Debris circus

Debris circus

頭の中に散らばっていた破片(debris)を改めて文章に書き起こし、オリジナルブログ小説としてサーカスの舞台に上げていきます。読みにくいものもありますが、お暇な時にパラパラとめくる感じででも読んでいただけたら嬉しいです……

 

白い月

 こんにちは、世界!(Hello warld!)
 私は観測装置。型式名はオブザーバー880・サポートする人工知能はゲンマV30
 今、起動プロセスを完了した。
 観測を開始する。詳細データの収集はサブシステムに任せる。

 空は抜けるように青い。そして日の光は穏やかに降り注いでいる。環境は人が暮らすのに最適だ。
 真上を向いていたカメラを振ると、目の前には大きな湖が広がった。
 周りに見える山々は中腹までびっしりと木々に覆われていて、その上は灌木や草が生え、さらにその上は赤錆色の岩がむき出しになっている。風がまったく凪いでいるので周りの山の萌黄色と緑色、その上の赤錆色、その向こうの抜けるような空の色が、まるで鏡のような湖面に逆さまに映り込んでいる。今、水辺にいた薄紅色の羽を持った鳥の群れが飛び立った。鏡のような湖面は乱れ、空と山の色は混ざり合い、乱れあい、ざわめきあってから、ゆっくり元の鏡面に戻ろうとしている。周りの地形からみて、山々の壁に囲まれているここは多分カルデラの底で、この湖はカルデラ湖だ。私はこの場所で目覚めたことに幸運と幸福を感じていた。
 私は浮かび上がると湖に向かって移動し、水辺に到着した。
 美しい水だ。鏡に戻った湖面には再び山と空、それに真っ黒な球体が移りこんでいる。それは私の姿だった。そして人間の感度では無音に感じるほど静かだ。私の聴覚はセンサーのデータを無視し、耳鳴りのようなノイズを感じている。
 向こう岸に何かが見える。ズームしてみると向こう岸から突き出した半島の先端、森の中に、ぽつんと小さな小屋が建っている。ここで始めて見る人工物だ。
 私は岸に沿って回り込みながらその小屋へ接近することにした。
 水辺はそのまま森につながっていて、森は照葉樹に落葉広葉樹を一部含む原生林だ。
 小屋が見えていた半島は中央火口丘からできた馬蹄形の第2カルデラの一方の端が湖に突き出したもので、もう一方も湖に突き出して半島になっている。2つの半島は深い緑に覆われ、その一方の先端に目指す小屋は立っている。手前にある半島を飛び越え、湾となって入り込んだ湖水を渡り小屋に接近する。
 小屋は50平米程の広さで、半島の斜面に張り出すように立ち、南側に大きなテラスを持っている。テラスの奥、深い庇の下には大きな窓があって、流れ始めた穏やかな風にカーテンが揺れている。テラス側からそっと近づいて内部に侵入すると、窓の中は大きなリビングキッチンでその奥にドアが3つ見えている。開けてみると左側は寝室で大きなベッドが真ん中に置いてある。右側はユーティリティ。真ん中は開いていて廊下へと繋がっていた。
 中には誰もいない。
 リビングキッチンの半分は座り心地のよさそうなソファーと大型のモニターが占めていて、あとの半分にはアイランドキッチンが座っている。私はゆっくりとそのカウンターの上に着地した。
 そのとき「動かないで!レーザーで狙ってるわよ!」声がした。
 センサーは生物の接近を関知していたが、私はあえて反応しなかった。ハンディレーザーぐらいはどうということはないが、一応動かずにおく。
「こんにちは、私はオブザーバー880、サポートする人工知能はゲンマV30。危害を加えるつもりはない。顔を見せてくれないか?」私は冷静に声をかけた。
「オブザーバー?ゲンマ?なによ。それ!出て行っても安全だって証明してくれたら出て行くわ」
「それは無理だ。信じてもらうしかない。まあ、危害を加えるつもりならとっくにやってると思わないか?」
「それもそうね」ベランダの窓際から女がゆっくりと姿を現した。
 細身の体に漆黒の髪、肩まで伸ばしているが半分ぐらいは引力に逆らっている。両の瞳は濃い茶色だ。顔の作りは東域系の民族の血を強く引いているようで彫りは深くない。だがそれにしては色白だ。
 彼女は腰の横に小さな黒いものを構えていて、それをこちらに向けたままゆっくりと近づいてくる。
「こんにちは、私はオブザーバー880、サポートする人工知能はゲンマV30」私はもう一度繰り返した。
「それはあなたの名前なの?そんなに幾つも名乗っても覚えられないわ」
「私のこの体はオブザーバー。そして喋っているのはサポートする人工知能のゲンマだ」
「体なんてどうでもいいわ。考えて喋っているのはゲンマ、あなたなの?」
「そういうことになる」
「あなたは何?そこで何をしているの?」
「観測だ」
「観測?」彼女はからかうように繰り返すとそのまま笑い始めた。
「観測?それって、何の意味があるの?」
「私は手順どおり動いているだけだ。幾許かの疑念は感じるが取りやめるだけの理由は無い」
「ここを観測して誰に報告するの?あなたを雇ったのは誰?その報告を聞いて誰かがここにやって来るの?」
「それらの質問に対する答えを私は持っていない」
「それは分からないってこと?でもここは素晴らしいところよ。ここの報告を聞いて、ここに住みたいなんて奴が居たらもちろんだけど、たとえわたしからこの世界を奪いたいなんて思う奴がいたとしても、悪魔でも神様でもかまわないわ。喜んでご招待いたしますわ。会ってみたいもの。たとえ出会った次の瞬間に殺されるとしても……」
 彼女は構えていた小型のレーザー銃をテーブルの上に放り出すと、ソファーにボウンと身を投げ出した。そして大きな窓の向こうに広がる湖をぼんやりと眺め始めた。鏡のように風景を映していた湖面は、吹き始めた穏やかな風から生まれたさざ波で、精密な打ち出し細工の銀板に変化していた。
「ねえゲンマ」彼女はふいにこちらを向いて声をかけてきた。「ゲンマと呼んでもいいかしら?」
「何の問題もない」私はそう答えてから続けた「では私はあなたをどう呼べばいい?」
「わたし?わたしはスピカ。スピカっていうのよ。変な名前でしょ?あまり気に入ってないんだ」
「変だとは思わない。チャーミングな名前だと思うが?星の名前で、穂先というような意味を持っている」
「ふ~ん、そう」とスピカは興味なさそうに続けた「本当は別の名前だったんだけど、ここに来てからこの名前なの。本当の名前は思い出せないわ。忘れたのか消されたのか、それすらね」
「ここは何ていう所だ?」
「ここ?この大きな丸いへこみはアルファルドっていうの。湖はミアプラキドゥスよ。舌を噛みそうね」
「アルファルドは“孤独なもの”ミアプラキドゥスは“静かな水”というような意味だな」
「そうなんだ。孤独なもの……か、静かな水はピッタリね」スピカは静かに繰り返してから「ゲンマは人工知能って言ったわね。だったらそんなボールみたいな体には入らないわね。ゲンマは本当はどこにいるのかしら?」と訊いてきた。
「人工衛星の中だ。この体オブザーバーとはNETで繋がっている」
「傍には誰かいるの?」
「センサーはこの体にしかない。だからデータがない」
「そう……」スピカは遠い目をしてそう言うと力を抜いてソファーに沈みこんだ。
 驚くことにやがて寝息が聞こえ始めた。私はそっと上昇して近づいたが、目を覚ます様子は無い。私は元のカウンターに戻って彼女が目覚めるのを待つことにした。色々と疑問を感じるが、質問はスピカが目覚めてからにすることにした。

 2時間22分が経過した。スピカは小さなうめき声を出し、それから目を開けた。自分が生きていることを確認するように暫くぼうっとしてから、やがてゆっくりと周りの様子を目に収め、私のほうを向いた。そして声を出した。
「夢じゃなかったんだ……。ゲンマ、今何時?わたしどれぐらい寝てた?」
「12時18分、そして2時間22分だ」
「そう?ありがとう。さすがに細かいね。じゃぁそろそろお昼ごはんにしなくっちゃ」とキッチンに入っていった。冷蔵庫を開けて中を覗きながら「ゲンマは何か食べたりするの?」と言う。
「私には必要ない」
「そう。便利ね。でもつまんないかも」そう言いながら中からパウチパックを取り出し、それをレンジに放り込み調理ボタンを押した。暫くすると軽やかな音がして調理が修了した。スピカは熱くなったパックを慎重に取り出し、中身を皿に開けて食べ始めた。
「スピカ、質問してもいいか?」「いいわよ。なぁに?」
 私は素直に感じた疑問を口にした。「その食べ物は冷蔵庫の中に入っているのか?」
「そうよ。まだたくさんあるわ」
「その冷蔵庫の中の物だけでずっと食べていけるのか?」
「冷蔵庫の中だけで足りるわけないじゃない。他の場所にもっともっとたくさんあるわ」
「なぜ、そんなにたくさんそこにあるのか疑問に思ったことはないのか?」
「なぜそんなにたくさんあるのかって?」スピカの声はきつくなった。「それがどうかしたの?あるならあるでいいじゃない。それを確かめて何の意味があるのよ?これが誰のために用意されたものか知らないわ。でもここにはわたししか居ないし、もし他の人のために用意されていたとしても、誰も咎める人は居ないわ。わたしが食べられればそれでいいじゃない!何か問題でもあって?その黒い頭で……そりゃぁわたしよりずっと優秀なんでしょうけど……その優秀な頭脳で疑問を解明しようとしてつつきまわして、もし消えちゃったら、あなた責任を取ってくれるわけ?責任を取って自分からパワーオフなんてだめよ!ちゃぁんと元に戻してもらいますからね」スピカは喋りたてていたが私が反応しないでいるとやがて喋るのを止め、フゥとため息をついて食事を続けた。
 食べ終わるとスピカは顔を上げ「わたしはねゲンマ。聞いてる?」と言った。
「聞いている」
「よろしい。わたしはね、今22歳なんだけど18歳までは普通に生活していたのよ。家族と家庭があって友達と学校生活を送って。こういう生活は分かる?」
「知識として持っている」
「ならいいわ。でも18歳の時に突然それは終わって、目が覚めたらここに居たの。わたし1人で。そんなこと疑問に思わない訳がないじゃない。どれだけショックを受けたか想像できる?どうやってここで生活してきたか想像できる?」
「想像できるだけのデータがない」
「クククッ」スピカは少女のように笑った。
「何一つ不自由はないのよ。食べる物はいくらでも有る。それにね、なんと電気が使える。コンセントからふつうにね。水道も出る。綺麗な美味しい水よ。トイレは水洗だし、シャワーやお風呂も使える。家電が壊れても予備まであるのよ。不思議よね?ゲンマの優秀な頭脳で何故だか分かる?」
「私は今朝目覚めたばかりだ。データが不足しているので推測できない」
「そう。なんでもデータ・データ。結局は役に立たないのね。人工知能もさっぱりだわ。でもちょっと見て欲しい物があるんだ。来て」
 スピカは真ん中のドアを抜けて廊下出ると「ここよ」と床面にある扉を持ち上げた。そこには地下に降りる階段があった。階段を一番下まで下り、突き当たった最初の重いドアを開けると冷気が噴き出した。そこは冷凍庫で、壁一面に設けられた引き出しの中には、大量のそして多くの種類のパウチパックが収められていた。私はその引き出しの一部に植物や動物の名前がたくさん書かれた物があることにも気がついていた。スピカはそこから1階層ずつ上がりながら各層を説明してくれたが、さっき言っていた家電の数々が収められた倉庫以外は、何に使われるものかスピカにも分かっていなかった。そこには空気や水の浄化装置、汚水処理装置、循環装置、それに培養槽や調整槽などが収まっていた。そして多分最下層には核融合電池が収まっているに違いない。
「次はこっちよ」リビングに戻ったスピカは開いていた窓からテラスに出ると靴を履き替え地面に降りた。そのまま森の中を下って行く。
「見て」スピカの指さす先には小さな穀物畑があった。その向こうには野菜畑が見えている。畑ではたわわに実った穂が揺れ、色々な種類の野菜が実っていた。
「まだ実験段階だけど。森を焼いて種を蒔くと結構簡単にできるの。さっきの冷凍庫に種がたくさん入っていたの。動物や魚の卵子や精子もたくさんあるみたいだけど、わたしには無理ね。でもこの湖には結構魚が居るの。工夫すれば釣れるし美味しいのよ。だから、わたしが少しずつ始めたいろんなこと、ゲンマが手伝ってくれると嬉しいんだけど」
「私をパートナーとして認めるのか?」
「だって、どうせ観測で暫く居るんでしょ?認めるほうが上手くいきそうじゃない。ゲンマに対して疑心暗鬼でやっていくなんて意味ないわ。多分時間の無駄よ。上手くいかない時はそれでお終い。そういうことよ。あなたもそう思わない?」
「私は賢明な判断だと思う」
「でしょ?じゃあそういうことで、よろしくね!ゲンマ」明るい調子でそういうとスピカはさっき下った道を戻り、張り出したテラスの下に入った。そこには奇妙な形の道具の数々や石を積み上げて作られた窯が座っていた。
「脱穀や製粉ができるように道具も作ったわ。あの倉庫にはいろんなものが入っているのよ。せいいっぱい利用させてもらってるわ。薪の使える窯もあるからパンも焼けるのよ。それにここの森には食べられる果物や木の実もたくさん生るのよ。さあ、ゲンマ。この結果をご主人様に報告すればいいわ。どんなご褒美が貰えるのかしら。そして何者がやってくるのかしら。今から楽しみだわ。でさ、次はパンを焼くわ。生地の発酵は終わってるのよ。手伝って!そんな格好をしてるけど手はあるんでしょ?」
「手はちゃんと2本装備している」私の返事を聞いているのかいないのか、スピカは楽しげに階段を登り、ベランダから小屋の中に入った。その日の午後はパン焼きに使われ、赤い夕日が外輪山の向こうにゆっくりと沈んでいった。
 開かれた窯からは芳ばしい香りがした。「できたできた!美味しそ~う。いい匂い。ね!ゲンマ」スピカは喜びの顔を私に向けた。
「美味しそうだし、いい匂いだ。センサーはそう判断する」
「あ、そうか。ゲンマは食べないんだっけ。ごめんね。すっかり手伝わせちゃったね」
「かまわない。人間の役に立つことは私にとって喜びだ。そういう風に作られている」
「そうなの。じゃぁ、とっても役に立ったわ。ありがとうゲンマ」
「どういたしまして」
「ふふっ。ゲンマ、なんだか照れてるみたいよ」スピカはレディーの笑いをした。
 オレンジ色の歪な月が登り始めていた。

 シャワーを浴び、私と他愛のない話をしながら夕食を済ませると、「ちょっと待っててね。済ませてしまうわ」スピカはPCの前に座った。スピカのPCはタブレットではなくノート型だ。絶え間なく喋り続けてきたスピカは、急に黙りこくってPCに向かってキーボードを叩きはじめた。私は作業の邪魔をしないように静かにカウンターの上に載っていた。そこは私の場所になり、クッションが1つあてがわれていた。
「よしっと」3時間ほどそうしていただろうか(正確には3時間17分だ)スピカはノートを閉じると顔を上げた。
「何をしていたんだ?」私はもう邪魔にならないと判断して声をかけた。
「物語を書いていたのよ。それをNETに上げているの」
「どんな物語を?」
「つまらないものよ。ファンタジーみたいな感じね。恥ずかしいから読まないでよ。ゲンマもNETに繋がってるんでしょ?」
「繋がっているし、もうすでに検索をかけて読んでしまった」
「うそ~!油断もすきもあったもんじゃないわね」
「だが、NETに上げるということは不特定多数に読まれることを前提としているはずだ」
「デリカシーがないわね。私を知っている人に読まれるっていうのは、ちょっと恥ずかしいじゃない」
「そういうものか?でもなかなか良く書けている」
「そう?ほんとに?でも人工知能はお世辞も言うのよね?」
「そのことについては否定しない。だが、なぜ物語を?」
「う~ん。そうね。たった1人で寂しかったっていうことが一番じゃない?NETに上げると結構コメントが入るのよね。とっても嬉しかったし。たくさんの常連さんができたり、その人達のサイトでまたコメントを書き込んで盛り上がったり。イベントもあったりしてとっても楽しいからよ」
「なるほど、わかった」
 スピカは暫く私のほうを見てから「それだけ?それ以上は聞かないのね」と言った。
 私は黙っていた。スピカはじっと私を見つめていたがやがて口を開いた。
「この世界が、アルファルドが何か解らない力でコントロールされて微妙なバランスを保ってるってのは、わたしの頭でもなんとなく分かってるのよ。わたしたち人間が何をしたのか、どうなったのか、私は知らないんだけど、わたしは生かされている……至れり尽くせりでね。そんな感じがするの。でもそのことに頼りっきりってのもなんだか嫌じゃない?」
「それが昼間のことに繋がるわけか?」
「そうね!そういうこと。やれるだけやってみるってことかしら。ほんの少しの事なんだろうけどね。じゃぁ、もう寝るわ。ゲンマのようにずっと起きてるなんてできないから」
「そうだな。おやすみ」
「おやすみなさい」スピカは寝室に入って行き、観測第1日は終了した。
 小さな天窓からは青く輝く月が覗いていた。

 無音の夜明けが訪れようとしていた。いや、人間の感度では、だ。センサーには微かに鳥の声が聞こえている。上空は夜明け前の明け紫から、明るい空色に染まり始めたが、カルデラの底にはまだ比重の高い瑠璃色が溜まっていて薄暗い。私は静かにカウンターから上昇すると窓を開けベランダに出た。
 そしてゆっくりと上昇を始めた。徐々に速度を上げて上空を目指す。外輪山を越えて朝日の中へ入った。暖かいマンダリンオレンジの光は私の体を優しく包み込み、そして上昇する私の体を祝福する。私はもう周りを見ることは止めて目的の1万メートルを目指す。
 10分ほど経過しただろうか?(正確には上昇開始から11分46秒)目的の高度に達した。
 センサーを起動し周囲を見渡す。真下にアルファルド・カルデラが小さく見える、西半分に朝日が差し始めて美しい。ミアプラキドゥス湖が黒く沈んでいる。センサーはカルデラ内の植物そして水の反応を濃色で表している。そこはまるでアルカディアだ。
 私は同心円状に観測範囲を広げていったが、アルファルドの外側では一切の反応が消えた。何も無い事を意味する灰色の反応が返ってくる。そしてそれは遙か彼方、地平線まで続いてた。アルファルド、孤独なもの、何という名付けだろう。その外側には何も無いのだ。何も無い赤錆色の砂漠が広がっているだけなのだ。
 可視光線でもそれを確認すると、私は徐々に高度を下げ始めた。
 高度を千メートルまで下げた時、「ゲンマ!ゲンマー!」呼ぶ声がセンサーに入ってくる。スピカの声だ。
 しばらく周囲の様子を観察した後、私は降下速度を上げた。
 西の空では、今にも消えてしまいそうな白い月が、地平線に沈もうとしていた。

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テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
 

黒い月

Stella/s
月刊・Stella ステルラという企画に参加しています。これはその11月号に掲載する作品です。6600文字程度あります。
よろしければどうぞ。

黒い月

 東側の山越しに差し込んでくる太陽光線が、湖の反対側の山々の上部を照らしている。太陽光線はまだ遥か上空を通過していたので、彼女の短くカットされた白い髪や、つやを失い幾筋もの皺が刻まれた顔や、ほっそりとした体は影の中にあった。
 それらは彼女の年齢に見合ったものだったが、絶妙のバランスで構成されていたので、実際の年齢よりはかなり若く見える。凛とした立ち姿や、何気なく着ているシンプルなワンピースが、さらにその印象を強くした。
 彼女はテラスの手すりに肩幅より少し広げた両手を置いて軽く体重をかけ、眼前に広がる湖を見つめていた。
 季節は秋、時間は午前6時、まだ上がりきらない気温のために、彼女の息は白い蒸気となって呼吸に合わせて広がっては消えていった。
「ゲンマ!ゲンマ!中に居るの?」彼女は家の中に向かって声をかけた。
 私は上空からベランダへと降下した。「スピカ、こっちだ」
「なんだ。上に居たの。ほら!今日は風が凪いでいるから湖面がまるで鏡のようよ。見て!」スピカは両手を広げて湖を抱擁してから「あそこ!」と外輪山の中腹を指差した。「あの日があたり始めたところの紅葉と緑色のコントラストがとても素敵でしょ。日のあたっていない部分ととても対照的で、まるで陰影の上に浮かび上がった天空の庭のようよ。それに目の覚めるような空の青!それがそのまま湖に映ってるんだもの。ため息が出るわ」
 スピカの言った日のあたる部分は時間をかけて領域を拡げていき、やがて光は湖面に達した。そして暖められた空気は上昇気流となった。
「ああぁ、せっかく鏡のようだったのに。どんどん輪郭がぼやけていく……」上昇気流によって発生した風は湖面を正反射から乱反射に変化させ、スピカをがっかりさせた。日のあたる部分はさらに領域を拡げ、ようやく届き始めた太陽光線が彼女の白い髪に断続的に反射し始めた。
 暫く名残惜しそうに湖面を見つめていたスピカだったが、クルリと顔をこちらに向けると「ねえ、ゲンマ。今日は空気がキーンと張ってるね。そろそろ解禁だと思うんだけど?」と尋ねてきた。だが私の意見など聞く気も無い事は明白だ。
「スピカがそう思うなら時期が来たんだろう」
「そうね。朝ごはんを食べたらキノコ狩りに出かけようよ。もういっぱい出てるような気がする」そう言うと、期待に胸を躍らせている様子で朝食の用意をしに小屋の中へ入って行った。
 それは毎年スピカが決めることだった。大型の食用キノコを採りに出かける日、それを空気の温度や自然の色の変化と人間の勘と呼ばれる感覚で決定するのだ。キーンと空気の張る日、とスピカは言うのだが、私の高感度のセンサーは昔から完全に無視されてきた。
 ここ数十年スピカはこの大きな火山が崩壊して出来た穴、アルファルド・カルデラの探検を続けてきた。特に菌類、中でもキノコに非常な興味を持ち、次々と新しい種類を探してアルファルド中を歩き回った。キノコについては写真を撮るのと食べる事がその目的の大半だったが、専門的な知識も蓄えて学術的な調査らしき事もしていた。スピカが若いうちは徒歩やボートで何泊もキャンプをしながら外輪山を一周することも多かったが、歳を取ってあまり無理ができなくなると、さすがにそういうことは無くなった。しかし、まだまだ足腰は丈夫で、日帰りできる位の距離までは出かけていたし、ボートを使えば少し遠出もできた。もちろん私が漕ぐのだが。
 今日もその探検に出かけようというのだ。食事を済ませるとスピカは山行用の丈夫な長ズボン、ウインドブレーカー、前方に小さなつばのついた帽子、それにトレッキングシューズといういでたちで出発した。テラスから出発して森の中を少し下るとスピカが作った小さな農園が有る。数年毎に焼畑を繰り返して何十年も耕作を続けてきた大切な畑だ。色々な種類の作物が生産され、釣獲することのできる魚と合わせて、かなり前から冷凍庫のパウチパックを利用することはほとんど無くなっていた。
 収穫が終わって刈り跡だけがランダムに並んで残る穀物畑の横を抜け、種を取るために野菜や豆が少しだけ残してある畑の横を通り過ぎると、道は踏み跡に変わって森の中へと続いてゆく。私は横に並んだり上空から見降ろしたりしながら、スピカの状態が把握できる程度の距離を保って同行した。スピカの小屋は湖に突き出した半島の先端に立っていたが、今日の山行はその半島の付け根まで歩き、さらに外輪山の中腹まで登るというものだった。尾根にそって出来た踏み跡を辿りながら、時々沢伝いに下ってキノコを探し、生えていれば写真を撮ったり採取したりし、また尾根まで登ってを繰り返す。スピカは5ヶ所でこれを繰り返してから尾根の上で休憩を取った。
「ゲンマ、わたしも歳を取ったのかな?若い頃なら外輪山まで休憩なしで行けたのにね」スピカが湖の向こう、遠い外輪山を見つめながら訊いてきた。
「私のデータとスピカの話を総合すると、すでにスピカは90歳を超えている。これは人間として歳を取ったと判断するには充分だ。だが、その年齢でこの体力は驚愕に値する」
 スピカは遠くを見つめたまま微笑んだ。
 暫くそうした後、急にこちらを向いて「ありがとう。それは誉めてもらってると解釈していいんだよね?」と言った。
「私は人間が嬉しく感じることを自分も嬉しいと感じるように作られている。そして私はスピカが自分の体力を維持できていることを嬉しく感じていると考えている。だから誉めていると解釈してもらって結構だ。データベースにその年齢でこの体力を維持した人間のデータは無い」
「わたしは嬉しいのかどうか自分ではわかんないな……」スピカはまた遠い目をしていたが「でも、体が辛いよりはこのほうがずっといいよね!」と立ち上がった。

 スピカはキノコ狩りを始めた時からずっと、採取したキノコの同定に私の分析システムは使わず、持参したタブレットからサーバを参照して、そこに有るライブラリーのデータを頼りに食べられるかどうかを判断した。食べられると判断しても、最初は微小なかけらをゆでて食べることから始め、異常が無ければ徐々に大きくした。一歩間違えば命にかかわることだ。私は何度も警告した。するとスピカは「大丈夫よ。ちゃんと調べてるんだから。もしあたって私が死んでもゲンマは困らないでしょう?だれも悲しむ人もいないわ。この真っ赤な艶々とした、いかにも毒々しいこのキノコが美味しく食べることができて、こっちの茶色のふんわりとしたパンのようなキノコが毒を持っているなんて誰が考える?これとこれ、どう見ても全く同じキノコに見えるのにこっちは猛毒、そしてこっちは食べられるなんて信じられる?ドキドキするわ。ねぇ!そう思わない?ゲンマ」そう言うとまた新しいキノコをテーブルの上に載せ、データと見比べるのだった。その微笑みを湛えた生き生きとした表情を見ると、私は何も言うことができなくなった。その時私は自分が人工知能の3原則を逸脱することができることを認識したのだ。
 ただ、私がもしスピカが死んだらNET上の友人達がどう思うだろう、と質問した時のスピカの諦めきったような表情と無言で返された答えは、私のメモリーに非常に大きなデータを残した。スピカは言葉では質問に答えず「ねえ。ゲンマ。この妖精のお家のようなオレンジ色の傘、美味しそうだし可愛いと思わない?でもデータと見比べると多分このキノコね。猛毒って書いてあるわ。駄目ね」と写真にデータを付けライブラリーに保存した。私はスピカがなぜ命を賭けてまでキノコ狩りに熱中するのか理解することはできなかった。
 本当にスピカが死んでしまっても私にとって何も支障は無かったが、実際には何回かお腹を壊すぐらいで済んではいた。それ以降、私はスピカを静かに見守ることにした。

 スピカは尾根沿いに歩を進め、さらに何ヵ所かの沢を下り、いつもの場所でいつもの美味しいキノコを発見し歓声を上げた。「やった~!輪を描いてるよ」大きく傘を広げた茶色いキノコが輪を書くように群生していた。独特の香りがセンサーに感じられる。「いい香りだね。食べられる香りだよ」周りは胞子で真っ白になっていて、落ち葉の下を探るとキノコのつぼみが幾つも出てきた。スピカは大騒ぎをしながら食べきれるだけそれを採集し籠に放り込んだ。さらに少し横道に入っては、これまでに見たことの無いキノコの写真を撮り、少しだけ採集した。籠がいっぱいになると、それは私の下げている大きな籠に移され、運搬は私の役目になった。やがて踏み跡は外輪山に差し掛かり、急な登りになった。スピカは息を切らしながら、それでもキノコの採集を続け中腹にある少し開けてテラス状になっている岩棚まで登った。「ふ~~ぅ」スピカは大きく息を上げると「ゲンマ!今日はここまでにしよう。お昼を食べてゆっくりしたら引き上げよう」と言うとテラスの一番前に座り、足をテラスの外にぶら下げた。足元は垂直な岩の壁になっていて、ぶら下げた足の下には20メートル以上の空間が広がっていた。

 私がスピカに出会った頃、始めてここにやってきた時もこうやって座るので私は警告した。すると「大丈夫よ。ちゃんと気を付けて座ってるんだから。もし私が落ちて死んでもゲンマは困らないでしょう?だれも悲しむ人もいないわ」と言ってぼんやりと向かいの外輪山を眺めたのだった。そして立ち上がった時には「ここで立ち上がるとわたしはね、ゲンマ。こうやって……」と一歩前へ踏み出そうとした。「飛び出したいっていう衝動に駆られるの。ブワ~~ッてここから降りていく感じ?すごく気持ちが良さそうな気がするのよね。でも頭から肩までキュ~ンと締め付けられる感覚?そんな感覚で一歩前へ出ることは出来ないの。それでね。そっと後ろへ下がるの」とゆっくりと後ろへ下がった。そしてまだつやつやしていたその顔で力なく微笑んだのだった。
 私はそれ以降警告することを止めてしまった。

 70年が経過した今もスピカは足をブラブラさせながらぼんやりと向かいの外輪山を眺めている。足元には馬蹄形の第2カルデラを構成する2つの半島がミアプラキドゥス湖に向かって突き出している。半島には右側はボルックス、左側はカストルと言う名前が付けられていた。スピカの小屋はカストルの先端にあって、我々はカストル半島を先端からずっと移動してここまで登って来たのだ。2つの半島に囲まれた濃い青色の水を湛えた水域は中湖と呼ばれ、この湖で一番水深が深い部分だ。
「ねえゲンマ。ここから見る風景は本当に綺麗だね!」スピカは子供のような顔をこちらに向けて嬉しそうに言った。とても90歳を超えているようには見えない。
「冬葉緑に紅葉色や黄葉色や枯葉色をちりばめた山、本当にこれが自然に出来たものだって思う?この組み合わせとバランス、絶妙だと思わない?木々が一本ずつのそれぞれに勝手に色付いてたら、とてもこんな風な並びにはならないと思うの。何か不思議な力が離れた所から全体のバランスを見て配置を決めたんじゃないかって思えてくるんだ。わたしはこれまでそんなことを思わないようにしていたんだけど……」私は反応を返さなかった。
「それにあの中湖の透明な冷たい深水色、周りの湖の色よりいっそう深くて、こんな深い色合いの巨大な宝石が、この細かな綺麗な色の飾り石をちりばめたボルックスとカストルの間に、自然にはまり込んだなんて。誰が信じる?」私が反応を返さないので、スピカは景色の方へ目を戻してしまった。
 しばらくして小刻みに震える肩を見て私は尋ねた。「泣いているのか?」
「泣いていたらいけない?」振り向いたスピカはポロポロと涙をこぼしていた。
「スピカが涙を流していてもなんら不都合は無い」
「でしょ。でも、わたし……なんで泣いてるんだろう?わかんないよ。ゲンマ、少しの間泣いていてもいい?」
「時間はたくさん有る、問題無い」
「ありがとう」しばらくの間スピカは遠く外輪山の方を向いて肩を震わせていた。

 スピカが私に泣き顔を見せるのはこれで二度目になる。前回は23歳の頃、私にぶら下がって上空4000メートルまで上昇して外輪山の外を覗いた時だ。延々と広がる赤錆色の砂漠に声を失ったスピカは静かに涙を流したのだ。それ以降スピカはこのアルファルド・カルデラを出る話はしなくなった。そして菌類の調査に情熱を燃やし始めたのだ。

「お昼ごはんにしようか?」振り向いたスピカは勤めて明るく振舞う様子で言った。
「かまわないが、私には……」いつものように私が答えようとすると、スピカもいつものように途中で遮り「ゲンマの最大の欠点は食べないこと、だよね」と言ってニッコリ笑った。

 これがスピカと私の最後のキノコ狩りになった。このあとスピカはキノコ狩りに出かけなくなったのだ。何度かのシーズンがやってきたが、スピカはもう尾根を歩くことはなく、昼は畑仕事や魚釣り、たくさんある雑用、そして夜は映画を見たり小説の創作に勤しんだ。NETに発表する作品の数は増えていき、コメントもたくさんもらっているようだった。しかし、徐々にスピカの精神機能は衰え、スピカと私との意思疎通は難しくなった。私にボートを漕がせて湖に出ても、長い時間黙ったままぼんやりと周りの風景を眺めることも多くなった。
 たった一人で70年以上の時を過ごしてきたスピカにとって、やはり精神的な負荷は相当大きかったのだろう。アルファルドという名の通りの絶望的な完全閉鎖世界で、NET上に構築された仮想社会と人工知能とのコミュニケーションだけでこれだけの間機能を維持できたのは、スピカの精神の特異性によることが大きかったと思われる。スピカの精神はこの特殊な環境に見事に適応してきた。しかしそれにもやはり限界があったのだ。私は起動してからずっと観測を続けていたが、データベースにはこのような特殊な環境に適応した人間のデータは存在していない。
 徐々に精神機能の衰えたスピカは、私を機械として認識したり人間として認識したりを交互に繰り返し、私は友人になったりロボットになったり初恋の人になったりした。私には色々な人格をエミュレートする機能があったので、どんな対応でも可能だった。初恋の人の記憶が戻っている間に、私はスピカの本当の名前を知ることができた。それは東域の弓状列島にあった国に咲く、美しい花の名前と同じだった。記憶が戻っている間にその名前で呼んでやると、彼女はたくさんの人と繋がりを持っていた若い時代に戻るのだ。彼女は笑い、はしゃぎ、そして快活に喋った。そして時が来るとまたスピカに戻った。

 外輪山に薄っすらと雪が積もり、テラスが凍りついた霜で白く光る冬の朝。
 彼女は静かに逝った。

 私は彼女の生命反応が完全に停止したのを確認すると、閲覧可能になったメモリー最下層のディレクトリの中に入った。そこにはこれまでの経緯情報と現時点以降の行動指令データが入っている。
 第三次アポトーシスであるデュスノミアの崩壊直後、関連設備の数は連鎖崩壊により最低稼働限界値を遥かに下まわり、人類再生計画はついに破棄された。わずかに残された再生施設は細々と稼働を続けたが、徐々に数を減らし、ついに4年後に最後の1つ、それも生活環境施設を残すのみとなった。それは奇しくもアルファルド“孤独なもの”と呼ばれる施設だった。その事実が確定となった時、人類再生計画を司る人工知能メイサV30は機能を限定モードに移行してサポートに回った。サポートとしてのメイサの役割はもうほとんどなかったが、スピカが利用していたNET仮想社会のダミー人格などはメイサが作り出したものだ。そして、終焉観測システムを司る人工知能ゲンマV30が限定モードから起動した。それが私だ。メイサとゲンマ、全く同じに作られた2つの第13世代V30シリーズ人工知能は相互にバックアップ機能を補完しあう双子のシステムだ。
 だが彼女が逝った今、私もすべての役割を終えた。行動指令データでは私達2つの人工知能に対して機能停止の許可が与えられていた。私達が機能を停止してもアルファルド、この地上最後の楽園は、もうしばらくの間(10年程度と推測される)核融合電池の寿命が尽きるまでは維持されるだろう。

 終焉観測システム「MITORI」
 MITORI
 exit

 observer 880
 shut down
 
 A.I MEISSA V30 system
 halt
 
 A.I GENMA V30 system
 halt

 see you again
テーマ : 自作小説    ジャンル : 小説・文学
 
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