち3人はそのまま残してきた。そしてあと1人は・・・」ファムは少し先の地面を指差した。「そこでお休み中だ」
 セギはファムの指差す方向を確認したが、そこに倒れている官吏を確認すると視線を戻した。彼女の目はどうして連れてきたのかを訊いている。
「こっちにも色々訊きたいことがあるんだ。戦士らはあの怪我だし、乗っていた動物は追っ払ったから、当分は追ってこれないはずだ」
「だといいのですが・・・」セギはそう言いながらゆっくりと体を起こした。
 ファムは自然にセギの体を支える。
「ありがとう」セギは礼を言うと支えていたファムの手を離れて自分の足で立ち官吏の方へ近づいた。正確に言うとその格好からファムが官吏だと判断しただけなのだが、明らかに一般人や軍人とは違った衣装を纏っている。官吏4人の中でも1人だけ服に飾りが多かったし、小さな仮面で顔を覆っていたので一番位が高いと考えたのだ。だがこうして改めて観察して見ると、この人物は思っていたよりもさらに小柄で線も細いように思われた。
 ファムは官吏の横に立つと屈み込み、紐を解いて付けている仮面をそっと外した。
 白い端正な顔が現れた。
「女か?」ファムは驚いた声を出した。
 頭を覆っていたフードも外すと、そこからはこげ茶色の髪も現れた。肩の位置で切りそろえられているが真っ直ぐな美しい髪だ。
 セギは驚いた様子も見せず官吏の横に跪いた。右手をその額に当て、“気”を送り込むように息を止めて意識を集中する。
 官吏の目が開いた。その目は深い緑色だ。
 一瞬何が起こったのか理解ができないのか官吏の目は宙を泳いだが、ファムの顔を見つけると慌てて起き上がろうとした。
「おっと、そのまま動くなよ」ファムが肩を押さえて制止する。
「ここは、どこ・・・」ファムを見上げたまま官吏が声を出した。
 気が張っているせいか少し硬いがやはり女の声だ。
「あんたは今質問する立場にはない。質問はこっちがする」ファムが押し殺した声で言った。
「・・・」緑色の瞳がファムを睨みつける。
「あそこで何をしていた」
 官吏は答えない。
「あなたたちはラァスル・グールの者ですね?その格好で女性ということは神祇官かしら?」セギが優しく尋ねると、官吏は小さく頷いた。
 セギはファムの方へ顔を向けた。「この人を含めて、彼らはラァスル・グールの者なのですが、彼らを甘く見てはいけません。わざわざ神祇官が出向いたということは近々何らかの動きがあるということです。なるべく早くもっと安全な場所へ身を隠す必要があります」
「ラァスル・グール?」ファムは言いにくそうに発音した。
「この国へ、アルゴル皇国へ攻め込んできた国です」
「強国なのか?」ファムは確認した。
「ええ、とても。だから現状では身を隠す必要があります」
「心当たりは?」
「とりあえず出発しましょう。案内します」セギはゆっくりと立ち上がろうとした。
「無理をするな」ファムが寄り添う。
「大丈夫です。これでも私はイノセントですから」
 イノセントという言葉を聞いてファムは動きを止めた。
「あなたはさっき『あんたらは簡単には死なない』と言いましたね。ということはあなたは私たちよりも簡単に死んでしまうということでしょう?」
「・・・」ファムは黙っている。
「あなたの正体が少しずつ明らかになってきました」ファムのふてくされた様子にセギは頬笑みながら続けた。「案内しますが、私はどうすればいいですか?本当は自分のバラサで帰りたいところですが、探しに戻るのは危険が大きすぎます。賢い動物です。繋いではいないのでたぶん自分で帰ってくるでしょう」
「そのバラサに」ファムは官吏を乗せていたバラサにセギが跨るのを手伝った。それから官吏をブースターの背中に跨らせ、自分もその後ろに跨った。官吏は特に拘束しなかったが、逃げようとしても問題は無い。捕まえるだけだ。

 先を行くバラサは川沿いを上流に向かって進んでいく。ブースターは2人も乗せているから少し遅れ気味だが、なんとか離されないように付いていく。
 道は無く、時には砂州の砂礫の上を、時には幾筋もの川の流れを横切りながら早足で進んでいく。
『なかなかの乗り手だ』ファムは独り言のように呟いたが、ブースターには聞かれたようだ。耳をせわしなく動かしてあらゆる音に警戒を向けている。もちろん官吏にも聞こえたはずだが、彼女はなんの反応も示さない。
 鐙が水面に届きそうなくらい川の流れが深くなった。官吏は濡れないように少し足を上げた。

 日が天頂に差し掛かる頃、セギの乗るバラサはようやく川原を出てすぐ傍の森の中へと入った。巨木が密集する森の中は薄暗かったが、セギは確信を持って木々の間を抜けていく。目的地が近くなったようだ。ブースターは『そろそろだな』という目つきでファムの方を見たが、置いていかれないようにスピードを上げた。
 やがて木々の間に大きな岩が目立ち始め、木立の向こうに幾つもの巨大な岩が姿を現した。どうやらセギはそこへ向かっているようだ。
 岩の高さは周囲の木立の高さを超えてはおらず、森の中に埋もれるように点在する。先を行くバラサは最も大きい岩を回り込み、隣の岩との隙間に入って行く。ギリギリでやっと通り抜けられるだけの狭い隙間だ。
 隙間を抜けた先は巨石に囲まれた窪地だった。今通ってきた隙間以外からはどこへも行けない行き止まりだ。直径は50メートル程だがその窪地にも大小の岩が点在していて平らな場所はあまり無い。ファムはすばやく辺りを観察した。
「着きました」セギはバラサを止め、こちらを振り返った。
「ここ?」ファムは剣の柄に手をやりながら訊いた。
「そうです」セギはバラサをその辺の木に繋ぐとファムもブースターから降りるよう促した。
 ファムは官吏と一緒にブースターを降りた。
「見張っていてくれ。逃げないとは思うけど」ファムはブースターに声をかけた。ブースターは声を出さず小さく頷いた。
「こちらへ」セギに付いて幾つかの岩を超えて進むと、巨大な岩と岩の間の大きな隙間に石を組んで作られた建物が現れた。岩の隙間は4メートルほどあるだろうか、建物はその隙間に綺麗にはまり込むように建てられていて、上には巨大な岩がテラスのように張り出し、屋根のように建物を取り込んでいる。これなら雨が入ることは無いし、建物は窪地よりも一段高いところにあるから内部は乾いているに違いない。入り口は岩に囲まれて風も当たらず、たぶん南向きだ。『なかなか素敵な宿じゃないか』ファムは満足げに呟いた。
 セギは入り口に立ってこちらへ顔を向けている。ファムは慌てて岩を登ったがセギは先に中へと入り、ファムもすぐ後から入り口をくぐった。
 入ってすぐのところにある広間は岩の隙間を上手く利用していて、想像していたよりもずっと広々としていた。中央には火床があり、上には煙抜きの覆いが設けられている。火床の周りは毛皮が敷かれ、居心地のよさそうな空間になっているが、たぶん床の岩は座りやすいように手が加えられているのだろう。さらに広間の奥は、洞窟をそのまま使って、あるいは岩をくりぬいて、幾つかの部屋に分かれている。そのうちの1つはカーテンが下がげられ、半分ほど開いた隙間から寝具が見えている。セギが使っているようだが、どうも来客は予定していなかったようだ。
「ここは?」ファムはセギに説明を求めた。
「ここは私が隠れ家として使っている場所です」
「なかなか興味深い場所だ」
「もともとは家畜の乳から作る発酵製品の工場だった所です」
「発酵製品?」
「乳を発酵させ加熱して固めたものでパニルと言います」セギは大鍋をグルグルとかき混ぜるような動作をした。
「さっき、“もともとは”と言ったけど?」ファムは素直に疑問を追及する。
「ええ、ここはずっと以前からそういう使われ方をしていません」
「というと?」
「皇家が買い上げ、所有して使っていたのです」
「どういう風に?」
 セギは少しの間考えをめぐらせたが、やがて口を開いた。「この小屋は皇家の子供たちのための遊び場だったのです。子供たちは自然の中で遊び、この小屋で寝泊りしました。それは子供たちに対する教育の一環だったのですが、子供たちの中でもツィー様が特にこの小屋を気に入られ・・・何度も繰り返し・・・利用されました」セギは思い出したのか少し言葉に詰まった。
「あんたはそのツィーの教育係だったよね?」
「ええ、ですからこの小屋には数え切れないほど来て過ごしています」
「ここが皇家の持ち物だったということで、ここが敵に知られる可能性は?」
「無いはずです。ここはあくまでお忍びで来られる場所でしたから、知っている者の数は非常に限られます。たぶん今は私しか居ないのではないかと・・・」セギの声は暗くなった。
「だからここを使っている」
「ええ。比較的に安全だと考えました」
 言っていることに矛盾は無さそうだ。ファムはそう判断した。「あんたはあたしたちをここへ匿ってもいいと考えている」
「ええ、そう考えたからここへお連れしました。あなたが進んできた方向へそのまま進むのは危険が多すぎます」
「あの川が国境だということなら川向こうはラァスル・グールになるのか?」
「そうです。川を越えればすぐに検問を受けることになるでしょう」
「それで素性の知れない者はこう?」ファムは首をはねられる動作をした。
「その可能性は高いですね」
「そういうことなら、すまないけれど厄介になるよ」
「命を助けていただいたのですから遠慮は要りません」セギは笑顔になった。
「厄介なのを連れて来てしまったけど・・・」ファムは入り口の方へ顔を向けた。
「問題ありません。私も興味がありますから。ここへ呼びましょう」
「そうだな。このまま放っておくわけにもいかない」ファムは小屋の外へ向かった。
 官吏は岩の上にちょこんと座っていた。横ではブースターが睨みをきかせている。
「おい」どう呼んだらよいのか迷ったがファムはとりあえず声を掛けた。
 官吏が顔を上げた。こげ茶色の真っ直ぐな髪が揺れる。緑色の虹彩は不安の色を帯びて輝きを落としているが、フードを下ろし仮面を外したその顔はファムの目から見てもとても美しかった。
「おいじゃ駄目だな。名前は何と言う?」
「エヌマ」官吏はボソリと答えた。
「じゃぁエヌマ、ちょっと来てくれ」
 エヌマは素直に立ち上がり。ファムについて建物の中へ入った。
「食事の用意を始めるのですが、手伝ってくださらないかしら」セギが2人の顔を見て声を掛けてきた。
「いいよ」ファムは返事をしながらエヌマの方を見た。
 エヌマは少し躊躇してから小さく頷いた。
「彼女はエヌマ、そういう名前らしい」ファムが付け加えた。
「わかりました。では、ファムとエヌマ。まず食材を用意するのを手伝ってくださいますか。こちらです」
 案内された建物の奥には凍えるくらい気温の低い室(むろ)があった。
「ここはさきほど説明した発酵製品パニルの熟成室だった所です。室の奥は深い洞窟に繋がっていて、そこからは年中一定温度の冷気が吹き出してくるのです。その量を調整することでこの室を最適な温度に保つことができるのです」セギが解説してくれた。
 室には干した肉や魚、野菜、果実が吊り下げられ、塩漬けや穀物の粉など、様々な食材がそれにあった温度で蓄えられていた。
 セギはテキパキと動き、穀物の粉に水と塩そして酵母を加えて練り上げ、ふんわりと膨らむのを待って、それをこんがりと焼いた。セギはそれをピタというのだと言った。その作業の合間に貯蔵された食材を適当に組み合わせ、料理を幾つも作りあげた。ファムはこういう作業には疎かったが、エヌマはどうも経験があるらしく、指示された作業をテキパキとこなした。
 料理は完成に近づいていたが手伝っても実績を上げられないファムは外へ出てブースターとバラサから乳を搾ることにした。
 乳を搾っているとブースターが言った。「2人だけで残して大丈夫か?」
「エヌマはセギに危害を加えたりはしないよ」
「どうして断言できる?」
「勘だ。そんな気がする」
「セギも同意見か?」
「たぶんな。それにしてもセギはよく働くよ」ブースターの乳を搾りながらファムが言った。
「そのうえ頭も切れる」ブースターが小声で返した。
「わかってるよ」ファムは答えた。
「我々にとって良い方向か悪い方向か、どちらへ向かっていると思う?」ブースターが訊く。
「いい方向か、そうでなかったらそう悪くない方向だ。こうなったら運を天に任せるしかない」ファムは暗くなり始めた空を見上げ「それにしても、腹が減ったな」と呟いた。

「ご飯ができましたよ~」セギの声が響いた。建物の入り口から顔を出してファムを呼んでいる。
「なんだか懐かしい気持ちになる。どうしてだろう」ファムは誰にとも無く尋ねた。
「お前は特殊な環境で育っている。だから精神の健全な発達を促すために仮想環境での人間としての生活も教育プログラムに組み込まれていた。そこで得た記憶がお前をそんな気持ちにさせるのだろう」ブースターが答えた。
「まるで子供になったみたいだ」
「仮想環境でだが、お前がそういう経験をしているということだ」
「でも、これまでこんな気持ちになったことはなかった」
「これまでお前がこんな経験をしなかった、というだけのことだ」ブースターは冷たく言った。
 ファムは乳を入れた容器を抱えると建物の中に入った。
 広間は暖かく、食べ物のにおいが充満していた。
 中央では赤々と焚き火が燃え、吊り下げられた鍋の中ではスープが煮えている。周りには皿に盛り付けられた見たことも無いような料理が湯気を上げている。エヌマはもう座っていて、ファムが席に着くのを待っているようだ。
「うわ!凄いご馳走だな!それに凄い量だ」
「こちらへどうぞ」セギは正面の席を指し示した。
「これを」ファムは絞ってきた乳を渡した。
「これは後でいただきましょう。暖めた方がいいですか?」
「その方がいいかもしれないな」
「ではそうしましょう。それよりまず食事を始めましょうか」
 ファムが席に着くとセギも座り「いただきましょう」と両手を体の前で合わせた。
 エヌマは同じように体の前で手を合わせると意味のわからない呪文のような言葉を長々と唱え始めた。セギはそれに付き合い。ファムはその間お預けを喰らった。
 呪文が終わるとどうやら食事が始まるようだ。エヌマとセギが最初の一口を口に入れるのを確認してから、ファムも大きく口をあけて肉の塊を放り込んだ。
 ファムが吐き気を覚えたのは暫く食事を続けてからだった。
 絶えられなくなったファムは建物を飛び出し、大きな岩の陰まで行って今食べたものを吐き出した。それでも吐き気は収まらなかった。まだ胃袋は痙攣を続けている。
「どうしたのですか?」セギの声が聞こえた。

2020.12.08
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォマルハウト Sequence11

 シャウラは手綱を小さく引いてスハイルの歩みを止めた。
 目を細めて道の先、なだらかな山脈の鞍部を見つめる。
 カスカラの町を出発した隊商は旅程をゆっくりと、しかし確実に消化し、ハダル峠に差し掛かっていた。山肌には緑はほとんど無く、赤茶けた岩だらけの斜面に峠道が続いている。峠の標高はそれほど高くは無く、登りも比較的穏やかで、大型の輸送車を連ねる隊商にとって難易度は低い。時期によっては砂を含んだ強い風が吹きつけて旅人を悩ますのだが、今日は穏やかに晴れ上がっていて、視界には青く輝く空を背景に峠のピークが眩しく浮かび上がっていた。
「どうしたの?」シャウラの両腕の間に収まっていたツィーが首を後ろに曲げて訊いた。
「いや・・・」シャウラは短く返事をしたがその質問には答えず、スハイルを先頭の輸送車に向けた。
 ツィーはシャウラの顔をジッと見上げていたがやがて視線を前方に戻した。一陣の風が吹き上げ、長くなったツィーの金色の髪がシャウラの頬を撫ぜる。
 シャウラはその動きに一瞬だけ目を留めたが、またすぐに視線を山の方へ戻した。スハイルは早足で先頭の輸送車に追いつき、御者台に並んだ。
「何かあったのか?シャウラ」輸送車の立てる車輪の音に負けないように御者台のアズミが声を張る。
「ツィーをそっちに」シャウラも声を張った。
 ツィーは振り向いてシャウラを見たが、シャウラが怖い顔でにらみつけるとスハイルの上に立ち上がった。シャウラはツィーを腰の部分で支え、そのままひょいと持ち上げてアズミの隣に降ろした。そしてツィーがアズミの横に腰掛けるのを確認すると輸送車との距離を取った。
「何か居るのか?」アズミが訊く。
「嫌な感じがする。少し辺りを見てみるから、このまま進んでください」ピークの方へ目をやりながらシャウラが答える。
「わかった。気をつけてな」
「ツィーを頼みます」
「まかせておけ」
 ツィーは不安気な眼差しをシャウラに向ける。
 その様子に「大丈夫、心配するな」シャウラに変わってアズミが声をかけた。

 シャウラは鞍の横に差し込んでいたライフルを抜いて手に持ち替えると、スハイルをピークの方へ駆けさせた。ハダル峠は山脈の一番標高の低い部分を緩やかに越えていく。そこを過ぎると道は下りに転じ一挙に先の風景が開けるはずだ。
 シャウラは峠のピークの少し手前ででスハイルを止めた。坂の先にキラリと輝く物を見つけたのだ。
 そのままゆっくりと坂のピークまで進む。
 その輝きは徐々に姿を現し、やがてそれが銀色に輝く兜の上に伸びた飾りであることが知れる。続いて尖った2本の短い角が現れ、乗っているバラサの頭と銀色の鎧が現れ、さらにその後ろに並ぶ大勢の兵士の頭が現れた。鎧の人物を中心にバラサに跨がった兵士たちが街道を塞いでいる。
 恐らくこの人物が大将だ。ライフルで狙えば弾は当たる。だが、確実に仕留められる保証はない。兜は頭や顔の全面を覆っていて、必殺を狙ってもその強度が不確定要素になる。それにたとえ大将を殺ったとしても、その辺の山賊とは規模も戦力も桁が違う、我々は簡単に全滅させられるだろう。
 シャウラはスハイルを取って返し、両腕を斜め上に広げた。止まれの合図だ。隊商は直ちに動きを止めた。
 シャウラが戻って事情を話すと、腕を組んで聞いていたアズミは「騎乗兵か、だったら逃げられないね」と言った。
 やがて峠のピークにバラサに跨がった兵士たちが姿を現した。数百騎は居そうだ。道一杯に広がって一気に峠を下り、隊商の長い車列を囲むように展開した。
「ラァスル・グール軍だな。もうハダル峠を落としていたのか」アズミの隣に座るアカザが言った。
 長く伸びていた車列は道幅をいっぱいに使って一か所にまとめられた。
「さて、どうしたものか・・・」アズミは御者台の上に立ち上がってその様子を眺めている。
「武器を捨てよ!」他の面々より派手目の服装をまとった一騎が命令した。おそらく騎乗隊の指揮官の地位にある者なのだろう。
「指示通りにすれば命は取らない!抵抗するならば、皆殺しだ!」
「わかった!言うとおりにする!」アズミがよく通る声で答えた。
 シャウラはアズミが頷くのを待ってから、ゆっくりとライフルと剣を地面に落とし、アズミや御者たちもそれに続いた。
 兵士たちが配置を終えるとそれを待っていたように銀色の輝きが姿を現した。あの鎧兜に身を包んだ人物だ。前後を騎乗兵たちに守られながらしずしずと下ってくる。身なりからしてこの一団は騎乗隊の面々よりも地位が高いようだ。
「仰々しいもんだな」覚悟を決めたアズミは呆れたように言った。
 一団は隊商から少し上の位置で止まった。
「我々はラァスル・グール皇国軍だ。気の毒だがお前たちは我々が拘束する」先ほどの指揮官が甲高い声で告げた。
「拘束う~?」アズミはそれに負けないくらい甲高い声を上げた。
「そうだ」
「あんたら、本当にラァスル・グール皇国の軍隊か?地道に商売に励んでいる隊商を襲うなんて、これじゃまるで強盗団じゃないか?」
「やっていることは似たようなものだから、どう思われようと結構。全員輸送車を降りてここに集合してもらおうか。そこの用心棒。あんたもだ」
「そんなに簡単に強盗と認められちゃ、しょうがないね。みんな言うことを聞くんだ」アズミは全員に聞こえるように声を張り上げる。
 指揮官は輸送車に積まれているものを確認するよう配下に指示を出した。
 間もなく御者10人とアズミ、ツィー、それにシャウラが隊長の指定した場所に座り込んだ。ワタリの姿が見えなかったが、それについては全員が口をつぐんでいた。
 その時、少し離れた位置にいた一群の中からあの目立つ銀色の鎧を着た人物を乗せたバラサが進み出た。周りの兵士たち数名も慌ててバラサ進ませ付いてくる。お付の兵士たちの慌てようを気にする様子も無く、その人物はシャウラたちの前にやってきた。
 シャウラが予想していた通り、その銀色に輝く鎧は頑丈に見えた。たぶん近距離でなければライフルの弾丸は貫通しないだろう。関節の稼動部分も重なりを持つように作られている。兜には権威を示すために背の高い飾りが突き出ているが、その他は至ってシンプルで、口の部分に声を通すための小さな穴が幾つかと、目の部分に内部から外が見えるように極細いスリットが2つ開いているだけだ。どこを狙ってもこの人物に傷を付けることはできそうもない。
 鎧の人物はシャウラたちの前でバラサを止めた。直ちに周りをお付の者が取り囲む。
「名前は?」幾つか開いた兜の穴からくぐもった声が聞こえた。シャウラたちの中の誰かを指差しているが、金属に覆われた指先がどこを指しているのか定かでは無い。
「あたいかい?」アズミが妖艶な声を出す。
「違う!違う違う!お前じゃなぁぁい」激しく首を横に振ったせいで鎧がカチャカチャと音を立てる。
「あら、お見限りだね」アズミはプイと横を向いた。
「隣の女、名前はなんと申すぅ?」鎧の人物は赤子をあやすような声で言った。
 座らされている全員がツィーの方に顔を向けた。
 ツィーはその青い目を鎧の人物に向けたが、そのままじっと黙っている。
「おお、その輝く髪と白い肌、そしてその凍り付くような冷たい視線。この世のものとは思えぬほど美しい。背中がゾォクゾクする・・・」その人物はバラサから降りようと体を捻った。
 お付の者たちが大慌てで駆け寄ったがすでに遅かった。鎧の人物は片足をバラサから上げたところでバランスを崩し、激しい金属音と共に地面に落下した。
「殿下!」駆け寄ったお付の者たちが大急ぎで体を持ち上げる。
「大事なぁい!触るな!」駆け寄った者を振り払ったがそのまま手足をバタバタさせるだけで起き上がることができない。結局お付の者たちの助けを借りて鎧の人物はヨロヨロと立ち上がった。鎧は防御力を高めるために相当に重いようだ。ゆっくりと金属の擦過音を立てながらツィーの元へと近づく。
「美しい・・・」鎧の人物は倒れないように慎重に膝を曲げて跪くと、金属に覆われた指先でツィーの顎を持ち上げた。
 ツィーは黙ったまま兜に開けられた2つのスリットを見上げている。
「お前を私の第3夫人にする」鎧の人物は厳かに宣言した。
「何トンチンカンなこと言ってんだ!」アズミはポカンとしているシャウラを押しのけ、ツィーを鎧の人物から引き剥がした。その衝撃で鎧の人物はまた仰向けにひっくり返った。
「殿下!」再び駆け寄ったお付の者たちが大急ぎで体を起こす。
「サルガス!戯けたことを!」積荷について報告を受けていた指揮官がバラサに乗ったままやって来て鎧の人物を見おろした。
「姉上ぇ、僕のやる事にいちいち口を出すのは止めてくれないかぁ」サルガスと呼ばれた鎧の人物は甘えた声で訴えた。
「お前が我が王家を辱めるようなことばかり仕出かすからだ」指揮官はバラサの上から怒鳴りつける。
「だけどぉ、僕はぁ・・・」
「うるさい!」指揮官は一括した。「侍従長!すぐにサルガスをバラサに乗せて後方に下がらせろ。それからさっきのサルガスの発言は無効とする。わかったな!」
 お付の者たちは了解の印に腰を深く折ってその指示に答えてから、寄ってたかってサルガスをバラサの上に担ぎ上げ、そのまま元居た場所にまで下がらせた。直ちに数人のお付の者たちによって日除けの天涯が差しかけられる。サルガスはグズグズと不平を漏らしていたが、日陰に収まるとようやくおとなしくなった。
「騒がせたな」指揮官はアズミに向かって声を掛けた。
「どうやらあんたはまともに話せる相手のようだね」アズミが言った。
「私はラァスル・グール皇帝の第11皇女キトゥーだ。さっきのは第13皇子サルガス」
「へぇ・・・皇女様、随分身分の高い、それも女だったんだね。それはご無礼をいたしました」アズミはツィーの方を横目で見やりながら皮肉を込めて言った。「そんなふうには見えなかったもんだから・・・」
「気にする必要は無い・・・と言いたい所だが、私でなかったら首が飛んでいるぞ」キトゥーは強い視線をアズミに向けた。緑がかった美しい瞳で、日に焼けた肌や漆黒の髪は神族のイメージからはかけ離れている。
「そこの女」キトゥーはツィーに声をかけた。「驚かせてすまなかった。奴の戯言は無効にしたからもう心配することは無い」
 ツィーは黙ったまま小さく頷いた。
「それにしても、この女は神族だろう?なぜこんな隊商に同行しているのだ?」
「こんな隊商で悪かったね。色々複雑な事情があってね。それにこの子はうちの用心棒の女房だ」
「女房・・・」キトゥーは少しの間シャウラの顔をジッと見ていたが、やがて「そうか・・・」と頷き、それ以上追求しなかった。
「あたいたちをどうするつもりなんだい?」アズミが訊いた。
「お前たちは随分高価なものを運んでいるようだが、輸送車と荷物はここで没収する」
「全部か?この荒野のど真ん中でか?それはあたいたちに死ねということか?」アズミは抗議の声を上げた。
「お前たちが生きようが死のうが、そんなことは我々の関知することではない」キトゥーは冷静な声で答える。
 アズミは怒髪天を衝く、まさにそれを絵で描いたような表情でキトゥーを睨みつけた。隣に座るシャウラも全身の筋肉に酸素を送り込んだ。御者たちは顔色を失っている。ただツィーだけは感情を廃した目をどこか別の空間に向けていた。
 キトゥーはそんなアズミとシャウラの顔を硬い表情でジッと見つめていたが、やがて顔を緩めた。
「死にたくはないか?」
「あたりまえだ!誰が好き好んで死を望む?」
「では、私から任務を与えよう。この輸送車に積まれている我々の荷物すべてをラァスル・ハールまで輸送するのだ」
 ラァスル・ハールとはラァスル・グール皇国の帝都だ。
「我々の荷物だと?」
「そうだ、荷物は我々が没収した。すでにすべてはラァスル皇帝の所有物だ。異議は受け付けない」
「ク・・・」アズミは唇を噛む。
「これがお前たちが生き延びる唯一の方法だ」
 アズミは暫くの間黙り込んだがやがて言葉を続けた「すまないが我々は魔族の隊商だ。ラァスル・グール内では行動できない」確かに魔族はラァスル・グールには原則的に入れない。アズミは抜け道を探っている。
「我々の1小隊を同行させ、サルガス殿下の命令書を持たせよう。それで動けるようになる」キトゥーはなんでもない事のように答えた。
「ラァスル・ハールに着いた後はどうなる?」
「荷物はすべて国庫に納められる」キトゥーは当然のように言う。
「我々は?」ここは肝心なところだ。
「さあな、そこから先は我々のあずかり知らぬところだ」突き放すようにキトゥーは言った。
「それでいい・・・」ツィーの声だ。囁くような声だったのでキトゥーには聞こえていない。
 シャウラとアズミはツィーの方へ顔を向けた。やはりツィーの瞳は奥行きを失い表情が消えている。
「どうした?」シャウラは小さな声で呼びかけた。
「それでいい・・・」ツィーは繰り返す。
 それを聞いたアズミの目に微かな明かりが灯った。
「あたいは少しでも生きている時間が延びるほうに賭ける。いいな!」アズミは周りに座っている仲間に向かって宣言した。
 仲間たちはそれぞれに小さく頷いた。シャウラも頷かざるを得ない。
 アズミが声を上げる。「皇女様!」
「なんだ?」キトゥーは口角を上げる。
「しようがない。謹んで皇女様の任務をお受けするよ」
「懸命な選択だ。さっき言ったように1小隊を護衛に付けるから着実に届けるのだぞ」
「仰せのままに」
「嫌に素直だな。何かたくらんでいるのか?だが1小隊といえども我が軍の精鋭だ。反乱を企てても無駄だということは肝に銘じておけ」
「無駄とわかっていることはやらないよ。命を縮めたくはないからな」
「賢明な判断だ」キトゥーは満足そうに微笑んだ。
 その笑顔は奮いつくほど美しかった。まるで見つめると石になってしまう伝説の怪物のように。

2021.02.24
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