Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

太陽風シンドローム

Stella/s 月刊・Stella ステルラ 3月号参加作品

Solar wind syndrome

「アロー、アロー、どなたかこの通信を聞いてらっしゃいますか?」
 その声は突然俺のモニタリングコンソールに飛び込んできた。
 宇宙貨物船フォーチュン・アンナのブリッジでワッチをしていた俺は、その脳天気な声に慌てふためいた。そして目の前のパネルを忙しなく叩く。
 緊急チャンネルじゃない。「チッ、サウンド・オンリーか……」それは通常通信だった。
 相棒のダイクは仮眠中だったが何事が起こったのかと目を覚した。
「ダイク!妙な通信が入っている。発信源を特定してくれ」
「わかった」
 俺はダイクの了解の返事っを待ってから、ヘッドセットを付けてマイクのスイッチを入れた。
「こちら宇宙貨物船フォーチュン・アンナ、聞こえています。何か援助を求めていますか?」恐る恐る俺は尋ねた。
「アロー?やっと返事が来た。いいえ、そういうわけではないの。何もする事が無いものだから、呼びかけていただけなの」
 やはり女の声だ。俺は思わずダイクと顔を見合わせて目配せをした。
「今、本船はステーション104へ向けて航路PZ7637を航行中。自動操縦だから暫くはお相手できますよ」久しぶりの女に俺の声は少しうわずった。
「そうなの?よかった。でも嬉しいな。これまでずいぶんと呼びかけていたんだけど初めてなの。応答があったのは」
「そうですね。ここは辺境ですからね。PZ7637なんて4桁航路を航行する奴なんか滅多にいないですよ」
「じゃぁ、あなたはどうしてそこを航行しているの?」
 クッ、痛いところを突いて来やがる。でも俺は女を見つけて調子に乗っていたし、なんとなく大丈夫なような気がして答えた。「いろいろあってね。まぁ、あまり臨検を受けて時間を無駄にしたくないって、そういうことかな」
「そう、何を積んでいるのかしら?」
「それには答えられないな。あまり詮索が過ぎるようなら通信を切りますよ」
「あ、待って!それはダメ。話題を変えるわ。あなた、お名前は?」
「俺ですか?俺はアマノ・ユウサク、ユウサクでいいですよ」
「じゃぁユーサク、あなたは今退屈?」女が小首を傾げる仕草が脳裏に浮かぶ。
「そうだな。もうトゥーランティックを出発して4ヶ月にもなるから。そりゃぁ、退屈だな」
「退屈ってどんな感じ?」女は頬杖をついているような雰囲気だ。俺は質問に違和感を感じながら答えた。
「そうだなぁ。俺達の船の操縦はコンピュータが担当していてオレ達は手を出す必要は無い。何もする必要が無いというのは良いんだが、何もする必要が無いと無性に何かをしたくなる。それが退屈ということなんだろうな。反対に何かする必要が有ると、何もしたくなくなる」
「そうなんだ」女に納得した様子はないが、俺は構わずに続ける。
「今度は俺の番だ。きみの名前は?」俺も頬杖をついて優しく尋ねる。隣の席ではダイクの奴がパネルを操作しながらニヤリとする。
「わたし?わたしはセシル」
「じゃ、セシル?きみは今、退屈かい?」
「そういう意味なら、わたしは今退屈しているわ。だってする事が無いんですもの。目覚めてから眠るまでジッとしているだけよ」
「セシル、きみは今どこにいるんだい?」
 俺は核心に触れるとマイクを一旦切り「発信源は?」とダイクの方を向いた。
「まだ特定中だ。微弱な電波なんで追跡が難しい。ちょっと待ってくれ」ダイクがコンソールを覗きながら答えを返してくる。
「ここ?表現できないわ。何も無い所よ。する事も無いの」セシルが答える。
 俺はマイクのスイッチを入れて尋ねる「他に誰かいるのか?」
「誰もいないわ。わたし1人」(どういうことだ?)俺達は顔を見合わせた。
 ダイクが手で合図し、俺はマイクを切る。
「特定できた。発信源はエリア72セクション1243、表示する」ダイクはそう言いながら位置を3次元モニターに表示した。
 俺は「そこには準惑星があったな?」と訊いた。
「ああ、ATN362がある」
 ふむ、俺は軽く頷くとマイクのスイッチを入れた。
「セシル、1人だと寂しくないのかい?」試しにそう聞いてみる。
「寂しいって、どんな気持ちかしら?」
「そこには誰もいないんだろ?誰もきみの話を聞いてくれないし、誰もきみに話しかけてくれない。人間というものはそういうことに長時間耐えることは出来ないと思うんだ。どう?」
「どうかしら?わたしは耐えられないような状態になったことはないわ。仕方が無いことだもの、目覚めればジッと刺激を待ち、そして眠るの。ただそれだけよ」
「でもきみはジッと待たずに話しかけてきた。自分からだ。そうだね?」
「そうね」
「それは寂しかったからじゃないのか?ただ退屈しているだけなら他にもする事はあったろう?」
「わたしが話しかける気になった。そういう状態を寂しいと言うのなら、わたしは寂しかったのかしら」
「ATN362には何か有るのか?」俺はマイクを切ってダイクに訊いた。
「何も無いな。ただ、以前はビーコンが置かれていたという記録がある。現在は閉鎖され破棄されているようだがな。そのビーコンのデータを上げる」
 モニターにはデータが表示された。


●準惑星ATN362ビーコン局(廃止)
・SS94年準惑星ATN362をステーションとして利用する事を前提に有人基地として設置.試作機ではあったが新鋭の人工知能CEC12000を配備.
・同97年利用計画が凍結されたため無人化.緊急シェルター及びビーコン局として設備を転用.
・同100年103ステーション建設のため利用計画は頓挫.緊急シェルターとしての登録を抹消.
・同110年ビーコン局としての運用を終了.設備は廃棄.


「CEC、Cecile……それか……」俺は思わず呟いた。
「廃棄されたのならシャットダウンされているはずだ、なぜ起動している?」ダイクは納得できない様子だ。
「そんなこと分るもんか。なんかの事情で生きているんだ」
 俺はマイクのスイッチを入れる。
「セシル……」
「何かしら?ユーサク」
「やっぱり、きみは寂しかったんだよ」
「あなたがそう言うならそうだったのかもね。でも意識してなかったわ」
「意識する必要は無い。セシル、きみは今までのままで良いんだ」
「そう?わかったわ。あなたがそう言うのならそうする」俺はニッコリと笑うセシルの顔を想像した。
「ユーサク?」
「なんだ?セシル」
「電圧が下がってきたわ。ここはこれから暫くは太陽の光が差さなくなるの」
 ダイクが合図した。俺はマイクを切る。
「ビーコンは間もなく夜の面に入る。この星は公転と自転の関係で一旦夜に入ると10年程は夜が続く。多分CEC12000はビーコンの太陽電池だけで動作している。原子力電池はもう尽きているからな」
「じゃ、セシルは10年間呼び続けて、最後の瞬間に俺が電波を捕らえたのか?」
「そういうことになるのかもしれない」
 俺はマイクのスイッチを入れる。
「セシル。きみはこれからどうなる?」
「電圧が下がったら、わたしは自動的に休止モードに入るの。そして電圧が上がるまで眠り続けるの」
「今度目覚めるまで、きみは俺のことを憶えていてくれるのかな?」
「わたしのメモリーは優秀よ。絶対に忘れたりしない」
「俺も絶対にきみのことを忘れない。今度目覚めた時にまた会えると良いな」
「わたしもそれを願っているわ」セシルが甘い声で囁いた後、少し間が開いた。
 そして「いよいよ電圧が下がってきたわ。そろそろお休みを言わないと……」と声を冷静に戻して告げる。
「セシル、良い眠りを」
「ありがとうユーサク、あなたも良い人生を……お休みなさい」
「お休み、セシル」
「…………」通信は宇宙の果てしない闇の中に沈んでいった。

2014.02.24
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

深海少女

Stella/s 月刊ステルラ4月号 投稿作品

 厚さ14センチのメタクリル樹脂製の小さな丸い窓。その向こうには深海の闇が拡がっている。潜水艇はその能力の限界付近までまで潜航していて、ここに太陽の光が到達することは無い。その果てしない真の闇の中で、私は潜水艇のスポットライトに照らし出される僅かな視野を凝視していた。
 30分前、予定の探索を済ませて浮上の準備を始めようとした私が、微かな海水の成分と温度の揺らぎに気づいたのがきっかけだった。その確認の為にスラスターで少しずつ移動していくうちに、海中の熱水噴出孔の一種であるブラックスモーカーを見つけたのだ。真っ黒な熱水を吹き上げるその異様な姿に私は驚いたが、同乗する研究員の女性が簡単に説明してくれた。
 鉱物を大量に含んだ熱水は、海底から吹き出して低温の海水と接触すると、生成物が析出・沈殿し煙突のような構造物を形成する。
 黒色の硫化物の微細結晶を多量に含む熱水を吹き出す噴出孔は、その色からブラックスモーカーと呼ばれ、それの存在はすなわち周りに大量の希少鉱物が存在する事を示している。2人の研究員は驚喜し、艇長とコパイロットである私に様々な指示を出した。潜水艇はそのチムニーに寄り添うように接近して、各種の観測を行い、様々なサンプルを採取した。
 そして潜水可能時間の終了間際になって、私はスポットライトの照らし出す視界の隅にたくさんの白い物がうごめくのを見つけたのだ。
 それは先端に紅色の花を付けた白い筒状の物の大群だった。一見植物にも見える。後ろにしゃがみ込んで私と一緒に窓を覗いていた研究員の女性が「これはチューブワームというのよ。これでも動物なの。このブラックスモーカーから吹き出す熱水に含まれる硫黄分をエネルギー源とするバクテリアを体内に共生させて生きているらしいわ」と教えてくれた。
 私は頷いたが視線の先にはさらに興味深い物がうごめいている。
 真っ白な蟹だ。それもかなりの数が群れを成している。私はマニピュレーターを操作してその1匹を捕獲しようとした。
 彼は危険を感じたのか、大きな1対の鋏と脚をきちんとたたみ込む。するとその体は美しく磨き込まれた正楕円形の真っ白な珠に擬態する。それがこの光の無い世界でどのような意味を持つのか分らなかったが、私はマニピュレーターを一旦引き上げ、観察用のHDカメラを向けてズームアップする。
 刺激が去ると、やがて彼はゆっくりと鋏を突き出し、脚を拡げて元の体勢に戻った。「きっとここにだけ存在する新種の蟹よ。目は退化して痕跡も無いわ。口の周りやお腹には細かい毛がたくさん生えているようね。多分そこにバクテリアをたくさん飼っているんだわ。そして口の動きで水流を作って、バクテリアが作り出す有機物を食べているのよ。主食はチューブワームかもしれないけど」モニターを見つめながら研究員の女性が解説してくれた。

「仕事が落ち着いたらまた学生時代みたいにルームシェアしないか?」親友にはそう誘われている。だが、自分の希望通りの仕事に就き、意気揚々と勤め始めている彼女とは違って、まったく畑違いの職場に放り込まれ、ミスを連発していた私は正直そんな気にはなれなかった。だって、そうでしょう?無理だよ、そんなの……。
 私が学生時代ルームシェアしていた彼女は、その外観や男のようなしゃべり方も特異だったが、性格はなお特異だった。私は最初に出会ったときから彼女に惹かれる気持ちを持ったが、他人との関わりを完全に避けるような彼女の態度に近寄りがたい物を感じ、遠くからそっと眺めるだけで満足していた。だが、その生活が3ヶ月ほど続いた後、私は彼女に惹かれる気持ちをどうしても押さえられなくなった。
 彼女とは専攻するコースが違っていたが、一般教養では同じ教室になることが多かった。教室で近くに座ることから始めて徐々に近づき、ついに隣に座ることが出来た時は飛び上がるほど嬉しかった。反面、彼女の体臭までも感じようとする自分が少しおかしくなったのではないかと心配もした。
 口から飛び出しそうな心臓を押さえながら、始めて掛けた言葉が『おはよう』だったことは、今でもはっきりと憶えている。そして彼女はものすごく驚いた顔を暫くこちらに向けてから、ぎこちなく『おはよう』と言葉を返してくれたのだ。それをきっかけに彼女との距離は縮まった。
 並んで話すようになってはっきりと感じたのだが、彼女は優秀だったし努力家だった。自分も結構努力家だとは思っていたが、彼女にはかなわなかった。私はそんな彼女になんとなく気づいていて、それが彼女に対する憧れになり、さらに友達になりたいと言う気持ちに繋がったのだと自分では分析した。それは偽りのない気持ちだったが、それ以上の感情があったのか私には分らなかった。
 それは必然の成り行きだったのか、やがて私と彼女はルームシェアを始め、それによって経済的負担はかなり楽になった。でもそんなことより彼女の傍に居れる事や、彼女の家庭の事や本音を聞けることの方が嬉しかった。そして自分の事情や本音を彼女に話すことも多くなった。

 彼女はエンジニアを目指していて、実家の有る町の小さな航空会社で職に付いた。
 彼女の実家の有る最北の町は天然ガスの開発景気に沸いていて、整備士の需要が結構有ったらしい。彼女の父親もヘリコプターのパイロットだということだった。「彼のコネもあって何とか潜り込めたよ」彼女はそう言って謙遜したが、私は彼女はそれなりに実力を認められて採用されたと思っていた。
 何がしたいのか明確な目標が持てず、受ける傍から全て不採用になり、就職活動も滞りがちになっていた私は、エンジニアになれて嬉しそうに見える彼女に、劣等感や嫉妬、さらには怒りの様な感情を抱いてしまうことを押さえられなくなっていった。私は望んではいなかったが、彼女との間に少しずつ壁を作り始めていた。
 私に面接の案内が届いたのはそんな時だった。それは海洋開発会社の面接案内で、応募した記憶が無かった私は不思議に思ったが、せっかく訪れたチャンスを無にする気は起きなかった。それに会社の所在地が彼女の実家のある町だった事、それが私の背中を強く押した。壁を感じながらも私は彼女との距離を拡げたくなかったのかもしれない。
 面接会場には男が2人並んで待っていて次々と質問を投げかけてきた。分野の違いのある質問も多く、私は何度か窮地に陥ってから、ついに疑問を口にした。
「私を何に採用されようとしているのですか?」そう、採用職種すら知らなかったのだ。
「見習いだ」右側に座っていた厳つい男が、私の履歴書を横に放り出しながら答えた。そして「良いんじゃないのか?こいつ、良い匂いがするぞ」と左側の細い男の方を向いた。
「そうかな?まぁ大きさも丁度良さそうだしね。どうせ1からだし、たしかに良い匂いだよ」細い男が答えた。
『おおきさ?それになんで臭いの話なのかな?ちゃんとお風呂にも入って清潔にしているのに……』などと鼻をヒクヒクさせているうちに採用が決まり、私は選ぶ余裕もなくそこに採用された。そして混乱の毎日が始まったのだ。
 採用されたのはなんと潜水艇のコ・パイロット見習いで、なんの覚悟もできないまま国家試験を受けさせられたり、潜航させられたりした。艇長(面接で左側にいた男だった)が一番心配していた閉所恐怖症の症状こそ出なかったが、このスパルタ式順応訓練に私は音を上げそうになった。
 そんな混乱の中、私は適当な理由を付けて彼女と別々の生活を始めた。自信喪失状態の自分を彼女に見られたくないというのがその理由だったが、彼女に対して劣等感や嫉妬、さらには怒りの様な感情を抱く自分を見たくないという気持ちも大きかった。
 彼女の誘いに返事をしないまま、数か月が過ぎようとしていた。

 今日は暫くぶりの深海への潜航で、潜水艇はその能力の限界付近までまで潜航している。私にとってその深度は初めての経験だったが、少しは潜ることに慣れてきたのか周りの物を観察する余裕がある。私は懸命に有機物を捕食する白い蟹を見つめていた。
『このチムニーが噴出しなくなったらどうなるんだろう……?何を好き好んでこんな真っ暗な海の底に居るんだろう?』
 2つ疑問は口に出ていたようで研究員の彼女が答えてくれた。「チムニーの噴出が止まると彼らはゆっくりと死んでゆくのよ。それがここに暮らす者の運命なのね。でも彼らはここで生きている間に子孫を残すわ。ここで孵化するものもいるでしょうけど流れ出すものもたくさんいるの。そしてまたどこかのチムニーの脇に定着するのかもしれない。みんな与えられた環境で生きていこうと足掻いているのね」
 私は忙しなく口を動かすこの白い蟹が愛おしくなった。
「よし潜水時間はいっぱいだ。浮上しよう」艇長の声が響いた。
「了解」私が声を張る。
「ブロー深度まで浮上する」艇長が唇の端を少し上げて私の方を見た。
「ブロー深度まで浮上」
「バラスト1番投下!」
「バラスト1番投下!」艇長の指示に私が復唱して操作する。
 投下されたバラストが海底に落下し粉塵が巻き上がる。
 潜水艇はゆっくりと浮上のプロセスに入って人間世界への帰路に着いた。
 浮上したら彼女とルームシェアの話を進めよう。
 私はそう思い始めていた。

2014.03.11
2014.03.12 校正

追記があります。


テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

ダイヤモンド・ダスト

ククッ……クスクス……

 オレはスリープカプセルの中で目を覚ました。このカプセルは本来コールドスリープに用いるもので、通常の睡眠に用いる物ではない。しかしこの狭い船内では余計なものを設置する余裕は無く、やむを得ずコールドスリープ用と兼用になっているのだ。眠るとき次の目覚めが何十年も先になってるような気がして落ち着かないのはご愛嬌だ。
 もちろん誤動作を防ぐための安全機構は何重にも組まれているし、カプセルを閉じてしまうわけではないから、余計な心配をする必要はないのだが。
 
 オレは上半身を起こすと大きく伸びをした。
 隣に並んでいるカプセルでは相棒のエルナートがコールドスリープ状態で眠っている。相棒と言っても、出発前に組み合わせが発表されたとき、彼女はすでにコールドスリープ状態だったので、正直オレは彼女のことを全く知らない。
 そして2年後彼女が目覚めるとき、オレはすでにコールドスリープに入っていることになっている。
 彼女はこの遠大な恒星探査計画が発表された時に、世界最高速・最高性能のスーパーコンピュータが選び出した相棒だ。オレとの相性が最高なのは初めから約束されているのだが、万が一のトラブルを恐れてこのようなスケジュールが組まれている。
 人間の行動の大部分は他人との争いだ。それは人類の歴史がほとんど争い事で構成されているということからも証明されている。クルー2人は目的地に着くまでは出会わない方が良い。そう結論されたのだ。
 そして、オレ達はこの長い航海、すなわち長い孤独との戦いに耐えるために、スーパーコンピュータが選び出した最強のエリートだ。
 人間は普通長い孤独には耐えられない。大概精神を病んでしまい幻聴や幻覚を感じるようになったり、異常な行動をとるようになったりしながら徐々に弱っていく。
 オレ達2人は少なくとも10年間は孤独に耐えうる精神を持っていることを条件に、何十億の候補者の中から数々の心理テストやストレステスト、さらには仮想空間実証実験に耐え選び出されたのだ。

ククッ……クスクス……

 長期間の孤独状態に置かれた人間に現れるもっとも初期の異常は幻聴で、誰もいない空間で話し声が聞こえたりするようになる。スペースクルーの間では“天使のささやき”などと呼ばれる症状だ。
 オレは毎“朝”起床時にその症状に注意を払いながら自分の健康状態をレポートにまとめ、船の情報などと一緒にパケット通信で発信する。
 船体のモニターは全てグリーンを示している。オレの体も異常は無いようだ。
 さっそく情報をまとめて発信することにしよう。オレはカプセルを出るとラフにカーディガンを羽織りシートに腰を掛けた。

天使のささやき_limeさん2
ククッ……クスクス……

このイラストの著作権はlimeさんに有ります。
limeさんの記事[妄想らくがき・羽根のある君とへ]のリンク
2014.09.09
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

ニライカナイ

 ウチはいつもの時間に電車をおりると、大勢の人に紛れてエスカレーターを下り中央改札を出た。そしてそのまま人の流れに乗って足早に2階層を下り、地下鉄の駅に向かう。ウチはその地下鉄で1つ目の駅近にあるオンボロビルの小さな薬問屋に勤めていて、今は出勤の途中なんだ。
 小説やドラマでは主人公は高層のオフィスビルにある商社かなんかに勤めているものなんだけど、そうは問屋が卸さない。ウチが問屋に勤めているだけにね!
 そしてこういうシーンで主人公以外の人々は、無個性に只黙々と歩く灰色の群像として描かれることが多いんだけど、ウチはそれもちょっと違っているように思う。
 音楽を聴きながら歩いている奴もいるし、隣の同僚?と噂話に余念のないOL風、時計を見ながら駆けていくスーツ姿の男性、笑い声で盛り上がる女子高生、スマホで忙しいフリーター風、携帯で話しながら邪魔な中年男性、様々な人々がそれぞれの個性で自分の目的に向かって進んでいる。ウチはそういうふうに感じるんだ。
 おっと!今も後ろからぶつかってきた奴がいる。ほらね!少しも無個性な灰色の群像なんかじゃ無い。
『どいつだ?』ウチは衝撃の主を睨みつけた。後ろからだけど……。
 そいつは女性だった。今の時期には暑いんじゃないかと思える薄汚れた深緑の作業用ジャンバーとジーンズ姿で、見方によってはホームレスにも見えるんだけど、肩の所まである黒髪、あまり高くない背丈、そしてなんとなくその所作から、ウチはそいつが女性だと判断したんだ。
 何の挨拶も無しに、まったく何も起こらなかったかのように、それこそ灰色の影のように進んでいく彼女に腹を立てて、ウチはスピードを上げた。
 だって、無性に腹が立つ事ってあるじゃない。
 彼女は地下街に並んだ画材屋や銀行の前を進み、ウチが乗ろうとしている地下鉄の改札口を入っていった。あれ?ICカードを持ってるんだ。ホームレスというわけでもないらしい。ウチもそのままIC定期をピッとやって改札を入った。階段を降りて南行きのホームに着くと周りを見渡して彼女の姿を探す。
 居た。ホームの後ろの壁を背に立っている。
 ウチは彼女の顔を見てやろうと思って近づいた。
 彼女は後姿から受ける印象とは全然違っていて、ギョッとするくらい端正な顔をしている。豊かな黒髪と小麦色の肌、形の良い小さめの口、大きな目、そしてそこにはまり込んだ大きな黒い瞳で思い詰めたようにこちらを、ウチの方をじっと見つめてくる。若い女だ。少女と呼んでもいいくらいだ。
 その時、辺りが暗くなった。『どうしたんだろう?貧血?なったことないのに』ウチは不安な気持ちになって歩みを止めた。

「大丈夫だよ。何もしない。落ち着いて……」気がついた時、ウチはこう言葉を発しながら立っていた。ウチは今の状況に極めて自然に、そして冷静に対応している自分に驚きながら「大丈夫だよ。落ち着いて……」ともう一度繰り返した。
 ウチの前には対爆スーツに身を固めた機動隊員が2人、透明な対爆シールドを構えている。後ろには同じ装備に身を固めたもっと大勢の機動隊員が控えているはずだが、後ろを振り返る余裕は無い。
 シールドの向こうには壁を背にあの子が立っている。薄汚れた深緑の作業用ジャンバーとジーンズのあの子だ。
「そのまま、ゆっくり両手を頭の上に組みなさい」ウチは相手を警戒させないように落ち着いた声で言った。
 大きな黒い瞳が思い詰めたようにこちらを、ウチの方をじっと見つめてくる。全身が細かく震えているのが分かる。
 彼女は壁に当てていた両手を体の前方に持ってきて、それからゆっくりと上げ始めた。
 記憶が流れ込んでくる。『なぜウチはここに居るんだろう?』そう考えている自分の意識とは全く別のところで、ウチは事態を把握し始めていた。
 彼女は人間爆弾だ。自分たちのテリトリーの窮状を訴えるために、この大都市の最も混雑する地下鉄駅のホームで自爆しようとしている。
 この都市でもニューテリトリーの住民は極端な貧困に喘いでいて、そこでは1日を100円以下で暮らす者が70%以上を占めているのだ。彼等の訴えは国や府には届かず、時としてこういう形で表面に現れてくる。しかし税収が不足する昨今、行政は有権者の生活を守るのに精一杯で、とても彼等にまで手が回らない。治安の良さを世界に誇ったこの国もグローバル化の波に飲み込まれ、治安レベルまでグローバル化するありさまだった。
 季節外れの彼女の深緑の作業用ジャンバーの下には、大量の爆弾が巻き付けられているのだろう。彼女は爆発に大勢の乗客を巻き込むためにここに居たのだが、信管が上手く作動しなかったようだ。マゴマゴするうちに不信感を抱いた公安官に声をかけられてパニックに陥り『自爆する』と口走ってホームの壁に張り付いたのだ。ホームの乗客はなんとか避難を完了し、ホームに差し掛かっていた電車も次の駅までそのまま走行させた。あとは彼女をなんとか保護する事ができれば……。
「そう……ゆっくりと」ウチは笑みすら浮かべて声をかけ続ける。
 彼女は頭の上に両手を浮かせた。何も持っていない。
 きっと携帯で信号を受けて作動する信管が、何らかの不具合で作動しなかったのだ。
 となると手動の信管があるはずだ。彼女にそれを操作されないようにしなければ、ウチは彼女の手の動きに注意しながらゆっくりとシールドの前に出た。
 ふっと彼女の瞳の光が静止し、頬の筋肉に力が入る様子が目に入った。
「エッ?」ウチは伏せようとホームに体を投げ出した。
 次の瞬間視界は真っ白になり、激しい衝撃が来た。
 そして世界は暗転した。

「大丈夫ですか?」男性の声が聞こえる。
『あれ?どうしたんだろう?』少しずつ意識が流れ込んでくる。
 あまりにも現実とかけ離れた体験はウチの神経を相当蝕んだらしい、激い思考の混乱と頭痛の中、どういう訳かどこかのドラマのような出会いを想像しながら、ウチはゆっくりと目を開けた。
『なんや、オッチャンやんか』ウチは思わず関西弁で突っ込んだ。
「貧血のようですね。救急車を呼びましたからそのまま横になっていてください」駅員の制服をまとった彼は(オッチャンだが)ウチの顔を覗き込む、ウチはちいさく頷きながら『貧血なんかなったことないんだけど』そう考える。少しずつ混乱は収束し、精神は正常を取り戻し始める。
 ウチはあの子の立っていた壁の方へ目をやった。
 そこには只いつもの壁だけがあって、その前を人々が思い思いに通り過ぎて行く。横たわっているウチに関心を示して、こちらの様子を伺っていく人もいるが、大半は無関心を装いそのまま通り過ぎる。
『あ、会社、遅刻だ』
 何が起こったのかウチには分らないまま、大都会の日常は再び流れ始めた。

2014.10.13
夕さん50000HITおめでとう。
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

EEL

Stella/s 月刊ステルラ11月号投稿作品


 この国で最大の国際空港・・・この国で最大ということは世界最大ということになる・・・はいつもの朝のラッシュを迎えている。
 世界各地から長時間の飛行を終えて到着する飛行機で、滑走路やスポットはいっぱいだ。
 ひっきりなしに到着した彼女達は大急ぎで乗客を降ろすと、旅の疲れを癒す間もなく出発の準備を整え、昼前にはまた慌ただしく飛び立っていく。
 巨大な鳥が翼を広げたようなターミナルビルの42番スポット。利用するには少し不便な一番端のこのスポットにも、総2階建ての超大型旅客機が翼を休めている。
 この機体も例にもれず昼前には折り返すべく作業に余念がなく、芋虫に群がる蟻のように、機体の回りには何台もの作業車が群れている。接続されたボーディングブリッジからは次々と乗客が降りてくるが、500人ほどの乗客全員が機体から出るのには、やはりそれ相応の時間を必要とする。
 その巨大な機内の2階と1階を繋ぐ階段に並ぶ乗客の中に、1人の女が立っていた。ほっそりとして小柄な彼女は、肩の上でカットした明るい金色の髪を指先でクルクルと捻りながら、大きな鳶色の瞳を不安でいっぱいにして立っている。
 階段の下では1階の乗客と2階の乗客との合流で渋滞が発生していて、2階最後尾のエコノミー席に押し込まれていた彼女は、そこで暫くの間待たされていたのだ。
 彼女を管理する組織では彼女を表す記号として、彼女達の言葉で“ウナギ”を意味する単語が使われる。もちろんそれは本当の名前ではなかったが、本当の名前はこの国に一般の旅行者として入国するときに使用するため、万が一の情報漏れを警戒して通常は使用されることは無かった。彼女が不審な点を持たない一般人であることは何よりも大切なことだったのだ。
 ウナギはようやく機内からボーディングブリッジへ出ると、慣れない様子でロビーまで歩き、ロビーに出たところで一旦立ち止まって辺りを見回した。そして、手元の紙に目をやってから、また人の流れ乗って入国審査場へ向かって歩き始めた。

 ***

 ウナギは貧しい国のダウンタウンに育った。父は早くに亡くなり、母が身を粉にして働いて育ててくれたが、いつまでも苦労をかけたくなくて、義務教育もそこそこに小さな工場に就職した。給料は安かったがどうにか食べていくことはできた。何年かはそんなギリギリの生活が続いたが、それなりにウナギは幸せだった。しかしそれもいつまでも続かなかった。工場が倒産し彼女は路頭に迷うことになったのだ。
 そんな時ウナギは仕事を探しに来ていた職業紹介所でその男と出会った。
「いい仕事があるんだが」男はウナギを見かけると声をかけてきた。
「紹介所の人?」ウナギは男の格好をじっと見つめながら訊いた。男は細いストライプの入ったグレーのスーツを着込み、濃いサングラスをかけていて、いかにも怪しげだった。
「いや、個人的に人を探しているんだ。たまたま来てみたらあんたが居たから声をかけたんだが、もしよかったらウチで働いてみないか?」男はそう言った。
 しかし、ウナギはこれまでにもその男の姿を何度か見かけていたし、時にはそっと観察されていたような気もしていたので、多分自分に当たりをつけていたんだろうと想像した。
「どんな仕事?」ウナギは警戒しながら質問したが、その時はもう大概の仕事を受けてしまう心づもりになっていた。たとえ自分を売ることになっても……。
 もう1ヶ月ほどまともな食事はしていなかったし、一昨日からは水しか飲んでいない。いよいよゴミ箱をあさるか、自分を売る生活が目前に迫っていた。
「そんなに警戒しなくていい」男は軽く笑った。
「介護の仕事だ。余命幾何もない男の世話をしてもらいたいんだ。職場はとある島の入り江に浮かぶ豪華クルーザーの中だ。期間はその男が死ぬまで、多分そんなに長くない。ただしオプションが付いている」男は報酬額を口にした。それは前渡し金と成功報酬で構成されていて、前受金だけでもウナギが10年くらいは楽に暮らせる額だった。当然ながら成功報酬はそれより多かった。苦労をかけた母にも、楽をさせてやれそうだ。
「オプションって?」心を揺り動かされながらウナギは訊いた。
「その男の故郷に亡くなったことの報告に行ってもらうことだ。それも1人でだ。地球の裏側になるから費用は掛かるが、それも全部こっち持ちだ。報告の手紙もこっちで用意する。相手にそれを手渡してもらえばいい。最期の様子なんかを色々と質問をされるだろうが、正直に答えてもらっていい。ただその報告の時期だが、こっちの都合がつくまで向こうで待ってもらうことになる。アパートを手配するから自力で生活してくれ。まぁ、いろんな民族がいるから何とかなる。どうだ?いい条件だろう?」男はウナギの顔を覗きこんだ。
 ウナギは質問しようとしたが男に遮られた。
「おっと、ここからは一切の質問は受け付けない。言われたことをそのまま素直に実行するんだ。それが条件だ。1つでも拒否すれば契約は解消だ」
 介護するのが男性だということはわかったが、なんとも宙をつかむような話だ。でもウナギは質問が受け付けられないことを理解したのでそのまま黙っていた。
「まず、パスポートを取ってもらう。正規のやつをな。多分あんたなら問題なく取れるはずだ。どうだ?手続きを始めるか?その費用ももちろんこっち持ちだが、始めちまったらこの仕事を受けてくれたと解釈する。もう逃げられねえぞ」凄みを効かせて男が言った。
 ウナギは暫く逡巡してから始めは小さく、続いて大きく頷いた。
 前受金を受け取ったら、とりあえずの生活資金を残して母の元へ送ってしまおう……ウナギは漠然とそう考えていた。そうしておいた方が良いような予感がしていたのだ。

 職場はその男が言っていた通り、どこか知らない島の入り江に停泊したクルーザーだった。虚偽があったとすれば、それはクルーザーがお世辞にも豪華とは言えなかったことぐらいだ。
 降り注ぐ太陽やその位置、そして穏やかな気候からは、クルーザーが比較的緯度の低い場所に停泊していることが知れたが、そんなことがウナギに分かるはずも無かった。
 ただここへ来るまでに国境を陸路で超えたし、今居るクルーザーとは別のクルーザーで長い時間航海したので、ずいぶん遠いところまで来たのだということはさすがのウナギにも理解できていた。
 クルーザーを横付けにしてウナギを乗船させると、男はキッチンやトイレの使い方、介護用品の在処などを簡単に説明してから「要介護人はこの部屋の中だ。しっかり面倒を見てやってくれ」と言った。
「それから、ほれ!」男は携帯電話を放ってよこした。
 ウナギが怪訝そうな顔をして見つめると「その、なんだ、依頼した仕事が終わったら、それで連絡をくれ。拾いに来てやる。その通話ボタンを押せば繋がるようになっているからな。そうだ、その赤いのだ。言っておくが他には使えないからな。なにか問題が起った時も、それで連絡をくれ。出来るだけは対応する。以上だ」それだけ言うと男はウナギを1人残して逃げるように帰って行った。
 ウナギは心細げに去ってゆくクルーザーを見つめていたが、やがて諦めて自分が置かれた環境の観察を始めた。
 クルーザーは入り江に泊まっていて200メートルほど泳げば岸にたどり着けた。しかし島は岩場と緑に覆われている他には何も無く、無人島のように思えた。それに何よりもウナギは泳ぎを知らなかった。
 操舵室にも入ってみたが、キーが無いと何も出来ないようだったので諦めた。
 あちこちを見聞してから、最後にウナギは例の部屋のドアを開けた。

 ベッドに横たわっていたのは若い男だった。やせ衰えた老人を想像していたウナギにとってそれは予想外だった。自分より年上に見えるが、見かけよりもっと若いのかもしれない。ひょっとすると同い年位かも……ウナギはそんなことを考えながら、ベッドに横たわる彼に寄り添っていた。
 彼は衰弱してベッドに横たわっているのでは無かった。彼の中身は赤ん坊そのものだったのだ。
 1人で放っておくと機嫌のいい時は寝息を立てて眠っている。だが何か気に障ることがあると目を覚まして泣きわめく、排泄の様子を確かめて排泄だった場合はおむつを交換する。
 それでおとなしくならなかったら、用意されている流動食を温めてスプーンで一口ずつ与える。おなかが空いたのが原因だった場合は、それでおとなしくなって食事に専念する。そしてお腹がいっぱいになればそのまま眠る。
 それでもなかった場合はなかなか泣き止まないので、ウナギはどうすればいいのかわからず途方に暮れた。何度かそれを繰り返すうちに添い寝をすればおとなしくなることを発見し、ウナギはそうするようになった。
 だがまだ問題は解決しなかった。今度は彼はウナギの乳房をまさぐり始めたのだ。ウナギは驚いたが、彼の気の済むようにさせることにした。そうさせている方がおとなしかったからだ。

 2週間が過ぎた。彼は今ウナギの乳首をくわえてチューチューと音を立てている。彼は日に日に弱っていった。動作も緩慢になり、立てる声も弱々しくなった。
 しかしウナギは彼はただ単に弱っているのではなく、生まれた瞬間まで時間を遡っているのではないかと考え始めていた。ここにやって来たときはまだ彼に意思のようなものを感じることができていたが、今は微かに本能のようなものを感じるだけになっていたからだ。
 ひょっとして、と思いついて乳首をくわえさせてみると効果はてきめんだった。無心に吸い付き、そして安心して眠るようになった。
 ウナギは乳首を吸われて首筋の後ろにしびれのような感覚を覚え、乳首は硬くなった。さらに不思議なことにこの見知らぬ男に愛情の様なものまで感じ始めていた。
 ウナギはゆっくりと男の頭を抱きしめた。彼がこのまま時間を遡りこの世に誕生した瞬間に到達したとき、彼がどうなるのかは自明の理だった。
 貧しさから何度も人が行くのを見てきたウナギにとって、そのこと自体はそんなに大きな出来事とは感じない。ただ彼が行ってしまう事に対しては微妙な心の揺れを感じていた。
 そしてオプションの仕事が始まるまでにそんなに時間が無い事も予感していた。

 ***

 ウナギにとって全てが初めての体験で驚きの連続だった。
 この国を訪れるのはもちろん初めてだったが、この仕事を受けるまでは国外に出たことすらなかった。飛行機に乗ることでさえ生まれて初めての経験だったのだ。
 この国の言葉は最もグローバルに通用する言葉だったが、ウナギにとっては部分的に理解できる単語を除き、ほとんどすべては理解不能だった。
 もちろんそれについても充分に配慮されていて、ウナギの手に握られている紙は、彼女の読める言葉で書かれたマニュアルだった。そのマニュアル通りに行動すれば、スムーズに入国できるはずだ。
 入国審査場は入国審査を待つ人々でいっぱいだった。
 手順書には列に並ぶよう指示されていたので、ウナギは大事そうに抱えたバッグからパスポートと記入済みの入国カードなどを取り出しその列に並んだ。

 列はなかなか進まない。ウナギは不安な気持ちで列に並んでいた。
 ズラリと並んだブースの中にはそれぞれに係官が1人ずつ入っていて、列に並んでいる人々を1人ずつ呼びつけて睨みつけている。何を見ているんだろう?
 ウナギは一見優しそうに見えた女性の係官の列に並んでいたが、それは失敗だったかもしれないと思い始めていた。
 女性の係官の目つきはパスポートを取り上げると一瞬で冷たいものに変わった。パスポートをパラパラとめくり、何かにかざしてモニターを覗き込んだり、少し言葉を交わしたりしている。ウナギには分らない言葉を話しているようだ。不安な気持ちはますます強くなる。
 暫くするとパスポートをテーブルに拡げ、ポンとスタンプを押しグイとそれを突き返す。ドキリ!ウナギは首をすくめた。
 ブースの前に立っていた男はようやくパスポートを受け取ると、何か軽く言葉を発して向こう側に消えていった。
 ウナギの前に並んでいた大きな男がブースの係官の所へと進み出た。
 女性の係官はやはり同じように冷たい目つきでパスポートを取り上げるとパラパラとページをめくり何かにかざす。ウナギは背筋が冷たくなった。係官の目つきがさらに厳しくなったのだ。前に立った男の顔をもう一度見てモニターを確認する。そしてカタカタとキーボードを叩き始めた。
 男は少し落ち着かない様子でそこに立っている。係官が何かを話しかけた。男はそれに答える。そしてそれを何度か繰り返すうちに、男の声と身振りは大きくなった。やがて横手から男の係官が2人現れた。男はまだ大声で何かを訴えていたが、やがて2人の係官に促されて横手に消えていった。ウナギは自分が連れて行かれるような気分になってそれを見つめていた。
 女性の係官が顔を上げてウナギの方を見た。
「来なさい」といわれているような気がして、ウナギはおずおずと彼女の前に進み出た。
 そっとパスポートと入国カードを差し出す。係官はそれを受け取るとページを開いた。暫くウナギの顔とパスポートを見比べる。そしてキーボードを叩き始めた。カメラだろうか、丸いレンズがこちらを向いている。
 ウナギは今にも男の係官がやってくるのではないかとそっと周りを見回した。
 係官はモニターを覗いている。そして何かウナギに語りかけたが、ウナギは言葉が分らないので引きつった笑顔で答えた。
 係官は初めて笑顔を見せた。そしてパスポートのページを変えてスタンプをポンと押すと、パスポートをグイと突き返してきた。
 ウナギはポカンとした顔になってそれを受け取ると、自分の言葉で「ありがとう」と言ってその場を離れた。

 ウナギはマニュアルに指示されたとおりに行動し、バゲージクレームで小さなトランクを受け取り、税関検査場をなんとか無事に通過した。スーツケースの中には着替えと少しの書類が入っているだけだったので、トラブルが発生する要素は無かったのだ。
 ウナギはスーツケースを引っ張りながら到着ロビーに出た。
 ロビーにはたくさんのソファーが設置され、空港を利用する人々でごった返している。ウナギは人ごみの中を暫くウロウロしていたが、ようやく空きを見つけると人々の隙間に腰を下ろした。そしてバッグから例のマニュアルを取り出すと熱心に読み始めた。
 これからの行動予定はそこに詳しく書かれていて、空港から地下鉄の1号線でセントラルシティーへ、そこで乗り換えて3号線でダウンタウンへ入るよう指示されていた。あとは措定されたアパートで連絡があるまで暮らす必要があった。
 どんな生活が待っているのか、貧しい国の小さな町で育ったウナギにとって不安ではあったが、テレビや映画でしか見たことのない華やかな大都会での生活に、その鳶色の瞳は輝やいて見えた。
 前方の壁には大型のモニターが設置されていて、画面では女性のキャスターがおそらく彼女の前にあるプロジェクターに映し出されている原稿を読み上げている。
『世界保健機構は20日細胞死病の感染者が8カ国で1万29人となり、1万人を超えたことを明らかにしました。うち死者は6814人で、感染者と死者の数は加速度的に増えています。我が国での感染者は該当8カ国で医療活動にあたった医療関係者や旅行者などが感染した例4例が報告されていますが、うち2名が死亡しています』
 モニターにはグラフや一覧表が映し出される。
『この病気に感染すると3週間ほどの潜伏期間ののち発症するのですが、初期の症状はほとんどありません。風邪をひいたように微熱が出たという報告もありますが、無症状の方がほとんどです。そして病状が進むにつれて脳細胞が少しずつ死んでいきます。徐々に脳の機能が衰えていきますので、それはまるで大人が幼児化していきついには乳児になって行くような経過を辿ります。そしてやがて胎児にまで遡ると体の機能を維持できなくなって死に至るのです』
 イラストや動画が表示され、治療にあたる人々の様子も画面に流れるが、ウナギは顔を上げない。彼女にはこの画面から流れる言葉や表示される文字はほとんど理解できなかったからだ。
『この病気はEELウィルスの感染が原因だということはわかっていますが、有効な治療法は今のところありません。致死率は80%を超えると言われ、発病すればほぼ助かりません。ただ救いなのはこの病気のウィルスは飛沫感染ですから、直接の接触や1メートル以内への接近を避けるなど、十分な注意を払えば感染しないと言われています。必要以上に恐れる必要はありませんから、落ち着いた対応を取るようにお願いします。疾病対策センターも発生国からの入国者に検査を義務付けるなどの対応を取っていますが、一般市民には「特段の警戒は必要ない」として冷静な対応を呼びかけています。ただし空気感染ではないかと疑われる事例も発生していますので、空気感染が起こる可能性も指摘されています。新しい情報には充分注意してください。この後のコーナーでは開発中の治療薬や治療法などについて解説していきますので、引き続きご覧ください』
 派手なコマーシャルが流れ始めた。番組の雰囲気が変わったのでウナギは顔を上げ、色鮮やかな食品群のコマーシャルを眺めていたが、やがてマニュアルをバッグに仕舞い、思い切ったように立ち上がった。
 大都会は空港からあふれ出る大量の人々を、その膨れ上がった大きな腹に次々と飲み込んでゆく。その腹の中ではいくつもの酵素が働き、複雑な反応が連鎖的に起こっているのだろう。そしてそれはすでにコントロールできる範囲を大きく超えている。
 ウナギは人ごみに揉まれながら、地下鉄へのエスカレーターを下り、大都会の雑踏の中へ消えていった。

世界に、そしてウナギに救いがありますように……


2014.10.30
2014.11.03 更新
2015.11.21 更新(今回の更新で、更新前にいただいたコメントと矛盾が生じています。お許しください)


テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

マッチ売りの少女

 町は冷たい空気に覆われていました。ひらりひらりと雪が舞い、街角はもうすっかり暗くなり始め、今年最後の夜がやってこようとしていました。
「マッチ、マッチはいかがですか?マッチはいかがですか?」この寒さと暗闇の中、1人の少女が通りを歩いておりました。
 頭には何も被らず、薄い生地の着古した服をまとい、肩にかけたショールだけが少女を寒さから守っていました。ショールは少女のお母さんが使っていた物でした。お母さんが亡くなる少し前に少女の肩にそっとかけてくれたのです。
「マッチ、マッチはいかがですか?マッチはいかがですか?」少女は手に提げたバスケットにたくさんのマッチを入れ、手に1つ持っていました。
 でも一日歩き回っても、誰も少女から何も買いませんでした。 わずか1エキューだって少女にあげる者はいませんでした。 寒さと空腹に耐えながら少女は町を歩き回っていました。

 舞い落ちる雪が強くなり少女の金色の長い髪を覆い始めました。輝く髪は少女の首の周りに美しくカールして下がっていましたが、少女にとってそんなことはどうでもいいことでした。いまの少女にとっては空腹の方が大きな問題で、少女はそのことで頭がいっぱいだったのです。どの窓からも暖かそうな光が漏れ、 ガチョウを焼いているおいしそうな匂いがしました。 家々では大晦日のお祝いの用意が整い始めていたのです。
「マッチ、マッチはいかがですか?マッチはいかがですか?」少女は寒さと空腹を紛らわせるように声を上げましたが、もうその声には力強さは感じられませんでした。
「お嬢さん、ちょっとそれを見せてくれないか?」突然後ろから声がかかりました。
 少女は声がかかることなんか予想していなかったように驚いて振り返りました。
「それは何型?ちょっといいかな?」男はひょいと少女のバスケットからマッチを1つ取り上げると街灯の明かりにかざしました。
「ふむ……このマッチは溶融金属冷却の核分裂型超小型原子炉が内蔵されているね。いくらかな?」
 少女は値段を伝えましたが、男は首を振りました。
「確かに安いけれど、今ではもっと安全性の高い核融合型がその値段の倍ぐらいで売っているよ。制御用のソフトもこちらで用意しなければならないようだし、バージョンも古いね。すまないけど……」男はマッチをそっとバスケットに返すとそのままスタスタと立ち去っていきました。
「あ……」少女は男を追おうとして雪溜まりに足を取られ転んでしまいました。 履いていた大きな靴が脱げて跳ね上がり、車道の隅に落ちました。その靴は少女と同じような貧しい身なりの少年が走り寄って持って行ってしまいました。
 少女は立ち上がって追いかけようとしました。その靴はお母さんが履いていたものだったからです。でもすぐに膝の痛みに耐えかねてしゃがみ込んでしまいました。膝からは血が滲んでいます。
 少女は暫くの間そこにしゃがんでいましたが、やがて立ち上がり歩いていきました。 何も履いていない小さな両足は冷たさのために紫色になっていました。

 降りしきる雪の中をどれくらい歩いたのでしょう。もう足の痛みも感じなくなりました。体に力が入らなくなった少女は、二つの家に挟まれた行き止まりの小さな路地に這うように入っていきました。そこなら雪や風を凌げるように思えたのです。
 少女はその隅に座って小さくなりました。小さな足を引き寄せ、体にぴったりとくっつけましたが、少しも暖かくなりません。けれど、家に帰ることもできません。マッチはまったく売れていないし、たったの1エキューも持って帰れないからです。このまま帰ったら、きっとお父さんにぶたれてしまいます。それに家だって寒いのです。隙間だらけの家は風が音を立てて吹き込み、外で眠るのとそんなに変わらないのですから。

 少女の小さな両手は冷たさでもう感覚を無くしています。マッチの制御棒を上げて核分裂反応を起こして指をあたためれば、 少しは楽になるでしょう。 少女もそう考えたのか、マッチを取り出しました。そしてほんの僅か制御棒を引き上げます。すると何という輝きでしょう。何という暖かさでしょう。それはまるで大きなお屋敷の暖炉の前に実際に座っているようでした。
 その暖炉にはぴかぴかした飾りが付いていて、上には幸せそうな家族の写真が飾られています。 その炎は、まわりに祝福を与えるように燃えました。いっぱいの喜びで満たすように、炎はまわりをあたためます。少女は足をのばして、あたたまろうとしました。しかし、……輝き消え、お屋敷も暖炉も消えうせました。 残ったのは、手の中のマッチだけでした。核分裂反応は臨界に達しなかったのです。

 少女はもう少し、ほんの僅かだけ制御棒を上げました。マッチは明るく輝き、その明かりが壁にあたったところはヴェールのように透け、部屋の中が見えました。テーブルの上には雪のように白いテーブルクロスが広げられ、その上には豪華な食器が揃えてあり、焼かれたガチョウはおいしそうな湯気を上げ、その中にはリンゴと乾しプラムが詰められていました。少女は招かれるように立ち上がってテーブルに向かおうとしました。ちょうどそのとき……反応が止まりました。輝きが消え、厚く、冷たく、じめじめした壁だけが残りました。

 少女はもうほんの僅か制御棒を上げました。すると、少女は最高に大きなクリスマスツリーの下に座っていました。そのツリーは、デパートのイベント広場で見たことのあるものよりもずっと大きくて、もっとたくさん飾り付けがしてありました。
 何千もの光が緑の枝の上で輝き、店のショーウインドウの中で見たことがあるような楽しい色合いの絵が少女を見おろしています。 少女は両手をそちらへのばして……そのとき、輝きが消えました。クリスマスツリーの光は高く高く上っていき、もう天国の星々のように見えました。その時、無数の星々の中からたくさんの星が流れ落ちました。
「いま、たくさんの人が亡くなったんだわ!」と少女は思いました。 お母さんがこんなことを言ったことがあったからです。星が流れ落ちるとき、魂が神さまのところへと引き上げられるのよ、と。

 少女はもう少し、ほんの僅かだけ制御棒を上げました。すると周りは一層明るくなり、その光輝の中にお母さんが立っていました。とても明るく光を放ち、とても柔和で、愛にあふれた表情をしていました。
「お母さん!」と少女は大きな声をあげました。「お願い、わたしを連れてって! 輝きが消えたら、お母さんも行ってしまう。あったかい暖炉みたいに、おいしそうなガチョウみたいに、それから、あの大きなクリスマスツリーみたいに、お母さんも消えてしまう!」少女はついに制御棒を全部引き抜いてしまいました。お母さんにしっかりそばにいてほしかったからです。マッチはとてもとてもまばゆい光を放ち、臨界を超え、さらに暴走を始めました。もう誰も止めることは出来ません。やがてその光と高熱は町全体を包み込んでいきました。

2014.12.24

テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

あなたがそうしたいのとおなじように・・・

Stella/s 月刊ステルラ6・7月合併号 投稿作品

太陽風シンドローム

「なんだ?」オペレーターがモニターを覗きこんだ。
「どうした?」当直士官が声をかける。
「いま、ポッドが1つ射出されました……」
「どのポッドだ?」
「貨物輸送用のです。13番」
「申請はあったのか?」
「申請は受けていません。誤って射出されたのでしょうか?」
「ポッドのコントロールを捕れ!奴を捕まえろ」
 オペレーターは短い時間コントロールパネルを操作していたが、手を止めると「ポッドはコントロールを受け付けません。何者かがコントロールを持っているようです」と報告した。
「各部に問い合わせをしろ。俺は上に報告する。それから念のために内部にスキャンをかけろ」当直士官は通話機を取りながら指示を出した。
「アイ・サー」

+++

 アニマは気密服のバイザーを下げて、小さな覗き窓の向こうに広がる風景を見た。赤茶色の大地の上に、真っ白な雲がまるで無数の繭をまき散らしたように点々と広がっている。次の瞬間、外は暗転し真っ黒な宇宙空間に変わる。そしてさっきまで乗艦していた宇宙戦艦が見え、それがまた真っ暗な宇宙空間に暗転、そしてもう一度赤茶色の大地と白い雲。めまぐるしく変わる風景に目が回りそうだ。ポッドは前後軸を中心に回転しているのだ。
 アニマは気密服に取り付けていたタブレットを取り出し、いくつか操作をした。ポッドは回転を止め、風景は赤茶色の大地と白い雲の風景に固定された。このポッドは貨物用なので、内部にコントロール用のコンソールは持っていない。だからアニマは遠隔操作用のタブレットを持ち込んでいた。今覗いているこの窓だって、たまたまこのハッチが有人用との共用だから付いているだけのものだ。本来なら外を覗きたくなる奴なんか、乗っているはずはないのだから・・・。
 大気圏への突入が迫っている。アニマは軌道の最終チェックを行ってから、突入に備えて貨物用のベルトで体を固定した。貨物機にはGシートも装備されていない。

+++

「生命反応があります」操作を終えたオペレーターが言った。
「なに!」オペレーターの報告に当直士官は目を剥いた。「誰かが乗っているのか?確認を急げ」
「アイ・サー」
「誰が乗っているにしろあれは貨物機だ。並の人間ではGに耐えれんぞ。着地も荒っぽいものになる」当直士官はモニター画面を睨み付ける。モニターの上ではポッドを表す緑の三角が、徐々に位置を変えていく。
「くそ。もう大気圏か。誰が乗ってるか、まだわからんのか?」当直士官は苛立ちをあらわにした。
「確認終わりました。アニマが居ません」
「アニマだと・・・また奴か!艦長を起こせ!」当直士官は唇を噛んだ。

+++

 微かに小鳥の声が聞こえてくる。ケトルの沸騰する音がこれに重なり始める。辺りはそれぐらい静かな環境だ。
 シュンは火を小さくして、ティーカップとポットにお湯を注ぎ入れた。ポットが適温になると一旦お湯を捨て、計量スプーンで茶葉を慎重に計り取り、ポットに入れる。そこへ一気に沸騰させたままのお湯を注ぎこみ、ポットに蓋をする。陶製の蓋がきちりと収まったことを確認すると、彼は腕につけたクロノグラフのスタートボタンを押した。
 シュンの住んでいるログハウスは大きな谷の入口にあって、その谷は森に覆われている。特に小屋の周りの木々の背は屋根を超えるぐらいにまで成長していて、小鳥や小動物たちも定住し、繁殖も始めている。さらにシュンは、小さな畑を作り、数頭ではあるが家畜の飼育もスタートさせていた。
 先人やその後を継いだシュンがこの谷で実践した環境構築データは、これからの開発にとって非常に有益なものとなるはずだ。というのは開発が行われていないこの谷の外側には、ただ原野が広がっているだけだからだ。この地表のほとんどを植物、できれば森や作物で覆う。これがこの計画の当面の目標だった。長い長い開発の道のりはまだ始まったばかりなのだ。
 暫くするとシュンはクロノグラフに目をやった。そして規定の時間が経過したことを確認すると、温めたティーカップにお茶を注いだ。ダージリンの芳醇な香りが立ち昇る。『いずれはお茶の木も植えてみたいな』そう考えながらシュンは食卓の硬い椅子に腰を下ろした。

 カップを持ち上げて香りを楽しみ、最初の1口を口に含もうとしたその時、シュンは微かな空気の振動を感じてカップをソーサーに戻した。まだ遙かな彼方だ。しかし確かに何かが始まろうとしている。それを証明するように、その微かな空気の振動は、徐々に振幅を増し始めた。
『宅配便か?』シュンは考えたが、今日はそれが来る予定の日では無い事を思い出した。しかしその振動はやがて空気を切り裂くような音に変わり、さらにどんどん大きくなり、やがていつもの宅配便では考えられないくらいになった。
『近すぎる!』シュンは急いで小屋を飛び出して上空を見上げた。谷が開けている方向の森の上に白い筋が引かれている。何かの航跡なのだろうが、それは明らかにこちらに向かって伸びてくる。シュンは経験から、貨物輸送用のポッドが降りてきているのだと判断した。しかし、通常より速度が速い、それに近い。危険を感じるくらい高度も低い。
 耳をつんざくような轟音を立て、白い雲を曳きながら、そのポッドと思われる物体はシュンの頭上に差し掛かった。空気の振動が感じられるくらい近い。
「やっぱり貨物ポッドだ」機体の後部から小さなドローグシュートが曳きだされ、後部の貨物コンテナが耐熱シールドから切り離される。すぐに大きなメインパラシュートが開く。貨物コンテナはどんどん減速した。残された耐熱シールドは減速出来ず、そのまま落下を続け、轟音と共に浅い角度で森に激突した。立ち上る巨大な噴煙、引きちぎられた森の木々が舞い上がる。高温の耐熱シールドは数百メートルに渡って森の木々をなぎ倒し、引きちぎり、焼き払った。そして激しい衝撃波がやってくる。シュンは両耳を手で押さえたまま地面に突っ伏した。
 先人達が何十年もかかって育て上げた森林には、復活するのに何十年も要するであろう巨大な傷が刻まれた。

+++

 小さな覗き窓の向こうはオレンジ色からやがて白く輝きだした。耐熱シールドの温度が上がっているのだ。大気圏に突入してしまえば、もうポッドをコントロールすることは出来ない。運を天にまかせて、ただ耐えるだけだ。
 アニマはこの耐えるだけの時間が嫌いだ。だからなるべくその時間を短くするために、燃え尽きないギリギリの軌道を計算し組み込んだ。それにアニマは回り道も好きでは無い。だから目的地になるべく接近できるように、最適の軌道を計算し組み込んだ。
 計算通り耐える時間は最短だった。ポッドは一気に大気の層を突き抜け高度を下げた。耐熱シールドはほとんどが蒸発してしまっただろう。それに速度が速すぎる、多分リサイクルが出来ないほど破壊される。だがアニマにとってそんなことはどうでもいいことだ。我慢する時間は短いほどいい。
 タブレットがシグナルを点滅させた。ドローグシュートが開く合図だ。アニマは両手でしっかりとベルトをつかんで衝撃に備えた。
 激しい衝撃が来た。減速が始まったのだ。コンテナは切り離され、そしてさらに激しい衝撃。メインパラシュートの展開だ。息が出来ないほどの衝撃だったが、こんなものは戦闘時のGに比べたらどうと言うことはない。耐熱シールドは地面に激突しただろうか、きちんと目的地からは逸れるようにセッティングしたから問題ないはずだ。最終の減速が来た。突き上げるようなスラスターによる減速だ。普通の人間なら命を失いかねないレベルだが、これもアニマにとっては問題の無いレベルだ。ゲンマ戦線やタイガ星系R戦線ではもっと酷いのにも耐えてきた。そして最後に着地による衝撃が来た。

+++

「何だったんだ!」衝撃波が収まると、シュンはゆっくりと立ち上がった。『森の奥では山火事が発生しているかもしれない。後で見に行った方が良いな』シュンはそう考えながら上空を見上げた。上空からは貨物コンテナが降りてくる。貨物コンテナの着地をこんなに間近に見るのは初めてだった。やがてコンテナは森の木々のすぐ上まで高度を下げると減速のためにスラスターを噴射した。スラスターの噴射は木々を吹き飛ばし、コンテナは大きな音を立てて辺りの木をへし折りながら着地した。激しい衝撃音が辺りに響いた。『貨物だからこれで保つけれど、人間だったらひとたまりも無いな』シュンは傾いたコンテナを前にそう思った。
 シュンは動きが落ち着くのを待ってから、用心深くコンテナに接近した。コンテナはへし折った木を下敷きにして大きく傾いたままだ。まだ減速用のスラスタエンジンは熱を持っていて、白い煙を上げている。
 機体の中央にあるハッチのロックが外れた。ゆっくりとそれが開き、音を立てて全開になる。そして中から気密服を着た人間が現れた。人間が乗っているとは思っていなかったシュンは驚いて立ち止まった。あの衝撃に人間が耐えられたということが信じられなかったのだ。
 気密服の人間はバネをきかせて勢いよく飛び出すとヘルメットを脱いだ。
 ヘルメットからはボブにまとめられた真っ赤な髪が溢れ出した。前髪の隙間からアンバーの瞳が見つめてくる。シュンは口を半開きにして動きを止めたままだ。
「アニマ・・・?」ようやくシュンは声を絞り出した。アニマは斜めになったコンテナの上を滑って倒れた幹の上に飛び降りると、その上を伝ってシュンの傍までやって来た。アニマの背はシュンの肩までしかなかったから、そこからジッと見上げてくる。そのアンバーの瞳はセンサーのようにシュンの顔を観測した。
「げんきだった」長い間見つめてから、アニマは抑揚を欠いた少しハスキーな声で言った。
「ああ。元気だよ。でも驚いた。こんなに早く来てくれるとは思ってなかったから」
「あなたがそうしたいのとおなじように、わたしもそうしたいとおもったから」
「ありがとう」シュンはアニマの体をそっと抱いた。
 アニマは一瞬体を硬くしたが、やがてシュンの腰に腕を回した。
 軽い抱擁は強い抱擁になり、やがて次の段階へと進んでいった。
 森の奥からは真っ黒な煙に混じって、真っ白な煙も立ち上り始め、それは徐々に勢いを増していった。
 シュンはアニマの頭越しにその様子に気がついたが、抱擁を解くことはなかった。アニマの起こすトラブルにはもう慣れっこになっていたし、彼女の処理能力の高さも充分に理解していた。彼女が来てくれたことは、この大きなトラブルを差し引いたとしても、この開発計画にとっても彼にとっても有益なはずだ。シュンはアニマを抱く腕にさらに力を込めた。アニマの体は一層熱くなった。

2015.06.20
 
 

キャンペーン

「・・・というコンセプトで作ろうとしているわけだ・・・」
 気もそぞろだった私は、プロデューサーの話が終わったことに気がついて、慌てて顔を上げて愛想笑いを返した。
「オイ!コラ!ちゃんと俺の話を聞いているのか?」プロデューサーが私の顔を覗き込む。
「ゴメンナサイ、聞いてませんでした」
「やっぱり・・・」
「もう一度初めから説明してくださいますか?」私はお願いの顔をした。
 プロデューサーはやれやれという風情で顔を横に振ってから、ゆっくりと喋り始めた。「現代社会にとって原子力発電所は、今や欠かせないエネルギー源だということは君も認めるよな」
 私はそうは考えていなかったが、雰囲気に押されてちいさく頷いた。
「原子力発電所では燃えた核燃料は高レベル放射能廃棄物になる。再処理したとしても、再処理工程で高レベルの放射性廃液が出る。そしてそれらは安定して保管できるように、ガラス成分と混ぜ、溶かしたものをキャニスターに注入し固化させる。それがガラス化個体と呼ばれるものだ。しかしキャニスターに入ったガラス固化体は、致死レベルの放射能を持っていて、高熱を発している。これは約20秒で100%の人間が死亡するとされる被曝を生じる線量だ」
 私は酷い目眩を感じた。胃の辺りは何かを詰め込んだように重くなっている。
「そしてその線量は数万年から数十万年を経過してようやくウラン鉱石と同レベルにまで下がると推定されている。要するにとんでもなく危険なものだ」プロデューサーは私がちゃんと聞いていることを確認するように目を覗き込んでくる。
「は・・・はい」私は目を泳がせながら生返事を返した。
「だがな。科学の力は偉大だ。このとんでもなく危険なガラス化固体を全く危害の無いものにする事に成功したのだ」
「本当に?」私は怖ず怖ずと質問した。
「本当だ。新しく開発された方法で処理されたガラス化個体の表面線量は、放射線管理区域以下の線量になる。人間にとって全く問題のないレベルだ。それに発熱もほとんど無い」
「それで?」
「問題は・・・だ」プロデューサーは言い含めるように言った。後ろには私が動けないように、ディレクターとアシスタントディレクター、それにマネージャーが立ちふさがっている。
「この新しいガラス化個体が人類にとって無害であることを、誰も信じようとしないことだ。そこまでは分かるな?」
 私はまた小さく頷いた。
「そこで、そのことを社会に向けて強力にアピールするために、今回のキャンペーンが考え出されたわけだ」プロデューサーは満足げに笑みを漏らした。
 私は物々しい格好のスタッフに囲まれるようにして隣のスタジオに連れて行かれた。
「見たまえ」プロデューサーは調整室のガラス越しに、スタジオの中央に置かれた巨大なトレイの中に入れられた沢山の丸い物体を手で指した。それらは直径50センチくらいの赤や緑、そして黄やオレンジの美しい半透明の球体で、それぞれに白い筋が入っている。私は嫌な予感を憶えて1・2歩後ずさりをし、防護服の上からアシスタントディレクターの足先を踏みつけた。
「これがその新しいガラス化個体だ。リアリティーを出すために全て本物だ」
 予想通りの答えに私はおののいた。“ガラス化”の名に相応しくそれらの球体は艶々と光を反射している。
「マスコミ界を震撼させた天才子役の君なら、これからどういうシチュエーションで撮影が行われるかは想像できているだろう?」プロデューサーは調整室のガラスの向こうから薄笑いのままそう言うと、私の後ろに控えている3人に合図を送った。私は防護服姿の3人に、肩と太ももの位置で抱え上げられた。そしてリフターを使って、そっとガラス化個体の中に降ろされた。すでに用意されていた遠隔操作のカメラが回り始めた。
「***ちゃん!」ディレクターが私の名前を呼んだ。
「まず軽~く笑顔をもらえるかな?はい!笑って!!!」

雨なら飴の方が・・・
このイラストの著作権はlimeさんに有ります。
「limeさんの記事[妄想らくがき・雨なら飴の方が・・・]へのリンク」

2015.07.12
 
 

ムルチェラゴ

Stella/s 月刊Stella12・1月合併号掲載作品

『12月25日 メリー・クリスマス』
 コントロール用タブレットの隅に表示されたカレンダーの日付が変わった。
 どうやらこの世界にも神は存在しないようだ。あれから丁度1年。事態は動いてはいるようだが、それはあらぬ方向へだ。「何がメリー・クリスマスだ!」俺はタブレットに向かって悪態をついた。
 ムルチェラゴは大きく欠伸をしながら背中をそらし、両手を前に伸ばして伸びをした。そして俺の傍に寄り添うと再び眠りに落ちて行った。静かな寝息が俺の肩にかかる。俺は暫くの間その様子を眺めていたが、やがてムルチェラゴの頭にそっと手を置いた。
 ムルチェラゴの頭には肩に届くくらいの真っ黒な長い毛が生えている。俺の手はそのサラサラとした真っ直ぐな毛を手櫛ですいてから、ゆっくりと首筋から背中へ移動する。ムルチェラゴのうなじから背中の中程にかけては脊髄に沿って艶やかなたてがみが生えている。頭の毛と繋がったそれは進むにつれてだんだん短くなり、やがて白い背中に吸い込まれるように消える。そしてその先は滑らかな肌へと変わる。俺の手は脊髄に沿ってさらに進み、やがてつるりとした臀部の左右の盛り上がりに到達する。暫くそこを彷徨った後は太ももを回り込んで下腹部へ、そして陰毛からヘソまで繋がった短い毛を伝う。短い毛はそこでまた消え、つるりとした柔らかな乳房へ辿りつく。俺は2つの膨らみの先に付いた乳首に触れて、それが硬くなるのを確認すると、白い肩を撫ぜ、さらに首筋を進み、張りのある頬に触れてから、また頭の長い毛に戻った。ムルチェラゴは乳首に触れられた時にピクリと反応し、薄く目を開けてこちらを見ていたが、やがてまた安らかな眠りに戻って行った。
『呑気なものだ・・・』俺はムルチェラゴの寝顔を見ながら、ちょうど1年前のクリスマスに起こったことを思い出していた。

『12月25日 メリー・クリスマス』
 操作用モニターの隅に表示されたカレンダーの日付が変わった。
 どうやらこの世界に神は存在しないようだ。これ以上は無いくらいの最悪のクリスマスだ。「何がメリー・クリスマスだ!」俺はモニターに向かって悪態をついた。
 流刑星まで続く予定だった退屈な日々は終わりを告げた。今の状況から思えば、その退屈極まりない日々は至福の時間だった。流刑星で待っていた無期の刑務所暮らしや厳しい労役でさえ鼻歌まじりにこなせるぐらいに思えてくる。全てはたった1つのトラブルで変わってしまった。
 たぶん反応炉の燃料に問題があったのだろう。そのせいで反応炉は必要なエネルギーを供給できなくなった。そして制御用のエネルギーの供給を絶たれたΩドライブシステムは当然ながら暴走し、すべてのエネルギーを宇宙空間に一瞬でまき散らした。全ては想定外の出来事だった。たった1つのトラブルは幾つもの相反する要素を持った事態を連鎖的に誘発し、何重にも張られたフェイルセーフシステムの狭間を突いたのだ。
 命からがら救難ポッドで脱出できたのは、どうやら俺一人のようだ。ビーコンが出す救難信号は空しく宇宙空間に吸い込まれるばかりで、どこからも返事はない。
 そりゃそうだろう。こんな辺境宙域に誰かが居るなんてことあるはずがないんだから。
 それにここまで最悪だと、救難ポッドで脱出できたことすら、これから待ち受けるさらなる苦しみを与えるために仕組まれた罠のように思えてくる。脱出できたとき、安堵のため息をついて一瞬でも脱獄の成功を喜んだ自分が、最悪のおめでた野郎に思えてくる。どうすればいい?俺は酸素が切れて窒息していく自分を想像しながら呆然としていた。
 突然モニターの中央にメッセージボックスが開き、赤い文字が点滅した。『救援か!?』俺は色めきたったが、それが応答信号ではなく別の救難信号であることに気がついて激しく落胆した。だが脱出に成功した仲間からの信号かもしれない、そう思い直した俺は、残り少なくなった燃料を制御しながら徐々に接近した。
 そしてこの巨大な客船を発見し、当然の成行きとしてその船内に潜入することになった。そうした方が状況が改善することは明白だったからだ。
 だが、さっきも言ったように、展開はあまり芳しいものではなかった。まず、船内には誰もいなかった。俺がたどり着いたのは遺棄された客船だったのだ。しかも動力を持たない艀だった。これではどこへも行けない。。救難信号は空しく宇宙空間に吸い込まれるばかりで、どこからも返事はないのは同じ状況だ。繰り返すが、こんな辺境宙域に誰かが居るなんてことあるはずがないんだから。だが俺は船内に残された無尽蔵と言えるぐらいの大量の食糧を発見し、さらに生息環境とそれを長期間維持出来るエネルギーを手に入れた。アーコロジーシステムも融合炉も異常無く働いていたからだ。そして、俺は1頭のムルチェラゴに出会った。それが俺の横で寝息をたてて眠っているこいつだ。

 43番ビンの中にこいつを見つけた時は大変だった。敵とみなされてずいぶん激しい攻撃を受けた。つまり、咬みつかれたり引っ掻かれたりした。肩にはまだ歯型が残っている。可愛い顔をして、やることは結構強烈だ。だがこいつらは武器は使わない。こいつらの知能は人間並みか、分野によっては人間以上だが、そういうふうに作られている。
 大概の人は知っていると思うが、ムルチェラゴは人類が作り上げた最も高度な生命体だ。20年ほど前、人間の移植用臓器を生産する過程で鬼っ子のように誕生した。政府や医療健康省、それに実務を進めた研究機関には、このような生命体を作り出す意図は全くなかったのだが、どこにもマッドサイエンティストは居るものだ。ムルチェラゴは生み出され、そして直後に禁止され滅ぼされた。まるで間違って開けてしまった箱の中身に慄き、慌てて蓋をするように・・・。
 成体の体長は150センチ程、やや小柄だが人間を元に作られているため、見た目は人間と変わらない。一部体毛が多い程度だ。
 あまりに人に似ているため、人権や倫理についての問題は初期の段階から大きな問題になった。だが、それより人類が恐れたのは、人間を凌駕するその高い知能だった。人々はムルチェラゴに接するたびに、己の不明を恥じることになった。
 だが禁じられるとそれを欲する者が出てくるのは世の常だ。ムルチェラゴは性的玩具として闇で取引されるようになり、それを生業とする組織も現れた。もちろん違法だったが、摘発されると組織は一層地下深くへ潜伏し、さらに強大になった。
 多分この客船はそういう組織がムルチェラゴを使った闇のパーティーを開くための舞台装置だったのだ。大がかりな摘発か、組織同士の抗争か、何らかの理由で大慌てで船を放棄したに違いない。そして少しトロい所のある43番ビンのこいつだけが取り残されたのだ。俺はそう考えている。

 やがて43番ビンのムルチェラゴと俺は友好条約を締結し、表面的には穏やかな日々を送るようになった。だが、どこへも行けないという状況に変わりはない。この船のアーコロジーシステムから離れるということは、すなわち死を意味しているからだ。そしてまたクリスマスが巡ってきた。俺はムルチェラゴの頭を抱いたまま少し眠ろうとした。
 その時、モニターの中央にメッセージボックスが開き、信号音と共に赤い文字が点滅し始めた。信じられないことに今度は応答信号だ。俺は跳ね起きるとパネルにタッチし発信元を確認した。間違いない、相手はこちらの救難信号に反応して応答を求めている。だが応答しようと動き始めた俺の手は動きを止めた。チラリとムルチェラゴを見る。ムルチェラゴは何が起っているのかを見極めようとするように、大きなこげ茶の瞳をこちらに向けている。
 相手は要求を続けている。
 俺の手は動きを止めたままだ。
 このまま応答して救助されても、ムルチェラゴがどのように処遇されるのか俺にはわからない。今の社会ではムルチェラゴの存在そのものが否定されているからだ。ムルチェラゴは闇の世界から出ることは許されないのだ。そして俺の場合はこのまま無期刑が執行されるだけだ。
 俺の手は動かない。
 やがて相手は呼びかけを止めた。メッセージボックスが閉じ、画面は静かになる。本来は救難信号を受けたらそこに駆けつけて救援行動をとる義務が生じる。だがこのルールは必ずしも厳密に運用されているわけではない。宇宙船はそれぞれに重要な任務を抱えているし、現場に駆けつける余裕の無い場合も多い。だから応答が無い場合は無かったことにされるケースもある。もちろんこんな事が公になることは無いが、コスモノーツの間では時々噂に登ることがあった。今回もこんなケースなのだろうか。呼びかけてくれていた相手は静かに宙域を離れていった。
 俺は長いため息をつくとムルチェラゴを見た。ムルチェラゴも俺の目を見つめている。こげ茶色の大きな瞳は何もかもを超越した力で、俺の体を透かしてゆく。暫しの経過の後、俺の思考はすっかり読み取られ、それが完了したことを示すようにゆっくりと瞼が上下する。やがてムルチェラゴは目を瞑り、安らかな寝息を立て始めた。
「メリー・クリスマス」俺はそう呟くと、救難信号を出し続けていたビーコンの電源を落とした。

2015.12.24
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

狐画(前編)

Stella/s月刊Stella 2016 2・3月合併号掲載作品

 あの不思議な体験からは随分時が経ってしまったから、その時僕がどう感じたのか、どう考えたのか、どう行動したのか、言葉では細かい部分まで正確に表現することはできないと思う。あの現実離れした出来事は無理に言葉にしようとすると大切な部分があっという間に失われ、そうでない部分だけが君に伝わってしまいそうな気がする。
 だから僕はこの体験を長い文章にした。一つ一つの動作を確認し、細かい部分まで記憶を呼び覚ました。これからのこともあるし、君には全てをなるべく正確に順序立てて説明しておいた方が良いと考えたんだ。もちろん、読む読まないは君の自由だけれど・・・
 どうだろう?君は読んでくれるのだろうか?
 そしてまた僕に連絡をくれるのだろうか?


 当時僕はT市の町はずれにある一軒家に住んでいた。家は駅から歩いて10分程の住宅街にあったが、近くにはまだ田んぼや畑があって自然を感じることができた。車の往来も少なく静かで、構想を纏めるために散歩をするのにも最適の環境だった。それに建物が古かったせいで家賃が割安だった。ま、当時から一戸建てというのが僕の家選びの最重要条件だったから、ぼろ屋でもこの家には充分に満足していた。
 12月のある日のことだ。クリスマスの直前だったことは覚えている。夜11時頃、息が白かったから相当冷え込んでいたと思う。家路を急いでいた僕は、駅からの路地を出たところで立ち止まった。少し広くなった道の先にはオリーブドラブの幅の広い軍用車が道を塞いでいた。その先にもまだ何台も並んでいる。
「軍の車だ」その大仰な様子に驚いて僕はポツリとそう呟いた。
 車の後ろには3人の隊員が、通行止めの指示をするためか、赤いシグナル灯を持って立っている。
 突っ立っている僕に隊員の1人が近づいてきた。
「どちらへいらっしゃいますか?」にこやかに訊いてくる。
「この先です。家がそっちなんで・・・」僕は多分素っ気なく答えたんだと思う。
「我々は現在特務行動中です。この車両の関係で自動車の方には迂回をお願いしていますが、今のところ徒歩の方には何も制限はありません。どうぞお通りください。少し狭くなっていますので、お気を付けください」隊員は行き先をライトで照らしてくれた。
「どうも・・・」僕は軍用車の横を抜けて家へと向かった。その先にはたくさんの隊員が待機していた。『こんなところで、軍がいったい何の作戦だろう?』僕は不安な気持ちを抱えながら、冷え込みの中で黙々と待機している隊員たちの脇を抜けて家の玄関に辿りついた。
 家の中は冷凍庫のように冷え切っていた。僕はコートを脱ぐ前にダイニングキッチンの石油ストーブに火を入れ、そのままやかんで湯を沸かす。続けてコーヒー豆を挽き、ペーパーフィルターをセットしてコーヒーを入れ始める。いい香りが漂い始めるころ部屋は温まり始め、僕はようやくマフラーを外しコートを脱いで壁際のハンガーに掛けた。カップにコーヒーを注ぐと、ダイニングテーブルの硬い木の椅子に腰かけてゆっくりと口を付ける。一口目を空気と一緒に吸い込み、喉の奥に送り込んだ時、玄関の方で物音がした。
『なんだ?さっきの隊員かな?』そう思いながら僕はドアに向かい、ドア越しに返事をする。「はい?」応答がないのでそっとドアを開けようとしたが開かない。どうやらドアの向こうに何か障害物があるようだ。僕は両手に力を込めてドアを押した。隙間が徐々に広くなる。その隙間から白いくて細い人の手が見える。驚いてさらにドアを押し広げ、自分が通れるくらいの最低限の幅を確保すると頭を外に出した。誰かがドアに寄りかかるように倒れている。もがきながら隙間を抜けて外に飛び出し、かがみ込んで様子を見る。それは女性だった。ツバの広い黒い帽子を被り、同じ黒のゆったりとした上着、そしてロングスカート姿だ。「大丈夫ですか?」僕は声をかけた。微かに目を開けたが意識がもうろうとしているようだ。僕は助けを呼ぶために玄関先を離れ、路地を抜けて表の道に出た。軍の連中がたくさん待機していたはずだ。
 しかし表の道に出た僕は呆然と左右を見渡した。そこには人っ子1人居なかったからだ。あれだけ止まっていた軍用車も、待機していた隊員達も、みんな消えていた。僕は諦めて玄関に戻った。するとドアの前の女性も消えていた。何事もなかったように玄関は静かだ。僕は狐につままれたような気分でドアを開けた。そう言えばコーヒーを入れたままだった。鍵を閉めた事を確認し、廊下を進んでダイニングキッチンに入る。コーヒーカップを手にとって一口すすろうとしたその時、僕の目は床に釘付けになった。そこにさっきの女性が倒れていたからだ。
 僕は暫く固まってから心を落ち着かせ、女性の横にひざまずいた。今度は完全に気を失っているようだ。そっと肩を揺すり「もしもし」と声をかける。ポトリと帽子が堕ち、銀色の長い髪が溢れ出す。「おお」そして驚いたことに、女性の頭には一対の耳が生えていたんだ。普通の耳じゃない。猫や犬に付いているあの三角の耳だ。『コスプレ?』僕はそっとその三角の耳に触れる。柔らかな銀色の毛が生えていて体温まで感じられる。それにちゃんと頭皮につながっている。『付け耳じゃない』僕はふと気になって、本来人間の耳が付いている場所の髪を掻き分けたが、そこに耳はない。「どういうことだ」心の声は思わず口をついて出た。白い顔は滑らかで、ほっそりとした鼻と、どきりとするような鮮やかな唇が印象的で、それはどう見ても人間のものだ。そっと鼻の下に手を当てると微かな呼吸が感じられる。大丈夫そうだ。僕は誰かに助けを求めることを諦め、女性をそっと抱き上げた。ほっそりとしたその体は思っていたよりもずっと軽く、柔らかく、そして冷え切っていた。隣室との境の襖を足で開け、その部屋にある自分のベッドに女性をそっと降ろす。靴を脱がせ、着ていた服を緩めると、毛布と掛け布団を被せた。暫く様子をうかがっていたが、体温が上がってきたのだろう、小さく唸って体を伸ばす動作をした。それを見ていた僕は少し安心して、リビングダイニングに戻った。
 僕はコーヒーが冷め切っていることに気がついた。やれやれ、僕はコーヒーを温め直しにかかった。


2016.01.28

狐画(後編へ)
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

狐画(後編)

Stella/s月刊Stella 2016 2・3月合併号掲載作品

 目覚めた僕は暫く自分がどこに居るのか分からなくて、ボンヤリと天井を見つめていた。『そうだ、昨夜はあの子を僕のベッドに寝かせて、自分はリビングのソファーで横になったんだ』徐々に記憶と意識が戻ってくる。今日は休日だったので目覚ましもかけていない。
『何時だ?うわっ!もう10時じゃないか!』僕は慌てて体を起こした。そして『そうだ。あの子は?』跡形もなく消えてしまっている予感がして、ベッドを確かめに行く。
 予感は当たらなかった。小さな寝息が聞こえ、布団がゆっくりと上下する。じつに気持ちよさそうな顔で眠っている。まるで小さい頃に映画館で見たどこかのお姫様みたいに。そのお姫様に三角の耳は生えていなかったけれど。
 面倒な事に巻き込まれたくないという気持ちも強かったが、正直に言って安堵の気持ちの方が大きかった。僕はその耳にそっと触れ、興味津々で耳の穴に指を入れた。彼女は耳をピクリと動かして、そのまま寝返りを打った。
『やっぱり本物の耳だ』僕はビックリして手を引っ込めた。その時彼女の目が開いた。少し切れ長の目がこちらを見上げてくる。何回か確認するように瞬きを繰り返し、そして少し大きく見開いた。吸い込まれるような琥珀色の瞳だった。言葉を発さず、ただジッと見つめてくる。少しの間沈黙が続いた。
『コノコエデツウジテイル?』
「え?」僕は驚いて答えた。頭の中に直接響くような声を感じたのだ。
『コノコエデツウジテイル?』彼女は繰り返した。そう、この声は彼女が発しているのだ。「通じているよ」僕は頷きながら答えた。
『ヤットツウジタ』そう頭の中に響いてから「ヤットツウジタ」と彼女の口が動いた。
「ああ、喋れるんだ。大丈夫?」僕は彼女の琥珀色の瞳を覗き込んだ。
「モンダイナイ。ココハ?」少したどたどしく彼女は答える。
「僕の家だ。君はこの家の玄関で倒れていたんだ」
「ソウ・・・リカイシタ」
「どうして倒れていたの?」
「オワレテイタ」
「軍に?」隊員は特務行動中だと言っていた。
「ワルイヤツラ、ワタシヲツカマエヨウトシテイル」
「どうして?」
「ワタシノコトヲシラベヨウトシテイル」
「君はどこから来たの」僕は本題に入った。
「トオイトコロ。デモバショハイエナイ。イッテモワカラナイ」
「だろうね。君は宇宙人なのか?」僕は直球で訊いてみた。
「ワタシハニンゲンダ」
「人間?その格好で?あ、失礼」僕は思わず思っていることをそのまま口にしてしまった。
「カマワナイ。アナタトワタシニハ、チガッテイルトコロガアル。オナジジャナイ」彼女はベッドから足を降ろし立ち上がった。そして止める間も無く上着とロングスカートを脱いだ。上着とスカートの下には体にピッタリとフィットした服をまとっていたので、僕の想像した事態は起こらなかった。だが、それを上回る予想外の事態が僕をさらに驚かせた。髪は銀色で腰のあたりまで達するロングヘアーで、頭に例の三角の耳が生えているのは前に説明した通りだ。驚いたのはお尻から生えている尻尾だった。髪の毛と同じ銀色の長い毛がお尻から生え、床まで届いている。僕は我を忘れてこの世のものとは思えないその光景を眺めていた。
「オドロイタ?」彼女が体を動かすと、その長い髪と長い尻尾が優雅に揺れる。
「そりゃぁもう・・・」僕は上ずった声で答えた。

 彼女はこんなふうに僕の家にやって来た。当然ながら僕は彼女がどこからやって来たのか、何者なのかを知りたいと思った。だけどすぐに諦めてしまった。訊いても返ってくる答えは曖昧で、雲をつかむような話だったし。なにより彼女自身にも分かっていないように思えたからだ。軍隊も絡んでいるようだし、そんな厄介なことに首を突っ込んで、僕の大事な時間をつぶされたくはなかった。人類の安全保障が絡んでいるような予感もあったが、その時の僕にそこまで真剣に考える余裕は無かった。名前だけは突き止めることができたが、それは何度聞いても僕には発音できるような代物じゃなかった。だから僕は彼女のことを妖狐(ヨーコ)と呼ぶことにした。これは完全に偶然だ。彼女の風貌が白狐(しかもとびきり妖しいやつ)を連想させたからそう呼んだのだが、不思議なことだと思っている。
 ヨーコは数日の間を僕のベッドで過ごし、体力の回復を待った。軍からの逃避行は相当の体力の消耗を伴ったようだ。誤解の無いように言っておくけれど、僕はヨーコがベッドを使っている間はもちろんソファーで寝た。その後ヨーコは少しずつ起きられるようになって、僕のアトリエにも入ってくるようになった。
 僕はその頃、展覧会に出品する作品の仕上げにかかっていたんだけど、ヨーコは興味深げに僕が描いている絵を眺めた。
「何をしているの?」ここ数日でヨーコの発音はどんどんネィティブになっている。
「絵を描いているんだ」僕は筆を走らせながら答えた。
「それは何?」
「女性」答えはつっけんどんになった。
「分かっている。けれど、それは上手くない」
「はは」僕は筆を止めた。上手くないのは僕自身が一番よくわかっていたからだ。
「私を描けばいい」ヨーコがポツリと言った。
 衝撃が走った。そうだ!ヨーコを描けばいい。どうしてそんな簡単なことに気付かなかったんだろう。出会った時のあの衝撃のままに筆を走らせればいいんだ。僕はイーゼルに乗っていた描きかけのカンバスをどけて横の壁に立てかけると、代わりに同じ大きさの新しいカンバスを乗せた。
 それから僕はヨーコをモデルにして無我夢中でアトリエに籠った。もちろん食事もしなくちゃいけないし、そのための買い出しもある。その役目はすべて僕が担わざるを得なかったが、それ以外は創作に没頭し、湧き出るように作品は誕生した(もちろんその間、僕はソファーで眠った)。そしてまるでその完成を待っていたかのようにヨーコは消えてしまった。
 朝になったら居なくなっていた。あの黒い服が無くなっていたから、それを着て夜中のうちに出て行ったようだ。まったくそんな気配は無かったのに。本当に突然だった。何が起こったのだろう・・・僕は暫くの喪失感にさいなまれたが、やがて意を決してその絵を展覧会に出した。喪失感を埋めるためには、何らかの行動を起こす必要を感じたからだ。
 だけど喪失感に浸っている時間はあまりたくさんは与えられなかった。そう、僕の作品が展覧会で特賞を取ったんだ。それがこの間君が見たあの作品だ。あの作品のおかげで僕の評判は上がり、その後描いた作品にも買い手が付くようになった。そしてもう少し広いアトリエが必要になって、僕は今の家に引っ越した。

160124_妖狐
このイラストの著作権はlimeさんにあります。

 どういう事情で僕があの絵を描いたのか、モデルが誰だったのか、僕は起こった事すべてを順序通り、できるだけ正確に伝えたつもりだ。とても本当にあった事とは思えないかもしれないが、これが真実だ。ヨーコは完全に消えてしまって、何者だったのか、どこに行ったのかも分からない。そしてなんの連絡もない。
 信じる信じないは君の自由だが、僕は君が連絡をくれると信じている。
 陽子、僕は待っているよ。

 ***

 私は長い文章を読み終えて顔をあげた。
 自然と笑みがこぼれてくる。
 あの時は体力を使い果たしていたし、精神的に余裕もなかった。もう少し体温が低い状態が続いたらきっと死んでいたと思う。だから、自分の姿に構っている余裕なんてなかったんだ。
 でも今は細胞変換も完璧に行われているし、遺伝子レベルまで完全に同化している。もうあの時のように尻尾をつかまれる心配はない。
 だから、この間あの絵を見せてもらった時に、ちょっといたずら心を起こして焼もちのそぶりを見せたんだ。深刻な顔をして追求しすぎたのかもしれない。喋っているうちに感情が高ぶってきて、うっかり涙を見せたのはやりすぎだったかもしれない。だってオロオロしている様子がとても可愛かったんだもの。つい・・・ね。そうしたら、このメールが送られてきてちょっと焦ったけど・・・。
 大丈夫。私はあなたが優しいことも誠実なことも充分に分かっているよ。そして今、私を思ってくれている事も伝わったよ。

 私はスマートホンのテレホンアイコンに触れた。
 もちろん、大急ぎであなたに連絡を入れるために・・・
 だって、あなたは私の命の恩人なんだもの。
 そしてなにより、私が選んだ人なんだもの。

おしまい

2016.01.28
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

山女魚


 夏が過ぎ、秋が訪れて間もないころだったと思う。
 そのころの僕は中型のバイク、ヤマハRZ250に乗っていて、休暇を利用しては各地をツーリングしていた。この時もユースホステルで泊まりながら海沿いを1000Km程なぞるコースを走りきり、これから内陸の町に向かう予定だった。
 僕は暫く迷ってから海岸沿いの小さな交差点を左折して川沿いの道に入った。
 その川沿いの道は県道で、深く切れ込んだV字谷の中を進み、いくつものつづら折れを抜けて峠を越えている。地図上では車の通行が可能という標記になっていたから選択した近道だったが、もうすでに対面通行も難しい状況になっている。
「選択を誤ったかな?」僕は遠回りだが国道を走るべきだったと後悔しながらもUターンはせず、バイクを谷の奥へ向かって走らせていた。左折してから暫くの間こそ左右に水田が広がるのどかな田園風景だったが、やがて道は急峻な山塊に挟まれ、人間のテリトリーは見る見る浸食されていった。

 紅葉にはまだ少し早く、左右はすべて緑の山肌だ。前方は左右にくねる道路が続いているが、幾つコーナーを抜けても緑の木々が見えるばかりで視界は開けない。上を見上げればその緑に挟まれて狭苦しそうに青空が覗いている。道も狭く、バイクだから気楽に進んで行けるが、車だと対向車が来るたびに苦労しそうだ。もっともすれ違う車はほとんどなかったが。
 道は少しずつ高度を上げ、僕を人間界から遠ざけていく。ファスナーを少し下げたツーリングジャケットの胸元から入り込んでくる風も冷たくなった。やがて僕は小さな尾根筋を越えるコーナーを抜けたところでバイクを止めた。少し休憩を挟みたくなったという事もあったが、普段あまり見かけることの無い変わった物を見つけたのだ。それは吊り橋だった。
 サイドスタンドを下ろしエンジンを止めると、黒い2本のマフラーは白煙を上げるのを止め、辺りを静寂が支配した。耳がなれてくると、鳥の声、そして微かな空気の流れる音が聞こえてくる。続いて川のせせらぎだろうか?が微かに響いてくる。僕はツーリングジャケットのファスナーをもう少し下げるとゆっくりと歩き始めた。吊り橋は見えていたが、橋の袂までは山道を少し下らなければならない。冷たく澄んだ空気が心地よかった。
 山道を下った僕は頼りなさげな吊り橋に出迎えられた。主塔には「山女魚沢橋」とある。僕は誘われるようにその橋を渡り始めた。川の流れからの高さは30m、長さは50mといったところだろうか。30㎝幅の踏み板以外は敷鉄線が10㎝間隔で並んでいるだけなので下の川が透けて見え、おまけにけっこう揺れるから思っていたよりも恐怖を感じる。だがよく考えてみれば敷鉄線の間隔は10㎝だから転んでもこの隙間から転落することは無い。手摺鉄線も備えられているからさらに安全性は高くなる。そう自分に言い聞かせながら僕は橋を渡りきった。
 渡った先は山道で、吊り橋で渡った川から分かれた沢に沿って続いている。たぶんこの沢が「山女魚沢」なのだろう。道はやがてその沢の流れに行き当たった。流れは巨大な一枚岩の上を滑るように流れ下っている。夕方が迫っていたがこの斜面にはまだ西日が当たっていて、流れが木漏れ日を反射して、たとえようもないくらい美しい。僕は靴を脱ぐと大岩の上に座り込み、流れに足を浸した。
「おお~」長時間の運転で蒸し焼き状態になった足に、冷たい沢水がしみ込んでいく。僕は感嘆の声を上げたが、すぐに口をつぐんだ。沢沿いに1人の和装の女性が下りてきたのだ。
 大原女を思わせるその衣装はとてもよく似合っていたが、今の時代にこの格好はまったくの想定外で、僕をおおいに戸惑わせた。
 手ぬぐいを形よく頭に巻き、肩の籠にキノコらしきもの、右手には紫の花を一束持っている。格好から地元の人だろうと、僕はこちらから「こんにちは」と挨拶をした。
 彼女はドキリとするほど魅力的だった。漆黒の大きな瞳をこちらに向け、小ぶりな唇で穏やかに微笑みながら「こんにちは」と応え、そのまま山道を下っていく。木漏れ日が流れに反射し、ゆらゆらと彼女の姿を浮き上がらせる。
 僕は長い間放心状態で流れに足を浸したままにしていたが、やがてその冷たさに意識を取り戻し、靴を履くとゆっくりと橋の方へ戻り始めた。

 どれくらいあそこにいたんだろう。夕日は山並みに消え、谷底には夕闇が迫っていた。再び吊り橋の洗礼を受けバイクに戻った僕は、喉の渇きを憶えて水を飲もうとして水筒が空なのに気が付いた。しまった、あそこの沢水なら飲めただろうに、すっかりリズムを狂わされてしまった・・・ぼくはエンジンをかけ、バイクをスタートさせた。
 暫く走ると一軒の家が見えた。かなり古そうだが人の気配はする。何気なくスピードを落とすと、庭先に引かれたパイプの先から水がチョロチョロと流したままになっている。山からの引き水なのだろう。すぐにバイクを止め、開けっ放しの玄関に声をかけた。
「すいません、お水もらっていいでしょうか」
「どーぞ」と出てきたのはさっき沢で出会った女性だった。山支度は解いていたがやはり和装だった。
『あら、さっきの』とでも言うように大きな瞳で見つめてくる。被っていた手ぬぐいを外しているから、さらりとした肩までの黒髪が白い肌に映える。僕より少し年上だろうか?
 僕はなるべく彼女を見ないようにして水筒を取り出し、コップでまず喉を潤す。喉にしみいるような美味い水だった。そのまま水筒に水をいっぱいにすると、礼を言って立ち去ろうと顔を上げた。
「お1人でツーリングですか?」彼女が僕の顔を覗きこむように聞いてくる。
「はい、海沿いを南下してきて、これからこの先の峠を越えます」僕がそう答えると彼女は少し心配そうな顔をした。
「これから峠を越えるんですか?すぐに暗くなるし、道も狭くて曲がりくねってるから危ないですよ」
 あれ?地元の人にしては訛りがないな・・・僕は一瞬疑問を感じたが「大丈夫です。慣れてますから」と応えた。僕は何回も夜の峠越えを経験している。
「なんならうちで泊まってもいいですよ。今日捕った山女魚も焼きますから。どうぞ」
 失礼にも僕は少しの間固まってしまった。ちょっといけないことを考えてしまったのだ。僕はそのことに気づかれないようにあわてて言葉を返した。
「本当に大丈夫です。安全運転で行きますから」僕は立ち上がった。
「どうもありがとうございました」礼を言ってエンジンをかけると僕はそそくさとバイクをスタートさせた。
「お気をつけて」彼女は庭先で軽く手を挙げて送り出してくれた。
 僕は暗くなり始めた県道を峠に向かってアクセルを開けた。ミラーに写った彼女の姿は、たちまち小さくなった。

 あれからもう10年がたつ。今回のツーリングもあの時と同じように海沿いを1000Km程なぞるコースを走りきり、これから内陸の町に向かう予定だった。
 季節も秋の初め、時間も同じように夕方が迫っている。あの時と違うのは、僕が34歳になってしまったこと、バイクが少し大きくなってヤマハのSR400になったこと、泊まるのがユースホステルではなくホテルや旅館になったこと、そして山越えのコースに遠回りだが安全な国道経由を選択したことだった。10年前、真っ暗になった峠のつづら折れで、運転に難儀をした記憶があったからだ。
 だが僕はまだ迷っていた。例の海岸沿いの小さな交差点がせまっている。
 やっぱりそうしよう・・・僕は左折のウインカーを出した。
 交差点は拡幅され信号機が取り付けられていた。曲がった先の県道も白いラインの引かれた2車線の立派な道路に変身していた。
 お!これなら案外楽に峠を越えられるかも・・・僕はほくそ笑んだ。
 10年前と同じように、左折してから暫くの間は左右に水田が広がるのどかな田園風景だ。やがて道は急峻な山塊に挟まれ、人間のテリトリーは見る見る浸食されていく。だが道路はそれをあざ笑うかのように幅を変えることもなく、白いラインの引かれた2車線のまま谷間を切り裂いていく。僕は妙な予感を抱きながらバイクを進めていった。
 道は少しずつ高度を上げ、風も冷たくなった。やがて覚えのある小さな尾根筋を越えるコーナーに入ったところで僕はバイクを止めた。
 目の前で道路は谷を渡っている。あの吊り橋のあったところだ。以前は尾根筋を回り込んでいた道路はそちらへは行かず、橋で対岸に渡るように付け替わっていた。
 バイクを降りて欄干から下を覗いてみるがあの吊り橋は見当たらない。そのまま歩いて橋を渡ろうとした僕は驚いて立ち止まった。橋のすぐ上流に巨大なアーチ式のダムがそびえていたのだ。灰色の無機質な壁が谷筋をふさいで迫ってくる。橋の先にはトンネルの入り口があり、トンネル内には照明がこうこうと灯っている。
 僕はトンネルに近づいた。
 銘板には「山女魚沢トンネル」とあった。


2016.08.24
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フェールオーバ

 意識が戻ってくると猛烈な苦しさが襲ってくる。
 助けて・・・アタシは目を開けようとした。
 瞼の裏側でも外の世界が明るいのは分かる。
 だが、瞼はまったく動こうとしない。
 瞼でさえそうだから体の他の部分が言うことをきくはずもない。
 苦しい・・・この状況から逃れるためならもう諦めてもいいかもしれない。
 アタシは疲れ果てて、すべてを放り出す事を考えた。そう考え始めると苦しさもいく分か和らぐような気さえしてくる。

「まもなくアップロードが終わります。あと少しだ。頑張ってくれ」声が聞こえる。その頑張れはアタシに?
「いけそうか?」何がいけそうなの?
「コピー元の生体レベルは基準内です。この分ならベリファイの完了まで持ちそうです」
「それはありがたい。だがいったい何時間待たされるんだ」
「人間1人分の脳回路と神経回路の情報を全て写し取るんですよ。どれだけのデータ量があると思ってるんですか。それなりの時間が必要です」
「そんなことはわかってる。だが今回は第三世代のスキャナを使ったんだろう?もっと高速で転写が可能だと思っていた。身体スキャンとMEMSによる身体形成よりも時間がかかるとは・・・」
「格段にスキャニングの精度を上げていますがらね。人1人分のデータはさらに膨大なものになります。でもこれだけ拾えれば完璧な人格が再構成されるはずです」
「だったらいいんだが」
 なんの話をしているんだろう?アタシは朦朧とする意識の下で考えた。

「誘導シナプス経路が定着しました」別の冷静な声が告げる。
「バックアップ」事務的に答えが返ってくる。
「ホログラムの形成を確認」
「形成されたネットワークは正常です」何人いるんだろう?また別の声だ。
「バックアップ」事務的な声。
「覚醒します」冷静な声。
 沈黙・・・。そして小さなどよめき。
「ここは?」誰かの声。
「お目ざめですか?あなたのお名前は?」最初の声が尋ねる。
「×××」え!今なんて言った?
「フルネームはなんとおっしゃる?」二番目の声。
「×××・××××××」アタシの名前だ。じゃぁこれはアタシの声?
「生年月日は答えられますか?」最初の声。
「××××年×月×日」アタシ?が誕生日を答えている。そう、正解。
「ご家族はお見えか?」二番目の声。
「控室に」最初の声。
「お呼びして!確認を」
「はい」人が動く。
 ややあって誰かが入ってくる気配。
「×××!」おかあさんの声だ。アタシを呼んでいる。
「おかあさん」アタシ?の声。
「手を貸してさしあげて」
「×××!×××!よかった!」おかあさん。泣いているの?
「どうしたの?おかあさん。何が起こったの?」アタシ?の声。だけどそれを聞きたいのはアタシの方。
「事情を説明しよう。動力炉の暴走事故でね。君は大量の放射線を浴びてしまったんだ。記憶に有るかね?」
「はい、確かアタシはオイローパ号でオべリスへ向かっていて・・・途中でトラブルがあって・・・そうしたら急に世界が真っ白になって・・・」アタシ?の声。確かにアタシはオイローパ号でオべリスへ向かっていた。そして真っ白になって・・・。
「その通り。その時に君は放射線を浴びたんだ。記憶は上手く定着しているようだね」二番目の声。
「おかあさん。お嬢さんは暫くは入院して精密な観察とリハビリが必要です。このまま特別病棟へ運びます」最初の声。
「よろしくお願いします」おかあさんの声。
 もう1人のアタシ?が運び出される気配。キャスターの音。
 アタシは?アタシは朦朧とする意識の中で訴えたが、やはり体はどこも動かない。
「あの・・・先生、こっちの×××はどうなるのでしょうか?」おかあさんの声が不安げに尋ねる。こっちのって、アタシのこと?
「残念ですが、こちらの体はもう使えません。致死量を遙かに超える放射線を浴びてしまいましたからね。スキャンのために生体レベルは最低限維持されていましたがそれももう限界です。規定によって冷凍状態で保存されます」おかあさんは二番目の声の主を先生と呼んだ。この人お医者さん?
「そうですか」それだけなの?おかあさん。
「お嬢さんの医療記録を見せていただきましたが、卵子も規定量を保存されていますね」
「ええ、そのはずです」うん、ちゃんと規則通り保存したよ。
「だったら安心ですよ。あの体で問題になるのは生殖機能だけです。お嬢さんは何の不自由も無くこの先の人生を送ることができますよ。処理が間に合ってよかった」何が間に合ったの?
「ありがとうございます」ありがとうって?
「さ、お嬢さんのところへ」おかあさんと先生は部屋を出て行ったようだ。
 辺りが暗くなっていく。こういう状態を意識レベルが下がると言うんだろうか。不安でいっぱいになっていた心は諦めで満たされていく。さっき目覚めたアタシは、本当にアタシなの?もしあれが本当のアタシなら、このアタシはいったい誰?ずっとアタシはアタシのつもりでいたのに・・・。
 ますます暗くなってきた。
 もうくたくた・・・。
 そろそろお終いにしようか。
 アタシは頑張ったよ!
 だからもういいでしょ?
 

2016.09.30
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

YOZORA

 ソコーロ広場の真ん中には、2頭のライオンを従えたヘラクレス像の噴水がある。僕はベンチに腰掛けて噴水を眺めながら、のんびりと時の過ぎるのを待っていた。
 広場にはパラソルが立ち並び、その下に置かれた椅子とテーブルは、酒を飲んだり軽い食事を取ったりする人々で賑わっている。観光客が多いのだろうが、地元の人もかなり含まれているようだ。気安く店員に話しかけ、くつろいだ様子で語り合っている。喧騒は暮れなずむ空にまで溢れ出し、噴水の水音も全く聞こえないくらいだ。
 その時、喧騒を破るように広場に鐘の音が響いた。広場に面して建つソコーロ教会の鐘だ。3.4.5・・・ 僕はゆっくりと鳴らされる鐘の音を数える。・・・7.8回。腕時計に目をやると8時を少し回ったところだ。僕はそれを確認するとゆっくりとベンチから立ち上がった。
 ホテルで紹介してもらったレストランはこの広場から通りを少し入ったところにある。店は7時半ごろ前を通った時にはまだ開いていなかった。ホテルのフロントが「8時からだよ」と言っていたのは間違いではなかったようだ。僕はそれを確認してから広場のベンチに腰掛けて、店が開くのを待っていたのだ。
 この国の夕食は総じて遅い。シエスタ(長い昼休み)の習慣があって昼食をしっかり取るから、などと聞いた事はあるが本当のところはよく分からない。まぁ、習慣だからよその国の人間がとやかく言える筋合いではないが、おおむね午後9時頃からが一般的で、遅くなると午後11時ごろの人もいるようだ。店に近づくとさっきまで締まっていた扉が大きく開いている。僕は一度店の看板を見上げてから入口を入った。

 店内にまだ客の姿は見えない。笑顔の青年が迎え入れてくれて、手振りで誘うように奥の突き当りの2人席へ案内された。店はそこで折れ曲がっていてさらに奥の方にもテーブルがある。
『何処から来た?』彼がたどたどしい英語で訊いてくる。
『日本』覚えたばかりの言葉で答えると。彼はわかったという具合に頷き、そのまま奥にあるドアから出て行った。
 1人で取り残された僕は少し不安になってあたりの様子を窺っていたが、やがて奥のドアから1人の女性が入ってきた。さっきの彼が戻ってくるものと思っていた僕は少し驚いたが、まぁ悪い事ではないと思い直した。幼く見えるが物腰は落ち着いていて、ほっそりとした体に裾が少し絞られた水色のワンピースを着ている。こちらで見かけるグラマラスな女性とは明らかに一線を画する体型だ。明るい色の髪は肩の上でフワリとそろえられて、整った顔はキュートな感じだ。傍まで来ると明るいブラウンの瞳が見て取れる。

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このイラストの著作権はlimeさんに有ります。

「いらっしゃいませぇ」形の良い唇が動いた。だがそれが日本語だと理解できるまでには一瞬の間が必要だった。
「え?ああ、日本語ができるんですか?」僕は驚きを隠せない。
「はい。大丈夫ですよ。何を召し上がりますか?」彼女はメニューを広げ手際よくオーダーを取った。時折不思議なニュアンスが混ざるが流暢な日本語だ。
 覗き込むようにしてメニューの解説をしてくれる彼女は、僕のそばに寄り添うような形になる。料理の臭いが漂うレストランの中なのに、彼女の臭いが感じられるような気がして、僕は心拍数を上げようとする心臓を抑え込むのに苦労した。

 料理は美味しかった。一品づつの量が少なめな上に日本語でやり取りできるので、いろいろな料理を味わうことができる。アルコールに弱い僕が調子に乗ってお替りまでしたくらいだ。ほろ酔いになった僕は食事のペースを落とし、彼女の様子を追いかけ始めた。
 このレストランには結構日本人がやって来る。ホテルからの紹介や、口コミ情報があるのだろう。現に今も日本人らしきグループがやって来てテーブルに着いたところだ。店員が日本人であることを確認すると彼女がテーブルにやって来る。たちまち席は盛り上がり、日本語で次々とオーダーを取って行く。そして評判は評判を呼び、また日本人がやって来るという具合に回っているのだろう。彼女は忙しそうに立ち働いている。
 トレイの上にたくさんの小皿料理を乗せてテーブルを行き来しながらチラリチラリと僕の方を見ていた彼女は、少し時間ができたのかこちらへ近づいてきた。
「いかがですかぁ?」
「美味しいよ。ちょっと食べ過ぎてしまったかも・・・」
「それはよかったです。ところで・・・」彼女は耳元へ顔を寄せた。「私は今夜2時に仕事を上がるんですが、それから一緒に散歩に出かけませんか?」
「そんな時間に?」僕は怪訝な顔をしたのだろう。彼女は慌てて付けたした。「夜の街をご案内します」彼女は値段を言った。「もしよろしかったらということですけど・・・」
「そういうこと・・・」僕はまた驚いたが、酔った勢いもあってその話に乗ってみることにした。「オーケー、じゃぁお願いしようかな」
「私のアパートだとその4倍ですけれど?」
「いや、それは遠慮しておくよ」僕は首を振った。「一緒に散歩しよう。それがいい」
「わかりました」彼女は少し気落ちした様子だったが、僕の泊まっているホテルを聞いた。そして僕のわかる場所を待ち合わせ場所に指定し時間を確認するとテーブルを離れた。
 僕は少しの間彼女の仕事ぶりを眺めていたが、最初の彼が番をしているレジで勘定を済ませて店を出た。そしてすっかり暗くなった空を見上げてから石畳の上を歩き始めた。
 白い壁の間から満月が覗いていた。

 午前2時を少し回ったころ、僕はホテルを出てすぐ傍に有る闘牛場へ向かった。さすがにもう人通りは無く、たまに道路を走る自動車のヘッドライトが白い建物を照らし出すだけだ。道の向こう、闘牛場の道路に面した部分は小さな広場になっていて、そこに有名な闘牛士2人の銅像が立っている。
 広場に入るとその右側の象の傍に人影が見えた。裾が少し絞られたワンピースに白っぽいガーディガンを羽織っているのだろうか、明るい色の髪とほっそりとした体が月の光に浮かび上がる。
「来ないかと思った」彼女の声は少しの咎めを含んでいる。
「ごめん、どうも本当の事には思えなかったんだ。なにかの勘違いか夢みたいなものに思えてきて・・・」
「これは紛れもない現実よ」彼女は妙に冷たい調子で言ってから「どこへ行こうかぁ」と寄り添って僕の肘につかまった。
「どこでも、君の好きなところ・・・」
「じゃぁ、私のアパートに行っちゃおうかなぁ」彼女は甘えた調子で言う。

YOZORA__.jpg
このイラストの著作権はlimeさんに有ります。

「それは勘弁、約束が違う」
「ふふ・・・じゃぁ、この街をごあんな~い」彼女は寄り添ったまま歩き出した。僕は押し出されるようにそれに従う。暫く道路沿いに狭い歩道を進みホテルの前を通り過ぎると左に折れて公園に入った。人影はない。彼女は黙って歩いている。
「あのさ」僕はたまりかねて声をかけた。
「なに?」
「君の名は?」
「じゃぁ、訊くけどぉ。あなたこそ名前は?」
「フジマキ」
「それは名字でしょ?名前は?」
「ヒロユキ」
「へぇ!イロユキ、ヒロユキ・・・ちょっと言いにくいなぁ」彼女は僕の名前を繰り返した。
「君は?」
「私?私はヨゾラ」
「ヨゾラ?ヨゾラってそれは日本語?」
「わかんない。こっちの言葉じゃないのは確かなんだけど、アルファベットで書くんだもの」
 僕らは公園の端までやって来た。そこには鉄製の柵があって、その先はこの町の特徴でもある100メートル以上ある断崖絶壁だ。この町は断崖絶壁の上、まさに崖っぷちに有るのだ。
「うわ」僕は会話を中断して目の前に広がる景色に見とれた。断崖の下には広大な田園風景、その遙か向こうは山並みなのだが、そこには目につく建物が無いために灯りがほとんどない。それを満月の光だけが浮かび上がらせていて、まるで中世そのままのような世界が拡がっている。僕は我を忘れてその風景に見入った。
「ヒロユキ?」僕が黙っているので彼女が肘を少し引っ張った。
「ああ、ごめん。あんまり綺麗だったから驚いたんだ」
「でも、こんなの普通だよ。満月の夜はいつもこんな感じ」
「君たちにとってはそうかもしれないけど、よそから来た者にとってはこれは凄いよ。それにこの空」僕は満月を見上げた。「君の名前はこんなイメージから来ているのかもしれないね。澄み切って冴えわたって静かで、そしてとても美しい」
「ふふ・・・」ヨゾラは自嘲気味に笑った。
「私はこの町の生まれじゃないんだ。隣の国の一番大きな町で生まれたの。母はこの国の人だったけど、父はたぶん日本人ね」
「たぶん?」
「わかんないの。私が日本語を喋れるのは父のせいだから、多分そうだったんじゃないかって思ってる」
「だった?」
「父はどこかへ行ってしまったの。母はこの町へ来てから亡くなったわ。だから私の名前はここの空じゃないんだ。もっと汚れた大都会の夜空なの」
「そんなことはない。どこにでも綺麗な夜空はあるよ」僕がそう言うとヨゾラの手に力がこもった。僕らはまた歩き始め。闘牛博物館の前を抜けて再び崖の方へ向かう。
「ここはアルデウエラ展望台」ヨゾラが解説してくれる。
 そこは崖が空中に突き出したようになった部分で180度以上の展望が開けている。僕らはそこでもう一度風景を堪能してから、展望台に設けられたあずまや(ガゼボというらしい)に並んで腰を下ろした。
「もしさぁ・・・」暫く喋らなかったヨゾラがそっと口を開いた。「もしこのまま私を連れて逃げてって言ったらヒロユキはどうする?」
「君を連れて逃げるって?何から?」
「いろんなものから。お金や、組織や、義務や、義理や、しがらみや、何もかもから・・・」
「お金が一番難しいだろうね。それさえ何とかできれば、あとはヨゾラが覚悟をきめれば逃げ出せると思う」
「お金かぁ」ヨゾラはため息をついた。
「それはいつまでも追いかけてくる」
「だよね・・・」沈黙。
「それに、ヨゾラが今持っている幸せも投げ出すことになる」
「そんなもの、ほとんど無いから、かまわないんだ・・・」また沈黙。
 僕らはガゼボの段々に肩を寄せ合って座っている。彼女の体は温かく柔らかい。
「ごめんね。変な話をして。もう少し歩こうよ」ヨゾラが立ち上がった。
「やってみてもいいよ」僕は最初の質問に答えた
「え?」ヨゾラが振り返る。
「いっしょに逃げてもいいよ」僕は立ち上がって言った。
「本当に?」
「本当だ。こんな話、冗談ではできないよ」
 ヨゾラは目を大きく開いてこちらを見ている。
 アハハハハハ・・・突然ヨゾラが笑いだした。
「ありがとう。嬉しい!」ヨゾラは僕の胸に飛び込んできた。「でも冗談!冗談だよぉ。こんなことを本気にする人が居るとは思わなかった。ヒロユキ、あなたはとてもいい人ね」
「冗談って・・・」僕は苦笑いを返す。
 ヨゾラは僕の胸から顔を離し、体の間隔を取った。
 僕は見逃さなかった。ヨゾラが僕の胸から顔を離したその瞬間、彼女の目頭に光るものがあったことを・・・。
 満月が雲に隠れ、辺りがサッと暗くなった。
「魔法は解けたわ。今夜はここで終わりにしましょう。私の都合だからお金はいらないわ」ヨゾラの表情は読めない。
「じゃぁ」ヨゾラはクルリと背を向けると早足で歩き始めた。
「ヨゾラ!」僕は強く呼びかけた。
 ヨゾラの足が止まる。
「僕は夜が明けたらホテルを出発する。一緒に行こう」
 はっきりと聞こえたはずだ。だが彼女は何も言わずにまた早足で歩き始めた。
 雲に隠れていた満月が顔を出す。
 夜空は再び透明さを増し、月光が彼女の姿を白く浮かび上がらせる。だがそれは一瞬の事だった。彼女はそのまま角の向こうに消えた。
 僕はその場に立ちつくしていた。まるで尻尾を掴みそこねた間抜けなフェアリーハンターのように・・・

2016.11.04

テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

センチの朝

今夜は「太陽風シンドロームシリーズ」のSSをUPします。
このシリーズはサキが気まぐれで書く、仮想世界を舞台としたオムニバス形式のいいかげんな作品群です。
一編ずつ独立していて関係性はありません。
単独で読んでいただけますのでよろしければどうぞ・・・。

センチの朝

「センチ、そろそろ起きなさい。7時になったよ」母の声だ。センチは薄く目を開けた。
 母は小さいころから彼女の事をずっとあだ名で呼ぶ。『ちゃんと名前があるんだから、名前を呼んでよ』センチは寝ぼけた声を出した。
 まだまだ眠いし、部屋の中は冷え切っている。センチはもう一度布団の中へもぐり込んだ。
「学校の集会、9時からでしょう」追いかけるように母の声が聞こえてくる。
「集会?」センチは布団の中で呟く。
「遅れたらペナルティーは半端ないんじゃなかったの?参加者は厳重にチェックされるんでしょ?リストに登録されて、居残り講習で2時間は拘束されてしまうんでしょ?午後から遊びに行くんじゃなかったの?」
「あ!そうだった」今日は大事な用事・・・デートとも言う・・・があるのに、それを諦めるなんてとんでもない。センチは勢いよく起き上がった。
『でも集会って、何だっけ?』センチは首を傾げながら、ダボッとしたパジャマを脱ぎ、枕元にたたんで置いていた下着を身につけると、大急ぎでベッドを出て服を着込んだ。
 部屋を出て廊下を走り・・・と言っても3メートル程だが・・・トイレに飛び込んだ。用を済ませると、今度は洗面所の鏡を覗き込む。
 鏡の中には半分ぼやけたような自分の顔がある。一番気に入っている大きなブラウンの虹彩は目ヤニで濁っているし、本来は肩の上で綺麗にカットされている髪は、寝癖で半分以上天井を向いてしまっている。センチは小ぶりな薄い唇を、小さな鼻にくっつけるように斜め上に曲げた。
「早くなさい!」母にもう一度急かされるとセンチは睨めっこを中断し、忙しげに両手を動かし始めた。
 なんとか暴れ回る髪を押さえ込み、冷たい水で顔をシャキッとさせてキッチンに入ると、テーブルでは父と兄がすでに食事を始めている。
 いつもの朝の風景だ。センチの心は落ち着きを取り戻した。
「とーさんは今日は遅くなるのよね」母が父に確認する。
「ああ、残業で3時間の勤労奉仕だからな」
「重工業は大変よね」
「どこだって同じさ。それに先月うちは政府目標に達しなかったからな。文句は言えないよ。晩ご飯は先に食べといてくれ」
『勤労奉仕?』また首を傾げながら「おはよ~」センチは眠そうに声を出した。
「「おはよう」」父と兄は合唱で答え、センチに笑顔を向けた。
「早くなさい」母は相変わらずだ。
 センチはご飯をよそい、味噌汁を入れるとテーブルに座って食事を始めた。「いただきま~す」
「はい、おあがりなさい」母がおかずを並べてくれる。
『いつもの朝だよね!』センチは自分に言い聞かせた。
「お兄ちゃん、インターンシップ来月だったっけ」母が隣に座る兄に声をかけた。
「6日からだよ」
「3週間の予定だから26日まで?大変だね」母がカレンダーを見ながら言う。
『3週間?』地平線から湧き上がる黒雲のように、センチの心の中でまた不安が首をもたげる。
「うん、参加しなかったら就職にも影響するから、ほとんど全員参加みたいになってるからな。でも面倒なだけで、そんなに大変でもないらしいよ。週休2日だし、先輩に聞いたら、移動学校みたいな雰囲気で結構楽しいと言ってた。ハラスメントにならないようにプログラムされているから、教官やリーダーも丁寧に指導してくれるらしいしね」
「インターンシップって、なんの?」センチが顔を上げて兄の方を見る。
「体験入隊さ、前から言ってるじゃないか」
「そうだった?でも入隊って自衛隊みたい」
「自衛隊?なに寝ぼけてんだよ。軍隊になったじゃないか」兄はセンチの顔を覗き込む。
「え・・・あ、ごめん。それで体験入隊するんだ」当然のような兄の言葉に、センチは思わず頷いてしまう。
「お前、大丈夫か?」
「だよね。ハハハ・・・」心配げな顔の兄に、センチはとりあえず相槌を打った。
「そのまま予備役になる国に比べたら楽なものさ。実弾も撃たせてくれるっていうしな・・・」
「実弾?お兄ちゃんが?」センチは目を大きく見開いて兄を見る。
「大丈夫だよ。お前だって3年後には希望すれば参加できるんだぞ」兄は茶化すように言う。
「わたしが?いつのまに・・・?」センチは口の中で呟いた。
「昔はこんな制度はなかったのになぁ」兄は溜息をつく。
「就活に有利になるんだから頑張りなさい!」母が兄の背中をポンと叩いた。
「でもさ・・・」センチにはまったく理解できていない。
「喋ってないでさっさと食べちゃいなさい。間に合わないよ」母が時計を確認しながら言う。
「う・・・うん」センチは箸を動かし始めた。
 兄妹が黙って朝食を食べ始めると、静かになったキッチンにニュースの音声が流れ始める。テレビでは綾部首相がいつものように両手を大きく動かしながら熱弁をぶるっていたが、解説に切り替わった。
『・・・首相は要求を拒絶する声明を発表し、同時にこれが受け入れられない場合は条約からの脱退も躊躇しないと表明しました。この発言は条約参加国の間でも驚きを持って受け止められ、我が国が条約参加国に対してどの程度の影響力を持っているのかが試される局面になっています。首相は増強した軍事力を背景に強気の発言を繰り返しており、各国の対応が注目されています。今後我が国は余談を許さない・・・』
「それじゃ、出かけるぞ」食事を終え身支度を整えた父が言った。
「俺も行かなきゃ」兄も父に続く。
「はいはい」母が2人を玄関まで送っていく。
『・・・こういった行動は我が国の主権を全く無視したものであり、国際裁判所も機能をはたしていないと主張しています。今後、我が国は毅然とした対応を・・・』
「なにがどうなってるの?」センチは箸を置いて携帯端末を取り出した。画面をタッチして覗き込むと、友達のメッセージが幾つか受信されている。センチは友達の名前を確認した。いつもつるんでいる仲間たちだ。いつもの場所、いつもの時間で待ち合わせだ。
「センチ、時間!」玄関から戻ってきた母がリミットを宣言した。
「あ、は~い」センチは急いで端末を置くと、残りの朝食を掻き込んだ。
 そして「やっぱりいつもの通りだ」無理やり自分を納得させると、大急ぎで身支度を整えて玄関を飛び出した。
 
 春はもうそこまで来ている。まだまだ肌寒いが、降り注ぐ日差しや流れる空気の中には、微かな生命の息吹を感じ取ることができる。道筋の生垣や街路樹の新芽はもう芽吹く準備を終えていて、はち切れんばかりに膨らんでいる。この通りは桜並木だから、あと少し待てば満開の桜の中を通学できるだろう。
 センチはポケットから両手を出すと大きく伸びをした。そして両手を大きく振りながら大股で歩き始めた。
 センチはぐんぐんと街路樹の並ぶ美しい通りを真っ直ぐに進んでいく。
 駅前の広場に出てロータリーを回り込む。
 とんがり屋根のいつもの駅舎が見え始めた。
 センチはチラリと腕時計を見た。
「あなたは国家のために何ができますか?」駅前にはのぼりや横断幕がはためき、何かのキャンペーンをする人々の威圧的な声が聞こえていた。


2017.02.09
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
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プロフィール
こんにちは!サーカスへようこそ! 二人の左紀、サキと先が共同でブログを作っています。
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アスタリスクのパイロット、アルマク。キルケさんに書いていただいたイラストです。
ラグランジア
左からシスカ、サヤカ(コトリ)、サエ。ユズキさんにイラストを描いていただきました~。掌編「1006(ラグランジア)」の1シーンです。
天使のささやき_limeさん2
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