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Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

新世界から Prologue

  エルロン(補助翼) とは、飛行機を左右に傾ける(バンク、横転、ロール)ために使う動翼である。通常左右の主翼後縁の外側に取り付けられており、機体の前後軸を中心とした回転運動を制御する。

 ラダー(方向舵)とは、飛行機の機首を左右に向ける(ヨーイング)ために使う動翼である。通常垂直尾翼後縁に取り付けられており、機体の上下軸を中心とした回転運動を制御する。エルロンと併用すると、定常釣り合い旋回を行うことができる。

 エレベーター(昇降舵)とは、飛行機を機首上げ、機首下げの姿勢にするために使う動翼である。通常尾翼後縁に取り付けられており、機体の左右軸を中心とした回転運動を制御する

 フラップとは、高揚力装置の一種で、飛行機の揚力を増大させるための装置である。必要時に主翼から展開させるタイプのものが多い。副次的に抗力が増大するため、機体を減速する作用もある。
(Wikipediaより抜粋し補筆)


マーマレード

 マーマレード、それは柑橘類を加工した食品を指す単語だが、ここでは特定の戦闘機のパイロット、或いはそのパイロットが搭乗した機体を表すコードネームだ。
 コードネームはシステマティックに定められたリストの中から選ばれるが、優秀なパイロットには伝統的に「F」の頭文字を持つコードネームが与えられた。「F]はファイターの頭文字だからだ。
 リストにある「F」で始まる単語には限りがあるうえ、他人が使っているコードネームを名乗ることは出来ない。それゆえ自然と「F」を使う者に対する伝説が出来上がった。「F」が使えるということはそれなりの実績を残しているはずだ・・・戦闘機乗り達はコードネームの頭文字で相手の腕の良さを想像した。
 マーマレード、その頭文字は「M」だ。だがそれはマーマレード自身が望んだことだった。マーマレードには「F」で始まるコードネームを名乗る資格は充分すぎるほどあったし、上司や仲間からも何度も「F」を勧められた。だがマーマレードはそれを固辞した。

 マーマレードはコックピットからあらゆる方向を素早く見回した。
 左に空に溶け込むようなブルーグレーの戦闘機が2機!識別は赤、敵だ!
 それを確認すると、エルロンを操作して機体を右へ急激にロールさせる。でもこれはフェイントだ。
 敵のうち1機はそれにつられて方向を変える。残ったのは1機。
 それを確認するとすぐに反対へロール。左下へほとんど背面でダイブ。
 ついてこい・・・こい・・・こい・・・マーマレードは口の中で繰り返した。
 今だ!フラップを使って急激に減速。エレベーターを目いっぱい引き機首を上げる。敵は急激な減速と姿勢の変化に対応出来ず射撃のタイミングを逃した。機首が真上を向く。エレベーターを戻す。一瞬ラダーをあててからスロットルを閉じる。浮遊感が襲ってくる。
 機体は舞い落ちる木の葉のように一瞬で方向を変える。
 相手の横っ腹が見えた。トリガーを絞り込む。相手のコックピットに弾が吸い込まれ、キャノピーが赤く染まる。
 マーマレードの口の左端が僅かに上がった。
 機体は自由落下を続けている。フルスロットル。舵面に当たる空気の速度が遅いからまだ舵が効かない。墜ちてゆく。
 その時、ガン!ガン!ガン!機体に大きな衝撃があった。撃たれた?バカな!どこから来た?裏からか?マーマレードは辺りを見渡す。
 一瞬のアンコントロールを突かれた。コックピットの中を何かが跳ね回ってる。
 舵が戻った。左へ急旋回。ロール。キャノピー越しに敵の姿を捉えた。アドレナリンは最大に分泌されているはずだが、精神は研ぎ澄まされた刀のようにように冷ややかだ。トリガーに指が掛かる。コックピットに吸い込まれてゆく弾道が予測できる。だがトリガーを絞る一瞬前に敵はひらりと方向を変えた。まるで重力や慣性など存在しないかのように・・・。
 回り込んでくるつもりだ。マーマレードもエレベーターを引いて回り込む。お互いに後ろを取ろうと旋回半径が小さくなる。強烈なGが襲ってくる。キャノピーが正対し、相手のパイロットが見える。意識は一層冷却され、舵は意識の支配を離れる。敵の動きはまるでスローモーションのように遅くなった。
「オッドアイ?」マーマレードの口から苦しそうな呟きが漏れる。敵のパイロットのコードネームだ。機体には何のマークも描かれていないからパイロットの当たりは付けられない。だが、ここまで自分を追い込んでくるパイロットは他には思い当たらない。あのしびれるように美しい俊敏な動き。きっとそうだ。いや、そうでなくては自分が納得できない。マーマレードはさらに回転半径を詰めた。
 その時、一瞬の操作の間を突いて敵が機種の向きを変えた。上空から黒い影が落ちてくる。識別は青、友軍機だ。それを目にしたマーマレードは一瞬追尾を戸惑った。敵はロールと急降下を組み合わせて雲の中へダイブして消えた。
 マーマレードは友軍機に感謝はしたが、同時にせっかくの邂逅を邪魔された怒りも感じていた。
 離脱。反転して下を確認し、ゆっくりと姿勢を戻す。辺りを確認。敵の機影は見えない。もういないはずだ。
 友軍機は急降下してからゆっくりと水平飛行に入った。
 フォックスバットの機体だ。
 まずったな~。この時になって始めてマーマレードは思い切り顔をしかめた。

「マーマレード、状態は?」無線が入った。
「う~ん」マーマレードは少し間を置いた。「まずったかも」
「どこをやられた!」フォックスバットの声が慌てている。
 機体は腹側から打ち抜かれている。どこか油圧系統もやられて油圧が下がっていて、燃料系にエラーが出ている。エンジンにも喰らったようだ。「もってくれると良いんだけど」マーマレードはフォックスバットに聞こえないように呟いた。
 それにさっき跳ね回った何かがどこかに当たったらしい。ラダーが思うように操作できなくなってきた。さっきまで大丈夫だったのに。
 フォックスバットが上がってきて右に並んだ。マーマレードはフォックスバットに向かって手を振った。
「だいぶやられたな。陸地までは遠い、その様子じゃもたないと思うが、どうだ?」
「かもしれない」マーマレードは短く返事を返した。
「近くに空母が居る。お前の腕なら甲板をいっぱいに使って降りられるだろうし、だめなら着水という手もある。そこへ向かうか、あとは時間はかかるが降りやすい91ベースまで飛ぶかだ、どっちを選ぶ?」
 マーマレードは少し考えてから答えた。「空母を選択する」
「了解、ついてこい」
 マーマレードはそのままフォックスバットの左側に並んで降りていった。

 高度を下げ、いったん水平飛行に入ってからフォックスバットが真横、少し上方に並んできた。ロールして背面飛行でコックピットを覗き込んでくる。マーマレードはフォックスバットに向かってもう一度手を振って見せた。
「マーマレード、戦闘空域を出た」フォックスバットから無線が入る。
「了解」
「空母とは連絡を取った。甲板は着くまでに空けてくれるそうだ。機体は空母の軸線に乗っている。このまま真っ直ぐ進入する」
「了解」
「大丈夫そうだな。だが主翼と胴体に幾くつも穴が開いているぞ」
「まずった」
「お前に穴を空けるとはな・・・どんな奴だ?」
「良い奴だった」
「良い奴?敵のことか?」
「素敵な奴!惚れ惚れする動きだった。まるで妖精みたいに・・・」マーマレードは声を張った。
「妖精?」
「そう、楽しかった。ワクワクした」
「ワクワク?まるで恋人に出会ったみたいだな。変わった奴だ」フォックスバットが吐き捨てるように言った。
「オッドアイだったかもしれない」
「オッドアイ!本当か?」
「あんな風に動けるなんて、だからきっとそうだ」
「お前なら、動けているさ」
「だったら素敵だけど、きっとそうじゃなかったんだ・・・だから・・・まずった」
「オイルが漏れているようだが、コントロールは?」フォックスバットは話題を変えた。
「真っ直ぐなら問題ない」
「エンジンは?」
「シリンダーがたぶん2つ死んでいる」
「なんとか持たせよう」フォックスバットが少し離れて前方に出た。
 マーマレードはコックピットを覗き込まれなくなったのでホッとした。腰から下の感覚が無い。でも真っ直ぐなら問題ない。問題ない。自分に言い聞かせる。
 徐々に高度が下がる。雲が切れて下にはキラキラ光る海面が見え始めた。この機体であそこに降りたら助かる保証はない。滑らかに着水する自信はあったが、ほんの僅かな角度の違いが、うねりのタイミングが、致命的な結果をもたらすことはよく分かっている。できれば甲板にふわりと降りたいんだけど・・・。マーマレードは楽観的に考えることに意識を集中した。
 飛行艇に乗っていたころなら、あそこは帰るべき場所だった。滑るように海面に降り立ち、そのままゆっくりと機体を桟橋に横付けする。そして係留作業を眺めながらエンジンを止めると、その日の仕事は終わった。呑気なものだ。
 そして桟橋ではあいつが待っていた。マーマレードはほんの少しの時間、あいつの顔を思い浮かべた。
 夕闇の迫る茜色の風景が広がっている。
 ヤシの木は穏やかな風に微かに葉を揺らせる。
 ラグーンの海面は穏やかだ。
 潮の香りがした。

 空母までまだあるのかな?視界は徐々に暗くなり始めた。日が沈もうとしているようだ。マーマレードはそう考えた。
「フォックスバット、空母に誘導灯を点けるように言ってほしい」
「なんだって?繰り返してくれ」
 下半身ばかりでなく痺れと冷たさは徐々に拡がり始めている。太陽は完全に沈んでしまった。辺りはどんどん暗くなる。どうしたんだろう?空母は?誘導灯は?マーマレードは足掻く。
「フォックスバット・・・あと・・・どれぐらい?」
「あと3キロ、いや2キロだ」
「暗いな・・・」
「どうした?」
 体がゆっくりと傾き始める。
「おい!そっちじゃない。戻せ!起こすんだ!マーマレード!」
 無線機からは叫び声が聞こえる。妙にはっきりと。
「上げろ!引き上げろ!」
 誰かがアタシに操縦の指示をしている。このアタシに・・・。
 だがマーマレードにはどうする事も出来なかった。

2020.01.19 Scene1(旧作)をリライト

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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

新世界から Scene1・Huwari(フワリ)

Stella/s月刊ステルラ8・9月合併号 投稿作品

Huwari(フワリ)

 雨が上がって日が差し始めると、大気は一気に蒸し暑さを増した。
 通りに沿って立ち並ぶ中層の建物は薄汚れ、くすんでいて、あちこちが傷み、歪んていた。
 路面はアスファルトで舗装されていたが、あちこちが剥がれ、めくれあがって水が溜まっていた。往来する自動車がそれにタイヤを落とし、あちこちで跳ねを上げた。
世界を巻き込んだ戦争はまだ続いていたが、戦いは遠く離れた場所での事だったし、戦況も有利だったので、人々にはどこか別世界での出来事のように感じられた。裕福な者は裕福に、貧しい者は貧しいまま、いつものように日常生活を送っていた。

 フワリは軒先を出て、そこここにできた水溜まりや、行き来する人々を避けながら通りを歩き始めた。
 彼女はまだ12歳だったがその割には背が高く、背の割には体重が不足していた。つまりやせっぽちだった。肌の色はやや濃いめで、大きな目と深い湖を思わせる藍色の瞳が印象的だ。そして腰まで届く漆黒の髪は首の後ろでシンプルに束ねられ、律動的な足取りに合わせてリズミカルに揺れていた。
 身に着けているサイズの小さいワンピースは、もともとの色が何色だったのか想像することも難しいくらい変色していたし、そのほっそりとした長い足にまるで似合わないズック靴は、メーカーも分からないくらい型崩れしていた。上空には大きな二重の虹がかかり始めていたが、彼女がそれに気づいた様子は全くなかった。
 もっとも、大勢歩いている、あるいはたむろしているこの街の住人の中で、その大きな虹に気が付いた者がどれだけ居たのだろう。おそらくその住人を探し出すことは至難の業だ。
 やがてフワリは十字路に差し掛かるとそこを右に曲がった。右に曲がった先は少し静かな通りになっていて、辺りは2階建てかせいぜい3階建の建物が立ち並んでいる。ほとんどが宿泊かそれに類する目的で使われる建物だったが、好き勝手に増改築された不統一な外観がこの通りの景観に一層のカオスを加えていた。
 通りを暫く進むと左側に緑の木々が見えてくる。緑はその奥に建つ3階建の建物の前庭で、ほとんど手入れもされていなかったが、それなりの広さを持っていたし、大きな木もたくさん植えられていたので、周囲に一定の潤いと安らぎの様な物を与えていた。
 庭は錆びついた鉄製の柵で囲まれ、入口には崩れかけた石造りの門があった。その門の前には紺色の薄汚れたセダンが1台、通せんぼをするように止まっている。フワリはそれをぐるりと回り込んで門を入り、木々の奥に見えている建物の入口まで、庭の飛び石を伝って近づいていった。飛び石の間隔が開いていてジャンプをしなければならない所もあったが、地面がぬかるんでいるので靴を濡らさずに庭を通り抜けるには飛び石を伝うしか無い。
 奥に立つ建物の1階はバーになっていて、その入口からバーテンダー風の男が出てきて声をかけた。「おかえり、フワリ」
 その“フワリ”の発音は、柔らかさや軽やかさを表すその言葉の本来の発音とは全く違っていて、解剖を表すよく似た別の言葉の発音のように抑揚を欠いた硬い物だった。
 フワリはその男の方にチラリと目をやったが何の受け答えもせず、そのまま入口をくぐった。
 ホールには女が3人たむろしていて、カウンターの中にはマネージャー風の男が暇そうに座っている。
「おかえり、フワリ」女達は口々に硬い方の発音でフワリに声をかけたが、彼女はさっきと同じように受け答をせず、真っ直ぐにホールを横切って階段へ向かった。そして階段の一段目に足を乗せると、カウンターの中に暇そうに座っている男に目を向けた。
「接客中だ」その様子を見てカウンターの中の男が短く要点だけを言った。
 フワリは一段目から足を下ろすとそのままカウンターの椅子に登って腰掛けた。
「しかも2人もだ」男はいやらしく顔を歪めた。
 フワリは黙っている。
「どうした?何か用でもあるのか?」マネージャー風の男が声をかける。
 フワリは黙ったまま顔を上げて男の顔をじっと見た。そして首を左右に振った。
「そうか。まぁ、そこに座ってな。まだ暇だしな」男はゆっくりと立ち上がるとカウンターを出て外の様子を見に行った。フワリはそれ目で追っていたが、男が入口から出ていくと目線を前に戻した。そして正面の棚に並べられた酒の瓶を熱心に眺め始めた。まるで瓶に貼られたラベルにとても重要な表記が隠されているかのように。
 他愛のない女たちの会話が聞こえていたが、それはフワリの耳には届いていなかった。
「フワリ。フワリ!」呼びかけられてフワリは顔を上げた。階段の登り口の処からエリの顔が覗いている。整った丸い顔にショートカットの黒い髪の女だ。もう40歳を超えているはずだが、その可愛らしい顔立ちのせいで30代前半に見える。「ちょっと、上に来てくれる?」エリは人差し指で上を指した。フワリは暫くエリの方をじっと見つめていたが、やがて椅子からポンと飛び下りると階段の方へ向かって歩いて行った。エリは傍に来たフワリの肩にそっと手を添えると一緒に階段を上って行った。

 エリは2階の部屋の扉を開けた。フワリは入り口で少しの間立ち止まっていたが、エリに促されて部屋に入った。
 部屋の雰囲気はいつもと違っていた。いつもなら据えたような男と女の体臭が充満している部屋は、今日はその気配もない。部屋の右手にはダブルサイズのベッド、そして奥に押し込まれたソファーには、濃紺のスーツをきっちりと着込んだ2人の男が窮屈そうに座っていた。
「フワリです」エリがフワリを紹介すると、男達は立ち上がって深々と頭を下げた。1人はがっちりとした大男で、もう1人は痩せた小男だった。
 フワリは少しだけ目を見開いた。藍色の瞳は一層深みを増し、まるで観測装置のように男たちの頭のてっぺんを見つめ続ける。
「フワリ様ですね」頭を上げてから、小さい方の男が確認するように訊いた。体格から受ける印象の通り甲高い声だ。
 フワリは2人の男の顔を交互に眺めてから、小さく頷いた。
「大きくなられましたね。お久しゅうございます」大きい方の男が言った。太くてよく通る声だ。そしてもう一度揃って頭を下げた。
 フワリはただ黙って前を向いている。
「驚かれましたか?そのお顔は小さいころのフワリ様そのままでございます」小さい方の男が懐かしそうに言った。
「確かにフワリ様だ」大きい方が続けた。
「それでは本日わたくしども共がここに参った理由、わたくしの方から説明させていただきましょう。どうぞおかけください」小さい方の男がベッドに座るよう促した。
 フワリとエリがベッドに腰掛けるのを待って、2人の男は再び窮屈そうにソファーに腰を下ろした。
「まず、わたくしの方から自己紹介をさせていただきます。わたくしはベントと申します。そしてこちらの大きいのはボウズと申します。お見知りおきをくださいませ」2人はまた小さく頭を下げた。
 そして続けた。「フワリ様、あなたはご自分が何者なのかご存じですか?」
 フワリは小さく首を振った。実際フワリは自分が何者かを知らないはずだ。フワリは母親を知らなかったし、もちろん父親も知らなかった。家族や親せきにもこれまで会ったことはない。この屋敷の女達はすべからく優しかったが、家族のように接することはなかった。エリだけが、家族の代理のような役割を担っていたが、それでもやはり家族とは違う関係を保っていた。自分はどこかで生まれて、そして捨てられた。フワリは漠然とそういう自覚を持っているようだった。
「わたくし共はフワリ様が何者か、そしてこれから何をなさらなければならないか、お伝えするために参ったのです」ベントと名乗った小さい方の男が宣言した。
「ところでフワリ様はいくつにおなりですか?」気分を変えるようにベントが尋ねる。
「・・・・・・」フワリの瞳は観察を続けているが口は動かない。
「先月で12になりました」フワリが黙っているのでエリが代わって答えた。
「お前に訪ねているわけではない。フワリ様自身にお答えいただきたかったのだ」ベントと名乗った小さい方の男が声を強めた。
「すみません」エリは不満げに答え、そのまま俯いた。
 ベントは暫くフワリと見つめあう形になったが、フワリの口は微塵も動かない。
「ではもう裳着は済んでおられるわけですね」ベントは根負けしたように口を開いた。
 フワリは相変わらず黙っていたが、エリは顔を上げて頷いた。
 それを確認するとベントは厳かな口調で語り始めた。
「これからお話しすることは、フワリ様にとって耳障りのよい話ではないかもしれません。だがフワリ様はもう12歳になっておられる。我々の間ではもう一人前と見なされます。逃げることはできないのです。あなたは我々の王なのですから」
「オウ」フワリは初めて口をきいた。小さいがよく通る澄んだ声だ。
「フワリ様はパミラウをご存じでしょうか?」ベントは質問を投げかけた。
「パミラウ」フワリは単純に繰り返した。そして首を小さく左右に振った。
「パミラウとは南洋にあった海洋国家のことです」
「あった」フワリは瞳の焦点の位置を変えた。
「はい、南洋のたくさんの島々を配下に置く強大な海洋国家でしたが、今はもうありません」
「どうして」フワリは抑揚の無い声で言った。
「今の戦争が始まる前、パミラウがイルマの統治領になった時に消えたのです。パミラウの独立を最後まで守ろうとして戦ったのが、あなたのお父様であるガウガ王なのです。王は戦で亡くなり、国は滅び去りました。」
「お父様」
「はい、フワリ様、あなたはパミラウの最後の王ガウガの娘なのです」ベントはそう言うとまた深く頭を下げ、ボウズもそれに合わせるように頭を下げた。エリはその様子をぼんやりと眺めていたが、男たちが頭を上げないので慌てたように頭を下げた。
「フワリ様、あなたはパミラウ王朝の正当な継承者である王女なのです。あなた以外に継承権を持っておられる方はもう生きておられません。ガウガ王が亡くなった時から、あなたが我々の王なのです」
「国が無いのに」
「ですから、我々はパミラウを蘇らせるのです」
「どうやって」
「蘇るためにあなたのお父様、ガウガはたくさんの財宝を残されています」
「・・・・・・」フワリは無言で話の続きを待っている。
「ただ、これまではそれがどこに隠されているのか分からなかったのです。だが幾つかの伝承を整理し検討した結果、我々はついにその鍵を発見したのです」
「・・・・・・」
「フワリ様は先日病院で検査を受けられましたね?」ベントはエリの方を向いた。
「ええ、私達全員に性病を含めた体の検査を受けるようにと、当局の指示があったから・・・」エリが答えた。
「それは我々の差し金で行われたことです。そして、我々は鍵を発見したのです」
「何を?どこに?」エリは質問した。
「何を?鍵を、です。どこに?フワリ様の中に、です」
「あたしの中」フワリは感情を排した声で言った。
「そうです。鍵はフワリ様の中にありました。内蔵の隙間に巧妙に隠されています。多分それはマイクロフィルムの入ったカプセルです。それを取り出し解読することによって財宝の隠し場所が分かるはずです」
「どうやってそのカプセルを取り出すの?」エリが不安そうに訊いた。
「もちろん、手術で取り出します。超一流の医師を手配しますから、安全性に問題は有りません。そして、これは我々の王であるあなたの責務なのです。フワリ様」ベントはフワリの目を覗き込んだ。
 フワリは何の反応もせず、暫くの間ベントの目を覗き込んでいたが、やがてゆっくりと立ち上がった。そしてドアを開けて部屋の外へ出て行った。
 ベントが首を振って指示を与えると、ボウズが後を追った。

***

「ふう・・・」ベントが溜息を洩らした。「いつもあんな感じなのか?」
「そう、じっと観察して、判断して、そして判断したとおりに行動する。そんな子よ」
「やれやれ、さすがは頭(かしら)の娘だ。あの目は頭とそっくりだな、全てを見透かされているようで、自分が酷く愚かに思えてくる」ベントは頭を掻いた。
「これまであの子に何の関心も持ってこなかった報いよ。突然やってきて、どういう風の吹き回しかと思ったら、こんな話だし。それに、パミガーラについては何も言わないつもりなの?」エリが訊いた。
「これだけ言えばフワリも覚悟の様な物ができるだろう。黙って無理やりやるよりはずっといい。それに、でたらめでもない」
「そりゃぁ、そうだけど・・・」エリはフワリが出て行ったドアの方を眺めながら言った。「パミラウ王朝の正当な継承者である王女、確かに彼女の一面だけど」
「しかたなかろう。俺達は極悪非道の海賊集団、パミガーラの残党で、あんたはその頭、ガウガの娘ですって言うわけにもいかんだろう」ベントは同意を求めた。
「そりゃ、そんなことは伝えたくないけど・・・」エリは言い淀んだ。
「俺達が海賊パミガーラだったということは明かさない方が良い。いま俺達の正体が漏れるるようなことがあったら、今度は完璧に叩き潰される。グロイカ政府もこの件ではイルマ政府と呉越同舟だ。やつらが根絶やしにしたかったのはパミガーラの方だからな。秘密を知る者は1人でも少ない方が良い。それにこういう話しにしておくと、事を進めるときにフワリに一応辻褄の合った説明ができる」
「それはそうかもね。パミラウの話やガウガの財宝の話は、一応それで説明がつきそうだから。パミラウは群島丸ごとの国家のような組織だったし、ガウガの頭を頂点にした王国。まさにパミラウ王朝だったというのは本当のことだから・・・」
「ただ王国の収入源の1つがパミガーラの海賊行為だったというだけのことだ。そして、表のパミラウは滅び、裏のパミガーラだけが生き残った」ベントはエリの目を見ていった。
「ベント、本当にパミラウを蘇らせる気?」
「まさか!」ベントは小さく両手を広げた。「目的は金だ。残された俺達が生きていくためには金が必要だ。充分な金があればみんなまた這い上がれる。繁栄の光の中へな」
「でも財宝が本当にあるなんて話、初耳だよ」
「頭がたくさん財宝を隠しているという噂はずっとあった。何代も昔から海賊を続けていて、美味しい物件もたくさん襲っているようだしな。調べるのにはずいぶん手間取ったが、ようやく鍵のありかにたどり着いたというわけだ」
「そうだったんだ。でも、娘の体内に隠すなんて頭も酷い事するね」
「頭のことだ。そんなこと何とも思っちゃいないさ」
「そうかもね。でもそれより、その手術をやってくれる超一流の医師って、本当に大丈夫なの?」
「・・・・・・」ベントは天井を見上げた。
「その財宝って、どのくらいあるの?」エリは慌てて次の質問をした。
「小さな国が買えるくらいだ」はっきりとした口調でベントは答えた。
「そんなに・・・」エリの目は大きく見開かれた。
「残された仲間のために是非とも手に入れたいだろう?エリ」ベントはエリの目を覗き込みながらそう言った。そして不敵な笑みを浮かべて付け加えた「たとえフワリの命と引き換えになったとしてもな・・・。」
 エリは言葉を返せない。
「さて、王女様ともう少し面談をさせてもらおうかな」ベントはボウズの後を追って部屋を出て行った。
 エリはそのままの姿勢でベッドの上に留まっていた。
 彼女の顔からは血の気が引いていた。

 午後の大気はいっそう蒸し暑さを増していた。

2016.09.05 更改
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

新世界から Scene2 (1)

Stella/s月刊ステルラ10・11月合併号 投稿作品

Eri (エリ) 前編

 今日の客は気前が良かった。中年の、少し頭の薄い、小太りのその男は、相場の2倍以上を気前よく払ってくれた。それなりの節度も持ち合わせていたし、ある程度礼儀正しかった。あまり上手とは言えなかったが、エリにもちゃんと配慮してくれた。お金をもらっている以上、エリに文句の言える筋合いはなかったのだが、それでも一応の達成感は得ることができた。
 セックスを終えたエリは仰向けになって天井を見つめている。天井では髑髏模様のしみが、いつものように憂鬱なメロディーを口ずさんでいる。男はエリの横で俯せになって眠っている。規則正しく聞こえる寝息がそれを証明する。男は眠っているのだ。
 確信を得た彼女は顔を男の方に向け、男の首筋にそっと手を当てた。指先に心臓の鼓動が伝わってくる。彼女はそこがナイフでカットされる様子を思い浮かべた。入念に研磨された愛用の長いナイフを使って、昔よくやったように・・・。
 命乞いをする男共や女達の首筋、その頸動脈の上にナイフを当ててゆったりと微笑みながら、頭(かしら)の指示を待つ。動脈を流れる真っ赤な血液の脈動がナイフから伝わってくる。それはまだ生きていることを激しく主張している。頭の右手が上がった。一瞬のためらいもなくエリの右手が動く。小さく笛のような音が鳴って、血潮が吹き上がる。偉そうに頭の横に立っていたベントの顔が恐怖に歪む。ボウズが顔を背ける。臆病者、エリの口から嘲りの言葉が漏れた。
 エリは“血まみれエリ”と呼ばれていたが、どの位置に立ってどのようにカットすれば血しぶきを浴びないですむかを熟知していた。通り名の様に血まみれになったのは最初のうちだけだ。
 ナイフを一瞬で動かして首筋を切り裂く、この感覚が蘇るのは何年ぶりだろう。もう完全に忘れてしまったと思っていたのに・・・。ヒュッ・・・エリは口の中でそう音を発しながら右手の人差し指を横に動かした。
「なんだ・・・?」俯せになっていた男が寝ぼけた声を出した。
「ううん、何でも無い。良い子だから寝てなさい」そう言ってやると、疲れ果てた男はまた寝息を立て始めた。無防備な奴、エリは起き上がりベッドから出ると衣服を身につけた。そして男の寝息を聞きながら音を立てないように部屋を出た。廊下には誰も居ない。
 エリは階段を降りてホールに出た。ホールにも誰も居ない。いや、そんなはずはない。エリはカウンターを覗き込む。そして発見する。今の自分がもっとも大切に思う“物”を。
 それはカウンターの奥、外からは見えにくい位置につり下げられたハンモックの中に収まっていた。エリは横手のドアからカウンターに入ると、ハンモックに近づき中を覗き込んだ。憑かれたように妖気を発していた顔は一気に穏やかになる。長い間それを見つめてからエリは言葉を発した。
「フワリ?」
 その発音は、柔らかさや軽やかさを表すその言葉の本来の発音と同じだった。「フワリ?」エリはもう一度同じ発音で呼びかける。
 フワリの瞼がゆっくりと開いた。
「フワリ?」エリは三度同じ発音で呼びかける。
 フワリの藍色の瞳がエリを認めたようだ。微かに唇が動く。「エリ、もう部屋で寝てもかまわない?」
 エリは顔を左右に振った。「まだ駄目、お客がいるわ。だから少しの間話をしてもいい?」
「眠いよ」フワリは甘えた声を出した。
 これまでフワリがそんな声を出したことはなかったのでエリは少し驚いた。「少しだけ我慢して私の話を聞いて、お願いだから」強い調子で言い聞かせる。
「わかった」フワリは両手で目をこすりながら頷いた。
 ホールに誰もいないことをもう一度確認するとエリは話し始めた。「フワリは今日ベントから何を言われたの?詳しく聞かせて」
 フワリはエリの目を覗き込んだまま黙っていたが、やがて抑揚の無い話し方で答えた。「なるべく早く手術を受けてほしいと言われた」
「なるべく早くって、いつ?」
「それはオウとしての義務だ。オウは大きな義務を果たさなくてはならない、それもなるべく早く。それは運命なので逃げることはできない」フワリはまるで録音を再生するように話した。
「逃げたらどうなるって?」
「重い罰を受けることになる」
「それは殺されるってこと?」エリはたたみかけたが、フワリは否定しない。
「義務を果たせば大きな権力を与えられる」フワリは録音の再生を続ける。
「そんなもの・・・犬にでもくれてやれ」
「夢のような贅沢な暮らしができる」
「くそ食らえだ」エリの言葉は激しくなった。
「あたしはそんなものはいらない。でも来週の金曜日に迎えに来る」
「来週の金曜日」エリは頭の中で日を数えた。「十日後だ」なんとかなるだろうか。
「お腹をちょっと切るだけの簡単な手術だし、ベテランの医者だから安心していい、と言った」
「あの出まかせ野郎!」エリはほぞをかんだ。「フワリ、良く聞いて。私はあなたをベントに渡さないことに決めた。かまわない?」エリの頭脳は回転を速める。
 フワリは長い間じっとエリを見つめてから頷いた。
「明日からそのための準備を始める。どうするかはまた説明する。それまではどこへも行かないでここで待っていて。いい?」一気に説明するとエリはフワリの顔を覗きこむ。
 フワリは黙ったまま頷いた。
「ひとでなしめ」エリは悪態をついたが、自分がもっとひとでなしだったことはフワリの前では忘れてしまっていた。

 間もなく夜が明けようとしている。一寝入りした男は、目を覚ますと逃げるように引き揚げて行った。彼の首筋はまだ切り裂かれてはいなかったが、気になるのか首筋に手を当てながら部屋を出て行った。彼が目覚める前からエリがずっと出していた妖気が彼をそのような気持ちにさせたのだろう。
 ベッドに横になったまま男を見送ったエリはそのまま手を伸ばし、ベッド脇のテーブルの一番下の引き出しを開けて奥から何かを取り出した。そしてそれを手首の陰に隠し持ったまま、ユーティリティへ入って行った。狭いユーティリティには、シャワーと手洗い、便器、そしてビデが詰め込まれていたが、エリはそのうちのビデに腰掛けた。そして正面の壁にある鏡を覗きこんだ。
 そこに居るのは昨日の朝まで鏡の中に居た自分ではなかった。それはとっくの昔に失われてしまったと思っていた自分だった。ゆったりと微笑みながら頭(かしら)の指示を待つ、あの時の自分だ。「あいつのせいだ・・・」エリは手首の陰に隠し持っていた物を器用に持ち替えると斜めに動かした。シャワーカーテンが斜めに切り裂かれパックリと口を開ける。エリが隠し持っていたのはナイフだった。それは長い時間をかけて入念に研磨され、冷たい輝きを放っている。エリはそっと刃に指を当てて、チリチリとしたその感覚を確認する。そしてナイフを口元にやり、その刃にそっと舌を触れさせる。わずかでも動かせば血が流れるだろう。その冷たい感触を使って、エリは気持ちを元の位置へと押し戻そうとした。昨日、あの男たちがやってくる前の状態にまで・・・。
 エリは大きく長くため息をついた。

2015.10.08
2015.10.10 微妙な修正
2015.11.06 微妙な修正
2016.09.05 更改
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

新世界から Scene2 (2)

Stella/s月刊ステルラ10・11月合併号 投稿作品

Eri(エリ) 後編

 エレベーターの無い古い建物の5階にその部屋はあった。エレベーターが無いのは逃走の時間を稼ぐために違いない、エリはそんなことを考えながら4階層分の階段を登った。大理石で装飾されたその階段は、かろうじて重厚な雰囲気を保っていたが、それももう限界のようだ。あらゆる部分が擦り切れ、歪み、くすんでいた。
 5階に辿りつくとインターホンを押して用件を告げ、深くかぶっていた帽子を取って監視カメラの洗礼を受ける。ややあってガチャリ・・・と鍵の開く音が重々しく響いた。ドアを開けるときに異様な質量を感じる。一見普通に見えるドアだが、中身は頑丈な鋼鉄製なのだろう。中はオフィスになっていて、応接セットの向こうに大きなデスク、その奥には天井にまで達する大きな窓、その向こうにはだだっ広い公園が拡がっている。この街では最も大きな公園だが、手入れがされていないせいで雑然とした雰囲気だ。大きなデスクではほっそりとした男が暇そうに爪を研いでいた。
「久しぶりね。グジ」エリは威圧するように声を出した。
「お久しぶりです。ねえさん」グジと呼ばれたほっそりした男が顔を上げた。右目の下には長い傷があって、そのせいで左右の目の大きさが異なっている。その大きさの異なる目からは微かな警戒の色が見て取れる。歳はエリよりも少し若いはずだが、本人の申告だから全く当てにはならない。実際、エリよりも年上に見える。
「電話で話したことはちゃんと伝わっているのかしら?」エリも油断なく男を見据えたまま続ける。エリはずっと苦労を共にしてきたこの男を信用している。だがそれは他人と比べてということだ。エリにとって、何事にも100パーセントはない。グジはテーブルをまわってソファーに腰掛けるとエリにもソファーを勧めた。
「ええ、ねえさん。ちゃんと伝わっていますよ。ですがね。ねえさんはいつも無理難題を吹っかける。それも相当手の込んだやつを・・・」エリが腰掛けるのを待ってグジは言った。少し顔をしかめたので右目はいっそう細くなり、鼻の上に皺が寄った。
「難しいの?」エリは感情を押し殺した声で質問を返す。
「おっしゃる条件だと、まずねえさんの分は無理です。ねえさんは顔が割れているし、顔を変えるにしてもご要望の期限には間に合わない。つまらない変装じゃ、全てがぶちこわしになる。あいつらは人物を見分けるプロですからね。その点は保証しますよ」
「じゃぁ、仕事は受けられないということ?だったら・・・」(こんなところまで呼び出すな!)エリは抗議の声をあげた。
 グジは右手でそれを制すと、諭すように言った。「ブツを誰にもばれないように精巧に作る。しかも締め切りが異様に短い。行き先の指定もある。これだけのことでも、これがどれだけ面倒な、そして大変なことなのかわかるでしょう?」グジは薄笑いを浮かべた。
「私が無理なら子供だけでもいい。金なら出すわ、いくらになるの?」
 グジは目安となる金額を言った。「これから増えることはあっても減る事はありません。そして最終的に申し上げる金額からびた一文まかりません。それでご不満なら他所へいってください。引き受けるところがあればのことですがね」グジは薄笑いを浮かべたまま言った。
「ひとでなしめ」エリはこのところ悪態ばかりついている。
 エリの一言を受けてグジは薄笑いを収めた。「ただし1人分じゃありません。2人分です。ねえさんの依頼、親方は受けないとは言ってません。ただ条件的に要望に応じられない部分もあるし、困難な作業のコストに見合う報酬を求めているだけです。極めて妥当な値段だと思いますよ?ねえさん」
「どういうこと?」エリは質問した。
「子供1人での移動に際しては、もちろん正規のサービスを利用しますが、万が一を考えて、乗務員のサポートが得られるよう手をまわします。もちろんそれも込みになっています」
「むう・・・」エリは言葉を飲み込んだ。
「それに」グジはエリの顔を覗きこんだ。「子供を移動させるだけでは、残ったねえさんの立場が非常にやばくなりますよね?」
「わかってる!だから一緒に・・・」
「それは先ほど言った理由で不可能です」グジは言葉を被せる。
「何かいい提案は有るの?」エリはたたみかける。
「ねえさんを安全な場所に匿い、顔を変え、あらためて出国させます。海外に出てしまえば奴らの影響力は非常に限定的な物になりますし、万が一追手がかかっても“血まみれエリ”はもう見つからない」
「それはそうだけど、でも顔を変えるとなると大事ね」
「そうです。 大事になります。あらかじめ言っておきますが、ねえさんには全くの別人になってもらいます。顔も名前も国籍もこちらで選定した人物になりますから、子供と同じ国に行ける可能性は低いと思います。もう会えることは無いかもしれません。もっとも、会っても誰だか分からないでしょうけれど。先ほど言った料金はそこまでを含んだ物だということをお分かりいただけますか?」
 エリは黙り込んだ。グジもそのままの姿勢で黙って待っている。
 エリはグジに向けた顔を笑顔に変えた。「そんなに整形外科にツテがあるんだったら、フワリからチップを取り出せるんじゃないかしら?」エリは柔らかいその本来の発音で実名をあげた。
「それについては考慮に入れて、色々と調べてみましたが・・・」グジは努めて冷静な様子で言った。「まずはっきりしていることは、ベント達にはフワリを生かしておくつもりは全く無いと言うことです」彼は“フワリ”を硬い音で発音した。「フワリはガウガの娘です。つまり、彼らはこの先ガウガの影響力を残すつもりは全く無いんです。だから、我々が高度な医療設備をもった病院と腕の良い医者を紹介することができても、彼等にとってそれは全く余計なお世話だ、ということです。つまり、彼等はフワリの体内に埋め込まれたチップを必要としていますが、フワリには全く興味が無いんです。それどころか彼等にとってフワリは邪魔な存在です。簡単に言えば消えてほしいんです」
「酷い奴らだ。ま、他人の事は言えないんだけど・・・」
「そしてねえさんも同じだと考えている」
「私はそんなふうには考えてない」
「でもねえさんはパミガーラの“血まみれエリ”だ。当然、そう考えていると奴らは思っている」
「そうでないと生き残れなかっただけだ。私は変わったのよ」
「誰もそのことに気が付いていない。そこが彼らの唯一の、そして致命的な誤算です。それにフワリの検査結果を調べてみましたが、チップは取り出すのがかなり難しい位置に納まっています。成長に伴って微妙な位置に入り込んだんでしょうが、取り出すには全身麻酔を含め、かなり高度な医療設備と技術が必要です。そんな設備と技術を持った医療機関は国と繋がっていてとても接触できません。危険すぎます。チップ自体は命にかかわることはありませんから、そのまま放って置くのが懸命です。いかがですか?我々の提案に従う以外、手がないと思いますが・・・」
 エリはまた黙り込んだ。グジもそのままの姿勢で黙って待っている。

 エリは無意識に右手首の陰に隠し持ったナイフを想像する。それは長い時間をかけて入念に研磨され、冷たい輝きを放っている。右手をあげて自分の首筋にナイフを当てる。わずかでも動かせば血が吹き出すだろう。暫くためらってからエリはナイフを滑らせた。小さく笛のような音が鳴った気がした。

 やがてエリは静かに喋りはじめた。「覚悟はしていたつもりだったんだけど。思っていたよりずっときつかった」エリは唇を噛む。「ショックね。でもフワリに道があるなら、先に進ませるべきかな」
「ねえさん」グジは呆れたような顔で言った。
 さらに長い時間を沈黙が支配した。エリは軽く曲げた右手の人差し指を唇に当て、俯き加減で再び黙り込んだ。両目は薄く開いていたが、それは現実世界を見ているのではなかった。視線は遙かな未来や遙かな過去、あるいはどちらにも属さない非現実の世界を彷徨い、それらの世界を行き来した。
「分かった。その条件を受け入れる。フワリの人生を終わらせるわけにはいかないもの」エリは顔を上げた。


2015.11.06
2015.11.13微調整
2016.09.04微調整
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

新世界から Scene3・Habitat

Habitat

 眼下は一面の雲だった。
 性質の異なる空気の境界面がそこにあるのだろう。
 柔らかそうで優しげなその境界は、真下は真っ白、地平線に近づくにつれて灰色味を増しながら、目視できる範囲の彼方まで拡がっている。
 その遙か下は海面のはずだが、雲は隙間無く広がっていて見えることは無い。

 42式高速偵察機は、その高速に特化されたスマートなシルエットを雲の表面に投影しながら、巡航速度で飛行を続けている。
 涙滴型のナセルに覆われた2機の二重星形エンジンは軽快な音を響かせて自らが順調であることを示唆し、それと同時に最高出力までの余裕を感じさせている。
 すべては順調だ。
 ズイキは進行方向に向けていた目を、一瞬オドメーターとプレッシャーゲージにやってから、再び進行方向に戻した。

 終戦協定は二ヶ月前に締結され、長く続いた大戦はようやく終結を迎えた。
 戦勝国となったイルマは、自国周辺での支配を確定的にするため、西域での軍の撤収を優先的に進めようとしていた。西域の軍備を解いて東域に再配備することによって、軍備の集約と軍事費の削減を図ったのだ。戦勝国同士の諍いで本国の国境線にきな臭い煙が上がり始め、遠く離れた地域に軍備を裂いている余裕は無くなっていた。
 そんな状況の中でズイキに与えられた任務は、この機体を西域の最前線基地から同盟国にある拠点基地まで撤収させることだった。
 この高速偵察機は名前の通り他に類を見ないほど高速で、敵機はおろか友軍の戦闘機でもこれに追いつける機体は存在しない。航続距離も充分で、機体やエンジンも非常に安定している。普通に考えればたやすい任務と言えるだろう。
 だがそれはすべてが順調に推移した場合のことだ。トラブルの発生や、未知の敵の存在は完全には否定できない。まだ世界は終戦の混乱の中にあるのだ。
 西域戦線でのエース級パイロットであったズイキがこの回航の任務に選ばれたのは、司令部がこの最新鋭の機体を失いたくないという思いでいることを物語っていた。

 ズイキの目が左側を向いたまま固定された。
 遠方の雲の中に何かを見つけたのだ。
 ぼんやりと現れた黒い影は徐々に大きくなり、形もはっきりし始めた。
『戦闘機か?』ズイキはスロットルを少し引いて機速を上げた。
 やがてそれは雲の中から姿を現した。やはり戦闘機だ。機体後部にプロペラを持つ単発機でライトブルーに塗装されている。見たことのない機種だったが、敵機に分類されるマークを付けている。識別信号は発していない。
 並行に飛行していて、今のところ敵意は無さそうだ。
 ズイキはフルスロットルに入れた。
 振り切れると予想していたのだが、相手も速度を上げ2機の間隔は徐々に詰まってくる。
『付いてこれるのか?』ズイキは諦めて巡航速度まで速度を落とした。いくら航続距離に余裕があるとはいえ、出来れば余計な燃料は使いたくなかったし、いまだに対象に攻撃の意図は感じられなかったからだ。
 機体はいよいよ接近し、パイロットの姿が見えるようになった。
 パイロットは顔の横に手を上げ、指で形を作った。無線機の出力を最低にしろと言っているようだ。
 ズイキは了解の合図を送って、出力を最低にして無線機のスイッチを入れた。
 ザ・・・ノイズに混じって声が入ってくる。
「ファーキンだな?」女の声だ。
「何故わかる?」ズイキは自分のコードネームを呼ばれて驚いた。
「お前たちの暗号を解読するのにそんなに時間は必要ない。それに戦勝に浮かれて弛んでいるからな。行動はすべて筒抜けだ」
 ズイキの顔は苦笑いになった。確かに軍規は緩んでいるように感じていたのだ。
 機体は更に接近する。そしてお互いの主翼に僅か30センチほどの隙間を空けただけの編隊飛行になった。巡航速度でこの間隔を保ったままの飛行を続けられるテクニックは、このパイロットがただ者ではないことを示している。
「オッドアイか?」ズイキは確信を持って訊く。西域戦線での敵側エースパイロットのコードネームだ。
「ふふ・・・何故わかる?」相手は同じ言葉で返してくる。
「どうしてだろう?」ズイキは自分に問いかけるように答えた。
「もう乗らないのか?」オッドアイが突然訊いてきた。
「戦闘機にか?」
「そうだ。その機体は速いが、自由には飛べない」
「戦争は終わった。潮時だろう?」
「飛びたいとは思わないのか?」
「飛びたいとは思うが、人殺しはもう止めようと思う」
「人には3つ必要なものがある。なんだかわかるか?」オッドアイは唐突に話を変えた。
「さあね・・・」
「居場所と役割そして死に場所だ・・・」
「なんだそれ」ズイキは苦笑を漏らした。
「お前はこの戦争で居場所と役割を得ていた」
 確かにそうだった。ズイキは空軍に居場所を得、エースパイロットとしての役割を担った。
「後は死に場所を探していればそれでよかったのだ」
 そうだったのかもしれない。ズイキは思った。
「だが戦争が終わった今、お前はすべてを失った・・・」
「オッドアイ、それはお互い様じゃないのか?」ズイキが問いかける。
「そうだな。だが私にとってはまだ戦争は終わっていなかった。だから私は今日ここでお前と一戦交えるつもりだった。そうすればここがどちらかの死に場所になる」
「勘弁願いたいな」
「心配するな。お前がその機体を操縦していた時点で作戦は放棄された。そして私もすべてを失ったのだ」
「お互いにその3つの必要なものとやらを探さなければならなくなったというわけか?」
「そうだ、だが私はまだ自由に飛ぶことをあきらめたわけではない。そしてファーキン、お前と戦うことも・・・」
「そう思うことは勝手だが、アタシはアタシのやり方でやる。自由に飛べなくても良い、人殺しはもうごめんだ」
「そうかな?」オッドアイはそう言葉を発した瞬間、機体をロールさせて反転し、背面飛行でコックピットを対面させた。惚れ惚れする動きだった。まるで妖精みたいに・・・。
 真上、1メートル程の距離を置いてキャノピー越しにオッドアイの顔がある。
 彼女はバイザーを上げた。バイザーの下からは、サファイアのような青い左目と、ルビーのような真紅の右目が現れた。雪のように白い顔には、まだ少女のようなあどけなさが残っている。僅かに覗いた髪はパールホワイトだ。
『本当にオッドアイなんだ』ズイキはイメージと全く異なる顔に一瞬たじろいだ。高度が下がりオッドアイの顔が遠ざかる。
「顔を見せろ」オッドアイが要求する。
 ファーキンもバイザーをあげて機体の間隔を戻す。
 暫くの間対面飛行が続く。
「その顔は永遠に忘れないぞ」オッドアイは背面のまま機体を上昇させると大きくロールさせ、そのままズイキの側方をダイブした。
「また会おう」
 たちまち機体は雲の中に消えた。


2019.02.12

追記と解説へ続く(読んでね!)
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新世界から Scene4・Zuiki(ズイキ)

Zuiki(ズイキ)

 翼の後方に有る3つの巨大な二重反転プロペラは高速で回転しているため、その姿を視認することはできない。この機体には6機の四重星型28気筒エンジンが付いているが、少なくともそのうちの3機は問題なく動作しているようだ。反対側の窓から覗くことができれば、残りの3機も確認できるはずだが、さすがにそこまでは実行できない。
 ズイキは乗客として飛行機に乗る場合、多くの時間をエンジンを監視することに費やす。今回のフライトでも、ズイキはエンジンを監視するために翼後方の窓際席を希望したが、あてがわれたのはアッパーデッキに設けられたファーストクラスの窓側席だった。ファーストクラスに乗せてもらえることはありがたかったが、席は翼よりかなり前方だったので、首をいっぱいに曲げて窓の外に見えるエンジンを監視しなければならなかった。
 ズイキは信頼する整備士によって整備され、自分自身で点検し、自分自身が操縦する機体以外は基本的に信用しない。監視することで問題が解決するとはもちろん思っていないが、それはズイキにとって習慣というよりも止めるに止められない伝統的な儀式のようなものだった。
 窓の外をじっと見ていたズイキは目線を前方に戻し、フッと溜息を洩らした。
 首の位置で綺麗に切り揃えられた髪は、卵型の頭に添って緩やかに曲線を描いている。基本的に髪の色は黒だったが、部分的に銀髪が混じっていて、その容姿に独特のアクセントを加えている。そして引き結ばれた大きめの口や、長くて少し上がった細い眉、それに合わせた様な切れ長の目、黒い瞳、小さめの鼻はそれぞれが彼女が持っている頑固さを端的に表している。たとえば初対面の人が彼女と口をきくのを躊躇してしまう。そんな面立ちだ。だが、さっきそっと溜息を洩らした瞬間の表情は、強固な装甲の僅かな隙間から漏れ出た彼女の穏やかな一面のように思われた。
 ファーストクラスには余裕があり、ズイキの隣も空席だった。彼女は通路側の席に移ると今度は通路の前方へ目をやった。ファーストクラスの座席は左右に2席づつ振り分けられ、中央が通路になっている。通路の先はアンダーデッキへの階段、その先はコックピットで、そのドアは大きく開け放たれている。ドアの中では操縦士と副操縦士が何か会話を交わしているのが見え、その手前には航空機関士の背中も見えている。
「カンザキ様」スチュワーデスが声をかけてきた。ズイキはコックピットを眺めるのを止めて顔を上げる。
「あと15分ほどで着陸態勢に入ります。なにか御用はございませんか?」
「遅れはどれくらい?」クロノグラフに目をやりながらズイキは質問した。
「申し訳ございません。予定より1時間遅れています。シンキョウ時間で15時20分の到着予定です」
「問題無い。後は特にないよ。ありがとう」ズイキは少しの笑みを見せる。
「失礼ですが・・・」スチュワーデスは一瞬言いよどんだ。
 ん?という感じでズイキは顔を上げる。
「カンザキ様はパイロットでいらっしゃいますね?」
「そうだけど、何か?」
「戦争中に新聞で何度かお見かけしたことがあったので・・・」
「人殺しとして?」ズイキは皮肉を含んだ笑みで見上げる。
「いえ・・・そんな」スチュワーデスは言葉を失う。「お気を悪くされたのならお詫びします。申し訳ありませんでした」
「いや、謝る必要は無いよ。本当のことだ。殺せば殺すほど有名になった。多分アタシが女だったから余計にだろうね。変に突っかかって申し訳ない」
「どんでもございません。こちらこそ失礼いたしました」スチュワーデスは通路を移動していった。
 エンジンの音が少し小さくなった。高度を下げ始めるのだろう。ズイキは窓の外を確認してから背もたれに頭を戻し、静かに目を閉じた。

 空港は到着する飛行機でごった返していた。ズイキの乗った飛行機は1時間遅れで着陸したものの誘導路で待機させられ、タラップが接続されるまでに遅れはさらに20分ほど広がった。乗客たちはドアが開くと同時に慌ただしく通路を進み始めた。ズイキはオーバーヘッドビンがら小さなスーツケースを降ろすと隣の席に置き、乗客たちの様子をシートに座ったままぼんやりと眺めていた。
 乗客たちがほぼ降りて行ってしまうと、前方からさっきのスチュワーデスが通路を進んできた。彼女はズイキを見て少し微笑んでからもう少し進み、やや後方の席で立ち止まった。ズイキは何となく気になってそちらに顔を向けた。
「お待たせしました」スチュワーデスは席の主に声をかけた。「さあ、降りましょうか。お迎えがお待ちですよ」
 シートの主はシートの陰になって見えなかったが、やがてスチュワーデスに促されて姿を現した。
 中学生くらいかな?ズイキにとってそれくらいの歳に見える背の高い少女だった。真っ黒な髪をハーフアップにして上の方で小さなリボンで留めている。髪は腰まで届いていて緩やかにウェーブしている。ずっと下を向いていたので表情は分からなかったが、肌の色はやや濃いめだ。飾りの少ない明るいグレーのワンピースは地味な印象を与えたが、それなりに似合っている。暫く小声で会話をかわしてから、彼女はスチュワーデスに促されて通路を進んできた。
 ズイキは少女をずっと見ていたので、彼女がふと顔を上げた瞬間目が合うことになった。大きな目と深い湖を思わせる藍色の瞳が印象的だ。ズイキはその瞳に吸い込まれるような感覚に襲われ動きを止めた。少女はそのまま前方へ歩き、アンダーデッキへの階段を下りて行った。
 ズイキは暫くの間そのままの姿勢で座っていたが、やがてゆっくりと立ち上がると降りる準備を始めた。

 入国審査は一瞬で終了した。軍人専用のブースが設けられていて、そこで軍人用の緑のパスポートを見せると、審査官はろくに顔も見ずにスタンプを押した。ズイキは予備役扱いになっていたが、書類上では軍人として扱われる。そしてその効力は絶大だった。
 入国審査を終えてバッゲッジクレームに着くと、もうすでに荷物が回り始めていた。大小さまざまなスーツケースや梱包された段ボールなどがコンベアー上を移動していく。先に降りた乗客たちはコンベアーの周りに集まり、各々の荷物が出てくるのを待っている。ズイキはコンベアをざっと見渡して自分のスーツケースを探した。ファーストクラスの荷物は真っ先に降ろされるはずだからだ。スーツケースはすぐに見つかったが、ズイキの居る場所とは反対側を回っている。ズイキはそれを目で追いながら、その視線の向こうにさっき少女が立っているのに気が付いた。ユニホーム姿の女性と並んで荷物を待っている。さっきのスチュワーデスとは違っているから、航空会社の地上スタッフと交代したのだろう。女性は笑顔で話しかけているが、少女はほとんど何の反応も示していない。
 ズイキは少女の様子を気にしながら、回ってきた自分のスーツケースを取り上げ足元に降ろした。ほぼ同時にユニホーム姿の女性もスーツケースをコンベアから下ろし、少女を伴って税関審査場の方へ歩き始めた。それに合わせたわけではなかったがズイキも2人の後を追った。
 税関審査場では一旦スーツケースを開けさせられたが、パスポートを見せた瞬間から審査官の態度が変わった。やはり軍人用のパスポートは効果てき面だ。
「けっこうです。どうぞお通りください」審査官は自らスーツケースを閉じるとにこやかに応対した。
 隣のレーンで審査を受けていた少女も特に問題はなかったようで、ズイキとほぼ同時に審査を終え並んで到着口のゲートをくぐった。少女が真横に並ぶと背の高さが際立つ。ズイキが小柄なこともあるのだが、少女の方が数センチは上回っている。細身の体はその身長を余計に高く見せ、腰まで届く黒髪が、律動的な足取りに合わせてリズミカルに揺れる。ズイキはそれを何となく良しとせず、ロープで区切られた通路のロープよりに進路を変え、歩く速度を落とした。
 少女はそのままの速度で進んでいき、やがて通路の向こうを曲がっていった。
「どこへ行くんだろう?」姿が見えなくなると、行き先を確かめてみたいという強い衝動に駆られたが、あまりにもバカげた行為に思え、それは断念した。どうしてこんなに彼女の事が気になるのか、ズイキにはまったく理解できなかった。
「カンザキさん!」声に驚いて顔を上げるとフラッシュが光った。
「シンキョウ新聞のウチヤマです」何度か見かけたことのある記者が隣にカメラマンを従えて立っている。またフラッシュが光る。ズイキは目を守るために右手をかざしながら言った。「カメラはやめて」
「すみません。オイ」ウチヤマと名乗った記者は隣のカメラマンに声をかけた。カメラマンは素直にカメラを下ろしたが、すでに目的は達したということなのだろう。
「軍を離れられるんですか?」
「どこでそんな話を?」ズイキはかざしていた右手を下ろした。
「情報源は明かせませんが、確かな筋からの情報です」
「今は何も話せない」
「否定しないということですね?」
「・・・」ズイキは無言で答える。
「大戦は終わったとはいえ、すでに国境紛争が始まっています。今の段階でエースの1人を失うことは空軍にとっても相当な痛手だと思いますが?」
「話すことはないって!それにアタシなんかに切り込んでも、得るものは何も無いよ」
「そうでもないんですよ。カンザキさん。あなたはアギナミ空戦のただ一人の生存者ですからね。しかも女性だ。それだけで空軍のアイドルと言ってもいい」
「アイドル?」ズイキの声は怒りを含む。
「すみません。言い方が悪かったかな?言い方を変えれば、空軍にとってあなたはエースパイロットであると同時に、大切なコマーシャルガールなんです。だから話題性は充分ありますよ」
「コマーシャルガール?」ズイキは思わずウチヤマを凝視した。
「あ?コマーシャルレディーの方が良かったですか?」ウチヤマはズイキの顔を覗きこんだ。小ばかにしたような表情が読み取れる。そしてズイキの顔の変化を確認してから続けた。「いずれにしろ、あなたは国家や軍のプロパガンダにとっては最適の媒体なんです」
 ズイキの感情は一瞬動きを止めたが「なんでもいいけど、もうそんな役回りはごめんだ」ついそんな台詞が口を突いた。
「ということは退役したということでよろしいんですね?退役の理由は何ですか?待遇ですか?アイドル扱いが嫌になったとか?」
「何も話せないと言ったろ!」ズイキは叩きつけるように言った。
「自分がプロパガンダに利用されることに我慢が出来なくなったんですか?」
「黙れ!」ズイキの声は大きくなり、周りに居た人々がこちらを向いた。
「ただ一人生き残ったことに負い目を感じていますか?」
「もうアタシにかまうな!」ズイキはウチヤマにクルリと背中を向けると歩き始めた。
「あ!退役に当たって何かコメントを!」ウチヤマは背中に向かって質問を投げかけたが、後は追ってこなかった。
 ズイキは背中を向けたまま歩調を速めた。


2016.09.07
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

新世界から

scriviamo!

BLUE HOLE

 大佐はズイキの敬礼に丁寧に応じてからおもむろに口を開いた。「君に来てもらったのは他でもない」
 司令部の執務室は午後の日差しで満たされ静まり返っている。大佐のよく通る声だけが辺りの空気を振るわせる。「軍へ復帰してもらいたい」
 ズイキは少し目を見開いて薄い唇をきつく結んだ。
「どうだ?君は退役したつもりでいるようだが、実際のところ君はまだ軍籍を持っている。その気になれば予備役からの手続きは簡単だし、復帰前後の面倒ごともすべてこちらで的確に処理する」大佐は机の上にあったファイルを手にとった。「君の戦歴は素晴らしいものだ。当然ながらそれに相応しいポジションも用意する」
 大佐は一拍を空けてからさらにたたみかけた。「再び操縦桿を握って大空を駆け回ってみたいとは思わないか?少尉」
 その瞬間奇妙な浮遊感がズイキを襲ったが、それをなんとか堪えて彼女は眉の間に皺を寄せた。「私は予備役です。もう少尉ではありません」
「硬いことは言うな。復帰すれば君にはもっと上のポジションが与えられる」
「私が除隊を申し出たとき、軍医の診断書を提出したにもかかわらず、除隊は認められませんでした。傷痍軍人ではなく予備役として軍に籍を残す。それが軍務を離れられる唯一の選択肢でした」
「その判断は賢明だったと我々は考えている」大佐は視線を窓の外に向けた。
「ただ、復帰には私と担当医の同意が必須という条件が付いていたはずです」
「愚かな妥協をしたものだが、担当医からは同意をもらっている」
「圧力をかけたんですか?」ズイキは気色ばんだ。
「そんなことはない。担当医とは十二分に話し合った。君は軍務に耐えられる程に回復している。君さえ決断してくれればすぐにでも軍は君を厚遇・・・」
「お断りします」ズイキは大佐の言葉を遮り、ピシリと敬礼をきめると扉に向かって決然と歩き始めた。
「オッドアイが戦線に戻っている」大佐がズイキの背中に向かって言葉を発した。
 ズイキの足が止まる。
「奴が?どうやって?」オッドアイが所属していた軍は敗戦で解体されたはずだ。ズイキは思わず大尉に顔を向けた。
「大勢のパイロットが奴の犠牲になっている。生存者の中には君の目撃情報と同じオッドアイを見たと報告する者が何人かいる。どうやら外国人部隊として参戦しているようだが、我が軍の損害は甚大で、パイロットが抱く恐怖も大きい」
『居場所を見つけたという訳か』ズイキは小さく呟いた。
「わざわざコックピットを相対させて己の特徴を見せつけているのは西域戦線でエースを張り合った君に対する挑発ではないのか?」
「失礼します」ズイキはもう一度大尉に敬礼を決めると、今度は立ち止まらずに執務室を出た。

 飛行艇が右旋回を始めると間もなくコパイロット側の海上にブルーホールが見える。太古の時代に作られた鍾乳洞が陥没し、そこに海面の上昇によって海水が浸入した地形だ。青々とした浅い海の中に更に深い青色の丸い穴がポッカリと開いていて、まさにブルーホール、言い得て妙なネーミングだ。
 風が弱い場合、飛行艇はこのブルーホールを右手に見ながら旋回を終え、着水態勢に入る。飛行艇は最適の機首角度と降下率になるようにエンジンの推力を増減し、最終進入速度を保持したまま着水域まで真っ直ぐ進入する。高度を下げる機体の下を白い環礁が通過し、前方に真っ青なラグーンが広がる。
 機体が着水する直前、機体の下に伸びたセンサーが海面の接近を知らせるパイロットランプが点灯した。「センサー接水」ズイキが声を上げる。
「降りるぞ」ゲン爺の合図で機体は旅客機らしくスムーズに着水した。不安定さなど微塵も感じさせない。
『見事なものだ』コパイロット席でズイキは感嘆の息を漏らした。
 キャビンクルーが到着の案内を始める。ゲン爺は一旦絞ったエンジンの出力を上げて機体の方向を変え、そのまま真っ直ぐにラグーンの中を進み、ゆっくりと桟橋に横付けした。桟橋で待機していた数人の作業員が近づいてきて係留の用意が始まった。
「エンジン停止」ズイキは4つ有るエンジンを次々と停止した。
 飛行艇は週に2回イルマの首都シンキョウとこのパミラウ諸島の間を往復する。往路はシンキョウから3カ所の諸島の主要都市を経由してこのパミラウ諸島の首都パミラウへ向かい、復路はその逆を辿る。
 大戦前、パミラウ諸島を含む周辺の群島は独立した国家ではなくなり、イルマ国の統治領になった。まだリゾートとしての開発は途についたばかりで利用客は採算ラインを満たすにはほど遠かったが、イルマはパミラウが自国の領土であることを世界にアピールするためにもこの航空路を維持する必要があった。
 ズイキは乗客やクルーたちがタラップを降りたのを確認しシャットダウンを終えると、雑務の残るゲン爺を残して機体を出た。
 常夏の太陽はまだ高い。あたりにはクッキリとした透明な風景が広がっていて、潮の香りを含んだ穏やかな風は椰子の葉を微かに揺らせている。いつものようにラグーンの海面は穏やかだ。
『静かだ・・・』ズイキはタラップを降りながら南国の空気を吸い込み、風景に目をやる。
 桟橋の向こう、椰子の木の陰に“あいつ”の姿が見えた。
 ズイキは挨拶のために手を上げようとした。
「カンザキさん!」その時、聞き覚えのある声が自分を呼んだ。
「軍への復帰は決められましたか?」振り返るとシンキョウ新聞のウチヤマが立っている。シンキョウ空港でも声をかけられたことがあるが、悪い印象しか持てない男だ。
「どうしてアタシにつきまとう?」足を止めてしまったことを後悔しながらズイキは訊いた。
「この前、あなたがアイドルだからだと申し上げたはずですが」ウチヤマはズイキの顔を覗きこんだ。小ばかにしたような表情を作ってズイキの反応を待っているのだ。
「もういい!」ズイキは歩き始めようとした。
「オッドアイの話はお聞きになりましたか?」ウチヤマがたたみかける。
 ズイキの足が止まった。
「お聞きになっているようですね」ウチヤマはしてやったりの顔をした。
 ズイキは無言だったが既知であることはすでに態度に出てしまっている。
「どうやらオッドアイは外国人部隊に所属して東域戦線に参加しているようです」ウチヤマはズイキに近づいた。
「確かなのか?」ズイキは諦めて質問した。
「興味は持たれますか?」ウチヤマはズイキの反応を吟味するように言った。
「戦闘機乗りの末路に興味があるだけだ。あんたと同じようにな」ズイキは皮肉を込めた。
「そりゃぁ、興味はありますが、私はもっと他のことを追いかけています。例えばこの無益な戦争が兵士たちにもたらす精神的な影響とか・・・」
「なら、もっと他の誰かを当たるんだな」
「まぁ、そう無下にしないでくださいよ。オッドアイの情報はお話しますから」
 ズイキはしかたがない、という風に溜息をついた。
「セシル・ディ・エーデルワイス・エリザベート・フォン・フォアエスターライヒ、それが彼女の名前です。あ、まずオッドアイが女性であることからお話ししなくてはいけませんか?」
「女だとは認識している。でも、セシル・ディ・エーデルワイス・・・って長いな」
「エリザベート・フォン・フォアエスターライヒ。フォンが付いていることからわかるように彼女は貴族で、フォアエスターライヒ大公の娘ではないかといわれています」
「フォアエスターライヒ大公ってフォアエスターライヒ公国の?」
「ええ」
「王女様なのか?」
「王国ではなくて公国ですのでちょっと違いますが、まぁそのようなものです」
「そんな奴がなぜ戦闘機に乗っている」
「国の上に立つ者は国を守る任務に一度は就くという国是がきっかけのようです。公国は強力な国防軍を持っていましたが、彼女はそこでパイロットとして希有な才能を開花させ、大戦に参戦するとたちまち頭角を現したようです。そして西域でエースとして戦ううちにあなたの噂が耳に入ったのでしょう」
「オッドアイと直接戦ったことはない」
「しかし終戦直後、あなたはオッドアイと邂逅していますね?その時のあなたの報告によるとオッドアイはあなたを相当意識しているようだ」
「なぜそのことを知っている。どこからそんな情報を・・・」
「蛇の道は蛇です」ウチヤマは唇の端をつり上げた。
「それで?」ズイキは先を促した。
「ベクレラ軍筋の情報からもオッドアイが東域戦線に参戦しているのは間違いないと思います。それに、イルマ側にもあなたが西域で目撃されたのと同じように、オッドアイの目撃情報が複数あります。相手を反撃できないまで弱らせてから、わざわざギリギリまで接近して自分がオッドアイであることを見せつけるそうです」
 ズイキは西域の空でのアクロバチックな編隊飛行を思い出していた。オッドアイはわざわざゴーグルを外して自分の顔を見せた。
 ウチヤマは話を続ける。「まるであなたを誘っているようだ・・・だからあなたに白羽の矢が立ったのではないかと・・・」
「ただの想像だろう?」
「軍の動きを丹念に追っていればそういう流れは自然と見えてきます。イルマ軍の損害は甚大で、恐怖で戦意を喪失するパイロットも多いようです。私も対抗措置としては理にかなっていると思います」
「買いかぶりすぎだ・・・戦争は国家という巨大組織どうしの争いだ。アタシ1人でどうにか出来るものじゃないし、オッドアイの影響も限定的なものだ」
「だが、軍としては面白くないでしょうな」
「アタシには関係の無いことだ」ズイキはウチヤマから目を離して歩き始めた。
「では、復帰は無いと?」ウチヤマは食い下がろうとしたがやがて足を止めた。
 ズイキは無視して桟橋を進んでいく。
 桟橋を降りたところにいつものように“あいつ”が立っている。
 “あいつ”はズイキより少し背が高く、やせっぽちの、やや濃い目の肌を持った13歳の少女だ。明るい生成りのワンピースを着て、腰まで届く漆黒の髪を首の後ろでシンプルに束ねている。そして足元には黒い塊、パラパラを連れていた。パラパラはゲン爺の飼い猫で、真っ黒な体と金色の目が特徴だ。もう15年は生きている年老いた雄猫だが、もうすでに化け始めているのか毛並みは艶やかだ。気まぐれで、自分本位にしか行動しない老猫がなぜ彼女に付いてきているのかはわからなかったが、いかにも退屈そうに大きく口を開けて欠伸をした。
 ズイキが近づいてゆくと彼女は大きな眼で見下ろした。その虹彩はまるであのブルーホールのような深い青だ。
「ただいま」ズイキは声を掛けた。
 あいつはゆっくりと微笑んだが、そのままズイキの背中越しに焦点を合わせて固まった。
 ズイキが振り返る。
 ウチヤマが手に持った小型カメラのシャッターを切る瞬間だった。

2021.01.19
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

新世界から Scene5

scriviamo!

 ギギ~~、ブレーキの軋む音でズイキは目を覚ました。
 運転席の前方では乗用車が方向を変えようとしている。
 小さな古めかしい路面電車は、自動車の1メートルほど手前でようやく停止した。
『車が割り込んだのか』ズイキは線路を出ようと慌ててハンドルを回すドライバーの顔を眺めていたが、やがて車が背を向けて加速を始めると視線を前に戻した。
 ズイキがシンキョウに到着してもう1週間が過ぎようとしている。呼びつけておいて1週間もほったらかしとは腹が立ったが、ようやく受け入れの用意が整ったとかで呼び出しを受けたのだ。
 電車は、再びスピードを上げ始める。古いモーターの唸りと、ゆったりとした揺れ、線路から伝わってくる2軸車特有のジョイント音とそれに合わせた振動が、ズイキを再び眠りの世界へと誘う。『いけない』ズイキは両の手で頬を軽くたたいて睡魔を追い払った。
 電車が車輪と線路が擦れあう金属音を響かせながら、交差点の急なカーブを曲がると、前方に優雅なデザインの尖塔を持つ建物が見え始めた。建物の屋上には大きな看板が掲げられ、そこが目的地である事を告げている。
 電車はアヒルのようにお尻を揺らしながら建物の前にある停留所に滑り込み、圧縮空気の音を響かせながらドアを開けた。
 高いステップを降りたズイキは、改めて自分が乗ってきた車両に目をやった。一両だけのレトロで小さなボディーはカラフルな広告で埋め尽くされているが、それはそれで妙に似合っている。
 電車はズイキを降ろし終えるとやれやれという風にドアを閉め、合図の鐘を2つ鳴らしてゆっくりと走り始めた。ズイキは暫くの間モーターの唸りを響かせて走り去る電車を眺めていたが、やがて目的の建物に向かって横断歩道を渡った。
 建物の入口は一昔前に流行した意匠で纏められている。今となっては時代に取り残された古い建物だが、スッキリとしたデザインの現代建築には見られない趣がある。ズイキは一瞬それに惹かれた様子だったが、意識を戻して建物の中に入った。

 入口を入った先は吹き抜けのロビーになっている。
 ここもすべてがレトロな雰囲気の空間で、たくさん置かれたソファーやテーブルもやはり時代を感じさせる古いものだ。
 ズイキはホールの奥にインフォメーションらしきカウンターを見つけ、そこに近づいた。
 誰もいない。
 ズイキはカウンターにポツンと置かれたボタンを押した。
 どこかでベルのなる音が聞こえ、やがてカウンターの奥にあったドアが開いた。
 中から現れたのは中年の女性で「何か御用?」と億劫そうに声を出した。
「南域開発株式会社空輸事業部のオフィスはどちらですか?」ズイキは尋ねた。
「南域開発ぅ?空輸?ああ、サザン・リンクのことかな?それならそこを2階へ上って右、プレートが目印よ」彼女はぞんざいに階段を指さした。
「ありがとう」ズイキは指示されたとおり階段を上った。上った先の廊下には幾つかのドアがあり、それぞれに社名を記したプレートが掲げられていたが、そのどれもがいかにも国家公務員の天下り先のようなニュアンスの名称だった。廊下は静かで、それらのドアの奥で活発に業務が行われている気配は薄い。
 ゆっくりと廊下を進んだズイキは、その中にサザン・リンクのドアを確認した。他のドアに掲げられているのと同じプレートには「南域開発株式会社空輸事業部」とゴシック体で書かれているが、そのすぐ下に手書きで「サザン・リンク」と書かれた紙切れが貼り付けられている。
 ズイキはそのドアをノックした。
 応答は無い。
 何度かノックを繰り返した後、ズイキはドアを開けた。
 そこは机と椅子が数脚と簡単な応接セット置かれているだけの小さなオフィスで、そこに人の気配はまったく無かった。
「あの・・・」背後から声を掛けられズイキは驚いて振り返った。そこにはさっきカウンターにいた女性が立っていて「ここには誰もいないよ」と申し訳なさそうに言った。
「だったらさっきそう・・・」ズイキは思わず出そうになったセリフを飲み込んで続けた。「どなたか連絡は取れないですか?今日ここに来るように連絡を受けたんですが?」
「たぶんこのビルの裏手にある建物にいると思う。1階に降りて裏手に回ってみて。大きな緑色のやつ」女性はそれだけを言うとオフィスを出て行った。もう階段を下る音がする。ズイキは彼女の後を追って階段を下りた。
 すでに彼女はカウンターに戻っていたが、裏口の方向を顎で示すとカウンターの奥のドアに消えた。ズイキは示された通りロビーを横切り裏口を出た。
 裏口の先は全面がコンクリートで舗装された大きな広場になっていて、その向こうには大きな建物が建っていた。モスグリーンで塗装されたその建物は、細い鉄の骨組みに薄い金属のパネルを貼っただけの簡単な構造で、ぬっぺりとした大きな壁面の真ん中に人一人がくぐれる位の入り口がポツンと設けられている。ズイキはその建物に向かってゆっくりと歩き、その小さな入り口から建物の中に入った。
 そこは大きな格納庫で、中には大型の飛行艇がただ一機翼を休めていた。艇体上部に支柱を立てて主翼を支持する、いわゆるパラソル翼の飛行艇だ。機体は格納庫正面一杯に設けられた大きな開口部を向いていて、その先はなだらかなスロープを経て海面に達している。
『こんなに海が近かったのか』ズイキはあらためて潮の香りを意識した。
 ズイキはしばらくの間穏やかな海面を眺めていたが、やがて飛行艇に目を戻した。見上げる位置に高アスペクト比の細長い翼が横たわっている。
「ん・・・?」ズイキは思わず声を発した。飛行艇の機首に回り込み、後ろ向きに歩きながら機体を離れる。翼にはエンジンが4機装備されていて、その第3と第4エンジンの間に誰かが座っている。
 やせっぽちの少女だった。肌の色はやや濃いめで、長い漆黒の髪が吹き抜ける海からの風に不規則に揺れている。明るいグレーのワンピースを身に付け、ほっそりとした裸足の長い足を翼の前縁に投げ出して海の方を眺めている。あの少女だ。同じ飛行機に乗っていたあの少女に違いない。どこへ行くのか妙に気になったのだが、ここへ向かっていたのだ。ズイキが声を掛けようと息を吸い込んだとき「フワリ」突然後ろから男の声がした。「そこに座るのはやめなさい。落ちたらどうするんだ。それに翼の上には色々な装置が付いている。それを君が踏んづけると面倒なことになる」
 少女は男の方に顔を向ける。
「そのままゆっくりと後ろに下がって、登ったところから慎重に降りてきなさい」男は諭すように続けた。
 少女はいわれたとおりゆっくりと後ずさりしてから立ち上がりお尻を払ってからタラップの方に向かった。
 ズイキと男はその様子を見守る。
「エンジンはシリウス8型・・・だ。見ての通り4発搭載している」少女がタラップを下り、もう大丈夫と判断したのか男が声を出した。
「空冷星型複列14気筒ですね?」ズイキはエンジンを見上げたまま尋ねた。
「その通り」
「39式飛行艇と聞いていますが?」
「いや、民生用だからA208型飛行艇だ。基本的に同じ機体なんだがな」男が答えた。
 ズイキは顔を下ろし男の方を向いた。
「カンザキだね?ゲン・イノウエだ。ようこそ。サザン・リンクへ」初老の男がそこに立っていた。「長く待たせて悪かったな。だがほんとうによく来てくれた」
「呼んでいただいてありがとうございます」ズイキは無愛想に応えたが。すぐに「イノウエさん」と付け加えた。
「みんなにはゲン爺と呼ばれている」男は笑みを浮かべた。
「ゲン爺ですか?ではそれで・・・アタシのことはズイキと・・・」
「では、ズイキ、君の名声はもちろん聞き及んでいるが、飛行艇の経験もあったというのは驚きだったよ」
「キャリアのスタートがこの39式飛行艇でした。飛行艇部隊が縮小されるときに戦闘機の方に移ったんです」
「そっちが性に合ったというわけだな」
「そういうことかもしれませんが、39式でもそれなりの経験は積んでいます」
「飛行艇の腕前もかなりのものだと聞いている」
「大佐から・・・ですか?」ズイキの声が硬くなった。
「まぁ・・・な」ゲン爺は少し答えにくそうに言った。
『大佐め・・・』ズイキは歯がみをした。
「サザン・リンクはシンキョウと南域を結ぶために作られた航空会社だ。南域諸島とシンキョウは週2便の航空便で結ばれているが、そのうちの1便は国営のイルマ南域航空が運航に当たっている。残りのもう1便がサザン・リンクの担当なんだが、現在は運休中というのが実情だ」
「運休中?」
「そうだ、航空路が国営独占ではまずいと思ったのか、民間企業としてサザン・リンクが参入することになったんだが・・・とは言ってもサザン・リンクも国の息がかかっている会社なんだがな・・・機材はこれ一機、搭乗員も足りないという状態でまったく運航できていない」ゲン爺は飛行艇を見上げた。
「それで私を?」
「優秀なパイロットだからと強い推薦だったものでね。通常このクラスの機体は、5人で運航されるんだが、ここでは正副操縦士と航空機関士の3人体制での運行になる」
「3人?無茶だ」ズイキは目を見開いた。大型機でそんな運行体制は聞いたことがない。
「民間業者は色々と大変なんだ。それに一昔前とは違ってアビオニクスを始め、あらゆる分野で自動化が進んでいる。充分やれるさ」
「いいのか?それで・・・」ズイキは驚いたが強く反論はしなかった。それどころか言葉とは裏腹にかえって興味をそそられたほどだ。効率よく仕事をこなし、自動操縦を上手く使えばなんとかなりそうだ。ズイキは操作手順をシミュレートしようとしたが、すぐそばに気配を感じてそれを中断した。
 さっきの少女がゲン爺の傍に立っていた。黙ったままズイキを見つめている。彼女はズイキより数センチ背が高いので少し見下される形になる。やはり大きな目と深い湖を思わせる藍色の瞳が印象的だ。ズイキは再びその瞳に吸い込まれるような感覚に襲われた。
「紹介しておこう。この子はフワリ。今のところフワリ・イノウエ、ワシの孫ということになっている」
「今のところ?なっている?」
「色々と複雑な事情があってワシが孫として引き取ったんだ。そして次の便でパミラウへ連れて行く予定だ。この子の手続きを優先的に進める必要があって、君の招へいが1週間も遅くなってしまったんだ。申し訳ない」
「いえ、それはもういいんです」ズイキはこの件については追求しないことにした。
「フワリ、こっちはカンザキ・ズイキ、この飛行艇の操縦士だ」
「よろしく。フワリ。ズイキって呼んでくれればいい」ズイキはなるべく優しく見えるように顔を緩めたが、恐らくいつものようにぎこちない表情になっているはずだ。
「できれば・・・」ゲン爺が控えめに口を開いた。「フワリを呼ぶときは“フワリ”と発音してやってくれないか」ゲン爺は“フワリ”を柔らかさや軽やかさを表すその言葉の本来の発音で発声した。
 ズイキの発音は解剖を表すよく似た別の言葉の発音のように抑揚を欠いた硬い物だったのだが「フワリ・・・フワリ」何度か発音を試してから言い直した。「よろしく。フワリ。アタシのことはズイキって呼んでくれればいい」
 本来の発音で呼ばれた彼女は「こんにちは、ズイキ」表情を変えずにそう言うと右手を差し出した。小さいがよく通る澄んだ声だ。
 ズイキは少女の右手を軽く握りながらゲン爺に向かって訊いた。「ところで、航空機関士の人選は終わっているんですか?」
「ああ、ほぼ終わっている。今コックピットにいるんだ。紹介しよう」ゲン爺は先に歩き始めた。
 ズイキはゲン爺に続いて避難梯子のような簡易なタラップを登った。機内では歌声が聞こえている。最近巷で流行っている歌だが、オリジナルよりもノリがいい。デッキの左手がコックピットで、開け放たれたドアの奥には無人の操縦席が2つ並んで見えている。歌声は操縦席の次位に設けられた航空機関士の席から聞こえてくるようだ。ゲン爺に続いてコックピットに入ると、機関士席に誰かが座っている。ヘッドホンを付け、操作パネルに両肘をついて手の平にあごを乗せ、膝を小刻みに震わせている。ショートカットの赤い髪の・・・どうやら航空機関士は女性のようだ。ゲン爺はヘッドホンのヘッドバンドをつかむとそれをグイと引っ張り上げた。
「あ?」女は振り向いて「ゲン爺!」と声を上げた。ヘッドホンからはカチャカチャと伴奏が聞こえている。
「どうだ。使えそうか?」ゲン爺が訊いた。
「なんとかなりそう。昔、乗っていたのは双発機だったからちょっと慣れが必要だけど、大丈夫。なんとかする」女は平然と答え「で、そちらは?」とズイキの方へ顔を向けた。
「この飛行艇の副操縦士、カンザキ・ズイキだ」ゲン爺が簡潔に告げた。
「カンザキ?ズイキ?」女はあらためてズイキの顔を観察した。「カンザキって、まさかあのファーキン?じゃないよね?そうだよね・・・そんなはずないよね?」
 ゲン爺は「そのまさか、さ」と答えた。
 女の目と口は大きく開かれた。そしてそのまま固まってしまった。
「ズイキ、こっちは航空機関士のダイアナ、ダイアナ・リンドだ」見かねてゲン爺が女を紹介した。
「よろしく。ズイキって呼んでくれればいい」ズイキは右手を差し出した。
「・・・」ダイアナはまだ目を白黒させている。
「ダイアナ・・・でいいかな?」
 ダイアナは小刻みに頷いて「もちろん」と言った。「でも、ファーキンがなぜこんな所に・・・?」
「“こんな所”で悪かったな」ゲン爺は眉間にしわを寄せる。
「だって、あのファーキンでしょ。エースパイロットの。あのファーキンが飛行艇に乗るなんて・・・」
「人殺しはもうやめたんだ・・・」吐き捨てるようにズイキが言う。
「人殺し・・・だなんて・・・ファーキンはそんなんじゃぁ・・・」ダイアナは食い下がる。
「ズイキでいいじゃないか」ゲン爺がたしなめるように言った。
「え?」ダイアナが我に返る。
「もうそれくらいにしておいてやれ。ズイキでいいじゃないか」ゲン爺は繰り返す。
「そう?」ダイアナはゲン爺とズイキの顔を交互に見つめた。そして最後にフワリの顔も・・・。フワリは相変わらず表情を変えずにダイアナを見つめ返した。
「そう、そういうことね」得心はしていない様子だったがダイアナは一応頷いた。そしてようやく笑顔を浮かべてズイキと握手を交わした。「じゃぁズイキと呼ばせてもらうね。ズイキ、こちらこそよろしく」
「ということで、ついにここに新チームの結成が成ったというわけだ」ゲン爺が宣言した。
「この飛行艇の運行チームのこと?」ダイアナが確認する。
「そうだ」
「じゃぁ、本採用ということ?」
「そうだな。勤務態度に多少の問題はあるが」ゲン爺はヘッドホンに目をやった。
「いやいやいやいや、それはですね・・・」ダイアナは慌ててヘッドホンを取り上げ、体の後ろに隠した。
「ライセンスと腕のほうに問題はなさそうだ。メンバーとの親和性もなんとかなりそうだしな」
「やった~」ダイアナはゲン爺に抱きついた。
「おいおい・・・」ゲン爺は事も無げにそれを受け流した。
「そうそう」ダイアナはゲン爺の肩越しに覗き込みながら付け加えた。「もちろんフワリもメンバーだよね?」当然“フワリ”は柔らかさや軽やかさを表すその言葉の本来の発音で発声された。
「常に一緒に乗務するわけにはいかないが、ま、見習いとして採用だな」
「じゃぁ、今夜はお祝いだお祝い!都合の悪い奴はいないよね?」ダイアナは3人の顔を順番に確認してから「店を予約しなくちゃぁ」と機関士席から勢いよく立ち上がった。

2022.02.27
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
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