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Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

花(仮題)

 汐見橋駅のホームは心地よい日差しに包まれている。
 ホームのベンチに座ってその日差しを全身に浴びていると、いつもなら不快に感じる下町の喧騒や空気にすら、その中に萌え出る春の成分が含まれているように思えてくる。
 ホームにはボクの他、誰もいない。
 やがてその閑散とした駅に電車がやって来る。
 たった2両の可愛らしい編成だ。
 渡り線を渡った電車はブレーキを軋ませてそろりと停車し、まるで溜息のようにエアーを吐き出してからドアを開けた。
 コンプレッサーが忙しげに規則正しい音を響かせる。
 この駅は終点だから電車はここで折り返す。
 ボクはその音に促されるようにゆっくりと立ち上がり、今先頭になった車両の一番前のシートに腰掛けた。
 コンプレッサーはエアータンクを一杯にすると動作を止めた。
 たちまち都会の喧騒は遠ざかり、大都会大阪のど真ん中とは思えないローカルな時間が流れ始める。
 発車までは暫くの時間がある。ボクは薄い文庫本を取り出すとそれに目を落とし、暫しの間安息の空間に入り込んだ。

 気配に顔を上げるといつの間にか向かいの席、運転士のすぐ後ろに少女が座っている。真っ直ぐな黒髪を肩に垂らし、端正な作りの顔に大きな目が良い意味でとてもよく目立つ。まるで見ることを禁じられている妖精を間違って見つけてしまったかのように、ボクは呆然と彼女を見つめていたが、彼女がこちらを見ている事に気がつくと慌てて視線を逸らせた。
 彼女は隣の県にある超有名な進学高のセーラー服を着ていた。ボクの妹も通っていた学校だから見慣れた制服だが、髪型やスカート長、スカーフに靴下、それに襟元のバッジが明らかに校則に違反している。持っているカバンも『違うだろそれ!』とツッコミを入れたくなるような代物だ。
 おまけにまだ昼を過ぎたばかりで、学校の授業が終わるには早すぎる時間帯だ。方向も反対だから、これから登校するわけでもないだろう。
 彼女はそんなことを全く気にする様子も無く、悠然と向かいの席に座っている。
 やがて運転士がやって来て出発の準備を始めた。幾度かレバーが操作され、エアーが解き放たれる音がやけに大きく車内に響く。
 前方の信号が青になって出発の合図が鳴ると、ガタガタと大きな音をたててドアが閉まり、電車はモーター音を響かせて走り始めた。乗客は彼女とボク、たった2人だ。
 芦原橋、木津川、電車は人気のない駅に律儀に停車してはドアを開け、誰も乗せないまま発車する。かつては貯木場があって賑わった沿線は、今は寂れて往時の面影はない。まるで大都会の真ん中にぽっかりと開いた異次元ポケットの様だ。
 電車は緩やかに左カーブを曲がり、津守の駅に近づく。
 運転士の後ろで何処ということも無く、ドアの方へ視線を向けていた彼女が、前方へと視線を向けた。
 線路の両側に寂れたホームが見え始め、そのホームの一番向こうの端に人影が見える。電車がホームに入ると、それが大小2人の人間である事がわかる。さらに近づくと2人は中年の女性と小さな女の子であることがわかる。彼女はその2人をじっと見ているのだ。
 彼女は立ち上がってドアのところに立った。
 電車は2人の前に停車すると扉を開けた。
「ママ!おかえりなさい!」弾けるような笑顔を見せて女の子が電車に乗り込んできた。金色のおさげ髪とそばかすが可愛らしい。 
「ただいま」彼女も笑顔になって女の子を受け止める。
 中年の女性が彼女と女の子に微笑を向けた。「また明日ね」
「ウン!おばあちゃん、バイバイ」女の子が小さく手を振るとドアが閉まる。
 彼女と中年の女性は目で合図を送りあった。
 電車は気怠そうに走り始めた。
 中年の女性が見えなくなるまで手を振っていた女の子がこちらを向いた。『あれ?』という表情で青い瞳をこちらに向けてから、彼女の方を見上げる。彼女と良く似た大きな目がとても愛くるしい。
「今日は駄目よ」彼女は小さな声で言い含めると、運転士の後ろに女の子を座らせ、その隣に腰掛けた。女の子は靴を脱ぎシートに立ち上がって運転士の背中越しに前方を見ようとする。
 ボクは諦めてシートの前方を少し開けた。
 それを見ていた女の子が『いいの?』という表情でこっちを見る。
 ボクが大きく頷くと女の子は嬉しそうにこっちにやって来た。そして同じようにシートに立ち上がって前方を眺める。今度は遮るものが無いから見晴らしはいいはずだ。
 彼女が『すみません』という風に軽く頭を下げた。
 電車はのんびりと進み、女の子は嬉々として前方を見つめている。はち切れんばかりのエネルギーを含んだ幼子の匂いが鼻をかすめる。
 電車は西天下茶屋駅を出ると坂を登り始め、終点の岸里玉出駅のホームに入る。ドアが開く前に女の子は慌てて靴を履き、彼女の元へと駆け戻った。
 2人はしっかりと手を繋ぎ、開いたドアから降りて行く。
 もう一度彼女が頭を軽く下げ、女の子が「バイバイ」と手を振った。
 ボクも「バイバイ」と手を振り返し、暫くの間2人の姿を追う。
 ボクの中にあった驚きや疑問、疑念、憶測、そして偏見は一気に消えていった。そんなものどうだっていいじゃないか・・・。
 2人が階段に消えるとボクは我に返り、ゆっくりと立ち上がった。そして荷物を肩にかけ、今先頭になった車両の方へ歩き始めた。


2018.04.11
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

ふたつの旅

 巨大なモノクロームの絵画が床に平置きにされている。高さ137 in、幅× 306 in、多くの世界的な名画を収蔵することで有名なこのプラド美術館でも最大級の作品だ。
 僕を含む数名の修復士(コンサバター)が学芸員と政府担当官の監視のもと、慎重に作業を進めていく。最初は絵のふちに沿ってゆっくりと動きながら、次はホイストを使って絵を壁に立てかけて、中央部は細かく位置の調整できるリフトに乗って、顔の前に固定できる拡大鏡を駆使して状態を確認していく。
 3時間以上をかけてチェックを終えた僕らは、その場で分厚いコンディションレポートを作成し、それを学芸員と担当官が確認した。
 学芸員は詳細に内容を読み込み時間をかけてサインした。
 担当官は軽く書面を眺めてから、重々しい表情で書類にサインをし、絵を収蔵庫に戻すよう指示した。
 絵はストレッチャーに載せられ、ゆっくりと移動を始める。そして、一般に広く公開されている本館とは完全に切り離された別館の、それもその最深部、最新のエアーコンディショニングシステムとセキュリティーシステムに守られ、厳重なテロ対策が施された収蔵庫に戻された。
 絵はこのまま封印され、1年後に次のコンディションチェックが行われるまで、誰の目に触れることは無く眠り続けるのだ。
 分厚い扉が重々しく閉じられ電子ロックが掛かると、僕らは気の張る作業からようやく開放された。
「一杯やりたい気分だな」勤務の終了が迫っているせいもあって、チーフのホアンが軽口をたたく。
「このあいだいい店を見つけたんですよ」同僚のフェデリコが合いの手を入れる。
「前に行った店とは別の店か?」チーフはすっかり乗り気だ。
「お前も行くよな?」フェデリコが誘ってきた。
「いや、今日は遠慮しておくよ」僕は淡白に返答する。
「珍しいな?女か?」
「まぁ、そんなようなものだ」僕が話に乗らなかったので、話題は店の選定に進んでいった。

 数日前のことだ。携帯端末の呼び出し音に眠りを邪魔された僕は、布団の中から手だけを出して端末を探り当て、着信ボタンを押した。
「元気だった?」
 僕は突然の日本語に驚いたが、一瞬で頭の中を日本語に切り替えて応えた。
「どなたですか?」
「あたし、あたしだよ。わかる?」聞き覚えのある声だ。微かに感じられる関西弁のニュアンスが僕の推測を補強する。
「アンナ!アンナなのか?」僕の眠気は一瞬で吹き飛んだ。
「ご明察!」やはりアンナだ。
「どこからかけてるんだ?」
「内緒。でもそんなに遠くないところ」
「ヨーロッパに居るのか?」僕は勢い込んで訊いた。
「内緒だって言ったじゃない」
「ごめん。でも元気そうだな?」
「まあね。あなたの方こそ、なかなか凄い仕事に付いているみたいじゃない」
「そんなことないさ」
「あなたがそこに居るってことが、その凄さの証明だと思うよ。そうでしょ?」
 僕は黒曜石のような、何もかもを見透すような瞳で覗き込んでくるアンナを想像した。
「ありがとう。君のお陰だ」僕はそうされるのが苦手だったから、目を逸らす自分を想像しながら礼を言った。
「あたしの?どうして?」
「この仕事に就くきっかけは君に貰ったんだ」
「あの店でのこと?」
「憶えてるんだ」
「そんなところで働いているんだから、ひょっとしたらとは思ってたけど。何がきっかけになるかなんて、誰にもわからないものなのね」
 僕はアンナの記憶の中に、あの店での出来事が残っているのを知って嬉しくなった。

 ☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆

 黒い髪は耳の下の位置で潔くカットされている。
 薄くて形の良い唇は少しの微笑を湛えて軽く結ばれていて・・・。
 上を向いた小さな鼻は白い顔の真ん中にチョコンと収まっている。
 太めの眉の下では、黒曜石のように輝く黒目がちの大きな目がこちらを向いている。
 だが、その目は僕を見ていない。
 その目は僕の肩越しにどこか遠くを見つめている。
「あれ、ゲルニカやん」結ばれていた唇が動いた。

 火曜日と木曜日の放課後はいつもそうだったが、僕らは少し離れて校門を出ると駅まで歩き、電車に乗った。
 まだラッシュには早い時間帯だから、車内は比較的すいている。
 僕らはドアを挟んで両側に立ち、黙り込んだまま流れて行く景色を眺めている。
 そしていつもの駅で電車を降りると、そのまま微妙な距離を測りながらゆっくりと歩き、ガード下にあるパスタとピザの店に入った。
 最初は彼女がこの店に連れてきてくれた。彼女は、制服のまま気兼ねなく入れる店を幾つか知っていて、この店もその1つだった。
 そこで僕らは1時間程度を過ごし、腹ごしらえをした。
 中途半端な時間帯だから比較的空いているし、壁際のテーブルだと目立つことも無く、店主や店員も細かい事を気にする様子も無い。そしてなにより、金のない高校生でも入れるぐらいリーズナブルな店だった。

 僕は杏奈の視線の先を振り返った。
 振り返った先、隠れ家のように仕切られた店の薄汚れた壁に、一枚のイラストがかかっている。
 そのイラストはモノクロで、奇妙な形にデフォルメされた人や動物や、よく分からない様々なものが重なり合い、ひしめき合って描かれている。
 僕は見てはいけないものを見てしまった子供のような気持ちになって、慌てて視線を元に戻した。
「ゲルニカって?」
 どこかで聞いたことがある。僕はそう思いながら質問した。
「ピカソの絵、知らんかった?」杏奈は僕の目を覗きこむ。
「ああ、ピカソ」それは妙に納得のいく答えだった。
「見た覚えはあるよ。ピカソやいうのは知らなかったけど」僕は杏奈に覗きこまれるのは苦手だったから、視線を逸らしながら言った。
「美術の教科書に載っとったからとちゃう?本物はもっと大きいゆうのは知っとお?」
 僕は小さく首を横に振った。
「高さ349 cm、幅777 cm」
「そんなに大きいんだ」僕は少し驚いて言った。
「タイトルはゲルニカゆうんやけど、なんでか知っとお?」
 僕はまた小さく首を横に振った。
 ふう、杏奈は小さくため息をついた。
 そのタイミングで注文していたパスタが運ばれてくる。
 小腹の空いていた僕がさっそくフォークを付けるのを見届けてから、杏奈はフォークを取った。
「ゲルニカはスペインの町の名前。1937年4月26日ナチスドイツに無差別爆撃された町」
「無差別爆撃・・・日本が受けた空襲みたいな?」饒舌な杏奈は歓迎だったので、僕は質問を返した。
「そう、第二次世界大戦の前のスペインは内戦状態で、王政を倒して民主的に成立した共和国と、王政復古を主張するフランコ将軍の反乱軍とが戦争をしていたの」
「内戦」少なくとも僕の頭の中には無い知識だった。
「フランコ将軍はヒトラーやムッソリーニと同じファシストやったから、ドイツとイタリアは彼を支援してて、共和国軍の方はソ連の支援に加えて欧米市民や知識人もたくさんの人が義勇軍として参戦してたの」
「義勇軍?」
「戦争のボランティアみたいな感じかな?自分の信条のために戦争に参加する・・・現代では考えられへんよね。ヘミングウェイとかも参加してたみたいやけど」
「ヘミングウェイ、老人と海の?」
「知ってるんや!彼の“誰がために鐘は鳴る”はスペイン内戦を舞台にした作品やで」杏奈の顔が輝いた。
「ふ~ん」その作品を読んでいなかった僕は曖昧な返事をした。
「そんで、戦況を有利に動かしたかったドイツ軍が共和国軍の拠点の1つやったゲルニカの町を無差別に爆撃したの。ピカソは空爆に相当ショックをうけたらしくて・・・ピカソがスペイン人やいうのは知っとお?」
 僕は曖昧に頷いた。
「ゲルニカはその時の怒りを表現したもんやと言われてる」杏奈は器用にフォークを回してパスタをからめ取ると口に運んだ。
 僕は改めて振り返り、その小さなゲルニカを眺めた。
 描かれているものは僕には到底理解出来そうもなかったが、その絵からは不快感と共に、何かしら得体のしれないエネルギーが立ち昇っている。この小さな複製でさえそんな風に感じるのだ。実物を前にしたとき、どれくらいの衝撃を受けるのだろうか。
 食事を続けながら杏奈は話を続けた。
「ピカソはパリでその爆撃のニュースを聞いて、一気にこれを書きあげたの。完成した絵はパリ万博の、まだスペイン共和国のパビリオンやったスペイン館に展示されたんやけど、そこへドイツの駐在武官がやってきて、ピカソに『これはお前が書いた物か』ゆうて訊いたの。ピカソはなんて答えた思う?」黒曜石のように輝く瞳が覗き込んでくる。
「さあ・・・」そんなことわかるはずがない、僕はそんな顔をしていたと思う。
「ピカソは『これはお前たちが書かせたものだ』ゆうて答えたんやて・・・」
 杏奈は反応を確かめるように僕の顔を覗きこんだまま続けた。
「スペインの内戦は結局フランコ将軍が勝って、スペインは独裁国家になたんやけど、フランコ政権はヒットラーやムッソリーニの政権が倒されて無くなった後もしぶとく生き残ったの。フランコを貶めたり反発したりする発言、たとえばピカソの名前を出しただけでも秘密警察がやって来る、そんな時代が続いとったみたい。せやからゲルニカはスペインには戻らないで海を渡って、ずっとニューヨークに展示されてたの。スペインが民主化されるまではゲルニカをスペインに返還してはならない、これがピカソの意思やったから・・・」
 僕が黙って頷くと杏奈は話しを続けた。
「1975年にフランコが死ぬと、共和国に追放された王の孫で、フランコの影響下で帝王学を学んだフェルナンドがフランコ体制を引き継いだんやけど、王政になった今も圧制は続いてる」
 杏奈はパスタをフォークに巻いては口に運び、咀嚼しながら続けた。
「フェルナンドは圧制を続けながら上手く立ち回って、各国の批判をかわし、体制の支持を取り付けることにも成功したの。だから、この絵は今スペインへ戻ってて、プラド美術館のコレクションに加えられているの」
「ピカソの意思は無視されたってこと?」僕は愕いて訊いた。
「表向きは民主化したように見えているし、アメリカも各地で戦争を始めてしまって、ゲルニカが反戦のシンボルとして国内にあることが邪魔になったんやね。美術館は猛反対したんやけど、最終的には逆らえなかったみたい。だから、あの絵はもう一般の人の目に触れることは無い。自分たちの愚行に触発されて描かれた絵やもん、永遠に封印しておきたい。これがフェルナンドの思惑やろうから」カチン、杏奈は握り締めたフォークの柄でテーブルを叩いた。
 僕は杏奈の手元から、その厳しい表情へ視線を上げた。
「でも、観てみたいなぁ・・・」杏奈は一瞬遠いところを見ていたが、チラリと腕時計に目をやり「あ、時間無いわ」と再びパスタを口へ運び始めた。
 僕は彼女が食べ終えるまでその絵を眺めていた。何処かから、始めは僅かに、そして少しずつ量を増しながら、得体の知れない感情の湧き出しが始まっていた。

 杏奈は駅ビルにある懐石料理屋でアルバイトをしている。大急ぎでパスタを詰め込むと、半分ぐらいの笑顔を僕に向けて小さく手を上げ「バイバイ、またね・・・」とバイト先へ向かった。
 1人残された僕は塾をサボることにして、夜のガード下をだらだらと、店を覗きながら駅へ向かった。僕はもう17歳だったがアルバイトどころか自分で金を稼いだこともない。衣食住は完全に親に頼り、それなりの額のお小遣いまで貰っている。勉強にも身が入らず、志望校も今の成績で入れる学校をあてがって貰えればそれでいい・・・そんな風に考えていた。
 杏奈はまだ16歳だったが、僕とは全く違っていた。
 何をしたいのか、どういう方向へ進んでいきたいのか、僕にはっきりと打ち明けたし、そこへ向かうためにはどういう知識を得れば良いのかも心得ていた。そしてそれを実現するために惜しまずに努力した。
 その上、学費を補うためにバイトまでやっていた。母子家庭で金銭的な余裕がなかったのだ。
 そんな杏奈が何故僕なんかと連(つる)んでいるのか、理由は全くわからなかった。
 僕は自分がいったいどうしたいのか、あるいはどうしたらいいのか、答を見つけだせないまま、港の方へ方向を変えた。
 塾に行ったことにするためには、時間を潰す必要があったし、その得体の知れない感情を整理するには、さらに時間が必要だった。

 ☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;☆

 階段を上って木立の間を抜けると広場に出る。広場の向こうには大きな池が広がっていて、その池の向こうの充分な高さの台座の上からは、この国一番の小説家の像が僕を見下ろしている。そして台座の足元には槍を持ち馬に跨った騎士と、ロバに乗った彼の従者の像が置かれている。
 時間は午後7時前、待ち合わせの時間にはあと5分ほどある。僕は広場の端にあるアンナの指定したベンチに腰をかけた。
 太陽はまだ西の空にあって辺りは昼間のように明るい。
 時間的には遅いので観光客の姿は無く、犬を連れて、カップルで、ジョギングをしながら、いかにも地元の住民然とした人々が通り過ぎてゆく。
 約束の時間になった。10分、20分、30分、一時間・・・彼女が現れないまま時間は過ぎてゆく。
 夕闇が迫り、街灯が点き、夜の帳が辺りを覆い始める。
 僕はベンチに座ったまま彼女との思い出や電話での会話を何度も反芻したが、考えれば考えるほど彼女がなぜ僕に会おうとしているのかがわからなくなった。そして、その疑問に比して好奇心は掻き立てられ、会うことを諦めるという選択肢は消えていった。
 僕は腕時計に目をやった。
 午後9時を回ったところだ。
 腕時計から目を戻したその瞬間、呼び出し音がなった。
 僕は慌てて自分の端末を取り出す。
 鳴っていない。そういえばこの音は僕の端末の呼び出し音ではない。
 音は他のところから聞こえてくる。
 後ろだ!僕は体をひねって自分の座っているベンチの背もたれの裏側を確認した。
 そこには携帯電話が両面テープで貼り付けられていた。
 僕はそれを剥がし取ると着信ボタンを押した。
「もしもし」日本語で応答してみる。
「ごめんなさい、行けなくなった」アンナの声だ。
「どうして?」
「あなたが監視されているから」
「監視?どうして僕が?」
「公安警察よ」アンナは事も無げに言った。公安警察とは治安維持のための警察組織だが、僕はそんなものに監視される覚えは無い。
「いったい君は・・・」
「元気そうだね」僕の問いにかぶせるようにアンナは言った。
「ああ、元気にやっているよ。アンナは?」
「あなたはあの頃とあまり変わってないね」
「見えてるのか?」僕は辺りを見渡した。
「あたしからはね」
「どこにいるんだ」池の向こうには大きなホテルが建っていて、たくさんの窓から明かりが漏れている。あのうちのどれかだろうか?
「キョロキョロしないで、何でもない通話をしているという風に・・・」
「わかった」僕はゆったりと座り直してポーズを作った。
「今日の仕事は首尾よくいったのかしら?」
「コンディションチェックのことなら異常はなかったよ」
「ゲルニカの?」単刀直入にアンナは訊いてきた。
「それについては言えない」
「わかった。それはこっちで勝手に解釈する。問題は無かったのね?」
「状態は決して良いとは言えないが、コンディションは維持されている」
「よかった。それを聞いて安心した。でもそんな貴重な絵のチェックにも係われるんだ。すごいね」
「同僚の中でも比較的経験を積んでいるほうだからね」
「あの店に飾ってあったあの小さな複製がきっかけだったとしたら、あそこからここまで、きっと凄い旅だったんだろうな」
「旅?そうだな、そういう風にたとえるなら刺激的な旅だったな。君の旅はどんな・・・」
「直接顔を合わせたかったな」また僕の問いにかぶせるようにアンナは言った。
「僕もだ」
「今度はあの絵の前で会おう」
「いや、あの絵は・・・」
「案外そういう時代は早く来るかもしれないよ」
「それは、僕も願っているけれど、君は・・・」
「残念だけど、そろそろ切り上げましょう」やはりアンナは僕の問いには答えない。
「え?もう・・・」
「その携帯は持っていても面倒だから、前の池に放り込んで」
「わかった」有無を言わせぬ口調に僕は了解の返事をせざるを得ない。
「バイバイ、またね・・・」
「アンナ・・・」僕は何かを伝えようとしたが、一瞬の間のあと電話は切れ、彼女は空間の彼方へと消えた。
 僕は半分ぐらいの笑顔を僕に向けて小さく手を上げるアンナの姿を思い浮かべたが、いまは違っているのだろうか?
 僕はベンチから立ち上り、ゆっくりと池の淵に向かった。
 そして、大きく振りかぶると、携帯電話を池の真ん中に向かって放り投げた。
 携帯電話は小さな飛沫を上げて姿を消した。

2018.12.28

テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

Cloudburst

「そんな・・・ありえないよ」
 アリサの大きな目は涙でいっぱいになった。
 マナブはその反応に驚いて慌てて付け加えた。
「マリリンが言ってただけなんだ。だから本当のことなのか・・・」
「でもマリリンがそう言ったんでしょう?マリリンはあんなだけど、嘘はつかない。だからきっとそうなんだ」
 アリサの目からはとうとう大粒の涙かぽろぽろとこぼれ落ちた。

 * * *

 つい2時間ほど前のことだ。
 マナブはベッドの脇に置かれた木製のスツールに腰掛けていた。ベッドにはマットをリフトアップして上半身を起こした小さな老女が座っている。
 マリリンと呼ばれる彼女は、ミイラのように骨と皮だけに痩せ、乾燥し、縮み上がり、小さく丸まって、曲がったままになっていた。
 マナブは彼女の真っ直ぐな鼻筋や唇の形、そして豊かな白髪から、かつての美貌をおぼろげながら回想することできた。だが、それらは深く刻まれた皺の中に埋もれていて、彼女が元気に動いていた頃を知らない者には想像すらできないことだった。
 かつて利発に動き回っていた大きな目は眼窩の窪みの中で小さく萎み、瞳は薄いスクリーンで覆われたように光を失っていた。
 彼女が最後の言葉を発したのは何ヶ月前のことだろう?
 点滴と流動食だけが彼女の生命を繋いでいる。
 このようにして生きながらえて、いったい何の意味があるのだろう?マナブはこれまで何度も繰り返してきた疑問を頭の中だけでまた繰り返した。
 窓の外、青空の中を大型の飛行機が昇ってゆく。ボーイング777だ。
 マナブはそれを無意識に追いかけながら物思いに耽っていた。
「マナブ」
 呼びかけられてマナブは意識を戻した。
 慌てて部屋の中を見回す。
 誰も居ない。マリリンの他には・・・だ。
「マナブ」
 マリリンの口元が動いている。
 マナブは驚いてマリリンの顔を覗き込んだ。
 瞳を覆っていたスクリーンは取り払われ、そこには微かに光のようなものが宿っていた。
「マリリン?」マナブは問いかける。
「アリサは?」弱々しい声だが、ちゃんとマリリンの喋り方だ。
「アリサ?」マナブは驚いた。
 もう誰のことも認識できなくなったと思っていたのに、今2人の名前を口にしている。
 マリリンにアリサを紹介した頃はまだ色々と話もできていたし、マリリンはアリサにとても興味を持って根掘り葉掘り尋ねていたから、きっと記憶にも残っていたのだろう。
 目は意思を持っているように動き、曲がっていた手がマナブに向かって弱々しく差し出された。
「アリサは?」マリリンは再び問いかけてくる。
 マナブはその手を両手で覆うと「今日は他に用事があって来れなかったんだ」と言った。
「喧嘩した?」顔に心配そうな表情が浮かぶ。
「喧嘩なんかしないよ」マナブは聞こえるようにはっきりと発音した。
「小さい頃はよく喧嘩してたから・・・」
「僕らが?小さい頃?」マナブにそんな記憶は無かった。マナブとアリサは数年前、偶然に知り合ったのだ。
「よく私の所で2人まとめて預かったものさ」
 マナブは小さい頃マリリンの家で遊んでいる自分を微かに憶えている。そういえばその時、いつも一緒に遊ぶ女の子がいた。その子がアリサだったということだろうか?マナブは記憶を辿るが、その子の顔は霞んでいて思い出せない。
「あんたたちはいとこ同士だからね」
「いとこ?!」思ってもいなかったことだ。マナブの声は大きくなった。
「あんたの父親とあの子の母親が兄と妹だからねぇ」
「知らなかった」嘘ではなかった。今始めて聞いたのだ。
「仲の良い兄妹でね・・・」マリリンは時代を遡って若い頃に戻ったように、ため息交じりに呟いた。
「誰が?僕の親父とマリサのお母さんが?」マナブは確認を取ろうとした。
「聞きたいかい?」
「聞きたい」マナブはマリリンの顔を覗き込むようにして言った。
「そんなに聞きたいなら、教えてやろうかねぇ・・・」マリリンは秘密を明かすことを楽しんでいる子どものように顔を輝かせた。こんな会話はおろか、短い単語を発することすらここ数ヶ月はなかったことだ。マナブは看護士を呼ぶことも考えたが、好奇心の方が勝った。
「お前の父親とアリサの父親は同じ大学の同級で、とても仲のよい友達だった」マリリンは長いセンテンスを喋った。さらに意識がはっきりしてきたのだろうか?
「2人共優秀でね。まだ学生だったのに2人で一緒に会社を作ったんだ。所謂、ベンチャービジネスというやつだね」
 マナブとアリサの父親はどちらも会社の経営者だ。2社共有名な企業だが激しくシェアを争うライバル関係にある。だから父親同士の仲は最悪だ。2人が仲のよい友人だったなんてとても信じられない。
「2人の会社は上手くいって、2人の仲もとても良かった。そういう事もあって、アリサの父親はお前の父親の妹と結婚したのさ」
 マナブは頭の中を整理すべく考えを巡らせる。
 マリリンは思い出にふけるように、さらに言葉を接いだ。
「だがそんな関係はいつまでも続かなかった。2人は経営方針を巡って激しく対立し、お前の父親を会社から追放した。だからお前の家とアリサの家の間には激しい確執があるのさ」
 マナブは母親にアリサと付き合っていることを話したとき、激しく反対されたことを思い出していた。アリサの名前を出し、どこの家の子か説明したとたんにけんもほろろだった。
 そのときはライバル企業の社長の娘だからだと考えたが、それだけではなかったのだ。
「マナブ、アリサを守ってあげなきゃ・・・」マリリンは優しく微笑みながら視線を彼方に向けた。
「本当に親父の妹がアリサのお母さんなの?」マナブの両手がマリリンの肩にかかった。
 返事は無い。
「ねえ!」マナブはマリリンの肩を小さく揺さぶった。
 マリリンの頭は力なく揺れる。
 マナブは慌ててマリリンの目を覗き込んだ。
 そこには薄いスクリーンに覆われて輝きを無くした2つの瞳があった。まるで光を屈折させるためだけにそこに存在しているように。

 * * *

「ありえないよ・・・」アリサはまだぽろぽろと涙をこぼしている。
 化粧のことを気にする様子も無く、自分の動揺をそのままの形で表に出してしまっている。それほど衝撃は大きく、自分を取り繕う余裕などまったく無いのだ。
 アリサはそのまま黙り込んでしまった。
 アリサの向こうは大きな窓になっていて、そこをまた大型の飛行機が昇ってゆく。今度はボーイング787だ。数時間前まで広がっていた青空は無く、今は濃い灰色の雲が低く垂れ込めている。飛行機は雲の中に徐々に姿を消した。
 ここはアリサの家のリビングだ・・・いや、元リビングといった方が正しいのかもしれない。アリサの父親の経営する会社は倒産し、一家は夜逃げ同然にこの家を離れたのだ。身の回りの必要最小限の荷物を持ち出すだけだ。残された家財や建物はきっと競売にかけられるだろう。
 アリサはマナブとこの部屋で落ち合った。2人だけで旅立つために。
 マナブはマリリンとお別れをしてから、出発の手はずを整えてここへやってきた。だがマリリンの様子を報告するうちに、マリリンとの会話をアリサに喋ってしまったのだ。
「本当のことなのか、すぐに調べて見るよ」沈黙に耐えきれずマナブは言った。
「どうやって?」アリサは涙でいっぱいになった目をマナブに向けた。
「いろいろさ、とにかく調べてみる」具体的な方法は思いつかなかったが、マナブはとりあえず沈黙を埋めた。
「それに本当に従兄妹同士だったとしても、一緒になれるよ。僕らの結婚は法律で禁じられているわけじゃないんだ。そうだろ?」確か従兄妹なら結婚は出来るはずだ。
「法律上はね。でもいろいろと問題がある。それはわかってる?」
「もちろん。でもそんなものなんでもないさ!」
「わたし達はなんでもないのかもしれない。でも・・・」
「赤ちゃんのこと?」マナブは慎重に訊いた。
 アリサは小さく頷く。
「それもちゃんと調べてみるよ。専門のお医者さんに詳しく訊いてみよう。とにかく・・・」
「帰って!」アリサの言葉はキッパリと響いた。
「え?」
「今日は帰って!」
「アリサ!」
「今日はもう嫌!何もしたくない。何も話したくない。何も考えたくない。とにかく帰って!」顔を上げたアリサは厳しい形相でマナブを睨みつけた。何事も受け付けない、そういう形相だ。
「さあ、早く!」アリサはマナブを排除するために立ち上がった。
 両手でドアに向かってマナブの体を押す。
 弾みでサイドボートの上にあった小さな箱が落下して大きな音を立てた。
「待てよ」マナブは抵抗しながら、それ以上押し出されないようにアリサの体をしっかりと抱きしめた。
 だがアリサの行動は収まらない。「帰って。帰って」マナブに向かって突進を続ける。
 腕の中で抵抗するアリサを抑えながら、マナブはアリサがまた大粒の涙をこぼしていることに気が付いた。
 マナブのシャツはぽたぽたと落ちる涙で濡れていった。
「わかった」マナブはついに観念した。「わかった。今日は帰るよ」
 マナブはアリサの肩に両手を置いて真っ直ぐに立たせると、体の向きを変えて部屋を出る。ドアを閉める前に振り向くと、そこにはまだ呆然と立つアリサの姿があった。
「また連絡するよ」そう言うのが精一杯だった。マナブはゆっくりとドアを閉じた。

* * *

 アリサは閉じられたドアを見つめながら、まだ涙をこぼしていた。
 どれくらいの間そうしていただろう、マナブが玄関のドアを閉める気配がして、家の中は静かになった。
 何かのきっかけに促されたかのように、アリサの視線が床の上に落ちる。
『何だろう?』両袖で荒っぽく涙を拭い、床の上に焦点を合わせる。
 床に落ちた小さな箱の蓋が開いて中身が散乱し、その中に光る物が見える。
 アリサはひざまずくとそれを拾い上げた。
 それは金色に輝く旧式の鍵で、アリサには見覚えがあった。
『これはきっとピアノの鍵だ』
 アリサの家の音楽室にはピアノがあったが、もう半年ほどこのピアノが鳴ったことは無い。
 この半年、家では優雅にピアノが引けるような雰囲気ではなかった。
 鍵盤には誰かが鍵をかけたままだったし、その鍵もどこかへ行ってしまっていた。そして誰もその鍵を探そうとはしなかった。この家にはもうピアノの音は必要とされなかったのだ。
 アリサはその鍵をじっと見つめていたが、やがてそれを持ったまま音楽室へ向かった。
 やはりそうだ、鍵盤の鍵穴にその鍵はぴったりとはまった。
 鍵盤を開け椅子に腰掛けると、位置と高さを微妙に調整した。(もともとは父親の体格に合わせてあったようだ)
 アリサは少しの間前方を見つめた。大きな窓の向こうを大きな飛行機が昇って行く。雲はいっそう暗くなり、低くなった。飛行機は早々にその中に姿を消した。
 そっと目を閉じて意識を集中する。まるでコンクール会場で最終審査に臨むファイナリストのように。
 やがてアリサはゆっくりと目を開けて鍵盤に手を置いた。
 静かなソナタが流れ始めた。
 アリサは小さい頃からずっとピアノを習っている。それなりに熱心な生徒だったが、その道で生きていこうとするほどの情熱や才能は持ち合わせていない。ここ暫くは練習の出来る環境ではなかったし、ピアノも半年以上調律されていない。
 たどたどしさも残る、不安定な演奏だ。
 だがそれは今のアリサの気持ちそのままだった。

 ・・・裏切り・・・
 ・・・苦悩・・・
 ・・・試練・・・
 ・・・そして落胆・・・
 ・・・嘆きのすべてがここにある・・・
 ・・・最後は疲れ果て・・・
 ・・・心もない・・・

 激しい雨が窓をたたき始めた。

2019.05.21
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

ルビコン

 肩越しに甲高い声が響き、数人の女子が僕を追い越していった。白いブラウスに明るい色のチェックのスカート、襟元に同じチェックのリボンが付いた制服を着ているから、おそらく通学中の高校生だろう。
 どうにも女子は苦手だ。何を考えているか分からない彼女たちは僕にとって未知の生物だ。友達の中には個人的に付き合っている奴もいるが、傍から見ていてもその気苦労は同情に値する。そうまでして?僕には到底理解できないことのように思える。僕にとって彼女たちと付き合うという行為は、集団的にしろ個人的にしろ、そう、ルビコンを渡る?って表現でいいのかな?それくらい覚悟のいる行為のように思える。
 僕は下を向いたまま眉をひそめると、彼女たちに続いて改札口を入った。
 駅は朝の通勤ラッシュの只中にあったが、大都市のそれに比べるとかなりの余裕がある。僕は所帯道具一式が入ったリュックを背中にしょったままゆっくりと階段を上った。

 学校をさぼって旅に出てもう一週間になる。
 大学受験に追い回される日々から少し距離を置きたくなったのだ。
 家族はなんとなく理解をしてくれているが、正式には何も告げていないから、暗黙の家出と言ってもいい状態だ。
 学校には家族が取り繕ってくれているはずだが、もうそろそろ限界かもしれない。
 それに思ったよりも宿泊にお金がかかって、財布の中も心もとない状態だ。道端やベンチで寝ることに抵抗は無かったが、警察沙汰になりそうだったし、まだ彼らの世話になるつもりもなかった。
 のどかな内海に沿ってひたすら西へ・・・フリー切符での気ままな一人旅のつもりだったが、そんな悠長なことは言ってられなくなってきた。金の切れ目が縁の切れ目?って表現でいいのかな?今日辺りが潮時かな?僕は気弱になり初めていた。

 階段を上がりホームに出ると、すでに電車は停車していた。
 いつも見慣れている電車は銀色や葡萄色の艶のあるボディを持っているのだが、ここに停まっている電車のホワイトで塗られたボディは錆と汚れでくすみ、ところどころに雨が流れた跡がこびりついている。ペンキもあちこちが剥がれ、サイドに一直線に引かれたブルーのラインも勢いを失っている。いつごろから使われている車両だろう?
 僕はくたびれた電車を横目に足早でホームを進み、編成の真ん中あたりのドアから乗り込んだ。
 車内には据えたような臭いが漂っている。辺りを見回したが込み合っていて、すでにシートは埋まっている。僕は比較的空いていたドア横のロングシートの前に進んだ。
 そこもやはり乗客で埋まっていたが、一番奥の端に女の子が座っている。さっきの女子たちと同じ格好で、大きなトートバッグを抱えているから、やはり通学中の高校生なのだろう。背中まで伸ばされた真っ直ぐな黒髪、眼鏡をかけているが、外せばぐっと引き立ちそうだ。おとなしそうな感じだし、1人だし、そっと眺めるだけなら危害はないだろう。
 彼女の前にはすでにOL風の女性が立っていたので僕はその横に並んで、つまりその女の子の斜め前に立った。僕の前では中年のサラリーマン風の男が眠り込んでいる。
 急に静かになった。照明が消え、同時に床下にある機器のファンも止まったようだ。明るい時間だから問題は無いが、非常灯だけが灯っている。
 故障?僕は不思議に思ったが、誰も動じる様子は無い。女の子も無表情でじっと座っている。
 彼女の顔を覗いたままの数秒が過ぎると、まるで止まっていた時間が、また動き始めたように照明が点き、ファンも回り始めた。
 彼女もそれに合わせるように顔を上げたので、僕は慌ててホームの方へ顔を向けた。
 行き先を案内するアナウンスが繰り返され、発車の合図が鳴る。電車はドアを閉めるとゆっくりと動き始めた。
 やがて線路は並行する線路をまとめて1本に収束し、電車は大きな音を立てて鉄橋を渡った。
 そろそろかな?僕の期待に違わず電車は程なくトンネルに突入し、下り勾配の闇の中を進んでいく。
 このトンネルは海底トンネルだ。いま電車の上には海峡が広がっているはずだが、そんなビジュアルは想像でしか見ることができない。僕は暫くトンネルの闇を流れ去る照明のパルスを眺めていたが、面白みの無くなった車窓から目を戻した。
 目を戻した先には困惑した彼女の顔があった。
 隣の男が寄りかかっていたのだ。深い眠りに落ちているらしく、思い切り彼女の方へ寄りかかり、おまけに頭を彼女の肩に乗せている。
 彼女は何度か肩を動かして男の頭の向きを変えようと試みたが、男は呆けたように眠りこけていて、まったく姿勢を変えることはできない。あきれた奴だ。
 僕は隣に立つOL風の女性と顔を見合わせたが、彼女もなすすべがないという顔だ。
 仕方が無い。正面に立っていた僕は両手でつり革を掴んでから勢いよく膝を曲げ、男の膝に思い切りぶつけてやった。
 ガツン!男は何事かと頭を起こし目を開けた。あたりをキョロキョロと見回すが、僕は知らん顔をして窓の外の闇を見つめている。
 彼女は急いで居住まいをただし、男との距離をできるだけ取った。そして僕の方へ顔を向け小さく頭を下げた。
 よかったね。そういう思いが伝わるように僕は少し口角を上げた。
 やがて窓の外が明るくなった。トンネルを抜けたようだ。
 電車は海底トンネルの出口の勾配を登りきりスピードを落とし始めた。
 何本かの線路が並行し始めた。その向こうには錆びた線路が幾つも並行する。現代では効率化が進んで過剰設備になっているが、当時はここに長大な貨物列車が幾筋も並んでいたのだろう。
 さらにスピードが落ちると、急にまた照明が消えた。
 あれ?僕は辺りを気にしたが、やはり誰もそんなことを気にしている様子は無い。
 まもなくまた照明が灯り、電車はホームに滑り込んだ。
 僕はここで降りなくてはならない。ちょっと寄りたい所があるのだ。
 ドアが開くと同じ制服の女の子が乗ってきた。
「おはよう!マイテ」その子は明るい声でそう言うと、僕と入れ違いに彼女の前に立った。
「マイテ?ニックネームかな?」そんなことを考えながら僕はホームに降り立った。

 * * *

 午後も遅い時刻になって、僕はようやく駅に戻ってきた。
 いよいよ財布も寂しくなってきたので、このまま海底トンネルを戻り、そのまま東へ向かうつもりだった。
 ベンチに腰掛けて待っていると、やがて電車が入線してきた。
 今朝と同じ白いボディに青いラインの、あの少しくたびれた電車だった。
 ドアが開き乗り込む。
 まだラッシュの時間には早く、車内は空いている。僕は車内を見渡しながら奥のボックスシートの方へと進んだ。4人掛けのシートに2・3人が座っている状態だったが、僕は窓際に1人だけ後姿が見えているボックスシートに近づいた。今朝見かけた制服を着ているから女子高生だ。僕は彼女の前の席にリュックを置くと、その隣の席に腰を下ろした。
 斜め前に文庫本を読みふける顔が見える。驚いたことに、彼女は今朝“マイテ”と呼ばれていたあの子だった。メガネを外しているから印象が変わっているが絶対にそうだ。
 チラリと顔を上げた彼女は僕に気が付くと『今朝はどうも・・・』という感じで小さく頭を下げる。僕もそれに応じて軽く頭を下げた。今朝は気付かなかったが彼女の虹彩は明るい茶色だった。大きな目と通った鼻筋、そして整った口元、そのはっきりとした顔立ちはエキゾチックですらある。思った通りだ。メガネを外すとやはり魅力的だ。
 見つめすぎないように彼女を観察していると、時間が止まったように急に静かになった。照明が消え、同時に床下にある機器のファンも止まったようだ。夕方が近い時刻だから車内は薄暗くなり、非常灯だけが灯っている。
 やはり誰も動じる様子は無く、1人きょろきょろしている僕を彼女がじっと見ているだけだ。
 数秒が過ぎると、また照明が点きファンも回り始めた。時間はまた無事に動き始めたようだ。
「動作試験です」思い切ったように彼女が言った。
「動作試験?何の?」
「ここでは電車は交流20,000ボルトで動いてるんです。だけど、海峡の向こうは直流1,500ボルトだから、この駅を出てすぐのところにあるデッドセクションで交直切換が正常にできるか、この駅で動作試験をしたんです」
「デッドセクション?」
「交流と直流は直接繋げない。だから、架線に電気の流れていない区間、デッドセクションを設けて接続してあるんです」
 そういえばそんな話を聞いたことがある。海峡を挟んで電流が違っていて、行き来できるのは2つの電流に対応した電車だけだと・・・。今朝、車内の電気が消えたのもその切り替えだったに違いない。
「デッドセクションのある区間は両方の電流に対応した交直両用電車でないと走れない。でも交直両用は両方の機器を搭載している関係でコストがかかるし、使える場所も限られているから、そんなに簡単に新しくできない。だからこんな古い電車を大切に使っているんです」
『なるほど』彼女の説明は納得のいくものだったが、僕はきっと呆れ顔だったに違いない。彼女は喋るのを止め、窓の方へ顔を向けた。
 ドアが閉まり電車は走り始めた。
 やがて照明が消えた。
 やはり僕は辺りを見回す。
「ここがデッドセクション」たまらなくなったように彼女が解説した。
 少し進むと照明が点いた。
「今、直流に切り替わった」
「そういうことか・・・」頷く僕を横目で見ながら彼女は笑顔になった。
 今その顔をするか・・・。海底トンネルへの下り坂を加速する電車に揺られながら、僕の鼓動は速くなった。こういうのを茫然自失?って言うのかな?微妙に違うのか?とにかくまるで自分が未知の生物に取り付かれてしまったような気分だ。
 電車は海底トンネルに入り、窓の外は真っ暗になった。
「大学生」窓の方へ顔を向けたまま彼女は独り言のように言った。語尾は上がっていないが、暗い窓にはこちらを向いた彼女の顔が写っているから、僕の顔も彼女には見えているはずだ。これは僕への質問だ。
「いや、高3」
 彼女は驚いたようにこちらへ顔を向けた。
「年上に見えた?」僕は愛想笑いを浮かべる。
「だって・・・」
「君と同じ高校生、しかもしがない受験生さ」
「受験生?学校は?」
「さぼり中」
「いいの?そんなんで!」彼女の目は大きく見開かれた。
「いいさ」僕は事情を説明したが、どうもそれは彼女の理解を超えているようだった。
「こんな時期に信じられない。バカなの?それともよっぽど・・・」それが彼女の感想だった。僕はすっかり呆れられてしまったようだ。
 電車は海底トンネルを出ると鉄橋を渡り、ホームに滑り込んだ。
 終点を告げ、乗り換えを案内するアナウンスが繰り返される。
 向かいのホームには東へと向かう電車(彼女によると直流1500Vの電車だ)が待っている。僕はその電車に乗り換えて振り出しに戻るつもりだ。
 ドアが開いて、僕らはホームに降りた。
 じゃぁ・・・彼女は軽く右手を上げると僕に背中を向ける。なにか急ぎの用事でもあるようだ・・・。
「君はたしか今朝“マイテ”って呼ばれていたよね。それって君の名前?」どうしてそんな質問をしたんだろう?僕は彼女の背中に向かって声をかけた。
 振り向いた彼女は黙って僕を見つめる。
 そして暫くの沈黙の後「さて、どうでしょう?」と薄く笑う。
 思いがけない答えと表情に僕は二の句が継げない?って表現でいいのかな?とにかく言葉が出ない。
「あたしは明日も同じ電車に乗る。じゃぁね!」彼女は上げた右手をひらひらと振ると踵を返し、足早に階段を下って行った。
『明日・・・』
 電車を乗り換えて東へ向かうつもりだった僕は、自分がこの町で宿を探す事態に陥っていることに気が付いた。

 僕はデッドセクションを通過してルビコンを渡り、新しい領域に踏み込んでしまったのだろうか?

2019.09.17
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

 汐見橋駅のホームは心地よい日差しに包まれている。
 ホームのベンチに座ってその日差しを全身に浴びていると、いつもなら不快に感じる下町の喧騒や空気にすら、その中に萌え出る春の成分が含まれているように思えてくる。
 ホームにはボクの他、誰もいない。

02汐見橋駅

 やがてその閑散とした駅に電車がやって来る。
 たった2両の可愛らしい編成だ。
 渡り線を渡った電車はブレーキを軋ませてそろりと停車し、まるで溜息のようにエアーを吐き出してからドアを開けた。
 コンプレッサーが忙しげに規則正しい音を響かせる。
 この駅は終点だから電車はここで折り返す。
 ボクはその音に促されるようにゆっくりと立ち上がり、今先頭になった車両の一番前のシートに腰掛けた。
 コンプレッサーはエアータンクを一杯にすると動作を止めた。
 たちまち都会の喧騒は遠ざかり、大都会大阪のど真ん中とは思えないローカルな時間が流れ始める。
 発車までは暫くの時間がある。ボクは薄い文庫本を取り出すとそれに目を落とし、暫しの間安息の空間に入り込んだ。

04電車内

 気配に顔を上げるといつの間にか向かいの席、運転士のすぐ後ろに少女が座っている。真っ直ぐな黒髪を肩に垂らし、端正な作りの顔に大きな目が良い意味でとてもよく目立つ。まるで見ることを禁じられている妖精を間違って見つけてしまったかのように、ボクは呆然と彼女を見つめていたが、彼女がこちらを見ている事に気がつくと慌てて視線を逸らせた。
 彼女は隣の県にある超有名な進学高のセーラー服を着ていた。ボクの妹も通っていた学校だから見慣れた制服だが、髪型やスカート長、スカーフに靴下、それに襟元のバッジが明らかに校則に違反している。持っているカバンも『違うだろそれ!』とツッコミを入れたくなるような代物だ。
 おまけにまだ昼を過ぎたばかりで、学校の授業が終わるには早すぎる時間帯だ。方向も反対だから、これから登校するわけでもないだろう。授業をボイコットして何処かへふける途中なのだろうか。
 彼女はそんなことを全く気にする様子も無く、悠然と向かいの席に座っている。
 やがて運転士がやって来て出発の準備を始めた。幾度かレバーが操作され、エアーが解き放たれる音がやけに大きく車内に響く。
 前方の信号が青になって出発の合図が鳴ると、ガタガタと大きな音をたててドアが閉まり、電車はモーター音を響かせて走り始めた。乗客は彼女とボク、たった2人だ。

05電車内

 芦原橋、木津川、電車は人気のない駅に律儀に停車してはドアを開け、誰も乗せないまま発車する。かつては貯木場があって賑わった沿線は、今は寂れて往時の面影はない。まるで大都会の真ん中にぽっかりと開いた異次元ポケットの様だ。
 電車は緩やかに左カーブを曲がり、津守の駅に近づく。

06電車内

 運転士の後ろで何処ということも無く、ドアの方へ視線を向けていた彼女が、前方へと視線を向けた。
 線路の両側に寂れたホームが見え始め、そのホームの一番向こうの端に人影が見える。電車がホームに入ると、それが大小2人の人間である事がわかる。さらに近づくと2人は中年の女性と小さな女の子であることがわかる。彼女はその2人をじっと見ているのだ。
 彼女は立ち上がってドアのところに立った。

07電車内

「ママ!おかえりなさい!」弾けるような笑顔を見せて女の子が電車に乗り込んできた。
 金色のおさげ髪で、そばかすが可愛らしい。 
「ママ!?」ボクは思わず出てしまった呟きを飲み込んだ。〝ママ“ってどういうこと?金髪だし・・・ 
 彼女も笑顔になって女の子を受け止める。
「5時限目まであったんやろ?ごめんな。サボらせて・・・」すまなそうに中年の女性が彼女に声をかける。
「いいよ」彼女が初めて声を出した。思っていたとおりの澄んだ声だ。
 どうやら彼女は本物の学生のようだ。でもボクの頭の中は疑問や疑念、憶測、そして偏見でいっぱいだ。
 中年の女性が女の子に笑顔を向けた。「また明日ね」
「ウン!おばあちゃん、バイバイ」女の子が小さく手を振るとドアが閉まる。
 彼女と中年の女性は目で合図を送りあった。
 おばあちゃんということは彼女とは母子?
 ボクの疑問をそのままにして、電車は気怠そうに走り始めた。
 中年の女性が見えなくなるまで手を振っていた女の子がこちらを向いた。『あれ?』という表情で青い瞳をこちらに向けてから、彼女の方を見上げる。彼女と良く似た大きな目がとても愛くるしい。
「今日は駄目よ」彼女は小さな声で言い含めると、運転士の後ろに女の子を座らせ、その隣に腰掛けた。女の子は靴を脱ぎシートに立ち上がって運転士の背中越しに前方を見ようとする。

08電車内

 ボクは諦めてシートの前方を少し開けた。
 それを見ていた女の子が『いいの?』という表情でこっちを見る。
 ボクが大きく頷くと女の子は嬉しそうにこっちにやって来た。そして同じようにシートに立ち上がって前方を眺める。今度は遮るものが無いから見晴らしはいいはずだ。
 彼女が『すみません』という風に軽く頭を下げた。
電車はのんびりと進み、女の子は嬉々として前方を見つめている。はち切れんばかりのエネルギーを含んだ幼子の匂いが鼻をかすめる。

09電車内

 電車は西天下茶屋駅を出ると坂を登り始め、終点の岸里玉出駅のホームに入る。ドアが開く前に女の子は慌てて靴を履き、彼女の元へと駆け戻った。
 2人はしっかりと手を繋ぎ、開いたドアから降りて行く。
 もう一度彼女が頭を軽く下げ、女の子が「バイバイ」と手を振った。
 ボクも「バイバイ」と手を振り返し、暫くの間2人の姿を追う。
 ボクの中にあった驚きや疑問、疑念、憶測、そして偏見は一気に消えていった。そんなものどうだっていいじゃないか・・・。
 2人が階段に消えるとボクは我に返り、ゆっくりと立ち上がった。そして荷物を肩にかけ、今先頭になった車両の方へ歩き始めた。

おしまい

2018.04.11「花(仮題)」として発表
2019.11.03「花」と改題し写真を追加、若干の改稿
2019.11.16 写真を整理、前回改稿時の矛盾点を修正
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

砂漠のバラ

 デザートローズ(Desert Rose、砂漠のバラ)、それはサンドローズとも呼ばれ、ある種の化合物が自然現象でバラのような形状の結晶に成長した石である。砂漠で見つかることが多いことから、その名が付けられた。本来この石を構成する結晶は透明で滑らかなものなのだが、結晶の成長時に表面に砂を巻き込むため、汚れた砂色と荒れた表面を持つものがほとんどである。

「ラピュータがデザートローズに話しています。ターゲットを補足しました。6つです」早期警戒管制機からの一報が入った。
「デザートローズは了解しました。データをリンクしてください」あたしがリーダーだから応答しなくちゃならない。
「データをリンクしました。認識できますか?」ラピュータが確認する。もちろんリーダーに対してだ。
「ありがとう・・・デザートローズは認識しました」面倒くさいけどリーダーだから仕方がない。あたしが応答する。
「このターゲットに対するAAM使用の作戦はラピュータによって承認されました。成功と無事を祈っています」ラピュータから承認が出た。
「ラピュータによる作戦承認をデザートローズは確認しました」リーダーのあたしが答えた。
 一拍おいて僚機に声をかける「パンケーキ、いくよ」
「了解!」僚機が応答し、作戦は開始された。

 見えている範囲はすべてが砂漠だ。鉄分を多く含む赤茶けた大地が彼方まで拡がっている。大気中に水蒸気は乏しく、空には一辺の雲も無い。
 機体は亜音速で高度20000ftを飛行している。
 目の前のモニターには6つのターゲットが黄色に表示されている。あたしは機体をコントロールしてターゲットを正面に捕らえた。僚機もリーダーのあたしに続く。
「パンケーキ、ターゲットを3つずつに分けた。確認して」
「確認した。AAM1から3に割り付ける」
「こちらもAAM1から3に割付を完了した。ターゲットに変化は無い」
 相手もこちらもステルス機だ。だからお互いのレーダー機能をフルに使っても、お互いを認識することは出来ない。だがこちらには相手より高性能な早期警戒管制機が後方に控えている。そう、さっきデータをリンクさせたラピュータだ。こちらの技術の粋を尽くしたラピュータは、相手の警戒管制機より数段上の探知能力を持っている。この性能差が勝負の分かれ目だ。
「弾槽を開け」指令を発してあたしも弾槽を開く。
「弾槽を開いた」僚機も答えた。
「発射」あたしはトリガーを引く。
「発射」僚機は復唱した。
 6つの航跡が前方へと伸びていく。ターゲットの表示がすべて赤に変わった。6機のAAMがそれぞれのターゲットをロックオンしたのだ。相手はロックオンされて始めて攻撃されていることに気がついたはずだ。だが相手はまだこちらを認識できてはいまい。
 AAMの軌跡がターゲットに近づいていく。ターゲットは回避行動にはいる。きっとパニックに陥っているはずだ。なにしろ命がかかっているんだから。
 電子音が響くたびに、赤で表示されていたターゲットが点滅し、グレーに変化する。出来ればこのまま全弾命中してくれ。
 血で血を洗う接近戦はやはり面倒だ。NETを介するために生じるタイムラグにはA.Iが対応するが、やはり接近戦になったらNETを介さない相手の方が有利だ。
 できればこのまま何もしないで帰還したい。あたしは相手に接近しながら、モニターの中で繰り広げられる2次元画像を祈るような気持ちで見つめた。
 祈りは通じなかった。赤で表示されるターゲットのうち4つはグレーになり消滅したが、2つ残ったのだ。その頃にはあたしたちの機体も相手に探知できる距離まで接近してしまっている。
 きっと仲間を殺られて血が上っているのだろう。残った2機は一気に攻撃に転じた。
「しょうがない。パンケーキ。こうなったら楽しもう」あたしは覚悟をきめた。
「了解」パンケーキが短く返事をした。

 激しい空中戦になった。相手の腕はかなりいい。けどデザートローズとパンケーキをなめちゃぁいけない。なにしろエースが2人でコンビを組んでいるようなチームだ。数千nmi離れているために生じるタイムラグをものともせず、あたしたちは1機ずつを相手に戦った。
 相手のキャノピーを照準に収めたあたしは短くトリガーを引いた。相手のコックピットに弾が吸い込まれていき、キャノピーが赤く染まる。打ち方止め!相手はそのままの体制で、まるで何事もなかったように飛行を続ける。
 あたしは並んで飛びながらその様子を観察する。
 やがて相手はゆっくりと傾き始め、そのまま砂漠へと落ちていった。
「残酷だな」パンケーキが言った。冷たい声だ。こっちの様子を上から見ていたようだ。
「そう?一瞬で向こうに行けたと思うけど」
「そうかもしれない」
「そっちは?」
「そっちが楽しんでいるうちに片付けた」
 後方には一筋の黒い煙の帯が上空から下に向かって伸び、パラシュートが1つ浮かんでいた。

「聞こえていますか?デザートローズがラピュータに話しています。ターゲットはすべて消滅しました。こちらは2機とも問題ありません。作戦のコンプリートを確認してください」
「聞こえています。ラピュータがデザートローズに話しています。ラピュータはすべてのターゲットの消滅を確認しました。空域はクリアです。おめでとう。作戦はコンプリートされました」
「ありがとう。デザートローズは作戦コンプリートを了解しました」ホッとしながらあたしは返答した。
「ラピュータがデザートローズに話しています。デザートローズとパンケーキは帰還フレーズに入ってください」
「デザートローズは了解しました。帰還フレーズに入ります」あたしはオートパイロットのキーを押しながら指示をした。「パンケーキ、オートパイロットを帰還フレーズに」
「パンケーキ、了解」僚機が答えた。
 機体は帰還フレーズに入り、大きく方向を変えた。モニターに注意すべき輝点は表示されていない。あたしは僚機が付いてくるのを確認するとコックピットの中ですこし背中を伸ばした。
 帰還フレーズは退屈な時間だ。機体に搭載されているA.Iを使うまでもなくオートパイロットがすべてを自動で処理してくれるからあたしたちはほとんどすることがない。何かがあってもA.Iがまず受け取って処理をし、それからあたしたちの出番がやってくる。戦闘空域を出た後はなおさらやることは無くなり、2時間ほど退屈との戦いが続くのだ。
 あたしは飛ぶことが好きだし、空の上から下界を眺めるのも好きだから、興味津々で砂漠を眺めているうちになんとか退屈をやり過ごすことが出来る。僚機のパンケーキはどうだろう?奴はじっとしていることが苦手だから地獄の時間かもしれないな。まさかキャノピーを開けて外に出たりはしないだろうけど、ちゃんと規則どおりにやってくれないとリーダーのあたしの責任になる。
 あたしは3Dゴーグルを跳ね上げると「パンケーキ!」と声をかけ、隣に並ぶキャノピーに向かって手を振った。「もう少しだよ。我慢して」
 奴は3Dゴーグルを跳ね上げ、憮然とした表情でゆっくりと手を上げた。

 滑走路が見え始めた。砂漠のど真ん中にある乾湖の底に長大な何本もの滑走路が縦横に引かれている。管制と使用滑走路のやり取りをすませてからは、オートパイロットで進入する。着陸シークエンスではA.Iが補正をかける場面もあるが、おおむね自動的に着陸操作が行われ、やはりあたしたちに出番は無い。
 やがてメインギアが接地し、つづけてフロントギアが地面の感触を伝えてくる。スムーズな着陸だ。リバースがかかり急激に減速、方向が変わりラピッドタキシーウェイをタキシング。エプロンで地上係員が待つ所定の位置にピタリと停止。ここまですべて自動で行われる。エンジン停止。シャットダウン。モニターは終了処理のコマンドが長々と表示してからブラックアウトした。これで任務はすべて完了だ。3Dゴーグルを跳ね上げるとキャノピー越しにパンケーキのコックピットが見える。奴も終了処理を終えたようだ。2人同時にキャノピーを開けて外に出て、タラップを降りる。
 そこは50ft四方のホールのような空間だ。中央にさっきまで乗り込んでいたコックピットユニットが2基仲良く並んでいる。それは加速度を擬似的に体現させるためのたくさんの油圧シリンダーの上に乗せられていて、まるで遊園地の遊具のようにも見える。
「ごくろうさま」コマンダーが天井にある大きな窓から顔を覗かせた。
「どうも」あたしたちは手を軽く頭に添えた。
「ただちにブリーフィングだ。B7へ」
「了解」あたしたちはホールを出てブリーフィングルームへ急いだ。

 ブリーフィングと着替えを済ませると、予定通り定時になった。上手い具合に残業は無しだ。パンケーキは細かい花柄模様のワンピースにつばの広い帽子、あたしはパイナップルの大きなアクセントの入ったコットンのTシャツとブルージーンズだ。2人並んでスカイウォーカーセンターの長い廊下を歩いてゲートへ向かう。
「おつかれさま~」警備員に声をかけているうちに、顔認証が終了した。全身と肩から提げたバッグの中身もスキャンされたはずだ。「どうぞ」警備員がバーを上げてくれた。あたしとパンケーキは並んでゲートを出てエレベーターで地上へ上がった。
 エレベーターを降りた先は高層のオフィスビルのエントランスだ。
 大勢のビジネスマンが忙しげに行き来している。何機もあるエレベーターはひっきりなしに到着と出発を繰り返し、その度にたくさんの人を吐き出したり飲み込んだりしている。6機並んだエスカレーターも人の列が途絶えることは無い。
「さて、どうする?」あたしはエントランスの真ん中でパンケーキの方へ向き直って声をかけた。
「そうだな。まずビーチへ出よう。夕日を眺めたい気分だ」
「グッドアイデア!」あたしたちはドアボーイの見送りを受けながらエントランスを出た。
 辺りは高層ビル群が建ち並ぶオフィス街だ。
 広い歩道と6車線を備えた大通りの向こうは大型のショッピングセンターだ。到着した大型バスから大勢の観光客が溢れ出し、建物の中へ吸い込まれていく。
 あたしたちは階段を降りた先にあるバス停からバスに乗った。

 残念ながら西の水平線は厚い雲に覆われていた。
 弓なりに何キロも続く白い砂浜はまだ太陽の温もりを残している。
 大気は適度に暖かく、乾燥していて、椰子の木を緩やかに揺らす風も爽やかだ。少し先の波打ち際では両親に連れられた水着姿の子供たちが波と戯れている。甲高い歓声が響き、子ども達が跳ね上げる水しぶきが舞い上がる。
 太陽はまだ水平線の上にあるはずだが、姿を見ることはできない。
 あたしとパンケーキは船着場まで延びる防波堤のコンクリートに並んで腰をおろした。
 風がパンケーキの亜麻色の髪を揺らす。胸まで伸ばした髪は艶やかで、あたしの真っ黒なショートとの違いを際立たせる。
 肌は透き通るように白く、華奢で、あたしの小麦色で筋肉質のそれとはまったく別物だ。
 チームを組むことになって始めて紹介されたとき、その妖精のような容姿に驚いたことを憶えている。こんなのでトリガーが引けるのか?それにパンケーキ?舐めてるのか?
 だがそんな心配は杞憂だった。奴は本物の妖精のように、無慈悲にたくさんの命を奪っていった。
「ふう・・・」あたしがおもわず溜息をつくと、パンケーキの大きな青い目がこちらを向いた。あたしのこげ茶の釣りあがった目とは大違いだ。
「なんでもない。ちょっと疲れたのかな?」質問が来る前にあたしは答えた。
「フフ・・・ガラにもない事を」奴はあたしに横顔を見せた。美しい横顔だった。
 その時、太陽がわずかな雲の切れ間から顔を覗かせた。
 一瞬で世界は茜色に輝き始める。奇跡の瞬間だった。
 わずかな時間その輝きを維持した後、太陽は雲の向こうに姿を隠し、世界はまた一瞬にして姿を変える。
 今度は深い赤だった。どういう原理かは分からないが、太陽光線は雲の裏側から間接的に雲を照らし、特別に選ばれた波長の光だけを地上に届けた。その変化は息を飲むほどに美しかった。
「血の色だ。まるで私たちが今日殺った奴らの血の色だ」パンケーキが本来夕日がある位置を見つめながら、誰に言うともなく言った。
「綺麗な夕焼けじゃない」あたしはその意見に異をとなえた。
 そして同時に、奴に精神鑑定を受けさせる必要性を感じていた。否認判定を受ければ相棒を失う結果になるかもしれないが、奴を廃人にするわけにはいかない。殺伐とした戦場と平穏な日常を毎日行き来するような有り得ない生活を送ることや、敵を殺傷する瞬間を高精細モニターで鮮明に何度も見てしまうことが、UAVパイロットの精神にダメージを与えることは広く知られている。空中戦の申し子のようなパンケーキだって、大きな精神的ストレスを抱えているかもしれないのだ。貴重な資源を失うリスクを減らすために、あたしたちはわずかな変調でも報告を義務づけられている。
「今日さ・・・」パンケーキが言った。「ローズ、コックピットをピンポイントで撃ったよね」
「それがどうかした?」やっぱり見られていた。あたしは心の中で小さく舌打ちした。
「いや、コックピットじゃない。パイロットだけを狙ったよね?」
「そんなこと・・・」
「どうしてそんなことをした?」
「苦しめたくなかった」これは言い訳だ。機体を破壊すれば事は足りたし、そうすればパイロットは脱出する機会もあったのだ。だが、敵の貴重な資源を消耗させるという観点から見れば、これはこれで正しいやり方と言えるはずだ。
「短く撃ったよね?」パンケーキの追求は続く。
「無駄玉を使いたくなかった・・・」
「もてあそんでいたよね?」
「・・・」あたしは答えを控えた。実際にそうだったのかもしれない。
「最小限の弾数で確実に仕留めたんだ。ダダッ・・・てね」パンケーキは人差し指をあたしに向け「余裕綽々だった」と薄く笑う。
「何が言いたいの?」パンケーキはあたしに精神鑑定を受けさせようと考えているのだろうか?
「キャノピーが血で真っ赤に染まっていた」パンケーキは空を見上げた。
 辺りの赤みが一層強くなった。空全体が赤く染まっている。海面までもがそれを移し込んで赤黒くなった。
 あたしたちは長い間その様子を眺めながら無言で過ごした。
「ねえ、男を捕まえに行かない?」突然パンケーキが提案した。「前に行った最上階のバー、あそこで一杯やりながら男を物色しよう」
「いいよ。たまにはそういうことも必要だ。特にこんなことの後にはね」
 あたしたちは立ち上がった。
 まるでそれを待っていたかのように、空の色は急速に赤みを失ってグレーになり光度を落とした。
 夜を支配する神の時間が訪れたのだ。


2020.02.02  scriviamo!


テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

陽だまり

 彼は列車を降りるとホームの端まで行って車両の方を振り返った。
 たった1両のディーゼルカーは、オレンジ色の塗装もすっかりくすみ、あちこちに錆びが浮いている。
 ホームには彼以外誰も居ない。
 ドアが閉じられた。
 軽やかな空転音を奏でていたディーゼルエンジンが重々しく回転を上げる。
 列車は黒い煙を吹き上げながら徐々に速度を上げ、やがて彼方の防風森の向こうに消えていった。
 一日に何回か繰り広げられるホームでのささやかな饗宴は幕を閉じ、一気に静寂が駅を覆う。
 彼は彼方の防風林から目を戻した。
 ホームは線路側に木製の土留めを設けて土を盛り上げただけの簡易な作りだった。辺りの地面との間に柵や段差は無く、訪れる者はそのままホームに入ることが出来る。
 もちろん無人駅で駅舎も無い。ホームの上には木製の屋根と風除けの囲いで覆われた小さなベンチが置かれているだけだ。
 ここはかなり寒冷な土地だが、夏季に限って言えば乾燥した心地よい空気に覆われる事が多い。そういう時期はとても過ごしやすいのだが、夏の日差しはそれなりに強く、ずっと日向に居るのはやはり暑い。彼は導かれるようにホームを移動し、日陰になったベンチにゆっくりと腰をおろした。
 線路の向こうは一面の草原で、そこには細い地道が曲線を描いている。そしてその向こうには北の海が黒々とした姿を晒している。駅の裏手には100メートルほど離れて道路が通っていて、時折トラックや乗用車が通過する音が聞こえてくる。辺りには一軒の家も無い。
 自動車の音が途切れると、静寂を埋めるのは海の方から吹くそよ風の気配と遠い潮騒だけだ。抜けるような青空、降り注ぐ午後の太陽、草いきれとかすかな潮の臭い、それだけが彼の五感を微かに震わせた。

 駅の名前は留路千といった。
 彼が乗ってきた列車は宇古部の駅を16時6分に出発し、留路千に16時14分に着いた。その列車はそのまま海岸線を走り沙呂の町に向かう。沙呂駅ではこの列車とすれ違って宇古部へ向かう列車が16時25分に発車し、16時36分にこの駅、留路千に到着する。彼はその列車に乗って宇古部へ戻るつもりだった。
 どれくらい陽だまりのなかを漂っていただろう。彼は何かの気配にふと顔を上げた。
 人だ。線路の向こうの地道を誰かがこっちへ向かって歩いて来る。
 どこからやってきたんだろう?道の先には砂浜があってその向こうはもちろん海だ。見える範囲に人家も無い。たしかどちらへ向かう列車も3時間以上無かったはずだ。列車でここへ来たとしたら3時間以上、こんな何も無いところでいったい何をしていたんだろう?
 その誰かは大きな麦わら帽子を被り、明るい色のワンピースを纏っている。そのゆっくりではあるがリズミカルな歩き方からすると、どうやら若い女性のようだ。
 彼女は曲線を描く道をなぞり、ベンチに座る彼の正面を横切る。帽子の下に見えるのは肩まで延ばされた金色の髪だ。やはり若い女性だ。真っ直ぐなその髪は海からの風に乗ってなびきキラキラと輝く。スカートや袖口から覗く手足はスラリと長く色白だ。
 外国人の観光客?北方にある隣国からやって来たインバウンドと呼ばれる観光客だろうか?だがこんな地の果てのような何も無い所に観光客など訪れるだろうか?
 そうこうするうちに彼女は草原のスロープを下り、駅のすこし向こうの線路に出た。ほとんど消えてしまったバラストを越えてレールの上に上がる。そしてレールの上を両手を横に広げてバランスを取りながらホームの方へ向かってくる。
 どうやらそこまできてベンチに座る彼の姿を認めたようだ。彼の方を向いて笑顔になると手を振った。すこし速度を上げようとしてバランスを崩し枕木の上に落ちた。そのままもう片方のレールを跨ぎ、ホームの端の斜面を登ってホームに上がってくる。
「こんにちは~」驚いたことに流ちょうな日本語だった。
 外国人の観光客だと思い込んでいた彼は不意を突かれて一瞬目をしばたたいた。
「その格好は・・・ツーリングですか?」彼女は近づきながら笑顔を向けてくる。
 大きなツバの明るい麦藁帽子の下に金色に輝く髪、少しそばかすの残った色白の顔、小さなピンク色の唇、ツンと上を向いた小ぶりな鼻、そして透き通るような大きな青い瞳。彼女は眩しい陽光の中に浮かび上がり、まるで妖精・・・とまではいかないが、見ようによっては見習いの妖精くらいには見える。
「そうだけど・・・」彼は火照る頬に気づかれないように慌てて立ち上がった。そうか、彼女は彼のブーツに視線を合わせている。そして前をはだけて着ているツーリングジャケットにも。たしかに列車に乗って旅行している格好ではない。
「バイクはどこに止めてるんですか?」彼女は不思議そうに辺りを見渡す。
「ああ、ここには無いよ」彼は言いにくそうに答えた。
「どういうことですか?」彼女は顔を少し右に傾けて彼の目を覗き込んだ。
「説明するとちょっと・・・」彼は言いよどんだ。揺れる金髪や大きな青い瞳を見つめすぎないように注意が必要だった。
「じゃぁ、説明してください。まだ少し時間もあるし」彼女は右腕につけた小さな腕時計を見ながら言った。
 彼は少し思案してから「じゃぁ」と言った。彼女の吸い込まれるような青い瞳でジッと見つめられたら、断る理由を思いつける男なんているんだろうか?
「じゃぁ?」彼女は口を合わせる。
「俺達、フェリーでやってきたんだ・・・」彼は再びベンチに腰をおろした。
「内地からフェリーにバイクを載せて来たんですね?それに俺達?」彼女は彼の隣に腰をおろした。
「ああ、友達が一緒なんだ」彼は彼女との間隔を少し空けながら答えた。
「ふーん」彼女は訳知り顔で頷いた。「で?」
「フェリーを降りて俺がバイクで、友達が列車で宇古部へ向かったんだ」
「意味不明」彼女は両手を広げ斜めに空を見上げた。
「あ~、難しいな」彼は頭に手をやった。
「友達なのにどうして別々なの?わざわざフェリーを使ったのに、どうしてその友達はバイクじゃないの?」彼女は疑問点を整理した。
「あ~、友達はバイクを運転できないから・・・」
「じゃあ、ずっと別々に移動するの?」
「そうじゃなくて宇古部からは一緒に移動する」
「ということはタンデムなのね?」再び彼女の青い目が覗き込む。まるで心の中を覗かれているみたいだ。虚偽の発言は許されない。
「ああ」彼は観念したように言った。
「でも、宇古部までは別なのね。どうして?」
「どうしてって・・・そうだな」彼は少し間を置いてから続けた。「フェリーを降りてから宇古部までは300km以上あって時間がかかる。タンデムだとどちらも大変だからこの区間だけは別行動にしたんだ」
「優しいんだね。その友達には特別?」彼女は意味ありげな特別の笑みを浮かべた。
「いや、別に・・・」
「すこし分かってきた」彼女は彼の発言を無視して続けた。「でもそんなあなたがなぜこんな所に座っているのかしら?」
「その説明もちょっとややこしい」
「もう」彼女は少し頬を膨らませる。「じゃぁ、整理して分かるように説明して!」
「その・・・待ち合わせに間に合わなかったら大変だと思って、食事もそこそこに飛ばしたから、宇古部には予定よりかなり早く着いたんだ」
「それで?」彼女は先を促す。
「暇だったから駅の待合室に入って時刻表を見たら、上手い具合に宇古部を出発する列車があった。時刻表を辿るとその列車は友達の乗ってくる列車と沙呂ですれ違う。だから列車で迎えに行って脅かしてやろうと思って・・・」
「なるほど。でもどうしてここ?」
「どうして沙呂じゃなくて留路千に居るのかってこと?」
「そう」彼女は頷いた。
「沙呂で列車はすれ違う。けれど、細かい時間も駅の構造も分からないから、列車を乗り換えられない可能性だってある。でもこの駅なら確実に宇古部へ向かう列車を捕まえることができるだろ?」
「なるほど。なるほど」彼女は納得の笑みを浮かべた。「それでこんな所に居たのね」
「でも、ここへ来てよかった」彼は辺りを見渡しながら言った。
「というと?」
「こんなに素晴らしい所だとは思わなかった。ただの偶然で降りただけなのに、ここに座っていると、とても暖かいものに包まれているようにホッコリできる」
「ありがとう。ホッコリ・・・か」彼女も改めて辺りを見渡した。「そうだね・・・確かにここは良い所だ・・・」
 彼はどうして礼を言うんだろうと思ったが「ところで、君はどうしてここにいるの?」ずっと疑問に思っていたことを口にした。
「あ、来た来た」彼女は彼の質問をまったく無視して立ち上がった。防風林の向こうからオレンジ色のディーゼルカーが顔を覗かせたところだった。
 沙呂ですれ違って宇古部へ向かう列車だ。やはりたった1両でのんびりと車体を揺らせながらこちらへ向かってくる。彼女はホームを列車の方へ歩きながら能天気に手などを振っている。列車は減速しホームへと到着した。
 これまで一帯を覆っていた静寂は姿を消し、一気に現実が押し寄せてくる。ディーゼルエンジンの音がすべてを元に戻す。圧縮空気の音がしてドアが開く。
「乗るんでしょ?」彼女がこちらを向いて声をかけた。
 彼は慌てて立ち上がり、彼女の方に、列車のドアの方に駆け寄った。
「ちゃんと紹介してね。その友達に」追い越しざま彼女が悪戯っぽい笑顔で言った。
 彼の唇は微かに歪んだ。「あ、ああ・・・」曖昧に返事を返しながら列車に乗り込む。できれば無用なトラブルの種は抱え込みたくないんだけれど・・・。彼の顔にはそう書いてあった。
 彼はデッキから客室へ入る仕切りドアを開け、4人掛けのシートがズラリと並ぶ車内に入る。
 圧縮空気の音がしてドアが閉じられる。
 ディーゼルエンジンが重々しく回転を上げる。
 列車は徐々に速度を上げ、ジョイント音が軽快なリズムを刻み始めた。
 この車両には冷房はない。ほとんどの窓は開けられ、天井には扇風機が回っている。
 シートには数人の乗客が座っていたが、彼は一番奥に目的の人物を見つけた。頬杖をついて窓の外へ顔を向け、まぶしい外光に目を細めながら、ぼんやりと海を眺めている。赤いリボンで纏められた髪を窓から吹き込む風が揺らしている。
 今朝、港の駅で分かれたばかりなのに、いつもと変わらないその姿は彼を安心させ、幸福な気持ちにさせる。
 彼はその人物に気付かれないように素早く通路を進み、その人物のニックネームを呼んだ。
「ダンゴ!」
 その人物は驚いて彼の方へ向き直った。「ケッチン!なんで?バイクは?マッハはどうしたの?」
 彼は事情を簡単に説明した。一度説明した内容をもう一度繰り返すのは簡単だ。
 そして「それでさ」彼は彼女を紹介するために振り返った。
 振り返った先には誰も立っていない。
 彼は慌てて通路を戻り客席を1つ1つ確認した。
 仕切りドアを開け、デッキも確認した。
 だがどこにも彼女の姿を見つけることは出来なかった。
 デッキにはあの陽だまりの温もりだけが残っていた。


2020.04.17
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