Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

フォーマルハウト

Stella/s 「Stlla」10月号掲載作品・読み切り・掌編

『捕まえた……』シャウラは頭の中で呟いた。
 狙撃用のライフルのスコープには標的の頭部が捕らえられている。
 顔は砂色の布で覆われ、隙間から目だけが覗いている。その大きな瞳は琥珀色に輝き、自分の進む方向を見つめている。シャウラはスコープの十字線をその目と目の間に合わせると、普段は使わない脳の機能を使って補正をかけ、慎重に引き金を絞り始めた。
 その瞬間だった。照準を合わせていた頭部がスコープから消え去った。慌ててスコープを左右に振るが標的を見つけられるはずも無い。目をスコープから離して確認すると、そこには標的の乗っていた奇妙な四足の動物が、ゆったりと歩を進めるのが見えるだけだ。体はふわふわした白い体毛に覆われ、長い首の上に乗った小さな頭には尖った短い角が2本生え、両側には可愛らしい目が覗いている。
『どこへ行った?』シャウラの目は忙しなく周りを確認する。しかし、その標的の姿を見つけることは出来なかった。
 シャウラは一旦ライフルを自分の脇に横たえると、ひっくり返って仰向けの姿勢を取る。『そんなバカな。この僕が引き金を引く前に標的を見失うなんて……』自分の腕前に絶対の自信を持っていたシャウラは目の上に両手を重ねてしばらくの間瞑想した。やがて彼はそれをすべて自分の目が太陽にやられたせいだということにして、再び俯せになりライフルを構え直した。
 視界にはやはり標的の乗っていた奇妙な動物が歩いている様子しか見えない。シャウラはスコープを覗いて細部を確認したがやはり標的の気配は無い。その動物は崖の下をゆっくりと歩み去り、シャウラはスコープを覗いたままその姿を追いかけていく。
 と……シャウラは激しい殺気を感じてスコープから目を上げた。上空からは砂色の布に身を包んだ人形(ひとがた)が太陽を背に剣を構えたまま降ってくる、まさにその瞬間だった。本能の命じるまま体を捻る。剣は頬をかすめ、伸び始めた髭を剃り落として風化した花崗岩に当たり、ジャリ~ンと破片と火花をまき散らす。シャウラは全身をバネのように使って起き上がり、腰に差していた剣を引き抜きざま横一文字になぎ払う。人形は飛び上がってそれを避け、頭部をめがけて剣と共に再び落下する。ギィ~ン……両手で支えた剣がそれを受け止める。人形はそれを反動にしてクルリと回転し一旦距離を取る。と思う間もなく低い体勢で地面を走り、地表近くに構えた剣で大気を下から上に切り裂く。シャウラは剣先が額をかすめるのを感じながら後方宙返りでそれを避けた。だが、それが精一杯だった。シャウラは着地に失敗し、前のめりに地面に倒れ込む。その隙を逃すはずも無く、人形は一瞬で肩の上に膝から落下する。鎖骨と肩甲骨が粉砕される不気味な音が頭蓋骨の中から聞こえ、激痛が脳の中を走り抜ける。直後、首筋に剣を当てられる冷やりとした感覚に、今感じていた激痛も遠のく。
 時間は凍り付いた。

 やがて人形が声を出す。「動くな……で、通じている?」
 女の声だ。シャウラは「わかった」と声を絞り出した。
 女は取り落としたシャウラの剣を遠くへ放り投げた。
「なぜアタシを狙う?理由によっては容赦はしない」砂色の布の隙間から大きな琥珀色の瞳が睨みつける。
 シャウラは剣から首をそらしてその瞳を見つめ返した。再び激痛が蘇ってくる。女は、顔をしかめるシャウラをじっと見ていたが、やがて視線を緩めた。シャウラは女が微笑んだのだろうと思った。
 女は剣をシャウラの首筋に当てたまま、顔を覆っていた布を下げた。琥珀色の大きな瞳を持つその顔は、彼自身の命の存在と激痛を意識の彼方に吹き飛ばし、シャウラの心を一瞬で虜にした。
 顔を見つめたまま押し黙っているシャウラに痺れを切らしたのか、肩を押さえつける膝の圧力を少し上げながら女が声を発した。
「なぜアタシを狙う?」
 シャウラは呻き声を上げながら答えた。「僕はレサトの衆だ。レサトは生業として神族を狙う」
「レサト?」
「知らないのか?僕らの家系の呼び名だ」
「シンゾクとはなんだ?」また少し肩に力がかかる。
「お前は神族じゃないのか?神族は僕ら魔族の敵だ。もう4千年も争っている」痛みに耐えながらシャウラは答える。
「4千年?気の長い話だな。アタシはそのシンゾクでもマゾクでもない。人間だ」
「人間?人間だって?僕は人間を見るのは始めてだ。こんな所で人間に会えるとは思わなかった。そんな恰好をしているからてっきり神族かと……」シャウラはうっかり仰向けになろうと体に力を込めた。その瞬間、肩を思い切り押さえつけられたシャウラは、その激痛に呻き声を上げ、頭を地面に落して意識を失った。

 灯が揺れている。頭上には満点の星空が拡がっている。徐々に意識を取り戻したシャウラはゆっくりと周りを見廻した。
 夜の闇の中で、ユラユラと揺れている灯は焚き火だ。厳しく冷え込んだ空気の中で、体のそちら側だけは、ほんのりと暖かみを感じる。焚き火の傍には人影が見える。その脇には例の奇妙な動物が、寄り添うようにたたずんでいる。
 人影は顔をこちらに向けるとゆっくりと立ち上がった。「気がついたか?」覚えの有る声がして、長い髪がふわりと揺れる。焚き火の弱々しい光の中で正確な色は分らないが、光を反射して光る様子から明るい色の髪なんだろうとシャウラは想像する。
「目が覚めたのか?」シャウラが黙っているので女はもう一度聞く。
 これ以上黙っているとまた骨折した場所を痛めつけられそうな気がしてシャウラは慌てて「殺さなかったんだな……」と言った。
「ククッ!アタシは殺すのが生業のレサトじゃ無い。アタシの生業はサーベイヤーだ」女は短く笑って言った。
「サーベイヤー?」シャウラにとって初めて耳にする単語だった。
「実はアタシにもよく分かっていない。こうして旅をするのがアタシに課せられた使命だ」女はシャウラに近づくと様子を確認するように顔を覗き込んだ。
 女の顔は陰になっていてよく見えなかったが、昼間見た顔を思い出したシャウラの心臓は鼓動を速めていく。そっと傷口に触れられて、そこに添え木と布が当てられ手当をされている事に気がついた。
 暫くシャウラの体を触ってから「腹が減ったろ」そう言うと女は例の奇妙な動物に近づいた。そして背中に乗せられたザックから大きなお椀の様な器を取り出し、背中を向けたまま何かしていたが、やがて器を持ってこちらに戻るとそれを差し出した。「飲め」声は少し暖かみを帯びたように思えた。
 シャウラは体を起こそうとして痛みに顔をしかめる。女は、しょうがないな……という風に、シャウラの後ろに回り込んで腰を降ろした。そして器を地面に置いてから、シャウラの上半身を支えて自分の胸にもたれ掛けさせた。
 シャウラは後頭部に当たる女の胸の膨らみと、頬に触れる女の長い髪を感じながら、ますます速くなる鼓動が女に伝わらないか心配した。
 女は無事な方の左手に器を持たせてくれたが、そこには白い液体が入っていた。
「これはブースターの乳だ。飲めば元気になる。それにしてもお前の傷の回復力は凄い。みるみる治っていく。それはマゾクとやらの力なのか?」
 空腹を感じ始めていたシャウラは慌ててそれを飲もうとしてむせて、傷口の痛みにまた顔をしかめた。
「慌てるな。ゆっくり飲め」女はそっと器を支えてくれた。ゆっくりと口に含んでから飲み下す。それはほんのりと甘くそして暖かく、腹に収まると体中にエネルギーが浸み渡って行く。
「これくらいの傷は今夜寝て明日起きればだいたい回復している。人間だとどれくらいかかるのかは知らないけど」器を空にしてからシャウラは答えた。
「アタシ達だと少なくとも3ヶ月はかかる」
「不便なものだな」
「マゾクは人間より強いのか?」女が尋ねる。
「聞いた話だけど、魔族と神族は元々は同じ種族なんだ。一括りにしてイノセントと呼ばれる。イノセントから複雑な機能を省いて量産し易くした種族、それが人間、ギルティと呼ばれる者なんだそうだ」
「ギルティ?ふ~ん、アタシ達人間はイノセント?の量産型なのか」女は思案げに呟く。
「ところでブースターというのはあの動物のことなのか?」疑問を口にしながら、シャウラは少し寒気を憶えていた。
「そうだ」簡潔に答えた女はシャウラの微かな体の震えを見逃さなかった。「うん?寒いのか?」
「ブースター」女が呼ぶとその奇妙な動物は女のところへ回り込んできた。
「ブースター、悪いけど、こいつを入れてやってくれないか?」女が声をかけるとブースターはシャウラのそばで横になった。
「ほら、ここに入れ」女がブースターのお腹を触ると大きく穴が開いた。シャウラは女に支えられたまま、その袋状の穴に体を滑り込ませ、頭だけを袋から出して中に収まった。そこはまるで別天地のように暖かだった。
「僕はお前を殺そうとした。なのにどうしてこんなに親切にしてくれるんだ?」
「人違い、いや、神違いだったのだろう?」
「うん、てっきり神族だと思った」
「じゃぁ、お前はアタシを殺そうとしたわけじゃ無い。だったらどうして放っておける?」
「礼を言うよ。痛い目に遭ったけどね」
「それはしょうがないだろう?お前はアタシの命を取ろうとしたんだ」
 シャウラは苦笑いを返してから「ブースターにはこちらの動物の血が入っているのか?」ずっと気になっていたことを訊いた。
「そうだ」落ち着いた声がした。シャウラはあたりを見回し声の主を探した。
「ここだ。私が喋っている」シャウラはブースターの長い首の上に乗った頭についている可愛らしい目が、こちらを見つめていることにようやく気が付いた。
「お前が喋っているのか?」シャウラはあらためて確認した。
「そうだ、私は人間世界の哺乳動物とイノセンティアの両性有袋動物との混血だ。だからイノセンティアの動物の特徴である袋を持っているし、喋ることもできる」ブースターはやはり落ち着いた声で答えた。声は男とも女ともとれる独特のものだ。
「その袋は私の育った子宮みたいなものだ」女は自慢げに言った。
「子宮?」シャウラは怪訝な顔をする。
 ブースターが解説を追加する。「彼女は生まれ落ちてすぐに母親から離されて、私の袋に入れられたのだ。そして世界の果てを目指して王都を旅立って36年。私のお腹の袋の中で私の乳を飲んで育ち、私の教育を受けながら僅かな人間の影響範囲ギルティアを飛び出し、広大な結界を乗り越え、イノセントであるお前達魔族や神族の影響範囲イノセンティアに入り込もうとしているのだ」
「生まれてすぐに王都を?なぜ?」
「アタシがサーベイヤーだからだ。それ以外に理由は無い」女は一切の質問を受け付けない断固とした口調で言った。
「お前、お前に名前はあるのか?」
「他人に名前を聞くときは自分が名乗るのが礼儀じゃないのか?」
「すまない。僕はシャウラ。お前は?」
「アタシは、フォーマルハウト。言いにくいからファムでいい。シャウラ」ファムは照れたような顔で言った。
「じゃ。ファム、ファムは、生まれてから36年間ずっと旅を続けているのか?」
 質問にはブースターが答えた。「王都ではフォーマルハウトが生まれてから実際に36年が経過している。そしてフォーマルハウトはその間ずっと旅を続けている。だが結界空間の歪みの影響で彼女の時間は同じだけ経過しているわけではない。もっと短いものだ。ただ“懐中時計”だけが正確な王都標準時を刻んでいる」
 ファムは体全体を覆う砂色の衣装の内ポケットから小さな物を取り出し、シャウラの顔の前に差し出すと横のボタンを押した。
 カチッと音がして蓋が開いた。
「これが“懐中時計”だ」焚き火の灯を反射する美しい筐体の中では、様々な速度で廻る何本もの針が規則正しく動いている。さらにその盤面の中には幾つもの小さなメーターが組み込まれ、それぞれが重要なデータを指し示している様子だ。
「この一番太くて短い針は“世紀”こっちは“年”これは“月”そして“日”、こっちの小さいのが“時・分・秒・1/10・1/100・1/1000だが、こっち側は速すぎて読み取れない」ファムがそれぞれの機能を指で指しながら説明してくれた。
「この“懐中時計”は、アタシと人間の世界を繋ぐただ1つのものだ。アタシがこれを持っているから王都のコントローラーはアタシと王都との距離を測ることが出来る」ファムはチラリとブースターを見て続けた。「……らしい」
 ブースターは微かに頷いた。
 それを確認すると、ファムは大事そうに“懐中時計”を内ポケットに仕舞った。
 疲れているのだろうか?質問がひと段落したところで、シャウラは激しい眠気を憶えて大きくあくびをした。
「ん?眠くなったか?薬草を入れておいたんだがマゾクにも効くみたいだな。痛みが止まるから楽になる。ゆっくり寝ろ。この様子なら起きる頃には回復してる」そう言うとファムも袋の中にもぐり込んできた。驚くシャウラに「安心しろ。なにもしない」ファムはそう言うとニヤリと笑った。シャウラはファムの柔らかい体を感じながら深い眠りに落ちていった。

 閉じた瞼の上から照りつける太陽に思わず両手をかざしてしまってから、シャウラはゆっくりと目覚めた。微かに残る頭痛に昨日の出来事を重ねながら、自分が地面の上で厚い毛布にくるまって寝転んでいることを理解した。
『ブースターは?彼女は?なんて言ったっけ?フォーマルハウト、ファムは?』辺りを見回して誰もいないことを確認すると、シャウラは毛布を抜け出して立ち上がった。砂色一色に染め上げられた乾燥地帯のまっただ中の、砂色に微かに緑を帯びさせただけの低いブッシュに囲まれた小さな広場にシャウラは突っ立ている。そっと肩に手を当ててみると、粉みじんに粉砕されたはずの骨は一晩でほぼ痕跡を残さないくらいに回復し、添え木や布も取り除かれていた。昨日シャウラが誰かと戦った痕跡など、もうどこにも残っていない。
 昨夜ユラユラと炎を上げていた焚き火はきちんと地面に埋められ、注意深く探さなければ分らないほどの微かな痕跡を残しているだけだ。この痕跡も午前の風が跡形もなく消し去るのだろう。
 誰かが、ましてやあの琥珀色の大きな瞳を持つ不思議な人間の女とあの奇妙な動物が、自分と一夜を共にしたなどという痕跡は微塵も残っていない。それに、このなんの目印もない荒野で、一旦ここを離れたらもう二度とここへは戻ってこれないだろう。シャウラはそう確信していた。
 シャウラは彼方に見える丘陵の形を目安に自分の位置を割り出し、厚い毛布を肩から被ると、愛用のライフルを肩にかけ、剣を腰に戻した。そして、もう一度確かめるように辺りを見回してから歩き始めた。
 高度を上げて“熱さ”を増した太陽は、大気中を舞う砂に含まれるキラのフィルターの向こうに鈍く輝いている。
 午前の風は強さを増して、不気味な唸り声を上げ始めていた。


2013.09.27 栗栖紗那さんに……
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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

フォーマルハウト2「アルドラ」

アルドラ

 アルドラは目を閉じたまま漆黒の長い髪を床におろして静かに座っている。
 シャウラもまた不安を抱えたまま静かに座っていたが、さすがに耐えきれず薄く眼を開けてアルドラの方を見た。彼女の少し大きくなった呼吸に合わせて上下する肩の動きに、不安な気持ちが表れているように感じられて、シャウラの胸はいっぱいになった。
 ガタン、大きな音がして広間の引き戸が開いた。
 それと同時にアルドラも目を開け、一瞬シャウラと目を合わせてから開いた引き戸の方を向いた。
 シャウラも振り返って同じ方を見た。
 開いた隙間からこわばった親方の顔が覗き、やや速足で広間を横切った。
「フ~ム……」親方は、囲炉裏の向こう側の毛皮の上に胡坐をかいて座り込むと気難しげに溜息を漏らした。
 シャウラは正面の冷たい床の上に畏まって座り、その様子を心配げに見つめている。親方の横ではアルドラが、これも心配げに見つめている。
「長老会の裁定を伝えよう」親方が口を開いた。
「はい」シャウラは神妙に頭を低くした。
「シャウラ、お前はこの村を追放される」
「ヒッ……」アルドラが空気を吸い込む音が静まり返った広間に響いた。シャウラは頭を低くしたままだ。
「本当に憶えていないんだな?」
「はい、薬を飲まされていましたから」
「その女は、自分は“人間”であり、生業はサーベイヤーだとまで言ったのだな?」
「はい、間違いありません」シャウラは頭を下げたままはっきりと答えた。
 暫くの間沈黙を保った後、親方は喋り始めた。
「広大な結界を越えてまでイノセンティアに入り込むギルティ、彼らはそれをサーベイヤーと呼んでいるらしいが……、それはギルティの放った崩壊因子だ。これが長老会の統一した考え方だ」
「崩壊因子……ですか」
「ギルティは我々イノセントより遥かに下等な生き物だ。能力も知能も劣るし寿命も短い。だが量産を前提として作られているために、繁殖力だけは我々の比ではない。とめどなく増え続ける。おそらくギルティの住む世界、ギルティアは増え続けるギルティを養えなくなったのだろう。だからサーベイヤーを送って来る。長老達はそう推測しておられる」
 シャウラは頭を下げたまま黙って聞いている。
「これまでイノセンティアでは我々マゾクの側で2機、シンゾクの側で1機のサーベイヤーが確認されているが、どちら側でも的確に処理されている。」
「処理、といいますと?」シャウラが始めて質問した。
「有り体に言えば繁殖を始める前に殺したということだ。万が一サーベイヤーがイノセントの種を得て繁殖を始めれば、それは我々イノセントの敗北への出発点になりかねない」
「なぜですか?」
「我々の能力を凌駕するギルティが生まれる可能性が有るからだ」
 シャウラは質問したいことが有ったが、頭を下げたまま黙っていた。
「今の状態ではギルティがイノセンティアへ進出するなどということは考えられない。明らかに能力が違うからだ。だが今回のサーベイヤーはイノセントであるお前を打ちのめし、戦闘不能にした。それはサーベイヤーの性能が向上していることを示している。そのサーベイヤーから新しいギルティが生まれ、より強大な力を発揮し始めた時、イノセンティアは崩壊を始める。長老達はそう考えておられる」凍りつくような冷静な声で親方は続けた。
「お前はここを出て行かねばならない。そしてそのサーベイヤーを探し出して処理するのだ。万が一お前が種になっていたのなら、期限は1公転期程しかない。我々レサトは他にも刺客を差し向けるから逃れられることは無いと思うが、お前自身がそのサーベイヤーを処理できなければここに戻ることは許されない」
 アルドラが静かにすすり泣く声が聞こえる。
「シャウラ、裁定は下った。明朝、日が昇る前に村を離れよ」親方は静かに告げた。その声は木霊のように何度も脳裏に響いた。
「わかりました」シャウラは額を床につけてそう言うと静かに立ち上がり、囲炉裏に背中を向けた。
「シャウラ!」親方の声に、シャウラは立ち止った。
「お前はワシに対して嘘をつくことは無いのだな」親方は確認を取るように言った。
「はい、親方に嘘はつけません」親方に背中を向けたままシャウラは答えた。
「そうか。そういう一途なところがワシは気に入っていたのだがな……」親方の声は苦しげだった。
 シャウラはアルドラの方を見ないように向きを変え、親方に向かって深く頭を下げると囲炉裏端を離れた。旅立ちの用意をする必要があった。それに出来れば出発までにひと眠りしておきたかった。体にはどす黒い疲労が大量に溜まっているはずだ。だが精神は奇妙な高揚感に支えられて、表面上は形を保っている。シャウラは自分を自分に感じられないまま暗い階段を登って行った。

 目の前には降り注ぐような星空が広がっている。
 だが真の闇では無い。
 微かな光がたどり着き、自分の周りの物を揺らめかせている。
『何の灯りだろう……?』暫くの間ぼんやりと考えていたシャウラは、ゆっくりと周りを見廻した。
 闇の中で、ユラユラと揺れている灯は焚き火の炎だ。
 もうほとんど消えかかっていて、最後の炎が空しく揺れている。もう焚火の暖かさは感じられず、頬には厳しく冷たい空気が突き刺さってくる。だが体はとても暖かい。「ここは?」シャウラは思わず呟いた。
「起きているのか?」背後からくぐもった声が聞こえた。
 シャウラはおぼろげな記憶を貼り合わせていく。昼間戦った女の事、自分とその女がブースターという奇妙な有袋動物の袋の中に収まっている事、そして今の声がその女、フォーマルハウトのものだという事。めまぐるしく起こった出来事の記憶は、頭の中で合わさろうとしてまた離れる。「薬草を入れておいたんだがマゾクにも効くみたいだな。痛みが止まるから楽になる」フォーマルハウトの言葉が蘇る。シャウラの意識はまた混沌との淵を彷徨い始めた。
 シャウラは背中に女の胸の膨らみを感じた。フォーマルハウトが両手でシャウラをしっかりと抱きしめ、背中にピッタリと寄り添ったのだ。そして、ほとんど力の入らないシャウラの体を裏返して自分の方へ向けた。傷の痛みももうほとんど感じない。シャウラはされるがままにフォーマルハウトの腕の中に抱きしめられた。別の生き物のように艶めかしく動き回るフォーマルハウトの指、シャウラは痺れるような感覚を下半身に感じ始め、それはやがて全身へと拡がっていった。

 唐突に目が覚めた。常夜灯の微かな明かりの中、大きな黒い木の梁が頭のすぐ上を横切り、今にも落ちてきそうな錯覚を憶える。シャウラは自分が親方の屋敷の屋根裏にある自分の寝床で横になったことを思い出した。そして自分の体の異変を感じ取ると、ゆっくりと上半身を起こした。あまりにも急激な展開に精神は疲弊していた。充実した日常は、一夜の出来ごとによって跡形も無く消え去った。旅立ちに備え眠っておかなければならなかったが、まったく寝付けないまま夜は更けて行った。ようやく明け方近くなってウトウトしたとたんに夢を見た。
 なぜこんな夢を見たのだろう?フォーマルハウトの感触が生々しく蘇ってくる。シャウラは鉛のように重くなった体を無理やり立ちあがらせると、階段を降り屋敷を出て裏に回り込んだ。屋敷の裏手には暑い時期、外から帰った者が埃まみれの体に頭から水を被るための水浴び場がある。シャウラは寒気の中、脂汗に湿った寝間着と汚してしまった下着を脱いで全裸になり、幾つも並んだ蛇口のうちの1つの下に立った。そして、ポンプの柄を勢い良く動かして頭から水を被り始めた。凍りつくような冷たい水が全身に降りかかり、痺れるような感覚が頭の先から天空へ突きぬけて行く。自分に罰を与えるように長い時間水を浴びた後、歯を鳴らしながら下着を洗う。だがその惨めな自分の姿にも我慢ができず、シャウラはまた水を浴び始めた。すでに冷たいという感覚も無くなったが、シャウラはポンプの柄を勢いよく動かし続けた。これ以上続けたら、いくらマゾクの自分でも命に係ることは分かっている。フォーマルハウトとの関係をはっきりと否定できないことで失ったものはとてつもなく大きかった。その行為を夢に見る自分が許せなかった。そして、親方に全てを正直に話したことへの後悔の念もあった。もうどうなってもいい、シャウラはそう思い始めていた。
 突然ポンプの柄が動かなくなった。
 原因を確かめる為に目を上げると、そこにはアルドラの姿があった。ポンプの柄は彼女にしっかりと握られ、それ以上は動かなかった。彼女はシャウラに近づくと防寒着のまま強く抱きしめた。そして耳元に唇を近付けると強い声で言った。
「もうこれ以上は止めて!」そして静かに「もう着替えなくては……。夜が明けるわ」と続けた。体についた水滴が彼女の防寒着に浸み込んで行く。シャウラは昨日までは自分の婚約者だった女の顔を見つめた。漆黒の長い髪、細面の顔、切れ長の目、優しいダークブラウンの瞳、通った鼻、小さな赤い唇、そして柔らかな体、だがもうそれに触れることは出来ないのだ。
 やがてシャウラは黙ったままクルリと向きを変え歩き始めた。女は声を掛けなかったし、シャウラは振り返らなかった。
 今のアルドラの言葉で、シャウラは考えを変えた。こんなところで命を落としても親方にも彼女にも迷惑をかけるだけだ。僕は彼女の前から跡形を残さず消える方がいいのだ。戻らぬ旅に出かけよう。
 シャウラは屋根裏に戻ると体の水分を丁寧にふき取り、旅の装束を身につけた。最後に防寒のための分厚い上着を上から被ると、体の中にほのかな火が灯ったように少しずつ精気が戻ってくる。愛用の狙撃ライフルを背中に掛け、弾丸の束と小刀そして剣を腰のベルトに着けると階段を降りた。降りた先の戸をそっと開けるとそこは広間だった。
 広間には誰も居ない。
 常夜灯に浮かび上がる高い天井には、樹齢100年の木から作られた大きな梁が何本も通っている。四隅の柱は樹齢150年の木から作られていて、これがその大きな梁と天井を支えている。板張りの床の真ん中には囲炉裏が切られていて、そこはシャウラが物心ついてからずっと仲間との団欒を過ごした場所だ。親方や奥方、兄弟弟子達と楽しく過ごした日々の光景が蘇ってくる。その中にアルドラも居たのだ。
 美しく聡明でしかも親方の1人娘でもあったアルドラは、みんなのあこがれの的だった。シャウラが婚約者に選ばれて婚約の儀を取り行った時は、みんなの羨望の眼差しを受けて誇らしかった。
 シャウラは広間の入り口から少し入ったところで立ち止って暫くの間立っていたが、やがて振り切るように踵を返すと大股で広間を出て後ろ手にそっと戸を閉めた。
 廊下を歩き“たたき”で靴を履くと外に出る。
 目の前には降り注ぐような星空が広がっている。
 夜明けまでにはまだだいぶ間があるが、日の出の方向にはもう夜明けの気配が漂い始めている。シャウラは村の中心の石畳の大きな広場を横切り、村の門へ向かった。

 村の門は村を囲む石造りの城壁に挟まれた大きな木造の建物で、2階部分は櫓になっていて外部から門に近付くものを見張ることが出来るようになっている。1階部分は村への出入り口で、丈夫な金属の装飾で覆われた木造の大きな扉と、同じ作りの小さな扉で構成されている。大きな扉は夜間は何か行事がある時しか開くことは無く、昼間人々が行きかう時以外は閉じられている。大きな扉が閉じられている時は通常は小さな扉を開けて行き来することになる。
 シャウラは門に近づきながら首を傾げた。いつも夜間は立っている門番がいないのだ。疑問に思いながら小さな扉に近づくと建物の影から人影が現れた。その人物の顔を見てシャウラは驚いた。アルドラだった。アルドラはもう1つ大きな影を引き連れている。アルドラが近づいてくると、その大きな影もそれにつれて建物の蔭からその真っ白な姿を現した。
「シャウラ」アルドラはようやく声を出した。
 シャウラは立ち止まった。
「父からこのサドルをあなたに渡すように託ったの」アルドラはそう言って手綱を放した。
 白いサドルはその長い4本の足で優雅にステップを踏みながら近づいてくると、首を大きく振っていななき、大きな目でシャウラを優しく見つめた。
「スハイル!」シャウラはサドルに近づき、短い毛足の胴をそっと撫でた。スハイルは親方がずっと乗ってきた最強のサドルだ。
「あなたが世話をしてきたから慣れているだろうって、あなたにしてやれることは、もうこれぐらいしか無いって、父が」アルドラは感情を込めない声で言った。
 シャウラは黙ったままアルドラを見つめていた。
 アルドラはシャウラから距離を置いて立っていたが、シャウラと目が合うと慌てて目を伏せた。そして俯いたままシャウラの方に向かってゆっくりと近づいた。
「これを……」アルドラはポケットから小さな物を取り出すと、隠すように手の平で覆い、シャウラに差し出した。
 シャウラが手の平を上に向けて広げると、アルドラはその小さな物を手の平で覆ったままシャウラの手の上にのせた。微かに触れあう指にアルドラの感触を想いシャウラの心は痛んだが、彼女はすぐに手を引っ込めた。
 シャウラの手の平には繊細な模様が彫り込まれた小さな銀色の球体が残された。
「それは私の心。一緒に連れて行って……」それだけをか細い声で言うとアルドラは髪を揺らしてクルリと向きを変え、そのまま駆け出した。
「アルドラ!」シャウラは1歩2歩と踏み出したがそこで動きを止め、アルドラの姿は通りの向こうに消えていった。
 呆然と立っていたシャウラは、やがて手の平の球体を大事そうに両の手で包み込んだ。すると突然球体が音楽を奏で始めた。
『オルゴール?』それはシャウラにとってなじみ深い曲だった。レサト一族に古くから伝わる伝統的な曲だ。小さい頃からアルドラがよく口ずさんでいたメロディーで、たしか彼女のおばあさんから教わった曲だと言っていた。彼女が物心つかない頃に亡くなったのにいつ教わったんだろう?と疑問に思っていたが、この球体から彼女に受け継がれたのだろう。
 小さなオルゴールはもう一度全体をそっと手で覆うと鳴り止んだ。シャウラはそれを懐にしまうと、スハイルに近づいてポンポンと胴を叩きながら状態を確かめた。彼はすこぶる元気で、腹もいっぱいの様子だ。そして振り分けバッグに食料や水や路銀が納められているのを見つけると、親方の屋敷の方を向いて改めて頭を深く下げた。
 しばらくそうしてからシャウラは小さい方の扉をあけ、スハイルを曳いて外へ出た。そして扉を閉じ、鐙に足をかけスハイルにまたがった。ガタリと閂を閉める音がした。門番が戻ってきたようだ。
 最後に門を見上げてから「ハッ」と声をかけ、手綱を少し鳴らすとスハイルはゆっくりと歩み出した。
 いつ終わるとも知れない旅が始まろうとしていた。


2013.12.26 スカイさんに。感謝をこめて……
2016.04.16 アルドラの容姿を変更
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

ツィー Tsih

 峠の鞍部に差し掛かると、シャウラは「ドウ」と声をかけた。スハイルはその4本の長い脚の歩みを止めると、長い首を左右に小さく振って自分の仕事をアピールした。長い峠を休みなしに登ってきたせいで、スハイルは全身に汗をかいている。少し体を冷ましてやらなくては、シャウラはスハイルの首筋をポンポンと軽く叩いて「よしよし」と労ってやってから、峠の向こう側に目をやった。
 峠を下った先は平野になっていて、さらにその先は海岸線だ。そしてその海岸線に沿って港を抱えた大きな町が見えている。このあたりでは最も大きな都市、バンガイル・ステイグルドだ。
 かつては強大な権力を持つ神族の1つが統治する王都で、滑らかな漆喰で覆われた白亜の巨大な塔が無数にそびえたつ美しい都だった。だが今ではその塔は途中で折れ、崩れ去り、内部の赤い煉瓦をさらけ出している。そしてその崩れた赤い煉瓦を使って、周りに新しく建物群が無秩序に建てられ、混沌とした街並みが形作られている。それはまるで斧で叩き切られ、内臓をぶちまけた屍の様だ。シャウラは不吉な印象を持った。
 町はこの都市を滅ぼした魔族国家の一応の支配下にあったが、治安維持にまで手が回らず、治外法権と言ってもいい混乱の中にあった。
 シャウラはスハイルを一休みさせてから峠を下って行った。

 町はかつて城壁だった白亜の壁に囲まれている。ほとんどが崩れ去っているため城壁の機能は果たしていないが、それでも旅人はかつての門から出入りしている。シャウラはスハイルから降りると、巨大なアーチをくぐって町の中へと入った。
 この町は魔族の支配下にあるのだが、そこを歩いている、あるいは商いを営んでいるたくさんのイノセントたちが魔族なのかというと怪しいものだ。
 もともとは同じイノセントでも魔族は有色、神族は白色、という特徴を持っていたが、このような支配の弱体化した混乱の地方では混血が進み、外観で見分けはつけにくい。服装も両方の特徴を足して2で割ったような物や、伝統を無視した自由奔放な物がほとんどなので、その方面からの分別も難しい。いかにも魔族という格好をしたシャウラの方が目立つぐらいだ。さらに支配の弱体化は、この町を無法地帯にした一方、自由貿易都市のような環境を作り出し、町にさらなる混乱と繁栄をもたらした。
 通りの両側には商店がずらりと立ち並び、たくさんの色鮮やかな商品で溢れかえっている。通りは買い物をする人で溢れかえり、賑やかな呼び込みの声が幾重にも聞こえてくる。シャウラはしつこく付きまとう呼び込みを交わすために角を曲がり裏通りに入った。
 その通りは驚くほど人通りが少なく静かだった。シャウラはホッとしたが、今度は周りの建物の扉が固く閉ざされ、今夜の宿を探すことができない。シャウラは辺りを見回しながら賑やかな方へと進んで行き、やがて大きな広場に行き当たった。その広場には巨大な輸送車が何十台もひしめき合って止まっていて、それぞれの輸送車の御者や、用心棒と思われる男達が、そこここに集まって何か言い合いをしている。今にも喧嘩が始まりそうな集団もある。
 シャウラはそれを避けながら広場の真ん中へと入って行った。そこにはもっとたくさんの男たちが集まっていて賑やかに何かを話している。やがて1人の男が高らかにホルンを吹き鳴らした。男どもは静かになって、そちらの方に注目する。ホルンの男の隣に立っていたがっちりとした男が1台の輸送車の後ろに立った。ガチャリと大きな音を立てて大きな鍵を外し扉を開ける。そして中へ入ると中から1人の人を連れ出した。手足は鎖に繋がれている。
「奴隷だ・・・」シャウラは口の中で呟いた。
 男が口上を述べ、周りの男たちが次々と指を立て声をかけ始めた。奴隷商人たちの競りが始まったようだ。
「兄さんも買い物かね?」横に居たちょび髭の男が声をかけてきた。
「いや・・・」シャウラは言葉を濁した。
「安心しな。この町は大丈夫だ。ここじゃ法律なんざぁ、有って無いようなもんだからな」
「そうですか。でも奴隷ってどこから連れてくるんですか?」シャウラは素直な疑問を口にした。
「そんなことも知らねえのか?戦でぶんどった神族どもにきまってるじゃねえか。それと後はギルティだな」
 実際、シャウラは奴隷を見るのは初めてだった。
「ギルティが居るんですか?」シャウラの声は大きくなった。
「お前さん、バイヤーじゃねぇだろ。旅の途中、慰みもんでも探している用心棒って感じだな」
「慰みもん?」
「気にするな。冗談だ」ちょび髭の男はニヤリと笑った。「ギルティは昔、俺達イノセントの間に入り込んだ事がある。そして“あいのこ”がたくさん生まれたんだが、思ったよりギルティの資質が優性だったんだ。イノセントからギルティがたくさん生まれて困ったってぇわけだな」
「そんなことがあったんですか?」
「そうだ。お前さんの生まれた田舎では関係の無い話だろうが・・・」ちょび髭の男はシャウラの格好を見ながら続けた。「それで慌ててギルティを排除したんだが、今でも時々イノセントからギルティが生まれてくる。そいつらもここへ売られてくるっていう訳だ」
「それで、生まれた時の“洗礼”を厳密に行うようになったのですか?」
「そういうことだ。分かってるじゃねぇか。俺達がギルティになっちまうわけにはいかねぇからな。だが代を重ねても一度入ったギルティの資質はなかなか消えねぇ」ちょび髭の男はまたにやりと笑った。
 話している間にも次々と奴隷が曳きだされ売られていく。だいたい金の粒3個から5個が相場の様だ。やがて扉の前の男は1人の少女を曳き出した。
「次は神族の女だ。上物だ!12歳だが、大人だ・・・」口上が述べられる。
「おお~」奴隷商人の間からざわめきが漏れる。
『美しい・・・』シャウラもそう思った。髪は肩のところで乱暴に切られているが金色で、手入れをすれば黄金色に輝きそうだ。少し俯き加減だが、整った顔立ちは凛々しく、引き結んだ小さな唇は不純なものを全て跳ね返すかのように毅然としている。瞳は青で、まるで吸い込まれるようだ。栄養不足の体はほっそりしているが均整はとれている。
 シャウラは懐に手を突っ込んで革袋の中身をそっと確認した。すぐ横でちょび髭がうっすらと笑っている。
「最初は金5個からだ」扉の前の男が宣言した。
「金6個!」たちまち声がかかる。
「金7個」「いや8個だ!!!」「俺は9個だ!」たちまち値がつり上がって行く。
「10個!」左側で声が上がった。その直後「10個と銀5個だ!!」右側で声が上がる。「金11個!」まだかけ声は止まらない。
 シャウラの手が挙がった。「金20個だ!!!」
 辺りは水を打ったように静かになった。
「金20個の声がかかったよ!他にはないか?さあ!さあ!」扉の前の男が繰り返す。「どうだ!金20個!見ての通り上物だ!安い買い物だよ!手に入れたい奴は居ないのか?さあ!さあ!どうだ?」声を張り上げる。
「21個!!!」向かいで声が上がった。
 ドオッっとどよめきが起こった。
 シャウラは懐の中の革袋を握りしめる。
「金21個の声がかかったよ!他にはないか?さあ!さあ!」扉の前の男が繰り返す。
 シャウラは少女の方へ目を向けた。少女がわずかに顔を上げた。目があったような気がしたとき「30個!!!」シャウラは無意識に叫んでいた。
 辺りはまた水を打ったように静かになった。
「金30個の声がかかった!こんな上等の掘り出し物はめったにないよ!さあ!さあ!どうだ?」扉の前の男はゆっくりと広場を見渡してから大きく手を叩いた。
「よし!そこの兄さん。金30でこの子はあんたのもんだ」
 ため息のような罵声が辺りを包んだ。

 シャウラは金30個を渡して少女と拘束具の鍵を受け取ると、2人でスハイルに跨りすぐにその場を離れた。そして拘束具を外そうと人気のない石の柱の立ち並ぶ回廊に入った。
「大丈夫、拘束具を外すだけだ」シャウラは優しく声をかけたが、少女は冷たい視線で見つめ返すだけだ。
 その時シャウラは気配を感じ後ろを振り返った。
「よお、兄さん」広場で横に居たちょび髭の男が石柱の陰から姿を現した。
 シャウラは無言でそちらへ体を向ける。
「その奴隷をこっちへ渡してもらおうか」ちょび髭は腰に差していた長刀をスラリと抜いた。石柱の陰から同じように長刀を持った男が2人現れた。
「だまってそいつを置いていけばなんにもしねぇ」ちょび髭は薄ら笑いを浮かべる。
「そうはいかない。この子には持ち金をあらかた使ってしまったんだ」
「それは気の毒だったな。だが、自分の命の方がずっと値が張ると思うが?」ちょび髭は刀を頭の上に構えた。他の2人もそれぞれに刀を構える。
 全てを失っていたシャウラは自分の命が惜しいような状況にはなかったが、こんな奴にただ無意味に命をくれてやる事もばからしく思えた。
 シャウラは腰の剣に手をかけた。次の瞬間、勢いよくそれを引き抜き、真横に薙ぎ払った。ちょび髭は後ろに飛びのいてそれを避けると、刀を振り下ろした。シャウラの額の数ミリ先を刀が通り過ぎる。そのままの体勢でシャウラは前に踏み出し、ちょび髭の刀を踏みつけ剣を突き出した。
「うがぁ」シャウラの剣はちょび髭の胸を貫いていた。勢いよく血潮が吹き上がる。そのまま剣を戻し振り上げると、後の二人を片付けるのは造作もなかった。あっという間に屍が3つ、石の地面に転がった。
 その様子を少女の冷たい視線が追いかける。
 シャウラは倒れている男の外套で剣に付いた血を拭ってから鞘に納め、ゆっくりと少女に近づいた。
「さ、拘束具を外すよ」シャウラは鍵を取り出し、少女に付けられていた拘束具を外した。重い塊がガチャンと地面に転がった。

 シャウラは何事もなかったように少女を連れて引き返し、商店の立ち並ぶ通りで少女の服を買った。それまで纏っていた奴隷の装束では目立ち過ぎたからだ。特徴の無い安物の服だったが、それだけでも少女は匂い立つように美しくなった。
「もともとは高貴な生まれなんだろうねぇ」着替えさせてくれた店の女主人が見とれながら言ったが、少女は眉1つ動かさなかった。
 その後夕食のためにシャウラは食堂へ入ったが、少女は一口も料理を口にしなかった。いくら勧めても少女はただ黙っているだけだ。
 明らかに魔族とわかる格好をしたシャウラと、どう見ても神族に見える少女の組み合わせは人目を惹きそうに思えたが、食堂の客達は気にする様子はまったくなかった。その夜泊まった宿の女主人や宿泊客達も同じだった。シャウラの常識では考えられないことだったが、この町では特に目を惹くことではないようだった。
 宿代として銀の粒を1つ渡すと銅の粒を6個返され、2階の静かな部屋に案内された。ベッドは1つしか無かったが幅が広く、この宿では最上の部屋のようだった。親方が持たせてくれた路銀は銀の粒を少し残すだけになっていたが、無くなったら無くなった時のことだ、シャウラは先の事を心配する気にはなれなかった。
「名前は何という?」
「・・・」
「どうして奴隷になった?」
「・・・」
「お前は本当に神族なのか?」
「・・・」
 部屋に入って落ち着くとシャウラは次々と質問を投げかけたが、返ってくるのはやはり冷たい視線だけだった。彼女の虹彩はまるで凍りついたように青さを増していく。
「なあ、お前はもう自由なんだ。僕はお前を奴隷として使うつもりはない。どこへでも好きなところへ連れて行ってやる。そして自由になるんだ」
「・・・」少女は黙っていたが、この時だけは虹彩の青さに変化があったように見えた。
「どうだ?どこへ連れて行ってほしい?」
「・・・」
「お前は口が利けないのか?」
「・・・」少女は一言も口を利かなかった。
 シャウラは諦めて少女をベッドに寝かせると、自分は床の上に横になって灯りを消した。遠くで誰かが騒いでいる声が聞こえていたが、シャウラはそのまま深い眠りに落ちていった。

 背中の痛みに目が覚めると辺りはもう明るかった。疲れが溜まっているのだろうか、少し寝坊をしたようだ。窓からは通りを歩く人々のざわめきが聞こえてくる。シャウラは軋む体をかばいながら硬い床から体を起こした。
 そうだ、あの子はどうしたのだろう?夜のうちに逃げてしまったかもしれないな・・・そう思いながらシャウラはベッドを覗き込んだ。
 少女は眠っている。
 だがシャウラはすぐに異変に気が付いた。少女の顔がやけに白い、それにかけられた布団が不自然に盛り上がっている。
「どうした?」シャウラは慌てて布団をめくりあげ、そのまま固まってしまった。
 少女の胸には小刀が突き刺さっていた。それはシャウラの小刀だった。少女の両手はしっかりとその柄を握っている。出血は酷く血液はベッドを通り越しその下の床に血だまりを作っていた。
「なぜだ!」シャウラの叫びは声にはならなかった。

2016.04.12
2016.04.16 細かい修正(ストーリーに変化はありません)
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

ワタリ Watari

 シャウラは部屋を飛び出すと階段を駆け下り、入口の横にある小部屋へ駆け込んだ。「医者を呼んでくれ!」
「どうしたんだい?」宿の女主人は訝しげにシャウラの顔を覗き込んだ。
「連れがたぶん死んでいる」
「死んでいる?そりゃまた尋常じゃないね」女主人は落ち着き払った声を出した。「で?あんたが殺したのかい?」
「いや、そうじゃないんだが、とにかく医者を呼んでくれ」
「でも、死んでるんだったら医者より坊さんだろ?とにかく見せておくれ」女主人は立ち上がるとシャウラの脇を抜け階段を登っていった。シャウラは少しの間そこに留まっていたが慌てて後を追った。
 部屋に入ると女主人はベッド脇に座り込み布団をまくり上げて少女の様子を覗き込んでいた。シャウラは彼女の後ろにそっと立った。
「この子は自分で胸を刺したのかね。相当に強い意志がないとこんなには出来ないよ」布団を戻しながら女主人が振り向いた。
「僕じゃない」
「あんただって言ってるわけじゃないよ。そうだね。駄目だと思うけどワタリのばーさんを呼んでこようかね。あんたこの子を見ていてくれるかい?」
「ワタリのばーさん?」
「そう、坊さんじゃないよ。ばーさんだ。ちょっと行ってくるよ。すぐに戻る」女主人は慌てる様子もなく部屋を出て行った。
 少女の顔はまるで眠っているように穏やかだった。血の気を失った白い顔は、まるでこれまでの汚れを流し去ったかのように輝いて見えた。

「邪魔するよ」入り口で声がして黒い塊が入ってきた。それは黒い外套で全身をくまなく覆った小柄な人だった。頭も黒い帽子を被っているのでまるで黒い塊のように見える。声からすると年老いた女性のようだ。
 続いて女主人も部屋に入ってきた。「ワタリのばーさんを呼んできたよ。このへんでは名の知れた呪術師だ」
「呪術師?」シャウラは説明を求める。
「この辺じゃ医者なんていう気の利いた者は居ないんでね。それにたぶん医者じゃぁもう役に立たないよ」女主人が答える。
「見せてくれるか」ワタリのばーさんはシャウラをどけると、少女の様子を確かめるためベッドの脇に立って布団をまくり上げた。そして服を脱がせ傷の様子を確かめる。
「う~む」ワタリは暫くの間唸っていたが、やがて「お前さん、金は持っているか?」と訊いた。
「え?ああ、持っている」
「見せてみろ。全部だ」
 シャウラは懐から袋を取り出すと中身を手の平にあけた。
「しけてるな」ワタリはシャウラをしげしげと見て言った。「お前さん、レサトの衆だな?」
「そうだ」シャウラは短く答える。
「レサトなら鉄砲を持っているだろ?」
「鉄砲?ああ、ライフルのことか?持っている」
「それを見せてみろ」
 シャウラは部屋の隅に行って自分の狙撃ライフルを持ってきた。
「そう、それそれ、見せてみな」ワタリはライフルを受け取るとあちこち向きを変えて観察した。
「いいものだ。それにここに入っている石は月光石だ」ワタリは銃床に並べてはめ込まれた石を指さした。「お前さんらにとっては単なる装飾だろうが、この石は希少なものだ。この鉄砲を手放しな。そうするつもりがあるならこの子を看てやってもいい」
「助かるのか?」シャウラは少女を見ながら言った。
「わからん。イノセントは滅多なことでは死なんが、ここまで酷いと何とも言えん。お前さんが神族を殺るときはどこを狙う?」
「頭だ。目と目の間を狙う」
 ワタリは頷いた。「さすがのイノセントも頭をやられたら終わりだ。脳の再生は不可能だからな。だがそれ以外の部分ならかなりの確率で再生出来る。だからお前さんも頭を狙う。そうだろう?」
「そうだ」
「この子も頭は無事だから一応可能性は残されているが、時間が経ちすぎている。今からやっても再生する確率はかなり低い。どうだ、お前さんはこの子の何か知らんが、やってみる気はあるか?」ワタリは舐めるようにシャウラの顔を覗きこむ。
「やってくれ」ここまできて放り出す気持ちにはなれない。シャウラは即答した。
「助かる可能性は低いが、それでもか?」
「構わない、やってくれ」シャウラは覚悟を決めた。
 ワタリは女主人の方を振り向いた。「あんたが証人だ」
 女主人が頷いた。「ああ、確かに聞いた」
「じゃあ、見せてやるか」満足そうに頷いたワタリは、外套の内側から袋を取り出し、手を突っ込んで中から何かを取り出した。
 シャウラが覗き込むとワタリはそれを目の前に差しだした。
「これはムカゴという蟲だ」そこにはシャウラたちが主食にしているアワラの実に付く芋虫のような生き物が蠢いていた。だがシャウラの知っている芋虫に比べて大きさは10倍以上もある。色は半透明で、それを持っているワタリの手がうっすらと透けて見える。
「ガザミ、たっぷりの綺麗な水を」ワタリが指示を与える。
「はいよ」女主人は廊下へ出て水をいっぱいに入れたバケツを運んできた。
「これは傷を食べて生きる蟲だ。見てな」ワタリは芋虫をバケツの中に入れた。芋虫は水を吸い込んで風船のように膨らんでいく。バケツはほとんど空になり、いっぱいに膨らんだ芋虫の体はますます透明になっていく。
 ワタリは少女の方へ向き直り、胸に突き刺さったシャウラの小刀から硬直した少女の手を引き剥がした。そして胸からゆっくりと小刀を抜き取る。血液はすでに出尽くしてしまったのか固まっていて新たな出血は無い。ワタリはたっぷりと水を吸い込んで膨らんだ芋虫を抱き上げた。芋虫は傷口の存在を感じたのか激しく動き始める。ワタリは芋虫を少女の傷口の傍に置いた。
 芋虫は少女の血まみれの皮膚に吸い付くと血糊を舐め取り、シャクシャクと音を立てて傷口を食い破る。そしてその頭部を少女の体の中へ食い込ませて行き、それにつれて芋虫の体は縮んでいく。
 シャウラはその様子に驚いて思わず1歩下がった。
 やがて芋虫の全身は少女の胸の中へ吸い込まれ、その後には少女の白い乳房だけが残された。大きく開いていた傷口もその周りの血糊も、芋虫が食べてしまったのか跡形もない。
 シャウラは傷口を見ようと少女に近づこうとした。
「もう少し待て、まだ背中側が終わっていない」ワタリが手を伸ばしてシャウラを制止した。やがてシャクシャクという音が止んだ。
「終わったようだ」ワタリが顔を少女の胸に近づけた。手の平を乳房の間にそっと当てる。そして離す。
「上手くいったようだ。心臓が動き始めた」
「そうか。よかった」シャウラの顔がほころぶ。
「だが、まだだ」ワタリは少女の胸を透かすように何度も位置を変えながら見つめている。すこし少女の体を持ち上げて背中側も覗き込む。そして傷の有った所をそっと撫ぜながらワタリが言った。「大丈夫のようだ。完全に塞がっている」
「蟲はどうなったんだ?」シャウラが訊いた。
「体の中に入り込んで、この子の体に同化したのさ。その時に宿主の傷を治してしまうんだ」
「じゃ、この子の中で生きているのか?」
「そうとも言えるし、そうで無いとも言える。蟲はもう完全にこの子の体になってしまっているからな」
「何の影響もないのか?」
「たぶんな。はっきりと蟲が原因とわかる影響が残ったことはない。蟲は傷を喰い、宿主に同化してしまう。それだけだ」
「信じられない」
「信じる信じないは勝手だが、ほれ、呼吸も始まったし血色も良くなってきた」ワタリは少女の方をへ手をかざした。
 少女の青白かった肌や顔はほんのりとピンクに染まり、乳房がゆっくりと上下する。シャウラは慌てて目を逸らした。
「隣の部屋に新しいベッドを用意するよ。ここじゃ血まみれだからね」その様子を見て女主人が言った。
「すまない」シャウラは礼を言ったが、女主人は「銅の粒を追加で2つもらうよ。ここの布団は使えなくなったし、部屋も綺麗にしなくちゃいけないし・・・」とすまし顔で付け加えた。シャウラは頷いた。

「ケフン・ケフン・・・」少女が小さく咳き込んだ。シャウラは慌てて少女の顔を覗きこんだが、少女がまた寝息を立て始めたので顔を元に戻した。
 あれからすぐにシャウラは女主人とワタリに部屋を追い出された。少女は体を丁寧に拭かれ、新しい寝間着に着替えさせられて、隣の部屋に用意された新しいベッドに移された。
 銅の粒を2つ持って行かれたがしょうがない。シャウラは納得していた。部屋は血まみれでとても滞在できる状態ではなかったからだ。
 今はまた少女と2人きりになって静かに様子を窺っている。ワタリはもう大丈夫だと言って帰って行ったが、あんな状態だったからやはり心配だった。
「う~ん」少女が小さく声を出した。『始めて声を聞いたな』シャウラはまた顔を覗きこんだ。
 少女の目がうっすらと開いた。凍りつくようだった青い瞳は、温かさを取り戻しているように見えた。
「気が付いたか?」シャウラは慎重に声をかけた。
 少女は徐々に目を開いていったが、やがてその目は涙でいっぱいになった。
「ここは宿のベッドだ。安心していい」シャウラは微笑んでみせた。
 少女は暫くの間天井を見つめてから独り言のように言った。「行けなかったんだ・・・」思っていた通り透き通った声だ。
「どこへ?」
 また暫く間が開く。
「皆のところへ・・・」少女は操られたように答える。
「皆?」
「お父様やお母様、シェダやカフやルクバやセギ・・・」堰を切ったように涙が流れ出る。それがポタポタとシーツを濡らす。今、少女が挙げた人達がどこにいるのか、答えは明白だった。
「そこへ行こうとしていたのか?」間抜けな質問だとシャウラは思った。
「あなたはどこへでも好きなところへ連れて行ってやると言った。私を奴隷として使うつもりはないとも言った。だから私は自分の行きたいところへ行こうとした・・・」
「そんな意味で言ったんじゃない。お前が幸せになれる所という意味だ」
「だから、そこへ行こうとした」
「いや、だから・・・」シャウラは言葉に詰まった。
「あなたは私を買った。だから私を好きにできる。そのあなたが私の自由にしてもいいと言ってくれた。小刀を突き刺す時の怖さも乗り越えた。でも・・・行けなかった」少女の視線は遠くなった。
 シャウラは少女が落ち着くのを待って言った。「僕はお前を買った。だからお前を好きにできる。今お前はそう言ったな」
 視線を戻し少女は小さく頷いた。
「お前、名前はなんという?」シャウラがこれを尋ねるのは2度目だ。
「ツィー」少女は今度は素直に答えた。
「じゃぁ、ツィー」シャウラは少女の名を呼んだ。
「はい」少女が返事をする。
「お前の行きたいところへ行くのは暫く先送りしろ。そして僕と一緒に旅をするんだ。いいな」シャウラは声に強さを込める。
「どれくらい先に送るの?」少女はキョトンとした顔になった。
「お前の天寿が尽きるまでだ」シャウラはニヤリと笑ったつもりだったが、その笑いはぎこちないものになった。


2016.04.19
2016.04.21 中程度の変更、ストーリーに微妙な影響あり。
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ガザミ(Gazami)

「ああ、少し前に玄関から出て行ったよ。風に当たりたんだってさ」シャウラの質問にガザミが答えた。
 ガザミというのはシャウラ達が泊まっている宿の女主人の名前だ。シャウラはワタリのばーさんが、何度か女主人をそう呼んでいるのを耳にしていた。
「ありがとう」シャウラは慌てて玄関を飛び出した。
「そんなに慌てなくても、大丈夫だよ」ガザミはシャウラの背後から声をかけ、「そこを入って行ったからね」と、玄関の先にある路地の入口を指差した。「その先は塔の登り口しかないし、どこへも行けないよ。見晴らしの良い所を聞かれたから教えたのさ」問題ない、ガザミの口調はそう告げていた。
「わかった。でも一応行ってみるよ」振り向きざまそう言うとシャウラは路地の入口を入った。
 路地を奥へ進むと、赤い煉瓦の壁に囲まれた直径20メートル程(長さや重さなどは我々の世界とは違う単位が使われているが、我々の世界の単位に換算して記載している)の円筒形の空間に出た。空間は塔の上部に向けて続いていて、その壁から突き出した太い角材が塔の上部に向けて螺旋状に連なっている。角材を踏み段にして塔の上部に登れるようになっているのだ。塔はもともとは高さ300メートルはある巨大な物だったと記録されているが現在は崩壊している。螺旋状に続く踏み段は50メートル程の高さまで続き、その上には青空が見えていた。
 シャウラは踏み段を登り始めたが、角材と角材の間が広く開いている上に、壁の反対側には手摺もない。普通に考えてツィーの様な女の子がここを登るのは恐怖が先に立って難しいだろう。だがツィーは自分の体を刀で貫くぐらいの子だ。恐れることも無く登って行ったのだろう。シャウラは自分の命に執着を持たないツィーに一抹の不安を感じていた。
 崩壊した塔の最上部は直径100メートルほどの広さがあったが、塔の構造材の赤い煉瓦が散乱し、壁や柱の残骸が林立しているので全体を見渡すことができない。シャウラはツィーを探すため、とりあえず手近にあった瓦礫の山に登って辺りを見回した。
「いた」ツィーはすぐに見つかった。塔の淵に立って、こちらに背中を向けている。街の様子を眺めているようだ。魔族の女性が着ている作務衣を買い与えたのでそれを纏っている。また銅の粒が減ったが、前の服が血まみれになってしまったのでやむを得ない。
 吹き抜ける風に金色の髪がなびく。ちゃんと食事を取り、風呂にも入るようになって、彼女の髪は輝くように美しくなった。肌も透き通るように白く艶やかになった。栄養不足で全身垢まみれだったのが嘘のようだ。
 シャウラは暫くの間その様子を眺めていたが、やがて瓦礫の山を下って彼女に近づいて行った。瓦礫の間を抜け不安定な煉瓦を踏み越えながら進んだが、足場が悪くて思うように接近できない。瓦礫の崩れる音が聞こえているはずなのに、彼女は気が付いた様子も無い。じっと街の方を見つめたままだ。
「ツィー!」シャウラはついに声をかけ足を速めた。足を置いた瓦礫が崩れて大きな音を立てた。赤い砂煙が立ち昇る。
 その時ツィーの体が一瞬浮いた。そしてスローモーションのように降下を始め、塔の淵の向こうに落ちていく。最後になびいた金色の髪が消えるのを見ながら「ツィー!!!」シャウラは大声で叫んだ。
 シャウラは瓦礫の中を全力で走った。瓦礫は崩れ赤い砂煙はいっそう激しく舞い上がる。シャウラはガラガラと激しい音を立てながら、ようやく塔の淵に辿りついた。
 だがそこは塔の淵ではなかった。ツィーが立っていた所から先は崖になってはいたが、その高さは2メートルほどだ。そして、その向こうには幅3メートルほどのテラスのようなスペースがあって、本物の塔の淵はそのテラスの先だった。テラスは漆喰で出来ているのか汚れた灰色だったが、たぶんもともとは真っ白だったのだろう。テラスの向こうは50メートルの本物の絶壁だ。
 シャウラはテラスを覗き込んだ。すぐ下に金髪の頭が見えた。
「ツィー!」全身の緊張が解けるのを感じながらシャウラは声をかけた。
 青い瞳がこちらを見上げる。そして微かに微笑んだ。
『笑うのか』シャウラはその意外な表情に驚いた。ぽつぽつと喋るようにはなっていたが、ツィーが笑うのを見るのは初めてだった。
 遅れて照れたような声が聞こえた。「驚いた?」
「驚くにきまってるだろう」シャウラは声を荒げた。
「ごめんなさい」ツィーは立ち上がってお尻の埃を払い、シャウラの方を向いた。
「ほら」シャウラが崖の上から手を差し出す。
 ツィーは黙ってシャウラの手をつかんだ。
 シャウラは一瞬かなりの抵抗を感じたが、ツィーの足がテラスを離れると羽のように軽くなり、ふわりと浮いて赤い煉瓦の上に引き上げられた。まるではまり込んでいた泥の沼から足を抜いたように・・・。

「おかえり」ツィーと並んで宿の玄関を入るとガザミが声をかけてきた。
「ただいま」ツィーが応える。
 シャウラは黙ったまま小さく会釈して通り過ぎようとしたが「お茶でもどうだい?」ガザミの声が背中越しに聞こえた。「なぁに、お茶にまで金は取らないよ」振り向いたシャウラの顔が心配そうに見えたのかガザミが付け加えた。
 ツィーがシャウラの袖を小さく数度引っ張った。ご馳走になろうよ、という意思表示らしい。
「じゃぁ」シャウラはツィーを先に立てて部屋に入った。
 部屋ではシュンシュンと薬缶が湯気を上げている。ガザミがそれを使って手早くお茶を入れ「どうぞ」とシャウラたちの前に置いた。
 ツィーはチラリとシャウラの顔を見た。そしてシャウラが頷くのを確認してから、コップを手に取って口を付けた。
「美味しいかい?ツィーちゃん」ガザミが覗き込む。
 みるみるツィーの顔が歪む。「苦い・・・」ツィーは吐き出すような仕草をしたが途中で止めて、そのままゴクリと飲み込んだ。
「アハハハ・・・体にはいいんだよ。慣れれば病みつきになるよ。なぁシャウラさん」ガザミはその様子を見て笑った。
「魔族の間でよく飲まれているグィラと呼ばれる飲み物だ。飲んでも問題ない」シャウラは解説する。
「ミルクと砂糖を入れると飲みやすくなるよ」ガザミはツィーのコップにミルクと砂糖を追加した。ツィーはおっかなびっくりそれに口を付けたが「美味しい」と言った。本当に美味しいらしく何度も口を付けている。
「シャウラさん」その様子を横目で眺めながらガザミはシャウラに声をかけた。「あんたはどれくらいここに留まる算段だい?」
「まだ決めていない。この子の状態もわからないし」
「もう大丈夫そうに見えるけどね。わたしゃ毎日決まった金が入るから居てもらった方がいいんだけどね。でもあんた、なにか目的だあるんだろ?レサトの衆がこんな所をウロウロしているなんておかしいからさ」
 シャウラは少しの間黙って考えていたが、やがて意を決して言った。「サーベイヤーを探している」行動を起こす時期だと判断したのだ。
「サーベイヤー?なんだいそれは?」シャウラも出会うまでは知らなかったが、ガザミも知らないようだ。
「ギルティアからやって来た人間、ギルティのことらしい」
「ギルティ?ギルティアからわざわざやって来るのかい?あそことは行き来できないと聞いてるよ」
「これまでに3つやって来ているらしい。僕の探しているのは4つ目だ」
「そんなに、でもどうしてあんたがそのサーベイヤーを?」
「いろいろ複雑な理由があるんだ」
「どうせ、サーベイヤーを孕ませちまったとかじゃないのかい?」後ろで声がした。シャウラが振り返るとそこにはワタリのばーさんが立っていた。
 シャウラは言葉に詰まった。ツィーもコップを置いて顔を上げた。
「図星かい?」ワタリがニヤリと笑う。「神族の奥ノ院でも魔族の大老会議でも、サーベイヤーは繁殖する前に処理するという方針では一致している。なるべく表に出ないようにな」
「そりゃまた物騒なことだね」ガザミはコップを口元に運んだ。
「だからガザミ、お前が知らなかったのも無理はない。ワシも弱みを握った長老からやっと聞き出したぐらいだからな。奴らはイノセントにギルティの血が入ることを極端に恐れている」
「大昔、イノセントにギルティの血が入った事があって、今でも時々イノセントからギルティが生まれて来るって聞いたことはあるけど・・・」
「ギルティを厳密に選別することによって、近年ようやく出産数がゼロ近くまで下がって来たんだ。ここでまた血を混ぜることはどうしても避けたいんだろう」
「それで処理というわけかい?」ガザミが訊いた。
「そうだな。魔族の場合、処理するとしたら隠密行動のきくレサトが適任だ。だからいずれにしろ接触したお前さんには追跡して処理するように命令が出ただろう。だがそんな場合でも、レサトは必ず集団で行動する。だが、お前さんはテリトリーを遠く離れて単独で行動している。それはお前さんが追放されたことを意味していて、そのことはサーベイヤーと交わりがあったことを示唆している。そうだろう?」ワタリはシャウラを見た。
「そうじゃない。ただ記憶が無いんだ。だからそうじゃないことを主張できない」シャウラは唇の端を噛んだ。
「疑いがあるのなら、同じ事だ」ワタリが断定した。
 シャウラはまた黙り込んだ。親方に正直に話すべきではなかったかもしれない。後悔の念が湧き起こってくる。アルドラの泣き顔が蘇る。
「孕ませたってどういうこと?」ツィーが唐突に口を挟んだ。
「ツィーが気にすることじゃないが、そのサーベイヤーとの間に子供が出来てしまったということだ」ワタリが言った。
「子供?どうして?」ツィーがワタリの方を見る。
「おや、気になるのかい?でもまだツィーには説明しづらいな」
「閨を共にしたということ?」ツィーは少し考えてから言った。
「おやおや!ツィーはおませさんだな」ワタリは頬を緩めた。
「そんなことはしちゃいない」シャウラは反論を試みる。
「だけど、記憶が無いんだろう?」
「僕は大怪我をしていた。だから痛み止めを飲まされて眠っていたんだ。だから・・・」
「そりやぁ。サーベイヤーに上手く運ばれたということかな?」ワタリにたたみかけられてシャウラはまた黙り込んだ。反論の余地は残されていない。
「追放されたっていうのは本当なのかい?」ガザミが訊いた。
 シャウラは力なく頷いた。
「この町でサーベイヤーに関する情報は?」シャウラはワタリとガザミを交互に見やった。
「ないねぇ」ガザミが答える。
「そりゃそうだろう。サーベイヤーもバカじゃない。その名を出せば厄介なことになるのはもう分かっているはずだ。今でもお前さんにしたように名乗っているとは思えない。まぁ、お前さんが特別だったのかのしれないが・・・」ワタリはコップを差し出してお茶を催促した。
「まいったな・・・」シャウラは頭を抱えた。
「シャウラは特別?」ツィーは不思議そうな顔をしてワタリに尋ねた。
「そうだね。閨を共にした仲だからね」ワタリはシャウラの方を見ながら笑った。
「やめてくれ」シャウラは手真似を交えて抗議する。
「だがシャウラさん」ガザミが話を変えた。「これから、そのサーベイヤーとやらを追跡しなくちゃいけないんだろう?なのに、あんたのやっていることはいまいち解せないんだけどねぇ」
「僕の・・・?」
「お前さんとツィーちゃんはどういう関係だい?」そう言いながらガザミはツィーの様子を気にした。「あぁ、本人を前に言いにくいかね?」
「マスターとスレーブの関係」ツィーはポツリとそう言ったまま、2杯目のグィラに入れられたミルクの描く模様をじっと見つめている。
「だろうね。この子は神族だろう?神族を付け狙うレサトとの組み合わせは普通だったら有り得ないからね。それにこの子を買うにはかなりの金が要ったろう?お前さんの財布は随分としけてたからね。有り金を使っちまったんじゃないのかい?それにこの子の治療にライフルまで渡しちまって」ガザミはワタリの顔を見た。ワタリはそんなことは知らないね、という風情で横を向いる。
 ガザミは話を続ける。「レサトの命でもあるライフル無しで、その子を連れて、いったいどうやってそのサーベイヤーを追跡するんだい?」
「いや、正直わからない。気が付いたらこの子を買っていたし。この子が死のうとしたのも僕のせいだし、なんとか助けてやりたかったのも僕の本心だ」
「シャウラはどこへでも好きなところへ連れて行ってやると言った。私を奴隷として使うつもりはないとも言った。だから私は自分の行きたいところへ行こうとした・・・でも今は先に延ばすように言われている」ツィーが語る。
「ツィーちゃん、あんたが気に病むことはない。みんなこの人が勝手にやったことだから」ガザミは優しくツィーの頭を撫でる。
「そうそう、みんなこの男が悪いのさ」ワタリも調子を合わせる。
「気に病んではいない」ツィーはなんでもないという様子で答える。
「フウ~」シャウラは大きく溜息をついて黙り込んでしまった。
「お前さんがそのサーベイヤーに抱く複雑な気持ちも分からんでもない」ワタリの声は少し同情を含んだ。
「複雑な気持ち?」
「お前さんの話だと、そのサーベイヤーに傷の手当てを受けたのだろう?」
「そうだ。僕と彼女は戦闘になって、僕が大怪我をして手当てを受けた。それが彼女の策略だったのか、単純に善意だったのか、僕には分からなくなっている」
「だから、どうするつもりだい?」ワタリは正面からシャウラを見つめた。
「正直、彼女に恨みを抱いているわけではないし。僕の名誉の回復なんかもどうでもいい。だからこの町に着いたときはヤケクソになっていたのかもしれない」
「だろうね。でなきゃこんな無茶、するもんかね」ガザミは納得顔だ。
「だが、追跡は続ける」
「ほう、追跡してどうする?」ワタリが訊いた。
「わからない。彼女に会ってから決める。僕が殺られるならそれも運命だ。しょうがない。とにかくもう一度会ってみたい」
「おお!それは恋なのかい?」ワタリが口を丸くした。
「シャウラは恋しているの?」そしてすぐにツィーが反応した。
「もう茶化すのは止めてくれ」さすがにシャウラは毅然とした態度を取った。
「ハハハハ・・・すまんすまん。ところでそうと決まったらお願いがある」ワタリはひとしきり笑ってから付け加えた。
「何の願いだ?」シャウラは警戒の顔をする。
「追跡の旅にワシを同行してもらいたい」
「なんだって?」
「お前さんは自分のサドルにツィーと2人で乗って行くつもりだろ?ワシもサドルを用意するからそれで同行させてくれ。足手まといにはならんはずだ」
「なんの魂胆があるんだ?」シャウラの疑念はさらに深まる。
「そんなことは心配せんでいい。あとでワシが居ってよかったと思うこともあるはずだ。それにワシはライフルも持っている。旅の間それを貸してやってもいいぞ。どうだ、いい条件だろ?」
「元々僕のライフルじゃないか」シャウラはそう呟き、暫くの間考え込んだ。「いいだろう。ライフルが使えるのはありがたい」
「それからお前さんはとりあえずの金が要るだろ?ワシが紹介してやるから、隊商の用心棒の面接を受けてみるか?用心棒だったら旅をしながら金が稼げる」
「それはありがたい。受けさせてくれ。だがツィーとあんたが一緒でも大丈夫なのか?」
「そりゃもう。その点は話をつける。あとはお前さんの腕次第だ」
「どんなふうに話を付けるんだ?」
「ワシは呪術師だから色々便利に使えるからな。どこでも雇ってもらえる。お前さんの場合は、とびきり腕のいい用心棒を雇わないか?ただし若い女房も一緒なんだが?と頼むつもりだ。ワシの紹介だから腕さえよければ雇うはずだ。女房の食事付きでな」
『女房!』シャウラはツィーの方を見た。ツィーはコップに口を付けてグィラをすすっている。
「それからガザミ、隊商を探している間にこの町での情報を集めておいてやってくれ」ワタリが指示を与える。「お前さんはサーベイヤーの特徴を覚えているんだろ?」
「ああ、覚えている」シャウラはファムの整った顔を思い出しながら言った。
「相当美人だったんじゃないのか?」ワタリはシャウラの顔を覗き込んだ。
 シャウラは自分の顔が一瞬熱くなるのを感じたが、とりあえず返事をするのはやめておいた。
「だったら目立つだろう。人相を教えておくれ。聞いておいてやるよ」ガザミが気前よく答えた。
「ガザミの情報網は正確だ。何かあればひっかかってくる」ワタリはシャウラの肩をポンと叩いた。
「何から何まで悪いな」シャウラは2人に感謝の気持ちを伝えた。
「なぁに、構わないさ。その間、宿賃はきちんと2人と1頭分払ってもらうからね」ガザミは片目をつぶった。
 早く旅立たないとケツの毛までむしられるな・・・シャウラは少し寒気を感じた。
「ニョウボウって何のこと?」ツィーがシャウラの方へ曇りの無い視線を向けた。


2016.05.06
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
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